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Archive for 3月 20th, 2012

ハワイ旅行記 五日目 ハワイ王朝最後の舞台となったイオラニ宮殿

20 3月

ハワイの歴史探訪
  最終日は、再びハワイの名所旧跡を巡りたいということで選んだのがイオラニ宮殿だ。朝一にこの宮殿を見学しようと思って、トローリーバスのレッド路線で出かけた。午前9時過ぎに宮殿へ到着した。

アメリカ合衆国唯一の王宮であるイオラニ宮殿の前で。

 チケットを求めなければならないと思って、切符売り場へ行くと、日本語ツアーの切符を買わされた。結果的にはよかったのだが。しかし、日本語ツアーは、午前11時半から始まるという。

 2時間がもったいないので、レッド路線のトロリーで中心市街地へ戻った。そしてワイキキショッピングプラザのフラダンス教室をのぞいた。その後、ショッピングプラザを歩いていると、アロハシャツが目に入った。ここで、夫婦揃いのアロハシャツを買った。

 そして、チケットを持っているイオラニ宮殿へ戻るためには10時45分のバスに乗らなければならないと、バス停を探したが見つからない。通りを歩き回ってもどうしてもバス停が見つからない。45分が近づいている。もう間に合わないと思ったとき、やっと見つけることが出来た。

  店へ入るとき、エスカレーターで入ったので、出るときもエスカレーターで出たが、90度方角が間違っていたのだ。幸いバスも少し遅れたので、イオラニ宮殿へは、少し時間前に到着することが出来た。

イオラニ宮殿
 イオラニ宮殿は、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してから約100年間続いたハワイ王朝最後の舞台なのだという。宮殿に入る前に、床に傷がつくというので、入館者は全員靴の上からカバーを掛けて入場した。

カメハメハ大王の銅像の前で。

言おう  1階中央の大広間へ入って日本語ガイドの説明を聞いた。壁の両側には、ハワイ王朝の王や女王の肖像画が掛けられていた。ハワイ王朝は、外国人の移入により、大きく影響を受けた国家であるように思う。

  最終的には、アメリカによって準州になり、最後には50番目の州になったようだ。この間の経緯は、何が真実か分からないが、説明を聞いていると、きわめて政治的なものであったように思われる。

  特に、ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニは、アメリカ寄りの政府によって死刑を宣告されたが、世論に配慮して8ヶ月間二階の寝室に幽閉されたという。死刑の理由は、アメリカ寄りの人間の言いがかりに聞こえなくもない。

  幸い彼女は音楽好きであったので、歌を作ることによって自分を慰めたという。相当数の曲を作ったらしい。その一つが、「ア

ワイキキ海岸で。

ロハオエ」だという。こうした背景を全く知らずに、私達は、彼女の歌を聴いていたことになる。

 「アロハオエ」について、ウィキペディアには「クーデターにより王位を追われ、支持者の多くが投獄され、自らも反逆罪の汚名を着せられてイオラニ宮殿に幽閉された女王が、この歌に滅びゆく祖国の悲哀を重ね合わせ、国民への感謝と惜別、あるいは再決起や支持を求める思いを込めていたであろうことは想像に難くない。」とある。

  また、ハワイは日本と親善協定を結び、外交関係が樹立された後、明治元年には民間の移民が始まったのだという。宮殿には明治天皇が送った勲章も展示されていた。今でも、ハワイには日系人が多いのだという。

 話は前後するが、欧米人が入国し始めた頃、病気も一緒にハワイに伝わり、原住民の人口が激減したのだという。小競り合

ワイキキ海岸で。

いをしながらも、島同士で仲良く暮らしていた原住民の生活を一変させたのは、経済的な理由で入国して外国人ではなかったのだろうか。

 ハワイがアメリカの50番目の州になるまでの歴史は、日本人の私達には簡単に理解できるものではないが、きわめて政治的な力や武力によって為されたように思う。

ハワイで初泳ぎ
  午後1時過ぎに、イオラニ宮殿の見学を終えて、再び、ワイキキトロリーのレッド線に乗っ手ホテルへ戻り、遅い昼食。その後、水着に着替えてワイキキ海岸へ。遠浅の海だった。海水はとてもきれいで泳ぎはに適していると思った。

 風が吹くと泳ぎには寒く感じるが、海の中に入ってしまうと、思っていたよりも水は温かかった。遠浅でほどよい波が来ているので素人のサーフィンには向いているように思えた。

童心に返ってハワイの海を楽しみました。

 風景は、旅行パンフレットに出ているように美しい。きれいな砂と海水、建ち並ぶ高層のホテル群、青い空とぽっかり浮かぶ白い雲、のんびりと身体を焼いている人達、サーフィンをする若者達、カラフルなヨット……、まさに絵になる風景だ。

 夜は、ホテルのクリエーション・ディナーショーを申し込んだ。食事の後、ハワイ音楽のバンド演奏が始まり、フラダンスなどが始まった。そして、本番のショー。重低音の音楽が響き渡り、照明の中に、ハワイの歴史を絡めたショーが始まった。しかし、本番のショーは著作権の関係などから撮影禁止であった。

 実質的には、今日が最後のハワイ旅行のようなものだ。部屋へ戻ってから、荷物を整理した。明日は、いよいよ帰国だから。まるで別世界の数日だったように思う。

ディナーショーの一場面。この部分は撮影可だった。

(日記 午前中は、家内と二人で創作紙芝居『白山平泉寺物語』の練習。午後2時から市立図書館で本番。ギターの音楽入りで平泉寺の起こりから一揆による焼失、そして再興、江戸幕府との関係、明治の神仏分離令により神社に衣替えするまでを約40分の紙芝居にまとめて演じた。一つのことを為し終えた感じだった。ここ数日かなり疲れた。)

前座のショーの最後の場面。

本番のショーの終了直後に入場者を送り出す出演者の皆さん。

 

図書館で紙芝居『白山平泉寺物語』を演ずる私と妻春美。