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Archive for 11月, 2010

終日雪囲い作業

20 11月

ラジオを聞きながら終日作業
  勤めていた時代には雪囲い作業が本当にいやだった。貴重な土曜日、日曜日を使わなければならないからだ。しかも、土曜日、日曜日が晴れになるとも限らない。小雨の中で、カッパを着ての作業は惨めなものだ。

  しかし、今は違う。晴れに日を待ってすればいいのだ。雨の日は雨の日ですることがある。晴れを待って作業をすればいいのだ。小春日和の中でラジオを聞きながら作業をすればいいのだ。うっすらと汗ばむくらいで気持ちがよい。

  特に、私のように、ほとんど毎日、パソコンのディスプレイを眺めながら作業をしている者には、自然の中での作業は最高だ。目を休めるのには、外での作業が最も適しておいる。

  ところで、この雪だが、奥越前に住む者に避けられないもののひとつだ。この雪の負の面ばかりを見て暮らしているのも情けない。確かに、度を超して雪が降ると,いろんな面で私たちの生活を脅かすことになる。

  しかし、適度に降った雪は、私たちの生活を潤してくれる。特に、農家にとっては、雪解け水が農作業には不可欠だ。ちょうど、白山の雪解け水が、九頭竜川、手取川、長良川、庄川などによって福井、石川、岐阜、富山の各県の米作りや住民の生活に役立っているように。

北谷町谷のお面さん祭りの日。お面をつけ、ござ帽子(わらづくり)をかぶった雪だるまが並んでいた谷の神社。

  「沖縄に雪を降らせようとしても無理だ。私たちは、雪のデメリットばかり考えないで、雪のメリットをもっと考えるべきだと思う。」と、いろんな機会で述べてきたものだ。具体的に動いた地区もある。雪を生かしたまち作りをもっと真剣に考えるべきだろう。

  そして、何よりも、春の有り難みを感じることができるのは,雪国の人間ではなかろうか。雪の下から、新しい生命が顔を出すのを持ていると、今年もやるぞという元気がわいてくるものだ。

(日記:終日、朝から、午後5時半頃まで雪囲い作業。夜は、久々に『龍馬伝』のビデオを見た。今日は7月11日と18日の2週分を見た。龍馬が龍馬らしくなる11日放映分、イギリスやフランスなど異国が虎視眈々と日本を狙う中で国内は幕府、薩摩、長州など各藩が争っている18日放映分。まだまだ『龍馬伝』を楽しめる。何となく、今の世相とよく似ているような気がする。与党だ、野党だと言っている場合ではないように思う。龍馬の台詞「日本を洗濯する」も出てきて楽しかった。ビデオの後、『津軽じょんから節』の三味線練習。)

 
 

大雪の思いで

19 11月

38豪雪の思い出
  毎年のことながら、雪囲いのシーズンが始まった。今日は朝からとてもよい天気だ。3時頃までは、作業をすると決めた。我が家の後ろ側は,道路より低いために、雪下ろしの雪が溜まってしまう。

  2回の雪下ろしmでならどうにかこうにか、屋根から下ろすことができるが、3度目となると、捨てた雪の方が一階の屋根より高くなって、作業は非常に困難になる。雪の中から、屋根を掘り出さなければならないからだ。

  『38(昭和38年)の豪雪』は、大学2年生の時だった。寮生活をしていたが、連日、寮に電話がかかり、雪下ろしのアルバイトがあった。雪が続くにつれて,アルバイト料は跳ね上がり、大いに稼がせてもらったものだ。

  寮への行き帰りの道路は、屋根より高く、道路から屋根の上へ滑り落ちるというような状況であった。電線や街灯なども、道路より下にあった。こうした状況の中で、いろんな所へ雪下ろしのアルバイトに出かけた。

  国鉄の線路からの引き込み線除雪は、下から上へ雪を放り上げなければならず、重労働であった。本線の方は、自衛隊の皆さんが、引き込み線は、私たちアルバイトが受け持ったが、向こうの雪がこちらへ飛んでくることもあった。

  雪を見たこともあまりない沖縄出身の連中なども、屋根に上がって雪下ろしをした。当時は今と違って、スノッパーなどはなくー、「ばんば(木で作った除雪のためのしゃもじ状の道具)」一本で雪を下ろすのだ。

  屋根に積もった雪を豆腐状に切り取り、滑り落ちる勢いを利用しながら下へ放り投げるのだ。特に、屋根の中心部になると、よほどうまくばんばを扱えないと、雪が屋根の途中に引っかかってしまうのだ。

 雪下ろしの経験のある私は、楽々雪を下ろすことができたが、南国出身の者は、ばんばの扱いに手を焼いていた。それでもアルバイト先はいくらでもあった。おかげで、当時は珍しい高価なテープレコーダーを買うことができた。

冬に備えて雪囲い作業。豪雪になるとこの屋根よりも雪の方が高くなる。暖冬であることを願いながらの雪囲い作業。

  その後、56豪雪にも見舞われたが、被害は38豪雪よりも少なかったように思う。それでも、家の大屋根、小屋根(一階の屋根)、小屋の屋根、事務所の屋根の順に連日、雪下ろしをした。

  しかし、一周した頃には、また同じ順番に雪下ろしをしなければならず、本当に疲れた。車はストップしたために、家内がリュックで買い出しに行き、私は屋根の雪下ろしという日が長い間続いた。そして平成になってからも、大雪があった。

  今年はどうなるのだろうか。暖冬になってほしいと思う。最も望ましいのは、山に雪があって、平地には雪が少ないことだ。スキーなどウインタースポーツができて、雪下ろし作業が少ないことを願う。

(日記:朝から、午後3時過ぎまで雪囲い作業。晴れているのでとても気持ちがよかった。着替えて、3時半から事務所で数学のホームページ作り。高校の数学の問題を解きながらの作業である。頭の体操にはぴったりだと思っている。午後7時半より集会所で行われている『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
 

悲しい国会論戦

18 11月

レベルを上げた論戦を期待したい
  私は、ここ2ヶ月ほど、事務所で数学ホームページ作りを行っている。ほとんどの場合、ラジオかテレビ(ラジオで音声のみ)を聞きながらの作業である。ラジオの場合は、ほとんどがNHKである、

  そのために、国会論戦を聞くことが多い。しかし、今の世の中のことを考えた場合には、もう少し、内容のある論戦を期待したいと思うが、ほとんどは揚げ足取りに終始しているように思われる。

 それにしても、柳田法務大臣の地元での大臣就任祝賀会での発言は情けない、怒りを通り越してしまって悲しくなる。それは「二つの言葉を覚えれば法相はつとまる」と発言したからである。

 「個別の事案についてはお答えを控えさせていただきます。」
 「法と証拠に基づいて適切にやっております。」

 の二つだ。どのような場所であれ、この大臣がこのような発言を行うのは許されない。そういえば、ラジオやテレビでもこれまでこの言葉をかなり耳にしていた。

  今日はこの問題がかなり時間をとっていた。責める野党。総理や官房長官は防戦一方である。質問と答弁がかみ合わず、罵声が飛び交い、たびたび論戦は中断した。

  官僚主導から、政治主導と言うが、ろくに質問に答えられないにわか大臣ではいかにも心許ない。もっともっと、私たち自身が政治に関心を持ち、世の中がどうなっているのかを知る努力をしなければならないと思った。

  TPPも問題にも、国民として関心を持つ必要があると思う。近視眼的ではなく、国家的な視点で、物事を見なければならないし、しわ寄せがくる産業には、何らかの手を打たなければならないであろう。それこそ政治の出番であるのだ。

遅羽の婦人会の皆さんのために作った『三室ほがらか音頭』のCD

(日記:午前中は,数学のホームページ作り。昼近くに、歯医者へ行った。歯医者へいく時間がもったいないが仕方がない。歯は健康に直結する大切なものだ。午後、4時近くまでホームページづくり。帰宅して、遅羽の婦人会の皆さんのために盆踊りのCDを作る。「三室ほがらか音頭」他7曲入りのCDを作った。遅羽地区の皆さんは,盆踊りというとさっと来てくださる。とても感謝している。)

 
 

冬近し

17 11月

雪囲い作業開始
  今日から本格的に雪囲いを始めることにした。学校や役所へ勤めていた時代には、作業は土日の行事のないときしかできなかった。天候が悪くても作業をしないわけにはいかなかった。雨の中や雪の中で作業をしたときもあった。

昔ながらの竹組の雪囲い作業。そのうちに少しずつ、ボルト締めの雪囲いに替えていきたい。

  退職してからは、暇ではないが、自分で時間を作ることができる。晴れた日に作業をすればいいのだ。今日初めて本格的に作業を始めた。朝、「今日は午前中だけ作業をする」ことに決めた。玄関回りの雪囲いの骨組みから始めた。

  親父のいた時代には枝振りのいい樹木があったが、そのほとんどは枯れたりして今はそれらしい木は一本しかない。後は、雑木ばかりだ。それでも簡単な雪囲いはすることにしている。

午後は数学のホームページ作り
  雪囲い作業の間は、ホームページ作りは午後にすることに決めた。しかし、今のペースでは作業はいつ終わるかわからないぐらいだ。

  そこで、とにかく年末までに一部を完成させて公開したいと思っている。それにしても、数学は記号入力が困難である。

 そこで、すべてを画像処理しているが、とても時間がかかる。果たして、高校生に支持されるかどうかが問題だ。12月に入ったら、モニターの高校生を募り、意見を述べてもらいたいと思っている。

  この歳になっても、数学に関わっていられることはとてもうれしい。長年、携わってきた数学にこれからも関わっていたいと思っている。作業中、ずっと画面を見ているととても目が疲れる。

事務所への行き帰り、銀杏の黄色が目に染みる。

  それで、時々、外へ出て家庭菜園で野沢菜を選ったり、大根や蕪をとったりしている。事務所の前は、落ち葉がいっぱいだ。落ち葉を拾って腐葉土とし、家庭菜園で使いたいと思っている。

  事務所の行き帰り、まるで黄色い雪が降ったように銀杏の葉が落ちている。空の青、白い雲、そして銀杏の黄色、遠くの山々の紅葉……、冬の前の自然の彩りに心が洗われる。

 
 

越前大仏門前町の活性化

16 11月

越前大仏もんぜん市活性化委員会に参加
 午後4時より越前大仏の門前市活性化委員会に参加した。以前には私も門前町の活性化委員会に参加して様々な活動をしてきた。しかし、最近は活動を他の部分にシフトして門前町の活動に対しては以前ほど積極的ではなかった。

  それは、私のスタンスは、市による活性化というよりは、食や工芸品などの市と、郷土芸能の発表や子供達を喜ばせるイベントのバランスをとって、門前町に人が集まりたくなる仕掛けを作ることであったからだ。

今年の夏祭りで和太鼓を演奏する春駒太鼓のメンバー(白法被は私)

  例えば、今年の夏祭りでは、門前町の賑わいのために、再編成した春駒太鼓の演奏を行った。他の太鼓グループの参加して門前町の賑わいに少しは貢献したと思っている。

 また、これまで数年間、門前町を舞台に盆踊りの復活を目指したものである。もちろん野菜市の創設にも頑張った時期がある。また子供達のために、駄菓子屋やゲームコーナーを開設したこともある。

  こうした活動は市を開催する人たちとは異なり、最低限の経費が必要となる。参加者には、せめて薄謝程度は

2006年の夏祭り。盆踊りもかなりの賑わいを見せていた。

差しあげたいものである。こうした両者のバランスが必要であると今も考えている。

  最終的には、行政などの援助を受けなくても、こうした活動が両立できる仕組みを作らない限り、せいぜい年に数回のイベントの時しか賑わいを創出できない門前町、すなわち越前大仏になっていくのではなかろうか。

家の台所の出窓に取り付けた自作の雪囲い枠。これで屋根から下ろした雪を防ぐつもりだ。

(日記:午前中は数学のホームページ作り。午後、自作の雪囲い枠の設置。午後4時より越前大仏門前市活性化委員会に出席。その後、地場産業振興センターへ寄る。横浜から勝山に移り住み、まちづくりに頑張るSさんに会う。午後7時より、集会所で新作民謡『片瀬豊年ばやし』の練習に参加。)

 
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あっという間に一日終わる

15 11月

時間の経つのははやい
  昨日、息子が福井での仕事のために横浜から帰ってきた。しかし、朝、アオッサのイベント(産業支援センターがらみの仕事)で出て行ってしまった。ゆっくり話す間もなかった。そして、出張の後、そのまま帰ってしまった。

  午前中、窓の雪囲いのための枠の仕上げをした。作業中に、電気屋さんがやってきた。風呂場につける暖房器具の配線のためだ。今日から、風呂場の中で寒くなることはないと思うと、うれしい。ゆったりと風呂に入ると、疲れがとれる。

試運転してみた「電気式バス換気乾燥機(風呂場は結構暖かかった。)」

  その後、北部中学校へ出かけた。いつもは午後の選択音楽が、今日は校時変更で4限目に変更になったからだ。後期になって、新しいメンバーで再開した和太鼓だが、生徒達はリズムはかなり打てるようになった。後は、フォームだが、まだ羞恥心が捨てきれないでいるようだ。

  新年度が始まった頃は何となく気分が重かったが、今は楽しく指導ができる。ただ、3年生なので、子供達は進路のことが気になっているようだ。何とか、励ましたいものだ。受験までは、まだ4ヶ月もあるんだから、最後まで計画的に学習してほしい。

  午後は、夜のオカリナ教室の練習用CD作りを行った。ああでもない、こうでもないと編曲しているうちに、午後の時間が過ぎてしまった。午後7時頃、事務所(児童館)へ出かけた。

  今日の練習会では、全部で7曲練習した。一人でやっているよりも、複数の者で練習すると、とても楽しい。今後は、編曲をいろいろ変えて、より楽しい『オカリナ教室』にしたいものだ。数学のホームページ作りは全くできなかった。明日こそ、朝からホームページ作りを頑張りたい。時間の経つのは本当にはやい。

 
 

公民館祭で『片瀬豊年ばやし』発表

14 11月

練習の成果を発表
  今日は我が“猪野瀬地区”の公民館祭。私の集落「片瀬」は総勢14名で『片瀬豊年ばやし』を発表した。秋祭りには、CDで銭太鼓と女踊りを踊ったが、今回は、歌も生で披露した。先週までは、全員がそろうことは一度もなく、本番ではどうなるのかと心配したが、今週になって一生懸命練習したために、みんなかなり上達した。

猪野瀬公民館祭で『片瀬豊年ばやし』を発表。私は締め太鼓、妻は歌で参加。

  私は、午前中、本番用のCDを新たに作った。そして、公民館の音響設備が悪いので、自宅にあったカラオケ用のマイクとスピーカーを公民館へ運んだ。午前11時に地区の集会所へ集まって、最後の練習。そして、公民館へ出かけて衣装を着け、午後12時半に本番がスタートした。

   24歳のN君が参加してくれたのはとてもうれしかった。多少のミスはあったが、まあまあのできだった。ここ1ヶ月ほど、週2回のペースで練習した甲斐があった。それぞれがそれなりの満足感を得られたのではなかろうか。

  プログラムの最後には、家内達のグループ「さわらび会(食生活改善推進員)も、私の作った『勝山よいとこ』と『勝ち山ほがらか音頭』を踊ってくれた。特に、『勝ち山ほがらか音頭』は、紅白で鈴のついた飾りバチを持ったグループと黄色と赤に塗り分けられた鍋ぶたを持ったグループに分かれて踊った。

  私の作った歌が、踊り付きで3曲も披露してもらえたことには感謝したい。歌は、みんなに愛されて初めて生きてくるものだ。今後も、一方では、地域に愛される歌を作っていきたい。

家内の所属する食生活改善推進員(さわらび会)の『勝ち山ほがらか音頭』の発表。

 
(日記:午前中、公民館祭のCDづくり。午前11時から公民館祭の練習と本番。公民館祭で他地区の演し物を見る。その後、1時間ほど数学のホームページを作る。午後4時より丸岡と春江の外人女性が和太鼓の練習のために、事務所へやってくる。午後6時より公民館祭の反省会。一日があっという間に過ぎてしまった。)

『片瀬豊年ばやし』のおかげで、異色の顔合わせで楽しい酒を飲むことができた。

 
 

今日は孫の守りデー

13 11月

結婚式場界隈で子守り

結婚式場周辺で子守り

  今日は娘の夫の兄の結婚式だ。娘には1歳と2歳の二人の子供(男児)がいるが、二人とも親族紹介や記念写真、そして披露宴(短時間)に出席させたいという。

  福井の結婚式場で、次男を預かったり、渡したりしながら、家内と二人で子守りをした。そして、披露宴の途中からは、次男を預かり、娘の家へ連れて行き、そこで子守りをした。

  4人の孫がいるが、こちらが手を差し出したときに、手を出してくれるととても可愛い。だっこのできる時期はそんなに長くはない。大きくなると、重くて、大変だからだ。

娘の自宅で子守り

  しかし、子供達にはこれからの長い人生いろんなことがあると思う。楽しみも苦労も続くだろう。孫達が、小学生、中学生と進むと高校進学があり、さらに大学進学があるだろう。

  大学を卒業すれば、就職が待ち受けている。そして、人生の伴侶を決める大切な結婚へと続く。いずれも、人生の節目となる大事な時期だ。

  しかし、それらがある時期は、大変ではあるが大きな喜びを感じることができる時期でもある。子供達には、焦らず、日々の小さな出来事にも喜びを感じられるような生活をしてほしいと思う。

  忙中閑ありと言おうか、結婚式場周辺を1歳の孫を乳母車に乗せてのんびり散歩したが、気持ちのよいものだと思った。娘夫婦の役に立っているであろうし、我々夫婦も楽しい。

  午後8時過ぎに、帰路についた。孫(次男)とは約半日一緒に過ごすことができた。忙しい毎日が続いていたが、今日はのんびりと過ごすことができた。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後福井で娘の次男(1歳)の子守り。)

 
 

公民館でリハーサル

12 11月

全員そろってリハーサル
  いよいよ明後日は、私たち猪野瀬地区の公民館祭だ。私たち片瀬は、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を発表することになっている。今日は、午後7時頃から集会所で練習して、公民館へ出かけた。

  そして、公民館の舞台で何度か練習した。ここ1月ほどの間で全員がそろったのは今日が初めてだ。銭太鼓に限って言えば、初心者が7名中4名だ、そのうちの一人は24歳の若者だあるのがうれしい。

猪野瀬公民館でのリハーサル。全員そろっての練習は初めてだった。

  銀行員、県庁職員、会社員、専業農業、警察官など様々だ。私のよう名退職者も混じっている。いろんな層の人がいて、一つのことをするのは意義のあることだ。新しく村へ入ってきた人もいる。話したこともない人と今では話す機会が増えた。

  女踊りは4名中1人が初心者、歌は、二人とも今回が初舞台だ。それぞれ、仕事が忙しくてなかなかそろって練習できないが、それでも、練習しようという気持ちがうれしい。

  今後、衣装を考えて地域独特の郷土芸能にしたい。歌は、『片瀬豊年ばやし』を中心に、銭太鼓バージョン、餅つきバージョン、お笑いバージョンなど、いろんな踊りを考えたいと思う。

  今後も出番はあるが、問題は若い者が練習に加わってくれるかだ。村の郷土芸能として残っていくかどうかは、年長者の取り組みにかかっていると思う。自分もやってみたいと次の世代が思わなければ、廃れていくだろう。

(日記:午前中は、雪囲い作り。午後は、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。夜は、公民館祭の練習のために、猪野瀬公民館へ行く。午後、風呂場に暖房をつけてもらった。若い頃には考えもしなかったことだが、転ばぬ先の杖的な考えでつけることにしたのだ。夏場はいいだろうが、厳寒期には威力を発揮して区fれることを期待している。)

 
 

雪囲い作り

11 11月

廃材利用で雪囲い作り
  今日は、朝から雪囲いをすると決めた。これまで、自力で組み立て式の車庫を作ったことがあった。しかし、1台用だったので、組み立て手あった車庫をばらした。その廃材が長い間保管してあった。

私は、工作好きだ。和太鼓のための台や車庫、自転車小屋、棚、テレビ台などいろんなものを作ってきた。電動のノコギリ、ドリル、カンナなどを使って、いろんなモノを作るのは本当に楽しい。

廃材を使っての雪囲い用パネル作り。

  今日は、車庫の廃材を使って、組み立て式の雪囲いを作ることに決めた。幅広い木材を二つに割ってビスでとめ、柱とし、そこに、木枠に透明の波板を貼ったパネルを作り、ボルトで留める予定だ。

 例によって、ラジオを聞きながらの作業だった。今日11月11日は介護の日らしい。ラジオでは、介護の特集をやっていた。人ごとではないと思った。

  作業は、時間ばかりかかってあまり進まなかった。午前9時頃から午後5半まで雪囲いを続けた。しかし、予定の半分も作業は進まなかった。この調子では、明日も雪囲い作りだ。

(日記:午前、午後とも雪囲い作り。午後7時半より日曜日に開催される公民館祭の練習。)