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Archive for 11月, 2010

与党と野党の立場

10 11月

ラジオ・テレビを聞きながら
  今日は寒い一日だった。雪囲いをしように雨が降っているので、一日ホームページ作りをすることにした。NHkの「ラジオビタミン」を聞きながらの作業か、民放のスーパーモーニングなどを聞きながらの作業が多い。

 今日は、NHKのラジオもテレビも、予定の番組を変更して、緊急に『衆議院予算委員会』の集中審議を放送していた。

  今日は、中国漁船の領海侵犯の映像を動画サイト「ユーチューブ」に流出させた43歳の海上保安官が上司に打ち明けたこともあり、この問題を大きく取り上げていた。

 ところで、どこに映像が保管されていたのか、どうして神戸の漫画喫茶店でユーチューブにアップできたのか、いろんな疑問がわいてくる。

  特に野党の代表者の舌鋒は鋭かった。野党だった民主党は、これまでは与党であった自民党を攻めていればよかったのだ。相手の弱点や非を責めていればよかったのだ。

  しかし、攻守逆転した。外野席で聞いていおる私には、どちらもどちらだという感が強かった。与党は、自分たちの考えを表明することなく、もっぱら責めまくっていた。

  また、与党民主党は、もっぱら逃げまくっているような答弁も多かった。与党としては、時には答えられない政治的な問題もあろうが、野党はお構いなしである。

  この国難の時に、相手を非難するだけではなく、力を合わせて打開策を考えるべきではなかろうか。あまりの言葉の汚さに、委員長が何度もたしなめていた。

 「自分ならどうするか」という当事者意識のないまま攻め続け、また逃げまくっているだけでは、外国から日本の政治レベルは低く見られるだろう。これでは、国土を守ることは困難になるだろう。これは、国政でなくても、「自分ならこうする」というはっきりとした意見を持って生活していたいものである。

  与党だ、野党だと言っている場合ではない、以前にも書いたが、“オールジャパン”でこの難局を乗り切ってもらいたい。
歌謡浪曲『龍馬』のジャケット(自作の歌)
  「出でよ!平成の龍馬!」

 おそらく、今のような国としてまとまりのないばらばらとした状況にやがて鉄槌が下されるであろう。政界再編課、与野党逆転が起こるであろう。

下の歌が聴けます。

http://song.inakamon.net/s_ryouma_uta.html

幕末青春記 『坂本龍馬』       
                        作詞/作曲/編曲 いなか もん
                        歌  唱         旭 義明
一、土佐の城下は 俺には狭い
  人に上下は あってはならぬ
  剣に命を かけてはみたが
  古い日本は 変えられぬ
  姉貴 見てくれ
  俺はやる この国を 洗濯する

  後はまかせて 俺は行く
  明日は 乗り出す
  船の上 波の上 夢を求め

二、藩と藩とが 争う時期(とき)か
  お家大事は わかりもするが
  周り見渡せ 虎視眈々と
  迫る異国が 見えぬのか
  俺は 守るぞ
  父母の国 きみの国 命かけて

三、狭い了見 かなぐり捨てて
  恨み乗り越え 手を取る時だ 
  国をまとめて 一つにしたら

(日記:雨のため、終日、数学のホームページ作り。夜は、久々に歌作り。)

 
 

旧友来る

09 11月

創作仲間
  今日の午後、今から40数年前の昭和42年度、43年度の2年間、平泉寺小中学校(併設)で、教員として共に過ごした先輩のWさんが、私の事務所へ遊びに来た。

    平泉寺勤務時代には、本当には楽しく過ごすことができた。Wさんは、陸上部の顧問をしながら詩を書いたりしていた。スポーツマンであり、文学青年でもあった。

私の部屋へやってきていろんな話を聞かせてくれたWさん。二人で歌を作りたい。

  私は数学の教員だったが、小さな学校だったので、音楽も担当した。大学時代にバンドでドラムをやっていたという経験があったからだ。Mさんも専門の国語以外に他の教科を担当していた。

  あるとき、二人で平泉寺を題材にした歌を作った。タイトルは『森のある町』であった。この歌は、合唱曲に編曲して市の連合音楽会に生徒達に歌ってもらった。いい思い出だ。

  40数年の間に、短時間ではあるが2、3度会ったことがあった。しかし、話し込むことはなかった。今日は、Wさんは、自作の詩を持って、午後1時に私の事務所へやって来た。そして、約4時間いろんなことを話し合った。

  これまで、短編小説や詩のいくつかを読ませていただいたが、とてもすばらしい作品だった。そのいくつかは、映画にしてみたいぐらいだった。映像が浮かんでくるのだ。私の能力では、とても映画は作れないが、作ってみたいと思わせるぐらい魅力のある小説だった。

  とても、楽しかった。 なぜ、楽しかったのか、それは「ムカシ君」にならなかったからだ。昔話は、ほとんどしなかった。Wさんは、今も毎日、小説や詩を書いている。今を生きているので、今の話ができる。それがとても楽しいのだ。

  今日出会って、二人で約束したことがある。それは、二人で歌を作るということだ。創作活動や歌作りについて時々インターネットを見ながら話した。創作意欲がむらむらとわいてきた。

  日々の忙しさの中に、歌作りを組み込みたいと思う。あれこれしたいことがあり過ぎて、時間が足りない。しかし、W産と一緒にぜひとも、何か歌を作りたいと思う気持ちが強くなった一日だった。本当に楽しかった。

(日記:午前中、久々に数学のホームページ作り。午後、旧友Wさんがやってきて旧交を温めた。午後7時から、文化祭のために『片瀬豊年ばやし』練習。)

 
 

『オカリナ教室』開講

08 11月

新品のオカリナを持参して
  知り合いに頼まれてオカリナ教室を始めることになった。と言っても、私はオカリナが上手なわけではない。少しかじったことがあるくらいでまだまだだ。それでも、引き受けたのは、音楽が好きな皆さんと一緒に練習することができるからだ。楽しい時間を持つことができるからだ。

  今日集まったのは、私の家内を含めて7人。今日都合の悪かった人もいるので、もう少し増えるだろう。午前中、昨夜に続いてオカリナの伴奏のためのCD作りを行った。オカリナは素朴な楽器だ。でも、いい音を出すのは簡単ではない。また、オカリナだけを吹いていたのでは、物足りない。やははり軽快な伴奏がほしい。

第1回目のオカリナ教室。雀の学校ではないが、♪誰が生徒か先生か~♪♪。(於:山児童館)

  午後7時半から練習が始まった。 最初に低音部練習のために、『荒城の月』を練習した。普通の“ドレミファソラシド”だけは簡単だが、これより下方の“ドシラ”は、一つの指で二つの穴を押さえるために、音が濁るから難しい。全くの初心者もいたがそれぞれにそれなりの音を出していたようだ。

     次に、高音部の練習をするために、“聖夜(きよしこの夜)”を練習した。高音の“ドレミファ”はかなり難しい。特に、一番高い“ファ”はすべての穴を開放するために、オカリナを支える指がない。穴と無関係なところを持っていなければならない。これが難しい。

  最後に、ヘ長調の練習をした。クリスマスも近いので、ジングルベルを練習した。この曲で、“シ”の半音低い音(フラットのシ)を出すのは初心者には難しい。へ長調のジングルベルなので、何度かこの音が出てきた。

  それぞれ3曲を昨日から今日にかけて作ったカラオケに乗せて練習した。私は、楽しく練習することができた。参加した皆さんはどうだろうか。

  次回は楽しい編曲でクリスマスソングを完成させたい。ただ単純にメロディーを奏でるだけでは寂しい。いかに、ハーモニーを作る出すか。私自身は、オカリナはうまくないが、編曲を考えて楽しいオカリナ教室にしたいものだ。

(日記:午前中はオカリナ練習のためのCD作り。午後は、北部中学校で和太鼓の授業。この頃、和太鼓の練習がとても楽しい。一週間に一度の練習だが、生徒達歯確実に上達している。練習中笑い声も絶えない。楽しいことが一番だ。その後、歯医者へ行く。夜は、「オカリナ教室」に参加。楽しい一日だった。しかし、数学のホームページ作りができなかったのが心残り。)

 
 

密度の濃い一日

07 11月

風呂場の塗装で一日が始まる
  休みであるが、平常通り起床。朝一の仕事は、風呂場の天井のペンキ塗り。昨日にスプレー一缶を買っておいた。しかし、風呂場の天井に広さから考えると4缶は必要だ。作業を始めて気がついた。  

  家内にスプレー缶を買いに行ってもらったが、同じ色は一缶しか売っていないという。そこで、最初に塗った缶とよく似た色を改めて3缶買って塗った。と言っても、スプレーで天井を塗るのは簡単ではない。余計な部分が汚れないようにビニールで覆って作業をしたが、顔も手も汚れてしまった。  

まるで泥棒のような格好で風呂場の天井のペンキ塗りをする私。

  歳をとると、風呂場の寒さはこたえる。根性で乗り切れても、風呂場では何が起こるかわからない。冬の寒暖の差の激しさに身体がついていかない可能性がある。風呂場が年配者には非常に危険な場所だそうだ。転ばぬ先の杖で、思い切って風呂場に暖房をつけることに決めた。  

  天井をきれいにしたのはそのためだ。プロに頼むほどのことでもないと思って作業を始めたが、何度もホームセンターへ走る羽目になった。それでもどうにか、午前中いっぱいで作業を終えることができた。  

「JA祭り」を見るために大野市へ
  大野市で行われているJA祭りを見るために家内と二人で出かけた。展示品を見たり、買い物をしたりした。南高校の生徒達がファッションショウをやっていた。若い子はいいなあと思った。いろんな人と出会った。  

  米の低温貯蔵庫を買いたいと思っている。3社が出品していた。近々どれかを買いたい。結構高価だが、美味しい米を一年中食べたいものだ。

大野市で行われたJAまつり

   帰りがけに、100万ボルトへ寄って帰った。以前に買ったハイビジョンテレビを買い替えたいと思っているが、そんなに必要性は感じていないので、今日まで、のびのびになっている。私は、テレビは見るより聞くことの方が多いので、大きさはあまり問題ではない。  

家庭菜園作業の最終コース
  来年のためにエンドウを植えたいと思っている。今日は天気もよかったので、畑を耕し、マルチをするところまで作業を進めた。ニンニクも作ってみたいと思っている。これも、作業の途中でガソリンがなくなってしまって、家内に買ってきてもらった。  

 我ながら、段取りが悪いと思っている。私はエンドウが大好きだ。茹でて塩を振り思いっきり食べてみたいものだ。買うと結構高価だ。多少は親戚からもらうが、何度も楽しむほどではない。ニンニクもそうだが、今のうちから準備をしないといけない。家庭菜園をしていると、季節の変化がよくわかる。 

日本シリーズを聞きながら編曲作業
  知り合いから頼まれて、明日から「オカリナ教室」開講だ。明日練習する曲のCDを作りたい。それには編曲作業をしなければならない。日本シリーズを見ながら、編曲作業を進めた。アナウンサーの声が大きくなったときだけ、画面を見るが後は、テレビを聞きながらの作業であった。 

  低音域の練習のために「荒城の月」を、高音域の練習のために「きよしこの夜(聖夜)」を、ヘ長調の練習のために「ジングルベル」を練習したいと思っている。明日、どんな人が集まってくるのかわかっていない。しかし、10人くらいにはなりそうだ。楽しい「オカリナ教室」にしたいと思っている。 

  日本シリーズはロッテが勝った。編曲作業を途中でやめて、ブログを書いている、いつもブログを書くために1時ほど使っている。ぼけ防止だと思って、毎日欠かさずに書いている。 

 今日は密度の濃い一日であった。疲れた一日でもあった。あまりの忙しさに、数学のホームページは全く手をけることができなかった。明日からまたボチボチと始めたい。

 
 

さつき苑の文化祭に参加

06 11月

はるかなる道
  今日はさつき苑の文化祭だ。地元の介護施設でもあるのでボランティアとして舞台に出演させていただくことになった。先ず、午前中は、家内(歌の一人)の着る早乙女姿の衣装の一つである前掛けに文字を入れた。

  “かたせ”と“豊年ばやし”と片瀬のキャッチフレーズである“芋とショウガとうまい米”と文字を入れた。マジックインキで書いたので、3時間近く時間がかかった。

  その後、1曲だけ入っているCDを作った。2時に集会所へ集まり、全員が、衣装を着けて一度だけリハーサルを行い『さつき苑』へ向かった。控え室で少し休んで本番のステージへ向かった。

少人数で介護施設「さつき苑」の文化祭にボランティア参加し『片瀬豊年ばやし』を演じる。(左から銭太鼓=男3人、締太鼓=私、歌=男女各1人)

  歌を生で入れてのステージは初めてであったことと、女性の踊り手がそれぞれ仕事のために出演できないので、女性の踊り手がいなかったこともあってか、実力を十分に発揮できなかった。

  私は締太鼓をたたいたが、いまいち乗れなかった。来週の公民館祭では、もっと多くのメンバーで盛り上げたいものだと思った。この『片瀬豊年ばやし』を郷土芸能にするにはまだまだだと思った。

  しかし、この歌を使って、いろんなバージョンが考えられると思っっている。風の盆のおわら踊りも、歌は「越中おわら節」ただ1曲だが、詞は数えられないくらいあり、踊りも豊年踊りなどいくつかのバージョンがあるのだ。

  『片瀬豊年ばやし』も、餅つきバージョンやお笑いバージョン、農作業バージョンなどが考えられると思っている。数年後も、この芸能が私の地区に残るかは、私たちの取り組みにかかっていると思っている。

  今後も、若い人たちに伝えていきたいと考えている。それには、私たち、年配者が魅力ある芸能としてこれからも演じていけるかどうかにかかっている。道は遠いが楽しみながら、頑張って生きたいと考えている今日この頃である。

(日記:午前中は、午後の文化祭参加のための準備。午後、3時より介護施設「さつき苑」で片瀬豊年ばやしを演じる。その後、事務所で次週の文化祭のための衣装準備をする。夕方、数学のホームページ作り。日本シリーズを見ながらこのブログを書いている。)

 
 

『片瀬豊年ばやし』はどこへ

05 11月

公民館祭を目指して 
  来週のに日曜日は猪野瀬地区の公民館祭があるのだ。この日の芸能発表のために今日も練習があった。昨今は車社会のために、こうした練習会でもなかったら、村の人たちと会話をする時間はほとんどない。

 今は、各種団体と言うよりも、各種団体の有志によって練習を進めている。練習の参加者は、様々である。男性は、歌を歌う者、銭太鼓のバチを振る者、締太鼓をたたく者、そして、女性は、歌を歌う者、早乙女姿で踊る者などである。

  今は、週二回練習に励んでいる。9月の村の秋祭りに初めて『片瀬豊年ばやし』による銭太鼓を披露して新しい仲間もできた。今後の出番は、『猪野瀬公民館祭』と村の『収穫祭』である。

  明日は、地区にある福祉施設『さつき苑』の文化祭であるが、これにも、一部の者が出演することになっている。明日は種々の行事があり、メンバーが少なくて迫力はないが、入所者に少しでも喜んでいただければと思っている。

我が家の家庭菜園の隅っこで今年初めて実ったイチジク。かなり食べることができたが、今もたくさんの実がついている。寒くなったので実らずに終わるかもしれない。

  今年、社会人になったばかりの者も練習を始めている。新しく村には行って来た人も練習に参加してしている。歌の練習を始めている者もいる。先ずは、片瀬の郷土芸能になるまでは、有志だけで頑張ろうとしている。

  村からの補助を受けないで活動していきたいと考えている。次の世代の者が、自分たちもやりたいと思うまで、私たちの年配の者が頑張るつもりでいる。

  『片瀬豊年ばやし』が今後どのように張ってしていくかはわからない。しかし、歌を歌う者、楽器を演奏する者、銭太鼓を舞う者、踊る者、いろんな人たちが出てくることを期待している。

(日記:午前中は数学のホームページ作り。午後3時まで延長。午後3時より、今晩の練習の振り付け用紙やテンポを変えた『片瀬豊年ばやし』のCD作り。午後7時半より集会所で『片瀬豊年ばやし』の練習。ビデオに撮って各自が動きをチェック。)

 
 

坂本龍馬デー……武生菊人形

04 11月

武生菊人形で龍馬と出会う!
  私は坂本龍馬が大好きだ。土佐藩の下級武士が、脱藩し、近代日本を開く原動力になったところがすばらしい。自分の国(土佐)では、殿様への目通りもかなわない下級武士でありながら、福井の松平春嶽公など当時の上層階級から下層階級まで様々な人たちと交流を深め、日本の危機を救った人物としてその人気は今も衰えていない。  特に、今年はNHK大河ドラマで『龍馬伝』が放映中であり、高知をはじめとする四国、九州でも、龍馬に関わるイベントが盛んに開催されている。私も、退職直後の4月に家内と九州、四国を車で回りながら、龍馬の足跡をたどったりもした。

  また、恥ずかしながら、生まれて初めて歌謡浪曲に挑戦し、『幕末青春日記-龍馬』なる歌も作ったりした。これも、龍馬好きの私としては、是非ともやってみたいアクションの一つだった。

『第8景 維新への回想~龍馬と三岡八郎(由利公正』の場面の前で

  福井でいくつかの用事があったこともあって、思い切って「たけふ菊人形」も見に行くことにした。一番見たかったのは、OSK日本歌劇団のグランドレビューショウだ。

   この中で、坂本龍馬のショウがあったからだ。主役の坂本龍馬を“桜花昇ぼるさんが演じていた。戦いの場面などもうまく表現されていた。

   劇中に使われる音楽のボリュームはかなりのものであった。腹に響く重低音が終始会場に響き渡り、戦闘シーンの大砲などの音、殺陣のシーンでの剣と剣が打ち合った時の音など迫力満点であった。

   ショウにおける音楽の使われ方が、興味深く、参考になる部分が多かった。特に低音部分の迫力は是非見習いたいと思う。

   そして、いつの日にかミュージカル『平泉寺物語』を書いてみたいなあという漠然とした夢が再び頭の中に浮かんできた。しかし、これは簡単なことではないと思う。

   その後、昼食の後、『菊人形館』を見学したが、龍馬の生涯が菊人形で表現されていた。特に、龍馬の活躍を支えた越前の人たちとの関わりを表す場面もあった。 

『たけふ菊人形』のチケット(チケットの写真は龍馬役の桜花昇ぼるさん)

  今年の菊人形は龍馬が主役であった。 一年中、龍馬ブームが続いているようだ。私にとっては
来年以降が寂しくならないか心配である。  最後に、様々の種類の菊が咲き誇る会場を見て回った。同時開催されていた『北陸三県菊花コンクール』で勝山菊友会のT氏の「国華金山」が上位入賞していた。

  天候に恵まれ、龍馬とも会えて充実した一日だった。平日のためゆったりと会場を見学することができた。入場者の多くは、高齢者であった。

(日記:『たけふ菊人形』を見に行く。その後、福井市内でいくつかの用事をした。また、楽器屋へ寄ってオカリナの本を2冊買った。)

勝山菊友会のT氏の国華金山(1本の幹から7本が枝分かれし、それぞれに見事な大輪の花が咲いていた。)

 
 

無縁社会の到来

03 11月

なるべくしてなった社会
  最近、ラジオやテレビで「無縁社会」という言葉をよく聞く。かつてはこんな言葉を聞くことはほとんどなかった。今はいつでもこの言葉を聞くことができる。

  家族からも地域からも職場からも孤立した人が増えているそうだ。その結果、人生の終末期を誰からも見守られることなくなくなる人が増えていることが問題になっている。

  私は、人生に“いいとこどり”はないと思っている。便利のよいモノの裏には不便や害のあるモノが多い。どんなに都合のよいモノにも不都合な部分があると思っている。

  パソコンや携帯を考えても、明らかに両面はあると思っている。有用性を強調する人が少なくないが、直接・間接的に我々を蝕んでいる部分は少なくないと思う。使い方に気をつけなければならないと思う。

  最近は必要以上に、個人情報の管理を問題にしているように思う。学校では子供達の緊急連絡網さえうまく作れない状況にある。やがては、それぞれの家から表札が消えるのではないかと私は考えている。

  マンションやアパートでは、すでに表札のない家庭がほとんどである。隣人と干渉しあわない生活は楽かもしれないが、挨拶さえ交わさない隣人同士というのもどうかと思う。これでは、いざというときには助けを求めることは困難になるであろう。

  世の中の景気が悪化しているために、好むと好まざるにかかわらず、家族の生活を維持するために身を粉にして働かなければならない人も少なくない。

妻が友人からいただいたサボテン(?)が玄関先で白い花を咲かせています。何という名前でしょうか?

 そのために、子供達を保育・教育施設に預けなければならない。問題は、子供を育てることは、本来保護者が一番先に考えなければならないはずだが、これが後回しになっている場合も少なくない。子どもをみる時間の長短ではないと思う。

  問題は、自分の楽しみのために子供達の養育を後回しにしているような保護者が最近増えているということだ。

  その延長として、親の身体が不自由になったら安易に施設へ預けるなどして、少しでも多くの自由な時間を確保しようとする人も少なくないという。

  また、子供の遊び方にも変化が起きている。友達同士で交わらなくても、自分一人で楽しく時間を過ごせると感じている子供が増えているようだ。

 さらに、子供達が子供だけで過ごす時間が激減している。常に大人が介在して放課後の時間を過ごしているように思われる。塾、スポーツ活動、児童館等の施設での活動、子供会活動など、大人の“指導”という名の関わりの中で放課後の時間のほとんどを過ごしている。

  子供同士が、競い合い、協力し合い、時には身体をぶつけ合いながら、折り合いをつけ、生きる術を獲得するといった活動は激減している。

  コミュニケーションをはかる機会が激減しているともいえよう。車社会や情報化社会がこれらに拍車をかけているように思われる。過剰なモノもこれらに追い打ちをかけている。

  その結果、家族や地域とのつながりが希薄になり、人と人とが交わる機会が少なくなっているようだ。経済活動が優先され、少しでも多くのモノを手に入れることが豊かさであるような勘違いしている人が増えているのではないか。

  いずれにしても、自分が高齢者になり、身体が不自由になったらどうどうなるだろうか。子供達から同じような扱いを受けることは自然な成り行きではなかろうか。

   チリの落盤事故では、「過酷な条件の中でごくわずかな食料を分け合っていたときには、争いは起きなかった。しかし、モノが地下へ届くようになってから、争いが起こり始めた」と生還者がテレビで発言していた。今も心に残っている。

  今更、昔の生活に戻ることはできないが、昔の生活から学び、それらを今風にアレンジして「無縁社会」という言葉が死語になることを期待したい。今こそ、知恵の働かせどころだと思っている。

(日記:午前中は、数学のホームページ作り。午後も3時までは継続。その後、家の内外の清掃や整理整頓。)

 
 

今年もあと二月

02 11月

あと二月しか
    いよいよ11月が始まった。今年中にやっておきたいこと、やらなければならないことなどいろいろある。特に、雪囲いや年賀状書きや、大掃除など毎年やらねばならないことがたくさんある。

  やっておきたいこととしては、先ず第一に、『数学のホームぺージを公開すること』がある。連日5時間ずつホームページ作りを行っているが、遅々として進まない。作りながら考え、考えながら作っているからだ。

  完成までには、数年かかるかもしれない。そこで、部分的に公開しながら制作を進めたいと思っている。そして、今年中に一部でも公開したいと思うが、あと二月しかないので苦しい。

  高校で、数学の苦手な者が苦労する数学ⅡBの『数列』の章だけでも公開したいと毎日頑張っているが、時々自問自答することがある。こんなホームページを作って誰かの役に立つのだろうかと不安が頭をよぎる。

  11月中には、未完成であっても、誰か高校生に見てもらいたいと思っている。そして、どこがわかりにくいのかを教えてもらいたいと思っている。感想を聞きたいと思っている。

  映像編集もある程度マスターしたい。簡単なアニメも作ってみたい。ホームページ作りの能力もアップしたい。いずれも新しいソフトを持っているのに、時間と能力がないので何とかしたい。

猪野瀬公民館祭に向けて新しい村の民謡『片瀬豊年ばやし』の練習(於:村の集会所)

  このほかにも、歌を2曲作りたいと思っている。一つは“津軽演歌”、もう一つは“民謡隊ひらり”の主題歌である。小説もどきや童話もある。紙芝居も作りたい。村の郷土芸能も完成させたい。

  あれこれ考えていると、あと二月しかないと思ってしまう。しかし、多くは自分の設定している完成目標日であって、特別に締め切り日があるわけではない。これが退職者の強みだ。

  超多忙だが切羽詰まってはいないので、夜はのんびり過ごすことにしている。それにしても月日の経つのは早いものである。明日からも、一歩一歩自分の決めた目標に向かって進みたい。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後も、4時近くまで作業継続。午後4時より津軽三味線の個人レッスン。午後7時半より、公民館祭の練習。)

 
 

求める人を拒まず

01 11月

オカリナ教室
  先週、知り合いから「オカリナについて話があるんですけどお伺いしてもよろしいでしょうか?」と電話が入った。電話の様子から、オカリナを始めたいいと考えているようだった。

  今日、午後7時半から、3人が私の事務所へやって来た。オカリナ体験教室へ行って、オカリナの魅力に惹かれたらしい。その教室で3人とも、楽器を買ってしまったらしい。偶然、私が持っている会社のものと同じオカリナだ。

  ということは、指使い(運指)が同じということだ。一緒に練習できるかもしれないと思った。彼女たちはオカリナを始めたいということだった。教えられると言うほどのものではないが、彼女たちの要求を受け入れることにした。

「オカリナ教室」の相談に来た3人の女性と早速オカリナの練習。(於:山児童館事務所)

  私も自己流でオカリナをかじった時期があるので、どこが難しいかある程度はわかっているつもりだ。早速、彼女たちと練習してみた。彼女たちも私が思っているよりは上手だ。

  引き受けることにした。私はオカリナができるから引き受けたのではない。引き受けることによって、練習せざるを得ない状況に自分を追い込むことができるからだ。それによって、自分も上達できると思うからだ。

親は子によって親となり、教員は児童・生徒によって教員に
   私たちは大人になることはできても親になることは簡単ではない。子供ができれば親になれるのではない。子供によって、親として育ててもらうのだ。

  教員も、教員免許を持っているから教員になれるのではないし、採用試験に合格したから教員になれるのでもない。児童生徒に鍛えられてようやく教員になれるのだ。新米の頃から「先生、先生」と呼ばれて、勘違いしている者は少なくない。

  同じように、オカリナについても同様だと思う。オカリナを練習してみたいという人と一緒に練習して初めて自分も上達できるのだ。そんなわけで、来週から私の事務所でオカリナ練習会を始めることにした。

  そして、最初に練習する曲目を決めた。クリスマスソングだ。12月25日の図書館でのクリスマス会に発表することを目標に、とりあえず毎週月曜日の午後7時半から練習することに決めた。

  私は、それまでに楽譜を用意し、練習用のカラオケを作りたいと思っている。楽しく、そして、上達の喜びを味わえるように「オカリナ教室」を始めたい。朝考えもしなかったことを夜には決めている自分がいる。一寸先は闇か!?

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、北部中学校で和太鼓指導。その後、ホームページ作りを再開。午後7時半より「オカリナ教室」について話し合い、簡単な練習をする。)