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Archive for the ‘人’ Category

観光資源というと

20 3月

観光資源は神社仏閣、名所旧跡、自然、動植物、名物、・・・・・
 どこかに何かを見に行くとき、何を目当てに出かけるだろうか?出かけたいだろうか?上記に書いたものもその一つかも知れないが、私は是非ともこれらに人間を加えたいと思う。

 あの人の話を聞きたい。あの人と一緒に過ごしたい。そんな人が複数いる町なら最高だ。是非とも訪れてみたい。それらの人を訪ねて話を聞いたり、いっしょに食事をしながら話し合うことが得きれば最高だし、教えを請うことや生き方に気づかせていただければ最高だ。

 神社仏閣や名所旧跡は大概はそんなに何度も出かけたくはならないだろう。人は時間が経てばまた会いたくなるだろうし、話を聞きたくもなろう。

 大学であれ、研究所であれ、職場であれ、あの人の元で働きたいと思うような人がいれば、いずれは観光資源のような存在になるのではなかろうか。魅力のある人間、人を引きつける人間と言うことだろうか。

 時々そのような人がいる。しかし、私とは生活空間が異なっておいそれと会いに行くことができない。今は、心の中で暖めておくしかない。でもいつかは出かけてお会いしたい。

 個人的には、東に話を聞きたい人がいれば出かけて(何度も)話を聞き、西に面白そうな人がいれば行って話を聞いた時期はある。それが、何かをするときの大きな力になったことは間違いない。

 今また、そうした人ができつつある。相手の年齢には一切関係がない。人生、人との出会いで楽しくなる。生き甲斐に繫がる。今は離れていても、SNSがあるのが嬉しい。そのうち、リアルで会いたいものだ。 

 

 

 

 
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人と人との出会い

18 3月

人との出会いは必然のようで偶然、偶然のようで必然
 人と人との出会いは偶然のように感じることがある。たまたま、紙切れ一枚(辞令)で思わぬ所へ勤めるようになる。そして、将来に関わる大切な人との出会いが生まれる。

 そう考えると、その人との出会いはたまたま紙切れ一枚でそこへ出向いたための偶然のようにも思える。しかし、もう少し、深く考えてみると、その人と会ったのは私一人ではない。

 誰もが、将来に続く関係を結べるわけでもない。互いに、認め合う何かを持っていたからだろう。そう思うと、偶然から生まれた必然のようにも思える。

 この年になると、これまで生きてきた中で続く友達関係を大切にしたいと思う。上司部下ではなく、せいぜいあるのは歳の上下ぐらいであろう。それだって、関係の上下ではない。

 そうした関係が長く続くのは、やはり、前を向いているからではないかと思う。やはり、自分の考えを持っている人、前を向いている人、何かを目指している人、正義感のある人、そうした人なら何歳であろうと友達でいたいと思う今日この頃である。中学生から70歳代までいろんな人がいて、時々LINEをしたくなる。 

 
 

WBC大谷選手の活躍

17 3月

WBCを観るために
 NHKでも民放でも我が家のテレビではWBCは観られない。先日、横浜の孫娘が高3を終えた卒業旅行として我が家へやって来た。ところが、彼女のスマホでは動画で観られるのだ。アマゾンプライムで。

 しかし画面が小さい。大きく映そうとしてテレビにつないでも、大きくならない。そこで、苦肉の策としてもう一台のスマホで孫娘のスマホの画像を写し、それをテレビと拡大して映すという方法で何とか、観ることができた。

 しかし、昨日のイタリア戦は、孫娘がいないので、観ることができない。そこで、息子に教えてもらい、アマゾンプライムのアプリを入手して何とか動画で見ることができた。準決勝は面倒くさい方法ではなしに、大画面で観られるように今のうちから準備しておきたい。

大谷選手の活躍に勇気づけられる
 大谷選手の気合いのこもったピッチング。意表を突くバント、岡本の活躍などで日本は快勝した。大谷選手の活躍に、私も何か頑張ってみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

 一昨年から、衛星放送で大谷君の出場する試合をかなり観ている。そして、一喜一憂している。毎回打席ではホームランを期待しているし、投げれば勝ち投手になることを祈っている。

 しかし、ただただ彼の活躍を傍観しているのもさみしい。彼がインターナショナルに活躍するなら、私もインターナショナルに活動することはないのか。レベルもスケールも彼に比べれば像と蟻くらいの違いがあるだろうが、気持ちだけは「俺だって」と年甲斐もなく、刺激を受け、できることを探している。

 失礼だが、WBCの試合を観ていると、日本のプロ野球が小さく見えてしまう。
   この時期は 二軍に見える NPB
とおかしなことを考えてしまう。マイアミでも、これまで同様日本チームに、大谷君に頑張ってほしいと願う。

 そして、大谷選手の一歩ずつ歩んで夢を掴んだ過程を若い人達にも見習ってほしいと願う。大谷選手の原点は、既に高校時代からの一歩一歩から始まっているのだから、みんなも自分の夢に向かって、一歩一歩、歩こうではないか。

大谷選手が高校時代に書いた夢実現のためのマップ(ほとんど全ての項目をクリアーしている)

 

 
 

勝山を愛した男 上田秋光さん 安らかに

13 3月

常に前を向いて走った人
 上田秋光さんと親しく付き合い出したのは、私が市教委にお世話になった頃からだ。それまでは、間接的に上田さんの活躍ぶりを第三者から、またはマスコミで知っていたくらいでした。

 上田さんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行くような人でした。本当の実力者は、一切自慢などはしない。しなくても、その力は自然に滲み出てくるもので、それが人を引きつけるのです。私の方が年上ですが、彼と話していると、色々触発されて勇気をもらえる人でした。

 上田さんは若い頃から、一流のスポーツマンでした。特に、5,000mの県記録保持者で相当長い間この記録は誰にも破られませんでした。上田さんの猛練習ぶりについては、高校時代には坂の多い平泉寺から学校まで走って通学したとか、バイクに前を走らせてスピード練習をしたとか、いろんなエピソードがあります。努力の人でした。

 そして、地元でたくさんの長距離ランナーを育てました。ある時期、福井県の女子駅伝チームの選手はほとんどが勝山の選手でした。当然ながら、その監督を務めるなど、県内でも存在感のあるアスリートでした。また、ご子息は日本のトップクラスのバドミントン選手であり、指導者となってからは、たまたま今日もドイツオープンで優勝した世界ランキング1位の山口茜選手の育ての親でもあるなど、上田家はスポーツマン一家でもありました。

アイディアマンであり誰からも好かれた男
 私が一緒に仕事を始めてからのエピソードは数え切れないくらいあります。たくさんの思い出の中から、そのいくつかを書いてみます。

 勝山の人なら誰もが知っている「ゆめーおーれ」ですが、かつては市内の機業場でした。それを、産業遺産として、観光資源として残すためには、周囲の環境から考えて、その位置を動かさなければなりませんでした。

 そのために、曳家(ひきや=建物を解体せずに文字通り引いて動かす)をしなければなりませんでしたが、その作業自体をイベント化して世間にアピールする企画の中心になったのが上田さんでした。機業場の大きな建物を大勢の人が綱引きのように引いて動かすことをイベントにしたのです。そして、見事に成功させました。当日は、鳶のはしご乗りなどもあってそれは賑やかでした。

自然体験学習課から「恐竜のまち勝山応援隊」へ 
 現代の子どもは室内でゲームなどをして過ごすことが多いが、自然の中でいろんなことを体験しなければダメだということで、教育委員会の中に「自然体験学習課」をつくることになりました。もちろん上田さんの発想であり、初代の課長にもなりました。

 その後、勝山市の長尾山に恐竜博物館ができてからは、上田さんは、この博物館を中心とする長尾山を自然体験の舞台とすることが夢となりました。

  そして、この博物館を含む長尾山を公園とし、その管理を行うと共に、自然体験を行う団体をつくりたいということで動き始めました。そして、名前を考えたので見てほしいと、いくつかの名前案を持って私の部屋へ来られました。

 私は、その名前案の中から、応援隊という言葉に惹かれて「恐竜のまち勝山応援隊」を選びました。上田さんは「やはりそれがいいですか」と言って、部屋を出て行かれました。それが、今のNPO法人「恐竜のまち勝山応援隊」に繫がっているのです。(その後、初代理事長) 

 一刻も早く、「恐竜のまち応援隊」としての仕事をしたいということで、建設部長でありながら早期退職し、その後は、文字通り、恐竜のまち勝山の応援隊として、あれこれアイディを出し、それを一つ一つ磨き上げ、実現しながら勝山のために頑張ってこられました。「恐竜のまち勝山応援隊」の生みの親であり、育ての親でありました。

上田さんの仕事あれこれ
  『《オオタカの育ての親》 勝山市の豊な自然を活かした「体験学習」「自然観察会」や全国トップクラスの発掘量を活かした「恐竜化石発掘体験」などのプログラムを実践している勝山市の自然体験学習課の課長さん。
長尾山で生息する「絶滅のおそれのある国内希少野生動物」であるオオタカの生息環境を守る事業にも取り組んでいます。オオタカは、全長50~56cmの中型のワシタカ類で平野部から山地帯の緩やかな地形の森林で繁殖します。勝山市では平成9年度よりオオタカ生息環境保全委員会を設置し、保護区域を設けて観察を続けています。保護開始から平成15年までに12匹のヒナの巣立ちを確認しています。』(『 』内はネット記事)
 ※ 離れた場所から大鷹を観察するためのカメラ設置も上田さんがやられたと聞いています。 

NPO法人の理事長として、公園管理のほか、様々なイベントを考案したり、実施したりしておられました。
 ・かんじきによる公園内散策  ・保存した雪で夏にそり滑り ・大きな雪山からのタイヤ滑り
 ・池でのカヌー遊び  ・スノーモービルを使ったそり遊び ・バスでの園内周遊  ・クロカンマラソン
 ・正月イベント ・恐竜雪だるま ・・・・・(ありすぎて書けません)  

上田さんの想い
 何度か、私たちはは三人で、一緒に酒を飲んだり、ごはんを食べたりしたことがあります。その中で上田さんから聞いた話ですが、忘れないことがあります。ここで書くべきか迷いましたが、後輩の皆様方にもよく考えていただきたいので、敢えて書かせていただきます。

 後輩の皆さん方にも、上田さんのように損得を考えずに、勝山を愛し、前を向き、広い視野で仕事をしていただきたいからです。

 恐竜博物館へ行く人は誰でも、曲がりくねった坂道を上りながら、博物館前へ向かいます。そして坂道を登り切り、博物館前の駐車場へ向かった次の瞬間、博物館の入り口と共に、卵形の博物館本体が目に飛び込んできました。「博物館へ来たんだ」とその建物の雰囲気から、期待に胸が膨らんだものでした。(敢えて、過去形で書きました)

 上田さんはずっと、博物館を訪れた人にこのワクワク感を味わってほしかったのです。ところが、玄関先にある建物が立つ計画が持ち上がりました。いつも恐竜博物館を眺めながら、仕事をしていた上田さんですから、自分の庭のようにいろんなことが分かっておられたようです。

 「建物の位置をよく考えないと、このようなことになりますよ」と、図面を描いて訴えたそうです。説明を聞いた市のトップの方もなるほどと思いながら、後戻りもできずに、計画が進んでしまったのだそうです。

 決定してしまった後は、上田さんからはその件については一切話を聞いていません。しかし、私の心の中には、「後戻りのできない事業を行う場合には、現場の意見をよく聞いて実行しなければならない」との教訓が今も強く残ってきます。そして、私の生きる力の一部になっています。ありがとうございました。

 上田秋光さん、安らかにお休み下さい。私の心の中には、あなたとの思い出や生き方がいつまでも残っています。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで筆を止めます。 

 

志を立てざるべからず

31 1月

『吉田松陰一日一言』より
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』がスターとした。あまり人気がないという。総理のふるさと山口が舞台だ。以前に何度か、修学旅行で高校生達と吉田松陰のふるさと萩や松蔭の私塾「松下村塾」を見学した。

味わう言葉がたくさん載っている本。

味わう言葉がたくさん載っている本。

この地を訪問するに当たって、松蔭の時代の歴史を事前に学ばなければ、「松下村塾」と言っても、単なる小さな一軒家にしか過ぎず、訪問の目的を果たせないと考えたものだ。

数日前、図書館で『吉田松蔭一日一言』を借りてきた。大河ドラマも見ているので何か得るものがあるだろうと考えてのものだった。サブタイトルに「魂を鼓舞する感奮語録」とあるように激しい言葉が並んでいた。

「道の精なるとならざると、業の成ると成らざるとは、志の立つと立たざるとにあるのみ。故に士たる者は其の志を立てざるべからず。夫れ志のある所、気も亦従ふ。志気の在る所、遠くして至るべからざるなく、難くして為すべからざるものなし。」

訳】人としての生き方が正しくすぐれているかそうでないか、また、仕事や勉強などがうまくいくかいかないかは、志があるかないかによる。

 だから、武士たる者は志を立てないわけにはいかない。つまり、志があればやる気もまたそれに従うものである。志とやる気があれば、目標が遠すぎて到達することができないということはなく、また、難しくてできないということもない。

なるほどと思う。誰もが味わうべき言葉であると思う。楽しくやらねばと思う。励まされる言葉がたくさんある本だ。

(日記 午前中は、事務処理。午後は家内と「市営プール」へ行く。もっぱらプールの中を歩き、少し泳ぎ、サウナ、ジャグジー風呂を二回りして帰宅。外は雪だが、中は夏。汗をかいていい気分だった。帰宅して孫の学習計画立案。)

 
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遠方より友来る

15 11月

50年前の先輩
 私は、大学入学直後、バンドを組みたいと思っていた。寮で仲間を集めて合奏等を楽しんでいた。そして2年になった時、1学年上の工学部の連中がバンドを始めたの、私も入部することにした。

 そして、大学でのバンド活動が始まった。そのとき、1学年上で初代の軽音学部部長を務めたSさんが福井での同窓会の後、私のところへ尋ねてくることになった。(私は2代目部長)

 私の事務所で約2時間雑談をした。Sさんは、私の使っている音楽ソフトに特に興味を持ったようだった。昔話やこれからのことなどいろいろ話が弾んだ。

 その後、焼き鳥屋でさらに2時間歓談した。いつかは初代のメンバーでバンドをやりたいという願いを持っている。今の予定では、再来年、福井でのOB演奏会に一緒にバンドを組む予定だ。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりをいただいた。

会場の体育館を「お祭り広場」に変えた後、一休み。さわらび会の皆さんの作ってくれたおにぎりと味噌汁をいただいた。

 50年前に一緒にバンドをやっていたおかげで、二人とも、青春時代に逆戻りした様な気分になった。OB会の合い言葉「第二の人生に音楽を」をこれからも大切にしたいと思う。50年前の先輩との再会が又、夢や勇気を与えてくれたように思う。

(日記 午前中は、いのせ文化祭の準備のために、体育館へ行った。前半は、会場設営。後半は子どもたちのために、『駄菓子屋』開店準備。一段落したところで食生活改善推進員「さわらび会」の皆さんの作ったおにぎりをいただいた。その後も、模擬店開店の準備や看板作りなどを続けた。50年前に一緒にバンドを組んでいたSさんが私を訪ねてきた。午後3時から午後7時まで私の事務所と焼き鳥屋で歓談。旧交を温めた。)

 
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若者達の輝く瞳

29 9月

異国の若者に励まされる

参加国の若者達を前に、講義。

参加国の若者達を前に、講義。

 今日は、大野の研修センターで、新しく日本へやって来た外国人研修生に講義をする日。今までは、全て中国人だったが、今日はミャンマーとカンボジアの研修生が加わるのだ。

 早速、9時からの講義に合わせて、8時半頃に自宅を出て研修センターへ向かった。いつもとは顔ぶれも肌に色も違っている。しかし、みんなの目が輝いていて、笑顔が見える。

 早速、パワーポイントを使って講義を始めた。一限目は、日本で気持ちよく働くためのアドバイス。例によって「あかおやま」について話した。あ:挨拶、か:感謝、お:思いやり、や:約束、ま:マナーについてだ。

 二限目は「日本の四季」について話した。雪を見たことのない研修生もたくさんいるのだ。「冬」の項では、雪囲いや雪かき、除雪、スキー、スノーボードの写真を示しながら、話した。

必ず取り入れるダンス。みんな、笑い声が絶えなかった。

必ず取り入れるダンス。みんな、笑い声が絶えなかった。

 3限目は、歌と踊り。家内も応援してくれた。講義室には、終始、笑い声が絶えなかった。研修生の輝く瞳に接して勇気をもらった一日だった。特に、ミャンマーやカンボジアの研修生には、母国語の他に、英語をかなり理解できる者がいた。素晴らしいことだ。講義の最後に、「Dream and Action」について話して講義を終えた。

 
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増える外人三役力士

07 3月

相撲の国際化が意味するもの
幕内の上位力士を見るとモンゴル始め外国人力士がずらりと並んでいる。特に、白鵬の安定感は抜群だ。日本人力士とは、ハングリーさが違うのだろうか。

今日は午後7時からテレビで『スモウスピリット』と題してエジプト出身力士「大砂嵐」を特集している。彼の相撲に取り組む姿勢は素晴らしい。この姿勢は日本人力士ばかりでなく、私にも勇気を与えてくれる。

彼は、日本の相撲にあこがれて入門を目指したが、7つほどの部屋からすべて断られ、ようやく大嶽部屋に入門できたという。彼のことばをいくつか紹介すると、次のようおなものがある。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「石にかじりついても夢をかなえます」と語る大砂嵐関。応援したくなった。

「私は相撲を取るために生まれてきた」
「相撲は大好き。一番大好き」
「相撲(の世界)は一つの特別な国です。力士だけは別世界です」
「まるで24時間で48時間分のことをやらされているようです。」

その後、精進して十両優勝。そして幕内へ。最初の場所は負け越し。

「どんな相手が目の前に来ても乗り越えるべき最大の敵は自分です」
「相撲は人生そのものです。夢は横綱になること それは変わりません。石にかじりついても夢をかなえます。」

このハングリーさと、まじめさ、研究熱心さ。私は大いに感銘を受けた。多分、モンゴルから来た力士もそうだろう。日本人力士も大いに見習ってほしいと思った。

(日記 午前中は、区の事務処理。今月は定期総会があるので事務的には忙しい。午後は、家内と事務所へ。私は、数学、家内は手芸。午後3時から、ちらつく雪の中をウオーキング。防寒対策をして出たので、体はポカポカしていた。事務所へ戻り作業継続。その後、家内と三味線練習。)

 
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由紀さおりさんからのメッセージ

12 2月

K幼稚園での『童謡で伝える会』に参加して
福井の孫が通うK幼稚園で、“由紀さおりさんによる『童謡で伝える会』(コンサート)”があると長女から知らせがあった。祖父母も参加してよいということなので、家内と一緒に参加することになった。

コンサートは、午後1時半からだった。幼稚園の玄関で並び、1時に体育館へ入った。椅子が並んでいて、一番前の席だった。ほんの2、3m前で由紀さおりさんの歌や話を聞くことができた。
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午後1時半にコンサート開始。当日のプログラム。

1.由紀さおりさんのお話
2.子ども達の歌の発表……孫も元気よく歌っていた。
3.由紀さおりさんの歌とお話
4.参加者全員で合唱
5.由紀さおりさんの歌とお話

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○ 由紀さおりさんと握手会

由紀さおりさんのコンサートのチラシ。

由紀さおりさんのコンサートのチラシ。

話の中からいくつか紹介すると次のようであった。
・学校コンサートをやって来た。最初はいつも400校ほどの学校から申し込みがあった。しかし、最近では30校ほどになった。校長の世代交代、教職員の忙しさ、童謡などの日本の音楽ではコンサート開催に仲間の協力が得られない。

・今のままでは日本の歌は伝わっていかないだろう。子育てママに伝わらなければ日本の歌はなくなってしまうだろう。

・子どもを寝かしつけるとき、子守歌を歌うママが激減。読み聞かせもわずか。

・読み聞かせも子どもの呼吸の速さに合わせて語る。

・子守歌は綺麗な日本語で作られている。

・今の歌はボキャブラリーが少なくリズム中心。映像中心。

・日本の歌は旋律や言葉が大切にされている。

・幼児の成長期の音楽環境は必ずしもよくない。安定感や情緒感がない。子どもが音楽を選べない時期には綺麗な日本語の歌を聴かせたほうがよいのではないか。

・子どもの歌がたくさんあるのは日本だけ。

・文科大臣と話したが、小学校5年から始めている学校英語を3年生から始めると言っていた。英語は将来の必須アイテムかもしれないが、それ以上に日本語をしっかり理解していなければならない。

・最近のJポップでは「花」と言えば「サクラ」とパターン化している。

・ゆったりした空の下、広々とした自然の中での子育ては大切。

・日本語は、「抑揚」「旋律」「鼻濁音」を大切にする言語。
○ 濁音と鼻濁音の違い:「が(ga)」と「が(ンガ)」(発音記号が表せないので理解して欲しい)
(例)学者の「が」と中学校の「が」の発音は、本来は異なるが、今は同じになってしまっている。

・ 「私(由紀さおりさん)」と「姉」と「さだまさしさん」の3人で「びびびの会」を作っている。(鼻濁音の大切さを訴えるために)

・日本はとても美しい国。四つの季節がある。しかし、今は二つの季節しかないかのように暮らしている。(Tシャツとジャンパーで過ごせる。)

・昔は、着物も季節に合わせて、「ひとえ」、「あわせ」、「うすもの」などがあってそれらを着こなしていた。

・日本の歌によって「見たこともないもの」「聞いたこともないこと」「教えてもらったことがないこと」に対して想像力を高めることが出来る。

・目に見えないものこそ大切。それには想像力が必要になる。

・メールを多用することは、「煩わしさから逃げている」。煩わしさの向こうに、人と人との関わり、思いやり、幸せがあるのに。

・今の子どもに必要なことは、「自分のことを自分の言葉で伝える力」である。

・お母さん方には、初めて母になった日のことを思い出して下さい。母になった幸せを感じ、ゆったりと気持ちを落ち着かせ、子育てをしてほしい。そのためにも歌を活用して下さい。
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以上のようなことをおっしゃったように思う。そしてその合間に、ピアノ伴奏で綺麗な歌を聴かせて下さった。

最後の握手会では、お礼と共に、由紀さんのおっしゃった「私も、英語は大切ですが、日本語はそれ以上に大切だと思っています。」と申し上げたところ、うなずいておられた。手を握りながら短い会話を交わすことが出来たのは、光栄であった。

私の今後の活動の中に、今日聞いた由紀さおりさんのメッセージが生かされていくだろうと思う。子育てにおける歌の大切さ、日本語の大切さ、そして、日本のよさを再認識した一日だった。

孫達の夕食の準備をする家内(長女宅)。

孫達の夕食の準備をする家内(長女宅)。

(日記 朝一に歯医者。その後、福井へ向かう。途中でショッピングと昼食。午後1時半から福井の孫が通うK幼稚園で開催される『由紀さおりコンサート(歌とお話)』に家内と二人で出かけた。孫と一緒に、長女宅へ戻り夕食。その後、レスリング教室へ孫達を連れて行き、しばらく見学した後、長女とバトンタッチ。)

 
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議論をすること

08 2月

意見と強要
私は議論をすることが好きだ。しかし、いくら議論は好きだからと言っても、けんか腰になって相手のいうことを聞かなかったり、自説を強調するあまりにそれを強要するような人と同じ時間を持つのは苦痛以外の何物でもない。

時間の無駄というものだ。経済評論家の勝間さんではないが、「消費的時間」以外の何物でもない。自分のことを棚に上げて言わせてもらうならば、年を取ると頑固に超がつくような人がいるがそんな人とは話したくない。

私流に言わせてもらうならば、議論というのは、その中から自分になかったものを見い出せたり、新しい発見があると思っている。もしもそれがないとしたら、「消費的時間」ばかりでもったいない。

何も意見の出ない会議などで決まった事柄は、誰かの一方的なアイディアや命令で物事が進められ、結果に大きな期待が持てないと思っている。

集団に活気が見られないようでは何をやってもレベルの高い方向へは行かないように思う。たとえ原案に反対であろうと、いろんな方向からの意見は原案に磨きをかけ、よりよい方向へ向かうと私は信じている。

誰も何も言わないで決まった原案は、不備が多いと思っている。そういう意味では、会議や話し合いで活発な議論を期待したい。

政治の世界でも、活発な意見が、原案をより確かな方向へ導くのである。そういう意味では健全な野党があって初めて与党は伸びていくのだと思う。今は、野党が弱小で与党の暴走に歯止めがかからないのではと危惧する。

しかし、歳を取ると頭が硬直化し、意見が偏り、融通が利かない人が周囲には少なくない。私も、他山の石とし、反面教師として、学ばなければと思っている。

(日記 午前中、事務所で数学、民謡の楽譜書き。午後も、事務所で作業を継続。午後7時から村の道場で屋根を直すための話し合い。終了後、3時間ほど議論していた。面白かった。)

 
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