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Archive for the ‘生き方’ Category

二刀流とオンリーワン

14 4月

東大入学式スピーチに「我が意を得たり」
 ネット記事を見ていたら、『東大入学式のスピーチがSNSで絶賛の嵐』と逢ったので読んでみた。そして、私が常に考えていることと同じだと思ったことと、エンジェルスの大谷君のことを思い出した。

 このスピーチには次のように話されたという。
「一つの分野で世界のナンバーワンになることはとても難しい。ですが、いくつかの重要な分野の経験やスキルを、自分だけにユニークな組み合わせとして持っていて、それらを掛け算して問題解決に使えるのは自分だけという“オンリーワン”には、なることができます」

 この記事を読んで常付け考えていることを思い出した。大谷選手は、投手としては一流だが、同程度の大リーガーは他にもいるだろうし、バッターとしても同様だろう。しかし、それらを一人の人間がなし得るということはプロの世界ではほとんど不可能だった。それを完全に為しているのだから、もうこれは前代未聞の完全な“オンリーワン”だと言える。

 そして両方とも一流だから、それらを掛け合わせれば超一流、または超超一流で,彼の場合は文句なしの「ナンバーワン」だろう。そして人間的にも好感を持てるので、世界中から愛されるのも分かる。私も一ファンで、彼の活躍をよくテレビで見る。

 さて、私たち凡人も、掛け合わせれば“オンリーワン”にはなれるかも知れない。私レベルの漫画を描く人間は世間には数え切れないくらいたくさんいるだろう。私程度の数学教員もそうだろう(自分ではまあまあだと思っていたが)。

 ところが、漫画を描く数学教員となると、ぐっと珍しくなるでしょう。しかも、80歳となると希少価値があるかも知れない、そう思っている。そこで、数学の漫画を描いたり、プログラミングの漫画を描くことで少しでも世間の役に立てないかなあと思ってパソコンに向かっている。 

 こう考えると、二つ、三つあるいは四つ、五つ掛け合わせれば,だれでも“オンリーワン”になれるのではなかろうか。自信を持って頑張っていただきたいと思う。

 
 

少子化について

13 4月

異次元の少子化対策
 年々人口下減っていく。東京だけが増えていくと言うと、あたかも東京では出生率が高いのかと錯覚を起こす。実際には人口移動で若者達が東京へ向かうだけのことだろう。

 地方で育てて、東京で働く。これでは地方は大変だ。高齢者ばかりが増えていくことになる。とにかく、日本の人口は毎年ちょうど福井県の人口に匹敵する75万人が減っていくという。

 「少子化は国難」とあおり、「異次元の少子化対策」と頑張りを見せるが、少子化の原因は単純ではない。20年ほど前から、少子化対策に対する疑問を持っていた。

 それは、少子化の原因を本気で考えず、場当たり的に取り組んできたように思われるからだ。その原因たるや数え切れないほどある。もっといえば、国や地域のやることなすことの全てが少子化に繫がっているように思われる。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、ありとあらゆるものが少子化の原因になっていると言っても過言ではない。一例を挙げてみよう。

 達エバ車だ。車は日々の生活には欠かせない便利のものであるが、この車だって考えようによっては、少子化に繫がっていると言えなくもない。

 若者達は、この車に収入のどれくらいをあてているであろうか?立派な車を乗り回して金銭的余裕があるあろうか。スマホ、ファッション等々、出費は車ばかりではない。

 車が鉄道をどれくらい廃線に追いやっているだろうか?廃線により地域が消滅の危機にさらされている。車だけでは高校生までの子供や高齢者には住みにくい環境だ。

 車社会になり日々の生活の中でコミュニケーションがどれくらい損なわれているだろうか?仕事などで夫々が同じ方向に向かうにしてもそれぞれが孤立している。

 車社会になり多くの地域では広域で働くことになり、日々の自由時間が少なく、地域ではほとんどの若者の団体が消滅してしまった。当然、それらが担っていて地域での活動がなくなってしまった。必然的に男女の出会いも少なくなってしまった。

 これがあらゆるものに対して言えるのだ。時代の変化と言ってしまえばそれまでだが、あらゆるものが少子化に繫がっていると私は思う。少子化対策に対して何が一番効果的かをもっともっと知恵を集めて考えてほしいし、考えてみたいものだ。

 
 

つくるということ

11 4月

作る・創る・造る
 “つくる”とは楽しい作業だ。それまでになかったものを形にするからだ。他人から見れば平凡に見えるものでも、つくった本人にとって新しいものであれば満足感に浸ることはできるというものだ。

 “モノ”のない時代に育った私は、“無ければつくる”という育ち方をしてきたように思う。最近『好奇高齢者』なる言葉を使う人がおられるが、私もその一人だと自認している。

 “つくる”といってもこの言葉の持つ意味は広い。
 ・創る(歌を創る、文章を書く、漫画を描く、紙芝居をつくるなどの創作活動)
 ・造る(日曜大工で造る様々なもの。今年も組み立て式雪囲いを考えている。これまでは車庫の中に部屋を造った   
  り旧宅の仏壇跡に床の間を造ったりした)
 ・作る(家庭菜園で野菜を作る、特に生姜の栽培を試行錯誤している)
などあり、夫々が私の生き甲斐になっている。
 
 ここしばらく、音楽活動にご無沙汰しているので無性に歌を作りたい。それに、自分で楽器を弾いたりもしたい。そんなわけでのんびりとテレビドラマを見ている時間が無い。朝ドラと大河ドラマ以外は、何かをしながらテレビを“”聴く“と言う感じだ。

 当然、日曜大工(だいく)場にも,聴くための小型テレビを置いている。つくりたいことはまだまだあるが、時間をつくれないでいる今日この頃である。したいこととせざるを得ないことが入り交じって毎日を過ごしている。  
 

 

三無主義

09 4月

今も昔も変わらない
 数十年前の高校の新聞に「三無主義」について書かれた記事があったことを思い出す。「無関心」、「無気力」、「無責任」の三つだろう。

 当時の高校生達が、自分たち仲間の生き方を反省し、自戒の念を込めて書いた記事だ。子の記事が古くなっているとは思われない。今も同じではなかろうかと思えてくる。

 善し悪しは別にして、以前の若者は少なくとも今よりは政治に関心があったように思う。今は、どうだろうか?大人から与えられたゲームやスマホでその多くの時間を費やしているように思われる。

 そして、大人よりも、もっと古い考えを持っている部分もあるように思える。損得を抜きにして行動するも者にそんなに巡り会えない。「さすがは若者だ」と言える30代未満の者にはそんなに巡り会えない。

 時間的な余裕も、精神的な余裕もないのだろうか。自分のことで精一杯なのだろうか?こんな若者が多いことを若しかしたら権力を持っている人達は扱いやすいかも知れない。選挙当日、雨が降ると有利になる党もあるぐらいの時代だ。

 若者達にこそ、自分の将来のことを考えて、時代に、政治に関心を持ってもらいたいと、この頃、特に思うようになった。

 そういえば、「最近の若い者は……」と嘆くが、実は紀元前2000年頃のヒッタイト国(今のトルコあたり)の粘土板で作られた書簡にも「最近の若い者は……」と同じことが書かれていたという。

 
 

前を向いて歩く

27 3月

納得する時間の使い方
 「いかに過ごすか」は 一度このブログで書いたテーマだ。80歳になったのを機会にもう一度このテーマについて考えてみたい。以前、勤めを辞めるに当たって一番心配したことは、「物事に対してやる気が湧くか」ということだった。

 務めているから、あれもしたい、これれもしたいとなるのだが、勤めを辞めたら、時間がたっぷりあって、かえってやる気を失うのではと本気で心配したものだ。

 22歳から働き出して、67際まで現役だった。突然、行き場を失うことがどういうことか、本気で心配したものだ。この切り替えが上手くいかなかった人を知っているから尚更心配だった。

 そんなとき、「仕事を辞めたら暇やろ」と知り合いが声をかけてきたことがあった。しかし、いざ仕事を辞めてみると、「したいこと」と「しなければならないこと」がほどよくあって、心配していたほどのことはなかった。

 あれから13年、今はどうだろうか。やはり「やりたいこと」と「やらねばならないこと」がほどよくあって、時間は足りないくらいだ。テレビの録画はたまる一方。読むために買った本も積んでおくだけになっている。

 1日、ぼんやりテレビを見ている気にはなれない。趣味だけに明け暮れることもできない。やはり、満足感を得られるのは、汗を流して『家のこと(家族のためになること、家を守ること、農作業をすること)』をやったり、『社会に対して何らかの貢献をしたとき』にしか満足感は得られない。百姓生まれの「性(さが)」だろうか。

 テレビで、勝間和代さん(経済評論家、作家、元外資系金融マン)の時間の使い方を知った。時間の使い方を『生産的時間』と消費的時間に分けているそうだ。 勝間さんの言う『生産的時間』とは、次に繋がる時間、自分を高める時間と言えばいいだろうか。

 『消費的時間』は、たとえ経済的に潤っても、自分を高めないような時間の使い方だそうだ。義理的な飲み会もこれに入るらしい。 例えば、講演会も、勝間さんにとっては『消費的時間』だそうだ。自分の知っていることを話すだけでは向上しないからだろうか。

 しかし、本を書くことは、そのために学ぶこともあるので『生産的時間』ということになる。 また、勝間さんは移動にかなり自転車を使うが、それは、自分にとっては、生産的時間であり、スポーツもまた生産的時間だそうだ。健康維持のために時間を使うことは、生産的だからだろう。

 改めて考えてみると、自分にとっては、時間は次の3つに分かれるかも知れない。「家や家族、社会に何らかの役に立つこと」、「じぶんのやりたい創作活動などに時間を使うこと」、そして、「健康維持のために何かをすること」の3つだ。(ラジオ体操は、スマホで朝食前にスクワットと共に、ここ数年間叶と二人でほとんど毎日やっている。)

 これらが適度にミックスしている時が、一番満足感が得られるのではなかろうか思っている。1日でこの3つをやれるとは限らない。そんなときは、一週間で、一ヶ月間で、一年間である程度のバランスを取れればよいと思っている。

 無限に時間はあるわけでもないので、自然体でこの3つをほどほどにミックスしながら。これからも前を向いていきたいと思う。

 
 

断捨離とは言うけれど

25 3月

ゴミにできないモノ
 私の生きてきた時代は、戦後の最もモノのない時代から、モノのあふれている時代だ。特に、子ども時代は、使えそうなモノは何でも保管しておく癖がついた。

 その癖は今もなお続いている。いつかは間に合うだろう、いつかは何かの役に立つだろうと思うモノは捨てられない。先ずは使わないだろうと思いながら、保管している。

 例えばそのようなモノの一つに、報恩講などに使う漆塗りのお膳の類だ。他にも、酒に関する銚子や杯の類いだ。これを座敷に並べて食事をすることは先ずないだろう。しかし、昭和の30年代頃までは必ずあったのに。

 これを焼き捨てている人を見たことがあるが、私にはできない。次の世代に任せるしかない。唐箕などの農機具もそうだ。これをたたき壊して燃やすことはできない。ある時期までは農家には欠かせない貴重なモノだった。

 こうしたモノが、我が家にはまだまだある。家内が嫁入りの時に持って来たタンスやその中に入っている着物類。着物の中にはしつけ糸がついたままのものまである。ひな人形や鯉のぼりもある。一度も着たことのない背広もある。体格が変わったばかりでなく、まだまだ着られるからだ。

形がなく捨てられないモノ
 形がなくても捨てられないものがある。ゴミにしたくないものがある。それは、各種のレパートリーだ。ゴミになりかかっている。楽譜を見れば何とかなるものはまだその気になれば演奏できるかも知れない。難しい曲は手(指)が動かない。

 しかし、楽譜を見ながら演奏できないものもある。ハワイアンギターの各種レパートリー。『南国の夜』、『珊瑚礁の彼方』、『カイマナヒラ』……。ギターなら、『夜霧の忍び逢い』、『朝日の当たる家』、ベンチャーズの様々な曲、……。ウインドシンセなら、……といろいろある。時々思い出して演奏してみないとあっという間にゴミになる。

 あれこれやりたいものがあるので、少しずつゴミになりかけている。青春が遠くに行きかけている。何とか引き戻そうとするが……。自作の歌はCDにしていけば、何とか形を留めているが。



 

 
 

 

「時喰い虫」が繁殖

23 3月

貯えられない時間
 誰にも等しく時は過ぎる。感じ方は違っても時の進み方は誰にも平等である。そして、いつも新しい明日が来る。しかしぼんやりしていると、今日になり、あっという間に昨日になってしまう。こんなに大切な時間をどう使っているだろうか。

 世の中には、時間を好んで喰う虫がはびこっている。人々の貴重な時間を遠慮会釈なしに喰い荒らすのだ。否、喰われると言うよりも無意識のうちに喰われてしまっていると行った方が正確かも知れない。

 その正体とは、一つはスマホであろう。そして、テレビ、そして、ゲーム、……、いろんな「時喰い虫」がはびこっている。怖いのは、幼い子どもが一旦この虫に狙われると生涯寄生される可能性のあることだ。

 このとき「時喰い虫」にはCMという菌もついている。そして、あれこれ買えと寝ても覚めてもあらゆる場面で迫ってくる。この時喰い虫のいない世界に住んでいたらどうなるだろうか。

 想像しなくても、70歳、80さ以上の高齢者なら誰もがそんな世界に住んでいたのだ。それが戦後のもののあまりなかったあの時代だろう。

 あまり贅沢はできなかったかも知れないが、創意工夫をこらし、季節毎に訪れる祭りや様々な行事には時間をかけて丁寧にこなしていたのだ。少なくとも今よりは心の余裕があっただろう。

 「時喰い虫」の全く存在しない世界で暮らすことは今や困難だろうが、それらに振り回されることなく、共生できる道を探らないと、人生は生きていると言うよりも、泳がされている、働いているというよりも働かされている、そんな風になりはしないか。

 若い人たちは、毎日頑張って働いているが、一月単位で考えると、車のために一週間以上、スマホや衣食住のために二週間、残りの一週間が貯蓄や余暇のためだろうか?これで結婚し、子どもができ、その教育費にお金をかけるとなったら、大変だろうなあと考えてしまう。

 国会中継を聞いていて、特に少子化の問題をテーマにしているのを聞いていたら、ついついこんなことを考えてしまった。再度、下記のグラフを掲げておきます。

 
 

人と人との出会い

18 3月

人との出会いは必然のようで偶然、偶然のようで必然
 人と人との出会いは偶然のように感じることがある。たまたま、紙切れ一枚(辞令)で思わぬ所へ勤めるようになる。そして、将来に関わる大切な人との出会いが生まれる。

 そう考えると、その人との出会いはたまたま紙切れ一枚でそこへ出向いたための偶然のようにも思える。しかし、もう少し、深く考えてみると、その人と会ったのは私一人ではない。

 誰もが、将来に続く関係を結べるわけでもない。互いに、認め合う何かを持っていたからだろう。そう思うと、偶然から生まれた必然のようにも思える。

 この年になると、これまで生きてきた中で続く友達関係を大切にしたいと思う。上司部下ではなく、せいぜいあるのは歳の上下ぐらいであろう。それだって、関係の上下ではない。

 そうした関係が長く続くのは、やはり、前を向いているからではないかと思う。やはり、自分の考えを持っている人、前を向いている人、何かを目指している人、正義感のある人、そうした人なら何歳であろうと友達でいたいと思う今日この頃である。中学生から70歳代までいろんな人がいて、時々LINEをしたくなる。 

 
 

WBC大谷選手の活躍

17 3月

WBCを観るために
 NHKでも民放でも我が家のテレビではWBCは観られない。先日、横浜の孫娘が高3を終えた卒業旅行として我が家へやって来た。ところが、彼女のスマホでは動画で観られるのだ。アマゾンプライムで。

 しかし画面が小さい。大きく映そうとしてテレビにつないでも、大きくならない。そこで、苦肉の策としてもう一台のスマホで孫娘のスマホの画像を写し、それをテレビと拡大して映すという方法で何とか、観ることができた。

 しかし、昨日のイタリア戦は、孫娘がいないので、観ることができない。そこで、息子に教えてもらい、アマゾンプライムのアプリを入手して何とか動画で見ることができた。準決勝は面倒くさい方法ではなしに、大画面で観られるように今のうちから準備しておきたい。

大谷選手の活躍に勇気づけられる
 大谷選手の気合いのこもったピッチング。意表を突くバント、岡本の活躍などで日本は快勝した。大谷選手の活躍に、私も何か頑張ってみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

 一昨年から、衛星放送で大谷君の出場する試合をかなり観ている。そして、一喜一憂している。毎回打席ではホームランを期待しているし、投げれば勝ち投手になることを祈っている。

 しかし、ただただ彼の活躍を傍観しているのもさみしい。彼がインターナショナルに活躍するなら、私もインターナショナルに活動することはないのか。レベルもスケールも彼に比べれば像と蟻くらいの違いがあるだろうが、気持ちだけは「俺だって」と年甲斐もなく、刺激を受け、できることを探している。

 失礼だが、WBCの試合を観ていると、日本のプロ野球が小さく見えてしまう。
   この時期は 二軍に見える NPB
とおかしなことを考えてしまう。マイアミでも、これまで同様日本チームに、大谷君に頑張ってほしいと願う。

 そして、大谷選手の一歩ずつ歩んで夢を掴んだ過程を若い人達にも見習ってほしいと願う。大谷選手の原点は、既に高校時代からの一歩一歩から始まっているのだから、みんなも自分の夢に向かって、一歩一歩、歩こうではないか。

大谷選手が高校時代に書いた夢実現のためのマップ(ほとんど全ての項目をクリアーしている)

 

 
 

TIME IS MONEY

15 3月

光陰矢の如し
 この頃、月日の経つのがやけにはやい。この前正月だったのに、もう3月半ば。この調子で時間が過ぎたら何もできないと思う。80歳になった今、やりたいことを少しは絞りたいと思う。時間というのは、誰にも平等で、私たちは、後戻りのできない時間の道を進んでいる。

 こんな貴重な時間を、様々な「モノ」が奪おうとしているように思えなくもない。昔、読んだ本の中に、「ビジネスとは、欲しい人にモノを売るのではなく、欲しくない人にモノを売ることだ」と書かれていたのを今でも覚えている。

 そんなことが、気になって、自費出版した『じいじ達の子供時代』には次のような7・5調の歌を作ったことがあった。

物、物、物の今の世は

 物がなかった 昭和の世
 物がないから 考えた     
 物あり過ぎる 今の世は
 新たな物を 買いたがる

 考える暇(ひま)  ないほどに
 新たな物を 次々と
 作り続けて 買えと言う
 考える暇  与えずに
 物を作って  宣伝し

 あの手この手で 売りまくる
 ローン重なり 四苦八苦  

 物に溺れて  物を買う
 物に流され  物を買う
 物を買うため  働いて
 働いてまた  物を買う

 気がつきゃ「時」が  流れてる
 買えない「時」が  減っていく
 貴重な「時」が  過ぎていく
 後でどんなに 悔やんでも
 月日はただただ 進むだけ

学校の協力により、地元の高校1、2年生全員に調査させていただいた。

時間の使い方もいろいろあるのでは
 実は高校の活性化の一環として、当時の高校の校長先生の協力を得て調査したもので、高校生のゲームやスマホなどの使用時間を問うと共に、プログラミングに興味があるかどうかなども尋ねた。

 こうした文明の機器を使うなとは言いたくない。私も愛用者だからだ。使い方を考えてほしいと思うだけだ。余計なお世話かも知れないが、高校3年間にこうした機器に対して一体どれだけの時間を使うのだろうか。

 それだけの時間があったらもっといろんなことができるのではないかと思ってしまう。貯金と違って時間は貯えておくことができないのだから。その年にしかできないこともあるのではと思ってしまう。

 楽しいこと、身につけたいこと、作ってみたいこと、造ってみたいこと、創ってみたいこと、調べたいこと、鍛えたいこと、体験したいこと、語り合いたいこと、書いてみたいこと、…………いろいろあるではないか。

 スマホに費やす時間の一部でも,こうしたことに時間を使ってほしいと思う。きっと楽しくなるだろう。きっと充実した生活に繫がるだろう。

 大学時代、ある英語の先生がおっしゃった。「趣味の多い人間ほど、人生にもてあそばされることが少ない」と。確かにこのようなことだったように思う。今も、妙に記憶に残っている。そして、80歳になった今も、この言葉が現実味を帯びている。