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Archive for 8月 5th, 2012

先人の後を引き継ぐ

05 8月

変化する地域
  今日は、山道づくりの日だ。片瀬の全61戸を7班編制にし、各班ごとにローテーションで場所を決めて『山道づくり』をするのだ。昔は、区民が山道を使うことが多かった。しかし、今では生活のために山道を使うことはほとんどない。若者は何のための『山道づくり』かわからないだろう。

  しかしながら、昔から、ずっと『山道づくり』を行ってきた。山道の真ん中や両側に生えている草や灌木を草刈り機で刈り払い、横から出ている木の枝を伐採し、道路へ水が流れないようにセイバやスコップを使って「水抜き」を作るのだ。倒木はチェンソーで伐らなければならない。

  この作業で最も苦しいのは、草刈り機を担いで作業現場へ行くまでの道中だ。一番遠くの「三頭山コース」は軽トラックで大師山の頂上近くの「大谷(峠)」まで行き、そこから、約一時間登ったり下ったりしながら作業現場まで歩くのだ。夏場の暑さの中では苦労する。

 涼しいうちに作業をするために、通常は午前6時、早く作業を始める班は午前5時過ぎに現場へ出発する。暑くなると、体力を消耗するからだ。私はこの作業に中学3年生の頃から参加している。父親が早く亡くなったからだ。

  昔は、家族も多かったので、高齢者の代わりに若者が作業に出ることができた。しかし今は、少子高齢化が進み、高齢者しかいない家庭や高齢者で一人暮らしの区民がいて作業そのものに参加できない家庭が増えてきた。

  ここ数年このことが気になっていた。今のままでは、『山道づくり』の作業も危うくなる。そこで、『山道づくり』の歴史を区有文書などでいろいろ調べてみた。すると、いろんなことがわかってきた。

車で20分、山道を草刈り機を担いで歩いて1時間でようやく現場へ到着。しばらく休んで作業開始。高齢者には過酷な作業だ。

   現在私達は区の個人や区の共有林の沿道である山道の作業を行っていると考えていたが、昭和36年に当時の区長以下区民が、最も遠方にある大師山の奥の永代使用権を放棄していることが区有文書でわかった。現在所有権は勝山市に移っているのだ。

  少子高齢化が進み、作業が困難になった今こそ、区に関係する山の道づくりは継続しなければならないが、市の山まで作業をする余裕がない。しかも、市の山は集落から最も遠く、高齢者には作業現場へ行くだけでも困難なところだ。

  そこで、4月以来このことを市の関係者にお願いしてきた。今日は市の関係者が二人現場を視察するためにやって来た。草刈り機を担いで最も遠くに位置する市の山の沿道を見てもらった。私も、同行した。何とか、市の山の沿道部分は市の方でお願いしたい。

  先人が守ってきたものは後の私達も、守っていかなければならない。しかし、少子高齢化が進んでいる現状では、区以外の山の道まで作業をする余裕がない。守るべきものは守るがそうでないものは返上しなければ「山道づくり」そのものが継続されなくなる可能性があるからだ。

  ここ5年、10年で我が集落も、日本の変わるだろう。「持続可能」という言葉がよく使われるが、集落や農業の持続可能性を真剣に考える時期が来ている。夕方、農事組合法人のホームページづくりに関係している関係者と会った。後継者不足の農業にも、「戦略」が必要になってきている。

 先人が守ってきたいろんなものを取捨選択して、守るべきものはしっかりと守らなければならない。 また、時代に合わせて取り組み方も考え直さなければならない。今こそ知恵の働かせどころだ。

(日記 午前6時に村の神社前へ集合して、2班の区民と視察に来た市役所の2人といっしょに大師山の山道づくりに出かけた。現場へ着くまでにかなり疲れた。その後、自宅で休養。楽器練習。家庭菜園見回り。午後6時半から『農事組合法人かたせ』のホームページ作りを行っている関係者と意見交換。ホームページづくりに関する私見を述べた。組合にも「戦略」が必要だと考えている。)