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Archive for 7月, 2011

決断の難しさ……『ふるさとの踊り大会』実施

31 7月

「ふるさとの踊り大会」を外でするか中でするか
   ここ2ヶ月間は,自由時間のほとんどを『ふるさとの踊り大会』に関すル様々なことで時間を費やしてきた。これはこれでよかったのだが、外でのイベントのために、雨が降ったらどうするかだ。

芸能発表で元気に踊ってくれた「旭町体協・チーム・ザ・夏KA舞BU喜KI」のみなさん。笑顔と元気がよかったよ。

  雨が降ったら大変なことになる。外では三味線は使えないし、和太鼓もできないし、音響機器もだめになる。踊りもだめだし、観客もどうしようもない。雨が降らないことを祈りたいので、ここ2週間ほどはずっと天気予報を見ていた。

  数日前までは日曜日は晴れと出ていたが、三日前から日曜日には雨が降ると出ていた。昨日も、市内のヨサコイチームが3カ所で演舞を披露することになっていたらしいが、2カ所は中止で1カ所ではできたらしい。

  さて今日だが、外か中かを決定する前に、手打ちソバの方々は外で準備をしておられた。時々も晴れ間が見えるのだ。三日前から一日に数回はテレビで勝山の天気予報を見て来たが、「午後から雨」と出ている。外は青空なのに。

  午後1時に決断するつもりだが、12時頃は晴れている。昨日は雨と出ながら、どうにか夏祭りができ他地区がある。しかし、準備の方もあるので、いろんな人と相談し、12時半に会長さんと打ち合わせ、「全てを中でする」と決断した。

雨のためやむを得ず、博物館の中で盆踊り。

  外は晴れている。3時頃に来てくれた南部中の皆さんも外でやりたそうだった。ところが、4時近くから雨が降り、最後は土砂降りの雨になった。決断してよかったと思う。途中でイベント全体を中止しなければならない羽目になっていただろう。

   芸能発表にも最初は観客が少なかったが、入れ替わり、立ち替わり、いろんな人が来られたようだ。勝山城博物館に来るのは初めてだという人も多かったようだ。

 さて、今日の盆踊りだが、「盆踊り体験会」を開いた地区から、顔見知りの人たちが踊りに来て下さった。とてもうれしかった。福島県の方々も来られたようだ。また、輪の外で見ていた大阪の高校生の手を引いて輪の中に入ってもらったが、その後は楽しそうだった。

  やってみると、案外楽しいのかもしれない。その後は自分たちで踊っていたから。これからも盆踊りの普及に努めたいと思う。決断することの難しさを味わった。結果的には予報通り、土砂降りの雨だった。こればかりはどうしようもない。

最初は手を引いて誘ったが、その後は楽しそうに踊ってくれた大阪の高校生。

(日記 朝からもっぱら祭りの準備一色。疲れた。家内の持ってきてくれたみんなで飲んだ冷たいお茶。帰ってから食べられるように好物のスイカを準備しておいてくれたこと。感謝。そしてビールはおいしかった。協力してくれた皆さん方、本当にありがとうございました。)

今日のプログラム
            芸能発表(4:00~6:30)
  1.東北の民謡を訪ねて ~東日本の復興を願って~    三弦明萌会(河間弘明社中:勝山で民謡を指導)
  2.よさこい演舞          『旭町体協・チーム・ザ・夏KA舞BU喜KI』(’09グランプリ)
    3.尺八で民謡と演歌       歌(歌謡クラブ有志ほか)・尺八『竹友会』ほか三味線
  4.オカリナ演奏………………『オカリナサークル てんとうむし』 
  5.奥越前うたくらべ………………………… 『勝山・大野有志』
    6.銭太鼓「片瀬豊年ばやし」…………『片瀬豊年ばやし保存会』
   7.勝山よいとこ・越中おわら節……………… 『おどり隊ひらり』
  8.和太鼓演奏………………………………『越前勝山春駒太鼓』  6:00~
 そして、6時半過ぎから「盆踊り大会」

 

「オカリナサークルてんとうむし」の演奏。(Y氏撮影)

「春駒太鼓」の発表。(Y氏」撮影)

    

女踊りの前でバチを振る男性陣。(Y氏撮影)

「片瀬豊年ばやし」の発表。(Y氏撮影)

 
 

被災地の子ども達に絵本をおくりたい

30 7月

次代を担う子ども達のために
  東日本大震災が発生してからまもなく5ヶ月が経とうとしている。今なお避難所や仮設住宅、.そして他市町村や他県で避難生活を送っておられる方が少なくない。いったいいつになったら、普通の生活に戻ることができるのだろうか。

  被災地の多くの子ども達も不自由な生活を送っている個は想像に難くない。しかし、それぞれの子ども達にとって「今」の時代は人生に一度しかない。本来子ども達が経験すべきことができないとなれば全く気の毒なことだ。

  そんな中で、心の栄養となるべき絵本や童話は足りているのだろうか。地域によっては、学校、図書館、児童館、公民館などが流されてしまい、読書どころではないかもしれない。読みたくても、読むことができないかもしれない。

  子ども時代に良書に接することは、栄養のバランスのとれた食事を摂るに等しい、あるいはそれ以上の価値があるのではないかと思われる。そんな中で、私たち一人一人のできることは微々たるものであるかもしれないが、それでもそうした力が集まれ場大きな力になるかもしれない。

  そんなことを考えながら、知り合いの童話仲間や知人に相談をしてみると「被災地域の子ども達に絵本をおくる」ことに賛同していただくことができた。家庭で眠っている本はないだろうか。

  子どもや孫達が読み終えた本、しかし、廃品回収に出すにはもったいないという本、あるいは、被災地の子ども達に是非読んでいただきたいと思う本などを集めてしかるべき地域におくれたらと思っている。

  明日の「ふるさとの踊り大会」のテーマは「ふるさと」でもあるので、明日このことを市民の皆様にお知らせしたいと思う。そして、賛同していただける方から絵本を寄贈していただき、被災地へお送りしたいと思う。

(日記 午前中、「ソバの引換券(福島県の方々用)」や「ソバの割引券(出演者の方々用)」を」作った。午後は、太鼓の準備をしながら、民謡の三味線の練習をしているSさん達の練習を時々見ていた。また、明日雨の場合には室内になるので再度勝山城博物館へ出かけ、館長さんにいろいろお願いしてきた。夕方、片瀬町の夏祭りで区民の皆さんに民謡を踊っていただくためにリード役を務めた。区民の皆さんは初体験のためか、参加者は非常に少なかった。帰宅後、「被災地に絵本をおくるためのポスター」を作った。また、親和会のOさんと最後の打ち合わせ。残念ながら、明日の天気予報は完全に雨だ。)

 
 

天候ばかりは

29 7月

雨と晴れでは大違い
  雨がほしいときには雨が降らず、晴れてほしいときに雨が降る。夏、あまりにも晴れが続くと、少しぐらい作物に水をまいても焼け石に水だ。川からポンプで水を上げるしかない。そんなときは、雨がほしいとつくづく思う。

子供達は雨でも水遊びが大好きだ。たらいの上にたくさんのこうもり傘を広げてその下で水遊び。

  しかし、外でのイベントとなると、晴れてほしいと願わずにはいられない。日曜日にイベントをやりたいと思うが、天候が気になる。数日前の予報では晴れになると言われていたが、今日の予報では時々雨と出ている。

  外で櫓を建てて盆踊りをしようと計画しているが、心配だ。いくら科学が発達しても、天候だけはコントロールができない。予報が外れて晴れることを祈るばかりだ。

  それにしても今日はよく雨が降った。それでも子供(孫)達は、傘をさして水遊びをしている。暑い夏には、海水浴や川遊びなど水が恋しくなる。しかし、ゲリラ豪雨だけは勘弁してほしい。

  少しずつ、『ふるさとの踊り大会』の準備が進んでいるが、気になるのは天候だ。曇ってもいいが、雨だけは勘弁してほしい。盆踊りに雨では櫓も建てられない。熱くてもやっぱり晴れてほしい。

オカリナサークルの練習風景。オカリナバンドで『さんぽ』を歌う孫(長女)。

(日記 午前中は、片瀬豊年ばやしの衣装作り。と言っても、私と区長さんは布の裁断。縫製はミシン経験者のTさんだ。その後、ステージとなる所作台をチェック。昼近くに、不勝山城へ連絡して着替えをする場所について相談。続いて、猪野瀬公民館へ出向き給茶器を借りる。午後は、福島県の方々に向けて『ふるさとの踊り大会』のチラシを作り、市役所のMさんに配布をお願いする。午後4時過ぎに、オカリナの伴奏をしてくれる長女が福井から息子を連れてやってくる。家内と3人で練習。繰り返し等を打ち合わせる。午後7時頃事務所へ行く。7時半頃からオカリナの練習。3人の孫達がいてとても賑やかだった。練習の途中で、村の集会所へ行き、『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。衣装を配布する。いろいろあった一日だった。天候が気になる。)

猪野瀬豊年ばやしの練習。『ふるさとの踊り大会』の「芸能発表」に参加するための最後の練習。

 
 

階段を上る

28 7月

進歩を実感することの大切さ
   「できなかったことができるようになる」ことは、誰にもうれしいことだ。不可能が可能になることは、大人にとってもまたうれしいものだ。しかしこれには、やってみるという気持ちがなければならない。

  今、二人の孫と生活しているが、そんな場面を少しでも多く作ってやりたいものだ。夏休み定番の花火でも、3歳の孫は怖がって自分では花火を持てなかったが、少しずつ慣れて最後には自分で持てるようになった。

最初は姉のする花火を見ているだけだった妹。

  プールでは、姉の方が、「蹴伸び(手を前へ出し身体を伸ばし足を動かして前進する)」がうまくできないので、2、3メートル前後で立ち上がってしまう。少し教えるとコツが分かったのか、倍ほど進むようになった。

  踊ったり歌ったり、運動したり、食べられないものを食べられるようにする、……など、これまでできなかったり、不十分であったことを、一つずつできるようにすることで、自信を持てるようになるのではないか。短い夏休みではあるが、そんな経験を一つでも二つでも、体験させてやりたい。

果たして定着するか「郷土芸能」
  歌作りに少しばかり応援させてもらった春江町中庄のSさんによれば、中庄地区では今盆踊りが盛り上がっているそうだ。私も応援させていただいた「中庄小三郎音頭」の発表会をお盆の14日にするという。

最初は見ていただけだったが、やがて自分で花火を持てるようになった妹。

  私も招待状をいただいた。是非とも参加したいと思う。この地区では、民謡を楽しんだ世代が残っているので、新しい地区の歌『中庄小三郎音頭』ができたのを機会に、今、地区では盆踊りに燃えているという。

  この地区でも盆踊りは完全に廃れてしまって、3年前から復活したのだという。地区もまた、少しずつ、できなかったことができるようになっているのではないか。個人であれ、団体であれ、家族であれ、地区であれ、できなかったことができるようになると組織を構成している人たちのモチベーションが上がり、さらに前進していくようだ。

  私にとっては、うらやましい限りである。果たして、l7月31日は晴れるのだろうか。人が来て下さるだろうか。

  市民の皆さんの一人でも多く、これまで味わったことのない感動を味わっていただきたいものである。それが次のやる気や進歩につながるのだから。こうして一段ずつ階段を上っていくのである。これはいくつになっても、変わらない喜びではなかろうか。

(日記 午前中は私の定期検診。済生会病院へ出かけた。済生会の駐車場で春江町中庄のSさんと会い、越中小原観光協会から取り寄せた編み笠を渡す。その後検診。「一度、心臓を検査してみましょう」ということになり、午前の診察が午後1時半を過ぎてしまった。帰宅しないで直接事務所へ行き、竹友会(尺八)に練習につきあう。芸能発表の3曲と盆踊りの6曲を練習した。その後、司会をお願いしたTさん宅へ寄り、司会と共に照明の作業もお願いした。また、勝山城博物館へ連絡し、電気とトイレの使用について確認した。さらに、猪野瀬公民館へ連絡してテントの裾幕と給茶器の借用をお願いした。さらに、豊年ばやしの衣装について、区長に試着してもらった。予想以上に気に入って下さったようだ。個人的なことやら、『ふるさとの踊り大会』の準備やらで忙しい一日だった。夜、孫達と夏休み定番の花火を楽しんだ。)

 
 

目が回る一週間

27 7月

疲れがピーク
  最近、毎晩のようにいろんな練習があって、その準備なども含めるとかなり忙しい。隔週ながら月曜日はオカリナの練習。水曜日は和太鼓の練習。毎週木曜日はおじさんバンドの練習。金曜日は村の郷土芸能の練習。土曜日は幼児とその保護者の和太鼓教室。

   その他に民謡の練習会があったりしてこの頃は毎日がとても忙しい。夕方になるとかなり疲れる。どんなに疲れても、このブログだけは能の体操のためにも書くことにしている。

彼女達の考えたユニフォームでハイポーズ。Tシャツの背中には「春駒太鼓」と文字が入っている。

  今日は、和太鼓の練習があった。私の創設した「越前勝山春駒太鼓」はこれからも続けていきたいと思う。今の連中が頑張っていてくれているうちに次の世代を育てておかなければならないと思っている。

  私も運動神経は鈍ったように思う。楽器であれ和太鼓であれ、若いときのようにはいかないと思う。それでも、若い連中と練習していると気持ちは確実に若返る。

  これまで和太鼓の衣装は、法被と決めていたが、娘達(春駒太鼓のメンバー)が新しいスタイルで和太鼓をやりたいという。私は、似合う、似合わないを気にせずに、彼女たちに従いたいと思う。

  彼女たちの考えた衣装は、上は白いTシャツ。下は、黒くて鳶職がはくような黒いズボン、足は地下足袋。腰にピンクの帯を締めて、はちまきをすると言う。そして私も同じような格好をしたほうがよいと言う。

  羞恥心を捨てて彼女たちに従いたいと思う。今日は私のスタジオでの最後の練習だ。2時間以上たっぷり練習をした。私は、主に篠笛を吹いた。簡単ではない。もっと練習しなければならないだろう。それでも、若い者と練習するのはとても楽しい。

担ぎ桶胴太鼓を使ったレパートリー「春馬」の練習。

(日記 午前中、オカリナの楽譜を書く。昼近くに、孫達と市営プールへ泳ぎに出かけた。2時間ほど、プールで遊んだ。孫のおかげでプールへ来ることができて気分転換になった。午後はオカリナの楽譜を書いたり。和太鼓の篠笛の楽譜を書いたりした。そして、l篠笛の個人練習。午後7時半より。私の小さなスタジオで和太鼓の練習。週末には本番だ。かなり気合いの入った練習になった。)

春駒太鼓の練習。窓ガラスに自分の姿が映るので、それを見てフォームのチェック。

 
 

最後の盆踊り練習会

26 7月

子供時代をいかに過ごすか?
   私は思う。何かを始めようとするとき、大人になってからでは遅い場合が少なくない。例えば、リズム感でも、子供の頃に身につけないと、なかなか身につかない。

  五感も子供の頃に磨かないと、大きくなってからでは遅い場合が少なくない。芸術的なこともそうではなかろうか。ところが、その大切な子供時代を幼児達はどう過ごしているだろうか。

猪野瀬公民館での盆踊り練習会。左端で孫も一緒に盆踊り。

  大人達は、テレビやゲームに子守をさせるなどして、成長にとって大切な時間を軽んじてはいないだろうか。また、幼児にとっては、成長のそれぞれの過程でいろんなものを体験することが大切だあるのだから。

  子供時代に、仲間と過ごすことがとても楽しいことであることを味わって成長した者と、ゲームやテレビや漫画で多くの時間を過ごし大きくなった者では何が異なるだろうか。

  後者は、人と人との絆の大切さを理解できないであろう。そして、次の世代(その子供の時代)には、さらにそれらを増幅してしまうだろう。

大人に混じって楽しそうに盆踊りを踊る孫。

  少なくとも、子供達には人と人との関わりの心地よさを味わわせておきたいものである。言い換えれば、自分の存在感を実感させておきたい。そうでなければ人間として真に成長できないのだから。

孫と一緒に盆踊り
  私たち夫婦は、今、横浜に住む長男の二人の孫娘を預かっている。そして、今日は最後の『盆踊り体験会』を猪野瀬公民館で実施する日だ。

  私は、迷わず小学1年の孫を連れて猪野瀬公民館へ出かけた。孫は退屈するだろうか。私の予想では、大人に混じって盆踊りをするだろうと信じていた。実際その通りになった。途中で3歳の孫もやってきた。

  私たち夫婦が率先して楽しそうに盆踊りを踊っているので、上の孫も、大人に混じって見よう見まねで楽しそうに盆踊りを踊っていた。

  このような経験を積み重ねて大人になったとしたら、もしかしたら、盆踊りは次の世代につながっていくかもしれない。「どの踊りが好き?」と家内が聞くと、手をぐるぐる回しているので『千本搗』であることがわかる。

デモンストレーションと踊りの指導に駆けつけてくれた「おどり隊ひらり」のみなさん。

  今日の『盆踊り体験会』には猪野瀬以外からも参加して下さった。知っている方々だ。とてもうれしい。「盆踊り復活」のアクションで知り合った皆さんだ。

  私は、この活動によって、いろんな地区の人たちと知り合いになった。そのため、どこで会っても、挨拶八立ち話ができるであろう。中には、わざわざ勝山の民謡を覚えたいとビデオ持参で参加した方もおられた。ありがたいことだ。

  子供達は幼くても、決して大人より劣っているわけではない。知識や知恵は少なくても、大人よりすぐれたものをたくさん持っている。そして、次の世代を担うのは間違いなく今の子供達であるのだ。

  私たちは、孫を対してこれまで学んだことの一部でも伝えたいと思う。暖かいつながりを保ちながら。絆を大切にしながら、孫達との生活を楽しみながら。

(日記 午前中、和太鼓に使う篠笛の楽譜を整理し、新たに譜面を書いた。午後も、作業を続けた。午後4時頃、三味線のKさんが歌い手のKさんといっしょに私の事務所へ来られた。 『芸能発表』で演奏する民謡の太鼓を叩いてほしいと頼まれ、今日はその練習のために来られたのだ。「津軽じょんから節」など4曲の太鼓を叩くのだが、簡単ではない。午後7時半から、猪野瀬公民館で『盆踊り練習会』を開催。猪野瀬地区以外の方々も来られた。ありがたいことだ。孫も一緒に民踊を踊ってくれた。うれしかった。帰宅して、歌の練習をした。その後一緒に風呂に入った。楽しかったが、疲れた一日でもあった。)

 
 

FBCラジオの取材を受ける

25 7月

FBCラジオで想いを語る
  三日ほど前にFBCラジオから電話がかかってきた。同局の『午後はとことんよろず屋ラジオ』の中の『エリア情報交差点』というコーナーで電話インタビューをしたいということだった。

  内容は週末の31日に行う『ふるさとの踊り大会』について聞きたいということだった。そして、今日の午後3時50分頃に生番組の中で電話インタビューを受けた。

  質問をしたアナウンサーはフリーパーソナリティのSさんだった。主な質問の受け応えの要旨は以下のとおりだった。

S「いつからこのような取り組みをしているのか?」
私「7年ほど前から始めています。私は、盆踊りを楽しんだ最後の世代ですので、盆踊り大会を開催できたらいいなあとずっと思っていました。
  10年ほど前のことですが、弁天グランドで行われたよさこいの会場で、高齢者の方から「私たちも参加できる祭りを考えてほしい。」と懇願されたのが直接のきっかけです。」

S「開催の目的は?」
私「・誰もが気軽に参加できる楽しいイベントとして、「盆踊り」を復活したかった。
  ・疎遠になりがちな今の時代、年齢・性別を問わず、一つのことに取り組むことができるものの一つとして、『盆踊り』は価値があると信じている。
 ・健康作りにも役立つ。
 ・まちづくりの大きな力になると信じている。
 ・多くの人が集まれば、ビジネスにもつながる可能性がある。」

S「開催場所を変える狙いは?」
私「いろんな場所で開催することによって、盆踊りに親しむ人が増えればと考えています。郡上踊りの場合、7月9日に始まって、9月3日の踊り納めまで三十数夜、踊り大会が開催されます。勝山でも、いろんな会場で踊り大会ができたらと考えているからです。地域の夏祭りや納涼イベント、商店街やお寺や神社で盆踊り大会が開催できたらという夢を持っています。」

S「どんな曲で踊るのか?」
私「今回も、“ふるさと”がキーワードです。なるべく、勝山の民踊を踊りたいと思っています。勝山伝統の格式ある「長柄節」、地元に伝わる「千本搗」、 それから、「勝山よいとこ」、「勝山小唄」、「勝ち山ほがらか音頭」などです。
  また、東北の皆さんに想いを寄せて、福島県の民謡「相馬盆唄」も踊ります。勝山市内に避難しておられる方のほとんどが、福島県から来られているのでこの民謡を選びました。」
  
S「ラジオを聞いている人に向かって一言」
私「科学が発達し、物質的にはずいぶん恵まれた時代になりましたが、一方では、「無縁社会」、「孤独死」、「限界集落」などありがたくない言葉も生まれました。地域の方々が、年齢性別を問わずに参加できる盆踊りは人と人とが出会う場になると信じています。
 地域の人たちが、互いに顔見知りになることは、とても楽しいことですし、事故や災害が発生した場合にも大きな力になると信じています。
 是非とも、会場へ足を運んで下さい。「見る」、「食べる」、「踊る」、「語る」……いずれかで楽しんでください。また同時に、「手打ちそば祭り」も開催しますし、陸前高田の物産販売も行います。ぜひ、会場へお越しください。」

家の前で水遊びをする孫たち。

  果たして、何人の人が「盆踊り」参加して下さるだろうか。今頭をよぎるのは誰も来ないのではないかということだ。出演を依頼した人に申し訳ないと思うからだ。

  短時間ではあったが、生放送で電話取材を受けたことが面白かった。やるだけのことはやったので後は成り行きに任せるしかない。

(日記 午前中、猪野瀬公民館へ行き、祭りのポスター訂正について今日の公民館主事会に話してもらうようお願いをしてきた。また、再度現場を見てきた。午後3時50分に生番組で『ふるさとの踊り大会』について取材を受けた。午後7時半からオカリナ教室。『ふるさとの踊り大会』の芸能発表で演奏する5曲を集中的に練習した。孫たちは、息子の嫁の実家へ行った。)

 
 

「お帰りー!」

24 7月

孫達にふるさとを
  一週間前に、家内が長男の住む横浜へ出かけていった。そして、今日二人の孫達を連れて戻って来た。私は福井まで迎えに行った。

  私たちの願いは、この夏休みの間に、孫達にふるさとでいろんなことを体験させてやりたいと思う。畑で野菜をとったり、プールや川や海を出かけたり、村の子ども達と遊ばせてやりたい。

  できることなら、いろんな行事にも参加させてやりたいと思う。村の子供や大人とも触れ合う機会を持たせてやりたいと思う。

「お帰りー!」にこにこしながら、家内と孫達が階段を下りて改札口に現れた。その後熱い抱擁。(於:福井駅)

  私の考えだが、今の子ども達や若者には、「我が家あって、ふるさとなし」だと思っている。それは子供時代からの生活体験がそうさせていると思っている。

  生まれるとすぐに、保育園、その後も保育園のままか、幼稚園。そして、学校へ入れば児童センター、スポーツや文化活動、または習い事などで自宅との往復。中学校以降は、学校と部活動などでこれまたぞたくとの往復。そのため、地域でいろんな体験をする機会が激減した。

  地域の子供同士が触れ合う機会は年に数回あるかどうかだろう。地域でいろんな活動をするのも同様に年に数回もあることはなかろう。

  大人達の側からすれば、村の子ども達と接する機会は、登下校以外はほとんどないであろう。これでは子ども達は、地域で居場所などは作れず、愛着もわかないであろう。

  その結果、年をとれば「無縁社会」というありがたくない言葉までが生まれてしまうのだ。自宅と職場や学校の往復だけでは、地域に居場所は作れまい。

福井駅で孫達と記念写真。久しぶりに逢えて本当に嬉しい。

  とにかく、孫達には、勝山でしか体験できないことを一つでも多く、体験させてやりたい。自然に触れさせ、地域の人に触れる機会を多く持たせて、勝山での思い出を作ってやりたいと思う。

  こうしたことで居心地がよくなれば、この地をふるさとと思うであろう。私の次女は、高校以来毎年欠かさず左義長には必ず帰って来て櫓に上らせていただいている。

  地元に居心地をよくしてくれている大人がいるからであり、仲間がいるからであろう。孫達にも、居心地のよい家にしてやりたいと思う。

  夜は例によって、孫達と風呂に入った。腕の中にすっぷり入った長女も今では抱きかかえるのも困難なほど大きくなった。

  春休みには私の腹を蹴って逆上がりの練習をしていたが、1学期の間に逆上がりはできるようになっていた。自転車にも乗れるようになったいた。子供の成長は早い。

  成長の過程での豊かな体験は、その後の成長をより豊かなものにしてくれると確信している。とにかく孫達との生活が始まった。安全を心がけながら、楽しく過ぎしたいと思う。

『ふるさとの踊り大会』伴奏隊の初練習。尺八と三味線と歌、そして太鼓(私)で約3時間練習した。(於:山児童館)

(日記 午前中、大掃除。孫達が来るので、居間、台所、私の部屋、寝室などを掃除した。汗だくになってシャワーをし、孫達を迎えるために、福井へ向かった。昼頃、横浜の孫達が福井駅へ着いた。途中で、昼食をとり、我が家へ着いた。午後3時から、『ふるさとの踊り大会』の伴奏隊の練習。尺八、三味線、歌の担当者が私のスタジオへ集まり、3時間あまり練習した。孫達は、畑でトマトをとり、食べていた。いつもは夫婦だけで食事をしているが、今日は二人の孫を加えて賑やかに食事をした。その後、いっしょに風呂に入り、孫達の帰省初日は終わった。)

 
 

『ふるさとの踊り大会』小実行委員会

23 7月

実行委員長と打ち合わせ
   『ふるさとの踊り大会』まであと一週間になった。K実行委員長と「おどり踊ひらり」のYさんとで委員長の事務所で打ち合わせを行った。

  その中で、実行委員長の思いを聞かせていただいた。委員長の考えは「先ず各集落で踊りが盛り上がれば、各町でも盛り上がる。そうすれば市全体でも盛り上がる。」というものだった。

  また、「これは盆踊りだけではなく、全てのことがそうです。」というものだった。私も全く同感である。まちづくりであれ、何であれ、足元から始めなければならないということだ。

  先日、平泉寺地区でも、「盆踊り体験会」を実行したが、その前に配った案内のちらしにも、「先ずは平泉寺地区で盆踊りが復活することを望みたい」と書いておいた。

実行委員長の事務所で『ふるさとの踊り大会』の打ち合わせ。

  委員長のおっしゃるように、いきなり市全体の盆踊りが盛り上がることはない。また、町全体の盆踊りも盛り上がるわけがない。各集落で盛り上がるかどうかが一番問題だ。

  実行委員長の住む浄土寺地区では、最近盆踊りが復活しているという。また、そのためには、郡地区とも「い(結い)」をしているのだということだ。お互いに行き来しているのだ。

  やはり、地道な集落での活動が盛り上がるかどうかによって、町、市全体が順番に盛り上がっていくのだ。実行委員長はそれを実践してしておられるのだ。

  私の盆踊り復活のアクションも、そうした考えに基づいて、各集落や各町での盛り上がりを期待して実践しているつもりだ。そして、こうした活動の結果、今回の『ふるさとの踊り大会』に一人でも多く参加していただければそんなに嬉しいことはない。

  盆踊りの打ち合わせの後、実行委員長が「社長として心がけていること」や「それまでの歩み」などを話して下さった。教育に関わってきた人間としても、とても興味のある話であり、参考になった。

  全ての人間には、何かよいところがある。それを活かすことはとても大切なこと、学校の成績がその後の人生の成功に単純につながるものではないことなどいろいろ聞かせて下さった。

  これらについても全く同感である。リーダーは、なでしこジャパンではないが、いかにして選手のやる気を引き出すかが大きな問題だ。3時間近く話し込んだ。楽しい時間だった。

福応会勝山支部交流会の講演会で『泰澄和尚伝』と題して話すYさん。

(日記 午前10時より『福応会(福井大学卒業教職員)勝山支部交流会』の総会・講演会・懇親会が行われた。講演会では、Yさんが、『泰澄和尚伝』と題して『泰澄和尚伝記』をもとに泰澄大師の生涯を解説して下さった。その後、懇親会があり、久しぶりにあった人達といろいろ話すことができた。午後4時より、「幼児と保護者の和太鼓教室」を行った。保護者と幼児が同じリズムで太鼓を打つのだ。保護者も一生懸命太鼓を打ち込むので見ていても、嬉しかった。とても教え甲斐がある。午後7時より、実行委員長の事務所で『ふるさとの踊り大会』についての打ち合わせ。本番まで後一週間になった。一人でも多くの人が会場へ来て下さることを祈るばかりだ。)

 
 

たかが盆踊り、されど盆踊り

22 7月

理解されがたし
  役所のM課長から電話がかかってきた。月末の『ふるさとの踊り大会』で販売する陸前高田市の物産販売についてであった。

    その中で『ふるさとの踊り大会』のあり方についても意見交換した。なぜ盆踊り大会を開催するのかを市民の皆さんに理解していただくことは非常に困難であると私は思っている。

  特に、盆踊りを体験したことのない世代にはなおさらそうであろう。「盆踊りとは何か」と問われれば、私は「人と人との出会いを提供するものである」と答えたい。

   私は、この盆踊り復活の運動を通して、ずいぶん多くの人達と接してきた。昨日の遅羽公民館での練習には、80歳を超えているHさんが参加していた。そして、踊りがとても若いのだ。

  また、はじめて練習会に参加した福祉施設勤務の方は、「入所者は盆踊りをとても喜ぶんです」とl答えていた。大野の人だが、勝山の踊りを是非覚えたいというものだった。

「おどり隊ひらり」の皆さんと共に勝山の民謡を練習する勝山旧町婦人会の皆さん。(於:勝山教育会館)

  初めて練習会を開いた片瀬町でも知り合いが増えた。いつどこであっても、気軽に声を掛け合うことができると思う。地域に人間関係が希薄になる現在、いろんなことで出会うことは、意義のあることだと思う。

  今日初めて、勝山(旧町)婦人会の盆踊り練習会があった。「おどり隊ひらり」のメンバー(6人)がそろいの浴衣でかけつけてくれた。約1時間半ほど、勝山の曲に加えて福島県の「相馬盆歌」を練習した。

  それぞれがいい汗をかいていた、同年代の者が多かったが、もしここに男子が何人か混じっていたら、もしここに子ども達が混じっていたら楽しさはもっと変わると思う。

  ここ2ヶ月間は、「ふるさとの踊り大会」のために自由時間のかなりの部分を使ってきた。こうした活動の中で、今年も、一人でも盆踊りの楽しさをわかっていただくことができたら私は満足である。

  午前中、FBCラジオのディレクターから電話がかかってきた。月曜日の午後、ラジオの生番組でこの「踊り大会」について電話取材を申し込まれた。

   約10分間、いろんな質問を受け、自分の考えを述べることができるのだ。夜、取材内容のメモが送られて来た。自分の取り組みを電波で話せることが嬉しい。

(日記 午前中、「ふるさとの踊り大会」のちらしづくり。午後は、「相馬盆歌」のCDを尺八のUさんのところへ、「黒田節」のCDを歌い手のMさんのところへ、チラシのデータをYさんのところへ持って行った。午後疲れて久々に昼寝。午後7時半より、教育会館で勝山旧町婦人会の「盆踊り練習会」に出る。いい汗を流すことができた。帰宅後、息子宅にいる家内や孫、息子夫婦とスカイプ。顔を見ながらの話は楽しい。もうすぐ孫たち帰省する。田舎でのいい思い出を作ってやりたい。)