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Archive for 8月, 2012

これでは腰が持たない

31 8月

机にへばりつき
  今日は、本当なら法人の「稲刈り補助員」を務める日だった。しかし、晴天続きで順調に稲刈りが行われ、酒米の稲刈りは終わったので、「今日の作業はない」と昨日電話がかかってきた。しかし、今朝電話があって、「明日午前5時半からヒエ取りに来てほしい」と電話があった。

  明日は、朝から晩まで超過密スケジュールが待っている。しかし、今日は稲刈りがなくなって、丸一日時間が使えるので本当に嬉しい。やることは決まっている。午前中は、和太鼓の楽譜書き。朝いっぱい書いたがそれでも終わらなかった。

  午後は、9月4日の市民大学講座『想いは歌で伝えたい』で実演するためのカラオケDVDづくり。私は歌を作るが、それぞれ自分なりの意図があって作っている。今の世の中、あるいは誰かに何かを伝えたくて歌にしている。

  和太鼓の曲作りも歌作りもパソコンを使っての作業。朝から晩まで机にへばりついてパソコンの画面を眺めていた。それでも、作業は半分ずつしか進まなかった。パソコンでの作業は、時間がかかる。

  これまでできなかったことがたくさんできるかわりに、時間もかなりかかる。指は限界を超え、曲がったままになっている。目も疲れた。立ち上がると腰が伸びないくらいだった。明らかに、自分の容量を超えたことをやっている。退職しても忙しさは変わらない。

  何とかしなければ、しかし何とかできないだろう。どれもやりたく手やっているのだから。創作の楽しみは捨てきれない。何かを生み出すのは本当に楽しく、やり甲斐がある。身体と相談しなければならない年齢になってきたようだ。

(日記 今日は最後のラジオ体操。子ども達を見ていると、挨拶のできない子がかなりいる。子供会の役員と協力して、気持ちよく挨拶のできる子どもにしたい。挨拶のできる子とは、話し合うこともできる。交流ができるのだ。午前中は、和太鼓の楽譜書き。午後は、自作の歌のカラオケDVDづくり。夜、CDを歌っていただく大野市のAさんのところへ届けた。机にしがみついていた一日だった。)

 
 

産み出す力

30 8月

無から有へ
  何かを産み出す場合、その元手となるもの(原料)が必要な場合と、そうでない場合がある。原料が必要な場合でも、アイデアによってその量があまり必要でなかったり、全く必要でない場合もある。しかし、このアイディアの重要性があまり認識されていないように思う。

  先人の考え出したこと、先人の得た知識などを次世代が学ぶことは大切だが、そこでとどまっているのは悲しいことだ。常に「考える姿勢」、何かを生み出そうとする姿勢」を子供の頃から身につけさせたいものだ。

  しかし、そうしたことは、現時点ではテストなどに役立たないと考えてか、あまり重視されない。しかし、小学生、中学生の頃から、考える癖をつけることはとても重要なことだと思う。考える楽しみは、何かを生み出す楽しみにつながり、生き甲斐にもつながると思う。

  「何もすることがない」と嘆く必要は全くない。私は、出かけるときには、紙と鉛筆を忘れないようにしている。身体は忙しくても、頭の中は暇な場合がある。そんなとき、いろいろやってみたいことを考えたり、創作のテーマを考えたり、改善点を見つけたりして、頭の中で遊ぶことができる。

  最低食べることが保証されていれば、楽しみは自分で考え出すことができる。無理矢理ゲームなどのおもちゃを持たなくても、遊べる子どもになってほしいと思う。

 スマートフォンを持っている大人も、別の見方をすれば「おもちゃを持った子ども」に見えてしまう。何かを生み出すことにつながればそうでもないが、あてもなくあれこれいじっているのは時間の無駄に見えてしまう。

 「なければ作る」は私のモットーだ。子ども達も、それぞれの時期にしかできないことに時間を作ってほしい。大人になっても得きるような暇つぶし的な時間の使いかを改めて、考える楽しさを味わってほしい。そして、無から何かを生み出してほしい。

(日記 午前中、親父バンドの編曲作業。午前10時から鹿谷公民館でおばさん達の銭太鼓の練習につきあう。以下に、曲のリズムに乗ってバチを操るかが問題だ。午後、三国から親父バンドのメンバーの一人が個人練習のためにやって来た。私は、彼のためにトランペットソロ(アドリブ)を考えた。これも考えれば世界に一つしかないメロディーだ。産みの苦しみを味わうが、完成したときの喜びは格別のものだ。)

 
 

人の心にも花を

29 8月

竹プランターづくり
  午前9時、まちづくり関係の職員が二人が、我が家へやって来た。竹プランターを作り、今庄のまちづくりイベントに使うということだ。先ず、軽トラックで神社の裏山にある竹林へ向かった。昨日までに竹を2、3本いただくことを山の持ち主に許可を得ていた。

上左:竹林で竹を切る。 上右:竹を切り、穴を開けてプランターを作る。 下左:完成したプランターの底にドリルで水抜きの穴を開ける。 下右:できあがったプランターと制作した二人。 

  竹林では3本の竹を伐ってた。それらを軽トラックに載せ、自宅へ運ぶまでに2時間近くを要した。汗びっしょりであった。自宅へ帰ったからは、彼らは10個のプランターを作りたいということで作業を始めた。

  結局、10個のプランターとそれを載せる台を作り終えたのは、午後6時過ぎだった。かなりハードな作業だった。それでもできあがった10個のプランターを並べてみると壮観であった。

  春以来、我が片瀬区は、市の『四季折々の花の咲くまちづくり事業』に参加し、竹でプランターを作ったり、製材した後の周辺材である「こあ」でプランターを作ったりしてきた。そして、村のあちこちに花を並べていただいている。

  自分の家だけでなく、できるだけ屋敷の表通りにプランターを並べることをお願いしている。毎日、近隣の花を眺めていると、やはりそれらを育てている人の気持も伝わってくるようだ。花は、プランターの中で育てるだけでなく、人の心の中にも育つと考えている。

 花も生き物だ。水や栄養(肥料)がほしいと思う。手をかければそれに応えてくれるようだ。しかし、どの花が土の程度水をほしがっているのか、まだ理解できなくている。それぞれ個性があって、水を特に必要としているもの、そんなに必要でないもの等いろいろあるだろう。

私も竹運びを手伝った。竹を自宅へ運ぶまでにかなり疲れた。

 つい水をやるのが少なくて、夕方ぐったりしている花もあった。しかし、たっぷりと水をやると翌日には元気になっている。そして、きれいな花を咲かせてくれる。人も花も生き物であることには変わりない。応えてくれるのだ。

  この事業を通して、区民の皆さんの心にもきれいな花が咲くといいなあと思う。また、きれいな花を見て、心地よくなる子ども達が育ってほしいと思う。子ども達には、命を育てることの大変さと楽しさを学んでほしい。

(日記 午前9時から、二人の職員がやって来て竹プランターづくり。山から竹を切り出し、足の付いた竹プランターにするまでにかなりの時間がかかった。全部作業を終えたのは午後6時過ぎであった。私は、作業手順を少し話しただけで、二人は黙々と作業を続けていた。私は、時々、夜練習する和太鼓曲の楽譜を書いたりしていた。午後7時半より和太鼓の練習。今日はみんな気合いが入っていた。出番まで後20日ほどだ。来週から週3回練習するとメンバーが決めた。メンバーのやる気は嬉しい。)

和太鼓に挿入するチャッパ芸の千手観音。

 
 

晴天続き

28 8月

河川の恵み
  連日、炎天下が続いている。しかし、我が片瀬の田んぼの多くは、九頭竜川と平泉寺から流れる浄川のおかげで水不足に陥ることはない。テレビを見ていると、ため池の水を利用している地域は水不足で苦労しているようだ。

  野菜が水不足で、枯れたり成長不足で農家の人達は非常に苦労している。我が村の多くが利用する新「勝山大用水」は、私の子ども時代にできたのだ。工事の様子を今も覚えている。川を掘り、もっこやトロッコで土を運び出していたのを思い出す。

  それ以前には水不足で苦労していたことも覚えている。誰かが自分の田んぼへ水を引き込むのを見届けると、しばらくしてそれを止めて自分の田んぼへ水を引き込むのだ。この繰り返しだった。表だった喧嘩はなかったようだが、その裏では常に水の取り合いが行われていた。

片瀬の田んぼの命綱の一つである浄川の取水口付近の砂利とり作業(春の共同作業)。

  しかし、九頭竜川から水を取り込むことができる勝山新大用水ができてから、水争いはなくなった。この大用水よりも高い位置に田畑があってもエンジンつきのポンプで水を上げることができる。

 ただ、冬の間だけは、融雪のための水争いは市街地では続いているように思う。誰もが冬も水を必要としているが、この水をうまく配分できないでいる。今後、少子高齢化が進むと、雪は生活の大きな障害となる。融雪がスムースにできる水路の見直しが今求められている。

(日記 午前中は和太鼓曲の編曲作業。午後も作業を継続。夕方、家の周囲の生け垣などを整える。雑草は夏の暑さにも負けないでどんどん成長する。作物の方がこの暑さには弱い。竹プランターの花々もこの暑さの中で検討している。晴天が続くので朝晩2回の水やりは欠かせない。頑張れと花に語りながら。)

 
 

持続する農業を目指して

27 8月

稲刈り補助員
  午前8時に,稲刈り補助員として『農事組合法人かたせ』の農舎前へ集合。今日は酒米の稲刈り。今日のオペレーターは71歳のMさん、45歳のHさん、補助員は69歳の私、68歳のNさん、67歳のKさん、56歳のNさんであった。

上左:法人の農舎 上右:稲刈り 下左:コンバインから軽トラへ籾を送る。 下右:コンバインを台車に乗せて帰る準備。

  2グループに分かれて作業を行った。私のグループのオペレーターは若手のHさんで補助員は69歳と68歳の二人だ。私達補助員は、籾をカントリーへ運搬することと、コンバインが刈りにくい田んぼの隅の稲を刈ることだった。

 作業開始が遅いので、いきなりの炎天下。最初は野球帽で作業を始めたが、首筋がとても熱くなった。そこで、家内に連絡して麦わら帽子を買って作業現場まで持ってきてもらった。

 今日は暑い一日だが、麦わら帽子のお陰で首筋が熱くなることはなかった。カントリーで知り合いと会ったが、「なんや、百姓のおっさんみたいな格好をして」と冷やかされた。私もこれまで麦わら帽子で作業をしたことがなかった。いつもは、野球帽が殆どだった。でも今日は、麦わら帽子のありがたみがわかった。

  昼1時間休憩して、午後も作業を継続。区切りのつくところまでということで午後6時まで作業を行った。午前午後とも、よくお茶を飲んだ。私達補助員は、息子のような年頃のH君の助手を務めたが、頼もしく思えた。。

 こうした、若い者が作業に出てくれることはとてもありがたい。村の若い者が夏期休暇を取って作業をしてくれる姿を見て、彼らの意思を尊重し、彼らがやる気を出すようにバックアップしなければならないと思った。

稲刈り補助員スタイルの私。今日は麦わら帽子に感謝。炎天下では頭だけでなく首回りも直射日光から守ってくれた。

(日記 午前8時から午後6時まで、法人の酒米の刈り取り作業の補助員を務めた。炎天下の中での肉体労働だったが、心地よい疲れが出た。地域の役に立つことは自分としては嬉しい。)

 
 

地域の力

26 8月

意識しなければつけられないのか
  最近「地域の力」について考えることがある。そして、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。豊かになればなるほど、地域の力はなくなっていくような気がする。「地域の力」とは「社会の力」と言い換えてもいいかもしれない。

  ちょうど、一升瓶の中の水が入っているとすると、水が多ければ空気の部分は少なくなる。水が少なければ空気の部分が多くなる。経済的に豊かになればなるほど、大切なものが失われ、「家庭の力」も失われ、「地域の力も失われていくような気がする。

  創意工夫する力は、ものがなかった時代の子どもの方がはるかにあったように思う。今でも発展途上国の子ども達の方が、創造性や想像する力を持っているように思う。何か工作的なことをやろうとすると、今の若者の多くは、面倒くさく思ってしまうような気がする。

  ラジオ体操に出ているとよくわかる。挨拶する心地よさを理解している子どもは3分の1ぐらいだろうか。声を掛けると渋々挨拶する子、こちらが挨拶してもあいさつを返せない子もいる。以前は、大きくなったら、仕事をしている人には「ご苦労さんです」と声かけをするのが当たり前であった。

  今は、他人のやっかいにならなくても自分で生きていけると思っているのだろうか。昔は協力しあわなければ生活できなかったとも言える。自然に隣近所の付き合いがあり、隣の子どもとの接し方も、我が子に近い部分があったように思う。

 村には、がみがみ親父もいたのだ。また親切に何でも教えてくれたり、話しかけてくれる大人もいたのだ。風呂ひとつにしても「もらい風呂」と言って、お互いに行き来したものだ。今のようにブルドーザーや除雪機がなかったので、大人達が交代で通学路の除雪をしてくれたのだ。

  楽しみが少なかった分、祭りなどは盛り上がった。今やどこの祭りでも、レクレーション大会でも、文化祭でも、抽選会で人を集めている始末だ。農作業も助け合ってすることは少なくなった。結果的に、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。

 このままではよくない。地域の人達に今の状況を気づいてもらいたいと思う。「絆」という言葉があるが、どんどんなくなっていく。何かことが起きたら大変だと思う。一人暮らしが増え、孤独死、孤立死が増えていきそうである。人と人が交わることの楽しさを味わってもらいたいと思う。慌てず、自分なりに行動を続けたいと思う。

(日記 今日は、創作活動に専念。明日は稲刈り補助員なので、その分今日はパソコンに記録しながら和太鼓の新曲を考えた。一ヶ月足らずで発表するからだ。それにしても毎日暑い。やがてゲリラ豪雨が来るのではないかと心配になる。)

 
 

オーバーヒート

25 8月

容量オーバーの一日
   終わってみると超多忙な一日だった。今、全てを終えてブログを書いているが、ここまでが長かった。午前5時半過ぎに起床。トーストを一枚かじって法人で借りている畑へ行く。涼しい時間帯に作業を終えたいからだ。家内と二人で秋のジャガイモを植えるために出かけたが、この集団農場にはすでに3台の車が止まっていた。

  朝早くから来て作業をしているのだろう。私も畝の真ん中を少し三角鍬で削り、その上へ順番に種芋を置き、土をかぶせていった。春のジャガイモは30数年作っているが、秋ジャガイモを作るのは今年が初めてだ。

  作業を終えて、帰宅してから、朝食。その後、バンド仲間から頼まれた盆踊りの為のCDの制作作業。その後、バンドの楽譜書き。昼食後、午後1時から子ども太鼓の指導。午後2時から午後5時半頃まで「親父バンド(じいちゃんバンド)」の練習。

  帰宅すると、祭りのために、『片瀬豊年ばやし』に挿入するための芸のシナリオ作り。豊年ばやしの間に「餅つき」を芸能として挿入して演じる予定だ。これを1ヶ月後の村祭りに披露する予定でいる。

 神社の祭りでは、銭太鼓の音楽に合わせて実際に『祝い餅』をつきながら、ユーモラスに演じたいと思う。現在は『俵芸』を演じているが、いくつかのレパートーを持ち、場所に応じていろいろ演じ分けたいと思う。

  午後7時半、銭太鼓の練習に参加。『餅つき』芸について、シナリオを見せながら説明した。今日は練習に参加し多人数が少なかった。途中で仲間に任せて『平泉寺の秋祭り』に出かけた。

踊りを復活して2年目の平泉寺の祭り。今後もっと盛り上がることを期待したい。

  神社に着くと、壮年会を中心に男女が踊っていた。頼んでおいた踊り隊『ひらり』の皆さんも出向いてくれてた。一昨日、平泉寺の壮年会の皆さんに5曲の踊りを指導したところだ。しかし、一曲だけ踊り方を忘れて誰も知らないという。みんなに踊り方を説明してほしいと言う。私はマイクを使って説明した。

 5曲をしっかり踊れるようになったので、何度か繰り返えされた。とてもいい運動になった。さすがに疲れた。

  完全に私の能力を超える一日のスケジュールだった。昔ならこの程度の忙しさは苦にならなかった。今日は、身体が悲鳴を上げているようだった。

(日記 上記の通り。充実はしていたが、自分の能力の限界を超える忙しさだった。いつも家内から言われるように、的を絞らなければならない年齢になった。)

 
 

コミュニケーションの大切さ

24 8月

年を取るほど大切な雑談や話し合い
   今日、午後6時より昔の仲間との懇親会があり、幹事を務めた。参加者は10名だった。料理屋で行った。一人一人がお膳の前に座っての懇親会だった。幹事の特権で、最初は個人個人が酒をついで歩かず、先ずはご馳走を食べ、隣隣で酒を酌み交わす。酒は幹事や料理屋の女将さんに任せる。

 その代わり、一人一人が近況を話す。途中で質問があれば、本人に質問をしてもよいと言うことで話を始めた。今日の目的の一つは、酒を酌み交わし、ご馳走を食べることもそうだが、他人の話に耳を傾けるのもご馳走だと思ったからだ。

 お陰でいろんな話を聞くことができた。参考になること、刺激になることも多かった。そんな中で年をとるほどコミュニケーションが大切になると思った。年をとると、健康がすぐれるなくなったり、外出がおっくうになったりして、家に閉じこもりがちになるからだ。

  心身の健康を保つためには、運動・栄養・睡眠と共に心の健康を保つためにもコミュニケーションが大切だと思った。昨日の高齢者サロン、そして今日のOB会に出て思ったことだが、気軽にいろんな話ができるそんな機会と場所が各集落には必要だと思った。

 人と交わることによって、いろんな刺激を受けることができるからだ。人間とは、“人の間”と書くように人と交わることによって生き甲斐も生まれるのだろうと思った。それがまた、心身の健康にもつながるだろう。

 今日の話の中で、日本の将来を心配する人も少なくなかった。国家や政策よりも政局を優先する政治家の皆さん、国益よりも省益や個人の利益を優先する官僚の皆さんが少なくないからだろうか。

(日記 ラジオ体操の後、午前中はOB会の資料づくり。その後、暑かったが“秋じゃがいも”を植える場所を耕した。午後は、少し昼寝。そして、5時に料理屋へ行って6時にOB会開始。昔の仲間といろんな話をすることができて楽しかった。それと同時に2年間の勝山での幹事を終えることができた。)

 
 

楽しい高齢者サロンを目指して

23 8月

双方向で楽しく
  平泉寺公民館での高齢者サロンに、講師として招かれた。妻と共に出かけた。私の今日のメニューは、(1)紙芝居『平泉寺物語』(但し今日は紙芝居ではなく、パワーポイントで拡大して行った)(2)歌(3)高齢者と語るコーナー(4)踊りコーナーを準備した。

妻と二人で『白山平泉寺物語』を演じた。今日は高齢者が多いので、パワーポイントを使って画面を大きくして演じた。

 最初の紙芝居は、世界遺産を目指す平泉寺の時代的な流れをドラマ化したものだ。平泉寺地区の皆さんでも平泉寺の歴史はあまり知らないと思う。妻と二人で演じ、時々私はギターも使って音楽を入れた。意外と好評だった。

 次は、「みんなと語ろう」コーナーだ。私のごとき講師が一方的に高齢者の皆さんに向かって話すことはおこがましい。いくつかテーマを決めて語り合った。テーマとは「ふるさと」と「昔、美味しかった食べ物」の二つだ。

 話したくない人に無理矢理指名するのもどうかと心配したが、皆さん生き生きとして自らいろんな事を語って下さった。美味しいものとして上がったのは、「タバコの乾燥場で焼いたトウモロコシ」、「自家用の粉糠イワシ」、「小豆のおはぎ」、「焼いた里芋」、「黄な粉のおにぎり」、「青豆の呉汁」、「鮭のなれ寿司」……、と思い出と共にいろんな食べ物を紹介して下さった。

 モノの乏しかった時代のいろんな話が飛び出しとても楽しかった。続いてみんなで「ふるさと」を歌った。最後は、私の作詞作曲した民謡『勝ち山ほがらか音頭』をみんなで踊った。何人かから「また来て下さい」と声がかかった。楽しい高齢者サロンだった。

『高齢者サロン』での民謡指導。高齢者の方々も楽しそうに踊って下さった。

(日記 今朝は午前二時まで紙芝居の絵を大きくするためにパワーポイントを使って紙芝居を映像化した。午前中は一度家内と脚本の読み合わせをして平泉寺公民館で行われる『高齢者サロン』に出かけた。午前10時から正午過ぎまで楽しく時間を過ごすことができた。そして二人で昼食もいただいた。午後は、『かたせ瓦版』づくり。午後6時までに何とかできあがった。早速班長に配った。午後7時半より平泉寺の集会所で明後日の祭り時の民謡の指導。昨年から平泉寺では民謡復活を目指しているので今年も積極的に応援したいと思う。今日は、2度も民謡の指導を行ったことになる。)

 
 

優先順位

22 8月

先ず必要な現状分析
   組織は、何を優先して物事を進めるのだろうか。一般大衆受けのすることを優先するのだろうか。それとも、一部の集団の利益を優先して物事を進めるのだろうか。それとも、今最も必要なことを優先するのだろうか。

  教育を例にとるならば、テストの点数を優先するのだろうか。現実には、テストの点数が優先されることが少なくない社会であるだけに、無視せよとか軽視せよとも言えない。しかし、教育行政で最も優先すべきことはテストの点数ではあるまい。個人が点数を優先するのはよしとしても。

  私なら、自分の頭で考えられる人間、自分の言葉で語れる人間、創造性と想像性を兼ね備えたリーダーシップのある人間を育てたいと思う。与えられた課題を黙々とこなすだけではこうした人間は育たないだろう。

 国体がやってくる。全体順位を上げることは大切だろう。しかし、国体を契機に県民一人一人が健康に留意し、スポーツに親しむことも選手強化と同時に大切だと思う。両者が大切だが、行政は往々にして選手強化に向かうだろう。

  政治の世界においても、何を最優先にすべきだろうか。増税だろうか。増税の前にすることがあるのではないかというのが多くの国民の声であろう。外野席から見ていると、個人の選挙が最優先事項であり、次が党の利益だろうか。いずれにしても、国民のための政治は最優先事項ではなさそうだ。

 先ずは、よく現状を分析し、何が最優先課題かを考えて、行動すべきである。学校においては、いじめ問題の解決は、全く優先課題ではなかったのだろうか。教育委員会や学校の対応、あるいはマスコミでの関係者の発言を見ていると、そう思えてならない。

  原発再稼働問題で、いつも気になるのは、原発は完成した技術なのだろうかということだ。「トイレなきマンション」と言われるように、温排水が処理できる技術が確立しているのだろうか。使用済み燃料を安全に保管する技術が確立しているのだろうか。

  安全だ、安全だというのは、国民の生命よりも、エネルギー不足を解決する方が優先度が高いからだろうか。それとも、原発村の住民を優先しているからだろうか。常識外れの専門家が多すぎるような気がする。そんなに安全なら大消費地に原発を作ればよいのではないいかという意見もうなずける。

  いま一度、いろんな部署で優先順位を考えてみる必要がありそうだ。もっともっと幅の広い視野を持ったリーダーが出てこないことにはこの国は、どんどん世界の中で信用されなくなっていくのではなかろうか。これは、県でも、市でも、村でも、家庭でも同じことだと思うが。

横浜へ帰る直前の孫達。いろいろあった夏休みだった。ラジオ体操も行けたし。

(日記 午前6時半、7月末から来ていた孫達の最後のラジオ体操の日だ。そして、午前9時過ぎに家内が車で福井まで送っていった。私は尻に火が付いている。しなければならないことが山積している。それにしても、あっという間の20日あまりだった。その後、私は瓦版づくり。今回は農業をメインにした。『農事組合法人かたせ』の理事長Nさんとの対談を掲載する予定だ。午後は、来月中旬に行われる和太鼓イベント『太鼓魂』で演奏する曲作りを行った。午後7時半より和太鼓の練習。明日発行の新聞がまだ半分もできていない。明日午前中は、平泉寺公民館でのふれあいサロンに行かなければならない。瓦版は夕方6時までには完成させなければならない。結構厳しいスケジュールだ。今夜は簡単にはねられない。)

初めて帰省した孫と玄関でパチリ。

 

和太鼓の練習。新曲にチャレンジだ。