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Archive for 6月, 2012

言葉の力

30 6月

『すこやかフェスタ』に参加して
  「福祉健康センターすこやか」で『第33回のすこやかフェスタ』が開催された。私は、区長として式典に参加した。その後、表彰式があり式典は終了した。

 続いて、心理カウンセラーSさんの『思いの力・ことばの力』と題した講演が行われた。とてもわかりやすい講演だった。そして、納得できる部分が多かった。以下、自分の心に残った部分を列挙すると、次のようなものがあげられる。

・お互いにを認め合うために、思いをのせて言葉を届けよう。
 コミュニケーションとは、双方向に想いを伝え合うことだと私は考えている。一方向の場合、それは連絡や指示、命令であってコミュニケーションとは言えない。

・私達はお互いを映し合う鏡
  自分がどう映っているのか、鏡を持たない人が増えている。自分がどう他者から見られているかがわからない。そのため、偏った方向へ進む人が少なくない。政治家、官僚、時には企業の代表者や教員、学者……。そのため、ムラを作って他者を煙に巻く。

・思いの力・ことばの力~力を奪う or 力を与える~
  言葉によって,相手を傷つけることもあれば、相手に勇気を与えることもできる。同じ言葉でも、相手の状況によってはどちらにもなる。できることなら、相手を勇気づけ、励ますような言葉を発したいものだ。

・「ほめよう」ではなく、「みとめよう」と意識する。
  人をほめようとすると無理が出る。認めようとするには事実だけを述べればよい。「よい子だ」などを言われると「よい子を演じなければならない」ことになり、負担になる。それぞれの行為の瞬間によさを認めれば負担にならない。

・さざ波効果~こちらのあり方が周りに与える力~
  相手に期待したり、直接、相手を説得するよりも、自分のあり方によって相手を動かす方が効果は大きいだろう。かつて別の講演会で、「情熱は伝染する」と講師が話したのを今も鮮明に覚えている。相手に影響を及ぼすのは、言葉よりもさざ波効の方が大きいかもしれない。

 旨く説明できないが「言葉の持つ力」を再認識した。私達は、安易に、無神経に言葉を使うことがあるが、使い方によっては相手の力を奪うこともあるだろうし、相手に勇気を与え、励ますことにもなる。私にとっては、興味があり楽しい講演会であった。

(日記 午前中、「福祉健康センターすこやか」で行われた「すこやかフェスタ」の式典に参加し、その後講演を聴いた。センターの内外では、様々なイベントを行っていた。多くの知り合いにも出会った。午後は、疲れて昼寝。午後4時から「親子太鼓教室」。楽しい時間だった。その後、明日のむらの「林道草刈り」のための準備。参加者全員のお茶を購入し、集会所の冷蔵庫に保管。残念ながら明日は雨らしい。夕方からポツリ、ポツリと雨。)

 
 

一段落

29 6月

一息入れて
  今日の午後、やりたいことが一区切りついた。最後は、童話コンテストに応募することだった。今日が締め切りだったからだ。今日まで、気分的には押されているようで重荷だった。

 童話を書くにはいくつかの手順がある。ぼんやりとストーリーを考える段階は、何か仕事をやっていてもできる。次は、実際に原稿を書いてみる段階。これは病院の待合室でできた。

  そして、昨日は、家で最後まで話を書き終えた。今日は先日の検査結果を聞くために再び病院へ行った。病院の待合室で自作童話を校正。

 帰宅して、書き直して印刷、完成。封筒に入れて郵便局で郵送した。果たしてこの童話は、子ども達に受け入れられるだろうか。宝くじが買わなきゃ当たらないように、童話もコンテストに出さなければ入賞しない。

  こうして一つずつ種を播いておけば、楽しみは増える。これからもいろんな種を播いておきたい。新たな楽しみを生み出すために。来週からは、少しずつ、創作紙芝居の絵を描き貯めていきたい。

人通りの少なくなった本町の交差点付近でYくんをパチリ。アメリカと日本の学校の仲立ちをしてほしいと頼んだ。

(日記 済生会病院で先日の検査の結果を聞く。帰宅して童話を仕上げた。夕方、明後日の大師山林道の草刈りのための下見に行く。午後7時から焼き鳥屋で、来週アメリカへ戻るY君(アメリカで起業)と飲みながら話す。午後11過ぎまでたっぷり4時間話した。その中で英語についても話すことができた。ここでもまた新たな楽しみが見つかりそうだ。楽しみは仕掛けなければやってこない。これからもドンドンいろんなことを仕掛けていきたい。)

山道づくりの下見で登った大師山山頂。

 
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インターネットは百科事典

28 6月

情報は発信し、受信するもの
  この頃は「情報化時代」と言われるように様々な情報が身の回りに溢れている。情報化というよりも、「情報過多の時代」であるように思われる。一つ間違えば情報に振り回されそうである。

  私は、情報はどちらかと言えば“受信するよりも発信すべき”だと思っている。パソコンにしがみついて、あちこちの情報を探っているだけでは情けない。きっと、時間はあっという間に過ぎてしまうであろう。貴重な時間がもったいない。

  ブログによって情報を発信していると、あちこちに住む自分の子ども達に近況を知らせることが日々できる。また、知り合ったいろんな人にも見ていただいているうちに、メル友になることもある。そんな場合、私の方が勉強になっている。

  このように、情報を発信することによって、新たな情報を入手できると思っている。また、情報の入手が必要になると思っている。そんなときは、ネットに頼ることがある。家内は、梅酒だ、にんにく酒だ、ジャムだ、と言って結構ネットを使っている。

 紙芝居を創作するにあたっても情報入手が必要になることがある。例えば、ヤギが登場する場合、私は、ヤギの生態については必ずしも知っているわけではないので、ネットや図書館での情報収集が必要になる。昔、隣の家がヤギを飼っていたが。

  また、ヤギの種類によって姿形がどう違うのかを知ろうとすると、図鑑に頼るか、ネットの画像検索に頼ることになる。そんなわけでネットは辞書代わり、図書館代わりになっている。

  しかし、情報は発信することによって受信することが必要になると思っている。どんなものにも功罪はある。使うか使われるかによって受ける影響は大きく異なる。少なくとも、私にとってはネットは、情報発信の最大のツ-ルである。

数学のホームページの表紙。しばらくご無沙汰だ。再開したい。

 このブブログを書いていて急に思い出したことがある。自分の本職であった数学のホームページづくりを一年間休止している。公開しながらの制作なので、再開したい。制作しているときが自分の楽しい時間になっているのだから。

(日記 午前中、『かたせ瓦版』の仕上げ。昼食後、プリントアウト。午後は、近所の人のために五連の竹のプランターを二個作った。その後、童話創作。明日までに完成させたい。夕食後、童話創作作業を継続。何とか、形にはしたので、明日は推敲だ。)

 
 

たくさんの区有文書

27 6月

資料をどのように活かすか
   村にはたくさんの古い資料(区有文書)がある。それらを見ていると、当時の人達が何を考えていたのかがよく分かる。会議録などを見ると、事細かに申し合わせ事項を決め、それらを守っていたことがよく分かる。

  村は運命共同体という感が強かったように思う。今は、家族が、個人が、それぞれが勝手に生きているように思える。面倒くさいことは極力避け、自分の興味のあることだけを追いかけているように見える。

  しかし、それでは、人生のある時期からうまくいかないのではなかろうか。欲望だけを追いかけていても、本当の充実感は得られないのではないだろうか。村の中を歩いていると、高齢者のみの家族、あるいは一人暮らしの人がいるが、大丈夫だろうかと思ってしまう。

達筆で書かれ区有文書。先人が生きた証やいろんな知恵が残されている。

  昔の文書を見ると、かつて、村では、いろんな事を協力してやっていたように思う。農作業についても、「結」という形で協力してきた。また、少しでも豊作になるように、田畑の害になるものに対しても「申し合わせ事項」を定めてみんなで守ってきたのだ。

  例えば、稲作に害となる「ヒエ」の取り扱いについても、みんなでどこへ捨てるか(ヒエ捨て場)を定めている。今は、除草剤をやればそれで済むと思っているのか、田んぼ周辺に放置してある場合が多い。だから田んぼにはとてもヒエが多い。

  また、かつては稲や作物を食い荒らす「蝗(いなご)」を少しでも減らすために、蝗の卵を一定量とるよう定めている。そして、それらに対して報奨金を出していたようである。毎年の初寄り合いに申し合わせていたことが記録から読み取れる。

 また、モグラも1匹10銭で区長が買い上げることなども記録には残っている。田畑の害になるものを、区全体で駆除しようとしていたようである。区民の協力で区を守っていたことがよく分かる。

  大正14年の「初寄り合い」では、「投書箱を設けること」が決められている。
  「投書箱の設置」
    ・設置場所……消防ポンプ小屋前
    ・鍵の管理……区長
      ・箱を開けるのは、区長、区長代理、委員一名立ち会いの上、毎月一回とする。

 区民から、様々な意見や提案を聞くためであろうか。その趣旨は大いに賛成できる。私も、現役(教員)時代には投書箱を設置した経験があるからだ。 

 その他、夜警を青年会が担当していたこと、道路の修繕、樹木の伐採、学校の糞尿の(肥料としての)入札、……等、様々なことが記録されている。少しでも、暮らしを良くしようとした先人の苦労が忍ばれる。

(日記 午前中、済生会で定期検診+アルファ。最近、体重が減ってきたことが気になる。帰宅してからは、もっぱら『かたせ瓦版』作り。今回もあと一日が足りない。)

 
 

孫のような子ども達の前で

26 6月

南保育園訪問
  南保育園から頼まれて、今日は夫婦で紙芝居や手遊び歌を披露する日だ。午前10時少し前に自宅を出発。南保育園へ到着。今日は、園児の祖父母が集まり『お楽しみ会』だ。

手遊び歌を披露する二人。

 孫と同年齢の子ども達が、遊戯をした後、保母さんの一人が祖父母との遊びを指導。その後、もう一人の保母のWさんが和太鼓を叩くという。そして、私に地打ち(伴奏)を頼んできた。Wさんは私の太鼓のメンバーだ。

  二人で私の作った曲を演奏。園児達は、太鼓の大きな音にびっくりしたようだ。でも、興味深そうに先生の打つ太鼓を聞いていた。私達は、太鼓の法被を羽織って叩いた。

 そして、いよいよ私達夫婦の登場。最初に、家内が手遊び歌を披露。私はギターで伴奏。そして、いよいよ創作紙芝居『タン吉・タン子旅日記-大雨に負けないぞ』を二人で演じた。紙芝居の8割方は家内が演じ、残り2割と音楽は私が担当した。

 私達は、夫婦紙芝居一座を自認している。3、4、5歳児とその祖父母が会場にいたが、紙芝居が始まると、会場はシーンとしていた。集中して聞いてくれているのだ。

家内と二人で創作紙芝居『タン吉・コン子旅日記』を演じた。

 とても、気持ちよく演じることができた。その後、嬉しいことに、花束とお土産をいただいた。先日、福井の『子ども歴史文化館』で偶然、紙芝居の練習を見学することができたが、それが大いに役に立った。

  そのときの指導者のTさんの言った一言、「馬鹿にならなぁ」という言葉が一番参考になった。羞恥心を捨てて紙芝居に集中せよという意味だと思っている。今日はそのつもりで演じた。

 子どものつぶらな瞳を見ていると、勇気をもらえる。大勢の園児の中に、村の子がいた。手を振ると手を振り返してくれた。結構幼児と知り合いになったようだ。今度は、高齢者の人との交流を考えている。こうした活動で私が元気をもらっている感じだ。

  これからも、二人でいろいろ工夫をしながら創作紙芝居を続けていきたい。祖父母と言っても、私より年下の人がたくさん会場に来ていた。今日は結構充実した保育園訪問だった。

保母のWさんの和太鼓の地打ち(伴奏)を行った。

(日記 午前中、南保育園訪問。楽しい訪問となった。午後は『かたせ瓦版』作り。先日インタビューしたテープから記事を作り始めた。夕方、畑を見回った。作物が順調に生育しているのが嬉しい。)

園児から私達二人に花束とプレゼントが贈られた。感謝感激。

 
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『霞ヶ関文学』について思う」

25 6月

一般人が読み解けない文章
  作業を聞いていながら、国会答弁を聞いていた。そして、『霞ヶ関文学』という言葉を思い出した。民主党が政権を取った当時、「政治主導」という言葉をよく聞いた。しかし、結果的には全くできていないと思う。

  元々、政治家が官僚を主導できるほど政策に精通していないだろうし、官僚の力を借りなければ国会で答弁もできない。大臣答弁では、脇に官僚が控えていてさっとメモを出している姿は珍しくない。

  「どうぞご自由にお答え下さい」となったらお手上げだろう。従って、官僚の力を借りなければ政治家は何もできないように思われる。そんな中で、改革を進めようとすると、いろんな面で官僚の策略にはまってしまう。

  それは、『霞ヶ関文学』なるものがあって、官僚が政治や立法過程でコントロールするために駆使する霞ヶ関独特の表現法があるからだ。法案や公文書作成において、官僚が文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするからである。

  こうして、政治家の統治を『霞ヶ関文学』を駆使して、逆にコントロールしているのだ。『霞ヶ関文学』では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になるとのことだ。

  用語や表現については、世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりするとのことだ。若手官僚は入省後このノウハウを叩き込まれるのだという。

  こうして作られた法案や規則は一般人はもちろんのこと政治家や学者でも見抜けないものも少なくないとのことだ。官僚は省益を損なうことを何よりも嫌うので、法律や大臣の国会答弁の文章を書く場合には、この『霞ヶ関文学』を駆使することによって国益よりも省益を優先するために行動することも少なくないのだという。

  総理が、「政治生命をかける」と言っているのは、結果的には「消費税の増税」のみになってしまうのではないかと心配している。他は、全て先送りになりそうだ。「福祉と税の一体改革」とはいいながら、増税だけでは悲しい。

  増税になれば困るのは国民だけで、官僚はパイが大きくなって権限も大きくなり、天下り先も確保でき喜ばしいことだろう。政治家も与野党とも、選挙で争点にする必要がないので安易に手を組むことができる。増税を公約にあげると選挙で大敗することは歴史が示している。

  他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えたり、言葉の後に「等」をつけることで、事実上拡大解釈ができるよう細工するのは朝飯前だという。文章の言い回しでも世間を煙にまくことは簡単なのだ。

骨抜きになる「ノーリターン」
  原子力規制庁は、経済産業省や文部科学省などから職員が集められて組織される。原子力規制庁に異動させられた職員が、もとの出身官庁に戻れるとなれば、推進する組織と規制する組織の人間が交流することになって安全を守れない。

  そこで、元の出身官庁へは戻れないようにしようというのが「ノーリターンルール」だ。しかし、官僚が安易に妥協することはない。新たにできた「原子力規制委員会設置法」附則第6条の2では、元の官庁への異動を認めないとしている。

  しかし、但し書きで、「ただし、この法律の施行後5年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適正等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合には、この限りではない。」と例外を認めている。

 これはどういうことだろうか。これまで政権与党は、無闇に官僚と対立すると、行政の停滞を招くことになるとのことから、口では「政治主導」と言いながら、結局は,官僚は省益、つまり自分の保身のために、政治家を自分の選挙のために行動しているように思われる。

  日本の政治は、まさに「マリオネット政治」だ。政治家には多くの紐が付いている。官僚、推薦団体、所属の党、そして、選挙民(もしかしたらこの紐は一番弱いかもしれない)……。これで、動けと言われても全く動けず「何も決められない」の当たり前かもしれない。

集会所の入り口付近に家内と一緒に竹プランターを設置した。

(日記 午前中、家内と二人で明日の紙芝居のリハーサル。そして、竹プランター作り。午後は、村の希望者に、花をあげたり、竹プランターを作ってあげたりした。また、新たに作った竹プランターに花を植えて、集会所の入り口付近に設置した。午後6時半より、92歳のNさんから昔片瀬にあった『師山小学校』についての話を聞いた。Nさんはこの学校へ実際に通っていたのだ。 次に、山の話や戦争体験を話してもらった。最後に、Nさんが話してくれた長寿のこつ二つ。一つは“胃袋を休めること”、もう一つは“友達を作ること”であった。両方とも納得できた。Nさんは学校の話でも戦争の話でも年月日までしっかりと覚えていた。記憶力には驚く。茶菓子を用意したが、話していた3時間の間、全く手をつけることがなかった。お茶は熱中症にならないようにと少し口にしたが。学ぶこと多し。)

村の入り口のお地蔵さんにも竹プランターを設置させていただいた。「♪お下げと花と地蔵さんと~♪」って分かる人は年配者か。

 
 

『敬老会』に思う

24 6月

いかに現役を貫くか
   今日は猪瀬瀬地区の敬老会。区長会はその準備に当たるために午前9時に猪野瀬公民館に集合。先ず、玄関に紅白の幕を張ることから準備開始。そして会場準備終了。

私達にも役だった健康講座。口の中を清潔にしておくことがどんなに大切かがよく分かった。

  バスが次々とやって来て招待されている地区の77歳以上の高齢者の皆さんが会場に集まり始めた。およそ100人ほどだった。そして、午前10時半より講演開始。『口の健康が全身の健康づくり』と題して歯科衛生士のYさんの講演があった。

 私も、講演を聴いていたが、目から鱗の部分もあった。Y先生の講演によれば、高齢者の死亡原因の第3位は「肺炎」だというのだ。そして、その肺炎の多くは、「誤嚥性肺炎」ということだった。

  誤嚥とは、食べ物や異物を気管内に飲み込んでしまうことだ。寝ている間に、口腔内分泌物や胃液が少量ずつ肺内へ吸引される誤嚥が多いとのことだった。そして、この誤嚥にあわせて細菌が吸引され、肺炎が引き起こすということで、高齢者や脳卒中患者に多くみられるとのことだった。

  口の中を清潔にしておかないと、億単位の細菌が寝ている間に肺の中へ侵入し、それが肺炎を引き起こすのだという。そして、それが、最近死因の第3位に浮上しているということだった。寝る前に口の中を清潔しておきなさいということだ。役に立つ話だ。

『さわらび会』による歌謡劇『達者でナ』。ユーモラスな演技に拍手多数。ちなみに我妻は馬の前足。

 その後、市長や県議、市議を来賓として迎えて式典。その後、女性陣と一緒に、弁当や飲み物を並べた。そして昼食。しばらくして、演し物が始まった。一番手は南幼稚園の園児による踊りや歌。子どもは可愛い。孫の年に当たる子ども達だった。

 その後、おばさん達によるハーモニカバンド。懐メロを演奏していた。最後に、家内達『さわらび会(食生活改善推進員)』による歌謡劇『達者でナ』と踊り『勝ち山ほがらか音頭』だった。さわらび会の皆さんの演し物は、今や猪野瀬公民館行事の定番になりつつある。

  高齢者の皆さんを見ていると、今でも現役で野菜作りや花作りに取り組んでいる人が少なくない。働くことで、家族の役に立つことは、生き甲斐や健康作りにつながる大切なことだと思う。

  自分の地区の敬老会への参加者を集計したが、該当者の何人かは、施設等に入っていて参加できない状態であったし、自宅にいても長時間の講演や昼食、余興などに耐えられないということで欠席する人も少なくなかった。

  高齢者になるほど、その年齢に合わせた体操など身体を動かすことが必要だと思った。高齢者には、レクレイションなどで身体や頭を使うことは、遊びではなく、仕事と同様に価値あることだと思った。周囲も理解する必要がある。

歌謡劇の衣装でさわらび会十八番の『勝ち山ほがらか音頭』の踊り。

(日記 午前9時から午後2時まで『猪野瀬地区敬老会』の裏方を務めた。演し物に出演した「さわらび会」の皆さんも楽しそうだったのがよかった。午後3時頃から『親父バンド』の練習。福井・大野・春江などからメンバーが集まって、私の事務所のミニスタジオでバンド練習。その後、『敬老会』欠席者の家へ出向きプレゼントを配って歩いた。いつまでも元気でいてほしいと願うばかりだった。)

 
 

あと一日あったらなぁ

23 6月

同じことの繰り返し
  いつもいつも同じことの繰り返し。何をやってもあと一日足りないのだ。「後一日あればもう少しよくなるのに」と思う。そして、最後の一日は寝る時間も惜しんでやらなければ間に合わない。文章を書くこと、紙芝居を作ること、歌を作ること、……。

  間に合わなくても我慢のできるものはよいが、締め切りなどがあってどうしようもないこともある。それならばと思うが、前々日までに完成させることはなかなかできない。何度同じことを繰り返しただろうか。

  今度こそ、今度こそ、と思うが、なかなかできない。それに、最後にパソコンやプリンターなどに頼る場合には、故障が時々起こる。そうすると前日ではにっちもさっちもいかなくなる。こんなぎりぎりの状態でこれまで何とか乗り越えてきたのだ。

  そして、今日も、このままでは明日まで間に合わなくなることがある。それに、来週もかなり忙しい。一週間かかりそうなことを2、3日でやらなければならない。その上、ショウガの土寄せもまだやっていない。

  だからといって、時間が無いのではない。時間の使い方が下手なのだ。最後の追い込みに必要な体力が若い頃に比べてかなり劣っているのだから、やりたいことを整理し、時間を上手に使わなければならない。

  今日もまた、同じ結論になった。やることを整理することと、計画的に時間を使うこと、今度こそ、「あと一日あったらなぁ」と言わないですむようにしたい。

(日記 午前中、区長をしている関係で『第43回福井県神社庁大野勝山支部 神社総代会総会』に出席。その後、明日の『敬老会』に出演する「さわらび会(食生活改善推進員)」の余興の練習につきあう。午後は明日の「親父バンド」の練習のために編曲作業。午後4時より親子太鼓の練習。帰宅しても、ずっと編曲作業を継続。終わりそうにない。もっと早くしておけば良かった。それに他にもしたいことがあるのに、取りかかれない。全部すんだら、温泉にでも行きたい。少し運動もしなければならない。二日ほどばてていたが、ようやく元に戻りつつある。)

 
 

子ども達との接点

22 6月

自然な接し方
  教員時代は、授業や部活動で子ども達と接することができた。できたというよりもそれが仕事だった。完全に退職してしまうと、そうした機会は激減する。しかし、幸いなことに『子育てマイスター』になってからは、幼児と接することができるようになった。

  和太鼓では、小学1、2年生と接することができる。ありがたいことだ。子ども達はとても人なつっこくと孫といるような感覚だ。子ども達からエネルギーをもらうことができ感謝している。

  今度は、村の子ども達との関係だ。小学生の中には、放課後、習い事などで非常に忙しい子どもから、多少余裕のある子までいろいろだ。この子ども達に私が寄っていくのではなく、子どもの方から興味を持ってきてくれるのが理想だと思っている。

   それには私の方が何にでも興味を持ち、前向きに生きていればいいのだろう。というよりも、私自身が楽しく生きていればそれでいいのでではなかろうか。

小学生と一緒に集会所前へ飾る花植。男の子も参加してくれた。

  最近、集団登校の所へ顔を出すようになった。少しずつ子ども達と顔なじみになった。挨拶から始まり、少しずつ、話すようになった。この前の区民運動会では、家庭へ持ち帰りように竹のプランターを作ってもらった。

  今日は、集団登校の集合地点である集会所前に、竹プランターを設置したい旨を子ども達の相談した。そして、学校帰りに手の空いている者が応援してくれることになった。4時頃集会所で材料を用意して待っていると、子ども達がやって来た。

  それぞれが、竹筒に土を入れ、自分の好きな花を植えてくれた。これからは、水やりも頼むつもりだ。「誰かやってくれる者はいないかな」といった調子で頼んでみたい。

  夏休みには、子ども達と一緒に獅子舞をできないかと思っている。問題は、子ども達が興味を持ってくれるかどうかだ。我が子が小学生だった頃、一度経験している。子ども達は非常に興味を持ってくれた。

きれいな花を見て「きれいだ」と思える子ども達に育ってほしい。

 「あのおんちゃんは何をやり出すか分からない」と子ども達に興味を持ってもらえたら幸いだ。いろいろできることはある。そして、その多くは、村の先輩や大人達から教わったものだ。今度は私が子ども達に伝える番だ。

(日記 この頃欲望に任せていろんなものを食べていたら腹を壊してしまった。久々の体調不良だった。昼寝をしたり、のんびりと過ごした。午後4時頃、集会所で待っていると子ども達が学校から帰って来た。一緒に竹プランターや普通のプランターに花を植えた。)

 
 

前を向いて歩くこと

21 6月

21日は「ウオーキングの日」
  毎月21日は勝山市の「ウオーキングの日」だ。家内に勧められて「ウオーキング」に参加した。午前9時、平泉寺白山神社前へ二人で出かけた。知っている人もかなり参加していた。

ウオーキングの開始式。準備体操なども行った。

  少し説明があって、平泉寺白山神社境内へ向かって歩き出した。境内の苔がとてもきれいだった。その後、南谷の発掘現場を通り、村の中へ下り、菩提林の杉並木を通って出発点へ戻った。

  休まず一定のペースで進んだので汗が出てきた。身体にはかなり負荷がかかっただろう。家内と二人でいい汗をかいたと思う。これまでも、ウオーキングに参加したことはあるが、今後も参加したいと思った。

  参加している人達は、退職者が多かったように思う。年齢を感じさせるのは、見た目には「姿勢」はないかと思った。仕事の多くは、前屈みになりやすいので、どうしても姿勢が悪くなる。そうすると、年齢以上に老けて見えるのだ。

  いろんな所で指摘されるが、年をとっても、一定の運動は必要だと再認識した。今朝私はラジオ体操の第一をやり、膝上げ100回とスクワット100回をやってはきたが、準備体操で指導してもらった「肩胛骨体操」も取り入れてみたい。

平泉寺白山神社に向けて出発。緑がとてもきれいだった。

  これまでは特別に何かをしなくても、身体はかなり思うように動いたと思う。しかし、65歳を越えるとそうはいかない。「五十肩」は数年で卒業したが、腰が時々おかしくなる。一昨年の雪下ろし作業からだ。

  姿勢を正してある程度の速さであるくことは、身体にとてもよいと思う。一人だと退屈だが、誰かと一緒に話しながら歩けばそんなに退屈することはない。歩くことの大切さを認識してウオーキングマシーンまで買って居間に置いてあるのに、最近ご無沙汰だ。

  若さを保つには、見かけは姿勢だと書いたが、見えない部分でも「姿勢」が大切だ。それは、「生きる姿勢」だ。「前向きに生きる」ということだ。これは実感している。

  いろんな所でいろんな人と会うが、前向きに生きている人とはどこでも会話が成り立つ。どれだけ話していても退屈することはない。退屈するのは、過去を生きてる人だ。

  すぐに、現役時代の自慢話が出てきて「あれをやった」、「これをやった」と自慢話を繰り返すことだ。聞いてる方は何度も同じ話を聞き、飽き飽きしているのに。これでは時間の無駄だ。そうあってはならないと思う。

知り合いも含めて記念写真。

  そんな人よりも、野菜を作っている村のおばさん(おばあさん)の方がよほど話していて楽しい。こちらから聞かせてもらうことが多いからだ。それに自慢話のオンパレードになることもない。

  村のおじさん(おじいさん)の中にもいろんな人がいて、村で昔の起こったいろんなこと等を聞かせてもらうことができる。残念ながら一部の人は昔を生きているようだ。

 前を向いて生きていれば、子どもから高齢者までいろんな人と友達または話し相手になれると思っている。身体的にも、精神的にも姿勢は大切だと思う。自分によく言い聞かせておきたい。

(日記 午前9時より平泉寺での「ウオーキング」に家内と二人で参加。午前11時から里芋の「追肥」と「土寄せ」をする。これは、自分にとっては少しハードな作業だった。午後1時頃まで作業を続けた。秋には美味しい里芋が食べられるだろう。午後は区長としての事務処理で市役所へ行く。その後、「はたや記念館ゆめオーレ」で昔の仕事仲間と話す。)

 
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