RSS
 

Archive for 11月, 2010

時代はどこへ向かうのだろうか?

30 11月

モノがない分“想像力が育った時代”
 今の世の中は、私たち60歳前後の世代の子供時代に比べると比較できないくらい豊かになっている。豊かになったと言っても、それは“モノ”に関してだけであって、豊かになったとは必ずしも思えない。

  我々の子供時代は、モノに関しては極端に少なく、今とは比べものにならないほど質素な生活であったように思う。しかし、それが貧しかったとは思わなかった。

  ざっと考えただけでも、肉などは年に二回しか食べることはなかった。(一度は農作業の最終日、臼すりの日、もう一日は大晦日であった。)

  また、車などはもちろんなく、一家に一台、自転車がルだけであった。(そもそも子供自転車など存在もしなかった。)そのために、子供達は、俺これ創意工夫をして大人の自転車にチャレンジしたものだ。

  私に地区では、自転車の乗り方には“さんまた”、“中また”、“大また”と三段階があった。自転車の車体の三角部分に右足を入れて乗るのが“さんまた”、自転車の座席に座らず、車体の辛抱に座って乗るのが“中また”であり、これは身体が小さくてペダルに足が届かないための苦肉の策であった。

  ようやく足が届いて自転車に乗ったのが、“大また”であった。しかしながら、いつでも自転車を使えたのではない。父親が会社から帰ってきた後のわずかな時間にしか自転車を使えなかった。

  自転車を借りるためには、その代償として自転車を磨くことを求められた。自転車のスポークの一本一本をぼろ布で磨いたものだ。テレビなどもなかったし、いわゆるゲーム機などは存在もしなかった。

  モノがない分、創意工夫をしてあらゆることにチャレンジしたものだ。これは、遊びだけではなく、技術の習得についても同様であった。地区の仲間とは様々な行事を通じて遊んだりしたものだ。

 モノがない分、豊かな経験があったと思っている。しかし、その頃育った者は親になって、子供達に苦労をさせまいと一生懸命働いた。

“豊かな時代”になったとは言うけれど
 数十年前と比べると、物質的には比較にならないほど豊かになった。しかし、その結果、どうなったであろうか。人間が劣化しているのではないだろうか。

  近年、子供に対する異常な犯罪が頻発している。一見普通に見える(実は普通ではない)者が突如として凶悪事件を起こすのである。その度にその対策がは検討される。

 しかし、子どもたちの安全を守ることが非常に困難な時代になってきている。それは、異常な犯罪者だけではなく、普通の大人が、突然異常な犯罪を起こす可能性がどんどん増えている。

 子供は年をとれば、大きくなれば大人になるのではない。子供を持てば親になるのでもない。大人になったり、親になるには、経験したり、習得しなければならないものがたくさんあるように思う。

  子供を大人にする仕組みとして大きな役割を果たしてきた「地域社会」や「家庭」が崩壊している。子供のまま大きくなった「オトナ」がどんどん増えている。

 個人も、集団も、国家も不信感を持ったまま歩みを続けている。日本海周辺は今や危険な地域になってきている。その中で、今さえよければと言う刹那的なオトナが増えている。

  今まで社会は、ある種の信頼関係の上に成り立っていた。しかし、いつ何が起こるかわからない時代になりつつある。特に異常な犯罪が増加しているように思えてならない。世の中が二極化してますますそのスピードが速まっているように思う。

 今後ますます防犯カメラは普及するだろう。“人を見たら犯罪者と思え”と教えなければならない世の中になりつつある。さぞかし住みにくいだろう。不信感に満ちて寒々として世の中では、更に次の犯罪者を産み出しそうである。

  今の世の中が“子どもたちにとってはどうか?”ということを大人達は真剣に考え、子どもたちの成長の妨げになるモノを大人達がこれ以上作り出さない、示さないことが大切ではなかろうか。

 私たち大人が、“モノを作ること”と“人をつくる(育てる)こと”を混同しているうちは、人と人とが信頼し合える世の中をつくることは困難であろう。

 今の世の中のシステムや大人達の言動、そして自由の横行が、次の犯罪を産み出す予備軍を育てることにならないよう私たちは、勇気を持って変えるべきところは変え、守るべきところは守り、規制すべきところは規制すべきではなかろうか。

  自由とは、責任を伴って初めて意味を為し、権利とは義務を伴って初めて論じることが可能になることを自覚すべきであろう。つまるところ、子供の問題は全て大人の問題であると私は思っている。

(日記:午前中、雪囲いの最終コースである植木の雪囲いをした。午後も作業を継続した。太陽が出ていてとても気持ちがよかった。2時頃から6時頃まで事務所で数学のホームページ作り。夜は8月頃の『龍馬伝』を見る。薩長同盟成立の頃の話であった。今なら、信じられない大事件だ。と言うよりも犯罪として扱われるだろう。龍馬達はまさに生きていると感じて行動していたのであろう。)

 
 

あかおやま

29 11月

子供達にほしい“あかおやま”
  子供達にモノを教える時にいつも思うこと。それは“あかおやま”。

   あ 挨拶
   か 感謝
   お 思いやり
   や 約束
   ま マナー

 教わる立場の者は、指導者に出会った瞬間に挨拶をすべきである。私自身も、なるべく日々の生活でも挨拶をするよう心がけているつもりである。子供達を見ていると、このような感覚が鈍いように思う。

 教える者はいつもそれなりの準備をしているものである。見えないところでいろいろ苦労をしているものである。現代っ子は恵まれ過ぎていて、すべてのもを当たり前に思っているのではないか。感謝の気持ちを持たない者は学ぶ資格がない。

 相手はどう思っているのか、相手の立場でモノを考えられる人間になってほしい。相手を思いやる気持ちがなければ、相手から信頼されることもないだろう。相手から得るものも少ないだろう。今は、相手の話を聞けない者が少なくない。

 約束を守らないような者は信頼されることはないだろう。約策を守らない者は社会に出たら誰からも相手にされないだろう。時間を守る、ルールを守る、いろいろ守るべきものがあるはずである。
 
 マナーを守れない人間は多い。マナーを身につけていない者は決して他人から信頼されないであろう。自分だけではなく、家庭の信頼をも失うであろう。

 今日は、久しぶりに中学生に話した。現役時代(「高校教員)にも、いつも部活の生徒達に話したことである。自分をコントロールできない子供がいるようである。損する性格である。

オカリナ教室の初舞台は村岡の「わいわいクリスマス」(ちらし)

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、北部中学校で和太鼓指導。その後、ホームページ作りを継続。4時から、オカリナ教室の教材作り。7時頃、ようやく練習用のCDを作り上げた。午後7時半から、オカリナ教室。少しずつ、進歩しているようであった。自宅でも時々家内と練習するが、複数の人間と練習すると楽しいものである。)

 
 

新穀感謝祭と農舎落成式

28 11月

今日は新穀感謝祭
  午前6時半起床。午後7時に集会所へ行く。今日は、『農事組合法人かたせ』の農舎の落成式と祝賀会、そして恒例の収穫感謝祭があるのだ。そのための、準備として「そば打ち」と「餅つき」があるのだ。

私も先輩に教わりながらソバ打ちを体験

  私は、壮年会のメンバーとして、そば打ちの手伝いをするのだ。最初にそば粉をこね、のし棒で大きく広げてそばを切るのだ。ほとんどやったことのない私だが、先輩達の教わって、挑戦した。

  少しずつコツがわかってきた。しっかりそば粉をこねないと、その後の作業に差し支えることがわかった。どの作業も手抜きは許されないのだ。なかなか面白かったが、汗をかくほど暑くなった。

農事組合「法人かたせ」の農舎落成式で挨拶する親泊安次農林部長

  その後、10時から農舎で落成式が行われた。農業者の高齢化と後継者不足のため、「農事法人かたせ」を組織して集団で農業に取り組んできた。しかしこれにも、担当者の高齢化や種々の問題が潜んでいる。

  また、農業は地域に対してどのような意義があるのか、いろいろ考えなければならない。そろばん勘定では、米以外ほとんどが今のままでは採算が合わないという。

  しかし、生き甲斐農業もあるのではないか、このあたりを考え直さないと、農業は成り立たなくなるのではないか。農の持つ力をもう少し見直さなければならないのではないか。そんなことを考えながら、落成式に参加していた。

   その中で、新しい地区の郷土芸能『片瀬豊年ばやし』が披露された。しかし、残念ながら、CDがうまく作動しなくて練習の成果を十分実力を発揮できないまま終わってしまった。全く残念であった。

  それでも、練習したことは無駄ではなかったと思う。今後も、いろんな場所で披露しながら、改良を重ねて地元に定着するものを作り上げていきたい。

(日記:午前7時から午後1時過ぎまで農舎の落成式と祝賀会・収穫感謝祭のために準備やアトラクションを行う。午後1時半過ぎから4時まで数学のホームページ作り。その後、アメリカ人女性に和太鼓を教える。新しいメンバー二人が加入し、全部で4人になった。少し和太鼓らしくなるだろう。)

祝賀会を兼ねた収穫感謝祭で『片瀬豊年ばやし』を披露する区民有志(私たち夫婦も出演)。

「片瀬豊年ばやし」を披露
 その後、集会所で祝賀会を兼ねて収穫感謝祭が行われた。ソバやぜんざい、里芋の煮っ転がしなどが酒やビールと共に振る舞われた。参加者はそんなに多くはなかったが、様々な年代の区民が集まった。

 
 

「人間信頼の感情を育てる」

27 11月

今も古くならない言葉
 私が、赴任した二つ目の学校で恩師N氏と出会った。私の定義では、恩師とは私が教わった中で心から尊敬できる人である。

  この、N氏が、校長の頃、学校目標に『人間信頼の感情を育てる』というのがある。人は信頼に足る存在であることを実感できるように子どもたちを育てることが大切だという。

  昨今、この逆をいくような国家や個人が多い。自国の利益のみ、あるいは、自社の利益のみを求めて行動する人は本当に多い。これで、この先、国家や企業が生きのびていくことはできるのだろうか。

  これで、世界に平和が訪れるというのだろうか。国家が率先して他国を非難する教育を推し進めて、果たして、自国の利益になるのだろうか。

  他国を、他社を、他人を信頼することができる気持ちを子供のうちから、育てておかなければいつになっても、この狭い地球上で人は争い続けなければならないだろう。

  この人は信頼できる。この人のためなら骨身惜しまず働くことが出来る。私たちはそんな人間を何人持つことが出来るだろうか?国を越えてもそうだ。役職を離れてもそうだ。

  今はどちらかというと、個人の権利ばかりが優先され、自由という名の下に、金さえあればよい、地位(権力)さえあればよい、儲かりさえすればよい、能率さえ上がればよい、……という人がどんどん増えてきている。

  世の中の価値判断がお金や地位や能率で為されるようになり、自分中心、自国優先になってしまった。経済優先、物質的豊か優先の今の世の中では、ヒーローとは、「いかに金を稼ぐか?」、「いかに大金を動かすか?」になってしまっているように思われる。

  こうした社会は、常に悲しい犠牲を余儀なくされるのではないか?絶え間なく起こる紛争または戦争、頻発する異常な事件、勝者・敗者と二極化する社会、人命よりも利益を優先する異常な耐震強度偽装事件……。まだまだ続くだろう。

  今時、正義とか信頼という言葉を使うと、甘っちょろいと言われるかもしれない。しかし、こうした言葉を取り戻さない限り、世の中には平和も心の豊かさも訪れはしないであろう。

 40年前に『人間信頼の感情を育てる』を学校目標とした恩師の言葉は、私の中では今も常に新鮮である。

寒い中ですくすく育つニンニクの苗(食用のニンニクを植えた)。

(日記:今日は朝から晩まで事務所にこもって数学のホームページ作りを行った。数学講座をホームページ上で展開しようとなると、数学の記号入力のために、本当に時間がかかる。やっていることはとても楽しいが、風邪気味でもあり、本当に疲れた。末娘が大阪から帰ってきた。子供が大きくなるということは、自分が年をとることだから、うれしくもあり、ちょっと悲しい。)

 
 

家族会議のすすめ

26 11月

家族のコミュニケーションを図るために
  一昨日だっただろうか、例によって、ラジオを聞きながらホームページ作成の作業をしていたときだった。あのバレーボール選手だったスポーツキャスターの大林素子さんがご主人とラジオに出演していた。

  夫婦のなれそめや日常生活についていろいろ語っていた。とても、さわやかで明るい夫婦だった。その中で、「同感だ」と思ったことがあった。それは、「二人で家族会議をやる」ということだった。

  私も家族会議賛成派だ。息子達にも、「家族会議をしよう」と、話しかけ、話し合いを持ったこともあった。息子達も、時には、友人と二人で会議をしているようであった。

  夫婦二人だから、いつでも何でも話せるではないかと思うかもしれないが、それはどちらかがそう思っているだけ、実際にはコミュニケーションは図られていないと思う。

  ここで言う会議とは、“テーマを持って話し合う”ことだ。将来設計や金の使い方、休日の使い方、生き方などについて意見を交換し、方針を決めることは大切だと思う。

  大林さんもそのようなことを語っていた。むしろ、アナウンサーの方が「二人で会議?」と驚いていた。コミュニケージョンとは双方向に想いを伝えることであり、忙しい日常生活の中では簡単ではない。

  きっちりと時間をとってやるべきだと私は思っている。ラじオを聞いていて、家族会議を大切さを何人の人が理解できただろうか。はなはだ疑問である。

集会所での銭太鼓練習(今日の写真ではない)

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午前11時から歯医者。本当に時間がもったいない。午後も、作業を継続。途中で、家内とオカリナのセッション(実際はそんな格好のいいものではない)。日曜日に農舎新築落成式が行われ、その後祝賀会があり、兼ねて収穫感謝祭がある。そして、そこで、村の新しい芸能『片瀬豊年ばやし』が披露される。今晩は最後の練習会だ。歌、銭太鼓、女踊り、いずれもかなり上手になってきた。)

 
 

最近の生活サイクル

25 11月
 だいたいできた生活リズム
  退職して8ヶ月が過ぎようとしている。この間だいたいの生活サイクルが決まりかけてきた。一日のうち4~5時間程度は、私の本職だった数学に関わることに時間を費やしている。 

  そして、2~3時間は、家庭の仕事(家を守るための仕事、家庭菜園や雑事)を、そして週に何時間かは、地域に関わることに時間を費やしている。また、月に二回『津軽三味線』を習っているために、一週間に何時間かは三味線の練習をしている。

  そして、頼まれて『オカリナ教室』を事務所で開いているために、楽譜やCDなど教材の準備などに時間を使っている。家内もオカリナ教室に参加しているために、食後などには二人でオカリナのアンサンブルを楽しんでいる。

  また、外国人に請われて和太鼓を教えている。残念なことは、上手になった頃に、帰国することだ。それでも、国際交流と英会話の練習だと思って続けている。

  今年も、この8ヶ月間の間に、3曲歌を作った。初めて作った地区の歌『片瀬豊年ばやし』は、村の活性化を祈って作ったものだ。

  私の起床時のスケジュールはいつも決まっている。朝は起きると新聞を読みながら、マッサージ機で身体をほぐし、ラジオ体操、股上げ100回、スクワット100回、腹筋30回を欠かさず行っている。これは、よほどでない限り休まず続けている。

  数学に時間を費やしすぎているために、創作活動があまりできていないが、冬になったら、創作活動に時間を費やしたい。童話や紙芝居、映像編集などに時間をかけて作品を作ってみたい。書きかけの小説も完成させたい。

我が家で『片瀬豊年ばやし』の歌の練習をするTさんと付き添いの奥さん(この歌の女踊りをする)。 

(日記:午前中は風邪のため夫婦で病院へ。その後、少しだけ雪囲い。午後は、数学のホームページ作り。途中で家庭菜園の片付け作業。そして、夜は7時半過ぎから、9時過ぎまで歌の特訓。と言っても、私が歌を歌えるわけではない。次の日曜日の収穫祭に、私の作った『片瀬豊年ばやし』を歌ってくれるTさんに、歌に入るタイミングなどを指導。今日末娘が大阪から帰ってくる。)

 
 

コミュニケーション

24 11月

ボランティアとは
  様々なイベントやいろんな時期に、ボランティアと称して施設を訪れる人は少なくない。それはそれでとても素晴らしいことだと思うが、入所者の気持ちを考えたことはあるだろうか。

 例えば、何が芸事ができるグループがあったとする。舞台なり、広間で芸を披露して帰ってくるのは、相手のためと言うよりも自分のためであり、自己満足の世界ではなかろうか。

  私も長い間、某施設に関わったことがある。入所者の皆さんが望んでいることの一つにコミュニケーションがあったと思っている。ボランティアをする者が、一方的に清掃をしたり、歌を歌ったり、芸事を披露したりすることは大切なことだが、それと同時にコミュニケーションを図ることを忘れてはいけないと思う。

  ゆっくり相手の話を聞かせていただくことが、とても大切であるということを実感した。そうした中で人間関係ができあがると、向こうからこちらに向かって要望なども出てくる。数学を教えてほしいという入所者の要求に応えて、ベッドサイドで高校数学の講義をしたこともある。

  一方的に何かを披露したり、与えたりするという立場ではなく、相手からも想いや話を聞かせていただくなりして、双方向の活動がなされなければ、一方は惨めになるだけではないのかと思ってしまう。

  コミュニケーションとは、一方的に話すことではなく、双方が想いを相手に伝え合うこと、言い換えれば双方向の活動でなければならないと思う。

  私も、施設慰問のボランティア活動をしたいと思うが、自分よがりにならないように気をつけなければならないと思っている。一緒に歌を歌ったり、話を聞かせていただくなどして対等の立場で活動ができないかと思っている。

  もしも、自分が将来施設などに入ったときのことを思うと、何を望むだろうか。私は、きっと話し相手がほしいと思うだろう。双方向の話ができる相手がいたらと思うだろう。私も肝に銘じて慰問活動ができたらと思う。

個人レッスンの前に事務所で『津軽じょんから節』の個人練習。(妻が写す。)

(日記:午前中は、米の低温収蔵庫に米を入れた。一年中美味しい米を食べたいことと、虫がわいたりしないように、ネズミにかじられないようにと思って購入したものだ。その後、事務所でホームページ作り。昼近くに歯医者へ行った。午後も、数学のホームページ作り。午後4時頃から、『津軽じょんから節』の個人レッスンを受けた。わずかに進歩しているとは思うが、なかなか難しい。希望は、家内と一緒に民謡をやってみたいと思っている。)

 
 

野菜高騰とは無縁

23 11月

種さえ蒔いておけば
  秋口に、先ず大根の種を蒔き、続いてカブ、野沢菜、春菊、そして2回目の大根、3回目の大根の種を蒔いておいた。大根とカブはマルチの穴に5粒ずつ種を蒔いておいた。

  しばらくすると芽が出始めた。5本の大根のが成長するにつれて、すぐり菜にしておひたしや味噌煮にして食べてきた。チョウがやってきて卵を産んだのか、大根には青虫がつき始めた。しかし、農薬はやらなかった。

  最初の大根の葉はかなり青虫にやられて穴だらけになったが、時々虫を手で取るだけにしてきた。そのうちに、大根がどんどん大きくなり、虫の被害は気にならなくなってきた。

  そして、野沢菜が大きくなり、カブも大きくなり始めた。畑は今も緑でいっぱいだ。大根の葉はかなり大きくなっても食べることにしている。テレビ見ていたら、どこかの地区の「菜めし」が紹介されていた。

遅く植えたが芽を出してくれたニンニク。来年の収穫が楽しみだ。

  家内に話して、今では週に何回かは「菜めし」を作ってもらっている。材料とする大根の菜だ。菜めしと言っても、我が家の場合「菜の葉入りのチャーハン」と言った方が正確かもしれない。

  畑のグリーンは二人では食べきれないほどだ。野菜の高騰もあまり気にならない。今日も畑を見ていたらニンニクの芽がかなり出ていた。これから先どう育てたら来春に立派なニンニクがとれるのだろうか。

  家庭菜園といえども、こちらからアクションを起こしておけば、それぞれがそれなりに応えてくれるものだ。これは家庭菜園だけではなく、日常生活に於いても、同じだ。

 何もアクションを起こさなければ、何も起こらない。何も期待できない。やはり楽しみを得るために、分相応のアクションを起こしたいと考えている。これからも “DREAM & ACTION”で頑張りたい。

とりあえず事務所(山児童館)に設置したイルミネーション。クリスマスの頃にはもう少し増やしたい。

(日記:午前9時、新穀感謝祭に納める玄米1升を持って神社へ行き、参拝。その後、事務所で数学のホームページ作り。午後も4時頃まで事務所で作業を継続。午後4時頃、事務所の窓にイルミネーションを設置。タイマーを使って午後6時から午後10時まで点灯するように設置した。午後7時過ぎから次の日曜日に開かれる収穫祭のために『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
 

月曜日は“音楽デー”

22 11月

午後は女子中学生に“和太鼓授業”
  毎週、午後の5限目は北部中学校で選択音楽で『和太鼓の授業』を行っている。月曜の午後からの指導なので午前中はのんびりとできる。16名の女子中学生は、いずれも私にとっては孫のように可愛い存在だ。でも、少しおしゃべりだ。

  いつも授業の初めに短い話をする。あるときは、『あかおやま』について話した。「和太鼓以上に大切なことは、“あかおやま”です。」と言って説明した。

  あ:あいさつ
  か:感謝
  お:思いやり
  や:約束(を守る)
  ま:マナー

  今日は、事に当たっては集中してほしいということを伝えたかった。

 「自分がやろうと思わなければ何事もできない。だらだらとしていては何も身につかない。和太鼓を通して集中することを学んでほしい。和太鼓は将来何の役にも立たないかもしれないが、和太鼓を通して学んだ、“集中する力”はどんな場面でも役に立つ。」    

  後期は10月から始まりようやく一曲できるようになった。と言っても和太鼓はリズムを正しくたたければよいというものではない。和太鼓をたたく姿勢が大切だ。正しいフォームを身につけなければ見ている者に感動を与えることはできない。

今の太鼓ができるようになったら『左義長太鼓』にも取り組んでみたい。

  少しずつではあるが、彼女達は上達しているようである。これからも、楽しい和太鼓教室を続けていきたい。そして集中力を身につけて中学校を卒業してほしい。

  それにしても、この学校の中学生達はみんなよく挨拶をする。廊下であった生徒達は男子も女子もよく挨拶してくれる。私の方も学校へ通う元気が出てくる。

夜はおばさん達と“オカリナ教室”
  毎週、月曜日の夜はオカリナ教室だ。C 管はラシ ドレミファソラシ ドレミファの音が出る。また半音高い音や低い音があるので運指法は簡単なようで難しい。特に、低音や高音はきれいな音を出すことが難しい。

  それと、楽しくなるかどうかは編曲次第だ。市販の楽譜も使うが、編曲のよいものは少ない。みんなで同じ音を吹いていてもあまり楽しくない。単純な和音を吹いているだけでも楽しくない。かといって、難しい編曲の譜面は運指が難しく、きれいな音が出ないので、必ずしも適当ではない。

  結局のところ、市販の譜面をメンバーの技量に合わせて編曲し直すしかない。これは簡単そうで難しい。時間もかかる。また、同じ曲でも編曲次第では、吹いている者が楽しくなる。

  あまり難しくなく、吹き甲斐のある楽譜を探すことは困難だ。市販の楽譜と自分の編曲で乗り越えるしかない。せっかく始まったオカリナ教室だから、今は楽しくて吹き甲斐のある曲を準備することに気をつけている。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行き、歯を抜く。悲しくなる。午後は北部中学校の選択音楽で『和太鼓指導』。その後も、数学のホームページ作り。そして、オカリナの楽譜を準備する、午後7時より『オカリナ教室』。自由時間の多い生活の中でこの二つの教室はアクセントになっている。)

 
 

ニンニク物語

21 11月

時期遅れかもしれないが
  私はかねてからニンニクに興味を持っている。しかし、家庭菜園でも、タマネギは作ったことがあるが、ニンニクだけは作ったことがない。いかにも健康によさそうな作物だ。

  退職したのを機会にニンニクにチャレンジしてみようと思ったが、種を買う機会を逃してしまった。そこで、失敗覚悟でスーパーに売っているニンニクを植えてみることにした。

  念のためにインターネットで栽培法などを見てみると、多くは10月までに植え終わっているようだ。ところで、スーパーで売っている食用のニンニクは種として使えるかどうかだが、いろんな意見が載っていた。

  発芽抑制処理をしてあるという記事が多かった。しかし、スーパーで買ったニンニクをよく見ると小さな芽が出ているものがある。芽が出ているものがあるのだから、畑に植えても芽が出るだろう。

  そう信じて植えてみることにした。青森屋北海道で10月中には植え終わるなら,勝山では121月中でも何とかなるだろう。そう思って時期遅れを覚悟して一畝植えてみることにした。

  それと同時に、自宅でニンニクをばらして、一粒、少し水を入れた皿の中に置いて発芽実験をしてみた。するとどうだ。一週間ほどでたくさんの根が出てきた。そして,さらにしばらくすると青々とした芽が出てきた。

  これなら根が出るはずだと,今日、一畝ニンニクを植えた。先日植えたニンニクは小さな芽を出し始めている。来年の春にはニンニクを収穫することができるだろうか。楽しみである。

同じテレビ番組を見ていたのに
  昭和61年のこと(1986年)のある日曜日(だったと思う)。私は、ぼんやりテレビを見ていた。兼高かおるさんの『世界の旅』であった。カリフォルニア州ギルロイ市のニンニク祭り(『ガーリックフェスティバル』)のようすを放映していた。

  ところが、青森県田子町の人たちもこの番組を見ていたのだ。そして、なんとテレビ番組を見ていた町有志3人がカリフォルニア州ギルロイ市を訪問し、友好の約束を得て帰国。

  翌年、ギルロイ市長とガーリッククィーンを招待。そして、田子町の渡部町長(当時)が渡米し、“姉妹都市”関係を締結。ギルロイ市から、田子町が求めていたものをそこで発見し、同市との交流を強く希望したのである。

  田子町は、その後日本一のニンニクの産地として、現在に至っている。なお、カリフォルニア州のギルロイ市は全米ナンバーワンのニンニク都市である。

  ニンニクの可能性は、人間が健康食として利用するだけではなく、牛のえさに混ぜたり、入浴剤にするなど、その可能性は無限であるように思われる。

  この日から、私の中には、ニンニクは生き続けている。このほか、ショウガ、朝鮮人参にも興味を持っている。私は、農業者ではないが、いつの日にか、この町でこれらを作る人が増えることを期待したい。

(日記:朝から昼食をはさんで午後2時まで雪囲い作業。午後、2時過ぎから午後6時まで数学のホームページ作り。作業の途中で、ニンニクを植える。うまく育つことを願う。)