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Archive for 3月, 2013

パソコン世代

21 3月
世代逆転
  私たちの子供の頃は、パソコンどころか計算機すら軽便なものはなかった。大学時代でさえも、建築家などは計算尺が主流であったように思う。計算機も、歯車の付いた手回し式で機械という感じだった。

 

  社会へ出ても同様であった。得点順に順位をつけようとすると、表を作って一つずつ番号をつけなければならなかった。そのうちに、NECのコンピューターを目にすることができるようになった。 

ウオーキングの帰りは、家内の実家(→印)の前を通った。フキノトウが沢山顔を出していた。

  そして、日進月歩で大きさや性能がよくなり現在に至っている。しかし、今の子どもたちは、生まれながらにして身の回りにパソコンやスマートフォンがある生活をしている。 

  会社や役所では、だいたい上司がいろんな経験や知識を持っていて部下を指導するのだが、パソコンに関しては“世代が逆転”していて、若い者の方が知識を持っているのだ。上司の方が部下に習わなければならない状況が続いている。 

  私は、辛うじてパソコンを使っている最後の世代かもしれない。しかし、自分の愛用するソフトが毎年のようにバージョンアップし、ついて行けない。そのため性能の何分の一も使えていない。 

  スマートフォンも、メールと電話がやっとという状況だ。おそらく、これからもいろんなソフトが現れ、どんどん性能がよくなってくだろう。バージョンアップのスピードについて行けなくなるのは間違いがない。 

  しかし、悲観はしていない。それは。創作童話に合わせて絵を描いたり、曲を作り、それらを編曲したり、歌を入れてCDにするようなことはパソコンのおかげで辛うじてできるので、自分のレベルでパソコンを楽しむことができると思っている。 

山際の全ての田んぼに猪などの獣害を防ぐ金網が張ってあった。農家の人たちも大変だ。

  パソコン世代の最後尾をもたもたしながら進んでいく自分である。今後、この方面ではどのような変化が起こるのだろうか。少しでも多く見てみたい気もする。しかし、変化の多くがアメリカ発であるのが少しさみしい気もするが。 

(日記 午前中は、地区の総会で話題提供する問題についていろいろ調べたり資料を作ったりした。今日は晴れているが冬並みの寒さだ。風が冷たいので外へ出るには手袋と耳当ては不可欠だった。午後2時半頃、平泉寺の菩提林の入り口に車を止めてウオーキング。坂道が多いが、足の筋肉を鍛えるにはよいコースだった。帰りは、農道を通って戻ってきた。途中の土手には“フキノトウ”がたくさんあった。山際の田んぼには猪などの獣害を防ぐために金網が張られていた。昔は、なかったことなので農家の人も大変だ。夕食には、フキノトウの酢味噌和えと天ぷらが食卓に上った。まさしく春の味であった。) 

食べるには少し大きくなりすぎたフキノトウ。手頃な大きさのフキノトウも沢山あった。

 
 

パソコンドクター

20 3月

正に医者と同じ
  パソコンはわがままな機械だ。パソコンが出始めた当時、パソコンのことを“与太郎”と称した人がいた。言われたことはするが、自分で進んでは何もしないというい意味だろう。今は、簡単にはそう言えない。

  素人がパソコンを使うと予期せぬミスが出る。どんな簡単なミスでも、自分では直せない。パソコンをいくら起動しようにも、起動できない。よく見たら、コンセントが抜けていたなんてミスは論外だが、次々といろんな予期せぬトラブルが起こる。

私の部屋でパソコンを操作するY君。彼のおかげで私のパソコンライフが成り立っている。

  日常生活で急病になったようなものだ。熱が出た、腹が痛い、頭が痛い、胸が痛い、……など、日常、体の不調を訴えることは少なくない。特に、幼児の場合には、早期に手を打たないと大変なことになる。

  こんな時、頼りになるのは「かかりつけの医者」だろう。応急処置をしてもらえれば安心できる。本格的な大手術や難しい病気の場合にはやはり大病院が必要だろう。

  パソコンの場合も、同じようなことが言える。パソコンの場合始末が悪いのは、トラブルによっては全く機能しないことだ。そうなると、今まで作ったデータも使えず、新たなものも作れない。お手上げだ。

  そんなとき、身近にいて助けてくれる“パソコン・ドクター”がいるとありがたい。昔は、息子がいたが、今は東京で仕事をしているので簡単には頼めない。しかし、息子の友達のY君が助けてくれるのどうにかパソコンを使う作業ができている。

  もしも、Y君がいなかったら私のパソコンを使う作業はほとんどできなかったであろう。Y君は、ソフトのインストールや、トラブルに対応してくれるので頼りにしている。他の人たちはどうしているのだろうか。

  とにかく、パソコンは予期せぬミスの出る機械だ。私のように、絵を描いたり、曲を作ったりするなど、パソコン大好き人間にとっては、パソコンがストップしたら、おしまいだ。

  時々、農事組合の人足として稲刈りなどに出るときがあるが、コンバインもよく似たところがある。オペレーターがお手上げの場合、すぐに業者を呼んでいる。その間、ただ待っているだけだ。

  いずれにしても、機器が高度化するにつれて、故障した場合には素人には手も足も出ないので、それらに即座に対応してくれるドクター的な人が必要になる。私は、そういう意味では恵まれている。Y君に感謝。

菜っ葉を植える場所を耕した。いよいよ春。家庭菜園作業が始まったという感じだ。

(日記 午前中は、区の総会の資料作り。ようやく全てができあがった。午後は、農作業。家内と二人で、最初は、法人の畝を借りて作っているニンニクの雑草を取り、追肥。同じ場所で草取りをしていたNさんが「エンドウとレタスとキャベツの苗をあげよう」と言ってくれた。早速、先ずエンドウの苗をいただいて事務所横の家庭菜園の芽が出ていない部分に補植した。その後、家庭菜園の耕耘作業。いよいよ春だなあと思う。『晴耕雨パソ』の季節が本格的に始動。午後時半頃、パソコンドクターのY君が家へ来てくれた。1時間ほどかけて3台のパソコンにソフトをインストールしてくれた。その後、二人で焼き鳥屋へ。まちづくりやパソコンのこと、政治のことなどいろんな話をすることが出来た。楽しい時間を過ごすことが出来た。Y君に感謝。)

 
 

私も“カツマー”

19 3月

言葉に力がある人
  経済評論家の勝間和代さんのファンを“カツマー”と言うらしい。そういう意味では私もカツマーかもしれない。その勝間さんが、福井新聞で定期的にコラムを書いている。

  昨日のテーマは、「人生 充実させるには~お金、時間 有効配分を」であった。勝間さんによれば、「経済学とは、結局、私たちがより幸せになるために、様々な限られた資源をどこに有効配分すればいいのかを追求する学問」だそうです。

  そして、私たちが日常生活で「どのように自分の力と時間、お金を使えば充実した人生を過ごせるか」といったことを経済学的に考えることができると述べておられます。

セメントプランターのパンジーと芽を出し始めたチュウリップ。後は、私の事務所。

  勝間さんはさらに次のように述べています。

  「私が最近執筆以外で最も熱心に時間をかけているのは、調理とゴルフです。調理では、体にいいものをおいしく食べるための工夫を日夜重ねています。ゴルフは、基礎練習からラウンドまでとにかくコツコツと鍛錬を重ねています。

 調理……研究して時間を使うほど、健康と長寿をもたらします。その知識を共有することで周りの人も幸せにできます。
 ゴルフ……健康はもちろん、コミュニケーション力や継続する力の鍛錬にも役立ちます。」

とのことだ。どちらも“経済的に理にかなっている」そうです。経済学を難しく考えないで、“今の日常で無理のない範囲で、どこに自分の有限な資源を使えば幸せになれるかを考えればよい”と述べておられます。

  しかし、多くの人は、昨日やっていたことを続けて無難に過ごそうとして、成長の機会を逸し、自分の5年後、10年後をリスクにさらしていると述べておられます。

 毎回、勝間さんの言に少なからず影響を受けています。私は、いろんなことに手を出し過ぎ、本当に自分のやりたいことに時間が回らず、反省しています。なけなしの資源(力、時間、金)を有効に活用していないのです。

村のKさん宅のプランター。道行く人を楽しませている。

  この点は、家内にもいつも指摘されています。今年は、勝間さんのおっしゃるように自分の時間を“生産的時間”に費やし、“消費的時間”を少なくしたいと思っています。

  今日は晴れていたので、家内と散歩しましたが、これは私にとっては、欠かすことのできない“生産的時間”です。心身の健康や体力作りに大いに役立ち、途中で出会った人たちとコミュニケーションを図ることができるからです。

  今年は、無理をせず、自分にとっての“生産的時間”である数学や創作活動に重点的に時間を使えればと思っています。もちろん、ウオーキングや家庭菜園作業も、私にとっては“生産的時間”であり、楽しみながらバランスよく時間を使いたいものです。

(日記 午前中は、総会資料作り。その後、区の補助金の申請作業で市役所へ行く。帰りに、図書館へ寄る。午後も作業を継続。午後4時頃、家内とウオーキング。去年植えた事務所のパンジーが雪の下でも元気に育ち、花を咲かせていた。またチュウリップも成長していた。花の咲く頃が待ち遠しい。)

 
 

行事に子供の参加を促したい

18 3月

魅力ある行事にするには
  最近、いろんな行事が簡略化している。冠婚葬祭も、業者によりてきぱきと短時間で行われるようになった。明治の末期に、我が村の若者達が、『日曜倶楽部』を結成し、『片瀬誌』なる雑誌を発刊した。

  そこには、様々なことが書かれていて興味深い。その中には、いろんな行事についても書かれていて、その後書きに次のように書かれている。

  「……。元服祝、報恩講、祭礼、およびその他の行事を消極的に観察すると、ご馳走を食べ、お客をもてなしているだけで、無駄な消費をしているという人もあろうが、徳性を涵養上、すこぶる重大なことに属する。なぜならば、徳性を涵養するということは最終的には人情を厚くすることに他ならない。……」

 大正元年頃にも、行事を簡単にしようとする動きがあって、これらを戒めている論調が見られる。ところが、この傾向は、その後もずっと続き、例えば各家庭毎に行っていた「報恩講」は完全に廃れてしまった。

3月末に行われる『涅槃団子まき』のポスター。私たちの子供時代も行われていたが、その後、廃れてしまった。復活して数年になる。

  祭りも、「若い衆まつり」、「弓矢(前夜祭)」、「本祭り」、「後祭り」と行われていたが、今では、少しずつ簡素化され「本祭り」のみになってしまった。この本祭りも、近年は、抽選会を行うだけになっていた。

  三年ほど前に、有志が集まり、祭りを盛り上げようとした。そして、伝統の銭太鼓(他県の模倣)をオリジナルに作り替え、『片瀬豊年ばやし』として、蘇らせ今日に至っている。今年もすでに、市外への出演が決まっている。

 銭太鼓と同時に、小中学生女子による『浦安の舞』も続いている。昨年は、中学生男子による『獅子舞』も始めた。今年も、何らかの形で祭りを盛り上げたいと思う。

  地域を活性化するには、子どもたちの参加は不可欠である。いかなる行事であろうと、子どもたちと一緒に行わなければ後へは続いていかない。子どもたちが興味を持てる形で、子どもたちが活躍できる形で地区の行事を見直さなければならない。

  子供会育成会の皆さんの理解と協力が不可欠である。また、子どもたちとのコミュニケーションを図ることができなければならないだろう。その第一歩が、あいさつだと思っている。

  あいさつは 心と心の 握手です

(日記 午前中は、『涅槃団子まき』のポスターを作った。村にある曹洞宗の仏母寺の行事だ。私たちは、浄土真宗だが、村の先人がこの寺を片瀬へ移し、今日まで守り続けているのだ。そのため、区長が「仏母寺奉賛会長」になっているのだ。外国の宗教なら大問題になり、戦争になりかねないのだが、日本では神と仏を一緒に祀ったり、異なる宗教を排斥することはないのだ。平和的であると言ってもよい。午前11時頃、「見守り隊」の感謝の会のために小学校へ出かけた。)

 
 

敗者復活

17 3月

この言葉で思い出すことは
  「敗者復活」は非常に大切なことだと思う。一度敗者になったら、たった一度の人生で浮かばれないようでは、若者達は新しいことにチャンレンジできないと思う。

  かつてNHK特集で「シリコンバレーの挑戦者」という番組が放映された。私は、この番組が気に入って番組全てを文字化し、動画から静止画を切りだし、挿絵までつけて冊子にした。そして、これを仲間内に回覧したことがある。

 その中には、このような部分があった。「シリコンバレーにはIT関係の企業が約8,000あり、約1,000社が毎年入れ替わる」と放送されていた。1,000の会社が廃業となり、約1,000社が生まれるというのだ。

  起業に失敗した者がリスクを取ることがないとも放映されてきた。なぜなら、起業をしたい若者が、投資家に説明し、投資を受けるのだが、投資家の方も事業内容をよく聞き、問題点を指摘し、事業化が可能なら始めて投資するのだ。

  成功すれば相当の利益が得られるのは言うまでもない。従って、投資家と起業を目指す若者が真剣勝負になるのだ。そして、  このような投資家を「エンジェル」と呼んでいた。もしも若者が起業に失敗しても、責任は投資家にあるのだ。

  従って、これまでの日本のように、大金を借りて起業に失敗したら、莫大な借金を抱え、二度と立ち上がれないということはないらしい。こうなると起業に対するチャレンジ精神が起こらない。敗者復活が約束されるのが大切だ。

  一度失敗しても、再びチャレンジすることが可能になれば、いろんなことを起業に結びつけようと若者達が果敢にチャレンジすることになる。この中では、創立間もないグーグルに働く若者達も紹介されていた。また、それらを支援するスタンフォード大学の教授達も紹介されていた。

  ところで、このシリコンバレーの発展の礎はヒューレットとパッカードの二人らしい。彼らは、他の学生のように東海岸の企業に進まず、ガレージで小さな会社を起こしたのだ。その小さな会社が、世界でも最大のコンピュータ会社“HP”に発展したのだ。

  私は、今2台のデスクトップパソコンと大小2台のノートパソコン(1台はモバイルパソコン)を使っているが、そのうち3台はHPのパソコンだ。どこかでシリコンバレーと繋がっているのだろうか(冗談)。

 次に、敗者復活というと思い出すのは、安倍総理ではなかろうか。最初の総理の時は、いいところなく終わってしまった。あのままだったら敗者のまま政治家生活を送ることになっていただろう。今回、見事に返り咲いたというしかない。現在のところ順調。

 “アベノミクス”が公約通りに進むことを祈るばかりだ。真価を発揮するのは、これからではなかろうか。いずれにしても、敗者復活が可能な日本にならなければ、今後の発展はないと思う。

ウオーキングに出かけた平泉寺の菩提林。

(日記 今日は少し時間に余裕があった。午前中は様々な区の種類の片づけと総会資料の仕上げ。午後は、快晴なので、家内と二人で平泉寺方面へウオーキング。県外からの観光客もかなり来ていた。帰りにかの有名なソフトクリームを買おうとしたが長蛇の列であった。帰宅すると、長女の家族が恐竜博物館へ来た帰りに寄っていった。)

 
 

区の活性化と予算編成

16 3月

小さくても苦労はする
  今日は、区の総会に向けての最後の役員会。平成25年度の予算編成。少しでも各種団体への補助を多くしたいし、行事などにも少しでも多くの予算をつけたいと思うが、歳入が限られているだけに難しい。

  あちらを立てればこちらが立たずという感じだった。私の原案を元に、役員にいろいろ協議してもらった。結局、午後7時から始めて午後10時過ぎまでかかった。その後、一つの会計の監査をしてもらったが、それが終わったのは午後11時を回っていた。

 小さな村の小さな会計だが、難しさもあり、面白さもある。来週の決算総会の後の懇親会では、区の活性化について酒を酌み交わしながら、語り合いたいものだ。とにかく、今日は疲れた。

(日記 朝から午後3時半まで区の役員会に出す平成25年度の区の予算案など総会資料について考え続けた。午後4時より『親子太鼓の練習』。今日は、4月から年中組になる幼児がお母さんと妹と一緒に太鼓の見学に来た。曲太鼓の後、左義長太鼓の練習。左義長の方は園で練習したのか、それなりに上手だった。帰り際、「おもしろかった!」と言ってくれた。こんな言葉を聞くとやりがいがある。勇気をもらった。午後7時より、今年最後の区の役員会。決算総会に向けていろいろ話し合った。かなり時間がかかったが、楽しかった。でも忙しい一日だった。)

 
 

TPP交渉参加

15 3月

筋書き通り
  これまで、与党の自公は「聖域なき完全撤廃を前提とする限りTTP交渉参加は反対」と力説してきた。特に衆議院選挙前は、街頭では前半部分があまり聞こえず「TPP反対」を強調していたようだ。しかし、今日の安倍総理の会見を待つまでもなく、全てが筋学通りに進んでいるのは素人でも予測がついていた。

  しかし、今日まで総理は、「聖域なき関税撤廃を前提とするならTPP反対」と言うばかりであった。そして、アメリカのオバマ大統領との会談で、「聖域なき関税撤廃が前提でないことを確認した」として今回交渉参加に踏み出した。

  国民との約束は必ず守るとしたが、そもそも農業をどうすべきかの議論がほとんどない。もしも農業をあまりにもそろばん勘定で考えたら、農業は衰退し、農村は崩壊するだろうと思う。

  海外の安い米に押されて少しでも安価に米を生産するために効率を優先したら、どうなるだろうか。海外のような広大な農地を持つ地域と、山間地の多い小規模な農地をもつ日本では最初から勝負はできないのではなかろうか。

 大規模化をしようにもそうした条件に合う土地は、日本では北海道ぐらいしか存在しないだろう。効率的な面だけを強調すると、日本では農業が成り立たなくなる可能性もあるのではなかろうか。

TPP交渉参加の決意を述べる安倍総理。言っていることは、素晴らしいが……。

  外国に比べて非効率的な農業しかできない日本の山間地も、国土を守るという点ではその存在意義は十分あるだろうと思う。TPP交渉参加によって有利になる産業もあれば、そうでないものもある。

  これらのバランスを取り、食料生産を全て他国にゆだねることなく、持続可能な農業のあり方を模索しなければならない。食糧安保という考え方である。TPP交渉参加を選んだからには、政治家の皆さんにそのことを期待したいと思う。

  私の予想だが、今、目の前のテレビでTPP交渉参加について述べている安倍総理の語るように事が運べばよいが、実際にはそのようには簡単にはいかず、様々な問題が噴出するような予感がする。日本の交渉力に期待したい。

  交渉力は相手の方が上田市、様々な要素が絡み合っていると思う。尖閣問題も、防衛問題が絡み、アメリカの力を借りなければならない日本が、TPPだけを考えて動くことは容易でないように思う。

  相手は「アメリカンフットボール」の国であり、幼い頃から「ディベート」で鍛えている国である。交渉力は相手の方がずっと上のように思う。祖越え、様々な問題が絡めば、TPPの交渉は簡単ではなかろう。政治家の皆さんに期待したい。

(日記 午前中、総会の資料作り。午後は、雪囲い外しの最終段階。暖かで気持ちのよい一日だった。朝、私の部屋の温度は1度。かなり寒かった。午後はストーブをつけなくても16度だった。)

 
 

今頃“iPhone”

14 3月

携帯機種変更に当たって
  これまで、私は普通の携帯を使ってきた。私が携帯を使う理由は、電話とメールのためだ。インターネットは自宅に光ファーバーが入っているので、それで十分だ。そして、私は自宅のパソコンで一日も欠かさずブログを書いている。

  しかし、旅に出たときには困る。そこで、昨年までは、旅先では、ノートパソコンにカードを入れてブログを書いてきた。カードのおかげでどこでもネットができる環境ができたが、事務所では電波が悪くてあまり使えなかった。そこで、昨年カードを使うことを止めた。

果たして私に使いこなせるか?何を情報発信するか、楽しみでもある。

  今の私は、自宅外で自由にパソコンを使い、ネットをやり、そこから情報を発信したいと思っている。迷っているうちに、長女夫婦、長男夫婦、次女が携帯を“iPhone”にかえた。

  私たち夫婦だけが異なる機種を持つことになった。息子に相談すると、“iPhone”にかえるのもいいだろうということになった。そこで、思い切って、先ず私が“iPhone”にかえることにした。

  この“iPhone”を使って、屋外でもネットができるような環境にし、パソコンで自由に情報発信をしたいと考えている。画像編集や描画、音楽も自由に外でしたい。

  また、私は外出するとき、携帯とデジカメと“iPad”の三つを持つことが多い。しかし、これからは一つでよくなる。スマートフォーンを使う最後の世代かもしれない。きっと、最初は戸惑うことだろう。間違っても、ゲーム機にすることはないだろう。

  “iPhone”を情報発信か、コミュニケーションツールとして使って、日々の生活を楽しみたい。新しい機器を手に入れたが、これらを使いこなすにはまだまだ時間が必要だろう。ソフトのバージョンアップや機器の変更は、この年になると大仕事だ。ぼちぼちやれるしかない。

(日記 午前中、決算総会の資料作り。そのご、スノータイヤ交換。午後は、ソフトバンクショップへ出かけて携帯を“iPhone”に換えた。機種を変更したので、“2年間通話料を安くする“か“iPadミニをもらえる”かのどちらかの特典が付いていた。私は、“iPadミニ”をもらうことにした。下手をすると宝の持ち腐れになるかもしれない。しばらくは、マニュアルとにらめっこの日々が続くだろう。でも、楽しみでもある。)

 
 

タックスイーター!

13 3月
無性に腹が立つ
  朝のニュースショウと衆議院予算委員会の両方で聞いて腹が立ったこと。それは震災ガレキの受け入れを検討しただけで「復興予算」約86億円を堺市が受け取ったというものだった。
  東日本大震災で発生したがれきを受け入れるかどうかを、全国の多くの自治体が検討したのは作年のこと。そんな中で、堺市はガレキを受け入れないのに、「復興予算」約86億円をごみ処理施設の新設費などとして受け取るのだ。
 
    がれきの処理に困った環境省が、受け入れを検討しただけの自治体にも「復興予算」の交付を決めたためだ。果たして誰がこんなことを考えたのだろうか。これが日本の政治なのだろうか。
 
  マスコミが、こんなことを指摘したり野党が指摘しなかったら、誰もこんなことは知らないだろう。仮に良心的な市町村がこの金を返還しようにもそのようなルールーがないので、返還もできないというのだ。「もらい得」ということだ。
  堺市は、ゴミ処理施設を整備中で、その費用約86億円分を平成24年度の交付金対象事業として位置づけ、国の交付率に基づき約40億円を要望し、残りの46億円は地元負担をする予定だったのだ。これが正しいやり方なのだ。
 ところが、堺市はガレキ処理を検討しているということで、国は、通常の交付金ではなく、新たに設けた復興予算を交付するということを堺市に打診し、地元負担分の46億円分も復興予算で交付することになったというわけだ。
  全くガレキを受け入れないのに、「復興予算」を交付すると国の方から申し出たというのだ。つい先日、復興予算の使い方に問題があると指摘されたばかりなのに、国民の税金をこのようにして使うのだ。
 
     これは、予算は無駄であろうと何であろうと使い切ることが使命のように思う官僚や政治家や役所の職員のせいだろうか。境市長も、当然のように発言していたし、市の幹部も、返したくても返す決まりがないので察してくれと発言していた。
  これが政治なのだろうか。政治不信を払拭するのは到底不可能のようだ。法や規則の精神を無視し、法や規則に反しなければ全て正義であるかのように振る舞う人間がうようよしているこの国のシステムは、どうにかならないだろうか。
  この調子では、TPPでは何が出てくるか分からないように思う。与党が本心を表すのは7月以降か。私としては、健全な野党が育ち、両者が切磋琢磨することで、日本をよりよい方向へ導いてほしい。
  野党も「反対のための反対」ではなく、何が国民にとって、国家にとってよいのかをよく考えて、対応してほしい。そうでないと、。組民にとって亜yと卯も被災地を無視した振る舞いに憤りを覚えた一日だった。
(日記 終日、『かたせ瓦版』づくり。その他、総会の案内や委任状作り。朝から夕方前かかった。衆議院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。ラジオを聞いていると、精神衛生上よくないことも多かった。昨日は、ずっと外での作業。今日はずっと中での作業。)
 
 

春本番

12 3月

朝から快晴
  しなければならない事務的な仕事が沢山あるが、朝から快晴なので机に座ってはいられない。今日は、外で仕事をやると決めた。いよいよ春が始まったという感じだ。

朝一の作業は、枝打ちした樫の木をゴミ処分場へ運搬。

 やることが次々と浮かぶ。雪囲いを片づけると「春本番」という気分になる。畑を耕し、ジャガイモの植え付けから、次々と春の農作業が始まっていく。そうした作業の合間に、山菜採りがある。

  といっても私が採る山菜は、ワラビと蕗、それにタラの芽ぐらいのものだが。わらびは茹でて、蕗は佃煮にして冷凍しておくのだ。時々出してきて食べるのは美味しい。

  何よりも、楽しいのは新緑の山の空気と青空の下で汗を流して山菜を採ることだ。山に生えている蕗は茹でても皮を取る必要がないのでニシンやアゲと煮るのもよし、佃煮もよしという感じだ。

  GW前後には、なすやトマトやキュウリを植えなければならない。里芋やショウガの植え付けもある。時々、トマトなどは脇芽を取らなければならない。我が家ではジャガイモの後に苗を育てておいた黒瓜やキンカン瓜を植えている。

作業前の玄関先。(昼頃)

 春になると、私の仕事ペースは“晴耕雨パソ”となる。晴れたら外で家庭菜園作業、雨が降ったら机に向かってパソコンで創作活動。そんな生活がぼちぼち始まりそうだ。冬が寒かった分、春の有り難みが分かる。

(日記 天気がよいので、先ずは昨年業者に枝打ちをしてもらった杉と樫の枝をゴミ処分場へ運んだ。大野まで二度通ったが、今日は快晴。奥越富士とも言える荒島岳が残雪で輝いていた。午後は、雪囲い外し作業。ほんの少し前、雪囲いをしたと思ったらもう春で雪囲い外し。年が明けて早二ヶ月あまりが過ぎた。東日本大震災からは、すでに2年が過ぎてしまった。しかし、春は確実にやって来ている。プロ野球の選手達には、“球春”という言葉がある。私には“◇春”だろうか。“畑春”だろうか。創作活動は年がら年中だから。)

作業後。スッキリした。(夕方)