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Archive for 7月, 2014

膝が悲鳴

31 7月

とうとう手術
定期検診のため,福井の病院へ行った。いつもの検査の他に膝を診てもらった。膝の軟骨が痛んでいるという。立ったり歩いたりしてもそんなに痛みはないが,正座ができなくなった。

日常生活では,正座をすることはほとんどないが、時々正座をしなければならない場面がある。最近では、結納の品の受け渡しだった。いたくて本当に困った。

相手に事情を申し上げてすぐ膝を崩させていただいた。料理屋などでの最初の挨拶の場面も困る。最初からあぐらをかいているわけにはいかないからだ。

昔なら切り開いて,軟骨をどうかしたのだろうが、今は内視鏡による手術だという。それでも数日間は入院しなければならない。

そう言えば、高齢者の人の中には膝を痛めている人も少なくない。お寺等でも椅子を使うようになったし、旅館やホテルでも椅子で宴会をするところも増えてきた。とうとう自分の番になったという感じだ。医者に夏が終わってからに手術をしていただくことにした。身体の替えは簡単には見つからない。元気で過ごすためにも、大切に使わなければと思う。

(日記 朝7時半に福井の済生会病院へ。整形外科で膝を診てもらった。その後、午後1時半過ぎにないかで定期検診。途中で、2時間ほど時間があったので、楽器屋へ行った。最近、新たなものに挑戦したくなっている。)

 
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水泳「今昔」

30 7月

川とプールの違い
 孫達が帰省してから、プールへ行くことが多くなった。孫達はプールへ行けば、3時間ぐらいはノンストップでプールの中で遊んでいる。ビート板を使ったり、大きな筏のゆおな板を使ったり、ジョウロや輪投げの輪のようなものを使ったりして、飽きずに遊んでいる。

 私は、それらの相棒をしたり、家内に孫達を任せて大人用のプールで水中ウオーキングをしたり、少し泳いだり、ジャグジー風呂に入ったりして時間を費やしている。

 孫達は,全く飽きずに遊んでいる。私も、ほどほどには楽しいが、川での泳ぎが中心だった自分の子供時代と比べると、違いは歴然としている。しかし、子どもたちには、川での泳ぎを止められている。探せば、泳げる川もないではないが、それらは自宅からは遠いし、水も冷たい。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

 昔なら、自宅から自転車で九頭竜川まで出かけて泳いだものだ。常に、一定の緊張感はある。それは、流れていることと、深みがあるからだ。しかし、川には、魚が泳いでいて、水の冷たさも所々で変わり、いろんな遊びができる。

 特に、大雨の次の日の水泳は命がけだった。川幅は普段の倍はあり、流れは早く、波もあり、水は濁っている。こんな川を泳いで横断しようとしたら川幅の3倍は泳ぐ覚悟がいる。途中では絶対に泊まることができないのだ。こんな濁流に飛び込んで波乗りもしたものだ。当時、私たちは「ながれかんじ」と呼んでいた。立ち泳ぎをしていれば、上流から長い距離を移動できるのだ。寒くなったら浅いところで魚を捕る楽しみもあった。プールでは経験できないいろんなことができた。時代は確実に変わってしまった。プールの中で時々昔を思い出すことがある。

(日記 午前中は、数学をしながら、孫の勉強の相手。午後は、近くのプールで水泳。かなりの時間プールで遊んでいた。泳ぎというよりも、孫との触れあいや運動という雰囲気であった。それでも、健康に早くだったであろう。孫達も喜んでいるようなので、これはこれで楽しい。)

 
 

ラジオ体操今昔

29 7月

今は孫と一緒
 横浜に住む孫達家族が車で先週の土曜日に帰省した。しかし、長男は、この月曜日に仕事のため横浜へ戻って行った。しかし、孫達との生活が始まった。小学生の孫は、ラジオ体操カードを持って帰省したのだ。そこで、私も孫と一緒に月曜日からラジオ体操にも参加することを決めた。今日で二日目だ。

 我が村の小学生は全部で13名らしい。中学生も数名参加している。昔と比べると子どもはかなり減ってしまった。私の子供時代は、村の上の方にある白山神社の境内で号令をかけながら体操をしたように思う。体操の後、男子は毎日境内でソフトボールを楽しんだ。神社近くの子どもの親が、「ご飯やー」と大声で呼びかけるまでソフトボールを続けたものだった。

写真は小学生のラジオ体操風景。左端はウチの孫。小学生の後方には、中学生が数名体操をしていた。児童数の少ないのがさみしい。

写真は小学生のラジオ体操風景。左端はウチの孫。小学生の後方には、中学生が数名体操をしていた。児童数の少ないのがさみしい。

 その後、私の子どもたちの時代になると、今の片瀬第二公園でラジオ体操が行われた。最初の頃は、近所の人の納屋に大きなトランペットスピーカーを付け、村中が聞こえるような大きな音で音楽を鳴らしてラジオを体操をしたものだ。

 そして、体操の後で、公園の周囲を走ったのだ。第二体操が終わるか終わらないうちに、公園を飛び出した子ども達は、村の近くを走って公園へ戻ってくる数百mのコースだ。私も子どもたちと一緒に走ったものだ。

 今は、体操だけで終わっている。参加する大人の数も激減した。保護者は役員を含めて2~3名。後は、私のような祖父母が2~3名というところだ。時代は変わってしまった。何もかもが、縮小していくようでさみしい。少なくとも私は、孫のいる間はラジオ体操に参加したいと思う。

(日記 ラジオ体操の後、孫の勉強を見ながら、数学。午後は、我々夫婦と孫3人とその母親の6人で近くのプールへ出かけた。孫達は休むことなくみっちり3時間水遊び。私は、プールでウオーキングと水泳、サウナ、ジャグジー風呂などを織り交ぜながら孫達と水遊び。いい運動になった。)

 
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『いのせ文化祭』の会場変更

28 7月

文化祭を盛り上げるために
 午後7時から猪野瀬公民館で『第1回いのせ文化祭』実行委員会」が開催された。今日の実行委員

真夏の公園にできた「ソリゲレンデ」。持参の長靴で3人の孫達ははしゃいでいた。

真夏の公園にできた「ソリゲレンデ」。持参の長靴で3人の孫達ははしゃいでいた。

会までに、各団体が、『いのせ文化祭』を盛り上げるためにはどうすればよいかを考えることになっていた。

 私は、『猪野瀬地区活性化委員会』の代表として今日の会議に参加していた。今日の議題の一つに、文化祭の会場問題がある。これまでは、模擬店などはほとんど外で行い、舞台発表は公民館の中のホールで行うために、一体感がなかったのだ。

 我が「活性化委員会」でも、今日の実行委員会の案内にあったように、“文化祭のメイン会場を公民館近くの『林業者健康トレーニングセンター』を使って行う”ことを提案した。他の委員会でも、同様の考えを持っている団体が多かったと思う。

 各種団体から、文化祭を盛り上げるための意見が発表された後、会場問題について採決が行われた。そして、多くの人たちの賛成を得て、今年の文化祭は、メイン会場を『林業者健康トレーニングセンター』にすることが決定した。

 展示は、公民館のホールで行うが、それ以外のものは、舞台発表も、食堂や物品販売や遊戯コーナーなどの模擬店も全て『林業者健康トレーニングセンター』で行うことになるのだ。『いのせ文化祭』を盛り上げるために、私自身も、我が活性化委員会も前向きに取り組みたいと思う。

さすが子どもたち。暑さに負けず、公園の遊具をフルに使って遊んでいた。

さすが子どもたち。暑さに負けず、公園の遊具をフルに使って遊んでいた。

(日記 朝、テレビで、長尾山恐竜公園で雪遊びができると言うことを知った。早速、関係者のU さんに問い合わせると「午前10時頃から午後3時頃までやっている」という。真夏に、雪遊びができるならよい思い出になるだろうと、帰省中の孫達を連れて行くことにした。長靴とソリを車に積んで出かけた。博物館の駐車場の隅の方に雪が積まれていた。そして、無料で貸し出すソリがたくさんあった。3人の孫は、何度か雪の坂道をソリで滑っていた。知り合いがいたので、雪について聞いてみた。冬の間に雪をおがくずで覆い袋詰めにして保管していたのだという。それを、午前4時頃から運び出してそりゲレンデを作ったのだという。その作業たるや大変な苦労があったのだろうと思う。太陽が照りつけていたが、それのできる状態は午後も確保されていた。暑い中で、準備した関係者の皆さんには頭の下がる思いだ。その後、孫達を連れて奥のティラノサウルス広場まで出かけた。子どもたちは、暑い中をものともせず、滑り台やブランコなどに興じていた。2歳の孫が一番元気がよかったのではないかと思うくらいだった。こちらは、バテ気味だった。)

 
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夏本番

27 7月

孫達集合
 長男と長女の家族が相談して海へ行くことになっていたが、あいにくの雨。午後、予定変更で大野の『あったかランド』で水遊び。私は行かなかったが、家内はおくれて大野へ。

玄関先でバーベキュー。久々の再会に話題は尽きない。

玄関先でバーベキュー。久々の再会に話題は尽きない。

 その後、買い物をして我が家へ集結。玄関先でバーベキュー開始。我が家の玄関先は、道路に面していないので、家の間へゴザを敷き、テーブルを置いてガスと電気調理器3台で調理開始。

 5人の孫が勢揃い。夏が来たなあと思う。思えば、夏になると、ラジオ体操、子どもたちの宿題、自由研究、海水浴、祭りでの太鼓出演などあれこれと忙しかったことを思い出す。

 お盆が過ぎれば、日数的には半分過ぎだが、気分は夏休みが終わったも同然。後半は、自分も現役だったので、子どものこともさることながら自分も後半の課外授業や学校祭の準備などで忙しかったことを思い出す。

 今は、毎日の忙しさは相変わらずだが、ほとんどは自分自身が忙しくしているだけなので、いくらでも時間を産み出すことはできる。ただ、やりたいことが遅れるだけだから、そんなに気にならない。バーベキューの後、孫たちは、花火。夏の思い出作りになっただろうか。

(日記 午前中は、のんびりと家で孫達の相手や数学など。午後もよく似た状況だった。夕方から、長女、長男の家族が全員やって来て、玄関先でバーベキュー。孫5人も勢揃い。バーベキューの後、定番の花火。子どもたちの思い出になっただろうか。)

孫たちは花火に夢中。夏が来たなあという感じだ。

孫たちは花火に夢中。夏が来たなあという感じだ。

 

 
 

郷土芸能へ先ず一歩

26 7月

初の生伴奏で
今日、旭町2丁目の『夕涼み会』が行われ、我が片瀬の銭太鼓保存会が招かれた。例によって、『片瀬豊年ばやし』を披露した。

秋のエコミュージアム大会の全国大会(勝山開催)出演に向けて、少しずつ私たちの芸を向上させようとしているが、これまでは、一部ではあっても、CDを使っていた。

今日初めて、全てを生で行った。伴奏は、三味線2人、篠笛、太鼓、鉦、歌二人であった。まだまだ練習しなければならないが、何とか、生でできることがわかった。

最初から、全てが生で行えることが、郷土芸能への第一歩だと思っている。まだまだ、磨きをかけなければならないが、出番を重ねることによって改善を重ねていきたい。

仲間と共に、一つのことができることは楽しい。課題は、若い人を加えていくことだろう。美山の劇団『ババーズ』も今日は最終公演で解散だという。創設も難しいが、維持することも同様に難しいことだ。これは、我々の課題でもある。

(日記 午前中は、部屋の整理をしながら、パソコン作業。最近、何かと忙しく、数学の作業が遅れていたが、時間を見つけて取り組んだ。午後ひととき、家庭菜園作業。家内はイチゴの仮植作業。午後6時に集会場へ集合し、旭町2丁目の夕涼み会出演のために会場の公園へ向かった。午後7時に出番。銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。午後10時過ぎに、横浜の長男の家族が車でやって来た。渋滞に遭って時間がかかったとのことだった。早速、4年の孫娘と一緒に寝た。)

 
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市長へ要望活動

25 7月

小学校のない地域
市内の各町には小学校があるが、猪野瀬地区のみ小学校がない。学校がないと言うよりも、地域の中心となる核がないとも言える。

市内の旧町を除く8地域では我が猪野瀬地区は、村岡町に次いで2番目に児童数が多い。122名である。児童数が25名、36名、42名といった地域にも小学校や児童館がある。

小学校がある地域では、保護者も同じ学校の卒業生である場合が多く、地域の結びつきは大きい。小学校区単位で、運動会や文化祭など地域の様々な行事が行われる場合が多く、学校が地域の活動の中心となっている。

我が猪野瀬地区は、小学校がないために、公民館がその役割を果たさなければならない。小学校がないために、自由に使える体育館もない。そこで、今日、公民館近くにある林業者健康トレーニングセンターに簡易ステージを整備すること、公民館の施設・設備などを充実していただくよう「猪野瀬地区活性化委員会」で市長と市議会議長に要望しに出かけた。

主旨は理解していただいたが、何しろ金のかかることなので、いつ何を実現していただけるかは明らかにはされなかったが、市長の回答は前向きなものであった。

(日記 午前中は、少し部屋の整理。午後は、市長への要望活動。その後、3時半過ぎから公民館で「猪野瀬地区定例活性化委員会」を開催。熱を帯びて午後8時までかかった。それでも充実した時間を持つことができた。)

 
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『片瀬豊年ばやし』

24 7月

今後の方向性
我が地区の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』は、少しずつ郷土芸能の体を為し始めている。あちこちから、お呼びがかかりつつある。銭太鼓のばちを操ると同時に、寸芸を挿入するのだが、その芸のコンセプトは、大正・昭和の農業をユーモアを交えて再現することだ。

今は、農業も機械化し、かつては作業の中心を担っていた女性が農作業から少し実姿を消しつつある。高度に機械化されたために、ほとんどを機械でこなすからだ。

しかし、大正・昭和時代は、そうでもなかった。機械の化ありに牛や馬が使われら。そこで、この豊年ばやしでは、馬による作業を芸に取り入れている。

昔の農作業を担っていた馬にも、いろんな性格ががあるのだ。また、馬を使い手の顔色を見るという化、その技量によって言うこと(指示)を聞いたり聞かなかったりするのだ。そこに、芸としての面白さが出るのだ。

まだまだ練習しなければならないが、少しずつ成長していると思っている。今後、あちこちから注目され、演じている者も自信を持てるような『片瀬豊年ばやし』にして、当地区の郷土芸能であるばかりでなく、当地区の労働歌、当地区のコマーシャルソングとして地区の農産物のブランド化に役立てばと思う。

(日記 午前中は、部屋の整理。午後は、事務所で数学。午後6時半過ぎから事務所で笛のFさんを交えて伴奏練習。私は三味線、家内は歌で練習に参加。午後7時半から、村の集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の合同練習。伴奏も生で行った。全て生で行って初めて郷土芸能になると思っている。まだまだ練習して、エコミュージアムの全国大会には、県外の人たちにも見ていただきたいと思う。)

 
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朝飯前

23 7月

涼しいうちに農作業
この頃晴れると毎日暑い。そこで今日は、朝飯前に作業をするときめた。集団農場にある生姜と里芋畑へ出かけると,すでに作業をしている人がいた。

生活の知恵だろうか。真夏の暑い日には、早朝作業をして暑くなったら、午前9時前に作業を止めて帰宅するのだ。早い人は午前5時には作業を始めているだろう。我々は、午後6時に出かけた。

ショウガの周囲の草を取り、牛糞堆肥をボカシ肥料と化成肥料少しやり父寄せをした。そして、ショウガの畝の端に古い黒マルチをかけた。少しでも草の生えるのを防ぐためだ。

雨が降ってくれれば肥料も効いて生姜は生長してくれるはずだ。片瀬地区は昔から生姜の産地だが、皆それぞれに自己流の生姜の栽培法があるようだ。しかし、ベテランでもうまくいかなかったり、私のようにど素人の方がうまくいくこともあるから不思議だ。

作業をしていると、どんどん暑くなってきた。帰宅して、改めて朝食を取った。昔の人の知恵だろう。早朝の作業は能率が上がり、健康にもよい。今日は昼寝をしなければ身体が持たないだろう。

(日記 早朝農作業。午後は、部屋の整理。夜は、和太鼓の練習。夏祭り出演のための練習だ。)

 

 
 

『地域向上力基金活用』

22 7月

市長へ陳情
猪野瀬地区には、市から『地域力向上力基金』が交付されている。この基金は、市内10地区に対して均等割部分と人口割り部分で配分されているのだ。

文字通り“地域力向上(活性化)”のために使えばいいのだが、本来市でやらなければならないことは、市でやっていただかなければならないと思っている。

そんなわけで、今日は市長への陳情書の下書きを書いた。これは、先日の7月定例活性化委員会で決めたことだ。要望の要旨は「地域に小学校がない当地区では、諸活動の拠点は公民館にならざるを得ない。

他の地域のように自由に使える体育館もない。近くに類似施設の『林業者健康トレーニングセンター』はあるが、放送設備もステージもなく使い勝手が悪い。そこで公民館施設を充実してほしい」というものだ。

小学校がないために、地域のまとまりを強めることは本当に困難だ。そんな中で、地域の活性化を図ることは簡単ではない。逆に言えば、やりがいがあるとも言える。これからが正念場だ。

(日記 午前中は、市長への陳情書の下書き。午後は、活性化委員会の副委員長のAさんと陳情書を仕上げた。いろいろ推敲しているうちに夕方までかかった。A4一枚に全てを書くために苦労した。)