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Archive for 11月, 2014

収穫感謝祭

30 11月

米価の下がる中で農業を守る

そば切り、そして餅つき。私は臼取り。

そば切り、そして餅つき。私は臼取り。

 今日は、村で作った『農事組合法人かたせ』の収穫感謝祭。私は、膝の手術をした後なので、今日はいつものソバ打ちではなく、そば切りを行った。たくさんのそばを切ったので、指に血豆ができた。

 その後、餅つき。男二人と子どもで餅をついた。私は、臼取り。昔は、母や祖母がやっていた仕事だ。美味しそうな餅がつきあがった。農舎では里芋を始め、野菜の販売。

 その後、集会場で収穫を感謝して宴会。打ち立てのソバ、里芋の煮っ転がし、焼き鳥、イノシシ肉の焼き肉、漬け物などがあり、酒とビールを飲みながら歓談。子どもたちも参加し、県議、市議も加わり、賑やかに収穫を感謝。その後、ビンゴで商品ゲット。

 後継者不足の農業ではあるが、何とか村で組合を作って、こうして収穫を感謝できることはよいことだ。私も、田植えや稲刈りには人足として参加した。

家内は農舎で野菜販売の手伝い。

家内は農舎で野菜販売の手伝い。

 間もなく衆院選挙。農業についてあれこれ各党が述べているが、農業のことを知っている人はどれだけいるのだろうか。農業まではアベノミクスが届いていない。米価は一俵あたり2000円も下がったのだ。今日は、そんなことは別にして、みんな楽しく収穫を感謝し、楽しいひとときを送った。

(日記 午前中は、私は、集会場で収穫感謝祭の準備。今日はそば切り、餅つきなどを行った。家内は、組合の農舎で野菜の販売に出かけた。午前11時からは、全員が集会場に集まり、収穫感謝祭。腹一杯いろんなものを食べることができた。午後3時頃から、自転車で事務所へ行き数学。家内は野菜の収穫。途中で、トマトの支柱を解体。充実した一日だった。)

 

収穫感謝祭スナップ。ソバ打ち、焼き鳥、宴会。楽しい収穫感謝祭だった。

収穫感謝祭スナップ。ソバ打ち、焼き鳥、宴会。楽しい収穫感謝祭だった。

 
 

「現状分析」「前例改善」「内容重視」で“まちづくり”

28 11月

「前例踏襲」は退歩
 事に為すに当たっては「現状分析」,「前例改善」,「内容重視」は,現役時代,私が大切にしたことである。退職した今は、地区の活性化委員会に所属し、微力ながら何ができるかを考えている。

 何か行動を起こす場合に、唐突に「〇〇をする」とか「〇〇をしてはどうか」と言われても,困惑する。目指す方向を明らかにして行動しなければ持続しないし理解もされない。

増田寬也氏の『地方消滅』。この本を使って人口問題を話し合ってみたいものだ。

増田寬也氏の『地方消滅』。この本を使って人口問題を話し合ってみたいものだ。

 地区の活性化委員になって最初に考えたことは、最初の「現状分析」であるが、「今、地域はどうなっているのか」、「地域では何が問題なのか」を考えてみた。特に、地域の人口構成を調べることから始めた。私のような個人ではなく、国や省庁、地方自治体でも同じことだと思う。最近起こったことを、一例に出せば人口問題がある。

   今春だっただろうか,日本創成会議の増田寛也座長が,新聞や雑誌等で「2040年には、20歳~39歳の女性が50%の市町村で半減!」、「地域が消滅する」と発表し、日本各地に衝撃を与えた。我が勝山市も、大幅に人口が減少し、「町」と人口が逆転するそうだ。その後、各地で人口問題がにわかにクローズアップしている。他から指摘されるまでもなく、行政は常にこれらをつかんでおくことが必要ではなかったのか。

 私は、十数年前から今年まで勝山市や自分の地区の人口データを市役所で入手している。我が集落では、一人暮らし、二人暮らし、三人暮らしの家庭を調べてみた。残念ながら、我が集落では、「一人または二人暮らし」の家庭が、全戸数の3分の一に達している。これでは10年後、20年後に集落はどうなるかがわかってしまう。当然このことは月二回発行の瓦版で区民の皆さんにお知らせしたが、対策は簡単ではない。我が集落も、我が地区にとっては大きな問題だ。何をすればよいかを考えている。難問だ。

(日記 午前中は,昨日の大工仕事の続き。空きスペースを生かした収納スペース作り。市販のものはスペースに無駄が多いので、廃棄して手作り。特に、空間を活用した収納を考えた。午後も作業を継続。午後3時から,事務所で数学。途中で、Aさんがやって来た。再来週の土曜日のまちづくりの発表についてだ。活性化委員会の活動を発表することになっている。夜は、市民活動センターでこれまでの「エコミュージアムによるまちづくり」から、「ジオパークによるまちづくり」についての会合に出席。市長の説明を聞いた質疑が行われた。元役所勤めのみには疑問や意見の相違については意見が言いづらいところがあった。)

 

スペースを有効に活用した“収納”場所づくり

27 11月

年末になるとなぜか大工仕事
この年になると、いろんな衣服がたまってくる。ショッピングで気に入ったと思って買ったものが、一度着ただけで、もう着ないもの、他人からもらったものなどたくさんある。

箪笥は一杯になり、市販の衣装ケースも思うように収納できない。それは、使えるスペースと収納ケースの大きさがうまくマッチしないからだ。また、空間を利用できないものもある。

そこで、今日は、衣裳をたくさん収納できてそのうえ、空間もうまく利用できる衣裳収納具を作ることにした。まず、白紙におよその形を書いて必要材料を割り出し、ホームセンターへ向かった。

角材やねじくぎ、ベニヤ、ステンレスパイプなどを買い、作業を始めた。どこをどう組み合わせると、スペースを有効に活用できるかを考えながら、作業を始めた。特に、収納具の上のスペースも有効に活用したいと考えた。

およその形が出来上がったところで夜になってしまった。明日も作業を続けなければならない。完成したとき、家内はどう思うだろうか。こちらは自信があるつもりだが、明日にならなければわからない。市販のものはこちらの空きスペースのことを考えてくれない。そのため、毎年暮れになり整理整頓を始めると、大工仕事が始まるのである。モノを作ることは楽しみでもある。

(日記 来週は東京へ行くので、今のうちにと思って、年末の掃除や整理整頓を始めた。今日は、衣服の整理をするための、場所づくりを始めた。箪笥からはみ出した衣裳は市販の衣装ケースにハンガーで吊ってあるが、スぺースが有効に使われていない。そこで、自分で作ることにした。ホームセンターで、材料を買い、作業を始めたが、夜までには終わらなかった。続きは明日だ。夜、先日収録した猪野瀬地区のまちづくりの様子がNHKで放映されていた。数人の知人から見たよとのメールが届いた。)

 
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地域への関心

25 11月

家庭と職場で完結する日々の生活
現代人の生活は大人も子どもも家庭と職場(または学校)の往復で完結しているように思われる。子どもなら、自宅と学校を往復し、それに習い事などで教室や練習場等を往き来すれば生活は成り立つ。
自由な時間があれば、テレビやゲームなどで過ごすことができる。少し大きくなれば携帯家ネットがあり、友達との連絡はメールで済ませることができる。大人もよく似ている。

職場が広域になれば、自由な時間はそんなに多くはない。土・日は身体を休めたり、家事や家庭サービスなどに追われて,とてもではないが、地域で活動する精神的な余裕はないように思われる。
先ず最初に自分の生活があり、よほどでないと、地域の活動に精を出す現役世代は少ない。そうした時代を過ごした者が次の世代を育てても、地域に関心を持つものが育つ可能性はきわめて少ない。

地域社会が崩壊していくのは明らかであろう。そして今、地域社会の崩壊が問題になり、「地域再生」が声高に論じられている。今回の選挙でも、それらが問題になろう。
しかし、一度災害が起こると、地域に無関心であった者も地域に関心を持たざるを得なくなる。最近の日本はまさに“災害列島”である。自然災害が頻発している。そうした地域では、地域に目を向ける人が少なくない。そうなる前に、地域に関心を持つ人が増えることを期待する。そして、その鍵は、子ども時代の過ごし方にかかっていると思う。今日の活性化委員会では先日の「いのせ文化祭」の反省と共にこんなことも話し合った。

(日記 午前9時半より、猪野瀬公民館で「11月活性化委員会」の定例委員会を開催。文化祭の反省と共に、今後のまちづくりや地域の現状について話し合った。今日はNHKの記者が猪野瀬地区に入り、いろいろ取材している。地域の特色やまちづくりなどについて地域内を取材しているようだ。午後は、事務所で数学。なかなか思うようには進まないが、それでも毎日取り組めば少しずつは進んでいくだろうと思って焦らずに取り組んでいる。“毎日パワー”に期待しているところである。 )

 

空腹の昭和時代

24 11月

自然の中でたくましく
子供時代のことを思い出すと、いつも空腹だったように思う。食べるものは粗末なものが多かった。ただ、田舎だったので、質的には貧しくても、量的には恵まれていた。

しかし、自然の中には食べるものがいっぱいあったし。冷蔵庫も、お菓子もほとんどなかったが、身の回りの物を探して口に入れていたように思う。いまなら食べないような生のモノもたくさん食べた。ナスなどは生で食べてもおいしかった。いまでも食べられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『昭和時代の子供たち』より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空腹
家へ帰れば  腹が減る
天井に吊った  かき餅は
服を投げたら  落ちてくる
生でかじれば  歯が欠ける
でも背に腹は  かえられぬ
腹ごしらえは これでよし
戦闘開始だ  遊ぼうぜ

 

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

食べられる物
何もない家  子にゃ宝
食うものなけりゃ  探そうぜ
何でも食べる  サバイバル
待てずに食べる  青い柿
ざくろ・イチジク  すいこんぼ
拾って食おう  栗・べっこ
桑の実食えば 人食い人
生でも食おう  サツマイモ
人参・キュウリ  茄子・トマト
パンツで拭けば  ビッカピカ

御裾分け
結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は、家庭の仕事をすると決めた。まず、トマトの雨よけを分解して片付けた。また、有り余るほど実ったイチジクに感謝して雪つりを行った。その後、農作業用の小屋を片付けた。午後は、久しぶりに数学の参考書作り。時間はかかったが、楽しかった。)

 
 

“モノ余り”の時代・・・・・昭和の思い出

23 11月

一升瓶の水
一升瓶の中に水が入っているとする。水がたくさんあれば、空気の部分は少なく、水が少なければ空気の部分は大きい。これと同じように、子供たちにものを与えれば与えるほど、自分で考える機会は少なくなるように思う。

戦後の貧しい時期の子供と、今の子供の違いは歴然としている。一般的には、ゲームもテレビも漫画等もほとんどなかった昭和時代の子供たちの方がはるかに創造性はあったように思う。

それは、今も昔も子供の「遊びたい」という欲望は同じであるが、遊ぶ道具が与えられていれば、創意工夫を凝らして遊ぶ必要がないからではなかろうか。

・・・・・『昭和時代の子供たち』から ・・・・・

何もなし
何もない家  子にゃ宝
ないから考え 湧いてくる
物と思考の  シーソーだ
物多ければ  思考減り
物少なくば  思考増す
何もないから  考える
物溢れれば  創意なし

何にもない家  退屈だ
表へ出よう  友がいる
友集まれば  遊びあり
遊びの中で  わかること
我慢・生き甲斐  思いやり
何もないなら  作りゃいい
昭和の時代  物不足
平成時代  物余り
「何あり」「何なし」  考えて
幸(しあわせ)探し  始めよう

物、物、物
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる
物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ

(日記 午前9時に新穀感謝祭のために神社へ新米を持っていく。午前10時より、白山神社で『新穀感謝祭』の神事。その後、なおらいでしばし歓談。午後3時より、車庫の整理。実験のためのショウガの種を収穫。)

 
 

湖北の歴史散歩……地方創生は武将に学べ

22 11月

秀吉の開いた長浜

彦根城と長浜城を見学して“地方創生は武将に学べ”と思った。特に、長浜城博物館で「秀吉のまちづくり」のビデオを見てその感を強くした。

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羽柴秀吉が初めて一国一城の主になった今浜が、長浜に改められ、1574年に城が築かれたという。秀吉は、小谷城下の商人を統合して「楽市楽座」の制度で城下町を形成するとともに、町衆の保護・自立のためにに「町屋敷年貢免除」の朱印状を与え、まちの繁栄をもたらしたのだ。

紅葉の彦根城大手門橋

紅葉の彦根城大手門橋

1615年に、長浜は彦根藩の一部となり、廃城となったが、「町屋敷年貢免除」は江戸時代を通して維持され、長浜は水運の要に位置するまち、浜ちりめんやビロード、火や等のまちとして繁栄を続けたのだという。

『曳山会館』を見学して、このような経済力を背景にまちの文化も栄えたことを知った。『長浜曳山まつり』もその源をたどると秀吉に行き着くという。日本三大山車祭の一つで、国の重要無形民俗文化財に指定されている。子どもから大人までが一体となって祭りに取り組む様子をビデオで見て改めて感心した。これらの伝統は今も長浜に息づいているのだ。

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壮大な彦根城藩主の日本庭園「玄宮園」

壮大な彦根城藩主の日本庭園「玄宮園」

昔の殿様のまちづくりには学ぶことが多いと感心した。湖北の歴史のたびでまちづくりに対するいろんなヒントがあると思った。金沢を作った前田利家、財政再建を成し遂げた米沢藩の上杉鷹山などにも学ぶことが多いように思う。

『大河ドラマ』と言うと、とかく買った負けたという戦と権力を描く場面が多いが、まちづくりにもっと光を当てるべきではなかろうか。

(日記 朝起きるなり、高速を走り、彦根ICで下り、彦根城を見学。その後、湖畔をドライブして「黒かべ」へ。車を駅前に止めてマップ片手に、町中散策。よくもこんなにたくさんの店が並んでいるものだと感心する。今日は11月22日で“いい夫婦の日”だ。「記念にネックレスを買ったら」と家内にすすめる。長浜ラーメンを食べて長浜城を見学。特に、長浜城博物館で見たビデオ「秀吉のまちづくり」には感心した。その後、木之

黒壁ガラス管

黒壁ガラス管

本IC出高速に乗り、帰宅。夜は、猪野瀬公民館で行われた松井県議の「県政報告会」に出て、ひげの隊長“佐藤正久氏”の集団的自衛権などについての講演を聴く。)

 

 

 

 

 

 

黒壁で見たバンドのおもちゃ。音楽にに合わせてジャズバンドの奏者が動く。まるで演奏しているようだった。

黒壁で見たバンドのおもちゃ。音楽にに合わせてジャズバンドの奏者が動く。まるで演奏しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秀吉の開いた長浜城(博物館)をバックに「ハイ・チーズ!」。

秀吉の開いた長浜城(博物館)をバックに「ハイ・チーズ!」。

 

錦秋の京都へ

21 11月

次女の前撮りロケに同行
来年の1月下旬に東京のWホテルで結婚式を挙げる次女の結婚写真の前撮りロケを京都で行うという。東京以外でも前撮りを行うというシステムができあがっているらしい。

京都今宮神社で、結婚式の前撮り写真の撮影開始。

京都今宮神社で、結婚式の前撮り写真の撮影開始。

家内と二人で、前撮りロケを見に行こうということになった。撮影場所は京都の今宮神社と祇園だという。当日、午前8時半に自宅を出て、ナビを頼りに今宮神社へ向かった。文明の利器のおかげで無事撮影現場の今宮神社へ到着。

午後1時頃に、次女と新郎のO君が現れた。神前で二人は神職の下にお参りし、お祓いを受けた。その後、同行のカメラマンと美容師が二人に付き添い、神社のあちこちで様々なポーズを指示し、撮影が始まった。

1時間ほど撮影を見ていたが、私たちは、次の撮影地の祇園へ向かった。次女達はさらに撮影を続けたようであった。午後3時半頃、次女達がタクシーで祇園の現場へやって来た。祇園の辰巳橋界隈で再び撮影が始まった。場所によっては、道路に赤い毛氈を敷き、撮影が続いた。辺りが薄暗くなって行灯に灯りが点り始めた。

カメラマンの指示で快調に撮影が続く。

カメラマンの指示で快調に撮影が続く。

私と家内は撮影の途中で、次女達と別れを告げ次の観光地へ向かった。今日の京都は快晴で暖かく、観光にも撮影にも最適の一日だった。珍しいものを見ることができた一日だった。

(日記 午前8時半に来春結婚式を挙げる次女の前撮りロケの見学と観光のために京都へ向かった。午後1時頃から今宮神社、午後3時半頃からの祇園での撮影を見学。夕方、次女達と別れて次の観光地へ向かった。そして宿泊。好天に恵まれ、とても気持ちのよい一日だった。)

 

 

祇園の辰巳橋での撮影。観光中の外国人が珍しそうに二人の写真を撮っていた。

祇園の辰巳橋での撮影。観光中の外国人が珍しそうに二人の写真を撮っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影スタッフと記念撮影。(京都祇園にて)

撮影スタッフと記念撮影。(京都祇園にて)

 
 

「平凡」のありがたさ

20 11月

人生は繰り返し
朝起きて、食事をして、・・・・・そして、夕食、テレビ、風呂に入って寝る。このようなことを毎日繰り返している。日々何の変化もないようでも1年、3年、・・・・・10年、20年と経過するとずいぶん大きな変化がある。

しかし、この平凡な毎日の繰り返しが、病気などでは乱れてしまう。行動が大いに制限され、おまけに気分がすぐれない。

こんなことを考えると、日々の過ごし方をあまりにも「成り行き任せ」にせず、積極的に動かねばと思う。いま、風邪をひいている。これだけでも、ずいぶん、行動が制限される。

若い頃は、特別に健康に気を付けなくても、体を悪くすることは少なかった。しかし、今は、必ずしもそうはならない。積極的に健康に留意しても、膝を悪くしたり、目が衰えたり、風邪をひいたりする。

風邪が治ったら、春先のようにウオーキングを始めたいと思う。春先は、車であちこちへ出かけ、その付近を歩いたものだ。いつも、自宅を出発点にすると景色も同じなのでそうしてきたのだ。「積極的に健康維持」・・・・これが今の私にとって一番大切なことだ。

(日記 午前中は、自宅で部屋の整理などをした。風邪をひいているので外出は控えた。終日、家の中で過ごした。明日は遠出をしたいと思うので、今日は早く休みたい。)

 
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“シングルイシュー”選挙

19 11月

国民を欺く可能性大
 選挙のたびに、「シングルイシュー」という言葉を耳にする。「シングルイシュー」とは、シングルイシュー・ポリティックスの略ですが、“争点を一つの論題に絞って有権者に訴えかける戦術”のことだ。わかりやすい政治とされる反面、有権者にとってデメリットが大きい選挙戦略だと思う。かつては、小泉氏は、「郵政民営化(2005年)」を争点にして小泉氏が戦った。

道路沿いのプランターに花を植える家内。

道路沿いのプランターに花を植える家内。

 有権者の多くは、「郵政民営化」には賛成だったかも知れないが、その他のことはあまり知らされずに選挙は終わってしまった。圧倒的な勝利を得た小泉政権は、翌年の教育基本法改定を十分な審議なしに、簡単に通してしまったと言われている。

 今回は、新聞の1面の見出しには「アベノミクス信任を問う(福井新聞)」とある。有権者の多くは、 経済問題だけで選挙を行う可能性が大である。集団的自衛権行使を容認した安全保障政策、原発再稼働問題等はあまり表に出さずに選挙を行い、勝利の後は、経済以外の問題を推し進めことになりはしないか。

 後で、国民が、こんなはずではなかったということにならなければと思う。そのためにも、「シングルイシュー」で経済問題ばかりを連呼し、選挙をすることを止めてもらいたい。与党は、与党らしく、重大な問題は、全て国民にその考えを明らかにし、国民の審判を仰いでもらいたいと思う。

来年の春には、中央にチュウリップも彩りを添えるだろう。

来年の春には、中央にチュウリップも彩りを添えるだろう。

 野党もまた、反対のための反対ではなく、そのの公約を明らかにし、審判を仰いでもらいたいと思う。また、消費税を10%にする前に、“身を切る改革”である議員定数削減などの選挙制度改革を進めてもらいたい。思いだしたが、衆院解散を表明した安倍首相の記者会見に対するマスコミ各社の質問も「シングルイシュー的質問」に終始していたように思う。

(日記 午前中は、家の雪囲いの最終仕上げ。午後は、畑でイチジクの雪釣り。エンドウを植える場所の耕耘作業。家内は、例年のように、道路沿いの丸形プランター(土管)にパンジーやビオラとチューリップの球根を植えた。信号が赤になったときに見てくれるドライバーがいれば幸いである。)

 
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