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“モノ余り”の時代・・・・・昭和の思い出

23 11月

一升瓶の水
一升瓶の中に水が入っているとする。水がたくさんあれば、空気の部分は少なく、水が少なければ空気の部分は大きい。これと同じように、子供たちにものを与えれば与えるほど、自分で考える機会は少なくなるように思う。

戦後の貧しい時期の子供と、今の子供の違いは歴然としている。一般的には、ゲームもテレビも漫画等もほとんどなかった昭和時代の子供たちの方がはるかに創造性はあったように思う。

それは、今も昔も子供の「遊びたい」という欲望は同じであるが、遊ぶ道具が与えられていれば、創意工夫を凝らして遊ぶ必要がないからではなかろうか。

・・・・・『昭和時代の子供たち』から ・・・・・

何もなし
何もない家  子にゃ宝
ないから考え 湧いてくる
物と思考の  シーソーだ
物多ければ  思考減り
物少なくば  思考増す
何もないから  考える
物溢れれば  創意なし

何にもない家  退屈だ
表へ出よう  友がいる
友集まれば  遊びあり
遊びの中で  わかること
我慢・生き甲斐  思いやり
何もないなら  作りゃいい
昭和の時代  物不足
平成時代  物余り
「何あり」「何なし」  考えて
幸(しあわせ)探し  始めよう

物、物、物
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる
物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ

(日記 午前9時に新穀感謝祭のために神社へ新米を持っていく。午前10時より、白山神社で『新穀感謝祭』の神事。その後、なおらいでしばし歓談。午後3時より、車庫の整理。実験のためのショウガの種を収穫。)

 
 

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