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断捨離……!?

25 12月

「もったいない」と「いつか間に合うのでは……」
最近は、暮れの「大掃除」と言うよりも「大整理」にいつも困惑する。物の多さに整理不能となるからだ。「モノ」にも命があると思ってしまう。まだ使えるモノ、ほとんど新品のモノを捨てるのは心が痛む。

かつて,木下恵介監督の映画『楢山節考』(ならやまぶしこう)を見たことがある。「山深い貧しい部落の因習に従い、年老いた母を背中に担いで真冬の楢山へ捨てに行く物語。自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している。(ネット)」とある。

呼べばいつでも出て来てくれるパソコンの中のスター達!?

呼べばいつでも出て来てくれるパソコンの中のスター達!?

まだ命ある「者」を捨てることと、まだ命のある「モノ」を捨てることが、私の頭の中で重なってしまう。だから捨てられないのだ。もしも都会に住んでいたら、大変なことになったであろう。

毎年、かなり捨てたが、捨てられないモノがまだまだある。衣類や道具などのようにまだ使えるモノと、資料のようにいつか使えるかも知れないモノとがあるが、後者の方はデジタル化して、実物は捨てたいと思っている。「資料を何に使うのか」と問われると返答に窮するが。

パソコンの中にも、たくさんのモノが整理不十分のまま、キープされている。特に、イラストや絵、編曲した楽譜などは一度なくしたら二度と復帰できないだろう。ハードディスクも消耗品だと言われるので、複数箇所に保存しなければと思っている。絵の方は、人間なら、侍でも、貴族でも、僧侶でも、庶民でも、すぐに使えるように保存してあるので、映画俳優のように、表情や衣服を替えれば紙芝居や簡易アニメのどんな場面でもすぐに出演?してくれるようにしている。パソコンのハードディスクの中は乱雑でも、あまり場所をとらないので今のところ断捨離はしなくてもよいと思っている。

(日記 終日、モノの整理。と言っても、かなり限界が近づいているようであまり進まない。夕食後、めがねを作りに眼鏡屋へ。目を大切にしなければと思う。帰宅後は、パソコンの前に座って雑事。)

 
 

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