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Archive for 2月, 2015

対立!

18 2月

どう折り合えるか?
今日は、参議院の代表質問。いろんな問題で与党とやとうが対立している。今日の代表質問でも、様々な問題で与党と野党が対立している。

経済問題では、「景気が良くなっている」という与党と「けい気は良くはなっていない」という野党。「沖縄の基地移転問題」、「原発再稼働問題」、「貧困の問題」、「アイスルに対する対応」、「憲法問題」……。

国内でも、対立する問題がたくさんある。外国でも、国内や外国との対立が多くある。ウクライナの問題も深刻だ。フランスで起こったテロの問題もまだ尾を引いている。

どうも今は、武器に頼らなければ自国を守れないと考える国が多くなったように思う。武器に頼ればエスカレートするばかりだろう。政治家は自国を守るという言葉をよく使うが、何によって自国を守るかが問題だ。

今は、国内も国外も「信頼」という言葉が失われていくように思えてならない。自由競争は勝者を生む反面、敗者をも生む。TPPもみんなが勝者になるわけではなかろう。勝者と敗者の格差を小さくするのが政治ではなかろうか。もしそうでなかったら、世の中は、ますます不安定になっていくのではなかろうか。

(日記 午前中は数学。午後は、先ず餅切り。平たくした種々の餅を四角に切った。その後、かなりの時間数学をやっていた。参院の代表者質問を聞きながらの作業だった。その後、しばらくコンピュータミュージック。時々、ソフトが思うように作動しないときがある。夜は、ビデオで映画鑑賞。)

 
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地区の活性化に向けて

17 2月

「猪野瀬地区活性化委員会」2月定例委員会 今日は、公民館で猪野瀬地区活性化委員会の2月定例委員会。市の「地域力向上基金」の補助を受けて購入した備品の管理規定などについて話し合った。

上:白山山頂で御来光を待つ私。中:取材のためのカメラを構えて御来光を待つ。下:御来光。感動の一瞬。

上:白山山頂で御来光を待つ私。中:取材のためのカメラを構えて御来光を待つ。下:御来光。感動の一瞬。

その後、新年度の活動について話し合った。今のところ、当委員会は、地域の活性化のためにパワーを蓄えている時期で、活動の中心は既存事業の活性化を目標にしている。 昨年は、「いのせ文化祭」の活性化に向けて、会場の変更、模擬店のあり方、舞台設定など様々な面でそれまでのものよりパワーアップしたと思っている。 正式決定ではないが、大師山関係の二大行事である「大師山自然観察会」と市の夏祭りの一環として行っている「大師山たいまつ登山」のうち、特に後者の方に新たな付加価値をつけて新たなイベントにできないかと、みんなで夢を語り合った。 大師山は、泰澄大師の“大師”を名前に冠した山である。泰澄大師は霊峰「白山」を開いた僧でその影響力は周辺に広がっている。また、その信仰の中心となる白山神社は全国に3千数百社を数えている。富士山の比ではない。様々なものを組み合わせた一大イベントを展開できないか、世界遺産を目指す「白山麓の文化」を取り入れた祭りにできないか、そんな夢のような話をしているうちに昼になり会議を終えた。 (日記 朝一番の餅作りで一日が始まった。午前9時半より公民館で「猪野瀬地区活性化委員会」の2月定例委員会。猪野瀬地区の活性化について語り合った。午後は、数学。そして、音楽。家内は福井へ子守りに出かけた。)

 

 

小舟渡から見た白山。山頂に雪をいただき、まさに「白山」である。

小舟渡から見た白山。山頂に雪をいただき、まさに「白山」である。

 

すれ違い

16 2月

各党の代表質問を聴いて
私は国会の討論をなるべく欠かさないで聴いている。パソコンをやりながら、あるいは、今日のようにウオーキングをしながら、時には、家庭菜園で野菜作りをしながら聴いている。

 今日は、午後から、安倍総理の施政方針演説に対する各党の代表質問だ。トップは、民主党の岡田代表の質問から始まった。格差問題などもあり、なかなか鋭い質問もあり、総理はどう答えるだろうかと興味を持って聴いていた。

 しかし、実際の答弁は淡々としていて、多少ストレスが溜まった。次に、自民党の谷垣氏の質問。与党であるだけに、総理に与党の方針を確認させるようなものであった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

大野高校(右後方)周辺をウオーキング。後方は日本百名山の一つ荒島岳。今日は、快晴で散歩日和だった。

 そして、次に、維新の党の代表・江田氏の質問。野党らしく鋭い質問もあれば、与党と似ている部分もある。国会議員の身を切る改革や原発に対しての質問があり、総理の答弁を注意深く見守ったが、やはりすれ違いの感は否めなかった。

 よりよい政治を行うためには、政治家に緊張感がなければならないと思う。それには、健全な野党が必要だと思っている。これは国会でも、県会でも、市会でも同様だ。これからも、なるべく国会討論を聞き、今世の中で何が問題になっているかに関心を持って生活していきたいと思っている。

(日記 午前中は数学。午後は、国会討論を聞きながら、大野高校の周辺を家内とウオーキング。快晴の散歩日和。荒島岳が、雪で輝いていた。いろんな家が建ち並んでいる。帰宅してからカラオケの楽譜作り。そして、子どもや孫に送る餅作り。午後7時から孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
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人と人とのつながり

15 2月

自分勝手に生きられそうな時代
私達子どもの頃と比べると、地域での人と人とのつながりはずいぶん変わってしまった。今は、自分勝手に生活し、楽しめる時代になったからだろうか。災害などがなければ、個人が勝手に自由気ままに生きられる時代になったのだろうか。

今の時代、「結(ゆい)」という言葉はほとんど死語になってしまった。金さえ出せばほとんどのことができる時代になったからだ。かつては、種々の作業において、地域住民同士の助け合いがなければ成り立たなかったのだ。

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

「結」による屋根の葺き替え作業。(写真提供:朝日印刷)

お互いの助け合いは、米作りを中心とする農作業では不可欠であった。全てを人力に頼った時代だったから、隣近所の助け合いで作業を進めなければできなかったのだ。

藁葺き屋根の多い時代であったから、この屋根の葺き替え工事も「結」でこなしてきたのだ。屋根に上がる者、萱を運ぶ者などに別れて手際よくさ業を進めたのだ。こればかりは金を出してもできる作業ではなかったのだ。

隣の大野市は、このような助け合いである「結」を全面的に打ち出して「結の郷」を名乗っている。今の時代、大概のことは家庭で完結するが、防災やまちづくりにおいてはやはりこの「結」の心は残していかなければと思う今日この頃である。人生に“いいとこ取り”はないのだから、多少煩わしくても、隣近所の付き合いはどこかで人生を豊かにすると思う。

・・・(「昭和の子ども達」より)・・・・・・・・・・・・・・・
「御裾分け」

結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は数学。ソフトの誤作動によって失われたファイルの復元作業。午後は、パソコンでカラオケ作り。あっという間に、一日が過ぎてしまった。)

 
 

歌作り

14 2月

音楽っている色あるなあと思う
「音楽」と一口で言っても、いろいろある。先ず、「器楽曲」か「歌」かによっても大きく分かれる。世界各地にはいろんな国があり、それぞれにいろんな音楽がある。

器楽曲と言ってもそうだし、日本の音楽にも使う楽器によっていろんな分野に分かれる。今日は、youtubeでいろんな音楽を聴いていた。時間の経つのも忘れていろんな音楽を聴いていた。

さて、これから、私の音楽活動をどうしようかなと考えていた。買ったばかりのクロマチックハーモニカもやりたいし、最近音が出てきたウインドシンセもやりたいし、昔、本職?だったドラムもやってみたい。ハワイアンギターも・・・・・。

こんなことを考えていたら、結局何もできないだろう。しかし、歌は作ってみたい気がする。何か作れそうで作れない。想いはあっても、行動を移すまでの距離がありすぎる。本気度が足りないからだろうか。

これまでの人生経験から何か歌が出てくるような気がする。要はどれだけ本気になれるかだ。いま、心の中で、少しずつ創作意欲が湧きつつある。毎日続けている数学に次に、歌作りにかけてみよう。そんなことを想いながら、あれこれ歌を聴いていた。

久々の除雪作業。機会を操作するのは楽しい。

久々の除雪作業。機会を操作するのは楽しい。

(日記 朝食後、しばし除雪機を動かして家の周辺の除雪作業。その後、数学。ソフトの誤作動で10日近くが無駄になってしまった。修復しながらの修復作業。もうしばらくは時間がかかるだろう。午後は、雪がチラつく中、ウオーキング、汗をかいた。帰宅してからは、いろんな音楽を聴いていた。午後7時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。勉強の後、孫が詩を書いて聞かせてくれた。『私のジイジ、ノリオ』というタイトルだ。聞いていてジーンときた。その後、ビデオを見る。)

 
 

「戦争」という言葉が頻出する毎日

13 2月

平和が遠くなるのか
この頃、毎日のように新聞やテレビ、雑誌で「戦争」という言葉が目に付く。もはや、世の中の種々の問題は、武力でしか解決できないのだろうか。

昨日『文藝春秋』を買ったが、特集からして「新・戦争論」だし、あちこちに、「戦争」という活字が踊っている。テレビでも、同様だ。

戦争の悲惨さは言うまでもない。ある日、突然召集令状が来て、私の村でも多くの住民が戦地へ向かったのだ。私の父も同様であった。そして、何人かの人たちは、二度とふるさとの土を踏むことはなかった。私の同級生の父親も戦争で亡くなったのだ。

温泉の玄関で。

温泉の玄関で。

毎年、村では「戦没者慰霊祭」を行っている。最近の朝ドラにも戦争時代が描かれている。そして、戦争は非人間的な行動を招く。これは、先の大戦時だけではなく、今も同様だ。

戦争に勝者も敗者もない。どちらも、深く傷つくからだ。武力で戦争をなくしようとしても、互いにエスカレートするばかりであろう。戦争は、子ども達に特に犠牲を強いることになる。国と国との戦争、国内での戦争(内戦)、そして、テロとの戦争、……。傷つくのは弱者ばかり。政治家だけに任せるのではなく、自分に何ができるのかを考えなければならない時代になっているのではなかろうか。

(日記 温泉からの帰り、福井へ寄って帰宅。気分転換になったようだ。帰宅して、早速、数学。ワープロソフトが誤作動を起こして、十日分の作業が無駄になってしまった。やり直すしかない。残念無念。)

 
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「すき焼き」の思い出

12 2月

漫画『三丁目の夕日』から
二ヶ月に一度の定期検診のついでに眼科へ寄った。診察室の真ん前にある書棚にはたくさんの漫画の本が置いてある。そこに、たくさんの『三丁目の夕日』があった。

単行本は、読み切りの集まりになっている。その中に一つに10ページ前後の「すきやき」と題したまん画があった。少しリッチな友達の家で“すき焼き”をご馳走になった主人公が、家へ帰って家族に「我が家でも“すき焼き”をしてほしい」と毎日おねだりする漫画だ。

しかし、あまり豊かでない生活を送っている主人公の家ではなかなか“すき焼き”をする余裕がない。両親は子どもの望み通りに“すき焼き”をしてやりたいのだが、家計が許さない。

そして、ずいぶん月日が経過したある日、“すき焼き”が実現するのだ。しかし、その“すき焼き”は、肉が少なく野菜の多いものだった。肉は、友達の家でご馳走になったような牛肉ではなく、豚肉だ。それでも、家族はうまいうまいと言いながら食べるというところで終わっている。

さて,子どもの頃の我が家だが、“すき焼き”を食べる日はまるで祝日のように決まっていたものだ。臼擦りが終わった日(米作りの最終日)と大晦日の2回だ。肉は上等なものではなかった。大晦日に“すき焼き”を食べる習慣は今でも続けている。今はいつでも食べられないことはないが、カロリーの面から普段は敬遠している。時代は変わったものだ。

(日記 自宅を9時半に出発。二ヶ月に一度の定期検診。ついでに眼科でも診てもらうことにした。ドライアイで涙が出るので困っている。その後、芦原温泉へ。ここしばらくの種々の行事の打ち上げのつもりで出かけた。温泉につかり、家内とカラオケを存分に楽しんだ。)

 
 

昨日(経済、経済と言うけれど)の続き

11 2月

自作の歌『昭和の子ども達』より
ずいぶん、昔のことだが、「父さんの子供時代」という詩らしきものを書いたことがある。しかし、子ども達が大きくなって孫が5人になって、「爺ちゃんの子供時代」という感じになってきている。

その中に昭和でなく、今を題材にした「物、物、物」といタイトルのものが出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
『 物、物、物 』
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

 

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる

物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

「物を買うため 働いて 働いてまた 物を買う」という部分が、昔も今もじ実感としてそう思っている。「買えない“時”が 過ぎていく」というのも同感だと思う。一日一日を自分の合点がいくように生きていきたいと思う。

経済、経済という今の世の中、人に急かされて、人が皆生きていると言えなくもない。豊かさを感じるのは自分の物指しだ。自分らしく生きていきたいと思う。

(日記 午前中、いつものように数学。午後は、家内とウオーキング。田んぼ道を歩き、途中から住宅地をあるいてかえってきた。約1時間半のウオーキングだった。汗が出るくらいの距離だった。)

 
 

経済、経済と言うけれど

10 2月

昭和と今の違い

至る所で経済、経済という言葉があふれている。確かに食べるためにはやむを得ないであろう。しかし、今は必ずしも食べるためにのみ働いているのでもなかろう。日々の贅沢な生活を維持するために働かざるを得ないのではなかろうか。

一部の部分であるが、平成の今と昭和の20、30年代を比べてみるとその違いはよくわかろう。

●平成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和・・・・・・・・・・・・・・

(大人の人数にほぼ一台強)・・・・・・・自転車(一家に1台)
テレビ(部屋の数以上=数台)・・・・・・・ラジオ(家庭に1台)
風呂(電気またはガス)・・・・・・・・・・・・・風呂(薪)
電気調理器(炊飯器など数台)・・・・・・・羽釜(薪でご飯を炊き、囲炉裏で煮炊き)
洗濯機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(川でせんたく)
上下水道(あり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(手動式ポンプ・汲み取り式便所)
●冷蔵庫(1台以上)・・・・・・・・・・・・・・・なし
電話(家庭の電話+携帯複数台)・・・・・・・・・・・なし
エアコン(部屋に1台=数台)・・・・・・・・・・・なし(暖房は炭)
パソコン(家に複数台)・・・・・・・・・・・・なし
●・・・・・・(以下略)

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。 

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。

平成の今、これだけのものを維持しようと思ったら,その費用は半端ではなかろう。習い事などは、「ソロバン学校」があったくらいで学習塾や通信教育はほとんどなかった。

普段は現金を持たなくても、十分生活ができたのだ。昭和時代は物質的には豊かではなかったかも知れないが、貧しくはなかったと思う。市内を走るバスや電車には車掌がついていた。バス路線ももっと多かった。

村の祭りも、若い衆祭り、弓矢(前夜祭)、本祭り、後祭りと数日間行われたし、結婚式等も数回にわたって宴会が行われた。その他、季節ごとの行事が数多くあった。そのため、人の出会いも多かった。今は、経済、経済と追い立てられて、多くの者が気忙しく毎日を過ごしているように思えてならない。大切なのは、ほどほどの経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスではなかろうか。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

(日記 午前中は数学。午後2時から4時まで市営プール。サウナ、プール、ジャグジー風呂、風呂と繰り返して帰宅。その後、少し数学。夜はビデオを見る。)

【写真提供:朝日印刷】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

 

 

 
 

ウインドシンセに再チャレンジ

09 2月

やる気の有無が
今から3年半ほど前(2011年)に、私はウインドシンセを買った。ウインドシンセとは、簡単に言えば普通のシンセサイザーと原理は同じだが、鍵盤の代わりにクラリネットやフルートのように口で息を吹き込み、指で音を変える楽器だ。

シンセサイザーのように楽器が大きくないのは、音色を変えたり、ボリュームを変えたり、エコーの響き具合などを変えたりするのは全てパソコンが制御するのだ。そして、パソコンからスピーカーを通じて音を出すのだ。

ジャズメンになったつもりでウインドシンセを吹く。いつになったら、人前で演奏できるやら。「まぁ、夢でもいいっか!」。

ジャズメンになったつもりでウインドシンセを吹く。いつになったら、人前で演奏できるやら。「まぁ、夢でもいいっか!」。

私は、サックスなどを吹いてみたいと思ったが、今更楽器を購入して0から始めるよりも、いろんな楽器の音が出せる方が楽しいし、楽だろうと思ってのことだった。デスクトップパソコンでは音を出すことができるようになった。

そこで、あちこちで演奏するためにと思って翌年(2012年)に専用の小型のパソコンを買い、音を出すための音源も購入したのだが、うまく音を出すための設定ができなくて、挫折してしまっていたのだ。

その後(2013年に)、ネットで新たなマニュアルを購入したが、そのまま放置してあった。今日は、「何が何でも演奏できるように設定するぞ」と思い、気合いを入れて、マニュアルを読み返した。そして、なんとか、小型のノートパソコンを使っても音を出せるようになった。バンザーイ!あとは、練習するのみだ。どこかで、ジャズでも演奏できたらと密かに思っている。はたしてどうなることやら……。

(日記 少し雪が積もった。運動がてらに除雪機で家の周囲を除雪。その後は、もっぱら数学。午後は、ウインドシンセ「EWIUSB」を設定するために、マニュアルとネットの情報をもとに格闘。ようやく設定できた。もしかしたら、OB会で吹けるかも。)