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Archive for 7月, 2013

大師山整備

31 7月

階段作りパート1
  白山を開いた泰澄大師ゆかりの大師山が我が片瀬区の背後にある。この大師山周辺は、猪野瀬地区や旧勝山町が所有している山だ。現在は越前大仏もかなり所有しているが。

  最近では、この山へ出向くことは、春の山菜採りぐらいだろうか。それと時々行われるたいまつ登山などのイベントぐらいだろうか。

階段の材料を担いで現場へ出発。(大師山山頂にて)

階段の材料を担いで現場へ出発。(大師山山頂にて)

  しかし、子どもの頃はそうではなかった。正に生活に密着した山だった。特に、家庭での重要な燃料としての薪はこの山でしか手に入れることができなかった。

  栗拾いや山菜採り、そして小鳥を捕まえるためにもよく山へ行ったが、なんと言っても、薪取りが最も多かった。夏の暑い日に、村の共有林のある大師山の裏側まで出かけて両親が作った薪を担いで自宅まで運んだのだ。

 この作業は子どもにとっては重労働だった。しかし、プロパンガスが出てきてからは薪の需要は激減した。正に燃料革命だ。そして、今また電気による生活に変わってしまった。

 おかげで大師山へ出かけるのは、レクレーションだけになってしまった。私にとっては、山菜採りも、レクレーションの一つだ。そんな中で、大師山へ登る人、大師山を経由して三ツ頭山や報恩寺山へ登る人が増えた。

セイバやスコップで溝を作り、そこへ階段を設置して固定するための杭をカケヤで打ち込めば一段完成。

セイバやスコップで溝を作り、そこへ階段を設置して固定するための杭をカケヤで打ち込めば一段完成。

 登山道はもはや生活の道から、レクレーションの道へ変わってしまったようだ。付近に山を所有している人は、杉の下草刈りぐらいには出かけるかも知れないが。

  この大師山登山道の整備をここ数年、『猪野瀬地区まちづくり推進協議会』を行っている。今日はその一環として登山道にプラスティックの階段を取り付けるためにまちづくり関係の者が山へ登った。

 来る日曜日には、登山の目印とするために「何合目」と書かれた石柱を立てることになっている。登山口からと山頂から石柱を背中に担いで運び、登山道脇に設置するのだ。

  当日は、階段作りも行うが、今日は下見を兼ねて20段の階段を設置した。参加者は7人、午前7時に村の集会所へ集まり、山頂まで資材を運び、担いで下山しながら所定の場所に階段を設置した。

  一番勾配が急で滑りやすい場所に階段を設置した。来る8月13日の『大師山たいまつ登山』には整備が終わり、気持ちよく山登りができるのではなかろうか。

(日記 午前7時に片瀬集会所前へ集合。軽トラに分乗して大師山山頂へ。7合目と8合目の間の急な場所に階段を設置した。帰宅後シャワーをして遅羽公民館へ。『遅羽さわらび会(食生活改善推進員)』の親子料理教室で食後のアトラクションとして家内と紙芝居をするためだ。恐竜を題材にした紙芝居をした。午後は、『コミュニティー助成事業』の事務処理。午後7時より和太鼓の練習。最後の詰めを行った。まだ、あちこち直すとよい場所が出てくる。メンバーと知恵を寄せ合い手直しをしながら練習をした。後10日で本番だ。悔いのないゆに練習したい。そう言えば、今日の福井新聞に出場チームの写真が掲載された。気分がだんだん高まってくる。)

 
 

MITのポリシーは「つなぐ」

30 7月

世界大学NO1のMIT(マサチューセッツ工科大学)
  今日は外出しないと決めたので、終日Tシャツで過ごすことに決めた。そのTシャツの胸にはMITの文字が入っている。かつて、アメリカのマサチューセッツ州のMITやハーバード大学を見学したことがある。

  そのとき、売店で買ったのがこのTシャツだ。売店でうろうろしていると、「学生か?」と問われた。片言で少し話をした。日々の研究は厳しそうだった。

  今日の午後は、居間の整理整頓をすると決めた。私は、作業の時には、いつもビデオやラジオを聴きながら行っている。今日は、今年の1月2日に放映された『地球でイチバン 未来が見える研究所 ~徹底潜入MITメディアラボ~』を聞きながらの作業だ。

メディアラボの創設者ニコラス・ネグロポンテ氏(NHKテレビ地球イチバンより)

メディアラボの創設者ニコラス・ネグロポンテ氏(NHKテレビ地球イチバンより)

  ところが途中から、すっかりはまってしまった。作業の手を休め本格的に見ることにした。キーワードや重要な会話はデジカメで記録した。

  MITはノーベル賞受賞者を77人も出している実力のある大学だ。この大学には、『メディアラボ』がある。ここのポリシーは「つながる」だそうだ。

  26人の教授の下、世界各国から集まった140人の大学院生が年間20件以上の発明や特許を産み出しているという。そして、メディアラボ創立者のニコラス・ネグロポンテ氏は次のように述べている。

 「私がメディアラボを作った1980年代と今とでは時代は全く変わりました。当時はトップダウンの時代でした。カリスマ性のあるリーダーが優れたアイディアをひらめき、そのアイディアをもとに部下を動かして商品を作り世の中に打って出るのです。ソニーの盛田昭夫さんのようにね。」

 「でも今はボトムアップの時代です。異質な人たちをつなぐことで生まれる想像もできなかった全く新しい何かが大切なんです。」

 偶然、着ていたTシャツは十数年前MIT(マサチューセッツ工科大学)で購入したもの。何も関係ないが。

 偶然、着ていたTシャツは十数年前MIT(マサチューセッツ工科大学)で購入したもの。何も関係ないが。

 また、同氏は、「私たちがやっていることは、一企業のためではありません。人類全体のためです。」と述べている。この研究所は企業の献金で運営されているが、企業は研究には口出しできないことになっているという。

  そして、この権威ある研究所の現在の所長は日本人の伊藤さんだ。伊藤さんは大学中退で、種々の職業を経験している。ニコラス・ネグロポンテ氏に言わせれば「伊藤さんを選んだのは、今までの所長達とは全く違う経歴を歩んだ人物だからです。」ということになる。

  その伊藤氏は,次のように語っている。
 「同じような人間がすごく賢くても、一生懸命考えても、なかなか解けない問題に、多様な人たちを入れると、いろんなモデルをそこにつないでみるので解決する可能性があがる。

  今のイノベーションに必要なのはクリエイティビティーで、コネクター(つなぐ人)とか異分野に何が重要かというと、自分の固まった考えを壊すために違う世界につないでいくこと。そうするとだんだんクリエイティビティーが出てくる。」   

 異質な者が集まることによって、同質な者では創造し得ないものを産み出すのはアメリカが得意とすることかも知れない。あの池上彰さんも、このような状況を「異質な者が一緒になることで化学反応が起こる」と解説している。

   こうしたことができるのは、リーダーの度量ではなかろうか。政局に明け暮れる日本の政治家の皆さんに彼らのラボの運営を学んでほしいものである。足の引っ張り合いでなく、力の寄せ合いを期待したい。

 目から鱗の思い出、ビデオを見ていた。とても、ブルグでは語り切れない。はっきりしていることは、人には無限の可能性があると言うことだろう。

(日記 午前中は、和太鼓の練習用CDづくり。午後は、居間の整理整頓。途中でビデオ鑑賞になってしまった。マサチューセッツ工科大学のメディアラボの話だ。)

 
 

生まれて初めて

29 7月

災害列島
  最近は天災が多いように思う。地震、竜巻、ゲリラ豪雨、豪雪、……、これらが毎週のように日本の各地を襲っている。私たちは、不安定な地球という「球」の上に乗っているのだ。

  他へ行きようがない。そして、毎回災害が起こると、被災地の人は「生まれて初めての災害だ」という。「災害は忘れた頃にやってくる」と言われるが、全く被災経験のない地区をも遅う。

  と言うことは、どの地区もいつ何時、災害に遭うかが分からないのだ。特に、水害なども頻繁に起こるようになった。ひとたび雨雲が停滞するとゲリラ豪雨だ。あっという間に河川は氾濫し、道路は寸断し、崖崩れなども起こる。

 時には、橋や鉄道までも流される。全く他人ごとではない。災害が起こるたびに、集落は孤立し、ヘリコプターでなければ安全な所へ避難できない。

 災害が起こるたびに、山間地は過疎化に拍車がかかりそうだ。かくして人は都会に集中し、田舎はますます人が減り、生活環境が悪化する。河川を治めることは簡単ではない。

 最近は、道路が舗装され、河川もコンクリートで固められるようになった。一方、山も整備されたが、防災という観点から考えると危うい。

  保水能力が低下し、水は勢いよく流れ出る。おまけに、水の逃げ場がないのだ。限度を超えた雨が降ると被害は大きくなる。自然災害の他に、犯罪も後を絶たない。

  テレビで見ていると、手の付けようがないくらいの荒れ様だ。今山口県で起こっていることは、少し前の福井大豪雨の様相を呈している。とにかく、梅雨が終わって雨が止み、熱くても太陽が顔を出す夏になってほしい。

(日記 終日、和太鼓練習用の楽譜とCDづくり。午前、午後とも、せっかく作ったデータを消去してしまい、3時間ほど無駄になってしまった。気をつけなければならない。外は雨。我が勝山も、ここ一両日中に、7月の降雨量の半分以上が降ったらしい。「生まれて初めて」といわれるような大災害に遭わないように祈るばかりだ。)

 
 

産みの苦しみ

28 7月

推敲、そしてまた推敲
  我が太鼓チームは、太鼓大会を目指して練習している。6分間以内に、自分たちの持っている力を出しきるのは簡単ではない。今日は、遅羽公民館を借りての練習日だ。

  ようやくできあがった曲だと思っても、次の日、聞き直してみると、もっといい曲があるのではと思ってしまう。今日も午前中、曲の一部を手直しした。練習時間までに、楽譜をコピーしておかなければならない。

 

遅羽公民館での和太鼓の練習。本番までに、まだまだ手直ししなければならない。

遅羽公民館での和太鼓の練習。本番までに、まだまだ手直ししなければならない。

毎回練習日の前日は「もっとよくなるのでは」と思って、毎回悪戦苦闘している。単なる演奏会なら、自分の思い通りにできるが、コンテストとなると余計なことに気を遣う。

  創作活動は切りがない。今、「産みの苦しみ」を味わっている。いつも一緒に練習しているチームなので、どこがよくてどこがよくないのか、判断する感覚が鈍ってしまっている。

  今日は、大会に出場するメンバー10人が始めて揃った。練習は充実したものだった。微調整を繰り返しながら本番に臨みたいと思う。もう一頑張りしたい。

(日記 午前中は、和太鼓の曲の手直し。午後1時から遅羽公民館で練習。会場が広いので気持ちよく練習できた。長女も福井から練習に参加。後2週間で本番。悔いのないように練習したい。)

 
 

ノミニュケーション

27 7月

語ることの楽しさ
  退職以来、現役時代以上に忙しくしているが、自分勝手にそうしているので、時間を作ろうと思えば、いくらでも作れる。現役を退いても、いろんな会合があり、酒を飲むことは少なくない。

  そんな席でも色々ある。堅苦しくかしこまっていなければならない場所は苦手だ。そうでない場合は、色々語ることができて楽しい。

  しかし、せっかくの楽しい場所も進行次第ではありきたりの飲み会になってしまう。一般的な飲み会というと、挨拶が終わり乾杯が済むとしばし会食。

  すると、先ずは上司に酒を注がねばと右往左往する。一通り上司に酒を注ぐと、後は自分の席の周りの者や親しい者とお開きの時間まで歓談するというのが一般的なパターンではなかろうか。

  しかし、これでは、例えば30人で酒を飲んでいるのに話したのは数人ということになる。私がある程度主導権を持てたり発言できる飲み会では、このパターンはあまり使わない。

  乾杯の後は幹事以外は席を立たず一定の時間は料理を楽しむ。その後、「近況」なり、「最近はまっていること」など身近なテーマで簡単なスピーチをしてもらう。全参加者の考えの一部を聞くことができる。

  話す時間は、参加者の数によっても異なるが、30分程度で終わるのが好ましい。その後は、いつもの飲み会に移る。その結果、先ほどのスピーチが効いて話題に事欠かない。

  「さっきの……だが、実は……」と、話が弾む。それに、全参加者の考えていることの一端を知ることができる。昨日の飲み会でもこういう時間を持つことができたらと残念に思った。特に久々に会った人がほとんどだったからなおさらだ。

  30人で飲んでいても、五人で飲んでいても同じというのではモッタイナイ。私のように、いろんな人のいろんな話を聞きたい人間にとっては酒を飲むこと以上にいろんな話を聞かせてもらうことが楽しい。

  まさに“ノミニュケーション”だ。互いの考えを知ることは、自分にとっても、励みになったり、興味や関心を持つことに繋がる。限られた時間の中で、一人でも多くの人の考えを知ることは酒を頂くことと同様に満足感がある。

(日記 午前中は、部屋の片付け。和太鼓の編曲作業。一度完成させた曲だが、もっとよくならないかと推敲。一部分を手直しした。午後、村のNさんが自宅へやって来た。しばし話し合い。午後6時から『農事組合法人』のバーベキュー。酒を飲みながら普段話せない人たちと本音で話すことができた。ただし一部の人間とのノミニュケーションだった。区民だけに、法人の作業中に時々話すことができるが人がほとんどだが。)

 
 

OB会

26 7月

全ての人に平等に時間は進む
  大学のOB会勝山支部の総会と懇親会が開かれた。久しぶりの顔を合わせる人もいる。事務局の現役を除くと後は退職者ばかりだ。60歳代から80歳代まで年齢は様々だ。私はちょうど中間に位置している。

  先輩達の若かりし頃、元気で仕事に取り組んでいた頃を知っている。それぞれが歳を取ったなあと思わずにはいられない。先輩達の多くは、退職後は地域のいろんな仕事に取り組んできたが、今はそれらから解き放たれているようだ。

  私たち後輩から見れば、過去はともかく、今何をしておられるかに興味と関心がある。体力は衰えても、向上心を持って生活しておられる先輩達を見るととても励まされる。

  今日、出席できなかった人たちの出欠の返信はがきのコメントを見ると、医者通いをしておられる方も少なくない。中には、「参加不能につき、今後の案内は不要に願います」というコメントも複数見られた。さみしい限りだ。

   ここから先は、無理をせずに、気持ちを前向きに持って毎日を送らねばと思う。時間は全ての人に平等に進むのだ。時間を大切にし、元気な先輩を励みにして、前向きに生きていきたい。 

大学のOB会勝山支部の総会の後の懇親会。

大学のOB会勝山支部の総会の後の懇親会。

今日は、料亭『魚清』の和室で総会と講演会を、洋室で懇親会を行った。この洋室で『魚清塾』でも開催できたらと思った。主人のOさんに話すと自由に会場を使って下さいとのことだった。

  一例だが、一人20分で3人程度が話しやパフォーマンス等を行い、後はフリートーキング。パフォーマンスは、楽器演奏や歌や紙芝居でもよいだろうし、話は政治の話でも趣味の話でもいいだろう。

  ただし、一人は「まちづくり」について話していただきたいと思う。夢を語り、パフォーマンスを楽しみ、時にはみんなで歌い、みんなで考えるそんな塾を定期的に開催できたらと思う。そんなことを考えながら、家内の車で帰宅した。

(日記 午前中は、家内と二人で家の片付け。午後、軽トラに積んでゴミ処理上へ向かった。それまでは大切だと思ったモノを勇気?を持って捨てた。さみしいがやむを得ない。古いドラムも捨てた。午後六時から大学の勝山支部の総会・懇親会。マイペースで過ごせた一日だった。)

 
 

百年前と何が変わったのか

25 7月

明治の終わり頃と今の生活
  月に二回、『かたせ瓦版』を発行しているが、時々、昔の地区の若者が百年前に発刊した『片瀬誌』を参考にしている。今日発行した瓦版では、この冊子を利用して『肥料』について少し書いた。

  昔の肥料は、人糞尿、それも自宅のものだけではなく、町の人から購入したのだ。その他、家畜の糞尿、山草、柴、稲わら、木灰、石灰などを用いたようだ。

山で草を刈り、馬の背中に積み、自分も担いで山を下りた。これが夏の間は晴雨にかかわらず連日行われたのだ。

山で草を刈り、馬の背中に積み、自分も担いで山を下りた。これが夏の間は晴雨にかかわらず連日行われたのだ。

 山の草は、早朝、馬を連れて山へ入り、草を刈り、それを馬に積み、自分も背中に担いで運んだのだ。夏の間は、連日、晴雨に関係なくこの作業を続けてという。あまり金はかからないが、労力は想像を絶する。

 今の農業は、化成肥料と農薬のオンパレードだ。化成肥料といっても、米の肥料、野菜の肥料、里芋の肥料……と様々なものがあり、農薬も、除草剤から、虫や病気に効果のあるものまで様々だ。

 こうした肥料を使うことによって昔と比べて農作業は格段に軽減された。この他、農作業も、牛や馬の力を借りることもあるが、ほとんどは人力だ。今のようにトラクターも、田植機も、コンバインもなく、人力で行っていたのだ。

  そして、ものを運搬するにも、家庭には車などはなく、せいぜいあっても荷車ぐらいしかなかったようだ。坂の多い我が地区では何をするにも困難を極めたようだ。

  何もかもが、便利になった。しかし、現代人に余裕はあるだろうか。地区の人たちのつながりはあるだろうか。地区の種々の行事を行っているだろうか。

 考えてみると、地区の様々な行事はほとんどが廃れてしまった。祭りなど一部の行事は辛うじて残ってはいるが、形骸化している。発展するとはどういうことだろうか。物質的に恵まれるだろうか。

 車を持ち、テレビを持ち、エアコンを持ち、電気で風呂を沸かそうとすると、かなりのお金がかかる。そのために、早朝から遠くまで車で通勤しなければならない。帰宅も遅くなる。常に時間に追われることになる。

 『ワーク・アンド・ライフバランス(仕事と生活のバランス)』という言葉ができたように、仕事に追われて生活が軽視されることを避けることはできないのだろうか。昔の生活を調べていると、色々考えることが多い。

(日記 午前中は、今日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。午後コピーして市の配布物などと共に班長へ配って一連の作業は終わり。毎月ホッとする第二木曜日の午後のひとときだ。)

 
 

曲作り

24 7月

和太鼓大会に向けて
  和太鼓大会に向けて、どうすればよりよい曲が作れるか毎日考えている。一応曲ができたが、後一息、何とかしたいと思っている。画竜点睛ではないが、最後の仕上げが肝心だ。

和太鼓の練習。まず最初は楽譜を見てのイメージトレーニング。

和太鼓の練習。まず最初は楽譜を見てのイメージトレーニング。

  寝ていても、どうすればよいか考えてしまう。大きい音を出そうとすれば小さい音が必要だし、重低音を効かそうと思ったら、締太鼓の甲高い音が必要だ。

 太鼓のリズムも必要だが、太鼓を打つ動作も大切な要素だ。チーム全体としての迫力も必要だろうし、個人打ちの楽しさも必要だと思う。間髪入れずに打ち込む部分も大切だが、間も大切だ。

 複雑なリズムも大切だが、シンプルな部分も大切だ。あれこれ考えることも大切だが、想いを一つの形にまとめることもとても大切だ。あと一息だと思っている。

  曲が完成しなければ、私個人の練習ができない。この調子では、本番の8月11日まで推敲が続きそうだ。今日初めて、自分の担当する三味線の練習をした。もっともっと練習しなければならない。

イメージトレーニングの後は、太鼓を使っての練習。

イメージトレーニングの後は、太鼓を使っての練習。

(日記 午前中は、『かたせ瓦版』の編集作業。4ページの打ち、後3分の2ぺージまでこぎつけた。午後は、三味線の練習。午後7時から私の事務所で太鼓の練習。篠笛のメンバーを除いて全員が集まった。気合いを入れて練習した。まだまだ考えなければならないところがある。慌ただしい一日だった。)

 
 

挨拶の力

23 7月

挨拶が全ての始まり
  私は挨拶を重視したい。それは、今の若者に最も欠落していると言われる「コミュニケ-ジョン能力」に関わるからだ。県内企業の人事担当者が若者に臨むことの第一として「コミュニケーション能力」をあげておられることからも分かる。

コミュニケーションのイメージ図。双方向が大切だと思う。

コミュニケーションのイメージ図。双方向が大切だと思う。

  私の考えだが、コミュニケーションとは、双方向に想いを伝え、聴くことだと思っている。一方向の場合にはそれは命令や指示であってコミュニケーションと言えないと思っている。

 会社では、上司の思いを聞き取り、自分の想いを述べることだと思っている。自分の考えていることを相手に伝える能力は今の時代伸ばしにくいと思う。それはゲームなどの普及により、会話の機会が少なくなっているからだと思う。

  メールが普及しているが、一方通行である場合が多い。現代の高校生のメールに関する記事を読んだことがある。男女の間でも、顔を合わせると会話が進まないので、「後でメールするから」となるらしい。

 もしもこういう傾向があるとすると、「コミュニケーション能力」は育ちにくいと思う。やはり、直接顔を合わせて双方向で想いを伝え合うことが大切だと思う。

  今日は、用事で公民館へ打ち合わせに出かけた。公民館にはいつも元気に挨拶のできる村の女の子Kちゃんがいた。「あっ、おじちゃん」と言って私の方へ寄ってきた。「何してるの?」ということで簡単な会話。

 打ち合わせの途中で、部屋を出ると廊下でまたKちゃんと会った。持っていたじゃがりこを1本差し出してきた。「ありがとう」と言って受け取った。このKちゃんだけではなく、他にも最近挨拶ができるようになった子がいる。

 挨拶のできる子とは、いろんなことを少しずつ話すことができる。高校生のK君とも、出会うと10分、20分と学校のことや数学のことを話すことができる。すべて挨拶のできる子だ。

  こちらが挨拶すると渋々挨拶する子とは会話を進めにくい。まして、こちらが挨拶しても、あいさつを返せない子とは話しかけても会話が続かない。

 そんなわけで、私は、村の子が挨拶できるようになってもらいたいと願っている。実は、大人も同様だと思う。70歳を過ぎてから引っ越してきたNさん(女性)がいる。

  この人とは、いつもにこやかに挨拶ができる。挨拶だけではモッタイナイといろんな話をすることができる。家庭菜園のことなども立ち話でできるのだ。元々村にいる人よりも親しく会話ができる。その第一歩は挨拶だった。

 福島から避難してきたWさんとも挨拶がきっかけでいろんなことを話すことができた。あるときは、下宿先から大きな写真を持ってきて話をしてくれた。地元で獅子舞をしている写真だった。

 挨拶が全ての始まりであり、子どもにとっては、勉強に劣らず大切なことだということを是非とも、区民の民さんに理解していただきたいと思う。たがが挨拶、されど挨拶だ。

(日記 午前7時より、猪野瀬のまちづくり関係者5人で大師山登山道を歩き、8月4日の作業についての現地調査。区民は山道づくりを行うが、猪野瀬地区のみなさんは「三合目」とか「五合目」とか書いた石柱を建てて頂くのだ。他にも、急傾斜の登山道に、階段を設けていただくのだ。今日はそのための下調べだ。下山してから、公民館で作業についての打ち合わせ。今日の5人は31日には階段設置の作業をすることを決めた。もちろん、本番の8月4日にも作業を行う。大師山が、市民に愛される山になってほしいと願う。午後は、和太鼓の伴奏である三味線の楽譜書き。その後、『かたせ瓦版』の編集作業。終日忙しかった。)

 

 
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ねじれ

22 7月

ねじれは解消したか
  参議院選挙が終わった。今回、“決められない政治からの脱却”と称して、「ねじれ解消」が与党の大きな課題であったようだ。しかし、いつかも書いたように参議院の性格からすると、衆議院と同じ党が過半数を取らなくても議員の良識でよりよい方向へ我が国を導けばよいはずだった。

  しかし、参議院がうまく機能せず、与野党とも党利党略に走り、議案審議が滞ることが多かった。特に、野党は何でも反対する姿勢が強かった。そこから、衆参とも、同じ党が過半数を占めた方がよいというようになっていった。

  しかし、今回本当にねじれは解消したのだろうか。必ずしもそうはなっていないように思う。先ず、衆参ではねじれは解消したかも知れないが、国民とのねじれは解消していないように思う。

  与党の間でも、憲法問題などはねじれたままだ。そもそも、一つの党の中で全ての問題に対する考えが一致することなどあるはずがないと考えるべきではないか。

 議員定数の削減などでも与党内では考えはまとまっていない。数百人の考えが全ての問題で一致することなどあり得ない。一つ一つの問題で最良の方法を審議し、決めてもらいたいと思う。

『かたせ瓦版』に掲載予定の“違い探し”の絵の一枚。

『かたせ瓦版』に掲載予定の“違い探し”の絵の一枚。

 与野党、特に与党は、国民との間のねじれは解消していないということを年頭に置き、少数野党や国民の意見に真摯に耳を傾け、おごることなく議員としての職責を果たしてもらいたい。

  明日からはTPPが問題になる。年金問題もある。輸入品の値上げ、消費前増税、憲法問題、原発再稼働、周辺国との軋轢、沖縄問題、……。どれもこれも大きな問題だ。特定の業界や団体の意見に振り回されることなく取り組んでもらいたい。

(日記 終日、『かたせ瓦版』の編集作業。パソコンの前に座り続けた。子ども向けの『違い探し』の絵を描くために半日はかかった。連日、パソコン作業が続く。これでは猫背になるのも無理はない。気をつけなくっちゃ。)