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Archive for the ‘政治’ Category

宇宙船地球号

06 4月

もっと快適に過ごせないのか
 私たちの住むこの地球を大きな目で見れば、無限の大宇宙に浮かぶ一粒の砂よりももっと小さいかも知れない。その小さな地球上で日々殺戮が行われている。いつ終わるとも知れない戦争だ。

 尊い命が毎日のように失われてる。命が失われていると言えば、戦争ではなくて餓死している人も少なくないという。ところが同じ星の上では、食べきれずに食べ残して捨てる食べ物がゴミとなって捨てられている。

 そうかと思えば、同じ国の中でいがみ合っている。それが争いとなってここでも殺戮が行われている。そうかと思えば、その争いを利用して他国が一方に荷担し、別の国が反対側に武器を送り、いつまでも平和が訪れない。

 もしも、地球以外に生物が存在していたとして、この有様を眺めていたらあきれかえるだろう。動物だって、仲良く暮らすために、いろんな方法で無用な争いを防ぐ方法を編み出している。

 話し合いでは収まらず、石を投げ合っていた者同士が、やがては、弓矢を持ち出し、それが鉄砲や爆弾に変わり、もっと威力を持った武器にということで核になり、さらに……と、いつまで続くのだろうか?

 世界は大きく米ソを中心に二極化していたが、ここに第三極“グルーバルサウス”が登場した。これが平和をもたらす存在になるのか、それとも、三つ巴の争いになるのか。

 この三番目の南半球を中心とした新興国や途上国グループ“グローバルサウス”が、このクレイジーな国々の頭を冷やす役目を果たすよう期待したい。 

 
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統一地方選挙に当たって考える

01 4月

二元代表制は機能しているか
 地方自治体では、市議会議員と市長の両方を市民が直接選挙で選ぶ二元代表制を取っています。

 1.市長がサービスを行うための予算や条例などを提案し、
 2.議会の審議・議決を受ける必要があります。
  そして初めて、
 3.市長が市民サービスを行えるようになります。

 その中で、二元代表制において、ともに市民の代表である市議会議員と市長が、お互いに対等の立場に立ち、議論を重ねながら、市の発展のために取り組んでいます。

 なお、このように市民サービスを提案・実施する市長のことを「執行機関」、市長からの提案を審議・議決する議会のことを「議決機関・議事機関」と言います。

 ちなみに、「二元代表制」は地方自治体の特徴であり、国の場合は、執行機関のトップである内閣総理大臣を国会議員の中から国会の議決で選ぶ「議院内閣制」となっています。

 市民が期待するのは、市の提案に対して、議員がその善し悪しを慎重に考え、問題によっては市民の意見を十分に聞き、市民の代表として議決していただきたいということです。

 しかし、実際に事はそのように進んでいるでしょうか。二元代表制のメリットは立法権と行政権が独立していることです。例えば、首長が強引な路線を取ろうとしても議会で議員により否決されればその案が通らないようにしたりと行政を監視することができます。また、市長は直接選挙によって住民が選んでおり、首長は民意によって選ばれているのです。

 二元代表制のデメリットは、議会に期待される行政への監視という役割が果たされない可能性もあります。別々に選ばれているはずが、いつの間にか市長べったりになってしま得事が少なくないからです。

 そのために十分な審議が行われず、安易に物事が決まってしまう可能性があります。その結果、行政が決めたことに対してオール可決・賛成となることが少なくありません。そのしわ寄せは全て市民にかかってくるわけです。

 私たちは、市長と議員の両者の言動に気をつけ、選挙に際しては棄権したり、何も考えずに投票することは避けたいものです。最終的には、私たちが被害者になる可能性があるからです。 

 他にもデメリットとしては、行政と議会が対立した場合が上げられます。行政がストップする可能性があるからです。そこは、いずれもが市民から選ばれた代表ですから、個人的な損得を抜きにして市民のために慎重に審議していただきたいものです。

 最後に、女性の方、若い方が市政に関心を持ち、選挙権を行使していただきたいと思います。そして、来るべき選挙には、立候補していただくことを願っています。統一地方選挙に際して一言書かせていただきました。

 
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決めつける前に

24 3月

今年は選挙の年だという
 ただ投票率を上げようとする呼びかけが、今年も統一地方選挙を前に始まっている。選挙権を持つ高校生のために
学校を投票所にすることが過去にはあった。

 しかもそれは、選挙運動の初日にだったように記憶している。選挙運動期間中に、候補者が何を訴えるかを聞く前に、投票をしてしまえというのだろうか。これでは、市民のレベルはいつまでも上がらない。

 高校生も三年生になれば、順次18歳になって選挙権を持つようになる。しかし、その前にすべきことはないのだろうか。それは自分も社会を構成する一員だということを自覚するように、大人たちが指導する必要があるのではなかろうか。

 急に選挙権を持っても、社会に関心を持たなければ棄権するか、選挙に出かけても誰に投票するかわからず、適当に投票するというのでは、ただ選挙に行ったという経験しか得られない。これでは、社会をよくするためにはつながらないのではないかと思ってしまう。

世界のどの国の人も戦争は望んでいないはずなのに
 ウクライナの人も、ロシアの人も、アメリカの人も、中国の人も、生まれながらにして、他人を憎んだり、敵味方を決めつけたりはしないし、できないだろうと思う。

 ところが、指導的な対場の人間が何も知らない大衆を教育し、互いにいわれのない対立を生み出すようにしているように思えてならない。それらが増幅して、互いに敵・味方を作りだしてしまうように思えてならない。

 そして、敵を憎み、味方を守るために、話し合いではなく、武力を使っているように思える。そしてこのようなリーダを選んだのは、教育された一般大衆であるところに、この歯車がいつまでも回り続ける原因があるのだろうか。

 選挙の年に当たって、この歯車を止めなければと思うのだが、簡単ではない。でも、この歯車をより速く回す方には組しないでいたいと思う。今日は、書きたいことをうまく書けないもどかしさがある。 

 

 
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現場感覚

01 4月

現場感覚を持ってほしい
私は、政治に関する番組をよく聞く。衆参の予算委員会などの国会討論などだ。そんな中で、「選挙のためなら何でもする◎党には絶対負けません!」とおっしゃる有名な政治家がおられる。

これって与党が言っているのか、野党が言っているのか。実は、両者が言い合っているのだ。国民は知っている。うまく理論付けをするがどっちもどっちだと思う。

政治家の皆さんのやりとりを聞いていると「現場感覚がない」のではと思うことが少なくない。市民感覚がないともいえる。机上の空論が多過ぎはしないだろうか。

「保育園落ちた。日本死ね」のメール問題のやりとりも、テレビでライブで見ていた。この問題では保育園の数や保育士の待遇の問題など、様々な問題があるのだろうが、一番の問題は保育の現場を知らないことではなかろうか?

仰々しく現場視察をして何がわかるのだろうか。せめて、政策を提言する省庁の皆さんには、若いうちに一週間ほど、現場の保育士さんと一緒に働いてみたらどうだろうか。きっと、何が問題かがわかるはずだと思う。

あるときテレビを見ていたら、戦場カメラマンが「なぜ戦場へ向かうのか」とのキャスターの質問に「戦争の現場を知らない人があれこれ東京で議論している。こうした人たちに戦場の本当の姿を伝えたい。」と答えておられたのが印象的だった。

農業問題も同じ。政治家の皆さんに田んぼへ入れとは言わないが、役人さんには、過疎の村で獣害に遭いながら必死に農業をしておられる皆さんと1週間ぐらい一緒に働いてみてはどうだろうか?基盤整備された田んぼばかりではないのだ。皆都会へ出て行って残された高齢者が山にへばりつくような条件の悪い農地で頑張っておられるのだ。健康を害する人も少なくないだろう。

もっともっと、現場を知っていただきたい。短時間の視察では現場はわからない。一定期間、一緒に暮らさなければ現場はわからない。これは、教育の世界でも同じであろう。子供の、クラス生活空間が今どう変わってきているのか、世の中の変化とどうつながっているのかを知らなければ血のつながった始動はできないのではなかろうか?

 
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庶民感覚とずれ

03 3月

やはり政治家は庶民とは別
朝から、数学をやったり音楽をやったりしながら、衆院予算委員会の質疑を聞いていた。野党の質問に対する総理や担当大臣、関係者の答弁を聞いていると、庶民感覚とはずいぶんかけ離れているなあと思わざるを得なかった。「知らない」で事が済むのもいかがなものだろうか。今日のニュースでも政治資金詳しい日大のI教授が、「政治資金規正法は抜け道の多いあいまいなものだ」と述べておられたがその通りだと思う。

私は、政治的には右でも左でもないと思っている。右であろうと左であろうと「良いものはよい、よくないものはよくない」と思っている。

しかし、世の中、与党に反した意見を述べると「左」か思われがちだ。左右どちらでもないとすると「中道」ということになるが、それでもない。

強いて自分の立場を表すとしたら「上」だろうか。人の「上」という意味ではない。右も左もある程度は見える位置にいるという意味だ。両者の立場をよく見極めて自分の立場を決めているつもりだ。

だから、既存の政党を見ても、自分とは意見の分かれる部分もあるし、意見の合う部分もある。個々の問題について自分の立場ははっきりしているつもりだ。やはり、国会では健全な野党が必要だということだけははっきりしている。過去の歴史を見ても、それは明らかである。初めに結論ありきで、物事が進むことだけは納得できない。よく、議論をして進めてほしいと思う。

(日記 午前中、数学。衆院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。午後は、音楽。ジャズのアドリブ作り、と言っても我流だが。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 
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対立!

18 2月

どう折り合えるか?
今日は、参議院の代表質問。いろんな問題で与党とやとうが対立している。今日の代表質問でも、様々な問題で与党と野党が対立している。

経済問題では、「景気が良くなっている」という与党と「けい気は良くはなっていない」という野党。「沖縄の基地移転問題」、「原発再稼働問題」、「貧困の問題」、「アイスルに対する対応」、「憲法問題」……。

国内でも、対立する問題がたくさんある。外国でも、国内や外国との対立が多くある。ウクライナの問題も深刻だ。フランスで起こったテロの問題もまだ尾を引いている。

どうも今は、武器に頼らなければ自国を守れないと考える国が多くなったように思う。武器に頼ればエスカレートするばかりだろう。政治家は自国を守るという言葉をよく使うが、何によって自国を守るかが問題だ。

今は、国内も国外も「信頼」という言葉が失われていくように思えてならない。自由競争は勝者を生む反面、敗者をも生む。TPPもみんなが勝者になるわけではなかろう。勝者と敗者の格差を小さくするのが政治ではなかろうか。もしそうでなかったら、世の中は、ますます不安定になっていくのではなかろうか。

(日記 午前中は数学。午後は、先ず餅切り。平たくした種々の餅を四角に切った。その後、かなりの時間数学をやっていた。参院の代表者質問を聞きながらの作業だった。その後、しばらくコンピュータミュージック。時々、ソフトが思うように作動しないときがある。夜は、ビデオで映画鑑賞。)

 
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すれ違い

16 2月

各党の代表質問を聴いて
私は国会の討論をなるべく欠かさないで聴いている。パソコンをやりながら、あるいは、今日のようにウオーキングをしながら、時には、家庭菜園で野菜作りをしながら聴いている。

 今日は、午後から、安倍総理の施政方針演説に対する各党の代表質問だ。トップは、民主党の岡田代表の質問から始まった。格差問題などもあり、なかなか鋭い質問もあり、総理はどう答えるだろうかと興味を持って聴いていた。

 しかし、実際の答弁は淡々としていて、多少ストレスが溜まった。次に、自民党の谷垣氏の質問。与党であるだけに、総理に与党の方針を確認させるようなものであった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

 そして、次に、維新の党の代表・江田氏の質問。野党らしく鋭い質問もあれば、与党と似ている部分もある。国会議員の身を切る改革や原発に対しての質問があり、総理の答弁を注意深く見守ったが、やはりすれ違いの感は否めなかった。

 よりよい政治を行うためには、政治家に緊張感がなければならないと思う。それには、健全な野党が必要だと思っている。これは国会でも、県会でも、市会でも同様だ。これからも、なるべく国会討論を聞き、今世の中で何が問題になっているかに関心を持って生活していきたいと思っている。

(日記 午前中は数学。午後は、国会討論を聞きながら、大野高校の周辺を家内とウオーキング。快晴の散歩日和。荒島岳が、雪で輝いていた。いろんな家が建ち並んでいる。帰宅してからカラオケの楽譜作り。そして、子どもや孫に送る餅作り。午後7時から孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
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「戦争」という言葉が頻出する毎日

13 2月

平和が遠くなるのか
この頃、毎日のように新聞やテレビ、雑誌で「戦争」という言葉が目に付く。もはや、世の中の種々の問題は、武力でしか解決できないのだろうか。

昨日『文藝春秋』を買ったが、特集からして「新・戦争論」だし、あちこちに、「戦争」という活字が踊っている。テレビでも、同様だ。

戦争の悲惨さは言うまでもない。ある日、突然召集令状が来て、私の村でも多くの住民が戦地へ向かったのだ。私の父も同様であった。そして、何人かの人たちは、二度とふるさとの土を踏むことはなかった。私の同級生の父親も戦争で亡くなったのだ。

温泉の玄関で。

温泉の玄関で。

毎年、村では「戦没者慰霊祭」を行っている。最近の朝ドラにも戦争時代が描かれている。そして、戦争は非人間的な行動を招く。これは、先の大戦時だけではなく、今も同様だ。

戦争に勝者も敗者もない。どちらも、深く傷つくからだ。武力で戦争をなくしようとしても、互いにエスカレートするばかりであろう。戦争は、子ども達に特に犠牲を強いることになる。国と国との戦争、国内での戦争(内戦)、そして、テロとの戦争、……。傷つくのは弱者ばかり。政治家だけに任せるのではなく、自分に何ができるのかを考えなければならない時代になっているのではなかろうか。

(日記 温泉からの帰り、福井へ寄って帰宅。気分転換になったようだ。帰宅して、早速、数学。ワープロソフトが誤作動を起こして、十日分の作業が無駄になってしまった。やり直すしかない。残念無念。)

 
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再び「人間信頼の感情を育てる」

02 2月

古くならない恩師の言葉
 今から48年前、私は教員3年目で、N校長の下で働くことになった。小学校時代にも、このN先生はおられた。授業を受けたことはないが、「先生を描く写生大会」があって、私はN先生を描いたことを覚えている。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

『爺ちゃん勉強』の後の孫達との語らい。楽しいひとときだ。

このN校長は学校目標として「人間信頼の感情を育てる」を掲げられたのだ。N先生の指導法は、直接あれこれせよということはほとんどなかった。私達、若い教員(当時私は24歳)に対しても指示や命令をされることはほとんどなかった。

しかし、私達は、先生の背中(言動)から多くのことを学ぶことができた。そして、私にとっては、恩師の一番に上げることができ、尊敬できる先生だ。私生活でも父親のごとく、お世話になった。

今の世の中、経済や効率。自国の利益や自分の利益を求め過ぎて、おかしくなっているように思う。人間信頼の逆を進んでいるように思えてならない。そして、国と国との格差、国の中での格差が広がるばかりのような気がする。

ピケティー教授の本が売れるのも、わかるような気がする。結局、世の中、人間同士の信頼感が失われ、暴力や武力に頼らざるを得ない状況になっているように思えてならない。この調子では、平和は遠のくばかりのような気がする。改めて、私達は、「人間信頼の感情」を育てることに力を入れなければならないのではなかろうか。

(日記 朝から、終日、幼児紙芝居の絵を描き続けた。午後7時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

いよいよ衆院選

02 12月

反省しながら前へ進んでほしいと思うが
 政治家の言動には特徴がある。それは、よほどでない限り反省しないということではなかろうか。強気一本である。反省すれば、自らの非を認めることになるからだろうか。

 選挙の時は経済政策一辺倒、選挙が済めば、別の方向、または国民のあまり期待せぬ方向へ歩み出すのが常だ。原発について言えば、安全性と核廃棄物の処理の方針を明らかにしてから再稼働すべきではなかろうか。少なくとも、フィンランドではその点を明らかにして動かしているように思われるが。

 「国益が損なわれるときには武力も……」と世界の国々がそれぞれ考えたらどうなるだろうか。TPPの進捗状況を見るまでもなく、それぞれの国の国益は皆異なる。どこで折り合いをつけるかだ。

 過去の例から言えば、折り合いがつかないときには、武力衝突になるのだろうか。そうした結果、戦争が引き起こされたのではなかろうか。昨日の党首討論で首相に対して、「先の大戦の責任は誰にあるのか、軍部か、政治家か、国民か、それとも、……。総理はどう思うか。」と野党の党首から質問があった。もちろん答えはなかった。

 たくさんの国会議員がいても、反目し合っているようではそれこそ国益を失うことになる。議論は大いに結構だと思うが、知恵を寄せ合い、それこそ国益を失うことなく政治を進めてほしい。与党が勝つにしても、健全なる野党の存在は不可欠だと私は思う。ユダヤ人の格言に「満場一致の意見には気をつけろ」というものがある。どうでもないことを決めたか、何らかの理由で裁決がゆがめられた可能性があることを疑わなくてはいけないという。

(日記 午前中は、「まちづくり大会」の手持ち資料(レジュメ)づくり。その後、A君と会い、資料やまちづくりについて話し合う。午後は、自宅に帰って発表のためのパワーポイントによる資料づくりを継続。一日があっという間に、終わってしまった。)