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Archive for 1月, 2017

ダブルナビで北海道・東北3000km  ⑧

06 1月

越前松島へ
被災地を後にして車は越前松島へ。最初に遊覧船で日本三景の一つ松島を見る。その後、天長5年(828年)に慈覚大師が開山し、慶長14年(1609)に伊達政宗が再興した瑞巌寺を見学する。

松島見学の遊覧船乗り場

松島見学の遊覧船乗り場

 

遊覧船上から見える島々

遊覧船上から見える島々

 

瑞巌寺への参道脇の洞窟には修行の場や石仏が並んでいる。

瑞巌寺への参道脇の洞窟には修行の場や石仏が並んでいる。

 

瑞巌寺境内の銅像など

瑞巌寺境内の銅像など

 

瑞巌寺本堂

瑞巌寺本堂

 

福島へ向かう自動車道には放射能測定表示板が設置されている。道路は原発からかなり離れているが、原発に近づくにつれて数値が大きくなっていった。

福島へ向かう自動車道には放射能測定表示板が設置されている。道路は原発からかなり離れているが、原発に近づくにつれて数値が大きくなっていった。

 

自動車〃のパーキングで見た相馬野馬追の切り絵。

自動車〃のパーキングで見た相馬野馬追の切り絵。

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km ⑦

04 1月

宮城県。南三陸町 悲劇の防災庁舎
 最後まで職責を全うして亡くなられた職員の皆さん、被害に遭われた数多くの町民の皆さんのご冥福をお祈りします。
・・・・・河北新報(2011年3月18日号より)・・・・・
いまだに職員20数名が行方不明
「われわれ年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった」
3月11日の東日本人震災で、町民8OOO人以上が行方不明になっている同町。住民を避難させようと、最後まで庁舎に残った職員二十数人の行方もいまだに分からない。
遠藤副町長ら、最後の職員が陣取ったのは同町志津川の総合防災庁舎3階の建物、今は、赤い鉄骨が残るだけだ。
津波の第1波の襲来まで庁舎内には約30人の職員がいた。しがし、無事が確認されたのはわずが8人。遠藤副町長もその一人だった。
依然行方が分がらない職員の多くが防災担当だった。防災無線を使いぎりぎりまで住民に避難を呼び掛けた。屋上に避難してフェンスやアンテナにしがみついたが、津波の力は想像をはるかに超えていた。
階段の手すりにしがみついて一命を取り留めた佐藤徳憲総務課長(60)は、第1波の後、多くの仲間が消えていることに気付いた。「何とも言えない失望感。ただそれだけたった」(以下省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 8月1日、宮城県の南三陸町の防災対策庁舎を訪れ、亡くなられた皆様方のご冥福をお祈りして合掌し黙祷しました。津波はこの3階建ての防災対策庁舎のさらに2m上まで達したそうです。

このとき、町職員遠藤未希さん(24)が放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握り、「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
と呼びかけて多くの方々の命を救ったそうです。しかし、声の主の遠藤さんの行方は震災ご見つからなかったそうです。震災当時、私はこのニュースを知って愕然とし、言いようのない気持ちに襲われたことを昨日のように覚えています。

鉄骨がむき出しになり津波の被害の大きさを今に残す防災対策庁舎。

鉄骨がむき出しになり津波の被害の大きさを今に残す防災対策庁舎。

 

防災対策庁舎の周辺は、かつての市街地の面影はなく、復興を待っている。

防災対策庁舎の周辺は、かつての市街地の面影はなく、復興を待っている。

 

かつての市街地や農地にはこのような巨大な盛り土がいくつも見られる。

かつての市街地や農地にはこのような巨大な盛り土がいくつも見られる。

 

震災から5年余りが過ぎた今、ガレキが取り払われ、道路が整備されつつあるが、建物が建ち、まちが復興されるのはまだまだ先のようである。

震災から5年余りが過ぎた今、ガレキが取り払われ、道路が整備されつつあるが、建物が建ち、まちが復興されるのはまだまだ先のようである。

 

至る所で道路工事が行われていた。道路ができて始めて上下水道や宅地ができるのだが、簡単には工事は進まない。

至る所で道路工事が行われていた。道路ができて始めて上下水道や宅地ができるのだが、簡単には工事は進まない。

被災地を車で走らせていただいたが、復興間まだまだ先のようであると感じた。ガレキが確かに多くの町では取り除かれ、道路はでき始めてはいるが、そこに住居や商店街ができ、人が行き交うまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
その間、子供達は大きくなり、高齢者の人たちはますます年を取り、ふるさとを離れて新しい生活を始めておられるのではなかろうか。そうでなくても、地方は少子高齢化と過疎化の波が押し寄せ、衰退の一途を辿っているだけに、被災地の方々のまちづくりの苦労は想像を絶するものがあるように思われる。こんことを忘れてはならないと肝に銘じた次第である。

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km ⑥

03 1月

震災被害地を行く 十和田湖から東北自動車道で盛岡へ行き、そこから宮古へ向かう。海を見ると穏やかであるが、陸地を見ると景色が一変する。電柱や道路は目立つが住宅はほとんど見当たらないところが多い。復興はまだまだであるという感じがする。実際に車で通り、被災地を歩いてみるとテレビや写真で見ていたものとはずいぶん異なる。震災の被害の大きさが改めて知らされる。自然の猛威にはただただ驚くばかりである。これは何も被災地だけの問題ではない。いつどこで何が起こるかわからない。まさに、天災は忘れた頃にやってくるから、天災は明日起きても不思議ではないと思わなければならない時代になっているようだ。被災地の皆さんのご苦労を思うとき私達一人一人に何ができるのかと考え込んでしまう。

海はどこまでも穏やかである。宮古市

海はどこまでも穏やかである。宮古市

 

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

 

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

 

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

 

 

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

 

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

 

奇跡の一本松の立て看板

奇跡の一本松の立て看板

 

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

 

巨大な護岸工事が今も続く。

巨大な護岸工事が今も続く。

 

 

 

 

 

 

 
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