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Archive for 9月, 2012

SIXTIES

30 9月

バンド名は“SIXTIES”
  大学OB会の演奏会まであと27日となった。今日は、『じいちゃんバンド』の練習会。午前10時にメンバーが集まってきた。本番までの練習会は今日を入れても3回だ。今日は、午前・午後とも練習することになった。

  みんな大学時代からかなりのブランクがある。何度も練習しているとできることも、次の練習会にはその一部が忘れてしまっている。長年のブランクは大きい。そんなとき、がっかりするよりも私は次のように話してメンバーを励ますことにしている。

 「今、頭がフル回転している。目で楽譜を読み、それを脳が読み取り、手足に命令を出すのだ。しかし、ただ手足を動かせばよいと言うものではない。音楽に合わせてリズムよく動かすのだ。これは高度な動きだ。脳はいい運動をしているよ。」と。

昨年の静岡でのOB会。

 実際その通りだ。私もドラムはほとんど50年ぶりだ。両手両足が異なる動きをするというのは、今の私には簡単なようで難しい。かなりの瞬発力もいるのだ。ドラムソロの場合、頭で作ったリズムをどのドラムやシンバルを叩いて表現するかも問題だ。

  今日は、バンド名や演奏曲を知らせなければならない。昼食時に、そばを食べながら、相談した。バンド名は私が提案した。全員60歳代なので“SIXTIES”とした。ただし私は、今年度中(来年2月)に、70歳になる。

  SIXTIESでいられるのは、来年2月までだ。まだ、詩も曲もないのにウェスターン調の新曲“SIXTIES”もプログラムに書き込んでもらった。地域のため、家族のため、

昨年のOB会でのにわかドラマー。腕前はまだまだだ。

自分のために何かをやりながら、人生を楽しみたい。そんなメッセージを歌にしてみたい。

(日記 午前10時から午後3時半まで私の事務所のミニスタジオでバンド練習。みんな苦労しながらも、楽しそうだった。次回練習は、10月6日。今日は雨天のために、心置きなく練習することができた。帰宅してからはパソコンのファイル整理。不要なファイルや写真がかなりある。これらを削除するには膨大な時間がかかりそうだ。)

 
 

種を播く

29 9月

楽しみを仕掛ける
  私の考えだが、楽しみを期待しようとするならば、何かを仕掛けなければならないと思っている。何もしないで待っていても、そんなに楽しみは得られないだろう。

  今日、午前7時より、『農事組合法人かたせ』から畝を借りる者が集まって、畝の順番を決める抽選会が行われた。抽選は、里芋を植える場所と野菜を植える場所の二種類あった。

  私は、来年に向けて、里芋を植える場所を2列、野菜畑を1列借りることにした。今年も同じだった。里芋の畝には、里芋1列半、生姜を半列作った。野菜畑には、ニンニク半列、タマネギ半列を作った。

  そして、ニンニクとタマネギを収穫した後、そこに初栽培の秋ジャガイモを植えた。どのような味かは分からないが、秋にジャガイモがとれるとなると、春ジャガイモは来年まで保存する必要がないのでありがたい。

  今年もしばらくしたら、来年に向けてニンニクやタマネギ、その後イチゴや水菜、エンドウなどを植えて来年の収穫に期待したい。野菜収穫の楽しみを冬を越えて来春につながっているのだ。

  同じように、何かのコンクールに作品を応募したり、3ヶ月、あるいは半年後に完成することを目指して毎日少しずつ何かを作り始めるとか、今までできなかったをこつこつと継続するとか、体を鍛えるとか、いろんなことがあると思う。

  いずれにしても、何もしないで成果を期待するのは厚かましすぎるというものだ。私も、近い将来の楽しみのために、無理をせずいろんなことを始めたいと思う。

 楽しみの種を播いておくということだ。種を播く行為自体が楽しい。現役時代に比べて時間はあるのだから、何かに的を絞っていろんな種を播いておきたい。結果も大切だが、種を播くこと自体が大きな喜びがあり、結果を待つ楽しみもあるのだ。

進歩を続ける親子太鼓の皆さん。

(日記 午前中は来年借りる畝の抽選会。その後、里芋の一部を収穫。そして、来年のイチゴを植える場所を作った。収穫までには8ヶ月ほどかかる。8ヶ月後に収穫できることを期待して準備を始めるのだ。畝には、今日も、牛糞堆肥をたくさん入れて耕した。作業は昼までかかった。午後は、少しドラムの練習。親子太鼓の掲示用楽譜書き。午後4時より親子太鼓。今日は新曲を始めた。以前に比べて子供達はマスターするのが早い。見学者も一人いた。親子太鼓の教室は非常に楽しい。子供達の半年後、1年後が楽しみだ。これも種の1つかもしれない。)

 
 

血が騒ぐ

28 9月

技術は衰えたが
  来月の最終日曜日に、大学軽音楽部のOB会演奏会が静岡である。私は『福井バンド』の一員として、後輩達とバンドを組んで演奏するのだ。お隣の石川県のN君もメンバーだ。福井バンドは、JAZバンドとハワイアンバンドで2ステージを受け持つことになっている。

  私は、大学時代はドラムだったが、後輩にドラム担当がいるので、そちらに譲ることにしている。しかし、一曲だけはドラムを叩くつもりだ。今日初めてドラムを使って練習した。

ヘッドフォンでボリュームを上げて、プロのバンドの音楽を聴きながら叩くドラムは最高。ドラムソロもやりたい。青春時代がよみがえる。

  ジャスロック系の『ウオーターメロンマン』だ。ジャズのスタンダードナンバーと言ってもよいだろう。この一曲だけはドラムを担当するつもりでいる。

  私は事務所のミニスタジオで、練習した。音楽は、ヘッドフォンを使い、音楽に合わせてドラムを叩いた。やっているうちに。50年前のことが思い出された。

  当時、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』を見てドラムにあこがれたのだ。ドラムの基礎はフィルハーモニーに3ヶ月ほど在籍していたので,そこで学んだ。特に、スネアドラムの叩き方を先輩から学んだ。

     その後、創立したばかりの軽音楽部に入部した。担当はドラムだった。卒業後、自分がドラムを叩くことはほとんどなかった。近所の者とバンドを始めたときも、生徒達がバンドを始めてときも、常に、ドラムを教える立場をとってきた。そして今回も。

  しかし、昨年のOB会では少しだけドラムを叩いた。今年も昨年に続いて一曲だけドラムを叩くつもりでいる。ヘッドフォンのボリュームを上げてドラムを叩いているうちに、若かりしあの頃を思い出した。

約50年ほど前の写真。ドラムは私。ずいぶん時間が経ったものだ。技術はこの頃の方が上だろう。

  あの頃は、気持ちよくドラムを叩くことができた。しかし、今は、かなり苦労する。運動神経や長年のブランクがそうさせているのだろう。でも、楽しさと気分だけは若い頃と同じだ。血が騒ぐと言ったら少しオーバーだろうか。

(日記 午前中、パソコンで資料整理。残念ながら、新しいパソコンの音楽ソフトがうまく作動しなかった。昼前に、ドラム練習のために、事務所へ行く。1時間あまりドラムを叩いて、気持ちはすかっとした。午後2時より、県職のSさん、市の建築士会の会長さんとニューホテルロビーで、片瀬での『竹プランターワークショップ』について打ち合わせを行った。その後、家庭菜園作業。イチゴを植える場所を耕した。
そして、六呂師高原牧場の牛糞堆肥をたっぷり入れ、油かすや自作の籾殻燻炭も入れた。家庭菜園では、すでに来春の準備をしている。夜、Yくんが仕事帰りにパソコンを直しに来てくれた。おかげで、性能のよい方のパソコンでほとんどの仕事ができるようになった。感謝感激。)

 
 

健康維持のための体操

27 9月

二通りの体操
  私は月1回、鹿谷町の年配の方々に銭太鼓を教えている。というよりも、リズムに乗れるよう指導していると言った方が当たっているかもしれない。音楽は、リズムがあってその上にメロディーが乗っている。

  銭太鼓のようなリズミカルな芸は、きちんとリズムに乗っていなければ観る人が心地よく感じられない。ところが、曲のリズムではなく、歌詞を追い過ぎるとリズムが不正確になりがちだ。その部分を月一回指導しているというわけだ。

  ところが、振り付けが複雑で、音楽が速い曲になると銭太鼓の演技はあやふやになり、リズムに乗りきれないのだ。そこのところを私は指導しているに過ぎない。

   銭太鼓を練習をしているメンバーがよく言うのは、「間違う」、「覚えられない」、「忘れる」などだ。そんなとき私は答える。「今、最も脳が働いている時間ですよ。」と。

  実際のその通りだと思っている。先ず音楽を聴き、それに合わせて銭入りのバチを様々な方法(振り付け)で振るのだ。その際、必ずリズムに乗っていなければいけない。速過ぎても遅過ぎてもいけない。

  かなりの動作を一度にしなければならず、脳としては大忙しだろう。だから、脳の体操になっていると思っている。ちょうど「音読」が脳によいように「銭太鼓」も脳にとってはとてもよい体操だと思っている。

  年をとると、身体の「体操」と共に、脳の「体操」も重要だと思う。いつもこんなことを言いながら、おばさん達(失礼!同年代だ)と楽しく銭太鼓を練習している。

 「難しい」とか「できない」とか嘆くのではなく、今、頭の体操をしているのだと思えば気持ちも軽くなるといういものだ。心の持ちようで腹も立たず、前向きになれる。

猪野瀬公民館で行われた『市長と語る会』で挨拶する山岸市長。

(日記 午前中は、鹿谷公民館で銭太鼓の指導。かなり完成度が上がってきた。帰り際に、いろんな雑用を済ませた。午後は、広報誌『かたせ瓦番』の校正。完成したが、写真ページがきれいにできなかったのでやり直し。かなり時間がかかったが、予定の午後5時までには完成した。市からの配布物と共に班長に配った。午後7時より猪野瀬公民館で『市長と語る会』。私も、1つの質問と1つの要望を述べた。善処を望みたい。終了後、『猪野瀬区長会』。)

 
 

定期検診

26 9月

成績発表時の生徒の心境
  私は、二ヶ月に一度、定期検診を受けるために、福井の病院へ通っている。病院へ到着するなり、血液と尿の検査を受け、約一時間待って診察となる。

  先生の前で、パソコンに映し出されたデータを見るのだが、この瞬間はつらいものがある。二ヶ月間の摂生・不摂生が明らかになるからだ。努力したにもかかわらず、数値が改善しない場合にはがっかりする。

  あまり努力しないのに、数値が改善している場合にはうれしくなる。この状況は、テストの成績が渡される瞬間の生徒の心境だ。振り返って自分が教員であったときにはどうであっただろうか。生徒の気持ちを思いやっただろうか。反省!

  試験の成績が運などではなく勉強したかどうかで決まるように、定期検診の結果も2ヶ月間摂生したかどうかで決まるのだが、変な期待をしてしまう。ろくに摂生しないのに結果が悪くありませんようにと思ってしまう。

  いつかも書いたが、病気になるかどうかは、自分の日常生活にかかっているのだ。体のことをあまり考えずに、本能のままに飲み食いし、運動不足になればいつかは病気が襲ってくるだろう。これは偶然ではなく必然だ。私の40歳代までの状況だ。

  病気は自分が作るものだと思った方がよいだろう。修行僧のようにはなれないが、生活習慣病には気をつけなければならないと思って毎回病院を出るのだが。今度こそ運動を取り入れたい。ちなみに、今日の検査結果は横ばい。

北谷町から譲り受けた舞台を組み立てる中年会・壮年会の皆さん。これからも、この舞台をどう生かすかが課題だ。

(日記 午前中は、村の広報誌『かたせ瓦版』の編集作業。午前11時に昼食をとり、病院へ。予約は午後1時半だったが、診察を受けたのは午後2時過ぎだった。その後、楽器屋、薬局、ガソリンスタンド、猪野瀬公民館へ寄り帰宅。午後も、瓦番編集。夕食後も作業を継続。発刊日は明日。9時過ぎにようやく完成した。今回はみんなの力で祭りが成り立っていることを紹介したかったので、特集は秋祭りとした。)

 
 

パソコンの入れ替え

25 9月

慣れるのに少し苦労するが
  今年はとても忙しい。退職してから今春までの2年間は、比較的余裕があったように思う。なぜなら、事務所へ出かけて私の本職である数学のホームページづくりなどに多くの時間を割くことができたからだ。

  今年は、そんな時間がほとんどない。寂しいことだ。私の活動の一番中心に、数学があるべきだと思っているからだ。退職時にかなりパワーのあるパソコンを購入し、事務所においたのだ。

  その後、自宅のパソコンが壊れてしまったために、自宅にも新しいパソコンを買わなければならなくなった。自宅のパソコンは、事務所にあるパソコンと比べると、かなり力は弱い。

  しかし、今年の使用頻度は、事務所のパソコンの使用頻度1に対して、自宅のパソコンの使用頻度は20ぐらいだろうか。パワーのあるパソコンを放置しておいて、ほとんどの仕事は、非力なパソコンでこなしている。おかしなことだ。

  当分の間、忙しさは変わりそうにないので、パソコンを入れ替えることにした。よく使う方にパワーのあるパソコンを置くのは当然のことだが、忙しすぎて今までそんなことを考える暇もなかった。

  今日、Y君が来てパソコンを入れ替えてくれた。当然、ソフトのインストールやデータの移動などが伴い、かなりの時間を要した。しかし、最終的には、パソコンを入れ替えることができた。

  私はパソコン中毒かもしれない。と言っても、パソコンはほとんど、創作のツールとして使っている。「半農半パソ」だ。晴れれば家庭菜園や法人から借りた畝での生姜や里芋作り。雨が降れば、パソコンでの創作作業。

  パソコンが入れ替わったので、気分的に快適な作業環境が整ったように思う。少し重い描画や音楽が軽快にできそうでうれしい。それにしても、昔はなかったパソコンなるものが、多くの人に様々な影響を与えている。私には、創作ツールとして欠かせない存在だ。

昨年の平泉寺地区運動会で民踊を踊る平泉寺地区の人たち。猪野瀬地区もこうなってほしいが。

(日記 午前中は、NHKためしてガッテンで見た「ウルトラ生姜」作り。ウルトラ生姜とは、乾燥生姜のことだ。生の生姜よりも乾燥生姜の方が遙かに薬効があると言うことだ。その後、村の広報誌『かたせ瓦版』づくり。午後は、パソコンの入れ替え作業。夜は、民謡指導。町民運動会に踊ってほしいからだ。となりの平泉寺町は、昨年から町民運動会で小学生からお年寄りまでが民踊を踊った。今年も、平泉寺小学校へ出かけて児童や教職員に民謡を指導することになっている。また、地域の人には公民館で民謡を指導することになっている。今年は、私の地元の猪野瀬でも民踊が踊られることを願う。)

 
 

秋ジャガイモ

24 9月

秋ジャガに初挑戦
  今から20数年前のこと。高校勤務時、修学旅行で車は秋の九州を走っていた。バスガイドが車窓を指さしながら「みなさん、この花は何でしょうか?」と問いかけた。一見してジャガイモだとは思ったが、季節は秋なので、やっぱり違うだろうと考えていた。

秋ジャガイモの土寄せ。どんな味のジャガイモが収穫できるのだろうか、楽しみだ。

  「ジャガイモです!」とガイドの説明。私の経験では、ジャガイモは春の早い時期に種芋を植えて、梅雨前後に収穫するものだと信じ切っていた。秋にジャガイモが生えているなんて、それまでは信じられなかった。従って、ジャガイモに見えても「ジャガイモです」と答えることはできなかった。自分の常識が邪魔をしたのだ。

   ところが、最近、ここ勝山でも、秋ジャガイモを植える人は増えてきている。ジャガイモの保存は結構難しい。冬を越す頃から表面はしわしわになり、年を越すと芽が出たりする。翌年の収穫時まで、保存することは簡単ではなかった。

  もしも、秋ジャガイモを栽培できたら、春のジャガイモは秋の終わり頃まで保存できればよいことになるのだ。そして、秋に収穫したジャガイモを初夏まで保存すれば,一年中、美味しいジャガイモを食べることができるのだ。

 そんなわけで、私は今年初めて秋ジャガイモを栽培することにした。種は注文して購入した。また隣から少し種芋をいただいた。先ず、8月下旬に種芋を植えた。9月に入ると芽が出た。今日、家内と二人で芽かきをし、追肥をして、土寄せをした。

 常識は時には大切だが、時には、真実を見るためには邪魔になることも少なくない。頭を柔軟にすることが大切だ。年を取るにつれてたくさんの常識が身につき、頭の柔軟性を失いがちだ。気をつけなくっちゃ。

片瀬特産の里芋の収穫。明日中に九州の親戚へ送る予定だ。

(日記 午前中、村の広報誌『かたせ瓦版』づくり。第2木曜日は、A4で4ページ。連続物もあるが、特集物もある。月に2回発行するので、結構忙しい。発行は楽しい仕事であるが、毎回産みの苦しみも味わうことになる。午後は、秋ジャガイモの追肥と土寄せ。そして、私達二人の姉妹に送るために里芋も収穫した。また、自家用と友人にあげるためにショウガも収穫した。午後7時半からオカリナ教室。クリスマスコンサートに使用するために、新しいオカリナを購入した。新しいソプラノのF管のオカリナを使って新しい曲を練習してみた。)

 
 

祭りの後

23 9月

反省しながら前へ
 午後3時頃から祭りの後片付け。各種団体の参加の下、ステージの解体、各種提灯を取り外し、拝殿の囲いを元へ戻し、畳を上げるなど、様々な後片付けを行った。あっという間に秋祭りは終わってしまった。

各グループに分かれて祭りの後片付け。組み立てたと思ったらもう解体だ。写真は十二灯の解体作業。

  よりよい祭りを実施するために、反省しなければならないと思う。10月の役員会は各種団体合同役員とし、いくつかの議題の一つに秋祭り反省会を入れるべく、今日役員会案内状を作り、配布した。

  普通、せっかく頑張った事業に対し、あれこれ意見を述べ、改善点を述べることは、主催者にしてみれば気分のよいものではないかもしれない。しかし、これをやらないと、よりよいものにしていくことはできない。

  それにしても、祭りの成否を決定する大きな要素の一つに天候がある。幸い昨日は、終日雨が降ることはなかった。しかし、今日は“雨が降ったり止んだりの天候”である。昨日がこのような天候だったら、ステージ上に赤い絨毯を敷き、『浦安の舞』を舞うことはできなかったであろう。

  これまでの努力に対して、神様が助けて下さったと思うしかない。一日違いで天候には恵まれた。来年も、晴れるよう祈るばかりである。最後には、宮番で、提灯を集会所の二階に吊り、お賽銭を勘定して祭りの勤めは終わった。

(日記 午前中はのんびりと過ごした。その後、10月の各種団体合同会議の案内状を作っている最中に、県の土木部のSさんが我が家へ現れた。県主催、市の建築士会共催で我が片瀬を舞台に、『竹のプランター作りワークショップ』を実施したいということだった。狙いは、「身近にできる町並み作り、景観作りと、他地区との交流」とのことだった。午後3時から、祭りの後片付け。私は、宮番でもあるので、提灯や各種幕の後片付けなども有り、午後6時頃終わった。祭りに来た長女と孫二人が福井へ帰って行った。)

 
 

始まれば終わる!

22 9月

頑張っても頑張らなくても終わる
  今日は片瀬の秋祭り。この日に向けて、少しは努力してきたつもり。「祭りの盛り上がりは地域の盛り上がり」と聞いたことがある。祭りは、多くの人の協力で成り立つからだ。従って、祭りが盛り上がるということは、地域が活性化していることになる。 

奉納芸のトップは小中学生による『浦安の舞』。

  以前に高校生達に言ったことがある。
「試験最終日のことを考えてみなさい。一生懸命勉強しても、全く勉強しなくても、試験最終日は来るのだ。そのとき、一生懸命勉強して最終日を迎えるのと、適当に勉強して(よい成績を残せず)最終日を迎えるのと、どちらが気持ちがよいか、どちらがすっきりするかを考えてみなさい。」 

  それと同時に、自分の高校時代のことを思い出した。私はギターが大好きだった。しかし、試験の数日前から試験最終日までは絶対にギターを弾かないで置こうと決めていた。そして試験が終わった後に、押し入れからギターを出して弾いてみると「ギターってこんなによい音がしたのか」と思ったものだ。 

   私は、何事もやるだけのことをやって、最終日を迎えた方が気分がよいと思う。やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がましだと思っている。今度の祭りもそうだ。少しでも、祭りを盛り上げるためのアクションを起こして祭り本番を迎えたかった。 

  結果は必ずしも満足できるものではなかったかもしれないが、やるだけのことをやって今日の日を迎えたと思っている。何かをやろうとすると反省点も多く見られる。次年度はそのうちの一つでも二つでも改めればよいのだ。何にもしない場合には改めようがない。 

修繕なった太鼓(右)を使った『野良打ち』。我が太鼓のメンバーが出演してくれた。笛は私。

  4つの奉納芸の内、三つに関わった。村の太鼓を修繕したのを機会に和太鼓の『野良打ち』。中学生男子による創作『獅子舞』。そして、挿入芸を新しくした『片瀬豊年ばやし』の三つだ。出演者には感謝したい。小・中学生女子による『浦安の舞』は他の者が担当したが、神社の雰囲気にはよく合っていたと思う。 

  ここ二ヶ月ほどの間の大きな出来事のうち、二つが終わった。残る一つは静岡での『じいちゃんバンド』だが、これは自分たちがやれば済むことだから、気は楽だ。何事も、始まれば終わるのだ。悔いを残さず、前向きに取り組んでいきたい。 

(日記 午前9時半より、片瀬白山神社の祭礼で神事が行われた。その後、戦没者慰霊祭。子ども達は神輿。神事終了後直来で御神酒。その後、神主さんに我が家へ寄っていただいてお茶を飲んでいただく。午後1時に集会所を出発して、『のむき風の郷・秋まつり』会場へ向かう。招待されて銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じるためだ。午後2時に演技を終えて帰宅。少し休憩。午後4時から『親子和太鼓教室』。終了後帰宅。神社へ祭り会場の様子を見に行く。帰宅して福井の孫達と夕食。午後8時前に神社へ。午後8時半より奉納芸開始。午後9時半より抽選会。いつもより遅くなったのは反省点か。舞台の前に多くの椅子を並べたのは大成功だった。大勢の区民やその親戚の方々が来ていたように思う。会場で片瀬出身者にもたくさん会い、話したり赤ちゃんをだっこさせても
 

中学生男子による創作『獅子舞』。快く引き受けてくれた中学生に感謝。笛は私。

らったりした。疲れたが充実した一日だった。)

太鼓の中から現れたのは凜々しい男子中学生二人。ありがとう。

『片瀬豊年ばやし』の挿入芸“餅つき”。

最後は出演者全員で記念写真。私は、はちまきを直そうとした瞬間に「パチリ!」とやられた。

大盛況だった子供会育成会の模擬店(射的や輪投げなど)。会長さんもにんまり。

 

 
 

秋祭り前日

21 9月

「段取り八分」と言うけれど
  明日は片瀬白山神社の秋祭り。明日までにしなければならないことがかなりある。舞台をいただいた北谷町へのお礼。そして、百万ボルトへ出向き、アイロンプリント用紙、印刷インク等を購入。

獅子舞の布にマークをアイロンプリント。とても時間のかかる作業だった。

  午後は、獅子舞の胴体(布)のマークデザイン。そして、アイロンプリントで胴体に貼り付け。単純そうで時間がかかる作業業だった。夕方になってようやく作業を終えることができた。獅子舞に関して何よりも嬉しいのは、中学生が取り組んでくれることだ。

  自作の『片瀬豊年ばやし』の歌の文句にも書いておいたが、中学生は、まさに「明日の片瀬を支える宝」だ。私たちも奉納芸でステージを賑わすが、後に続く子ども達が同じように、頑張ってくれなければ地域そのものが持続可能にはならない。

 午後7時から、早速この獅子舞で練習をした。先ず、だいたいのストーリーを決め、後はアドリブも含めていかに楽しく演技するかだ。回転あり、肩車ありの獅子舞を二人の中学生が呼吸を合わせて演技できるかだ。二人とも飲み込みが早く期待できる。明日の祭りが楽しみだ。

(日記 午前、午後とも祭りの奉納芸の準備。夕方、祭りの鱒寿司を作るために、新米のコシヒカリを精米した。家内は平泉寺へ出向き、里芋を機械で洗ってきた。早速、夕食に里芋の煮っ転がしが食卓に並んだ。とても美味かった。さすがは我が村の特産物だ。午後7時から二人の中学生と獅子舞の練習。いよいよ明日が本番だ。)

獅子舞の練習を終えて「はい!チーズ」。頼もしい中学生だ。