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Archive for 10月, 2011

『アラ・セブンの養生訓』より

31 10月

高校卒業50年目の同窓会を終えて
   芦原温泉で、午前6時過ぎに目が覚めた。早速一風呂浴びるために、屋上の大浴場へ。平日にこのようなことが出来るのは退職者の特権か。その後、朝食。

  朝食の会場で、次回の同窓会幹事を頼まれた。開催するかどうかも含めて、私に任された。当然、市内、県内に住む連中には協力を頼まなければならないし、他の連中にも、意見を聞かなければならない。

   私の腹案としては、全員が70歳になった後がよいのではないかと思っている。朝食をとりながらみんなで語り合った。話題は尽きない。その中で昨日、医師のAさんが話してくれた『アラ・セブンの養生訓』に話が及んだ。その中に、次のような部分があった。
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3.時間を無駄遣いせず生きる
      いままでは、先に目標が自然にあった。これからは待っていても何も生まれない。自分の出来る範囲で目標と計画を立て余命と思わず、時間を無駄遣いせず毎日を生きる。
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  同感である。自分の出来る範囲、出来そうな範囲で目標や計画を立てるということには大賛成だ。私の場合、この部分では、自分なりの考え方を持っている。

   それは、誰かの役に立っているという充実感がほしいということだ。退職の挨拶時に、皆さんの前で、「退職後は、地域のため、家族のため、そして、自分のためにいろんな活動をしたい。」と。

   私の場合、趣味だけでは生きていけないと思っている。趣味が誰かの役に立つならいいが、自分のためだけでは私自身は満足感が得られないだろうと思っている。誰かの役に立っているという実感があって、趣味的な活動に没頭できると思っている。

  自分の活動の核(中心)になっているものは、「地域や家族のための諸活動」と「長年親しんできた数学」であると思っている。この二つがあって初めて、音楽があり、イラストや写真など趣味的な活動があると思っている。

   また、今回の同窓会に参加して感じたことは、これまで以上に健康には留意しなければならないということだった。しなければならないというのではなく、楽しみながら健康になるような活動が出来ないかを考えてみたいと思っている。

今年の5月頃までは、私には全く知らなかった連中ばかりだ。一つ共通していることは、大学の軽音楽同好会のOBであるということだ。今では私には欠かせない仲間だ。来年の演奏会に向けて誰もが張り切っている。

   バンド活動は、「アラ・セブンの養生訓」の“人との関わりを持ち続けよう”の項目にあてはまるのではなかろうか。全員年下だが、同級生みたいな関係だ。みんなとバンドをするのが楽しくてしょうがない。

(日記 午前中は、9時半頃、芦原温泉を出て帰宅。その後、4時間目の選択音楽『和太鼓』の授業のために、北部中学校へ。昨日は、遅寝早起きで寝不足。久しぶりに少し昼寝。その後、パソコンのファイル整理。午後7時半より、「オカリナ教室」へ行く。)

 
 

高校卒業50年目の同窓会

30 10月

よみがえる高校時代
高校卒業50年目の同窓会が芦原温泉で行われた。午後4時頃には、かつてのクラスメートが集まりだした。先ずは挨拶と雑談。そして、居合わせた者で写真を撮り風呂へ入る。

そのまま、懇親会の会場へ行き、全員で記念写真。そして、乾杯の後、各自が近況を述べ合った。それらを聴いていて、それぞれが自分の生き方を見つけて頑張っている様子が伺えた。

勝山高校卒業50年目の同窓会に集まったクラスメイト達。

楽しいひとときであった。その後、男子の大部屋で3人が話題提供。まず最初に私が、同級生の一部から集めた高校時代の写真をスライドで示して話題を提供した。

「あれは誰だ」と言い合いながら、スライドをすすめた。なかなか名前の思い出せない者、すぐに名前の思い出せる者などいろいろであった。

2番手は野鳥の写真を撮っているY三が、野鳥について話題を提供した。野鳥の特徴や種類などの説明をしてくれた。見事な野鳥の写真や自分に出版した本も回覧してくれた。

最後に、医者のAさんが「アラ セブンの養生訓」のタイトルでまもなく70歳を迎える私たちの健康的な過ごし方について話題提供してくれた。とても参考にあった。

『アラ・セブンの養生訓』について語る同級生の医師Aさん(同窓会の茶話会で)。

すでに自分で気をつけているものもあれば、今後気をつけなければならない部分もあった。特に、「主治医は自分」や「時間を無駄遣いせずに生きる」という項目などは参考になった。

他にも私たちが健康に過ごすためのアドバイスが書かれていた。帰ってからそのいくつかを楽しみながら実践してみたいと思う。

私の“トーク・アンド・ミュージック”の中で『片瀬豊年ばやし』を歌う旭さんと妻。

(日記 午前12時頃自宅を出発。平泉寺公民館へ向かった。今日は「平泉寺公民館祭」だ。私は12時50分から30分間「想いは歌で伝えたい」というタイトルで“トーク・アンド・ミュージック”を行った。自作の演歌と民謡をDVDカラオケで旭義明さんに歌っていただいた。2曲は妻が前歌を歌っ

“トーク・アンド・ミュージック”の最後には、地元平泉寺の人達といっしょに『勝ち山ほがらか音頭』を踊った。

た。特に、今日初めて人まで歌っていただく歌謡浪曲『幕末青春記 龍馬』は自作ながら旭さんの歌唱力のおかげでよいできだったと思った。その後、水菜の苗をもらいに村のNさんの畑へ出かけた。妻が植えてくれることになっている。私は、『高校卒業50年目の同窓会』に参加するために芦原温泉へ向かった。楽しい同窓会だった。)

文化祭の発表を終えて挨拶する私。

 
 

変化に富んだ一日

29 10月

朝から晩までてんてこ舞い
  今日はかなり変化に富み、多忙な一日だった。しかし、どれもこれも興味あるものばかりだった。今日からの三日は本当に忙しい。どれもそれなりの準備が必要だからだ。

「子育て支援センター祭り」で、家内と二人協力して「手遊び歌」を演ずる。

子育て支援センター祭り

   まず最初の出番は、「子育て支援センター祭り」でのパフォーマンスだ。この日に向けて、何をするかを考えた。相手は、0歳から3歳までが中心だ。それに、それらの子どもの兄弟達も参加すると考えていた。

  しかし、今日は行事が多いので、そんなに人が集まらないだろうと思っていた。しかし、かなりの親子が集まっていた。ます最初は、3分間でスピーチ。自分なりに子育てのヒントを語った。

  次は、家内が、「手遊び歌」を3曲歌った。私はアコーデオンで伴奏だ。家内は、ヘッドフォンマイクで両手が自由なので、大きなジェスチャーで歌っていた。

  そして、「かくれんぼ」と題したアイディア紙芝居だ。1、2歳中心に考えた紙芝居だが、4、5、6歳児もいて先に答えを言うのでで、少し困った。2枚一組の紙芝居だ。

   1枚目の紙芝居には、カッターで切り抜いた部分があり、そこからその下に隠れているキャラクターが見えるのだ。そして、それを当てるというものだ。子ども達は、答えを言おうと一生懸命だった。このアイディアは当たったと思う。

子ども達も保護者も一緒に手遊び歌に協力してくれた。

  紙芝居の最後に、紙芝居に登場したキャラクターの人形(家内が作ったもの)を登場させ、アンパンマンの歌「勇気リンリン」を歌って紙芝居を終えた。

  次は、短い子育てコメント。最後に、みんなで、「幸せなら手をたたこう」を歌ってパフォーマンスを終えた。私の子育てマイスターとしての最初に仕事だ。その後、バルーンコーナーの手伝いをした。そして、弁当をみんなで食べて祭りは終わった。

「かっちゃま児童文学会」発会式
   午後1時半より、藤井則行先生に指導していただいた「市民大学」の「童話講座」は約5年で閉じられた。そのご会員有志の中から「童話同好会」的な会をつくろうという話が持ち上がった。

  事務局は引き受けるので、代表になってくれと頼まれた。そして、今日、勝山市立図書館で発会式が行われた。たくさん行事があって欠席者もあったが、約10名でスタートすることになった。

自作のアイディア紙芝居を演ずる家内と私。子ども達も積極的に参加してくれた。

  そして、年に一度は童話の会誌を作ろうということを決めた。顧問には、これまで指導していただいた藤井先生をお願いすることにした。市民大学講座の仕掛け人としては、勝山にこうした童話サークルが出来ることは非常に価値あることだと思う。

「親子太鼓」の練習
   午後4時から親子太鼓の練習。来月の6日の「JA祭り」にデビューすることになった。約4ヶ月の練習で少し人前で演奏できるまでになった。保育園児3人、小学1年生2人とその保護者で、JA祭りにデビューするのだ。

「想いを歌で伝えたい」自作演歌・民謡ショーのリハーサル
   いよいよ明日は、平泉寺町の文化祭だ。今年は、平泉寺町に縁のあった1年だった。盆踊りの指導、紙芝居、祭りでの盆踊りの復活、町民運動会での総踊りなどだ。そして、最後は、文化祭に30分間何かやってくれということだ。

     文化祭のように不特定の人が出たり入ったり、飲食したりする場所では、話しなどしても聞いてはもらえないように思う。最初は、「平泉寺の人に盆踊りを指導してほしい。そして、それを文化祭で踊ってもらいたい。」と依頼されたと思っていた。

   しかし、2週間ほど前に確認すると、「文化祭に何かをやってもらいたい」と公民館側が私に伝えたつもりだったらしい。急遽、思いついたのは、30分の持ち時間の内、話10分、自作の演歌・民謡を20分(DVDカラオケで旭義明氏)披露するつもりだ。

「かっちゃま児童文学会」の設立総会。(於:勝山市立図書館で)

  このDVD作りには、手を焼いた。南小学校のS先生にお願いしてようやくDVDに焼くことができた。パソコンのデータが充満していて、動作不能と言うことだった。

「農事組合法人かたせ」の臨時総会
     午後7時半より、集会所で法人の臨時総会があった。議案は二つ。直播きの田植機購入の件と草刈り・水管理の手間代のアップの件だ。いろいろ意見が出たが、原案通りに可決した。9時頃会議が終わった。

(日記 朝一番に紙芝居や手遊び歌のリハーサル。午後10時に子育て支援センターへ行き、「手遊び歌と紙芝居」に出演。ユニフォームは、ホームステイしていただいたアメリカ人のカーラさんからいただいた緑色のTシャツ。私達二人のチーム名は二人劇団「やまびこ」だ。山彦のように、アトラクションが一方通行にならないことを祈る。午後1時半より、「かっちゃま児童文学会」の設立総会に参加。代表に選ばれる。午後5時半より平泉寺公民館で明日の「想いは歌で語りたい~自作演歌・民謡ショウ」のリハーサル。マイク調整、画像調整。午後7時半より、「農事組合法人かたせ」の臨時総会。忙しい一日だった。)

 
 

第二の人生に音楽を

28 10月

軽音楽部OB会・福井バンドの反省会
   福井大学軽音楽同好会の創部50周年記念OB会に参加してから、約2週間が経った。今日、午後7時から福井バンドの反省会が福井駅近くの居酒屋で行われた。

   私にとっては、ただ一人だけがかろうじて同時代を大学に過ごしただけで、後のメンバーは全て私が卒業してから、大学へ入ったメンバーだ。しかし、今では、同じクラスの人間よりも親しく思う。

   静岡でのOB会には参加したが、バンドをやらなかったメンバーも一人来ていた。大学時代はトランペットだったらしい。「この前の演奏を聴いてあれくらいなら自分も出来そうだ」と思ったらしい。

   それもそのはず、ほぼ全員が40年数年ぶりに楽器演奏を再開したのだから。そして、誰もが口にすることは、音を出すまでに時間がかかるということだった。私も同感だと思う。

  例えば私の場合、ドラムを例に取ると、楽譜は読めて簡単に叩けそうだが、速い曲になると、手の筋肉がハイスピードについてこないのだ。トランペットの連中は唇が言うことを聞かないらしい。1年ほど練習すればどうにかなるかもしれないが、短期間では無理だということだ。

  しかし、OB会に参加した者のほとんどが、来年もやろうという気持ちになったようだ。もちろん我が「福井バンド」の連中も同様だ。「デキシーランドジャス」をやりたい、「ハワイアン」をやりたい、「カントリー(ウエスタン)」をやりたい、「ジャズ」をやりたい、「ラテン」をやりたい、「ロック」をやりたいと、大いに盛り上がった。

  時間を忘れて音楽談義に花が咲いた。早速、忘年会をやろうということで話しがまとまり、日にちまで決めて帰宅した。「第二の人生に音楽を」はみんなの合い言葉になったようだ。

(日記 午前中、日曜日の平泉寺町文化祭で」発表するための「DVD作り」を行った。最後の段になってパソコンがうまく作動しなかった。余裕は一日しかない。南小学校のS先生に助けを求めた。また、家内と二人で、明日の「子育て支援センターまつり」で演ずる「手遊び歌と紙芝居」の練習を家内とした。私の役割はアコーディオンと紙芝居と子育てに関する短いメッセージを伝えることだ。相手が、2歳前後だけに、盛り上がるかどうかが心配だ。午後7時から福井で軽音楽同好会OB会に参加した「福井バンド」の反省会が行われた。大いに盛り上がった。これからもずっと、演奏会が続きそうだ。68歳の私を頭に、60歳代が続く「じいちゃんバンド」だが、みんなやる気十分だった。)

 
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法人の里芋畑で集団作業

27 10月

里芋畑はコミュニケーションの場
   一昨日、「里芋の収穫に出てもらえんやろか」と「農事組合法人かたせ」の理事長のNさんから電話がかかってきたので承諾した。そして、今日がその里芋収穫の日だ。

   午前8時に法人の農舎前へ集合。男女合わせて15人が集まった。作業は午前中だけ。先ず、畝の両端8株ぐらいはスコップで里芋を掘り起こした。

法人の畑で里芋の収穫。腰が痛い作業ではあるが、作業中の会話は楽しい。

  トラクターの後ろに里芋を掘り取る機械を取り付けて作業をするのだが、機械がターンするための場所が畝の両端にほしいのだ。機械を使うと、里芋を掘り起こすスピードは人力の比ではない。

   しかし、掘り起こした里芋の株から手で小芋をばらす作業は腰が痛くなる。作業は午前中だけなのでまだ我慢が出来る。腰はたしかに痛くなるが、たくさんの人が集まって作業をするのは楽しい。

   車社会になり、これまで個人で農作業をしていたが、法人が作る里芋畑の作業は、多くの人が関わるので、作業をしながら、いろんなことを話すことが出来る。現在の村の様子から昔の村の出来事まで話題は尽きない。

   この共同作業に出るようになってから、村の人達と話すことがとても多くなった。また、郷土芸能『片瀬豊年ばやし』の練習でもよく話すようになった。この郷土芸能には新しく村へ引っ越して来た人も参加している。それまでは名前さえもよく知らなかった人が、今では元々村に住んでいたかのように地域に溶け込んでいる。

里芋を株ごとに掘り取るトラクター。小芋を親芋から外すのは手作業。

 後継者不足のために法人化した今の農業形態は、共同作業が多く、区民がコミュニケーションを図る機会が多くなった。個人的に畝を借りる場合にも、場所が特定されているために自分の畝で作業をしていると、他の人たちも近くで作業をしている場合が多く、ここでも、交流が深まっている。

 私にとっては、共同作業は楽しい。この形をこれからも残していくためには、区民の協力が不可欠だ。時々、無責任な発言をする人もいないではない。後継者不足を頭に置けば、この法人を壊してはいけないと思う。

(日記 午前中、里芋掘り取り作業。腰が痛くいなったが、いろんな人と話すことが出来てよかった。共同作業は時間を忘れる。午後、日曜日に行われる「平泉寺公民館祭」に使うDVDの編集作業。途中で、土曜日に行われる「子育て支援センターまつり」の演目を家内と二人で練習した。夜は、二人で、紙芝居の練習もした。)

 
 

容量オーバー

26 10月

的を絞らなければと思うが
   最近、技術の進歩についていけないことが少なくない。特に、パソコン関係では新しい技術を会得することは大変だ。パソコンで何がやりたいのか、私は的を絞り切れていない。

   歌作りのために、「音楽ソフト」を使うが、新しいバージョンについていけない。例えば、最新のバージョンを購入したが、結局は1つ古いバージョンを使い続けている。新しいものになじめない。

   絵を描いたり写真の加工も同じようなところがある。私はアドビの「フォトショップ」を使う。同じアドビの「イラストレーター」を持っいるがほとんど使えない。絵を描くのも苦労する。

   映像編集もそうだ。アドビの「プレミア」を持っているが、所々しか使えない。今まで、他人に頼りすぎていたからだ。何とか、映像編集の最低の技術でも身に付けられればと思っているが、まだまだ不十分だ。

  また、最近、せっかく覚えたことを忘れてしまう。やっと身に付けた技術でも、しばらく使わないと忘れてしまう。マニュアルを見ても、分かるところと分からないところがある。

  でも、映像編集の技術だけはしっかりと身に付けて、自分の作品を「YOUTUBE」にアップできればと密かに考えている。パソコンに関しては、「的を絞らなければ」と思っているこの頃である。

   パソコン以外でも、的を絞りきれない私である。常に家内に言われることだ。「何かに的を絞ったら」と。それもそうだと思いながら、決断できない自分がいる。忙しさは現役時代とあまり変わらない。

(日記 午前中、映像入りのカラオケDVDづくり。平泉寺の文化祭に使うためのものだ。午後1時より、猪野瀬の「さわらび会(食生活改善推進員」のみなさんに新しい民謡の振り付けを指導した。皆さん楽しそうだった。午後6時半より、所用で市役所へ出かけた。昨年までの仕事仲間と会い、懐かしかった。午後8時頃に和太鼓の練習に顔を出した。少しずつ、新しい演目が完成してきた。「JA祭り」が楽しみだ。)

 
 

盆踊り復活に向けて

25 10月

新たな試み
   私は、盆踊りの復活に向けて様々なアクションを行っている。そして、少しずつ成果が出ていると思っている。村岡町、遅羽町、そして、今年から平泉寺町でも、盆踊りが広がりを見せている。

   しかし、私の地元の猪野瀬は早くから行動を開始した割には、広がりがいまいちである。「おわら風の盆」を参考に作り上げた『勝山よいとこ』を最初に試験的に踊ってもらったのは、猪野瀬の「さわらび会」の皆さんであった。

   会員は、食生活改善推進員であるが、盆踊りにも力を入れて下さっているのでありがたい。今年の「猪野瀬公民館祭」でも私の作った『勝山よいとこ』と『勝ち山ほがらか音頭』を踊って下さることになっている。

手ぬぐいを使った盆踊りの練習に励む「さわらび会(食生活改善推進員)」のみなさん。(於:;猪野瀬公民館和室)

   『勝山よいとこ』は「おわら踊り」のように優雅に踊ってくれればそれでよいと思っている。一方、『勝ち山ほがらか音頭』は、誰でも踊れる盆踊りなので、ステージではどうしても単調にみえる。見栄えがしないのである。

  そこで、『牛深はいや節』を参考に、「手ぬぐいを持つ踊り」と「鍋のふたを持つ踊り」の振り付けを考えた。こうして、単調の踊りの合間に、ステージ用として、これらの2種類の踊りを従来の踊りの合間に加えたいと思っている。

   「さわらび会」の皆さんは、いつも私の新しい試みの実践者として頑張って下さっている。今日は、その第1回目の練習会だった。最少は難しいだろうと思って、踊りの練習の前に、

   「3分や5分で踊れるような踊りは、見る者に感動を与えることは出来ません。難しくても、少し練習した踊りを町民の皆さんに見てもらいたいと思います。」
 と話した。

   今日は手ぬぐいを使う踊りを中心に練習した。みんな汗をかいていた。いい運動になったようだ。明日は、鍋ぶたを使った踊りを一緒に練習するつもりだ。本番では見ている人に少しでも感動を与えられたらと思う。

(日記 午前中、モノ探しをしながら、「高校の同窓会の映像資料」と「平泉寺公民館祭に使う映像資料」作りを行った。午後1時半から猪野瀬公民館で食生活改善推進員の「さわらび会」の皆さんに新しい盆踊りを指導した。みんなで楽しくやれたと思う。今日は、モノ探しに多くの時間を使った一日だった。捨てなければならないモノがかなりあった。心を鬼にして近々モノを廃棄したい。)

 
 

「2週間前」行動

24 10月

土壇場では緊急事態に対応できない
   現役時代には、よく「3分前行動」という言葉を聞いた。例えば、授業や会合や会議では、3分前に教室や集会所や会議室に入ることが望ましいとされた。当然のことであろう。

   私も、最初に赴任した学校では、生徒たちから「ジェット機」というニックネームをもらった。当時は、授業に行くのが楽しくて、3分以上前には教室に入っていた。そして、生徒たちと雑談したりして授業開始のチャイムを待っていた。

   年配の教員の中には、チャイムが鳴ってから職員室を出て教室に向かう者も少なくなかった。そういう人から見れば私は早く教室に出かけた方だろう。その後も、教員を辞めるまで教室へはなるべく早く向かうことを心掛けていた。

  しかし、最近は、体よりも心の方が忙しくて、いつも“あと一日あれば”状態になっている。そして、ぎりぎりに間に合わせてきたために、「なんとかなるさ」で今日まで来た。そして前日は、「あと一日あればなあ」になってしまっていた。

11月6日のJA祭りに備えて練習する我が社中『越前勝山春駒太鼓』(山児童館スタジオにて)

  今回こそと思って、土曜日に演ずべき幼児のための紙芝居を1週間前から作っていた。絵の方は先週までに仕上げてあったが、プリントアウトしてなかった。全部で8組(16枚)中、4組(8枚)まで印刷したところで、プリンターが壊れてしまった。7年あまり前に買ったプリンターだ。

  他にもプリンターを持っているが、「A3ノビ」が印刷できるのは今回壊れたプリンターしかない。今朝、大野の「100万ボルト」へ持って行ったところ、「10日間はかかる」とのことだった。今回こそ、「三日前」に完成と思って取り組んだが、こういうハプニングもあるのだ。

  「三日前」でも間に合わないのだ。5月頃から、今週末(10月29日)に「子育て支援センターまつり」があることは分かっていたことなのに。我ながら情けない。これからは、パソコンやプリンターの故障のことを考えると、「2週間から1ヶ月前」行動をしなければならないのだろうか。

   今回は、同種のプリンターを持っている人に助けてもらわなければならない。退職したのだから、もっともっと余裕を持っていろんなことにチャレンジしたいものだ。

(日記 開店時間に合わせてプリンターを持って100万ボルトへ出かけた。故障が直るのは10日間かかるとのことだった。帰宅後、今度の日曜日にある「平泉寺公民館まつり」で使う自作の演歌・民謡のカラオケを作っていた。午後も、作業を続けた。これも、土壇場での作業だ。幸い、CDを作るまでパソコンは壊れなくてよかった。しかし、プリンターが壊れていたので、ラベル印刷ができなかった。これからは、「2週間前行動」を目指そう。午後7時半より、和太鼓の練習。11月6日まであまり時間がない。見ている人たちが、新曲にどう反応してくださるか、楽しみだ。)

 
 

郷土芸能と余興

23 10月

両者の違いは?
   「郷土芸能」は文字通り“郷土の芸能”であって、それぞれの地域の人達が作り、伝え、育てた芸能であろう。地域独自のものであり、これから先も、代々伝えていく芸能である。

   一方、余興は、宴会などに面白みを添えるために行う演芸であると辞書にはある。地域を問わず、内容も問わず、面白ければよいという側面がある。

   これに対して、他地区の芸能を伝えている場合はどうであろうか。例えば、我が地区では、100年近くの間、島根県の「安木節」と「銭太鼓」と「ドジョウすくい」を伝えてきた。そして、結婚式や地域の文化祭などでこれらを演じてきたのである。

   「出雲~♪」と、片瀬でやっても、それは余興の域を出なかったのではなかろうか。たとえ粗末な芸でも、地域の独自性があれば、それなりに認められるものである。そう思って昨年新たの郷土芸能を作った。

  とはいえ、100年も続いた我が村の「銭太鼓」を新しくするために、それらの伝統を生かしたことは言うまでもない。バチの振り、ドジョウすくいのユーモアなどは、新しい郷土芸能『片瀬豊年ばやし』に引き継いでいると思っている。

  今日は、「さくら莊」の文化祭があった。我々「片瀬豊年ばやし」一行は、『片瀬豊年ばやし』を演ずるために、「さくら莊」へ向かった。何度か演じているので、少しずつ完成度は上がっている。

 今日初めて小学生も女踊りで参加した。今後若者も練習に参加することになっている。中学生も練習したいと言ってるらしい。子ども達に引き継がれて、初めて郷土芸能として引き継がれていくのではなかろうか。

  我々は、あくまでも我が村の『郷土芸能』として、育てていきたいと思う。芸能と名が付くからには、それなりのレベルを維持しなければならない。やるからには、本気で取り組まなければならない。そうすることによって、楽しさも湧いてくる。

今日は画像がないので、先日の「三室祭りの写真を掲載した。銭太鼓の途中に演ずる「米俵芸」の一場面。

  この『片瀬豊年ばやし』は、芸能であると同時に、まちづくりにも大いに役立つと思っている。後継者のいない片瀬の農業をこれから先にも守るためには、区民の連帯が必要であり、そうした気運を盛り上げるためにも大いに役立つと確信している。

  そんな思い出、「片瀬豊年ばやし」の法被のマークは、「農事組合法人かたせ」のマークと同じになるように作成した。両者は、私の中では一つのものであると考えている。両者は車の両輪であると思っている。

(日記 午前10時過ぎより、「さくら莊」の文化祭で「片瀬豊年ばやし」を披露した。開会式と直後で来賓も参列していた。法被の襟に書かれた「芋と生姜と旨い米」をアピールできただろうか。あの『片瀬豊年ばやし』を演ずる人たちが作った「芋と生姜と旨い米」を手に入れたいという方向へ進めばと思う。そのためにも、本物の作物を生産すべきであるし、本物の芸を目指していかなければとも思う。帰宅後、紙芝居作り。途中で、プリンターが故障して、作業が中断してしまった。A3ノビを印刷できるプリンターとなると私の身近にはない。修理に出す時間的余裕はない。週末の「子育て支援センター」でのアトラクションに黄色の信号が灯った感じだ。)

 
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北前船と民謡の伝承

22 10月

思わぬ所に共通点が
  「佐渡おけさ」のルーツは「牛深ハイヤ節」であるという。「牛深ハイヤ節」は興味のある民謡だ。九州の西端にある牛深の民謡が北前船によって」全国各地へ伝わったとのことである。

  各地に、「ハイヤ節」と言われる民謡がたくさんある。私がハイヤ節に興味を持った理由はいくつかある。一つは、「牛深高校」の皆さんが踊った「牛深はいや節」が全国高校総合文化祭の郷土芸能大会で何度も優勝していること。

  もう一つの理由は、家内の姉が牛深へ嫁いでいるからである。さらに言えば、民謡そのものはとてもテンポが良く、聞いていて元気になるようなところがある。

三室祭りで披露する米俵芸

  いつかは、このように調子の良い民謡を作ってみたいと思う。我が勝山の伝統的な民謡『長柄節』もルーツは九州でそれが能登に伝わり、勝山へ伝わってきたのではないかと、町の歴史家から聞いたことがある。

  今日は、『片瀬豊年ばやし』の練習があった。この歌を作るに当たって、九州の民謡をたくさん聴いた。テンポの良いところを利用させていただいたと思っている。明日、『さくら莊』で、この『片瀬豊年ばやし』を発表することになっている。

   少しずつ、村の民謡として定着していきそうである。ありがたいことだ。今回も、米俵芸を挿入することになったいる。まだまだ、楽しい芸をこの歌に加えることが出来ると思っている。

  私のアイディアでは、「米俵芸」の次は「餅つき芸」」、」さらにその次は、「農作業芸」を創作したいと思っている。さらに、これらの芸を生で演奏し、歌うことも目標だ。村の人たち

『片瀬豊年ばやし』の練習風景。

が、この『片瀬豊年ばやし』を育てて下さっていることに感謝したい。

(日記 午前中、「子育て支援センター」で演ずる「紙芝居」作り。午後も、作業を継続。時々、福井の孫達が私の周りにやってくる。男二人でヤンチャではあるが、可愛いところもある。午後、7時半より、『片瀬豊年ばやし』の練習。明日の『さくら莊』での出演を成功させたい。)

時々現れて悪さをする孫。でも、好きなようにやらせておく。ギターを壊さなければよいがと内心ひやひや。