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Archive for 3月, 2013

年度末雑感

31 3月

始まりは二度
  1年の始まりを1月1日と考えるか、4月1日と考えるか。仕事のことを考えると、明らかに4月1日であるように思う。日常生活では、12月になると、何となく慌ただしくなって、いよいよ新年が始まるように思うが、1月1日からは何も始まらない。

 そんなわけで、私は4月1日を1年の始まりと考えたい。勝間さんの生活の中の経済学ではないが、4月1日から、自分の能力(たいしたことはないが)、時間(日々の時間はかなりある)、金をいかに幸せにつなげるかを考えたい。

  そのためには、行動の間口を狭めなければならない。新年度の最大の目標だ。これは、モノにも当てはまる。いつか何かに間に合うのではと思って、いろんな資料や本などを保存しているが、おそらく殆どはゴミになるだけだろう。

 行動の整理と、モノの整理、これをやりながら、空白の部分をつくり、一番やりたいことに時間を投入したいと思う。これが、年度末の今日考えたことだ。

 退職以来、この3年間は、手当たり次第に何でもやって、結局は一番やりたかったことをやる時間をなくしてしまった。退職時に考えた、「地域のため」、「家族のため」、「自分のため」に限りある時間を有効に活用したい。

参議院議員で防衛大臣政務官の佐藤正久氏の講演。

(日記 午前中は、ジャガイモを植える畑を耕した。いよいよ本格的な家庭菜園作業の始まりだ。午後は、創作紙芝居『親鸞聖人物語』の描画作業。午後6時より、半ば動員で松井県議の「県政報告会」に参加。松井氏の短時間の挨拶の後、現参議院議員で次の参議院議員の比例代表候補となる“ひげの隊長”こと佐藤正久氏の講演会。“リーダーの覚悟”という言葉が心に残った。続いて、次期参議院議員地方区の候補者・滝波宏文氏の挨拶。実質は参議院選挙の事前活動でもあった。)

 
 

年度末

30 3月

盛りだくさんの一日
  今年度も明日で終わり。最後の最後にもいろんな行事があった。午前8時半過ぎに集会所へ行き、今日の『涅槃団子まき』のために、団子やストーブ、マイク、お供えなどを佛母寺へ運んだ。

読経を終えて住職の法話。

  奉賛会の役員で飾り付けなどをして、準部を整えた。午前10時より挨拶があって読経が始まった。その後、作って置いた団子をまくことになった。最初は小学生に団子をまいて貰い、その後大人達が団子をまいた。

  最後に、挨拶して団子まきは終わった。かなりの人が参加してくれた。この行事をいつまでも伝えてほしいものだ。その鍵は子ども達が握っている。準備を含めて三日間の佛母寺『涅槃団子まきは終わった。

 昼食後、左義長をやっている芳野区のOさんに左義長囃子の中で演奏するお囃子の一種である『しっちょうめ』の楽譜を貸してくれるよう頼んだところ、自宅まで持ってきてくれた。

 新しい楽譜を見ながらOさんに三味線を弾いてもらい、新たな練習用のCDを作った。そして、午後4時から始まる『親子太鼓』の指導に出かけた。今日は新しく参加した幼児の母親にも太鼓の

涅槃団子撒き。みんな沢山拾ったようだ。魔除け災難よけになるとありがたい。

練習をして貰った。

  過去の練習曲を復習し、『しっちょうめ』の練習を行った。時間オーバーになるほど楽しく練習が出来た。今年こそ、子ども達といろんな場所で演奏したいと思う。

  午後6時より猪野瀬区長会の総会と歓送迎会。区長会の役員を決め、懇親会。乾杯を済ませて、中座し、地区へ帰って『中年会』の総会・懇親会に顔を出した。そして、少しだけ、話をし、『生活アンケート』を会長に渡して、歓送迎会中の料理屋へ戻った。

  酒を汲み交わしながら、情報交換。地元の区長や議員と懇談。いろんな話を聞くことが出来た。今日はかなり忙しい一日だった。明日も、県会議員の県政報告会があり、地区の区長として参加することになったいる。年度末いっぱいまで忙しい毎日が続く。

(日記 午前中は佛母寺の『涅槃団子まき』。午後は『親子太鼓』

団子まきを終えての帰りに、お供えのお下がりが配られた。

のCD作り。午後4時より、『親子太鼓』の練習。午後6時より猪野瀬地区区長会の総会と歓送迎会。中座して、片瀬の中年会の総会・懇親会に顔を出し、その後、区長会の歓送迎会へ戻る。慌ただしい一日だった。)

左義長囃子の練習。人前でも見られるようになった。

 
 

政治の影響力

29 3月

政治ができること、できないこと
  数日前から、ぼちぼち、紙芝居『親鸞聖人物語』の描画作業を再開した。親鸞聖人の始めた浄土真宗がなぜ東西に分かれたのかという疑問があったが、これは政治の影響を受けてのことだった。

団子切り作業。今日は子供の登校日のため子供の姿が見えなかった。

 これは、本願寺の内部抗争と言うよりも、当時国を治めていた信長、秀吉、家康の勢力争いに巻き込まれて東西に分かれてといった方が当たっているだろう。現在も東西に分かれている本願寺も、当時の権力者によって大きく影響を受けたことになる。

 最近、選挙区の区割りと共に、議員定数の削減が問題になっているが、これはそれぞれの議員生命がかかっているので、簡単にはできない。0増5減だけですませるのだろうか。

  地方は過疎化が進み、都会へ人口が流出する。それに伴って政治家の割合も都会の方が大きくなる。地方のこれはますます中央に届かないこにはとになる。政治家がどうあがいても、地域の衰退は進んでいく。

  これを政治家は是正できるだろうか。簡単ではないと思う。しかし、選挙のたびに、地方の活性化などもっともらしい公約を並べるが、それが上手くいかなくても誰も文句を言わない。公約は膏薬と同じぐらい軽いのだろうか。

団子を詰める袋の準備作業。

  原発の推進は政治の力が大きく影響をしている。それはそれでよいのだろうが、真実をゆがめ、安全性を無視して政治の力で進めるところに大いに問題がある。利害関係の一致する者が、一つのグループ(ムラ)を作り始める。

  ムラは金という磁石に吸い付けられて動いているように見える。外野席から見ていると、どうも、政治家も国民も、金には弱いように思えてならない。安全性よりも、経済性(金)が優先しているように思えてならない。

  何百人という政治家が、オールジャパンで今の世の中を持続可能なものにしてほしいと思うが、今のところ、自分の議席が持続可能であることを一番に考えているような人ばかりに見える。裁判所の怒りも分からないではない。

(日記 午前中は、『涅槃団子まき』に使う団子を切った。帯状の団子を包丁で切るとその断面にはきれいな模様が出てくる。今年は、当日、団子まきにでられない家庭にも、団子を配るために、昨日、そのいわれを書いた紙を作った。カットを入れたりしていたので、午前2時までかかった。今日の団子切りと袋詰めは午前10時過ぎに終わった。午後は、紙芝居の絵描き。久々の作業だった。)

 
 

行事と子供の参加

28 3月

次世代育成のチャンス  
  区の行事には子どもたちの参加は不可欠だ。どのような行事であれ、子どもたちが参加しやすいように配慮しなければならない。子どもたちが参加し、楽しめる部分を作らなければならない。

子供と一緒に団子作り。

  しかし、子どもたちを“地区のお客さん”として扱うのではなく、“地区の一員”として扱わなければならないと思う。これは、家庭にあっても同様だ。

  子どもたちを“家庭のお客さん”として扱うのではなく、“家族の一員”として扱わなければならない。そうでなければ、次の世代に家庭が受け継がれていくことはなかろう。

 子どもたちを区の一員として扱うことは、簡単ではない。大人達が、各行事で子ども達の“活躍できる場所”を作っておかなければならない。子どもたちに、参加しがいがあるように仕組まなければならないと思う。

  子どもたちが「楽しかった」、「参加してよかった」と思えるように事を運ぶのは簡単ではないが、そうしなければ、「次回も参加してみよう」という気持ちになれないからだ。

 参加した満足感がなければ、次回に繋がらないからだ。ここのところを間違えると、子どもたちのご機嫌を取り“お客さん”として扱いかねない。週末に、曹洞宗の佛母寺の『涅槃団子まき』がある。

みんなの見守る中で一色ずつ団子をついた。

  区民のほとんどが、浄土真宗の信徒だが、先人がこの寺を我が村に移し、守ってきたので、私たちも奉賛会を作り、この寺を守り続けている。区の役員全員が、この寺の奉賛会の役員でもあるのだ。

  今日は『涅槃団子』作りの準備のために集会所へ集まった。3人の子供も手伝いに来てくれた。ありがたいことだ。本番でも、沢山の子供が行事に参加してくれることを願う。そして、私たちの子供の頃からあったこの行事を、次の世代に引き継いでもらいたい。

(日記 午前9時より『涅槃団子まき』のためのために団子作り。午後は、昨日から昨日から張り付けてある「24時間心電計」を外しに福井の病院へ出かけた。その後、家内とショッピングをして夕食を食べ、帰宅。午後7時半から『かたせ農地保全協議会』の役員会。平成24年度の総会の資料の検討。)

左:私も昔の餅つきを思い出して団子をついた。右:できあがった紐状の団子。明日はこれを切るのだ。

 
 

一億総幼児化

27 3月

一億総白痴化から次の展開
  「一億総白痴化」は、評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。テレビの普及に当たり、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力が低下し、国民が皆白痴になる」というものだ。

  こうしたテレビの番組の傾向は、かならずしも外れてはいない。テレビの番組の全てがこのようなものではないが、かなり低俗な番組は多いように思う。

  私は「ゲーム機やスマートフォンによる種々のゲームや漫画などの普及で、多くの人がどこにいても、ゲームをしたり漫画を手にする環境ができ、社会に関心を持つよりもこれらに没頭する子供のような大人が増える」と思っている。

  これを、警告する意味でも「一億総幼児化」と称したわけだが、大人になりきれない大人が増えていきそうだ。地区の子どもたちを見ていても、ゲームを手放せない者が増えているように思う。

  ゲームに没頭するだけではなく、青少年がこのような機器や漫画などに多くの時間を取られることの方が問題だと思っている。「消費的」に時間を使う機会が増えると、必然的に、「生産的」に時間を使う時間が減少する。

  バーチャルな世界とリアルな世界が混同し、様々な事件や事故が発生しないかと心配である。ゲームの世界では、人を殺すことは当たり前である。武器を使うことも当たり前である。バーチャルな世界にのめり込むことは楽しいことかもしれない。

 様々なゲームや遊びなどを考える世の大人達は、言い方を変えれば、子どもたちに貴重な自由時間を盗む「時間泥棒」であると言えなくもない。選択能力のない子どもたちは、有限な自由時間のほとんどをこれらに奪われているように思う。

  こうして、様々な実体験の不足した子供が大人になったとき、今のような競争の激しい世の中では生き抜きにくいのではなかろうか。壁を乗り切る精神も技術も体験も身に付ける機会を逃してしまっているからである。

  「一億総幼児化」が現実にならなければよいが。せめてゲームや漫画の時間を少し減らして新聞ぐらいは読んでほしいと思う。文科省も心配になったのか、教育に新聞を活用しようとしている理由も分かる。

(日記 午前中は、福井の病院で2ヶ月に一度の定期検診。毎回思うが、試験の成績をもらう学生のような気分だ。わずかだが結果がよかったのでほっとした。午後は、明日発行の『かたせ瓦版』の今年度最後の編集作業。珍しく一日前に完成した。)

 
 

米原市上丹生のTさんからのメール

26 3月

まちづくりにかける情熱
  昨年、友達に誘われて滋賀県米原市上丹生の『チュウリップ祭り』に出かける機会があった。地区の人たちが生き生きと活動しておられた。また、震災で被害を受けた南三陸町との交流もされているとのことだった。祭りには滋賀県立大学の学生も参加していた。

  祭りを通していろいろ学ぶことが多かった。帰ってから、メールと通して上丹生のKプロジェクトのTさんと知り合いになり、メール交換が始まった。いろいろ活躍しておられるので、学ぶことがとても多かった。

  また、いろんなまちづくりの会合に参加したり、上丹生にいろんな講師を招いて勉強会を開いておられるのだ。そうした情報がメールを通して私の所へ届くのだ。そんなわけで私もいろいろ勉強させていただくことができた。

 そのTさんから、昨日メールが届いた。相変わらず、元気に頑張っておられるなあと感心した。そのTさん達が、4月から毎月イベントを始めるのだという。これは相当エネルギーがないとできないことだと思う。

 今年は、是非とも上丹生へお伺いして、Tさんや地域の人達と話すことができればと思っている。いろいろまちづくりについて学び、実践しておられるTさんと知り合いになったことで、私もまちづくりについて刺激を受け、いい勉強をさせてもらっている。

(日記 午前中は、瓦版作り。午後も作業を継続。夕方、明後日から準備が始まる佛母寺の『涅槃団子作り』のための材料を揃えるために、店回りをした。)

メールの一部を紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Tさんからのメール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   ……。上丹生では3月10日に区の総会があり、4月から新たな体制で自治会がスタートします。 
総会のメリット・デメリットもあります。女性目線の自治運営も必要と思います。
 
  組織の見直しを含めて、地域の人財を生かさないのは”もったいない”と思っています。以前にも話しましたが、できていない事を責めるのでは無く、地域一丸となって、全員が当事者意識を持ち、自分たちの地域の少なくとも五年先を見据え、知恵やアイデアを出し合い、協議し良いと思ったら実行に移し、結果を検証して改善していく事が重要だと思っています。
 
    ……。地域で生まれ、地域に嫁いで来られ方が、地域で死んで行かれます。当然、嫌な事や苦しい事もあったでしょうが、最後は良い人生だったと、本人も家族やまた周りの人からもそう言ってもらえる人生を送っていただきたいと何時も思っています
 
    今年の目標は、「冒険遊び場」を通して、地域で子育てを支援する仕組みを作り市内に広める事。それに付随して地域の若い世代にも”まちづくり”への参加のきっかけを作る事。制度の隙間で困っておられる高齢者の方を、行政とも連携して地域で支援する仕組みを作る事。を考えています。
 
  しかし、どれも一人では実現できません。会のメンバーや上丹生以外の人や団体、行政とも如何に連携できるかがポイントになる思っています。昨年は、それに向けた様々な交流に、多くの時間を使ってきました。
  今年は、それを如何に生かす事ができるかが問われる年になりそうです。どこまでできるか自信はありませんが、焦らず一つ一つ進めて行ければと思っています。
 
  その一つである「冒険遊び場」は、4月から具体的にスタートします。市長が変わった米原市との協働事業として進めていきます。まだまだ試行錯誤ですが、定期開催を重ねながら上丹生らしい遊び場を作って行ければと思っています。開催に向けた案内チラシを添付しましたので参考程度に眺めて下さい。
 
  ……。時の経つのは早いもので、山さんが上丹生のチューリップ祭りに来られて一年が経とうとしています。今年も又チューリップ祭りの話題が出る時期になりました。山さんや勝山の方々と、またお会いできる日を楽しみに頑張ります。……。(……。は省略した部分です。)
 
 

Tさんからメールに添付されてきた『上丹生冒険遊び場』のチラシ。

 
 
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何を書こうかな

25 3月

今年最後の瓦版
  毎月最後の瓦版は、A4で4ページ分ある。たいした量ではないが、いつも何を書こうか迷う。書きたいことと、区民の皆さんの要望とは必ずしも一致しないだろう。今年最後の瓦版だけに、少し考えなければと思う。

瓦版に掲載する『違い探し』の一方の絵。小学生が二枚の絵の“違い”を捜して持ってきてくれることを望む。

  4月以来、創刊号と臨時号を入れると全部で25号発刊してきたことになる。今年度最後の瓦版は、通算26号となる。今年は今の流れで進み、来年は少し編集方針を変えて発行を続けたい。

  昨日区の総会があった。しかし、子供を別にしても、区民のごく一部の参加でしかない。大人が4人の家族でも、総会に参加する1人だけで3人は参加しないし、夫婦二人だけの家族でも、どちらか一方は参加しない。

  参加者が総会の出来事を逐一報告することはあり得ないだろう。ほとんどの区民は、総会で何が話されたのか皆目見当が付かないだろう。昨日は市の大きな行事があったので、参加できなかった家庭もある。

  そこで、今回は、総会の報告を兼ねて発行したいと思う。区を愛することは、区に関心を持つことだと思うが、簡単なことではない。それでも、何人かは「瓦版を楽しみにしている」と言ってくれるので、それを励みに今後も、瓦版の発行を続けたい。

  また、「違い探し」の答えを見つけて持ってきてくれる小学生もいるのでこれも続けたい。小学生との接点にもなっている。1人で来るのが恥ずかしい子は親子で来ることもある。小学生が我が家へ来てくれるのは本当にうれしい。

   私のねらいは、この瓦版をもとに家族の話し合いが行われることだ。しかし、実際はどうだろうか。親子が、祖父母と孫が、瓦版を題材にしていろんなことを話し合うことを期待したい。

(日記 午前中は区の事務処理や要望や質問のために、市役所へ出かけた。午後は、28日発行の瓦版作りの初日。子どもたちのための『違い探し』の絵を描いた。)

 
 

一段落

24 3月

区の定期総会終わる
  今日は、区の決算総会と社会奉仕のある日だ。この日に向けて、ここ2週間ほどは、一般会計ほかいくつかの会計の決算報告や次年度に向けての行事計画や予算書作りなど、事務的な作業に時間を費やしてきた。

  我が地区にも少子高齢化の波は押し寄せている。区の戸数の三分の一が一人または二人暮らしの家庭だ。数年後には、確実に一人暮らしが増え、空き家も増えていくだろう。

  小・中学校までは1km、高校や市役所までは2kmほどの距離にあり、スーパーやコンビニ、ホームセンターも1km前後の所にある。生活面ではそんなに不便なところではないが、市全体としては若い人が働く場所が不足している。

区の奉仕作業。命綱を付けて神社の屋根に登って杉葉を落とす者(上左)、公園の藤棚の剪定(上右)、市指定文化財の杉の木の周辺を清掃する者(下左)、公園の生け垣を剪定する者(下右)、それぞれの場で区民の皆さんが頑張ってくれた。

  そんな中で、区の運営をいかにしていくかが課題だ。草刈り機を担いで山道を遠くまで行かなければならない「山道作り」などは高齢者には困難な作業だ。今年、市役所とかけあい遠方部分だけは、市でやっていただくように話をつけることができた。

  この遠方部分は、元々当区がやるべきではなかった部分だけに、当たり前の状況に戻ったとも言える。区民の皆さんに訴えたかったのは、この地で私たちが、隣近所仲良く、心豊かに、楽しく暮らしていくことだ。

  次の世代にどうしろこうしろという前に、私たちが「ここで住んでよかった」と言えるようすることだ。今日の総会も、提案など前向きの意見もあった。少しでも住みよい地区作りに区民の皆さんと一緒に頑張りたいものだ。

(日記 午前8時より区の奉仕作業。神社や公園や林道など各班に分かれて10時まで作業。その後、10時半から区の定期総会。そして、懇親会。無事終わって一段落。帰宅して、昼寝。福井の孫達とはあまりつきあえなかった。午後8時半過ぎ、我が家で風呂へ入って帰って行った。)

田んぼの取水口の整備も春の重要な仕事。

 

帰るまではしゃぐ福井の孫達。

 
 

人口減少をどうするか

23 3月

都市による「人の奪い合い」
  市長の「早春の集い」に地区の一員として参加した。国会議員、県会議員、市会議員などが祝辞を述べた。祝辞だけで1時間ほどかかった。それぞれが、自分の主張を述べているという感じだった。

  市会議員から、都市による「人口の奪い合い」が始まっているという話があった。東京周辺の都市を例にとり、住みよいまちづくりをして、あの手この手で若い人たちを勧誘しているのだという話だった。

  大都市近郊の都市ではそれができるだろうが、地方都市は簡単ではない。一番の問題は、働く場の問題ではなかろうか。市長からも、企業誘致を進める話があった。

市長の早春の集い。

  働く場を確保するには、既存企業の振興、企業誘致、そして、起業が大切だと思うが、特に若い人たちには、自ら起業する意欲を持ってもらいたいと思う。現存する企業も誰かが作ったのだから。誰かが起業したのだから。

 若者達には、起業マインドを持ってもらいたいと思う。そのためにも、子供時代から、創造性や想像力を養わなければならないと思う。学業は、創造性を培う基礎とはなるだろうが、それだけでは不十分だと思う。

  学校では得られない体験を積むことが大切ではなかろうか。学校での学びと学校以外の学びが互いに影響し合って新しいものを生み出す力になるのではなかろうか。新しい時代に対応する力が身につくのではなかろうか。

  地方都市はどんどん人口を減らしている。地方にあるものを生かす、地方でできることを考える、そんな人材が生まれないか、そんなことに想いを致す政治家が生まれないか、そんなことを考えながら、会に参加していた。

親子太鼓の練習。最後に左義長囃子の練習。子どもたちはとても楽しそうであった。

(日記 午前中は、親子太鼓のCD作り。午後10時半に村の人たちと山岸市長の「早春の集い」に参加。帰宅して、掲示用の楽譜作り。午後4時より、親子太鼓。今日は新しい曲の練習。いい汗をかいた。午後、福井の孫達がやって来た。急に我が家が賑やかになった。)

賑やかに立ち回る福井の孫達。やっぱり子供の声はいい。

 
 

「こんにちは」

22 3月

“あいさつ大賞”を与えたい
    昨日のこと。私と家内の二人が、ニンニクの植えてある畑の中で草をとっているときのことだった。「こんにちは」とはっきりした女の子の声が聞こえてきた。驚いて二人が立ち上がり、道路の方を見ると、かわいい女の子がいた。

  同じ村の小学二年生のNちゃんだった。思えば、昨年の春頃は、こちらがあいさつしても、小さくうなずくだけで自分からはあいさつできない子だった。毎日、集団登校の子どもたちが集まるところでプランターに水をやっていたので、よく会ったのだ。

  そのうちに、彼女の方から、元気にあいさつしてくるようになった。私が毎月発行している瓦版の「間違い探し(小学生のための企画)」の答えを持って我が家へ訪れるようになった。元気にあいさつしてやってくるのだ。

  あいさつができるようになると、次の一言が出てくるのだ。畑の中から、家内が「どこへ行ってきたの?」と問いかけると「はっきりした声で「○○公園へ行ってきました。」とはっきり答えてくれた。

  私も、「Nちゃん、歌が好きなの?」と聞くと、「普通です。」との返事が返ってきた。あいさつができると、次に何か話すことができる。この調子で大きくなっても、あいさつや立ち話ができる関係が続くことを願う。

  今年も、子供会育成会の皆さんに「片瀬の子をあいさつのできる子どもにしましょう」と呼びかけるつもりだ。私は、“あいさつは 心と心の 握手です”と思っている。

  今日の午後、外で庭木の剪定をしていると、表通りを自分から元気にあいさつできる近所の小学一年生のKチャンが縄跳びを持って歩いてきた。家内が、「縄飛び、何回できるの?」と聞くと、かなり大きな声で回数を教えてくれた。

  Kチャンは縄跳びを始め、家内が数を数え始めた。「1,2,3,4,5,……100,101,102……」。和やかの風景だ。私の方も、作業の手を止めて「何か歌って」というと、始めは恥ずかしいと言っていたが、そのうち家内と一緒に歌い始めた。

  そして、「何か手伝いさせて」という。なぜ、このように会話が進むのか。その答えは簡単だ。あいさつを交わせる間柄になっているからだ。多くの子どもたちが義務的ではなく、自分から進んであいさつできるようになったらしめたものだ。

  二人には、私個人から“あいさつ大賞”を与えたいと最近真剣に考えている。他のこのことを考えると、簡単ではないが、なんとか、彼女たちの好意を褒めたいと思う。少なくとも、二人の担任の先生にはお伝えしたいと思う。

 あいさつは人間関係を築く第一歩だと思っている。我が村の小学生は、「自分からあいさつができる子」、「こちらがあいさつするとあいさつできる子」、「こちらがあいさつしてもあいさつできない子」がそれぞれ三分の一ずついるのだ。

  気持ちよくあいさつできる子になってほしいと思う。そのためにも、こちらから気持ちよくあいさつしたいものだ。あいさつは、私たち大人の背中で指導できればと思っている。

(日記 午前中は、公民館で総会資料の印刷。午後は、庭木の剪定作業。区民がゴミ集積所へ出して回収されなかったゴミをトラックに積んでゴミ処分場へ持って行った。なかなかゴミの出し方が理解してもらえない。午後は、明日の親子太鼓の練習用CD作り。思ったよりも沢山の時間がかかった。)