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Archive for the ‘創作活動’ Category

『マンガで学ぶプログラミング』出版!

09 1月

1年がかりで描いた漫画
 一昨年から約一年をかけて描いた『マンガで学ぶプログラミング』をようやく自費出版することができた。嬉しい限りである。

 かつて私は、縁があって知人が開いているプログラミング教室に建物を貸すことになった。そこで、子ども達の様子を見ていると、プログラミング学習に於いては、初期の段階がかなり大変だということが分かった。

待望の漫画本完成

 そこで、60数年前に漫画家志望だった私は、プログラミングの基礎の基礎を漫画にできないかと考えた。プログラミングは、コンピュータ相手であるので、コンピュータが理解できる言葉を使わなければならない。

 ところが、私がお手伝いしたプログラミング教室の子ども達は、昔の人なら誰もが学んだBASIC言語である「イチゴジャムBASIC」を使っているのだ。

 また、中でも優れた能力を持つ中学生が、小学校低学年からこの「イチゴジャムBASIC」でプログラミングを始めたという。彼は、今やいろんな言語を使い、かなり自由にプログラミングができる能力を持っている。

 そこで、「イチゴジャムBASIC]によるプログラミングの入門編としてこの漫画を描き始めたということである。私自身がプログラミングを理解しているわけではなかったので、かなり苦労を強いられた。数々の参考書などを買い求め、勉強しながらの作業となった。

 とにかく、毎日一コマでも描き続ければ前へ進むだろうと信じて描いているうちにそれなりの量になったので、一冊の漫画本として出版することになったというわけである。

一部内容見本

 幸い福井県には、Ichigojamの開発者・福野泰介氏がおられ、私の漫画本を見て下さり、監修をしてくださることになった。正に百人力である。そして、福野氏の後押しもあり、この度、漫画本を出版することになったという次第である。

 小学生から、高齢者、プログラミングを指導して下さる小学校の先生方にも見ていただければ幸いである。そして、プログラミングを楽しんでいただければ幸いである。

漫画本ご希望の場合…… ① nh_yama@yahoo.co.jp

            ② 〒911-0811 福井県勝山市片瀬町2-314 山 範男

             問い合わせ ☎0779-87-2306(山 範男)  

もし希望されるならば……
郵送方法(送金については漫画本に同封)

 

つくるということ

11 4月

作る・創る・造る
 “つくる”とは楽しい作業だ。それまでになかったものを形にするからだ。他人から見れば平凡に見えるものでも、つくった本人にとって新しいものであれば満足感に浸ることはできるというものだ。

 “モノ”のない時代に育った私は、“無ければつくる”という育ち方をしてきたように思う。最近『好奇高齢者』なる言葉を使う人がおられるが、私もその一人だと自認している。

 “つくる”といってもこの言葉の持つ意味は広い。
 ・創る(歌を創る、文章を書く、漫画を描く、紙芝居をつくるなどの創作活動)
 ・造る(日曜大工で造る様々なもの。今年も組み立て式雪囲いを考えている。これまでは車庫の中に部屋を造った   
  り旧宅の仏壇跡に床の間を造ったりした)
 ・作る(家庭菜園で野菜を作る、特に生姜の栽培を試行錯誤している)
などあり、夫々が私の生き甲斐になっている。
 
 ここしばらく、音楽活動にご無沙汰しているので無性に歌を作りたい。それに、自分で楽器を弾いたりもしたい。そんなわけでのんびりとテレビドラマを見ている時間が無い。朝ドラと大河ドラマ以外は、何かをしながらテレビを“”聴く“と言う感じだ。

 当然、日曜大工(だいく)場にも,聴くための小型テレビを置いている。つくりたいことはまだまだあるが、時間をつくれないでいる今日この頃である。したいこととせざるを得ないことが入り交じって毎日を過ごしている。  
 

 

サイバー・フライデー

26 3月

プログラミング漫画をプレゼン
 一昨年頃から昨年にかけて『楽しいプログラミング』なるハウツーものの漫画を描いた。内容は、プログラミング入門の漫画だが、そこで使われる言語は、『ICHIGOJAM BASIC』だ。一昔前なら、誰もが学んだBASIC言語の流れをくむコンピューター言語だ。

 今は、何百とプログラミング言語があり、仕事によって各人がそれらを使い分けているそうだ。始めてプログラミングを学ぶ子ども達には、この『ICHIGOJAM BASIC』言語がふさわしいという人は少なくない。

 ところで、この『ICHIGOJAM BASIC』だが、開発したのはJig.jp会長の福野泰介氏だ。そこで、是非、開発者の福野氏に見ていただきたいと考えるようになった。

 幸い、鯖江市にある福野氏の会社では、毎月最終金曜日の午後6時から10時に『サイバー・フライデー』が開催されていると紹介された。誰でも自由に参加できると言うことなので、少し遠かったが思い切って参加させていただくことにした。

 その日集まって来たのは、IT関係者のほかに、他の職種の人、県外の人など様々な人だった。また、福井高専の校長や教員、そして生徒までもが集まってきていた。

【サイバー・フライデー当日、福野氏と】 【会場となったjig.jp本社(鯖江市)】

 大広間で三々五々軽食を取りながら情報交換をしている。私もいろんな話を聞かせていただいた。そして、しばらく経った頃、その場にあるパワーポイントで自分の考えたプログラムなどを紹介する時間になった。

 私も、もしものことがあればと考えて、手刷りの漫画冊子とパワーポイントで資料を作って持ち込んでいたので、皆さんの前でプレゼンをすることができた。

 嬉しかったのは、会長の福野氏が喜んで下さり、出版したらと声をかけて下さったことだ。そして、「私に監修をさせてください」と言われた。その翌日から、漫画の隅々を読んで下さり、いろんなアドバイスをして下さった。また、付録的に受け加えておいた《2進法》については、上手く描いてあるところは褒めて下さった。

 早速、その日のうちにフェイスブックで、私の漫画を紹介して下さった。その後、「出版社を探しましょう」と言うことで、「見本を作って送って下さい」と頼まれた。

 そこで、自前の印刷で漫画本を作り、表紙と製本だけは印刷屋さんに頼んだ試作品を送らせていただいた。少しずつ、夢が実現しそうな方向に進んでいるのでは期待している。また福野氏を通してその道の先駆者とも言える人とも知り合いになれた。

 リアルな人と人との出会いは、どちらへ向いて進んでいくか分からない。そこから、いろんな人との新たなつながりが生まれることだけは間違いないと確信している。

 
 

断捨離とは言うけれど

25 3月

ゴミにできないモノ
 私の生きてきた時代は、戦後の最もモノのない時代から、モノのあふれている時代だ。特に、子ども時代は、使えそうなモノは何でも保管しておく癖がついた。

 その癖は今もなお続いている。いつかは間に合うだろう、いつかは何かの役に立つだろうと思うモノは捨てられない。先ずは使わないだろうと思いながら、保管している。

 例えばそのようなモノの一つに、報恩講などに使う漆塗りのお膳の類だ。他にも、酒に関する銚子や杯の類いだ。これを座敷に並べて食事をすることは先ずないだろう。しかし、昭和の30年代頃までは必ずあったのに。

 これを焼き捨てている人を見たことがあるが、私にはできない。次の世代に任せるしかない。唐箕などの農機具もそうだ。これをたたき壊して燃やすことはできない。ある時期までは農家には欠かせない貴重なモノだった。

 こうしたモノが、我が家にはまだまだある。家内が嫁入りの時に持って来たタンスやその中に入っている着物類。着物の中にはしつけ糸がついたままのものまである。ひな人形や鯉のぼりもある。一度も着たことのない背広もある。体格が変わったばかりでなく、まだまだ着られるからだ。

形がなく捨てられないモノ
 形がなくても捨てられないものがある。ゴミにしたくないものがある。それは、各種のレパートリーだ。ゴミになりかかっている。楽譜を見れば何とかなるものはまだその気になれば演奏できるかも知れない。難しい曲は手(指)が動かない。

 しかし、楽譜を見ながら演奏できないものもある。ハワイアンギターの各種レパートリー。『南国の夜』、『珊瑚礁の彼方』、『カイマナヒラ』……。ギターなら、『夜霧の忍び逢い』、『朝日の当たる家』、ベンチャーズの様々な曲、……。ウインドシンセなら、……といろいろある。時々思い出して演奏してみないとあっという間にゴミになる。

 あれこれやりたいものがあるので、少しずつゴミになりかけている。青春が遠くに行きかけている。何とか引き戻そうとするが……。自作の歌はCDにしていけば、何とか形を留めているが。



 

 
 

 

大谷選手に続こう……

22 3月

DREAM & ACTION
 今日初めて大きな画面でWBCを観ることができるようになった。WBCの予選が始まった頃は、静止画でスコアだけを見ていた。期間中に、今年大学生になる孫娘が横浜から帰省した。そのときに、既にスマホで動画を見られる状態だった。

 早速、私もその環境にして、スマホで観たり、スマホをスマホで映し、テレビでポントの会わない画面で試合を観ていたが、今日、昨日機器を買って要約普通に観られる環境になった。

 野球の試合は、これまで漫画にもならないような展開で日本は勝ち進み、今日も逆転して、9回表ツーアウトという場面で、最後は大谷選手対トラウト選手という大リーグのスーパースター同士の対決、しかも同じチームという漫画にも描けないような場面。

 大谷選手が、トラウト選手を三振に切って取り、試合終了。侍ジャパンの優勝で幕が下りた。この試合を観て夫々何を考えただろうか。大谷選手の活躍を観て夫々何を感じただろうか。当然、大谷選手は最高殊勲選手。

 大谷マップを見ると、今日の頂点へ至る道は、偶然ではなく、地道な日々の積み重ねと、将来に対する確たる夢を持ち、それに向かってたゆまぬ努力をしたからに違いない。改めて、大谷マップを紹介したい。

大谷マップ ここに書いてある夢へ向かっての日々の取り組みが、今の大谷選手を導いたのは明らか。

「夢を持ち、それに向かって行動しましょう」と言いたい。  DREAM & ACTION! 

 
 

トマトのちから

14 3月

10,000個のトマト
 トマトという作物について、強く頭に残ったことは、筑波万博での10,000個のトマトだ。頭上にある棚から真っ赤な無数のトマトが実っている姿は壮観だった。

 この状況に、感銘を受け、トマト栽培に乗り出した人達がいる。そして、それぞれが、一本のトマトから何個のトマトを収穫できるかを競っている。そして、15,000個を超え、20,000個を超えるまでになっている。

 なぜ、一本のトマトから、こんなにたくさんの実が実るのだろうか?それは、トマトにストレスを与えず、伸び伸び育てることだという。そのために、土を使わずに水耕栽培で行う方が根にストレスを与えないのだという。

 そういえば、トマトって不思議な作物だと思う。我が家でも、毎年トマトを育てているが、水耕栽培でなくても、育て方によっては、雪が降るまで実を収穫することができるのだ。

家の基礎の隙間からトマトが
 逆に、一切栄養を与えなくても、どんどん育つこともあるのだ。ある時、家(旧宅)の基礎の5mmほどの隙間から一本のトマトが芽を出したのである。そこで、どうなるか、抜き取らず、成長を観察することにした。

 すると、トマトはどんどん生長していくではないか。トマトが頑張っているのだからと、肥料は与えないが、支柱を取り付けることにした。そのうちに、芽を出し、トマトが実り始めたのだ。

雪が降るまでどんどん実を付けた家の基礎の隙間で育ったトマト

人間にも通じる無限の可能性
 トマトにも潜在能力があり、ストレスを少なくすれば無限に育つのだ。きっとこれは人間にも通じるはずだ。そう思って、私は、自分の教員生活の経験と自分が見聞きしたトマトの潜在能力から『トマト』と題する小説もどきを書くことにした。

 この、仮称、小説『トマト』を同級生の映画監督のO君に読んでもらった。そして、読後感想をいただいた。かなり厳しい指摘もあった。今度は教育経験者に読んでもらいたいと思っている。

 簡単に言うと、教えない老数学講師の話である。その講師が進学校で働くことになった。受け入れる生徒、受け入れない生徒、そして、……。

 私が考えているのは、今の世の中、次々といいろんなモノを作り出して、子ども達の創造や想像のチャンスを奪っているのではないか。また、大人達は教えすぎて子どもの考えるチャンスを奪っているんではないか、そんな思いから、この『トマト』を書く気になったのだ。

 大人のお節介を排除して、子どもが自らその潜在能力を発揮する世の中こそ、子ども達が楽しく生き甲斐を感じる世の中になるのではないか。この『トマト』でそれを伝えたかったのだが。1本のトマトでさえ、本気になれば2万個以上のトマトを実らせることができるのだ。それなら、人間は……?

小説『トマト』 読むに耐えるかは心配

 

エルパの本屋さん『AKUSHU』

11 3月

新しく生まれた本屋さん
 私は、家内と時々、エルパに買い物に行く。そんなとき、二人が別行動を取ることがあるが、私はよほどでない限り、本屋へ行くことにしていた。

 ところがその本屋がなくなってしまった。さみしいと思っていたが、新聞などで新たに本屋ができたということを知った。そこで、早速『AKUSYU』を尋ねてみた。やはり、ショッピングセンターには本屋は欠かせない。

本屋の復活をかけてできた『AKUSHU』

本を置いてもらえませんか
 早速、店内を見て回り、そこで店員さんに尋ねてみた。「ここで本を置いていただくことはできるのですか?」と。すると店員さんは、「店長に相談してみます」、「メールアドレスがあれば、お知らせ下さい」と話してくれた。

 そこで、言うとおりにして帰宅した。すると、『AKUSHU』からメールが入った。

そこには、次のように書かれていた。

「自費出版の本は3ヶ月の期間限定で一旦本をお預かり、陳列し、注文が入った場合のみ商品として仕入れさせ   ていただく方針を取らせていただいております。経理上、代金もそのときにやりとりさせていただいています。

 注文がなかった場合は、3ヶ月後に引き取りに来ていただくお約束でお預かりをしております。以上の点をご了承ください。この条件でも納得していただける場合は改めて本をお持ちいただければと思います。」

 早速、二日後、自費出版した『じいじ達の子供時代』(上巻)(下巻)を『AKUSHU』に持ち込んだ。店員さは丁寧に対応して下さった。県内の人の自費出版作品コーナーに展示されることになった。

 果たして、どなたかこの本に興味を持って下さるだろうか。気になるところだが、自分を試すいい機会にもなる。ただただ待つのみである。それでも、私にとっては、待つことは楽しいことだと思っている。 

拙著『じいじ達の子供時代』(上巻)(下巻)
 

アメリカ・セントラリア高校の今

10 3月

43年前に調べたアメリカの高校の今
 何冊か余っている拙著『アメリカの高校生~セントラリア高校の全て~』を久しぶりに出してみているうちに、今あの高校はどうなっているのだろうかと気になってきた。

 そこで、先ずはグーグルアースで学校を調べてみると、なるほど郊外にある高校だということがよく分かった。そして最近立て替えられたことも。以前は、「アメリカまで行って写真を撮ってきてほしい」と頼まなければ、学校がどのような場所にどのように建っているのか、全く分からなかった。

 ところが、今は違う。地図で頭上から眺めることができるし、まるで道を歩いているかのようにストリートビュウで眺めることもできる。学校のホームページの調べれば、様々な写真もある。今日・明日の行事も、今月の行事も、年間行事も全て知ることができる。

43年前に私が様々なことを調べて本にしたセントラリア高校の現在のホームページ

カフェテリアの今日、明日のメニューも
 日々の連絡も細かく、今日(アメリカでは9日)のことも『2023年3月9日木曜日 今日、カフェテリアはランチにピザを提供しています。 明日(学期末)は朝食にシリアルバーを提供し、正午は下校のため昼食は提供されません。』とある。他にも様々な情報がある。

日々の連絡が事細かに書かれているセントラリア高校のホームページ

過去の卒業アルバムも全ページ掲載 
 驚くことに過去の卒業アルバムも1031年(昭和6年)のものからすべて保存されていて、全ページ閲覧できるようになっている。ただし、色々個人情報を入力してログインしなければならないがそれは当然のことだろう。

 アメリカの卒業アルバムは『イヤーブック(年鑑とも訳す)』と言うだけに、日本とはかなり趣が異なる。例えば、個人写真がずらりと並んではいるが、その下に、自分がスポーツやその他の活動で写っている場所を示すページまで掲載されているのだ。

 そして、なんと懐かしいことに、私が手に入れた1979年の卒業アルバムもアップされているのだ。ここの編集部のカメラマンにお世話になったのだ。彼らは今60歳を超えているはずだ。

 他にも、学年毎の成績優秀者などの氏名や、単位を落としそうななった場合の補習授業のことなど、事細かに掲載されている。また、生徒手帳には服装規定まである。更に、それとは別に、様々な行事での服装も定められている。

 実は、このような事を調べたのは、今の在庫品(新品)をどう処分するかを考えてのことだ。既に、既刊の拙著『じいじ達の子供時代』は上下巻ともエルパの新しい本屋『AKUSYU』に置かせてもらえることになっているので、この本もどうかと考えているからだ。

 かつては、アメリカまでの取材旅行に行かなければ何も分からなかったが、今ならネットでどんなデータでも入手できる。写真も鮮明なカラーで入手できる。

 新入生を迎える校長の挨拶だって読むことができる。そして、それらが、全て英文でも構わない。なぜなら、翻訳ソフトを使えば、瞬時に和訳されて、だいたい何を言っているのかは理解できるからだ。

 私の過去50年とこれからの50年を考えると、その変化は、想像を絶することになっているだろう。もしかしたら、宇宙へ修学旅行なんてことも夢ではなくなっているかも知れない。

 

通信教育っておもしろい!

05 3月

漫画の通信教育
 私は小学校時代から漫画を描くことが好きだった。クラスには他にもマンガの得意な者もいた。中学校になってから、マンガの通信教育を受けることにした。そこではデッサンをやったり、絵を真似たり、実際に4コマ漫画を描いたりと、色々課題が出てそれらを郵便で送ったりしていた。

 漫画に関しては、高校時代には、親戚のおじさんが勤めていた学校の卒業生が漫画家(主に貸本漫画を描いていて、時々大手出版社の付録漫画なども描いておられた)だということで、色々漫画の指導だけでなく、漫画界の裏話なども聞かせていただくことができた。

 ただ、この時期は、数多くの月刊雑誌が季刊雑誌になり、最後に次々と廃刊になるというような状態で、漫画界「冬の時代」と言われるような時期だった。それはテレビが出現したからだ。私の師匠の漫画家も、転職して仲間と看板屋を開業するような時代だった。頂点に君臨しておられた手塚治虫先生なども「これからは一部の実力者しか生き残れない」と言っておられたそうだ。師匠も、私に「他の道に進んだら」とアドバイスをして下さったりした時代だった。

 その時期、厚かましくも、政治の一コマ漫画を描き、地元の新聞社へ送ったりもした。「絵はかなり達者だが、社会風刺が弱い。大人になったら、もう一度挑戦して下さい」というような返事をいただいたりもした。今もチャンスをうかがっているのだが。

 考えてみたら当然だろう。高校生が政治漫画を描くなんて世の中を甘く見すぎていたかもしれない。アメリカのアイゼンハワー大統領とソ連の最高指導者フルシチョフ氏を扱ったものだった。そのことだけは今も覚えている。

【左】紙芝居『大野はげっしょ鯖物語』 【右】出版物の挿絵

作曲の通信教育
 その後、有名な作曲家の名前を冠した作曲の通信教育を受けることにした。小学校時代はハーモニカ、中学校時代から、ギターに触れていたので音楽には興味があったからだ。

 それに、親父に感化されて和太鼓にも触れていたので、大学時代は軽音楽クラブでドラムをやったりもしていた。ここまでは音楽も遊びでよかったのだが、2度目に赴任した小中学校(の中学部)では、音楽を指導するように頼まれてしまった。小学校にも中学校にも音楽の先生がいなかったのだ。

 かといって、私はピアノのピの字もできないド素人。お礼の「♪ボーン、ボーン、ボーン♪」さえも知らない。最初に赴任した学校の女先生にお礼の弾き方だけは習って以後使ったのを覚えている。

 そして、今でも、手が震えたことがあったことを覚えている。卒業式の時のことだ。教頭の号令「一同敬礼!」で私が「ボーン♪ボーン♪ボーン」、それに合わせて全員がお礼をするのだ。すかさず教頭の「君が代斉唱」で私の前奏が始まるはずだったが、一瞬、白黒の鍵盤が均等に見えてしまって、「どこを押さえればいいのだ~~」と手が震えている。何とか、少しの間合いで前奏開始。冷や汗ものだった。

 二年後に、音楽の得意な先生が小学校に赴任してきて式典からは解放された。しかし、中学校の音楽の授業は続き、連合音楽会では合唱の指揮。慣れないことの連続。でも、小規模校ならではの経験をいろいろさせてもらった。

「親の意見と茄子(なすび)の花は千に一つも無駄がない」と言うが
 その後も、いろんな通信教育を受けた。『挿絵』の通信教育。『建築パース(透視図)』などだ。途中で挫折したものもある。挫折しても、どこかで何かの役にたっている。

 長い間、数学の教員をやっていたが、そんな時、立体的な図を描く場合には少しは役に立ったのではないかと思う。退職してから、特に日曜大工をやるようになったが、完成図を描いたり、途中で木組みの立体図を描いたり、様々なところで役立っている。

 音楽も、地域に伝わる民謡の採譜を行ったり、なければ新民謡をつくったり、歌をつくったり編曲したり、CDをつくったり、バンド活動を行ったりと、退職後の人生を活き活きしてくれている。

 『親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない』ということわざがではないが、『若い頃の道草は、いつか人生の花と咲く」と言いたい。若い頃、真剣に取り組んだことは、第一、第二の人生に大いに役立つと思う。仕事にも、退職後の生き甲斐づくりにも、まちづくりにも大いに役立っている。どこかで他人の役にも立っていると実感している。

 レベルは低いが、数学と漫画の二刀流、漫画と音楽の二刀流、それぞれが新たな価値と楽しみを生み続けていると思っている。若い頃学んだことは、本当に無駄がなく、日々の活力に繫がっている。

【左】OBバンドの練習 【右】卒業式でのピアノ担当……「式次第」には「開式の辞」「一同敬礼」
「君が代斉唱」……の文字が見える。

  

 
 

残日録再開 日は残りて 昏るるに未だ遠し

20 2月

とうとう80歳になった。藤沢周平先生の『三屋清左衛門残日録』の中の言葉をお借りしている。
《日は残りて昏るるに未だ遠し》の心境である。もう時間は残り少ないと考えるよりも、まだまだ時間は
あるとプラス思考で生きたいものである。

『 傘寿来て 目出度さ・さみしさ そろい踏み 』

よくぞここまで生き延びることができたという感謝の気持ち。
人生は無限ではないという一抹のさみしさ。

はっきりしていることは、大きな節目であるということだ。
ただ、《八》という字の末広がりの縁起の良さ、これはありがたいと思う。

今日から、一服していた『いなかもん残日録』を再開したいと思う。
むかしの自分はかなぐり捨てて、思ったことは書いてもよいのではと思う。

どういうわけか、一月元旦よりも改まった気持ちになれるから不思議である。
それは、正月はこれまで80回経験したが、80歳の誕生日は初めてだからだろうか。

ここから先は、自分が元気で過ごせるように節制するのも大切な仕事の一つだと思う。

67歳で退職したときには、《退職グッズ》と称してほしいものをある程度揃えた。
そして、《退職プロジェクト》と称して少しだけやりたいことをやった。
〇 まあまあの速度のデスクトップパソコン
〇 種々のソフト(音楽ソフト、描画ソフト、文章作成ソフトなど)
〇 アコーディオン
〇 ウインドシンセサイザー、
〇 車の買い換え
などだ。

今度は、何にするかと考えていたモノのいくつかは、プレゼントされた。
それは、少し前に喜寿があったからだ。
 〇 最新のデスクトップパソコン
 〇 電子ドラム(買いたいと思っていたものよりはるかに効果)
 ※実は楽器屋さんにリアルドラムの中古が出ていたので買おうかなと迷っているうちに
  消えてしまっていた。でも、電子ドラムが手に入ったのでひとまず安心。
〇 車は喜寿の後に購入済み

そうなると、《傘寿グッズ》よりも、《傘寿プロジェクト》といった方がよいかもしれない。
 〇 描き終えたマンガ『マンガで学ぶプログラミング』の出版作業
 〇 できれば、続編マンガ『ゲームで学ぶプログラミング』を描き始めること
 〇 執筆中の冊子『中学校再編物語』の完成(これは手製の印刷製本冊子)
  ※ なんとしても記録しておきたい。なんでこうなるのか……。
 〇 童話
 〇 演歌などの歌作り
 〇 日曜大工(組み立て式雪囲い、未だ旧宅の半分しか完成していない)

そして、盆踊り復活にも取り組めたらと思うが、どうなることやら……。手を広げすぎて
右往左往。家内には、いつも「手を広げ過ぎて何でも中途半端」とたしなめられている。 

A5版 204ページ