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Archive for 3月 6th, 2012

「見る」と「観る」

06 3月

テレビから題材をいただいて
  私達は、昼間は目を開けているので、多くのものが見えている。しかし、それは観ているのではない。というのは、何か目当てを持っていることが少ないからである。

  意識がないと、毎日見ていても細かい部分がどうなっているのかは、分からない。身の回りにあるものでもそうだ。毎日見ていても、その形を紙に描くことは出来ない。

  また、ものによっては、いくら真剣に観ようと思っても見えないものもある。サッカー選手が、どのように戦略的に動いているのかは、素人には見えない。

  野球にしてもそうだ。プロの内野の選手が、どのような意図で動いているのか、素人にはわかりにくい。点差によって、カウントによって、アウトカウントによって、ランナーの数によって、今が何回かによって、動きが変わるはずだが、素人には理解できない。

  会社や官庁での採用試験で、これまで何度か面接官をしてきたが、自分の好みは分かっても、どの人がこの仕事に向いているかを見分けることは難しかった。

 「見る」と「観る」の違いは何となく分かる。しかし、ものによっては、観ようとしても見えないものがある。それは観ることが出来るレベルに達していない場合だ。

  職人は、普通の人間以上にいろんなものを観ることができ、感しることが出来る人間だと思う。政治家には、国民の動きが見えるのだろうか。被災地の人たちの動きが見えるのだろうか。ものによっては、心の眼を使わなければ見えないものもあるだろう。

幕府の祈願所として建立された上野の寛永寺の末寺になった平泉寺。以後、平泉寺の立場は強くなった。

(日記 午前中、創作紙芝居『白山平泉寺物語』の絵を描き、脚本を修正した。白山麓の住人と三馬場の関係を調べていると興味は尽きない。平泉寺を中心に見ても、幕府との関係、越前藩との関係、牛首・風嵐村との関係、他の馬場との関係など時代と共に変化している。これらを調べることはとても面白い。逆に作業ははかどらない。午後も作業を継続。午後5時から股関節のマッサージに大野のY整骨院へ行く。行き始めよりは、股関節の可動範囲が大きくなったように思う。)