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Archive for 4月, 2013

重要な反対の意見

30 4月

反対は賛成の応援団
  政治の世界では、与党の提案に対して野党が反対する場合が多い。何でもかんでも反対というのはいただけないが、反対の意見に耳を傾けることが必要だろう。

  数を頼んで暴走することはよくない。反対の意見に耳を傾けなければいつかは、どこかで大きなしっぺ返しに会うような気がする。政治の世界であれ、会社であれ、教育現場であれ、反対意見に耳を傾ける余裕がほしい。

  例えば、原発を推進したくてどうしようもない勢力があったとする。数に頼んで反対者の意見に耳を傾けずに、推進したとする。何かことが起こったとき、後戻りのできない大変な事態に陥ることになる。

 反対者の意見をよく聞き、それらに対処できる安全策を施して推進するのと、反対意見を無視して、安易に推進するのとでは、同じ原発を推進するにしても、大きな違いがある。

  前者は、反対者の意見に耳を傾け、それらを説得するために可能な限り安全策を施して推進するので、事故の確率は低くなろう。後者は、反対者の意見を無視し、安全策を軽視して推進するので、事故が起こる確率が大きい。福島の原発事故画物語っている。

  結局、反対者があることによって、より慎重に事を運ばねばならず、それが結局、賛成者のためになると私は考える。言い換えれば、「反対は賛成の応援団である」と言うことになりはしないだろうか。

 ユダヤの格言の中に、「多数決で全員同じ意見=満場一致になった場合は、その提案は採択しない」というのがあるそうです。多勢の意見に流される「危険な愚行」を戒めた格言があります。

 日本では「満場一致」「異議なし」をよしとする風潮がある。しかし、満場一致の時こそ判断を誤りやすく、危険な兆候であると見抜いて警告をしているのだ。

 逆に、「賛同者が少ないアイディアにこそ大きなチャンスが宿る」という逆転の発想もある。憲法論議にしろ、TPPにしろ、与党は、反対者の意見を良く吟味し、対処してほしいと思う。

 結局、反対者の意見は、推進者にも役立っているはずである。どうも、この頃、与党は数を頼んで、猪突猛進しそう心配だ。どんな小さな集団でも反対者の意見に耳を傾けられないリーダーはそのうちに無視されるだろう。

茹で上がったわらび。ニシンと一緒に煮たら最高。

(日記 午前中、区の事務処理。その後、紙芝居『親鸞聖人物語』の脚本研究。思っていたよりも、話が難しい。子供の漫画などでは、上面だけで、全く理解できない。午後は、少し絵を描いた。4時過ぎに、家庭菜園へ行き、畑にマルチをした。家内はトウモロコシの苗を植えていた。午後5時近くに、後ろの大師山へ山菜を取りに行った。収穫は、タラの芽、ワラビ、そして少しの蕗。明日は山菜を楽しめるだろう。)

 
 

スローライフ

29 4月

「ファースト」流行の今こそ
  家庭菜園での作業にも、だいたいの計画は必要だ。雪が解けたら、最初の農作業はジャガイモを植えることから始まる。しかし、昨年から準備してあるものもある。

  勝山水菜、エンドウ、いちご、タマネギ、ニンニクなどは前年の暮れから準備しておかなければならない。イチゴなどは、年がら年中、畑にあるのだ。このように時間をかけて取り組む作業は貴重だ。

  今の子ども達には、時間をかけて何かに取り組むことはあるのだろうか。お金を出せば何でも手に入る世の中だ。別に野菜作りでなくても、時間をかけて何かを完成させることはあるのだろうか。

福井の孫と横浜の孫が我が家でウェブカム。しりとりをやっていた。

  大人でも子どもでも、時間をかけて何かに取り組む機会は大切だと思う。食べ物にしても、そうだと思う。時間をかけて作り上げる食べ物よりも、手っ取り早く出来る食べ物が横行している。

  現代人は、何事においても気ぜわしい。待てないのだ。そんなとき、野菜作りをやってみると、よりよい収穫を期待しようと思ったら、それなりの時間をかけなければならない。

  この時間を、どう考えるかだ。退屈な待ち時間と考えるか、それとも、日々の成長を楽しむ時間と考えるかだ。私は後者の方に魅力がある。待ち時間が長いほど、収穫できる日が楽しみだ。

  年がら年中楽しみを得ようと思ったら、年がら年中、準備しておけばよいのだ。水菜が終わって、今は、畑へ行っても収穫物はほとんどないが、来月のイチゴを皮切りに、畑へ行けば、何かは収穫できる。

 本当の喜びは、“スローライフ”から得られるのではなかろうか。スローフードもまた同様だ。時間をかけてできあがったものにはそれなりの値打ちがあるように思う。

やんちゃ坊主達、また来いよ。

 そんなつもりでいる。紙芝居作りもあわててもどうにもならない。一枚一枚、描いているうちに、できあがるものだと思っている。今取り組んでいるものは、六月中に完成できればと思っている。完成が待ち遠しい。

(日記 午前中は、家庭菜園作業。新たに使う畑には石灰を入れて耕した。先日石灰を入れて耕したところには、肥料を入れて耕し、畝を立てた。GW中には、トマト、キュウリ、ナスなどを植えたい。午前中、福井の孫と横浜の孫がウェブカムで話し合っていた。昔なら考えられないことだ。午後は、絵描き作業。福井から来た孫達は帰って行った。夜、ウェブカムでiPhoneの設定を横浜に住む息子に習った。孫のよちよち歩きが見られた。また、孫達に会いたくなった。)

 
 

GW

28 4月

GWのひととき  青空の下で 日曜大工の「階段作り」
  駐車場と段差のある家庭菜園の
  上り下りに使うためだ

  作業の手を休めて 周囲を見ると
  キウイの若芽が 伸びている
  一昨年は食べきれないほどの 実を付けてくれた
  去年は少ししか 実を付けてくれなかった

   トウモロコシが芽を出し ジャガイモも負けずと芽を出している
  エンドウもようやく 本格的に伸び始めた
  ようやく支柱に つかまれるようになった
  去年のように実って 腹一杯食べさせてくれるだろうか
 
  イチゴは新芽を伸ばしながら 白い花を付けている
  今年も夫婦二人では 食べきれないだろう
  余ったらジャムにすればよい 
  食べきれなければ 子供らに送ればよい
 
  イチジクは昨年 枝を切りすぎたからだろうか
  まだ芽も出ていない 昨年のように
  食べ切れないほどの実を  付けてくれるだろうか
  もしそうなったら 近所にお裾分けすればよい 

家庭菜園横の花。雪の下を耐えて、春にきれいな花を咲かせてくれている。

  作業の手を止めて 遠くを眺めると
  頂に雪を乗せた 遠くの山が光っている
  近くの山は少しずつ芽吹いた木々で
  薄緑色になりかけている
  
  春だ みんな眠りから覚めて
  着実に活躍を始めている
  私は去年とは一つ歳を取ったが
  植物の勢いに あやかりたい  さあもう一頑張りするか

(日記 午前中は家庭菜園のための「階段作り」。昼頃、長女が二人の息子を連れてやって来た。午後2時から近くの温水プールへ。孫達のおかげでプールへ来て泳ぐことができた。泳いでみると自分の姿勢の悪さが気になる。3時間近くプールにいた。ジャグジー風呂とプールの行き来だった。午後5時半頃からウェブカムによる横浜の娘の『爺ちゃん勉強』。勉強の後、二人の孫が歌を歌ってくれた。1歳ちょっとの末っ子が「ばあば」、「じいじ」と言えるようになった。)

   

   

 
 

できることなら

27 4月

通訳になれないか
  通訳といっても言葉の通訳ではない。ネットでは「通訳とは、 ある言語を他の言語に変換し言語が違う人達の意思疎通を図る仕事。 主にその場にいる人たちの会話を訳すのが仕事。」とある。私の意味する「通訳」はこれではない。

  絵を描きながら、テレビの『未来へ~福島の復興は今……』を聴いている。現地と、それ以外の土地では、感じることが全く異なるようだ。現地の人たちの思いは、福島から離れれば離れるほど伝わらない。

  福島では、当分の間(場合によっては半永久的に)故郷へ帰れない地域、高齢者は戻ったが子どもたちが戻らない地域、新たな土地で生活を始めた人たちなど、いろいろである。

  名もなき福島の人たちの本音を、避難所におられるお年寄りの方々の本音を、福島以外の人たちに伝えるという意味の「通訳」だ。テープレコーダにとってそれを伝えるというのではない。そんなテープは聴いてもらえないだろうから。

  お聞きしたことを、文集にしたり、歌にしたり、時と場合によっては、紙芝居にしたりして伝えるということだ。考えてみれば、人間は一人一人にドラマがあると思う。昔は、「おしん」のような人は日本全国には沢山いたのではなかろうか。

  「おしん」の時代には、皆同じような生活をして生き抜いてきたのだ。同じように、今、福島では「おしん」の時代とは別の意味で、苦労しておられる方が沢山おられるのだ。

  現地には、そんな声を詩にして朗読しておられる人もおられるようだ。私も、マスコミや芸能人の伝えない声なき声を形にして伝えられないのだろうかとおもう。テレビの音声を聴いているうちにそんな気道になってきた。

  福島の人のことを思うと、居ても立ってもいられない気分になる。電力会社や政府には本当の声が聞こえているのだろうか。今日の放送を聴いていると、疑わしい気持ちになってくる。

 「安全だから、原発を動かせ」という電力会社や地元の人たちの声がどんどん大きくなっているが、福島のけりがつく(結果が明らかになる)まで待ってもよいのではなかろうか。

(日記 農作業をするつもりでいたが、今日も雨。部屋の整理、資料の整理、図書館の本の返却などでほぼ一日が過ぎてしまった。のんびりと図書館で雑誌などを読みたいと思うが、退職したのになかなかできない。今日は、ほんの少ししか、紙芝居の絵を描くことができなかった。)

 
 

久々に紙芝居作り再会

26 4月

難しい筋書き
  今日は朝から雨。外での作業をするつもりでいたが、できないので、“晴耕雨パソ”のパソコンを使っての作業を行うと決めた。二週間ぶりに紙芝居の絵を書くと決めた。

  脚本を書かないで作業をしているので、どんな絵が何枚必要なのかがはっきりしない。絵を描く作業の前に筋書きを考え、どのような絵が必要かを今頃になって考えた。考えているだけでかなりの時間がかかった。

仏教に大きな影響を与えた聖徳太子

  我が家は、浄土真宗。子供の頃から、いろんな行事で道場へは何度も通い、自宅で祖母や母親の唱えるお経を何度も聞いた。しかし、基本的なことは何も分かっていない。いろんなお経があるが、内容の理解以前に何について書いてあるかすら分かっていない。

  今回の作業を機会に、せめてその一端でも理解できればと思って作業を続けている。今までの紙芝居で一番時間がかかる。しかし、分からないことが少しでも分かるということは快感だ。

 これは、全てのことに当てはまることだ。知らなかったことが分かるということは楽しいことだ。しかし、学校の授業となると、その快感を得ることはあまりできなかった。知ろうとする意欲がなかったからだろう。

 他人に何かを教えるときには、この部分を大切にしなければならないと思って工夫してきたつもりだが、簡単ではない。新たなものを得たものは、次の学習への意欲が継続するからだ。

越後へ流された親鸞聖人

 ところで、今取り組んでいるこの紙芝居『親鸞聖人物語』はまだまだ完成しないだろう。毎日パワーで、焦らず一日一枚のペースで進めていきたい。そのうちに完成するだろう。早く、どこかで演じてみたいものだ。

(日記 雨天のため、外での作業ができないので、紙芝居の絵を描くと決めた。終日作業を続けてようやく2枚の絵ができた。)

 
 

時間の使い方

25 4月

流される日々
  今日まで、かなり忙しかった。自分が追い求めて忙しいことと、役目上、せざるを得ないことがあって忙しいのとでは全く違う。今日まで、後者の方でかなり忙しかった。今日の瓦版発行でようやく一段落した。

  思えば、つい先日新年が始まったと思ったら、あっという間に年度末。区の総会のための資料作りにかなりの時間を取られた。そして、新年度が始まった。この間、総会などが続き、年度初めの雑用が押し寄せてきた。

  これらもようやく一段落し、明日から再スタートができる。明日から、退職者理想の“晴耕雨パソ”で暮らしたいものだ。しかし、やりたいことを定めておかないと、日々の雑用に忙殺されてしまう。

  ここ二週間、紙芝居の絵を描く時間が全くなかった。ここ一年ほど新曲を全く作っていない。あれこれ作りたいテーマはあるが忙しくてできなかった。また、自分の一番の基軸である“数学”にいたっては、ここ二年間全く手を付けていない。

 何かやっても、何にもしなくても、目標を持って頑張っても、何かに追われていても、時間は刻々と一定の速さで過ぎていく。ゆとりを持てるかどうかは、心の持ち方でかなり変わる。

 時間の流れる速さも、心の持ち様でずいぶん変わる。“しなければならない”と“やらせてもらえる”と考えるのでは、ずいぶん変わる。今の私の状況は、退職者にしては忙しすぎる。まだまだやることを絞らなければならない。一日は24時間しかないのだから。

新曲の振り付けを考えながら練習する鹿谷のおばさん達。(於:鹿谷公民館)

(日記 午前中、YOUTUBEで銭太鼓について調べてみた。そして、午前12時に鹿谷公民館で、おばさん達の銭太鼓練習に付き合った。今、彼女たちは、『鹿谷ほがらか音頭』の練習に取り組んでいる。地元の民謡だ。いろんな振り付けを練習してみて、歌に最もふさわしい振り付けを考えた。彼女たちは足が痛いのに、熱心に銭太鼓の練習に取り組んでいる。こちらもその気持ちを大切にしたい。帰宅してから、編集した『かたせ瓦版』をコピーし、他の配布物といっしょに班長に配った。やっと自由になれた気分だ。夕食後、気分転換に家内とウオーキング。二カ所の家庭菜園を回って野菜の生育ぶりを見て回った。)

 
 

学力テスト

24 4月

全国一斉に小六、中三で実施
  雨のためデスクワーク。テレビを聴きながら明日発刊の『かたせ瓦版』の編集作業。朝から、文科省が実施する全国学力テストについて報道していた。県内のテレビも同様だ。

 ところで、この学力だが、近年、教育委員会や文科省がやたらに学校現場に対して「学力をつける」よう指示している。私個人としては、いちいち上から言われなくても、教員としては当然そんなことは考えていると思いたい。

 少なくとも、自分はそうだった。そればかりでなく、狭義の学力を付けるだけでは、不十分だと思う。学力とは、ペーパーテストで測れる部分と、ペーパーテストでは測れない部分があると思っている。

 学校のテストの特徴は、正解が一つあることだ。従って、その一つの答えを導き出せばそれでよいのだ。しかし、社会へ出てみると、正解が一つである場合などほとんどないのである。

  昨今、非常に騒がしい「尖閣」や「竹島」などの領土問題を解決する方法は簡単には答えを見い出せない。少子化対策にしてもそうだろうし、福井の駅前の活性化にしてもそうだろう。答えは一つではないのだ。

  利害が対立する場合には、「ウイン、ウイン」の状況を導くのは簡単ではない。TPPしても、答えは簡単ではないだろう。しかし、その中でもっともよい解決法を知恵を寄せ合って導き出さねばならない。

  知識を生かす知恵が求められる。また、創造的な分野、芸術的な分野では狭義の学力だけではどうにもならない。数字に表れる学力以外にも大切なものはあることを認識しなければならないと思う。

  行政が数字を追いかけ過ぎると、現場は脇目も振らずにそうせざるを得ない。ペーパーテストで測ることの出来る狭義の学力は必要条件であって十分条件ではない。大切ではあるが、それ以外にも大切なものはあるということだ。

 私の物差しで言えば、塾へ盛んに教師を派遣する本県のやり方は私の性分には合わない。各教員が切磋琢磨しながら、子ども達のために指導法を研究してほしいと思う。

『爺ちゃん勉強』の仕上げは国語の教科書の本読み。聞いているだけでも楽しい。

(日記 朝から『かたせ瓦版』の編集作業。昼頃、事務処理のため役所へ。午後も編集作業を継続。夕方になってようやく、完成した。前日に完成するなんて珍しい。午後7時半から横浜の孫とウェブカムによる『爺ちゃん勉強』。だいぶ軌道に乗ってきた。)

 
 

山菜採りシーズン

23 4月

先ずは裏山で
  春は山菜採りシーズン。といっても、私は、採る山菜が決まっている。ワラビ、タラの芽、ふき(蕗)が主な山菜だ。この頃は、熊が出る可能性があるので、あまり遠くへは行かない。

少し細い裏山のワラビ。

  山菜は独特の苦みがある。このアクとも言われる苦みが山菜の風味かもしれない。独特の苦みと言えば、山のウドがきつい。畑で栽培したウドにはこの苦みが少ない。私は、アクの強い山のウドが大好きだ。時々、もらうことがあるが、ウドは本当にうれしい。

  自分で採る山菜としては山の蕗が最高だ。あの独特の苦みが美味しいのだ。山の蕗は、平地のものと違ってみずみずしい。皮を採る必要もない。ニシンなどと煮た煮物は最高だ。

 ワラビ、タラの芽、ふき(蕗)等は好んで採るが、毎年取る場所は決まっている。付近の道の形や木の形も覚えているくらいだ。しかし、自分の覚えている場所へ行っても必ずしも採れるとは限らない。

  先ずは行く時期が問題だ。早過ぎても、遅すぎても収穫できない。ちょうどよい時期に行っても、先着がいると収穫はほとんど望めない。学校や役所勤めの時代には、休日しか行けないので、出遅れることが多かった。

  今は、平日に行くことにしている。ある程度山菜を採ったら、山の景色を見ながら、のんびり過ごすことにしている。新緑の山々が目に染み、爽やかの空気を胸一杯に吸い込む。山菜採りのもう一つの喜びだ。

  でも、最近は、熊が出ないかと心配になる。以前は秋にも山へ行っていたが、今は、行かないことにしている。春だからと行って熊が出ないとも限らない。今日も、熊除けの鈴を腰にぶら下げて山菜採りをした。

 私にとっては、山菜採りが始まると、いよいよ春も本格的にやって来たなあと思う。夕食に、タラの芽の天ぷらが出た。明日は、ワラビのお浸しや煮物が食卓に上るだろう。

右側の緑色の苗は先日運んだ酒米の苗。左側は、今日運んだ芽が出たばかりのコシヒカリ。(組合のビニールハウス)

(日記 今日は、組合の苗運び。午前5時半起床、午前6時朝食、午前6時半に組合の農舎前集合。軽トラックに分乗してJAの北支店へ「コシヒカリの苗」を取りに行った。まだ数ミリしか芽が出ていない苗だ。これを組合のビニールハウスで田植機で使えるまでに成長させるのだ。午後1時半より勝山公民館で行われた勝山・猪野瀬地区招魂者奉賛会理事会に出席。帰宅して、家内と二人で裏山へワラビとタラの芽を採りに行く。)

 
 

中国の若者達と楽しいひととき

22 4月

円安の影響がこんなところにも
  今日は、大野市の研修センターで、中国から日本に初めて来た中国人研修生に話をする日だ。これまで、毎年何回か、呼ばれて話す機会をいただいていた。私にとっては、非常に楽しいひとときだ。

中国人研修生を前に日本文化や日本の風俗習慣を話した。

    講義室へ入ると、研修生は一斉に立ち上がって「お早うございます!」と大きな声で挨拶。あまりの声の大きさに、びっくり。パソコンを接続し、パワーポイントの準備完了。私は、学校の授業のように、50分話して10分休憩を三回繰り返すのだ。

  改めて挨拶し、通訳(中国の職員)と共に、講義開始。映像を使いながら、自己紹介し、“郷には入れば郷に従え”的なことを話し、「社会人として心構え」をいろんな例を挙げながら話した。特に、挨拶の仕方やマナーについても話した。

 研修生は、メモを取りながら真剣に聞いてくれるのでやり甲斐がある。2限目は、日本の四季と行事などについて話した。また、最近の日本の農業についても話した。さらに、中国と日本の関係にいても話した。

 日本と中国は、昔も今も関わりの深い国だ。しかしながら、隣近所であるだけに、問題も多い。これは国と国だけではなく、隣人同士でもおなじことだ。

みんなで楽しく歌を歌った。私はアコーデオンで伴奏、家内は歌で応援してくれた。

  3限目は、歌と踊りだ。研修生の皆さんは、連日座学なので、歌や踊りで気分転換を図ってほしいと思うからだ。ここで家内登場。私はアコーデオンで伴奏。家内は歌唱指導。『ふるさと』と『四季の歌』をみんなで歌った。

  『四季の歌』を知っている研修生がいたので、前へ出て歌ってもらった。その後、簡単な『ダンス』を練習し、一緒に踊った。笑い声が絶えなかった。今日の講義の最後は、自己紹介をやってもらった。名前と出身地、趣味を話してもらうつもりだったが、家族構成まで話す研修生が何人かいた。

 今日の研修生25人中、男性は3名、既婚者は7割以上だった。以前の彼らの就職先は、奥越を中心に、県内だったが、今は、県外へ勤める務める研修生も半分以上はいるようだ。就職先を聞いてみると、愛知県というのがかなりあった。

  勝山市も、数人はいた。街のどこかで彼らと会うかもしれないと思った。彼らの殆どは、中国に子どもを残して日本へ働きに来ているのだ。しかし、円安の影響で以前ほど給料はよくないとのことだった。

 それでも、家族や子どもを残して日本まで働きに来る中国人研修生を見ていると、日本で、充実した生活を送って欲しいと願わずにはいられなかった。国で待っている子どもや家族のためにも。

みんなで楽しく氷川きよしの『ときめきのルンバ』を踊った。

(日記 午前9時から正午まで中国人研修生に講話。楽しくやり甲斐のある仕事だった。政治的には、日本と中国は問題を抱えているが、目の前にいた中国人研修生は、素朴な感じのする若者ばかりに見えた。午後は、木曜日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。4ページのうち、1ページと少ししか出来なかった。夜は、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。週に三回、パソコンの画面上で顔を合わせているので、1歳の孫も、「ばあば」、「じいじ」と言えるようになった。映像の力はすごい。)

 
 

久々の数学

21 4月

数学教科書購入
  私の本職はやはり数学だと思っている。今は、誰にも指導していないが、それでも、何か高校生に役立つことができるのではと考えている。特に数学の苦手な生徒達に役に立つことができるのではないかと考えている。

     「ゆとり教育」が導入されて数学の内容が少なくなり、レベルも易しくなったが、脱ゆとりで再び内容が多くなり、多少レベルも上がったようだ。しかし、それでも、私の現役(教員)時代と比べると、元へ戻った程度だろう。

数学ホームページの一場面。

  複素平面などのように、高校から除外されたり入ったりを繰り返している単元もある。いずれせよ、考えることの好きな人間には、数学は面白いかもしれない。教える側としては、生徒達に「納得」させることが大切だった。

  「数学なんて勉強して何の役に立つのか?」と思っている生徒も少なからずいるようだ。そう思う大人も少なくない。数学なくして物理や化学や経済などでは数学は不可欠だ。しかし、一般の人間には、社会へ出て、直接、数学を使う場面はほとんどないかもしれない。

 八百屋の店先で、連立方程式を解きながら、ミカンやリンゴを買うこともないだろう。しかしながら、与えられて条件を元にして、結論を導き出す過程、つまり論理的思考は至る所で必要であり、役立つと思う。

 数学は、多くの者にとっては、間接的に利用されていると言っても過言ではない。社会へ出て役立つ算数は小学校4年生程度であるとも言われている。それ以上の数学は、見えない形で多くの人間の役に立っていると信じている。

  高校も新課程になるということで、高校の教科書を購入した。どこを見ても懐かしい。さび付いた頭を少し柔軟にするのに役立つのではなかろうか。今年は何らかの形で数学の教材作りに取り組んでみたい。

(日記 午前中は、明日の中国人研修のための資料作り。中国から新たな研修生を迎えると大野市の研修センターで日本語や日本での生活に必要なルールなどを教えているのだ。私は、社会人としての心構え、日本の風俗習慣、四季の変化や農業など日本文化、中国と奥越の関係などについて話している。少なく研修生は大きな返事を氏、とても爽やかだ。今から頑張るぞという気持ちがあふれている。私の方もここでの研修はとても楽しみだ。座学だけでは飽きてしまうのでアコーデオン伴奏で日本の歌を教えたり、踊りも教えている。みんな楽しそうに取り組んでくれるのであるがたい。午後は、楽譜やカラオケ作り。夕方、書店に注文してあった高校の数学教科書を取りに行き、ついでに第2回北陸読者大賞に選ばれた谷川俊太郎さんの詩集『62のソネット+36』を買った。私も、東日本復興支援ソングを作れないかと考えている。あまりの犠牲者の多さと被害の大きさに簡単に歌にできないと悩んでいる。地震を題材にした童話を書いたが、これも発表できないでいる。それにしても、この頃、地震が多い。都市計画やまちづくりを根本的に考えなければならないような気がしている。)