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Archive for 12月, 2014

大晦日に思う

31 12月

感謝!今年も無事1年が終わった
つい先日、初詣で出かけたけたと思ったのに、左義長が来て、さくらが咲いて、田植え、野菜の植え付け、稲刈り、運動会、文化祭……と、あっという間に一年が過ぎてしまった。

ソバ打ち(息子)

ソバ打ち(息子)

ぼんやりしていても、何かに夢中になっていても、一年はあっという間に過ぎてしまう。「一年の計は元旦にあり」と言われるように、何かに的を絞らないと時間ばかりが早く流れてしまってやりたいこともできないまま終わってしまう。

今年は、できるだけ消費的時間を少なくし、生産的時間を増やし、創作活動や旅行や気分転換などに時間を費やしたいと思う。イベント的にも是非やってみたいと思うことがある。

準備を整え、同志を募って行動に移したいと思う。それと同時に、健康時に気をつけたいと思う。そのためにも、ごく簡単なことを毎日続けたいと思う。長年毎

ソバ打ち(私)。反省すべき点あり。

ソバ打ち(私)。反省すべき点あり。

朝続けていた「ラジオ体操」「股(もも)上げ」「スクワット」を最近止めてしまった。これも、大切な生産的時間だと思う。

私のモットーである「地域のため」「家族のため」「自分のため」に、それぞれ目標を定めて、明日から少しずつでも、実行していきたいと思う。来年は、年男。楽しく充実した一年にしたい。

(日記 午前中は、恒例の仏壇掃除から始動。恒例の年越しの手打ちソバ作り。ソバを打っていると一年が終わるという感じがする。2玉のうち、一つは私で一つは息子が打った。夕方6時過ぎに風呂へ入り、先祖供養のために読経。『正信偈』と『仏説阿弥陀経』をあげる。家族ですき焼きを食べながら紅白歌合戦を見る。 )

都会の子どもは雪が珍しいらしい。少しでも雪があれば、ソリなど雪遊びを楽しむ。

都会の子どもは雪が珍しいらしい。少しでも雪があれば、ソリなど雪遊びを楽しむ。

 

 
 

季節は巡る

30 12月

今日は餅づくり
我が家には、餅好きの者が多い。私もその一人だ。毎年、30日頃に餅を作ることにしている。本当は、餅をつくと言いたいところだが、この頃は餅つき機を使っている。

みんなでお鏡さんや雑煮の餅づくり。

みんなでお鏡さんや雑煮の餅づくり。

思えば、高校時代以降は男手と言えば自分しかいなかったので、臼を使って杵で餅をつけるのは私だけだった。今よりもたくさんの餅をついたので、餅をつき終わった後は手が震えて字を書くこともできないくらいだった。

今日は、長男家族と、長女家族が集まって、餅を作った。終わった後、「黄な粉」「あずき」「大根おろし」で食べるのが、我が家では恒例になっている。こうした行事を省略しないで続けていくことは大切だと思っている。

昔は、我が片瀬には数多くの行事があった。しかし、それらは、一つ、また一つと省略され消えていった。行事が減る分、区民同士、親戚同士の結びつきも弱まっていった。若い頃は、自分中心に考えることが多く、誰もがこうした行事を煩わしいと思うようになったのだろう。

餅づくりの後は、「黄な粉餅」「あずき餅」「おろし餅」をみんなで食べる。

餅づくりの後は、「黄な粉餅」「あずき餅」「おろし餅」をみんなで食べる。

後ろ向きに考えれば、確かにこうした行事は煩わしいかも知れない。しかし、こうした行事を通して得られる人と人との結びつきは、他のものには代えがたい喜びがある。それが証拠に、こうした行事を行った後に後悔することはほとんどない。そして、こうしたことを通して得られた人と人との結びつきは、いつかどこかで大きな力を発揮するものと確信している。

(日記 今日は我が家の餅作り。午後1時から福井の長女家族も合流して餅づくり。午後、めがねを作るために眼鏡屋へ。だんだん老眼が進むようだ。)

 

 
 

「ふるさと」は……

29 12月

遠くで想うふるさと、住んでいるふるさと
今日、県外にす住むある人から手紙を受け取った。その中には「ふるさと」について書かれている部分があった。年老いた母一人を残して都会に住んでいるのだ。

意を決して「退職したら田舎へ帰るよ」という娘に「帰ってこんでもいい。何にもすることないよ」と老いた一人暮らしの母が強く言ったとのこと。

簡単に割り切れる話ではない。我が家でも無縁ではない話だ。少し設定が違うがそんな状況を歌った歌がある。ばってん荒川さんが歌い、後に島津亜矢さんがカバーした『帰らんちゃよか』(作詞:関島秀樹)だ。その2番の一節は次のようなものだ。

・・・・・・『帰らんちゃよか』(作詞:関島秀樹)・・・・・・

そらぁ時々ゃ 帰ってきたり
ちょこちょこ電話ばかけてくるっとは嬉しかよ
それにしたって 近頃やさしゅなったね
何か弱気になっとっとじゃ なかつかい
……(中略)……
心配せんでよか 心配せんでよか
父ちゃんたちゃ 二人でなんとか暮してゆけるけん
帰らんちゃよか 帰らんちゃよか
今度みかんば いっぱい送るけん

心配せんでよか 心配せんでよか
親のために お前の生き方かえんでよか
どうせおれたちゃ 先に逝くとやけん
お前の思うたとおりに 生きたらよか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、若者が都会へ向かう風潮がある。地方が消滅すると日本創生会議の座長・増田寬也氏が警告している。その最大の原因は、若い女性が都会へ出てしまうからだと言う。田舎では、上記のような状況が起こっている。

今日はいつもと違って私の机の横で『爺ちゃん勉強』。能率が上がった。

今日はいつもと違って私の机の横で『爺ちゃん勉強』。能率が上がった。

昭和28年頃に作られた小津安二郎監督の『東京物語』、最近この映画をもとにして作られた山田洋次監督の『東京物語』にも同様の状況がが映し出されている。私案だが、東京へ出た若者が東京へ出て団地などで暮らし、その子ども達がそこから巣立ってしまい、そこで老後を送る老夫婦に焦点を当てた『新東京物語』を是非とも山田洋次監督に作っていただきたいと思う今日この頃である。田舎で豊かに暮らす方法については次回以降に私案を書きたい。

(日記 午前中は、のんびり始動。10時半過ぎに、横浜の孫に対して『爺ちゃん勉強』。いつもはパソコンを使ったスカイプだが、今日は私の机の横でできた。午後は、事務所の大掃除。途中でギター練習。夜はiPhoneに自作の曲やドラム練習曲などを入れた。)

 
 

雪国の晴天

28 12月

放射冷却と澄み切った朝
久々の快晴。ガラスに付いた水蒸気も凍るような冷えた朝だった。放射冷却で家の外にある水道はすべて凍結していて水が出なかった。今日は、洗車する予定だったが、水を出すのに一苦労だった。

 

白銀の世界を歩くのは気持ちのよいものだ。年に数回しかない「おそらん」に乗れる日だ。

白銀の世界を歩くのは気持ちのよいものだ。年に数回しかない「おそらん」に乗れる日だ。

今日は珍しく、雪の上を歩ける日だった。私達は子どもの頃「おそらん」と言ったが、家内は「おしゃれ」と言っていたらしい。孫と2人で「おそらん」に乗って田んぼの上を歩いてみた。ザクザクザクと気持ちのよい音がした。

しばらくして、水が出たとはよいが、氷のような冷たさだった。急いで、ホームセンターへ行き、防水の手袋を買って、ワゴン車と軽トラを洗車。

夕方、孫達が家の前のわずかの雪の上で飽きずにソリをしていた。子どもらしいと思った。大人ならこたつに入っていた方がよほど気持ちがよいと思うだろう。子ども、飽きずに外でそりを続けていた。これでいいのだ。

雪は、大変だが、やはり、雪国には雪が必要だ。年を取ると手に負えないのは屋根の雪下ろしだけだ。これさえクリアーすれば雪国もまんざら悪いものではない。寒さはしのぎようがあるからだ。

家の前のわずかの雪の上でソリを楽しむ孫達。この後、除雪機を出して雪を集めた。

家の前のわずかの雪の上でソリを楽しむ孫達。この後、除雪機を出して雪を集めた。

(日記 午前中は、新年に向けて車の洗車。午後はパソコン内の画像の整理。私にとっては、金には代えられないものだ。その後、久々に数学。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 

 
 

一気に家族が3.5倍に

27 12月

二人から七人に
正月休みに入った長男家族が、午後3時福井着の列車で帰省した。家内と二人で福井まで車で迎えに行った。これから約10日間、我が家は急に賑やかになる。

帰省した息子家族。早速手をつないで歩く2人の孫と家内。(福井駅)

帰省した息子家族。早速手をつないで歩く2人の孫と家内。(福井駅)

息子が在宅中に、パソコンのトラブルを全て直してもらわねばと思う。パソコンも機械であり、ハードディスクは消耗品だということを普段は忘れてしまう。

しかし、一度トラブルが起こると、私には手も足も出ない。順調に動いているときは、これほど便利な機械はない。しかし、調子が悪くなると何にもできない。

早速、不調だったメールの設定と忘れてしまった自分のホームページの編集画面への入り方を習った。4、5年前に自分で作り、自分で編集してアップしておいたものだが、しばらく使わないうちに、使い方もすっかり忘れてしまっていたのだ。

この『演歌の広場へようこそ』だが、まだアップしていない曲がいくつかあるので、何とかアップしてみたいと思っている。あまりにもあれこれ手を出しているので、しばらく使わないとソフトの使い方をすっかり忘れてしまうのだ。本当はどこかに的を絞りたいのだが、それができないで頭が混沌としている。溜息が出るばかりである。しかし、息子が来たのでしばらくは一安心だ。

(日記 午前中はパソコンの中の音楽データの整理。午後2時に自宅を出て長男家族を福井駅へ迎えに行った。大人2人のところへ、長男夫婦と孫が3人やって来たので我が家は急に賑やかになった。早速パソコンの不具合を直してもらった。)

 

 
 

「学者が考えること」「政治家が考えること」「私たち庶民が考えること」

26 12月

少子化の原因をどう考えるか
最近、少子化対策担当相がいるくらい、少子化問題は国家の重要な課題になっている。地方の存亡、国家の存亡に関わる重大な問題だ。

第2次安倍内閣の森少子化対策担当相の談話によれば、緊急対策の「3本の矢」を柱に推進されるとのことだった。
1本目は、「子育て支援」で、待機児童の解消や子どもの多い世帯への支援など。
2本目は、「働き方改革」で、子育てと仕事の両立支援や男性の働き方の見直しなど。
3本目の矢は「結婚・妊娠・出産支援」。

なぜ、少子化になるのか、理由は簡単ではなかろう。上記の3本の矢では、減少のスピードを多少は遅くすることはできるかも知れないが、少子化の波は食い止められないように思う。いろんな立場で、いろんな角度から、検討しなければならない。学者や政治家の思いだけでは、実現しないように思う。

若いうちに結婚し、出産をしていた時代は出生率が高かったことは明らかになっているが、今の世の中で、若いうちに結婚して出産するかは、その人それぞれの自由であり、誰も強制することができない。

世の中の何がどう変わったのか、その辺りからじっくり分析する必要があろう。地方が過疎化し、都会へ若い女性が流れていく状況がなぜ起きているのか。しかも、都会は明らかに地方に比べて出生率が低いのだ。当然、少子化が加速されるだろう。

私のような、退職者でも、少子化は気になるところである。今日、例年のように図書館へ本を借りに出かけた。私にとっては、年末恒例の習慣だ。図書館へ出かける前には何を借りようか全く決まっていなかったが、書架の間を歩いているうちに次のような本を借りることになった。

少子化に関する記事などが載っている雑誌3冊と『超少子化-危機に立つ日本』(鈴木りえこ:著)、『危うし!小学校英語』(鳥飼玖美子:著)・『予習という病』(高木幹夫+日能研:著)など教育に関する本を3冊、参考書作りの資料として数学に関する本など2冊、そして、紙芝居作りの参考書として『きむら式 童話のつくり方』(木村裕一:著)を借りた。

少子化対策については、自分でも独自の考えが持てるように今勉強中。なんの役にも立たないかも知れない、地区の活性会員として、やはり少子化には無関心ではいられない。

(日記 午前中は、資料整理。午後は、図書館で本を借りる。パソコンの中も少し整理。知らぬ間にパソコンにしがみついて遊んでいた。)

 

 

 

さんこうにさんこうしょづくりのさんこうとしt絵
■「女性手帳」批判をきっかけに対話

――ただ、そうした「啓蒙」がプライバシーの領域ではないかという批判が、「女性手帳」の報道をきっかけに起こりました。

森大臣:そうですね。やる気まんまんで急ぎ過ぎたあまり、情報発信の際に説明が不十分だったということがあって、最初に大きな批判が起きました。たくさんの女性団体の方が、この大臣室にいらっしゃいました。でも、今のようなお話をすると、最後にはわかってくださいます。産みたくない人に押し付けるわけではない、結婚したくない人に家に入れというのではない。今、結婚したいという若者に、結婚できる経済状態であるとか、出会いの場を設けるのであれば、賛成しますと。女性の体についても啓蒙は大切ですと。話し合いをすると、望んでいることが最後には一致するのです。

個人の生き方を強制するのではなく、ただ、子供を希望する人にとって社会的な障壁があるのであるとすれば、それを取り除いていく。本当は産みたいのに、会社の事情で産めば仕事がなくなると我慢しているのであれば、産んでください。会社にもちゃんと戻って仕事を続けられる、そういう世の中を作ってゆくことが大事です。今回、反対意見をおうかがいできたことによって、お互い話すことができて良かったと思います。それをまた糧にして、どうしたら一番、国民の利益に資する形になるのか検討したいです。

――女性の体についての啓蒙の大切さですが、森大臣ご自身も、弁護士として忙しく働いていた20代の頃に、「卵巣のう腫」を患い、片方の卵巣をほぼ全て摘出して、一時は結婚や出産を諦めようとしたご経験があると聞いています。

森大臣:なぜだろうと思っていました。原因は今でもよくわかっていませんが、当時、長時間働いたり、夏はクーラーで冷やしたりしたことが良くなかったのかもしれません。ですから、今回の少子化対策にもあるワーク・ライフ・バランス、残業をなくしていくという取り組みも、大事になってくるのではないかと思います。少子化危機突破タスクフォースには、産婦人科のお医者さん2人に入っていただきましたが、私の時代よりも今、20代、30代の未婚の女性の疾患が増えているということでした。男性にもそれを知ってもらい、彼女や奥さんを大事にして頂かないといけないし、上司も女性社員を大事にしてもらわないといけない。女性にも男性にも、両方に対して、啓蒙していきたいと思います。啓蒙の形式も、色々なご意見がありますので、更なる検討チームを立ち上げて、ゆっくりと検討していきたいと思います。

 
 

断捨離……!?

25 12月

「もったいない」と「いつか間に合うのでは……」
最近は、暮れの「大掃除」と言うよりも「大整理」にいつも困惑する。物の多さに整理不能となるからだ。「モノ」にも命があると思ってしまう。まだ使えるモノ、ほとんど新品のモノを捨てるのは心が痛む。

かつて,木下恵介監督の映画『楢山節考』(ならやまぶしこう)を見たことがある。「山深い貧しい部落の因習に従い、年老いた母を背中に担いで真冬の楢山へ捨てに行く物語。自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している。(ネット)」とある。

呼べばいつでも出て来てくれるパソコンの中のスター達!?

呼べばいつでも出て来てくれるパソコンの中のスター達!?

まだ命ある「者」を捨てることと、まだ命のある「モノ」を捨てることが、私の頭の中で重なってしまう。だから捨てられないのだ。もしも都会に住んでいたら、大変なことになったであろう。

毎年、かなり捨てたが、捨てられないモノがまだまだある。衣類や道具などのようにまだ使えるモノと、資料のようにいつか使えるかも知れないモノとがあるが、後者の方はデジタル化して、実物は捨てたいと思っている。「資料を何に使うのか」と問われると返答に窮するが。

パソコンの中にも、たくさんのモノが整理不十分のまま、キープされている。特に、イラストや絵、編曲した楽譜などは一度なくしたら二度と復帰できないだろう。ハードディスクも消耗品だと言われるので、複数箇所に保存しなければと思っている。絵の方は、人間なら、侍でも、貴族でも、僧侶でも、庶民でも、すぐに使えるように保存してあるので、映画俳優のように、表情や衣服を替えれば紙芝居や簡易アニメのどんな場面でもすぐに出演?してくれるようにしている。パソコンのハードディスクの中は乱雑でも、あまり場所をとらないので今のところ断捨離はしなくてもよいと思っている。

(日記 終日、モノの整理。と言っても、かなり限界が近づいているようであまり進まない。夕食後、めがねを作りに眼鏡屋へ。目を大切にしなければと思う。帰宅後は、パソコンの前に座って雑事。)

 
 

年末恒例“まちブラ”

24 12月

何を買おうかな?
毎年、年末には福井へ出かけて本や衣類を買うことにしている。子どもが小さかった頃は、サンタクロースからの贈り物の品定めに子ども達と買い物にでかけたものだが、今はそれもなくなった。

DVD付きドラム教則本『ドラム入門』。

DVD付きドラム教則本『ドラム入門』。

今日は、家内と二人で、福井の百万ボルト、エルパで買い物をし、軽食。そして、映画を視て帰るつもりだったが、映画館を間違えたので今日は諦めることにした。エルパでの待ち合わせは、いつも本屋と決めている。

本屋の隣は、楽器屋だ。ここでは、いつもCDや本を買っている。今日は、“ハウツー本”を買った.DVDが二枚付いたドラム教則本だ。

何冊もドラムの本を持っているのに、ついつい買ってしまった。一度フラダンス付きでハワイアンバンドをやってみたいと思っていたが、これは実現できた。

今度は、バンドでドラムをたたくことだと思って最近練習している。50年前には軽音学部でドラムをやっていたが、もう一度やり直してみたいと思って、今日もDVD付きの教則本を買ったのだ。自分のやることに的を絞らなければと思っているが、そんなことを忘れて今日もまたドラムの本を買ってしまったのだ。ま、いいっか!

(日記 午前9時過ぎに家内とともに、年末恒例のショッピングに福井へ向かった。百万ボルト、エルパで買い物を済ませて午後2時頃帰宅。その後、近くの小児科医院で生まれて初めてインフルエンザの予防注射を打ってもらった。来月我が家のビッグイベントがあるからだ。果たして、効果があるのだろうか。)

 
 

『片瀬豊年ばやし』 この一年

23 12月

今年の反省会
今日は、我が村の創作郷土芸能『片瀬豊年ばやし』保存会の反省会。思えばこの一年、ずいぶんあちこちへ出演させていただいた。まだまだ発展途上の郷土芸能だが、少しずつ地域で認知されるようになった。

猪野瀬公民館にて『片瀬豊年ばやし』の演技。

猪野瀬公民館にて『片瀬豊年ばやし』の演技。

あちこち出させていただいたが、未だ満足できるような演技ができなかったように思う。一つは、演技の内容が毎回少しずつ変化していて練習不足であったこと。これは練習の回数でカバーするしかない。

もう一つは、歌も生演奏するようになって、放送機器との相性が問題だった。歌のマイク3本、三味線と篠笛のマイクがそれぞれ2本の計7本が必要だが、多くの会場はそれだけの本数がなかった。

ない場合には、手持ちのマイク等を持って行ったが、会場の機器とのバランスがとれなかったりして不本意な場面が少なくなかった。しかし、最近ようやく演技も固まりつつある。

早速、新年度も1月18日の「健康の駅」オープンを皮切りに出番がある。何とか、満足のできる演技をしたいものである。今日の、反省会では、みんなそう思ったのではなかろうか。

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◆どなたか、「エコミュージアム全国大会」での私たちの演技をユーチューブにアップした方がおられるのでそれを紹介したい。   「片瀬豊年ばやし」で検索してみて下さい ◆

(日記 午前11時半より近くの居酒屋で「片瀬豊年ばやし」保存会の忘年会。楽しいひとときを過ごした。午後はピアノの楽譜作り。午後7時より『爺ちゃん勉強』。今日は家内の誕生日。スカイプで横浜の孫たちが伴奏つきの「ハッピーバースデー」を歌ってくれた。)

 

 
 

複合副作用

22 12月

少子化を考える
世の中は、いくつかの複合的な要因で思わぬ方向へ進んでいるように思われる。私にもし文才があるならば『複合副作用』なるタイトルで本を書いてみたいのだが。残念ながら、できそうでできない。

テレビが出現したとき、評論家の大宅壮一さんは「一億総白痴化」なる言葉を使われたらしい。大宅氏が指摘しているのは、テレビを次から次へと視ることにより、テレビによって考え方が刷り込まれたり、思考停止に陥ったりする可能性を述べられれたのであろう。

言うまでもなく、テレビのプラス面をたくさんある。しかし、それらにも多くの副作用があるだろう。選択力のない者に取っては、ずるずると時間を費やし(あるいは奪われ)、あげくの果てに何も考えられない人間になっていくことを警告しているのではなかろうか。

今では、テレビ以上にスマホやパソコンの副作用が問題になりつつある。簡単な論文なら何も調べなくても、ネットでコピペ(コピー・アンド・ペースト)すれば簡単にできてしまうであろう。時間が奪われ、考えなくてもよい(考えることができない)人間が増えていくような気がする。

あらゆる文明の機器の副作用が世の中を変質させているのだと思う。スーパーやホームセンターやドラッグストアやコンビニ(convenience=便利)が、便利さの代わりに、町からの「八百屋」「金物屋」「薬局」「肉屋」……などを廃業に追い込んだり、数を減らしていった。こうして、商店街はシャッター通りになるか、歯抜けになり、地方が過疎化するのは当然であろう。こうしたことが、少子化に繋がっていくのではなかろうか。車社会も副作用は少なくない。これらの副作用が複合的にやってくれば世の中が変質するのは当然ではなかろうか。こうしたことを筋立てて本にできたらと思う。

(日記 終日年賀状書き。途中で、除雪機を使い、家の周囲を除雪。)