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Archive for 3月, 2012

東京電力文学

31 3月

競争相手のいない企業のお上的体質
   東京電力は、お上的体質が抜け切れないようだ。大口契約者は、契約期間内ならば値上げを拒否できることになっているそうだが、それを隠して(そう取られても仕方がない)あいまいな形で値上げ通知を出したためにそれがばれてしまった。

  そのため、値上げを拒否して契約しなかったら「電気を止めるぞ」と言い始めた。選択権のない者に対する横暴な言い方だ。値上げをする前にすべきことがたくさんあるのに、それらを棚に上げておいて、「値上げは権利だ」という。

  都合の悪いことは曖昧にし、都合のよいことははっきり言う。このような手法を「東京電力文学」と東京都の猪瀬副知事は言う。なすべきことをやらないで曖昧にし、「増税」には政治生命をかけるという今の内閣も、よく似たものだ。

 増税に踏み切る前に、自ら身を切る改革をなすべきだが、ほとんどできないでいる。いまの政府もまた「東京電力文学」に染まっているように思われる。

  議員定数削減も簡単にはできそうもない。それぞれの政党の思惑があるからだ。あちらを立て、こちらを立てているうちに、国家がひっくり返りそうだというのに、何も実行できないでいる。しわ寄せは国民に向かうことになる。

  最大野党の自民党もまた衆議院の解散を迫るが、その時期を図りかねている。それは、下手に解散したら「大阪維新の会」の猛攻を受けそうだからである。国民よりも党の利益、自分の選挙を優先するからだろう。

  そろそろこの「東京電力文学」も国民からそっぽを、国民の鉄槌が下されることになるのではないか。国民の利益を優先させる真の政治家、真の政党は登場しないのだろうか。

  今の政治の仕組みでは、簡単に世の中は変わりそうにない。どの党が政権をとっても「官僚の手のひらで踊る」ことになりそうだ。政治主導というのは簡単だが、官僚を使いこなせるリーダーは今の日本では生まれそうにない。

  政治屋ばかりで政治家がいないからだ。時代は「真のリーダー」を求めている。

 「出でよ!平成の坂本龍馬!!」

猪野瀬区長会のメンバーと公民館職員。前列は任期を終えた区長(左側二人)と新区長(右側二人)。中央は区長会長。

(日記 午前中、区の合同会議の案内配りで、地区内の役員、各種団体長の家を回る。午後4時より「親子和太鼓教室」。新曲がかなりできるようになった。午後5時半より公民館に集まって、『猪野瀬区長会の歓送迎会』のために料理屋へ行く。最初に、会議があり、私は猪野瀬区長会の副会長に任命された。その後、懇親会。新しい仲間ができつつある。猪野瀬地区のために少しでも何かができたらと思う。 )

 
 

自分と国家の青春期

30 3月

人は時代と共に生きる
  終戦(昭和20年)直後に青少年だった者にとっては、自分の青春の時期と国家の青春の時期が同じ時期であったように思う。閉塞感の漂う今の時期が青春期の若者とは大きな違いだ。

  家庭には今なら当たり前の電話もなければ、テレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車もない。あるのは、自転車とラジオぐらいだった。食べ物も粗末だった。そんな時代を私たちはそれが当たり前だと思って過ごしてきた。

  戦後の復興が進むに連れて、テレビや電話、冷蔵庫、自動車などが各家庭に入ってきた。勝山でも二つの映画館でいろんな作品が上映されていた。しかし、テレビの普及で廃れてしまい、勝山でも大野でも映画館は完全に消えてしまった。

  そんな中で、大型店が各地に進出し、市内の専門店はどんどんなくなっていった。商店街はどんどん歯抜けになってしまった。山間地の集落は、後継者が都会へ出てしまい、過疎化してしまった。

  そして、「限界集落」というありがたくない言葉までできてしまった。私たちが年をとるにつれて日本も閉塞感が漂うようになってきた。少なくとも、私たちの青春時代は日本の青春期と重なり、どことなく希望に燃えていたように思う。

  今の時代はどうであろうか。消費税増税に「不退転の決意」で臨むと宣言している総理。そうしなければこの国が破綻するというのだ。緊急手術でも施さなければ不治の病に侵されて再起不能に陥りそうである。

 若者たちは、それまで「胴上げ」型で高齢者を支えていたが、「騎馬戦」型になり、まもなく「肩車」型になるという。年金は破綻するということだ。これでは将来に期待が持てないだろう。

 国家の老衰期に、自分の青春期が重なった今の若者たちは気の毒である。持続可能な社会を目指して、政治化もすべての国民も知恵を出し合う時期ではなかろうか。ある意味では、私たちの過ごした時期は、幸せな時期だったのかもしれない。

恐竜博物館の動く恐竜の前で「はい!チーズ」。

(日記 午前中、区長としての文書作り。昼過ぎに、孫たちと恐竜博物館へ行く。地球上に、恐竜が、われわれ人類の先輩として生きていたことが不思議だ。次々と地球上の生命体は変わっていくのだろうか。人類の未来はどうか。午後8時から孫たちと越前大仏の門前町でダンスを教えているN君の教室を見学に行く。ダンスを踊る若い子達は楽しそうだった。)

 
 

豊かで明るいふるさとを目指して

29 3月

我が家で新旧委員会開催
  午後7時より、私の家で「片瀬区新旧委員(役員)会」が行われた。新旧の区長の挨拶の後、委員の役割分担を行った。そして、ここから一息入れて食事を始め、委員会を進めた。

 私が区長として、皆さんに伝えたかったことは、次の4つだ。

 ・「住みよい片瀬をつくる」ために、区民はそれぞれの立場で、自分のできることからはじめる。
   区長や役員のためではなく、片瀬区民のために、誰もが自分のできることから始める。

  ・区の役員会と各種団体は連携を密にし、区の発展のために、それぞれの活動のよりいっそうの活性化を図る。
   各種団体は、主体的に活動することによって住みよいまちづくりに貢献する。

  ・次世代育成は、区民に課せられた喫緊の課題である。諸事業の遂行に当たっては、常にこのことを念頭に置く。
   少子高齢化の進むわが地区にあっては、区の存亡が問題になる。年配者は、次世代の活動の場を保障する。年配者        は 出過ぎない。支援者、指導者として次世代の育成に尽力する。

 
 

食事をとりながら新旧役員による情報交換(我が家にて)

 ・対外的、あるいは区の行事にはその趣旨を理解し、積極的に参加する。

   どのような狙いでこの行事があるのか、それらを十分理解し、参加するよう努める。

  区民の皆さんには、ケネディーの演説ではないが、「区が何をしてくれるかを期待するのではなく、区のために何ができるかを考えて行動してほしい。」と思う。

  まずは、意識を変えることから始めたいと思う。区民の皆さんが「させられている」から「したくなる」へと気持ちを変えることができれば思う。しかし、これは簡単ではない。私の最大の目標だ。

  食べ、飲み、話し、聞きながら、10時半過ぎまで充実した時間を持つことができた。しかし、今年はかなりの時間を区長として、割かなければならないだろう。

給仕に活躍してくれた息子の嫁と孫。

(日記 午前中、部屋の整理と今晩の新旧役員会の資料作り。午後7時より我が家で「新旧役員会」開催。今日は顔合わせの意味もあって、途中から食事を交えて会を進めた。息子の嫁が給仕をしてくれたので大いに助かった。孫の応援もありがたかった。区長の仕事が始まった。今年一年は大変そうだ。)

 
 

春の足音

28 3月

間違いなくやってくる春
     自然界の動きをみていると春の足音が確実に聞こえてくる。冬と春の気持ちの切り替えは、我が勝山では「左義長」が一つのタイミングかもしれない。左義長の頃は、名残雪がちらちらと降るにもかかわらず。

   あれほどあった雪も、かなり解けてきた。我が家では、日当たりのあまりよくない家の後ろ側にはまだ雪が残っているけれども、家の前の雪はほとんど解けてしまった。

  畑の雪もほとんどが解けている。除雪機でうずたかく積んだ雪を残して。雪の下から、水菜の緑が顔を出し、もうすぐ食べ頃となる。大好物のエンドウも芽を出している。タマネギも昨年暮れに芽が出始め、その芽が雪に耐えて春の成長を待っている。

  たくさーん植えた(村一番かも)ニンニクも雪の下で頑張り、さらに成長しようと待っているようだ。初めて植えたそら豆も期待の作物だ。イチゴはジャムを作るほど実るだろうか。これらの成長を楽しめるのが春だ。

  もう、冬のつらさを忘れている。忘れて春に期待をしているのだ。だから冬が来ても耐えられるのだ。どんなに雪が降っても、月日が経てば春になり、いろんな収穫が期待できる作物が待っていてくれるのだ。

  春の収穫を期待できるものは、畑ばかりではない。今なら土手に、たくさんの蕗の薹が出てきている。そして、山菜のシーズンがやってくるのだ。ワラビ、ゼンマイ、タラの芽、蕗……、どれも大好物だ。

  春はまた、人事異動のシーズンでもある。今朝も教職員の人事異動が載っていた。異動とは無縁の生活を送っているが、それでも、何となく心が騒ぐ。知っている後輩達の昇進を見ていると、ずいぶん時間が経ったのだなあとも思う。

  まだまだ気温は低いが、少しずつ暖かくなり、クーラーがほしくなる夏も控えているのだ。四季がはっきりしている地域に住んでいるから、生活にメリハリができる。

 人も含めて、全てのものの「良さ」を見つけながら生きていきたいと思う。人や地域の不満や不便な所ばかりを見つけて生活するよりも、よいところを見つけながら生活する方が遙かに精神的によい。

(日記 午前中は部屋の片付け。その後、雪で折れた木や竹を車に乗せて大野にある清掃センターへ運んだ。午後も、部屋の片付けなどを行った。その後、明日我が家で行う区の「新旧役員連絡会」の資料作りを行った。孫達は、母親の実家へ出かけた。)

 
 

バンド事始め

27 3月

今年の活動方針を相談
  昨年の10月の大学の軽音楽同好会OB会演奏会がきっかけで、あちこちでバンド活動が復活しつつある。昨年は、福井バンド、東京バンド、浜松バンド、奈良バンドが出演し、個人も2組ほど参加した。

  今年は、昨年よりバンドの数が増えそうである。福井は2バンド、東京、浜松、名古屋、奈良、四国と個人だ。昨年は4バンドだったが、今年は、7バンドになる予定だ。

  我々福井組は、ハワイアン・ウェスターン系1バンドと3管楽器を中心としたジャズ系1バンドだ。今日は私の事務所で、バンドの編成と今年の練習方針などを決めた。

  昨年の我々のバンドは上手ではなかったと思っている。しかし、それが逆にバンドを組んでいなかった連中を刺激したのか、一気にバンドを組みたいというメンバーが増えた。「あの程度なら自分たちもやれる」と思ったのだろう。

  福井バンドのメンバーは、62歳くらいから最年長の私の69歳までだ。メンバーの状況もいろいろだ。完全にリタイアしている者が4人、自営で半日仕事をしているものが1人、後は、仕事を持っている者だ。といっても、退職してから新たに仕事を続けているという感じだが。

昨年のOB会で演奏した福井バンド(ドラムは私)。於:浜松のホテル

 したがって、平日の日中から練習できる者が4人、残りは土日か平日なら夜しかできない。今年もOB会に出演する予定だが、慰問活動もやりたいと思う。

  バンド練習は、私たちにとっては、楽しみであり、頭の体操になっている。身体に運動が必要なように、脳にも何らかの刺激が必要だ。バランスのある食事、健康を維持するための運動とまったく同様に、バンド活動は生きるための必要条件だと思っている。

(日記 午前中、家の清掃。動きの悪くなったふすまを直すために、ジャッキで敷居を上げて、戸を外し、削って再度入れた。スムースにふすまが動くようになった。午後2時より、福井バンドの仲間が集まって、今後の活動方針について話し合った。今年も、楽しい時間が始まる。うれしいことだ。)

 
 

仕事で私が大切だと思うこと

26 3月

Yさんのメールに応えて
 私は予てから(学校教員時代から市教委時代にかけて)仕事では三つのことが大切だと思ってきました。そして、それは今も変わっていません。それは次の三つです。

  事を行う場合、重視したいのは、「現状分析」・「前例改善」・「内容重視」の三つです。「PDCA」サイクルが大切だと世間では言われていますが、私は前者の方をとります。

  「DO」はどちらも当たり前です。実行するために考えることですから。

 先ず事を為す場合、現状がどうであるかをよく分析しなければならないと思っています。現状分析が十分でないままではしっかりした計画を立てることはできないと考えています。

  役所時代にも、「我が課は何のためにあるのか」をよく考え、「現状はどうなのか」をよく分析して「何を優先すべきか」をよく考えてほしいと訴え続けました。何も考えずに、「前例踏襲」でも格好はつきますが、進歩はないと考えています。すなわち、前例踏襲は退歩です。

  従って、私の意見は、現状をよく分析し、「何を継続し、何を改善していくのか(前例改善)」をよく考えて行動に移ってほしいと願っています。運動会であろうと文化祭であろうと、地域の行事であろうと何であろうと、どこかによりよくするための改善の余地がないのかを考えるべきだと思っています。

  さらに、実行に当たっては、形式を重視するのではなく、「内容を重視」してほしいと願っています。子ども達に何かをやらせる場合、大人が全て段取りをして、子ども達をそれに従わせれば見かけはよくなるでしょうが、子ども達が得るものは少ないと考えています。

  Yさんの取り組みは、そうした観点からも、素晴らしいと思っています。昔は、親が忙しくて子どもにかまっている時間はあまりありませんでした。また、「もの」も十分になかったために、子ども達が創意工夫を凝らして遊んだり、作ったり、学んだりせざるを得ませんでした。

 その分、想像力や創造性が育ちました。今は、子どもの全ての活動に大人が関わり、子ども達は、いつも指示を仰ぐ立場になってしまいました。昔に戻ることはできませんが、今の子ども達にも、企画の段階からいろんな活動に参加させたいものです。

(日記 午前中、部屋の片付け、資料整理。思い切って捨てられたらどんなにいいだろうと思いながら、それができない自分がいる。午後は大野のY整骨院で治療を受ける。夕方は、ウクレレ奏者、島袋氏の「フラガール」の楽譜をパソコンに入力する。ウクレレが弾けたらいいなあと思う。あれもしてみたい、これもしてみたいと気が多すぎる自分を持てあましている。)

 
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釈尊涅槃会 だんごまき

25 3月

団子まきに孫が全員集合
  今日は、『釈尊涅槃会』のだんごまきの日だ。役員はじめ関係者は午前9時に神社へ集合。昨日までに作った団子を飾り付け、幕を張り、椅子や座布団を並べ、ストーブを準備して開会を待った。 

団子まきが行われた佛母寺(上左)、涅槃図と住職の読経。住職の挨拶(下左)、私の孫たち(下右)。

 

  午前10時過ぎに、かなりの人が集まった。わが家でも横浜の家族(長男は仕事のため横浜へ戻った)4人、そしてたまたま帰ってきた長女と二人の子供が参加した。私たち夫婦を合わせると全員で9人だ。偶然5人の孫たちが全員参加した。 

 最初に奉賛会の代表より挨拶があり、住職による読経が行われた。その後、参拝者全員が焼香を行った。そして、いよいよ団子まきだ。団子をまくメンバーは、「芋と生姜と旨い米」と襟に書かれた銭太鼓の法被を着用した。 

  私もそのメンバーの一員として、団子をまいた。参拝者から「こっち!こっち!」と声がかかった。その方めがけて団子をまいた。最後に住職が挨拶し、区長の閉会の挨拶で団子まきは終わった。 

焼香に向かう私(右から2番目)と孫。

 

  最後の住職の挨拶のときに、私が昔書いた詩「昭和の子供たち」を紹介しながら挨拶された。その詩の中には、昭和時代のモノのあまりなかった時代の生活が書かれていた。釈尊の物欲に対する戒めとを対比しながら挨拶された。 

  確かに平成の今は、多くの人たちが「欲」に動かされて行動している。原子力もまた欲望の果ての産物であるかもしれない。持続可能な社会を目指して私たちは際限のない物欲を捨て、精神的な豊かさを目指すべきではなかろうか。 

 ・・・・・・・・・・・・・(ネットより)・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「釈尊涅槃会」は二月十五日のお釈迦様のご命日にお釈迦様のご供養を行います。涅槃会では仏舎利の代わりとしてお団子をおまきします。皆様には「団子まき」として親しまれてきました。涅槃だんごは古くから身につけて山での御守り、交通安全の御守りとしてもご利益があるといわれ、またお団子を頂け 

メインイベントの団子まき。

 

ば、一年間無病息災のご利益があるとして珍重されていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

(日記 午前9時より団子まきの準備のため佛母寺へ行く。10時より「釈尊涅槃会の団子まき」が始まった。我が家では孫全員が参加した。午後5人の孫たちがいて、なんとなく過ごしてしまった。夜、家内と一緒に5番目の孫を風呂に入れた。わが子を風呂に入れて以来35年余りが過ぎたことになる。あのころは子育てに必死だった。今は、余裕を持って孫たちと接することができる。) 

団子まきに参加した我が家の孫たち。

 
 

地区の行事

24 3月

次世代につなぐために
   地区にはいろいろな行事がある。秋祭りや新穀感謝祭など村の行事、団子まきや御法事などの宗教的行事、キャンプ、クリスマス、七夕などの子供会行事、地区の競技別の大会(バレー・ソフトボールなど)や町民運動会などのスポーツ行事などである。

 これらの取り組みの中に、「次世代育成」という観点を加えてみると、そのやり方は変わるのではなかろうか。全てを高齢者や大人達が段取りして、若者や子ども達がそれに参加しているだけでは、次世代育成はならないだろう。

 子供会行事ならば、子どもを客人にするのではなく、企画の段階から参加させたいものだ。保護者が段取りした中で子ども達が参加しているだけでは、子ども達は達成感を味わえないだろう。

  見かけは順調に事が運んでいるようでも、得るものは少ないように思われる。案外大人達は、うわべのきれいさにこだわるものだ。しかし、どせやるのなら、実のあるものにしたい。

  それには、事を行う前に、「何のためそれをするのか」、「そこから何を得ようとしているのか」をよく考え、共通理解を持って始めなければならないと思う。今年は、村の役を引き受けたのでそのあたりを念頭に置きながら、事に当たりたいと思う。

明日の団子まきに備えて、昨日作った紐状の団子を切る区の関係者。

(日記 午前中、子育てマイスター関係の文章作成などを行った。昼近くに、嫁と3人の子どもを残して、息子は横浜へ帰って行った。午後は、昨日作った涅槃団子を切る作業に、孫と一緒に参加した。参加した子どもはうちの孫一人であった。老人会、村の役員など、年配者が多い中、包丁で昨日作った紐状の団子を1㎝弱の厚さに切っていくのだが、私は孫の横にいて手を切らないように気を配りながら作業を見ていた。午後4時から、子ども太鼓。3曲目を練習しているが、保育園の園児でもかなりできるようになった。何となく慌ただしい一日だった。)

団子を切るうちの孫。昨日の夜、横浜から帰省して今日は村の人に交じって団子を切っている。いい経験だと思う。

きれいに切られてできあがった涅槃団子。

 
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年中行事 涅槃団子まき

23 3月

復活した団子まき
  今度の日曜日には、区内の佛母寺の涅槃団子まきがある。3年前に復活した行事だ。私たちの子供時代にも佛母寺の団子まきがあり、そこで拾った団子を小袋の中に入れて持ち歩くと、蛇に嚙まれないという言い伝えがあった。

団子つくり。今日は、右下の紐状の団子を作るまでの作業が行われた。

 今日は、その行事のための団子作りがあるのだ。米粉ともち米の粉を混ぜ合わせ、水をいれてから着色するのだ。こうして白、赤、青、黄色の4色の塊を作り、色別に蒸篭に入れて蒸すのだ。

  その後、臼に入れて杵でつくのだ。つき終わった団子は、少し冷まし、4色を合わせて紐状にするのだ。今日の作業はここまでだ。村の役員と老人会の会員が集まった。

  明日は、子供たちと一緒に紐状の団子を切るのだ。そして、明後日の日曜日が本番だ。村の子供たちが楽しめる行事になればと思う。団子つくりによって、区民が集い、本番では、子供から大人までが集い、世代間の交流も始まるのだ。

  住職の話を聞き、お経を聞き、そして、待望の団

ボールで米粉と餅米の粉を混ぜ合わせてから着色し、4色の団子を作っているところ。

子まきが始まるのだ。山際の静かなお寺で、このような行事を今も続けることに価値があると思う。

(日記 午前中は、家の整理。午後も、作業を継続。午後7時半から、教育会館で旧勝山町の婦人会の盆踊り練習。今年もいよいよ始まったという感じだ。夏に向けて今年も『盆踊り復活』のアクションを開始したい。午後8時半ころ、横浜から息子の家族が帰ってきた。ちょうど2月前に生まれた子供(私の5番目の孫)を連れて車で帰ってきたのだ。私は、初対面だ。早速抱き上げてみた。孫たちに会えて本当にうれしい。今日も、一番上の孫とは川の字になって寝るのだ。)

教育会館での民謡の練習。

 

横浜で生まれた息子の3女。私の5番目の孫だ。家族5人で横浜から車でやって来た。

 
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電力会社の名前

22 3月

地域名ではなく供給先の名前
  電力会社の名前は、地域名とは異なる名前になっている。主に東京に電力を送る電力会社が「東京電力」であり、「関西電力」も同様である。

  開発の遅れた地域、産業のない地域に立地しているのは何故か。以前から「東京で使う電気なら東京で発電すればいいのではないか」という意見が出ていた。

 「原発は安全だ」と言って国策で先のような地域に原発を設けてきた。当時から、「そんなに安全だというのなら東京湾に作ればいいのではないか」、「原発を新宿に作ったら」という意見さえもあった。

 しかしそうはならなかった。それは、何が起こるか分からない不安があったからではないのか。今日、整骨院で待っている時に、見ていた週刊誌には。原発を作り始める時期の経緯が載っていた。

 悲しい思いでその週刊誌を読んでいた。「多数決」がいつも正しいとは限らない。特に安全に関しては、多数決だけに頼るのは危険だ。一方的な意見だけで押し切るのではなく、いろんな人の意見の聞いて実施するかどうかを考えてほしい。

 原発再稼働は、特に慎重にやってもらいたい。今また、安全よりも雇用など経済面を重視した意見があるのは悲しいことである。まだまだ、未知の分野が多いだけに、慎重に事が運ぶことを期待したい。

 画役に、安全で持続可能なエネルギーに転換するチャンスではないのか。しかし、 「原子力ムラ」の人達は利権をおかされるので許し難いことかもしれないが。「原子力ムラ」の人達には、少しは、ブータンを見習ってほしいと思う。

資料に挿入した『片瀬豊年ばやし』の写真の一部。

(日記 午前中、3台の車のスノータイヤを外し、一部の雪囲いを片付けた。午後も、作業を継続。午後4時半にY整骨院へ行った。島根県から小学生が二人来ていた。10日間集中的に、股関節の可動範囲を広げるのだという。6年生の兄の方は完全に「股割り」ができるのだ。そして、その状態で、胸を床に着けることができるのだ。ダルビッシュのように。夜は、「わがまち魅力醸成事業報告会」のために、『片瀬豊年ばやし』に関する資料を作った。)