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Archive for 7月, 2014

また逢う日まで

21 7月

娘は新郎の家族と共に
我が家で新郎とその家族が我が家へ泊ってくださった。昨晩は酒を飲み、新郎のお父さんが握ってくださった食べきれないほどの寿司を味わいながら楽しい夕食をとることができた。

朝食の後、東京方面へ向かいながら、観光をするのだという。来るときは、次女は金曜日に勝山へきたが、帰りは新郎の家族と同じ車で勝山を出て行った。最初の訪問地は白川郷だという。

次女が結婚すれば、私の3人の子供はすべて結婚することになる。親としての、一つの責任を果たせそうだ。つい先日、自分たちが結婚したと思っていたが、小さかった3人の子供達はいつの間にか大人になってしまった。

人生って長そうで短い。短そうで長い。海のように穏やかな日もあればそうでもない日もあるだろう。そんな時、「自分は偉い人間」だと思わなければこうした荒波は乗り越えられると思っている。

二人なら、乗り越えられない波はないと思っている。新しい家族とともに、勝山を去る次女の「洋々たる前途に幸あれ」と願いながら、勝山を去る新郎の家族を見送った。「また逢う日まで」と思いながら。

(日記 午前9時半に次女と新郎の家族が勝山を去っていった。午前10時45分より村の道場(浄土真宗)の屋根改修完成の記念法要が行われ、その後懇親会。午後6時より、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。午後7時半より村の集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。結構慌ただしい一日だった。)

 
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次女の結納

20 7月

東京の人に
今日は、次女の結納の日。午前10時ころ、市内のホテルから新郎とその両親が我が家へやって来られた。しばし歓談ののち、セレモニーが行われた。

結納の後、家族で記念写真

結納の後、家族で記念写真

結納の品々の中には、『家族書』と『親族書』があった。私も、長男、長女が結婚し、結納を行った経験があるが、『家族書』も『親族書』も受け取らなかったし、私もしなかった。

しかし、今回は別だった。関東の習慣に従って、私も初めてこれらを書いた。そして、新郎の父親からこれらを受け取り、私も同じように相手にお渡しした。

結納の儀式が無事終わり、しばし歓談。そして、場所を移していきつけの料理屋で会食。向こうの両親とも、完全に打ち解けて長年の知り合いであるかのごとく、付き合うことができた。

今日は、3人とも我が家で泊まっていただくことにした。帰宅後、和食の料理長である新郎の父親が市内でネタを仕入れ、2本の包丁と大皿を持参して寿司を握ってくださった。マグロやハマチ、エビ、イカ、ホタテなどたくさんの寿司が出され、両家はますます打ち解けて楽しい時間を持つことができた。

(日記 午前10時より結納。昼は行きつけの料理屋『魚中五』で会食。帰宅して、午後6時半より、寿司パーティー。新郎のお父さんが握ってくださったのだ。一生の思い出に残る結納の一日だった。)

我が家の玄関で記念写真。

我が家の玄関で記念写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新郎の父親は和食の職人。夜、我が家の台所で寿司を握って下さった。

新郎の父親は和食の職人。夜、我が家の台所で寿司を握って下さった。

 
 

埼玉より珍客さん

19 7月

明日は次女の結納
夕方、埼玉県から「次女の結納」のため新郎になるOさんとその両親がやって来られた。私たちは、市内のホテルへ挨拶に伺った。

早速自己紹介したが、気さくで笑顔を絶やさないご両親で長年の知人であるかのごとく、コーヒーを飲みながら、親しく歓談することができた。30分ほどして、明日の結納の日程などをお話してホテルを去った。

長男は、東京へ勤め、横浜住まい。次女も、東京勤めで東京住まいになるだろう。私が若いころあれほど憧れた東京で長男と次女が働いているのだ。

今は、この田舎が一番だと思っている。それにしても、縁とは不思議なものである。福井生まれの娘が、埼玉生まれの人と結婚するなんて。しかし、これには音楽が大きくかかわっている。

音楽を通して近づいていったのだ。この点、私と共通点がある。娘は、広い大都会の中で、一人の男性とめぐりあうなんて。明日は結納だが、いつまでも、幸せな人生を送ってほしいと願わずにはいられない。

(日記 明日は次女の結納。自分の部屋を片付けていた。午後はしばし音楽。午後5時半に「勝山ニューホテル」」で新郎となるOさんとその後両親に挨拶に伺った。新郎とは、今回で三回目の対面だが、ご両親とは初対面。でも気さくなご両親でよかったと思った。)

 
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結局“力”か

18 7月

不安定な地球上
この頃、地球上は非常に不安定な状況だ。自然現象でも、地震や豪雨、台風やハリケーンが各地を襲っている。我が国は、これに原発事故が重なり、平穏な日々がなかなかおとずれない。

その上、各国の統治機能がうまく働かないようである。常に武力による攻撃があちこちで頻発している。外交交渉による平和構築は困難を極めている。

武力を背景に、自国の利益を優先させようとしている国が多いように思えてならない。あちこちで、近隣諸国同士の紛争が続いている。大国が主導権争いをして世界各国で自国の身方を増やそうとしているようにも思える。

武力による平和構築、バランス構築は際限なく続けられていくことだろう。平和を守るためにという口実で、武装することが当たり前になっている。政治力ではコントロールできなくなっている。最後は力に頼るしかないように見える。国家同士の争いだけでなく、これにテロリストによる武力攻撃も各地で頻発している。

どの国の一般大衆も平和を望んでいるだろうが、各国の指導者の考えで、それらは遠のいていくように思えてならない。各国のリーダーの本当の意味での政治力が問われている。そんな中で、今日もまた旅客機の墜落事故が起きた。しかも、武器により墜落させたのだという。宇宙から見たら、地球上の争いは、非常に醜く見えるだろう。悲しいことだが、物欲の果てには必然的に起こる現象と言えなくもない。

(日記 午前中、仕事をしやすくするために、自分の机の周辺を整理した。午後も作業を継続。時々歌作り。午後7時過ぎから村のゲートボールの練習に参加。猪野瀬地区のゲートボール大会があるためだが、私は家庭の事情で参加できない。それでも練習は楽しかった。)

 
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久々の歌作り

17 7月

替え歌の歌詞に新たな曲
片付けてあったファイルを見ていたら,替え歌が見つかった。曲は元歌があるが、歌詞はオリジナルだ。頼まれてはいなかったが、ギターとパソコンを使い、新たな曲を作ってみた。

プロの歌作りは、曲先の場合が多いらしい。作曲家が先にメロディーを作り、作詞家が後から歌詞を当てはめていくのだ。そこに、ディレクターがあれこれ注文を出し、修正を加えて作品を完成させるらしい。

シンガーソングライターは両方を一人で一度に作っていくのだろうか。それにしても、7つの音を組み合わせて、ずいぶんいろんなメロディができるものだと感心する。

日本民謡、外国の曲、演歌、クラシック、ロック、ジャス、フォークソング、ウェスターン、・・・、音の流れでずいぶんいろんなものができるものだ。

私のように、全くのど素人は、もともと誇りも何もないから、自由自在に歌を作ることができる。度素人の強みだ。規則から外れていても、気にならない。そんなわけで、1時間ほど歌作りに没頭した。ギターでメロディーを考え、パソコンで編曲しながらの作業だ。明日聞いたらきっと幻滅あdろう。でも楽しかった。“忙中閑あり”のお遊びだった。

(日記 午前中、パソコンのマニュアル等の整理。午後は、民謡のCD作り。あれこれやっているうちに一日が過ぎてしまった。午後8時より『爺ちゃん勉強』。)

 
 

久々の和太鼓

16 7月

九頭竜ワークショップの夏祭りに向けて
今日は久々の和太鼓練習。九頭竜ワークショップの夏祭りの出演依頼が来たのだ。そこで、今日は一部のメンバーが集まって曲の編曲作業。といってもこれまで私が作った曲を、出演できるメンバーの数に合わせて組みなおすのだ。

この作業は、メンバーが自主的にやってくれるのでありがたい。子供太鼓の場合には、私が中心になって指導するが、大人の部は、メンバーが練習計画も曲の編曲作業もすべてやってくれるので私の負担は非常に少ない。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りには、和太鼓が不可欠だ。太鼓の響きが祭に彩りを添えてくれる。みんなが一つの曲に集中できるのが和太鼓のよいところだ。楽しいところだ。

メンバーの一人が言う。「太鼓とよさこいをやらないと夏が来たような気がしない」と。私もそんなところがある。太鼓をやると夏が来たなあと思う。和太鼓集団を創設してからかれこれ30年が経つ。

短期間の練習でどれだけできるかわからないが、一生懸命取り組みたいと思う。本番では私は篠笛を担当することになるが、だんだん下手になっていくように思う。その分、練習でカバーしなければならないと思うが。

(日記 午前中は、電燈の入れ替え。蛍光灯をLEDに入れ替えた。それとともに、台所の手元灯を付けた。長い期間、つけたいと思っていながらできなかったことだ。半日かかったが、我ながらうまくいったと思う。午後7時から和太鼓の練習。私は、見ていることが多かったが、楽しかった。)

 
 

『何を伝えたかったか』

15 7月

大野高校の『学級日誌』より
最小限の「モノ」しかない部屋にあこがれる。しかし現実には簡単ではない。そこで、先ず、自分が集めてきた様々なものを少しずつ捨てたいと思う。その中の一つに、自分の書いた「モノ」がある。

本棚を整理していたら、大野高校時代の学級日誌が出てきた。冒頭に、自分が書き、その後クラスの生徒たちが自分の思いを書く仕組みだ。「今日、何をしたか」よりも、「今何を考えているか(思っているか)」を書いてほしいと思って始めたものだ。

・・・・・・・大野高校3年E組『学級日誌』より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「灰色かバラ色か」
君たちが勉強マシーンでないように、僕もティーチングマシーンではない。
しかし、忙しい毎日を送っていると、そういう錯覚に陥りやすい。

君たちも人間らしく生きたいだろうし、僕もそうしたい。
そこでこの雑記帳(学級日誌)には、自分の考えていることを遠慮せず、格好をつけずに書いてほしい・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、始まっている。そして生徒たちがいろんなことを書き、私がコメントしている。自分の若かりし頃の考えがわかって面白いところもある。当時、何を伝えようとしていたかがよくわかるからだ。

当時の状況は、3年生になり進路に合わせてクラス分けが行われ、生徒たちは、文系、理系のクラスで授業を受けることになったのだ。私は理系の担任。大学進学を目指して生徒たちは、授業のほかに、受験のための課外授業を受け、日曜日には、数多くの模擬試験を受けなればならない忙しい時期だったのだ。

このような時期に自分の考えを書いていたのだ。このような学級日誌を捨ててしまえばよいのか、残しておけばよいのか、迷うところである。今のところ、もうしばらく保管したいと思っている。こんなわけで、写真なども含めてたくさんのものが捨てられずに我が家に存在しているのだ。断捨離はほど遠しという状況である。

(日記 午前中は、保管してある書類の整理。ついつい「ムカシ君」になってしまいそうだ。午後は、パソコンで音楽。夕方、花の植え替えなど。)

 
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イチジクシーズン開幕

14 7月

大粒イチジク
我が家の大粒イチジクが、今日二つの大きな実を付けた。すべての収穫物の初物はかならず仏壇に供えることにしている。二つのうちの一つを家内と二人で味見した。

これから、雪が降るまで大粒のイチジクを収穫できるのだ。食べきれないときには、畑の近所の人たちや友達に差し上げることにしている。スーパーなどではとても高価だ。

始めて収穫した大粒のイチジク。

始めて収穫した大粒のイチジク。

イチジクの木は成長がはやいので収穫しやすいように、枝ぶりを調整している。一本は家内が友人からもらったものだ。その木の枝を挿し木した木からも収穫できた。

また、もう一本は自分で購入した苗を育てたもので、実は小ぶりだが糖度は高い。この3本のイチジクがいよいよ実り始めたのだ。今年は、たくさん実ったらジャムにする予定だ。

ジャムにしてプレーンヨーグルトに入れて食べる味は格別だ。自然の恵みに感謝しながら、家庭菜園を楽しむことができる。イチジクは、ほかの野菜のようにほとんど手がかからなくて、たくさんの実をつけてくれるありがたい果物だ。

(日記 午前中は、本棚の整理。午後1時から、今度篠笛を吹いてくれる太鼓メンバーのFさんと『片瀬豊年ばやし』の練習。私は、三味線の練習をした。まあまあの出来だった。午後7時より『爺ちゃん勉強』。)

 
 

スクラップ

13 7月

スクラップを使う機会がないかもしれないが
私は、スクラップをすることが大好きだ。雑誌などを買った場合には、そのまま保存すると本棚を占拠してしまうので、資源回収に出さなければならない。しかし、せっかくお金を出して買ったものをそのまま捨てるのは忍びない。

そこで、今後、役立つだろうと思われる記事などを切り抜いてスクラップしているのだ。「まちづくり」、「趣味」、「童話」、「野菜作り」、「教育」、「人物」などについて気に入ったものがあれば、切り抜いてクリアファイルに保存しているのだ。

こうすることによって雑誌本体は、安心して資源回数に出せるのだ。現役時代の様々なものも保存してあるが、だんだん利用価値がなくなりつつある。その多くは、私の子供たちには何の価値もないだろう。

かといって、簡単に捨て去るわけにもいかない。何とか利用価値のある形にして気持ちよく整理したいものだ。これまで、50数年に渡っていろんな場所でいろんなことを書いてきたが、後輩たちのだれか一人にでも役立つ形にしてみたいものだ。

このスクラップをすることは、講演会などでメモすることにも似ている。どうせ後日読まないだろうとはわかっていても、「もしかして何かの役に立つのでは」」と思ってメモしている。そうすることによってその場は安心して過ごせるからだ。今日も、そんなわけで無駄なスクラップに多くの時間を割いてしまった。

(日記 午前7時より老人会の草取り。区の墓地周辺の道路の草取りを行った。私も、草刈り機を持って作業に参加した。その後、雑誌野スクラップ。午後は、久々にパソコンで音楽。歌や楽器演奏のための伴奏用CD作り。午後7時半より集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。27日の出番の練習。疲れた一日だった。)

 
 

サンドームで演歌を聴く

12 7月

小編成バンドで大音響
家内の親族がJAへ勤めている関係で、毎年、ジュースを一定量購入してサンドームの歌謡ショウを見に出かけることにしている。いつもは、メインの歌手が一人来るのだが、今日は“堀内孝雄と香西かおり”の両名だ。

私と家内は、午前11時からの部を見るために、9時少し前に自宅を出た。世中で買い物をして10時半ごろにサンドームへ到着した。午前11時に開演。

舞台を見ると、バンドメンバーは4人。エレキギター、エレキベース、キーボード、ドラムだ。これでかなり大音響で伴奏音楽を演奏していた。特に、キーボードで様々な音を出しているために、ピアノやストリングスがあるような音の出し方だ。

私のように、小編成でバンドをする者には大いに参考になる音の出し方だった。歌も聴いていたが、歌の作り方などの参考になったと思う。編曲の仕方、作曲の仕方、作詞の素晴らしさなどを学ぶことができた。

聴いている間に、だんだん歌を作りたくなってきた。今日のショウを見ていて、うまく歌を作れないだろうが、それでも意欲がわいてきた。久々に昔に返って、楽器を扱ったり歌作りをしたくなった一日だった。

(日記 午前9時半過ぎに、歌謡ショウを見るために、サンドームへ向かった。午前11時から午後12時45分ごろまで『堀内孝雄と香西かおり』のショウが始まった。少人数バンドはかなり迫力があった。参考になった。ショウの終了後、娘の家へ寄った。しばらく、孫たちのカラオケを聴いていた。そのうちに、野球の試合を終えた娘の夫も帰ってきた。しばらくして帰宅。何にも仕事をしなかったが、かなり疲れた一日だった。)