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Archive for the ‘まちづくり’ Category

選挙を身近なものにしてほしい

05 4月

低投票率の理由は
 統一地方選挙の年だ。福井県でも知事選と県議選の運動真っ盛りだ。長年選挙のなかった県議選が、一主婦の西山さんの登場によって久々に行われることになった。

 彼女の、主義主張は今一はっきりしないが、彼女の登場によって選挙が一気に身近なものになったことは確かだ。その部分では、彼女の登場には感謝したい。

 保守的な福井県の、そして勝山市の「新しい風が吹く」さきがけとなることを祈りたい。誰にも出来そうで誰にも出来ることではない。今後、身近な選挙としては今年の夏に勝山市の市議選、そして来年末には市長選が行われる。

 立候補者の政策をよく見極めて、勝山市の将来を託せる人に投票してほしいと思う。今がどんな状態であろうと、それは選ばれた者の責任であるというよりも、選んだ私たち市民の側の責任であることを自覚し、慎重に選挙に臨みたいと思う。

 所で、低投票率の理由は何だろうか。それは、関心がないことだろうか、日々の忙しさから何が起ころうと自分には関係がないと考えるからだろうか。それとも、自分の小さな一票では何も変わらないと考えるからだろうか。

 政治は、私たちの日々の生活に直結しているのだということを、特に若い人たちには自覚してほしいと思う。自分も地域の一員であることを忘れずに、自分ために、家族のために、地域のために貴重な一票を投じてほしいと思う。

 今地域で何が問題になっているのか、それをどうしてほしいのか、どの候補にそれらを託したいのか、よくよく考えて行動してほしいと願う。候補者には、自分が何をどうしたいのかを明確に訴えてほしい。

  

 

勝山を愛した男 上田秋光さん 安らかに

13 3月

常に前を向いて走った人
 上田秋光さんと親しく付き合い出したのは、私が市教委にお世話になった頃からだ。それまでは、間接的に上田さんの活躍ぶりを第三者から、またはマスコミで知っていたくらいでした。

 上田さんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行くような人でした。本当の実力者は、一切自慢などはしない。しなくても、その力は自然に滲み出てくるもので、それが人を引きつけるのです。私の方が年上ですが、彼と話していると、色々触発されて勇気をもらえる人でした。

 上田さんは若い頃から、一流のスポーツマンでした。特に、5,000mの県記録保持者で相当長い間この記録は誰にも破られませんでした。上田さんの猛練習ぶりについては、高校時代には坂の多い平泉寺から学校まで走って通学したとか、バイクに前を走らせてスピード練習をしたとか、いろんなエピソードがあります。努力の人でした。

 そして、地元でたくさんの長距離ランナーを育てました。ある時期、福井県の女子駅伝チームの選手はほとんどが勝山の選手でした。当然ながら、その監督を務めるなど、県内でも存在感のあるアスリートでした。また、ご子息は日本のトップクラスのバドミントン選手であり、指導者となってからは、たまたま今日もドイツオープンで優勝した世界ランキング1位の山口茜選手の育ての親でもあるなど、上田家はスポーツマン一家でもありました。

アイディアマンであり誰からも好かれた男
 私が一緒に仕事を始めてからのエピソードは数え切れないくらいあります。たくさんの思い出の中から、そのいくつかを書いてみます。

 勝山の人なら誰もが知っている「ゆめーおーれ」ですが、かつては市内の機業場でした。それを、産業遺産として、観光資源として残すためには、周囲の環境から考えて、その位置を動かさなければなりませんでした。

 そのために、曳家(ひきや=建物を解体せずに文字通り引いて動かす)をしなければなりませんでしたが、その作業自体をイベント化して世間にアピールする企画の中心になったのが上田さんでした。機業場の大きな建物を大勢の人が綱引きのように引いて動かすことをイベントにしたのです。そして、見事に成功させました。当日は、鳶のはしご乗りなどもあってそれは賑やかでした。

自然体験学習課から「恐竜のまち勝山応援隊」へ 
 現代の子どもは室内でゲームなどをして過ごすことが多いが、自然の中でいろんなことを体験しなければダメだということで、教育委員会の中に「自然体験学習課」をつくることになりました。もちろん上田さんの発想であり、初代の課長にもなりました。

 その後、勝山市の長尾山に恐竜博物館ができてからは、上田さんは、この博物館を中心とする長尾山を自然体験の舞台とすることが夢となりました。

  そして、この博物館を含む長尾山を公園とし、その管理を行うと共に、自然体験を行う団体をつくりたいということで動き始めました。そして、名前を考えたので見てほしいと、いくつかの名前案を持って私の部屋へ来られました。

 私は、その名前案の中から、応援隊という言葉に惹かれて「恐竜のまち勝山応援隊」を選びました。上田さんは「やはりそれがいいですか」と言って、部屋を出て行かれました。それが、今のNPO法人「恐竜のまち勝山応援隊」に繫がっているのです。(その後、初代理事長) 

 一刻も早く、「恐竜のまち応援隊」としての仕事をしたいということで、建設部長でありながら早期退職し、その後は、文字通り、恐竜のまち勝山の応援隊として、あれこれアイディを出し、それを一つ一つ磨き上げ、実現しながら勝山のために頑張ってこられました。「恐竜のまち勝山応援隊」の生みの親であり、育ての親でありました。

上田さんの仕事あれこれ
  『《オオタカの育ての親》 勝山市の豊な自然を活かした「体験学習」「自然観察会」や全国トップクラスの発掘量を活かした「恐竜化石発掘体験」などのプログラムを実践している勝山市の自然体験学習課の課長さん。
長尾山で生息する「絶滅のおそれのある国内希少野生動物」であるオオタカの生息環境を守る事業にも取り組んでいます。オオタカは、全長50~56cmの中型のワシタカ類で平野部から山地帯の緩やかな地形の森林で繁殖します。勝山市では平成9年度よりオオタカ生息環境保全委員会を設置し、保護区域を設けて観察を続けています。保護開始から平成15年までに12匹のヒナの巣立ちを確認しています。』(『 』内はネット記事)
 ※ 離れた場所から大鷹を観察するためのカメラ設置も上田さんがやられたと聞いています。 

NPO法人の理事長として、公園管理のほか、様々なイベントを考案したり、実施したりしておられました。
 ・かんじきによる公園内散策  ・保存した雪で夏にそり滑り ・大きな雪山からのタイヤ滑り
 ・池でのカヌー遊び  ・スノーモービルを使ったそり遊び ・バスでの園内周遊  ・クロカンマラソン
 ・正月イベント ・恐竜雪だるま ・・・・・(ありすぎて書けません)  

上田さんの想い
 何度か、私たちはは三人で、一緒に酒を飲んだり、ごはんを食べたりしたことがあります。その中で上田さんから聞いた話ですが、忘れないことがあります。ここで書くべきか迷いましたが、後輩の皆様方にもよく考えていただきたいので、敢えて書かせていただきます。

 後輩の皆さん方にも、上田さんのように損得を考えずに、勝山を愛し、前を向き、広い視野で仕事をしていただきたいからです。

 恐竜博物館へ行く人は誰でも、曲がりくねった坂道を上りながら、博物館前へ向かいます。そして坂道を登り切り、博物館前の駐車場へ向かった次の瞬間、博物館の入り口と共に、卵形の博物館本体が目に飛び込んできました。「博物館へ来たんだ」とその建物の雰囲気から、期待に胸が膨らんだものでした。(敢えて、過去形で書きました)

 上田さんはずっと、博物館を訪れた人にこのワクワク感を味わってほしかったのです。ところが、玄関先にある建物が立つ計画が持ち上がりました。いつも恐竜博物館を眺めながら、仕事をしていた上田さんですから、自分の庭のようにいろんなことが分かっておられたようです。

 「建物の位置をよく考えないと、このようなことになりますよ」と、図面を描いて訴えたそうです。説明を聞いた市のトップの方もなるほどと思いながら、後戻りもできずに、計画が進んでしまったのだそうです。

 決定してしまった後は、上田さんからはその件については一切話を聞いていません。しかし、私の心の中には、「後戻りのできない事業を行う場合には、現場の意見をよく聞いて実行しなければならない」との教訓が今も強く残ってきます。そして、私の生きる力の一部になっています。ありがとうございました。

 上田秋光さん、安らかにお休み下さい。私の心の中には、あなたとの思い出や生き方がいつまでも残っています。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで筆を止めます。 

 

我がまちをどうするか

04 3月

現行中学校再編案がベストか?
 今回は、下のイラストマップを見て、「現行の3中学校を廃校にして、勝山高校の敷地に新しい中学校を建設する案がベストなのか?」をよく考えていただきたい。今が、考え直す最後のチャンスかもしれません。

勝山は九頭竜川に沿って細長く伸びているまちです。中央部は山に挟まれて狭く、両端が広がっている地形です。

まちづくりの観点から見てどうでしょうか
 〇子育てのしやすいまちになるでしょうか?
 〇いつまでも住み続けたくなるまちになるでしょうか?
 〇誰もが夢や希望のを持てるまちになるでしょうか?
 〇他の地域から住んでみたいと思えるようなまちになるでしょうか?
 〇子ども達が地域と繫がって楽しく暮らせるまちになるでしょうか?
 〇誰もが、いつでも、子ども達の生き生きした姿に出会えるまちになるでしょうか?
 〇バスや自家用車でしか通えない学校をつくって、将来の子ども達に誇れるまちになるでしょうか?
 〇コンパクトに教育施設を一カ所に集めることによって子ども達が伸び伸び育つまちになるでしょうか?

慌てずに、今一度、考え直してもよいのではないでしょうか?

一度決めたら、簡単には引き返せないのですから

 

 

『勝山ふるさと祭』日程決定

05 8月

有志の協力を得て 協力して下さる出演者、出店者、支援者などが決ま利、当日の内容も決まった。後は、晴れることを祈ることだけだ。

 

和太鼓『野良打ち』について

25 7月

神社の太鼓 かつては、どこの神社でも秋祭りなどには長胴太鼓が境内の片隅に置かれていた。そして、太鼓の好きな者や子供達が太鼓を叩いていた。時には地元のおじさん達も楽しそうに太鼓を楽しんでいたことを思い出す。

個人打ち(野良打ち)と団体打ち 太鼓の楽しみ方もいろいろである。かつては、地元の神社で大人達が楽しそうに叩く太鼓を見ていた子供達が、
「いつかは自分のあのように、かっこよく太鼓を叩きたいものだ」
と密かに思い、見よう見まねで太鼓を練習したものである。町の中心にある神明神社でも境内の片隅に太鼓が置かれ、太鼓好きがその周りに集まり、太鼓を見たり、自分で叩いたりして楽しんだものである。

こうした原則二人で叩く『野良打ち』は、今や各地の神社からすっかり影を潜めてしまった。左義長ばやしを別にすれば、太鼓と言えば団体打ちが主流になってしまった。そして、神社で太鼓の音を聞くことはなくなってしまった。太鼓と言えば、部活動で練習したり、大きな会場でイベントの時に楽しむ鑑賞中心の芸になってしまった。個人でも団体でも楽しむことのできる素朴な芸であってほしいと願っている。

『勝山ふるさと祭』で“野良打ち”復活を願う 各地域で○○太鼓を創設してきた私にもその責任の一端はあると思っている。そこで今回の『勝山ふるさと祭』の芸能発表では、敢えて“団体打ち”の形をとらず、“野良打ち”を中心に太鼓の楽しさを伝えたいと思っている。
幸い、和太鼓集団「倭」に所属していたプロの和太鼓奏者・大久保哲朗さんや大日太鼓の浅井さんが主旨を理解して下さり、“野良打ち”で太鼓の楽しさを伝えて下さるとのことである。
また、中学校で大久保さんに和太鼓を教わった南部中学校の生徒さんも“野良打ち”に参加してくれるとのことである。
“野良打ち”と“団体打ち”の二つのスタイルで誰もが和太鼓を楽しむ雰囲気が生まれ、地域の祭りで太鼓の音が響き渡ることを期待したい。

 

市民の力でおもてなし

21 6月

各部門で協力者募集中 「勝山ふるさと祭」実行委員会では下記の各部門で協力者を募集しています。

『盆踊り部会』では「盆踊り大会」実施にあたり、直前に『民踊まち流し』を行います。下記の二つの部門の参加者を募集していますのでご協力のほどよろしくお願いします。

 

『勝山ふるさと祭』の最後は『盆踊り大会』で終わることになっている。その盆踊り大会に踊る曲目は、盆踊り部門のスタッフが相談して以下の5曲と決めました。

・長柄節 ・千本搗き ・勝山小唄 ・勝山ほがらか音頭 ・チャマゴン音頭

盆踊りは見よう見まねで踊ればいいのですが、それでも不安な人のために各地区毎に練習会を開催します。しかし、それらの練習会に参加できない市民の皆さんや帰省客の皆さんのために『盆踊り部会』では練習のための映像を作成し、YouTubeにアップしました。今後、練習用のDVDも作成し、団体には無料で配布する予定です。

「盆踊り大会」開催直前に「民踊まち流し」を行います。『勝山よいとこ』により会場周辺を踊りながら歩きます。『町流し踊り隊』と『まち流し伴奏隊』を募集しています。

 

 

 

『勝山ふるさと祭』開催まで2ヶ月を切る

18 6月

突然訪れた大役 正月前後に「お盆に盆踊りをやるなどして賑わいを創り出してほしい」というような依頼が市の方からあった。その後、市長以下担当部長・課長・GLなどと何度か話しながらこの大役を引き受けることにした。3月にいくらかの予算が付いて4月から始動。

祭りのコンセプト 盆踊りだけでは人は集まらない。この祭りのコンセプトは「何をやるにしても自分たちの手で市民・帰省客そして観光客をおもてなししよう」ということに決めた。「お祭り広場」を市民や帰省客の「出会いの広場」にしたいと思う。
あれこれ仲間と話し合いながら、下記のような概要を決めた。とにかく、自分たち市民の手でこの祭りを成し遂げることだ。市外の方の応援があればなお嬉しいが、安易にどこかの業者には丸投げすることだけは止めようと決意した。

祭りのテーマ 祭りのテーマはズバリ「ふるさと」である。この「ふるさと祭」を通して心暖まるふるさとのよさを出せればよいと思う。
私は“ふるさと”を次のように定義付けている。
  「ふるさと」とは
    ・家族以外に関わった人がいる
    ・我が家以外に関わった場所がある
     ところである(いずれも義務的ではない)。
 この二つを満たしている場所(ふるさと)を持っている人はそんなに多くはないと思う。学校や塾など習い事の場所と自宅との行き来、学校や習い事の先生や監督との関わりだけでは生まれた場所が「ふるさと」にはなりがたいのではないかと思っている。今や多くの人にとっては、「我が家あってふるさとなし」の状況が続いているのではなかろうか。
次世代を担う子供達には、「仲間と暗くなるまで遊んだ場所があり、心置きなく交わった仲間のいる(信頼できる大人がいる)ところ」に我が勝山がなってほしいと願う。

祭りのためのブログに 祭りが済むまで私のこのブログは『勝山ふるさと祭』のために活用しようと決めた。市民と市外を結ぶパイプになれば嬉しい。何でも気楽に書いていただきたいと思う。このブログが地域の交わりの場、市外・県外と勝山を結ぶ場所になればと思う。

『ふるさと祭』の概要

 

楽しい激励会……健康回復を願って

09 3月

歓談5時間……元気をもらう
つい先日、「恐竜のまち勝山応援隊」のUさんが体を壊したということを聞き、慌てて「夢オーレ勝山」のYさんに電話をした。「Uさんの健康回復を願って激励会をしましょう」と。

早速、Yさんが段取りをしてくれて、今日、市内の居酒屋「F」で“Uさんの激励会”を開くことができた。Uさんの元気な顔を見て少し安心した。これからも無理をしないで勝山のために頑張ってもらいたいと思う。

UさんとYさんは同級生。私よりも5歳年下だが、かつては同じ職場で、文字通り「苦楽をともにした仲間」だ。いろんな困難に遭遇したが、彼らのおかげでどうにか耐えることができたと感謝している。

二人とも、私流に言えば、「リーダーにも兵隊にもなれる優れた人材」だ。自称“リーダー”は数多く見てきたが、本人はリーダーのつもりでも仲間の信頼を得られず、人を動かせない場合が少なくない。

それに比べて二人は違う。昔を語り、今を語り、将来を語れるからだ。そして、何よりも素晴らしいのは、自ら汗を流し、率先して動けることだ。二人ともこれからの勝山にはなくてはならない貴重な人材だと思う。

仕事のこと、まちづくりのこと、勝山のこと、……、話題は尽きなかった。こんなに楽しい飲み会は久しぶりだ。二人は目を輝かせてこれからのことを話してくれた。

これからの「恐竜のまち勝山応援隊」と「夢オーレ勝山」の動きから目を離せないだろう。いろんな素晴らしいアクションが生まれそうだ。二人の話から、私も元気をいただいた。

3人が共通認識を持ったことは、「市の活性化は、そこに住む市民が地域を愛し、地域に誇りを持ち、自ら行動することからしか始まらない」ということだった。他人任せではまちの活性化は望めないと言うことだ。

それには、行動力のあるリーダーが必要だと思う。彼ら二人に続くリーダーが育たなければ、地域の衰退は避けられないだろうと思う。彼らの熱い想いを聞きながら、私も元気をもらった5時間だった。まだまだ話したい気分だった。

 

鹿谷町雪祭り~雪像作りほか~

15 2月

忙しい一日

平成三猿(左側面・正面・右側面の各像)

平成三猿(左側面・正面・右側面の各像)

今日は鹿谷雪祭り。先ずは、9時までに雪像作り会場へ行かなければならない。そして、会場では、シートで覆われた雪像の目の調整。しかし、雪はもろく、下手に手を付けると崩れてしまう。せめてもと思って、目の周りだけ修正した。

雨はなかなか止まない。ある程度調整した後、体育館へ。そして、お囃子用の太鼓を体育館横へ運んだ。しばらくして、衣装を替え、体育館のステージ横へ。

午前11時過ぎに本番。「鹿谷すいせん会」の皆さんの銭太鼓の応援。私と仲間のYさんが太鼓と歌で応援。音楽に乗って思い切り、太鼓をたたいた。Yさんも乗っているようだった。

踊りを指導をしたボランティアグループ「ポッポの会」のみなさんの佐渡おけさ

踊りを指導をしたボランティアグループ「ポッポの会」のみなさんの佐渡おけさ

その後、体育館で北部中学校の生徒の発表や和太鼓の演技を見た。また、「佐渡おけさ」を指導したおばさん達の笠の被り方を直したりしてあげた。そして演技を見た。まあまあだった。

途中で、仲間から雪像作りの表彰があるので、会場にいるよう頼まれた。そして、いよいよ雪像の表彰式。十分なできではなかったが優勝だった。

表彰式では、吉本の漫才コンビニインタビューを受けた。「昔と逆で今は、よーく見なサル、よーく聞きなサル、そして、しっかり話しなサルが平成三猿です。」と説明すると、「ネタをとられたなあ」と冗談が入った。

仲間のTさんと二人で表彰状2枚、賞金五万円、トロフィー、ビール一ケースをいただいた。今日までの苦労が吹き飛んだ気持ちだ。いい雪祭りだった。午後6時から長兵衛で反省会。大いに盛り上がった。

 

あぁ、「雪像作り」

13 2月

ザラメ雪に悪戦苦闘
雪像作り初日は13日の土曜日。朝8時半に雪像作りの会場へ行ってあっと驚く。与えられた形が円柱だったからだ。しまったと思ったが、どうしようもない。我がチーム「エコ協愉快な仲間達」の誰もまだが来ていなかったので、場所を決めるくじを引いた。

最初、私が予測していたのは直径2.5m高さ2.5mの円柱だと思って設計図を描いた。そして、チームの打ち合わせに設計図を持って行くと、「1辺2.5mの立方体だ」と皆が言う。

底面が円であるのと正方形ではかなり様子が違う。慌てて図を描き直した。私が考えたのは「平成三猿」だ。「よーく見なサル、よーく聞きなサル、そして、しっかり話しなサル」の三つの像を造るつもりだったので、3匹の納め方が大きく変わってしまうからだ。

てっきり立方体だと思って会場に行ってみると、円柱だったので、考えてきた図面はあまり役に立たない。図面が当てにならないので、勘で雪にスプレーで線を描き、チェンソーで切り出してもらった。

そして、メンバーが手分けして一斉に削りながら3匹のサルの形を作っていった。ザラメ雪なので本当に苦労した。小雨の中の作業。途中からシートをかけての作業。朝8時半過ぎから午後4時頃まで作業をした。ある程度のところで妥協して帰宅した。結果はどうなるだろうか?