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Archive for 2月, 2015

春の訪れ

28 2月

春の足音

2月も半ばを過ぎると
雪国の人間は 春が近づいてきたことを感じる
時々雪がちらつく 日があっても
余裕の よっちゃん

もう雪下ろしのために 屋根へ登ることはないだろう
二階の屋根から 大屋根に差し掛けた
アルミのハシゴを いつ下ろすか
井戸に沈めた  融雪用のポンプを
いつ外へ出すか
そんなことを考える 余裕が出てきた

田んぼの雪は  日一日と融けていく
雪の島が どんどん小さくなっていく

雪を取り除いて水菜に ビニールを掛けた
長い間 雪の下になっていた水菜が
少しずつ 上を向いて 伸び始めている
実家庭菜園の 春一番の収穫物だ

土手を歩けば 融けとばかりの雪の下から
春一番のご馳走 フキノトウが顔を出している
この苦みは 春を告げる味だ

桜の枝先には 寒い冬を一緒に耐えた
堅いが蕾が 出番を待っている
春は足音を立てて 一歩ずつ確実に近づいている

雪国に住む者には 心踊る季節の到来だ
もしも今 農耕馬がいたら
きっとまぶしい太陽の下で 跳ね回ることだろう
草も木も動物も 生きてる証を見せる季節だ
年など気にせずに 今年もがんばるか……

(日記 午前中は資料整理とパソコンファイルの整理。明日は村の「御法事」。今年は、我が班が当番になっているので、午後はその準備のために道場へ行く。帰宅してバンドのカラオケ作り。夕方、福井の孫達がスキーの帰りに我が家へ寄った。そう言えば、子どもが小さかった頃よく家族でスキー場へ行ったことを思い出した。)

 
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今、考えてみれば

27 2月

親からもらったもの

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか

少し気が短かった父からは、一生懸命働くことと
貧しかったが 生活の中の精神的なゆとり

二人がこたつに入れば
お互いの手は見えなくても
自然と始まる太鼓のリズム
片方が地打ちをすれば(リズムをとれば)
もう一方が打ち込みをする
言葉はいらない
私の和太鼓の原点だ

大人同士の会話ができる年齢に達する前に
父は病に倒れて帰らぬ人に
現金収入のなくなった我が家を襲う生活苦

しかし子どものために身を粉にして働く母親がいた
父兄参観日には必ず来てくれた母
貧しさの中で身体を張って
父の分まで働いて私達子どもを育ててくれた母
しかし結婚せぬうちに母も父のもとへ

親からもらったもの
家や田畑、そしてこの命
他には何をもらっただろうか
いろんなものをもらったと思うけれど
私にとって最も役に立っている「贈り物」
それは「貧しさ」ではなかっただろうか
これが私の出発点になっている

・・・・・吉野弘さんの詩集を買って読んだら、私も書いてみたくなった。私の書いたものは「詩」とは言えないだろうが・・・・・

(日記 午前中、先ず歯医者。2時間ほどかかってしまった。帰宅して数学。午後は、家内とプールへ。歩き、泳ぎ、ジャグジー風呂、サウナを繰り返した。知らない人とも、話をするようになった。帰宅してふたたび数学。そして、楽器練習。)

 
 

平和は遠し……

26 2月

福井新聞学芸欄「論考2015」より
今日の福井新聞を読んでいたら、学芸欄の論考2015『イスラム国人質事件~「テロとの戦争」袋小路』に考えさせられた。「イスラム国の振る舞いは残虐で恐怖をあおる。誰もそれを放置したいとは思わないだろう。だが、まずなぜこのような集団が国家的規模を備えて生まれて しまったのか、その過剰な暴力性は何なのかを考えてみなければならない。」とある。

そして、戦争と犯罪の違いについても述べている。戦争は何人、人を殺しても罪にならないのだろうか。法によって裁かれることはないのだろうか。戦争の異常さは、勝者であれ敗者であれ筆舌に尽くしがたい。

勝者だからといって正義であるとは言いがたい。今の状況は自然に生み出されたものではないだろう。突き詰めれば、今の状況は人の欲が生み出したものではなかろうか。国家と国家の戦争は行われ難くなったが,「テロと戦争」はこれからも続いていくのではなかろうか。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

勉強の後の会話が楽しい。「卒業生を送る会」で全校合唱の指揮者をすると嬉しそうに話してくれた。平和の時代がいつまでも続いてほしい。

今日のコラムの最後の部分を味わいたい。
「……。世界を恐怖から解放するのは決してそれに輪をかけた暴力、つまり「戦争」であってはならないだろう。むしろいかにして戦争の構図を排除するかを考えなければならない。さもなければ世界は業火のような暴力の混迷のなかに沈んでゆく。それがこの十年に及ぶ「テロとの戦争」の教訓である。」

世界は、この文章を書いた「哲学者 西谷 修氏」の心配するような出口のない暴力の応酬に追い込めれていつもでも「テロとの戦争」という名の戦争を続けていくのだろうか。国内では株価がどんどん上がる一方で、心の荒廃が進み、異常な事件が連続している。これが、誰もが望んだ豊かな世界なのだろうか。どこかがおかしい。

(日記 午前中は数学。午後は、音楽の時間。ウインドシンセの練習。むかしなら、あっという間にできるようなことが今は、とても時間がかかる。午後7時から「爺ちゃん勉強」。国語の勉強は難しい。)

 

 
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頭の体操

25 2月

できないことが体操に
最近、認知症予防の為の「脳の体操」について、テレビなどでいろんな効果的な体操が紹介されている。その中の一つに「二つ以上のことを同時にやるとよい」とか「新しいことをやるとよい」などというのがある。

「音読などもよい」と言うが、これは「目で文字を読み、場面を想定し、声を出して読む」となると、少なくとも三つのことをやっていることになる。

「今日は、はじめて本格的に新しい楽器“ウインドシンセ(EWIUSB)”を使って曲を吹いてみた。簡単な部分とシャープやフラットが連続して吹き難い部分があった。

果たして、一ヶ月ほど練習して吹けるようになるのだろうか。楽器の演奏は簡単にできるかも知れないが、脳の体操には十分だろうと思う。諦めるのは簡単だが、そうはしたくない。

とりあえず、毎日少しずつ使って練習してみたい。果たして、頭(脳)がついていくかどうかが問題だが、考えているよりも指が勝手に動くようになるまで練習しなければと思う。あきらめる前に脳の体操だと思えばよいだろう。

(日記 午前中は、先ず数学の参考書作り。その後新しい楽器「ウインドシンセ」の練習。午後は、カラオケ作り。さらに、楽器「クロマチックハーモニカ」の練習。少しの数学と楽器の練習。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 

 
 

『振り込め詐欺 防止の数え歌』

24 2月

難しかった「数え歌」
朝支度にいたら、市役所のSさんから以前に作った『振り込め詐欺防止の数え歌』のカラオケを作り直してほしいと頼まれた。

以前に作った歌は、詞が2番まであるのにカラオケは1番しかないので2番までのカラオケを作ってほしいというものだ。

この歌は、Sさんに頼まれて以前に作ったものだが、まだ完成度は低かった。それでも、ラジオに流れたらしい。そこで、今日は、真剣に手直しをした。午後一杯かかっても完成しなかった。

詞も作り直した。ようやく完成したのは午後8時頃だった。それにしても、最近は振り込め詐欺の被害は膨大だ。

私も家内と話しているが、今は大丈夫でももっと年をとって判断力が鈍くなったときには危ないと思う。Sさんは高齢者の所へ行って振り込め詐欺防止の話をするそうだが、そのときに、この歌を歌うらしい。少しでも詐欺防止の役にたてばと思う。

(日記 午前10時から鹿谷公民館で銭太鼓の指導。午後は、もっぱら『振り込め詐欺防止の数え歌』の手直し作業。)

 

 
 

終日楽譜作り

23 2月

時代の変化を感ずる
昔はバンドをやろうにも楽譜はほとんどなかった。すきなバンドのレコードを見つけたら先ずテープに吹き込み、何度も再生しながら楽譜に書こうとしたものだ。

それこそ、テープが擦り切れるほど何度も何度も再生したものだ。そして、何日も何日もかけて楽譜を作り上げたものだ。

その後、有名な曲やヒット曲が本になって出回るようになった。楽譜を読めない人のためには、ギターの弦と同じ6本の線(弦の代わり)が書いてあって何番目を押さえればよいかまで丁寧に書いてあり、練習のためのCDまで付いているのだ。

ラジオなんかでも昔の音楽家はみんなこんな作業をしていたのだ。しかし、今はもっと進んでいる。音楽のデータ(WAV)があれば音程がビジュアルに表されるソフトまであるのだ。

今日は、こうしたソフトを使いながら、自分の創作も交えてウインドシンセ用の楽譜作りをした。この作業を終日続けた。楽しい作業だった。

(日記 朝から楽譜作り。午後家内とウオーキング。約1時間のコースだった。午後7時から「爺やン勉強」。あっという間に一日が過ぎてしまった。それでも楽しかった。)

 
 

地域の盛り上がり

22 2月

左義長フィナーレ
知人から誘われていたので、先ず7時頃芳野町の櫓を見に行くことにした。

上三枚:左義長スナップ。中:家の前の雪で遊ぶ孫達。下2枚:「農事組合法人かたせ」の総会と「GAP講座」。

上三枚:左義長スナップ。中:家の前の雪で遊ぶ孫達。下2枚:「農事組合法人かたせ」の総会と「GAP講座」。

「浮き浮きライブ」ということで若者を中心に左義長ライブという感じであった。

若者がたくさんこうした行事に参加していることをうらやましく思うと同時に、我が地区でもなんとかしなければとの思いを強くした。

ライブの後は、「菓子まき」や「餅の手渡し」があった。中心市街地から少し離れているので身内中心という感じではあったが大いに盛り上がっていた。

左義長を見ながら考えた。この地区の左義長の全取り組みをビデオにしたらきっと他地区のまちづくりの参考になるだろうと思った。

昨日も書いたが、地区に「伝えるもの」のある地区は活気があるということと、「祭りは地域の力」の現れであると思った。

午後8時半過ぎに、福井へ帰る孫達に左義長を見せたくて勝山駅まで一緒に出かけ、「どんど焼き」の点火を待った。バックにライトアップした勝山城博物館が浮かぶ中、どんど焼きの大きな炎が天に向かってゆらめいていた。いよいよ奥越にも春が来る。そんなことを思いながら、孫達と別れて帰途についた。

(日記 午前9時より『農事組合法人かたせ』の定期総会。年に一度の総会だったのでいろんな意見が出て3時間かかった。私も、「組合の米価の設定と販路拡大」、「次世代育成」、「里芋のオーナー性や畦の貸し出し」などいくつかの提案をした。今年のJA売り渡し価格は下がったし、今後もその傾向は続きそうだ。組合による一般販売も必要になるだろう。午後は、1時間ほどバンド練習に付き合い、その後、集会場で県主催の『奥越地区(GAP(適正農業実践)講座』を受講。安全安心の農作物作りについての話を聞いた。午後7時芳野区の左義長を見に行く。午後9時福井の孫達と左義長のフィナーレである「どんど焼き」を見て勝山駅の駐車場でまごたちとわかれた。)

 
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伝えるもの

21 2月

左義長から学ぶこと

上三枚は左義長を見に行ったときのスナップ。下は、一日遅れの私の誕生祝い。

上三枚は左義長を見に行ったときのスナップ。下は、一日遅れの私の誕生祝い。

福井から孫達がやって来たので、家内と2人で左義長を見に出かけた。天候に恵まれて多くの見物客が出ていた。また、町中を左義長の衣装で歩く子どもや若者が見受けられた。

外からは見えないだろうが、おそらく櫓を持つ各地区の若者の中には「左義長には何が何でも帰る」と思って帰ってきた者もいるのではなかろうか。

我が次女も左義長ファンだ。我が家は左義長の櫓を持つ地区ではないが、次女から、今日の午前中、「左義長に来年は必ず帰ります」とのメールが来た。保存会のメンバーではないが、会長のKさんの指導を受けた関係で長年櫓に上がらせていただいていたからだ。

果たして、我が村に、子ども達や若者が「この行事には何が何でも帰りたい」と思うようなものがあるだろうか。地域に人を惹(引)きつける魅力があるだろうかと思ってしまう。

これは大人の私達の責任だ。地域に魅力がなければ都会へ出たくなるだろうし、出た者は帰ってきたくならないだろう。子どものうちから地域で活躍できる場や心地よい居場所を作っておかなければならないだろう。そのためには、私達が、地域で力まず生き甲斐をもってひびせいかうしなければと思う。それと同時に、子ども達に伝えられるものを作らなければと思う。

(日記 午前中は正月飾りを取り外し、左義長会場へ持って行く準備。その後、少し数学。午後は、カラオケ作り。午後2時半過ぎに福井の孫達と家内と4人で左義長を見に行く。夜は一日遅れの誕生祝い。とうとう72歳になってしまった。)

 
 

ワーク・アンド・ライフ・バランス

20 2月

ライフがあるのか?
 最近、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」という言葉がよく聞かれる。それは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民の誰もが生き甲斐を実感しながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、それぞれの年齢に応じて多様な生き方が選択・実現する」ことを指しているように思う。

しかし、周囲を見渡すと「ライフ」がどうかなと思う場合がある。私が67歳で完全に退職したとき、町中で出会った数人から「暇やろ。何もすることないやろ」とよく言われたものだ。

私は、退職してから5年が経ったが、暇で何もすることがないと思ったことはない。ただし、自由時間がないというわけではない。なぜなら、やりたいことはたくさんあるが、それらを先送りすることができるからだ。

ところで、今から100年ほど前の人達の、「ワーク・アンド・ライフ・バランス」はどうだったのだろうか。調べようもないが、当時の地区の行事を調べてみると農作業とは別にずいぶんたくさんの行事があったことが分かる。

そのうち2月の行事のいくつかを紹介すると次のようなものだ

◇二月◇・・・・・・。(『片瀬誌』より)・・・・・・・・・・
・旧の正月(二月一日二日三日は休業。朝食に雑煮、夕食は数の子、煮豆、鯖の寿司を食べ、酒を飲む。正月の三日間は深夜神社へお参りし、続いて道場へお参りする。素晴らしい風習なので今後も続けた方がよい。)
・書き初め(二月二日。小学生などは短冊を書き、左義長まで庭の前に立てておいた。)
・使い初め(二月四日。仕事始め。青年会では三日の夜を仕事始めとし、四日は休む者があった。)
・初寄り合い(二月四日。区民の総集会。行政に関する種々の協議をする。)
・延年・七草節句(二月七日。他区、他町村の親戚を招いてもてなす。七草節句としては、七菜五穀をあわせてお粥を作った。)
・左義長(二月十四日。藁を集め、広畑で門松にかけ、夜、これを燃やした。この際、書き初めを生竹に吊して持ち集まった。また、年中仏壇に供えた花を持ってくる者もあった。)
・例年法会(二月十五日。宗祖見眞大師の御忌日にあたり法会を行う。)※親鸞聖人は、明治九年に明治天皇より「見眞大師」の諡号(しごう:おくり名)を追贈されている。
・十八粥(二月十八日。朝食に小豆粥を作り、これを柿の木の幹に鉈(なた)で傷を付け、切れ目に挟み込む。)
・御宮酒(二月二十日。春祭りと称し、氏神様に祈祷を行い、お供酒のお下がりをいただく。そして、老若男女は重詰めのご馳走を持ち寄り、宮番の家で酒宴を開く。この日は、田舎芝居があったり、各自が得意の芸を披露する。氏子にとっては、一年のうちで最も楽しい日。)
・天神講(二月二十五日。昼食に小豆飯を作る。また、正月以来床の間にかけておいた天神様を片付ける。)
・紀元節(二月十一日。三大節の一つで休業日とする。)
※三大節とは、旧制の三大祝祭日。すなわち四方拝・紀元節・天長節の総称。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように、たくさんの行事を家庭や地区でこなしたのかと思うと、頭の下がる思いがする。厳しい農作業の合間にもこのようにたくさんの行事をこなしたと思うと尊敬に値する。

(日記 午前中は数学。このごろ結構作業がはかどっている。衆院予算委員会の実況を聞きながらの作業だった。総理も正月前後は、連日、映画、観劇、ゴルフ、フイットネスクラブと正に「ワーク・アンド・ライフ・バランス」を実施していられたようだ。もっとも、危機管理上の問題で責められてはいたが。そう言えば、今日は私の72回目の誕生日。年齢は異なるが長島監督も今日が誕生日だ。ジャンパーのプレゼントがあり、孫達から手紙をもらった。)

 
 

PDCAでいいのか?

19 2月

「現状分析」を加えたい
物事を実施する場合に、「PDCAサイクル」いうのがある。しかし、私はこれだけでは不十分だとかねてから考えている。

先ず、この、「PDCAサイクル」だが、次のように言われている。
1.PLAN(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する
2.DO(実施・実行):計画に沿って業務を行う
3.CHECK(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する
4.ACT(行動・処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする

いろんな場面で、このサイクルの甘さを見てきた。多くの場合、計画以前に「現状分析」を十分に行わなければと考えている。計画が甘すぎた場合が多いのだ。

原発を例にとっても、現状分析を十分に行わないまま、計画され、実施されたのではないかと思われるふしがある。可能な限り、予測される危険や問題点を把握し、可能な限り対策を研究して計画しなければならなかったのではなかろうか。

核廃棄物の処理法も処理場所も、(いずれ老朽化するはずだから)その廃炉の方法も全て未定のまま、計画が先行し、問題が発生しているのではなかろうか。原発の賛否を述べる以前の問題だ。事前の十分な現状分析を行わないまま事に当たれば尊い人命が失われることを私達はよく勉強して事に当たらなければならないのではなかろうか。

少子化や地域の崩壊に対する対応も、なぜそうなったのかなど現状を十分に分析して対応しなければ改善には結びつかないのではないかと思われる。

(日記 午前中は数学。午後1時過ぎから家内と市営プールへ行き、水中ウオーキングとサウナ。たっぷりと汗をかいた。午後6時から「爺ちゃん勉強」。小学4年生の問題集に方程式を解くような問題が出ていて教えるのに苦労した。夜はビデオ鑑賞。)