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Archive for 1月, 2013

組織の限界

31 1月

充て職でつくられた組織
  世の中にはいろんな組織がある。そして、組織の長が決められる。その長が集まって連合体ができる。さらにその長が集まってその上部の連合体ができる。こうしてできた、連合体は、長期展望に立ったビジョンを描くことが困難である。

  それは、連合体を構成する長には任期があって、1~2年で新たな長と交代するからである。メンバーは常に入れ替わり、自分自身もその組織に長期間所属しないとなると、長期的な展望に関わる発言はしにくい。

 発言しても、実施する頃には自分はその組織にいないからである。となると、無責任に何でも言うわけにはいかない。当年の行事や当たり障りのないところで連合体の会合が進むことになる。

  こうした組織も、上から下への連絡組織としては、有効に働くようだ。特に、行政にはこれらの組織は不可欠な存在かもしれない。連絡や動員を依頼するのにはとても役立つからである。

  これらの組織は、自ら主体的に活動するには困難である。連合体の限界であろう。だからと言って、消極的になっていることは自分の性分には合わない。短期間にできることは何かを常に模索しなければならない。

  短期でできない者には長期も無理だと言えなくもない。明日から、プロ野球はキャンプイン。球春は間近である。プロの監督は、短期間に成果を出さないと「即交代」となる厳しい存在である。長期展望を描きにくい存在である。

 会社の社長もそのような存在であるかもしれない。よほどの人でない限り、長期的な展望は描きにくい。即利益を上げなければ交代となる厳しい存在である。野球の監督と似たところもあるかもしれない。

 総理も、7月までに成果を出さなければと焦っているように見える。長期的な展望はあまり表に出さずに、経済優先のアクションを起こしているようである。果たして7月まではどうなるのだろうか。敵は身内にも存在するようだ。

  新年度に向けて、一歩ずつ自分のできることを見つけて前へ向かって進まなくてはと思っている今日この頃である。私の存在も難しいが、何か少しは改善したいと考えている今日この頃である。

久しぶりに汗を出しての除雪作業。(事務所の入り口付近)

(日記 午前中、区の会計処理。明後日は、区の役員会である。新年度に向けて何をどうすべきかを考えた。午後も、少し継続。今日は快晴。午後2時より家内と散歩。雲一つない天気で気持ちがよかった。その後、スノッパーで事務所の入り口の除雪。今日は、雪が少ないので除雪機を使うまでもなかった。帰宅後、区の会計事務処理。午後7時より、猪野瀬地区区長会。「猪野瀬地区のまちづくり」に時間を費やした。会議終了後も、1時間余り、事務所で話をした。)

地区の区長会。

 
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バランス

30 1月

全体と部分、近くと遠く
  「 モノ」を見るのに、鳥の目のように全体的に眺めることと、虫のように周囲を細かく見る目が必要だと思う。ところが、この両方のバランスのとれた人物は少ないのではないか。

  でかいことを言い、グルーバルに考えているつもりでも、自分の周囲が見えていなければ物事をうまく進めることができない。ぎゃきに、身近なことばかりに目をとられて全体が見えない人も困る。

  原発を例にとれば、今日、明日のことばかり考えて動かすかどうかを判断するのはどうかと思う。20年先、30年先、50年先を見つめながら、どのようなエネルギーをどのようなバランスで組み合わせるのかを十分考慮に入れて考えなければならない。

  最近の政治の動きを見ると、今日、明日のことをどうしてくれるのかという国民の要望に応えるべく、短期的、即効的な政策が実行されることになる。常に近視眼的な政策が実行されるために、国全体の舵取りがうまくいかない。

  景気の気は気分の気だ。具体的に何も実行されないのに、新政権が誕生する前から、円安傾向が続貴、株価が上がっている。いざ具体的な動きが始まると、どこでどんな問題が発生するのだろうか。

  夏の参議院選挙を乗り切るために、与党は国民に経済問題ばかりに目を向けさせようとしているように思われる。しかし、これを与党のせいばかりにしてはいられない。というのは、国民もまた10年、20年先の日本よりも明日の日本のことが気になっているからである。

  国の利益よりも、我が家の利益を考えすぎる傾向がある。長い目で見ると、我が家の利益も失われかねないのである。物事を考えるのには,長期的な目と短期的な目のバランスが必要だ。

  蟻とキリギリスではないが、今を快楽的に生きようとすると、そのしわ寄せが近い将来自分に降りかかるということを肝に銘じておかなければならない。今こそ、遠近を見る目、すなわちバランス感覚のある政治家の出現が望まれる。

  人ごとでもない。自分も、5年先、10年先を頭に置きながら、今日明日をどう過ごすかを考えなければならない。人ごとにしているだけでは、世の中は何も変わらない。現政権を選んだのは私たち自身であるのだから、選んだ者の責任もある。

(日記 今日はパソコンから離れると決め、家内と二人で福井へショッピングに出かけた。ついでに、風呂へ入り大衆演劇を鑑賞した。かなり強烈な音量の音楽が会場に鳴り響いている。ここでこんな楽器をこのように使うのかと、私は編曲の勉強をしているようなものだ。現在出演しているグループは、今日が千秋楽。歌作りの参考になった。)

 
 

高齢化社会を豊かに過ごすには

29 1月

人と人との結びつき 
  ここ2、3年は遠ざかっているが、私は勝山市の人口データを毎年調べてきた。これは今から十数年前の高校の学校再編あたりからだ。その後も、4月に入ると、4月1日付けの人口データを担当部署にもらってきた。

  毎月の市の広報紙では市全体のデータは示されるが、各集落ごとのデータは分からない。たぶん、市内全域で要し高齢化が進んでいるだろうと思われる。先ずは、現状を分析できなければ、次の手は打てないと思う。

   今日、ラジオを聞きながら作業をしていたら、沖縄のどこかの島のお年寄り達が生き生きと暮らしていることが取り上げられていた。詳しい経緯は知らないが、農家民宿を行い、お年お寄り達が生き生きしている様子が伝わってきた。

  修学旅行に来た子どもたちとの交流がお年寄り達に、元気を与えていることだった。その中で、私が感心したのは、魚を捕ることが上手なお年寄りを子どもたちが「師匠」と呼んでいることだ。

  そのお年寄りは、80歳あまりまで生きてきて、初めて「師匠」と呼ばれたことを非常に喜んでいるとのことだった。人は、いつまでも誰かの役に立つこと、そして他人から存在を認められることが生き甲斐につながっているのだ。

  誰でも、年を取る。どんなに、知恵や経験があっても、それらを生かす機会がなければ、宝の持ち腐れになり、生き甲斐も生まれない。こうした、宝を生かすには、知恵を持った高齢者も、それらを生かそうとする地域の人も、互いに信頼し合い、理解し合わなければならない。

  世は正に核家族時代。子どもたちは、もっぱらゲームや習い事に明け暮れ、肝心の人と人との触れあいを体験しないまま、大きくなる。そして、自己中心に生きていく。ある時期それでよいかもしれないが、いつまでも、いいことばかりが続かない。

 私自身は、積極的に地域の人たちと言葉を交わそうとしているつもりだ。今後は、多くの人たちの交流の輪を広めるよう務めたい。簡単ではないが、自分の周囲から始めなければならないと思っている。

  高齢者と子どもたちの接点をどうしてつくるか、区民同士の交わりをどうして深めるか、地区の行事に少しでも多くの人たちが参加できるようにするにはどうしたらよいか、いろいろ考えてみたい。

鹿に餌を与える女性(紙芝居に使う絵の一部分)。背景は仮置き。

(日記 午前中は、紙芝居制作。一枚仕上げることができなかった。すずめの物語に登場する猿と鹿の絵をそれぞれ一枚描いただけだった。午後は、演歌の編曲作業。昔編曲した曲だが、これを再編曲するのに丸々半日かかってしまった。時間があるおかげで時間を掛けられるが、足腰と目には負担をかけているようだ。)

 
 

例年と違う雪の降り方

28 1月
 

区の除雪機で歩道の除雪をする村のTさん。

異常気象が恒常化 
  今年の冬はありがたい。この前は東京、今日は千葉に雪が降ったという。雪は、北陸と比べるべくもないが、交通機関は相当乱れたようだ。今のところ、勝山は非常に雪が少ない。ありがたいことだ

  今年は、秋田では例年の3倍の雪が降ったという。除雪費がすでに底をついた地域が全国的に多いという。福井県では、普段あまり降らない嶺南の小浜あたりによく雪が降っている。

  最近は、「ゲリラ~」ということばをよく聞く。異常気象なんだろうか。一つの地球の上で、いろんな国のいろんな人たちが、いろんな活動を行っている。その営みが気象に影響を及ぼさないはずはないと思う。

  隣国中国の工業化も少なからず気象に影響を与えているのではないかと思われる。もちろん日本の活動もそうだが、いろんな国々が発展するに従って地球は温暖化し、回り回って気象にも影響を及ぼしているのではないかと思われる。

  先般の大震災のように、いつどこでどのような災害が起こるか分からない状況になっている。日々の生活の中で「防災意識」を持たなければならないと思う今日この頃である。

  屋根に上らなくてもよいような雪の少ない冬であってほしい。38の豪雪のことを考えると、2月の終わりまでは気が抜けない。しかし、屋根に上らなくてもすむような雪だったら、冬も全く気にならず、むしろ落ちついて創作活動ができることを喜びたい。

今日描いた紙芝居の一枚。

(日記 今日は、創作紙芝居の制作のみに時間をかけると決めた。朝から晩までパソコンにしがみついていた。体は完全にこわばってしまった。健康には全くよくない。目も疲れる。今、取り組んでいる2つの作品が終わったら、しばらくは紙芝居の制作を休止したい。そして、歌作りに専念したいと思っている。そのうちに、雪が解けて春になるだろう。ふきのとうやワラビが出る春までもうすぐだ。雪があるから、春のありがたみが分かるのだ。最近、教師の問題が、よくテレビに映される。心が痛むことだ。マスコミの論調が的を得ているところもあるが、そうでないところもかなり多い。いずれにしても、勝利至上主義や体罰は論外である。しかし、これらが横行している現状を早急に改善すべきであろう。できることなら、教育関係者の手で。)

 番外:NHKのニュースを見ていたら、今日も東大野球部で指導する元巨人の桑田さんの指導法が放映されていた。その中での、三つの言葉が印象に残った。
・常識を疑え
・野球を上手くなるには、野球に染まりすぎないこと
・勉強も含めて生活の全てが野球上達の糧(カテ)になる。

 「高校までの経験も、技術も、体力も全て劣る東大生だが、総合力で戦える」ということばに説得力があった。桑田コーチの活躍を期待したい。

 
 

『忍』と『夢』

27 1月

大鵬関からのメッセージ
  遅い昼食を食べていたら、大鵬関の特集をやっていた。私も、相撲は大好きなので思わず見とれてしまった。改めて、大鵬関の偉大さを再認識した。その中の一つが大鵬関の努力する姿勢だ。

  「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉があるが,大鵬関はこの言葉をあまり好きではないと、かつて収録したビデオの中で語っておられた。聞いていてなるほどと思った。

  かつての巨人は、マスコミをバックに人気を博し、有力な選手を次々と入団させていった。ドラフト制度もない時代には、テレビで放映されるのは巨人戦だけだったと言っても過言ではない。

  大鵬関は、そういうことを理解されていたのだ。「有力選手を次々と入団させて、常勝軍団となっている巨人と(日々努力して強くなった自分を)一緒にしないでほしい。」というのが、その言い分だ。

 そして、天才と言われることをひどく嫌ったという。それは、忍耐の人だったからだ。その生い立ちを考えると、腹いっぱい食べられるなら相撲界は楽な世界だと、日々猛練習に明け暮れたらしい。

   それまでの転々とする貧しい暮らしに比べれば、相撲界の猛練習も苦にならなかったという。大鵬は、王選手と数日違いで生まれている。日本の最も元気な時代に活躍したのだ。

紙芝居の一場面(現在制作中)。

  日本の成長と共に、昇進していったのだ。そして、引き際も王選手と同様、潔いものであった。引退後も相撲界の発展に尽くしたが、他にも、全国に、血液運搬車を贈り、その数は70数台になっているということだった。全国各地で『大鵬号』として医療の現場で活躍しているのだ。

  気の毒だったのは、病気のために、車いすの生活を予後なくされたことだった。相撲界の最強力士として名声をほしいままにした大鵬関も、やはり歳を取っていくのだ。私たち凡人も同様に歳をとっていくのだ。人ごとではない。

  この大鵬関が生前色紙に書いた最後の言葉が『忍』と『夢』であった。なかなかの達筆であった。味わいのある言葉である。凡人の私のモットーは、『DREAM & ACTION』である。夢に向かって行動する(努力する)という意味だ。

  『忍』と『夢』に少し似ていることは光栄だ。大鵬関のご冥福を祈ると共に、日本力士の奮起を期待し、自分も無理せずに、自分のできることを全うしたい。

(日記 午前中、区の事務処理。午後は、紙芝居の絵描き。外は雪。でも、雪下ろしをしたり、除雪機を動かすまでの雪ではない。のんびり絵描き作業に打ち込むことができる。夕食後、演歌の編曲作業も少し行った。)

 
 

ダルビッシュと桑田選手の言葉

26 1月

野球を透して何を学ぶか
  運動系の部活動の体罰が問題になっている。そんな中で、元巨人の投手の桑田さんが「体罰反対の立場」でいろいろ語っている。今日も何気なく、テレビを聴いていたら(ながら族)、桑田選手が語っていたので、途中だったがビデオに録った。

  その中に、「監督は、選手を決めることとサインを出すことしかできない」と言っていたような気がする。後は、選手が自分の判断で行動しなければならないと。従って、監督の思い通りに動く選手を育てるのではなく、自ら考えて動ける選手を育てなければならないとも語っておられた。

  桑田さんは、今何十連敗かしている東大のコーチもしているとのことだった。また、アメリカで野球の練習を見るが、怒鳴ったり叩いたりしている場面を見たことがないとも語っていた。

  「野球は失敗するゲームだ。プロの選手でもエラーはするし、うまくは打てない。10本中7本はミスするのだ。三振も少なくない。その失敗の数を少なくするために練習しているのだ」と言う。

  失敗したからといって、怒鳴ったり殴ったりしても上達はしないと言うのも頷ける。野球を止めた後、プロになれなくても、その後の人生に役立つのは自分で考えて行動すること大切だとも。全く同感だ。

 時代も変わったのだから、理論的に指導しなくてはならないとも言っておられた。今は、理にかなった指導法が求めているのだ。桑田選手の話には説得力があった。

朝のテレビ『モーニングバード』の中の「人物大辞典」に登場したダルビッシュ選手の言葉。

 一方、日米のプロ野球を経験しているダルビッシュ投手の言葉がテレビで映されていた。その要約した言葉を慌ててデジカメに録った。これも大切な言葉だ。

 『日本スポーツ界は固定観念に縛られて選手が力を出し切れていないところがある。』
 『子どもに理想を押しつけない。自由に好きにやらせることが成長を促す。』

 どちらも大切な言葉だ。子どもの特長を伸ばしながら、のびのびと育てるか、欠点を矯正することを強いることから育てるかの違いのような気がする。

 桑田選手とダルビッシュ選手の両者に共通した部分が多いと感じた。力ではなく、理にかなった指導をして、子どもにスポーツや文化活動の楽しさを気付かせてもらいたいものだ。

(日記 朝一番に、小2の女の子が妹を伴ってばあちゃんと一緒に我が家へやって来た。一昨日配布した『かたせ瓦版』に掲載しておいた7つの「違い探し」の答えが分かったからだ。早速、お菓子2種類と文房具(スティック糊)を粗品としてプレゼントした。この子はきちんと挨拶できるし、ちょっとしたことを話せる仲になった。その後、昼まで区の事務処理。午後は、紙芝居の絵を描いた。凝り出すときりがない。しかし、安易な妥協もしたくない。そんなことを考えながら、絵を描いていた。夕食後、一つの想いを持って自作演歌の編曲をした。今、密かに演歌について何かしようとしている。)

 
 

食わず嫌い

25 1月

体験の大切さ
  辞書などには、「食わず嫌いとは、ある食べ物に対して否定的な固定観念を抱き、口にする前にその食べ物を拒絶すること」とあるが、私が述べたいのは、食べ物についての話ではない。

天神講で「焼きガレイ」をお供えし、孫達が賢くなることを祈った。

  どんなことでも、「やる前から否定的な見方をして、最初から興味を示さなかったり、拒否する」者が少なくないということだ。これは集団活動においても同様だ。

  我が勝山市では、いろんな団体の活動が低調になっている。動員などが多かったり、会合が多かったりするために、多くの人から敬遠されて、連合婦人会などの連合体は、市からは姿を消し、町からも、ほとんど姿を消してしまった。

 地区からも姿を消してしまったところが少なくない。婦人会の場合は、幸い我が片瀬地区には残っているが、活動は低調だ。こうした活動が、何のためにあり、何ができるかをいっしょに考えたいと思う。

  ボランティア的な団体もそうだ。会合に参加するのが面倒だということで、団体があっても参加しない者もいる。しかし、こうした団体に参加し活動してみると、いろんな仲間ができる。一緒にいろんなことに取り組むことによって結びつきが強くなり、仲間との楽しい交流が始まるのだ。

  どんな活動でもそうだが、前向きに取り組めば、充実感もあり、いろんな仲間ができると思っている。仲間が多ければ、人生が豊かになると思っている。始めから、面白くないとか、面倒だと拒否的な態度で臨むのは、「食わず嫌い」と同じ精神状態ではなかろうか。

  貴重な体験の機会を自ら放棄していることになる。老いも若きも、地域や職場やボランティアなどの活動に積極的に取り組んでほしいと思う。きっと、最初考えていた以上に、充実感を得られるのではないかと思う。「食えばうまい」のである。

紙芝居のためのポーズを家内に頼んだ。

(日記 昨日までの三日間は『かたせ瓦版』発行のために、多くの時間を費やした。昨日の夕方、それらから解放された。事務的なことはたくさんあるが、今日は一日絵を描くと決めた。午前中は、『親鸞聖人物語』の絵を一枚描いた。午後は、童話の紙芝居の絵を一枚完成させた。紙芝居の絵を描くときには、いろんなポーズの絵が必要だが、家内にポーズを取ってもらい、それをデジカメに撮っている。そして、それを元にして絵を描いている。今日は天神講。床の間の天神様に、「焼きガレイ」お供えし、孫達は賢くなることを祈った。そして、夜はそれをいただいた。我が家では、こうした行事は必ず行うことにしている。季節の変化を味わい、生活に潤いが出ると思っているからだ。)

上のポーズからできた紙芝居の絵。手には「子すずめ」を持っている。

 
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今年は諦めた

24 1月

日程調整できず
  退職して三年目。今年は札幌の雪祭りを見たかった。飛行機も宿も取れるのだが、我々夫婦のスケジュールが調整できず諦めることにした。家内は家内で役員を引き受け、私も区の役員を引き受けているので、雪祭りのある5日から11日の間に空いている日はなかった。

  この頃は、旅行と言っても、飛行機も宿も自分の都合のよいものを選べるのだ。支払いも、自宅でカード決済ができるのだ。時代は本当に変わってしまった。

  勤めに出ていた頃は、自由時間は休日しかなかったが今は平日もその気になれば自由に使える。しかし、今回は、この期間に運悪く行事が重なり、実行できなくなった。

  実を言うと、二月上旬は家を空けるのに、最初は躊躇していた。それは、いつ何時、大雪が降るか分からないからだ。雪が降ったら誰に雪下ろしを頼めばよいのか、決めかねていた。

  ところが、数日前に適任者が現れた。家内の知り合いだ。安心して出かけられると思っていたが、二人のスケジュールが合わず、実行できなかった。来年に回すしかない。

養和の大飢饉。京都の町は、路上といわず、河原といわず、餓死者があふれていた。親鸞はこの世の地獄を見続けた。そして、……。(未完成)

(日記 午前中は、鹿谷のおばさん達に銭太鼓の指導。かなり上手になった。2月、3月と出番があるというので今練習に熱が入っている。帰宅してから、今日は発行する『かたせ瓦版』の最終校正と印刷、コピー。各班長に配布してようやく開放された。午後4時を回っていた。週に二回、忙しい目に遭わなければならない。それでも、やったという充実感はある。夜、紙芝居の絵を少しだけ描いた。)

 
 

定期検診

23 1月

まるで成績発表時の中学生
  二ヶ月に一度私は定期検診を受けている。その日が今日だ。血液、尿、血圧などからいろんなデータを読み取り、どこか悪いのかを示されるのだ。全てのデータが、パソコンに入っているので、過去と比較が簡単にできる。 

  検査項目によっては、最近2週間の状況が分かる項目もあれば、最近二ヶ月間の状況が分かる項目もある。ちょうど、中学生の試験のようなものだ。2ヶ月間勉強した範囲から問題が出題されるようなものだ。

 結果がよければよいが、悪ければ今度こそ摂生して次回の検査ではよい結果を出さなければと思う。しかし、数日のうちにそのことを忘れて、いつものあまり健康的でない生活に戻っている。

 私の周囲を見ても、例えば、血圧が高かったり、血糖値が高かったり、太っている者が少なくない。薬を飲めばそれでよいと思っている者も少なくない。しかし、よく考えてみれば、人間誰でも年を取り、どこかが悪くなっていくのだ。

  年を取れば,身体的には劣化していくのだ。しかし、気持ちがそのことを認識できず、若い頃と同じような気分で暮らすことになる。結果的に、体に無理がかかり、肩を痛めたり、腰を痛めたり、内臓を悪くしたり、目を悪くしたりすることになる。

 腰や肩が悪くなるように、血管も内臓も弱っているはずだ。少しは、自分で自分の体をいたわらなければならない年齢になっている。そんなわけだ、今、私が一番なすべきことは、適度な運動だと思っている。

  ここ数ヶ月間は机にへばりついてパソコンを使ってあれこれしている。肩は、完全に凝り固まっている。植木等さんではないが「♪これじゃ体にいいわきゃないよ、分かっているけど止められない♪ それ、スイスイスラララッタ、スラスラスイスイスイ……♪」というところか。

  今度こそ、今度こそ、一日に一度ぐらいは運動をしたい。家には、ウオーキングマシーンや通販で買った健康器具もあるのだから……。我ながら情けない。

(日記 午前中は定期検診のために福井の済生会病院へ。午後は、『かたせ瓦版』の編集作業。夜までかかってようやくできあがった。明日発行だが、今回は珍しく一日前に完成した。明日は、コピーするだけだ。途中で、『親鸞聖人物語』に出てくる数匹のカラスの絵を描いた。今日も肩が痛い。というよりもガチガチに固まっている感じ。明日から運動するぞ!)

 
 

対談『じいちゃんの子供時代』

22 1月

記録したいあの頃の子どもたち
  私たちの子供時代は、敗戦後の最も貧しい時期だった。しかし、子どもたちの心は決して貧しくはなかった。そのことを何らかの形で次の世代に残しておきたいと思っていた。

  自分の子どもが小さかった頃は、『お父さんの子供時代』として、自分の子供時代のことを記録しておきたかった。しかし、生活に追われてそれができなかった。そして、かなりの時間が経過してしまった。

  そのうちに、孫が5人になった。今残さなければもう記録不可能だろうと思った。そこで、先ず手始めに、私たちと同時代を過ごした2歳年上のTさんと子供時代のことを語った。ICレコー〇ダーには3時間半ほどの記録が残った。

  そのうちの10分あまりを文字化し、挿絵を付けて『かたせ瓦版』に掲載する予定だ。本当は遊びの写真があるとよいのだが、その頃は誰も写真に撮らなかったので、絵で描くしかなかった。

  文字ばかりの瓦版は誰も読まないだろうと思って、挿絵を付けたのだ。今、その頃を振り返ると、一番よかったのだ、その頃、子どもの前には「モノがほとんどなかった」ということだ。

一本のスキーにたくさんの子どもが乗って、急な坂を下りればスリル満点。。そのうち、転倒、爆笑!!

  逆に言えば、子どもが創意工夫をこらす場面が無限にあったのだ。「なけれ場つくる」という考えはこの頃身についたものだと思う。誰かが自宅から兵隊さんのスキーを持ち出してくれば、それで何人もの子どもたちがかなり長期間遊ぶことができたのだ。

  なければ創意工夫を凝らして作ればよい。之は当時の子どもなら、当たり前の発想だった。その当時作ったものの一つに「ハンドル付きのソリ」がある。これを使えば、は村の中の狭くて曲がったコースを難なく滑ることができた。

  今でも、保存してあるが、片瀬オリジナルだと思っている。作れと言われたら、何も見なくても作れるだろう。竹を割ってソリの裏へ張り付けるのだ。曲げるためには少し工夫がいるがそれもクリアーできる。

  今、日本各地で学力向上に血眼になっている。しかし、それは車で行ったら片方の車輪だ。もう片方の車輪は、“なければ作ろう」という精神だ。社会へ出たら、学者にでもならない限り、後者の方がはるかに有用だと思っている。いや、学者になっても必要だろう。

(日記 終日、明後日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。A4で4ページ必要だが、ようやく3ページ完成した。食事以外は、ずっとパソコンの前にいたので、体が固まってしまいそうだ。足が退化しそうだ。)