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Archive for 4月, 2011

博多で再会

30 4月

住めば都
  午前9時過ぎに熊本のホテルを出て、路面電車で熊本駅へ。路面電車は昨日に続いて今日も無料で乗り放題。その後、九州新幹線で博多へ。 

博多駅ビル「JR HAKATA CITY」の撮影ポイントで記念写真。

 

  博多駅で、福岡に住む私の妹とその長女と待ち合わせる。かつて、妹の家族は勝山に住んでいたが、夫の転勤と共に福岡へ移住。その後、勝山の自宅を売却して福岡へ移住。 

  家内の姉は熊本に、私の妹は福岡に。どちらも九州には縁があり、私たちは九州には親しみを感じる。博多駅で、コインロッカーに荷物を預けて、駅ビル「JR HAKATA CITY」を見て回る。 

  この「JR HAKATA CITY」は、10階建ての駅ビルで、九州新幹線全線開通にあわせて今春完成したという。ゴールデンウイークとあって、多くの人でごった返していた。 

  屋上は公園になっていて、ミニSLが子供を乗せて走り、小さな神社が作られていてその門前には小さな仲 

駅前のイベントに来ていた坂本龍馬のキャラクターと記念写真。

 

店もできていた。ミニSLノ切符売り場には、親子連れが長蛇の列を作っていた。 

  屋上を見学した後、喫茶店でお茶をしてから、店内を見て回った。3つの階を使って「トーキューハンズ」が種々の品物を販売していた。私も、絵を書くためのカラーペンのセットを買った。 

  その後、地下鉄で福岡空港へ移動した。そして、滑走路が見える和食の店へ入り、4人で少し遅めの昼食。絶えず、飛行機が離発着していた。コーヒーを飲みながら、2時間近く、積もる話をして時間を過ごした。 

福岡空港から小松まで私たちを運んでくれた全日空機(於:小松空港)

 

  住めば都。それぞれが、自分の長く住んだところが故郷なんだろうと思った。妹の家族も、完全に九州の人間になっているようだ。 

  新幹線の中から大きいまち、小さいまち、いろんなまちが見える。飛行機からも山の中の村や町、海辺の町、……、いろんなまちが見える。それぞれが現在住んでところに愛着を感じているのだろう。 

  今回の東日本大震災で被災して、他府県似避難している人たちの多くも、生まれたまちで暮らしたいという願いを持っているようだ。

  しかし、現実には地方か過疎化し、人口の都会への流出は止まらないようだ。若い人たちの田舎離れは進んでいるようだ。

  4時に、妹たちと別れた。そして、午後5時5分の小松行きのANA機に乗った。1時間と少しで小松空港へ着いた。その後、駐車場に止めておいた自家用車で帰宅。充実した2泊3日であった。 

(日記:午前中、ホテルを出て九州新幹線で博多へ。妹とその長女と待ち合わせ、駅ビル「JR HAKATA CITY」を見学。その後、福岡空港へ移動して、遅めの昼食。飛行機で小松空港へ。そして、自家用車で帰宅。家には、東京から帰省した次女が待っていた。)

 
 

熊本で結婚式に参加

29 4月

心暖まる結婚式
  ホテルを9時頃出て、路面電車で結婚式場である熊本駅前の「ホテルニューオータニ熊本」へ向かった。今日と明日は10時半から写真撮影、11時から神前で結婚式。

新郎新婦といっしょに記念写真を撮った。

  12時から結婚式が行われた。参加者は140名だった。新郎は、会社員で家内の姉の次男で旧・牛深市(現・天草市)、新婦は保育園の保母さんで熊本市出身。

  新郎、新婦の職場からはそれぞれ社長や園長以下ほとんどの職員が来ていたのではないかと思われるほど沢山の職員が参加していた。

    そして、祝辞や余興を繰り出していた。圧巻は、新婦の教え子である子ども達が沢山来ていたことであっ

新郎新婦を囲んで園児がお祝いの歌を大合唱。

た。そして、お祝いの歌を歌い、プレゼントを新郎新婦に贈ったことであった。

  過去の教え子が、年齢ごとに参加していた。年長児もいれば、小学校1年生の子ども達も駆けつけて二人の結婚を祝っていた。

  ロビーは、園児や小学生、そして引率の保護者で溢れていた。子ども達の、一生懸命に歌う歌声が会場に響き渡り、感動的であった。

新郎の地元牛深の人たちと出席者による「牛深ハイヤ節」の踊り。鉢巻きをしているのは私。

  新郎が牛深出身であるので、最後にはかの有名な「牛深ハイヤ節」の映像と音楽に乗せて牛深の人たちや参加者がいっしょになって牛深ハイヤ節を踊った。

  私も、法被を渡されて、即興で「牛深ハイヤ節」を踊ることになった。牛深ハイヤ節はいろんな踊りがあるのだが、今日は最も簡単な踊りで会場が盛り上がった。

  小学生も子供の頃からこの踊りを踊っているということで、上手に踊っていた。やはり、地域の郷土芸

新郎新婦によるメインキャンドルの点火。

能は、次代を担う子ども達が、幼い頃から経験することによって繋がっていくのだということを痛感した。

  この「牛深ハイヤ節」だが、高校総合文化祭では、牛深高校の生徒達が見事な踊りを披露し、何度か全国優勝を果たしている有名な郷土芸能なのだ。

  新郎のお礼の言葉によって、約3時間の披露宴は終わった。いったんホテルへ戻り、少し休んだ。午後6時過ぎから、新郎の両親らと熊本市内の料亭で若い人たちの2次会とは別に2次会。

  長い一日は終わった。いろんな人たちと親睦を深めることができて、充実した一日だった。若い二人の前途に幸多かれと祈りたい。

(日記:午前中は、記念写真。神前結婚式に参加。午後は披露宴に出席。夜は、年配者の二次会に出席。思い出話に花が咲いた。楽しい一日であった。)

 
 

結婚式で熊本へ

28 4月

便利なネットでの切符購入
  家内の姉の次男の結婚式のため、熊本へ行くことになった。今回は時間的な余裕がないので、飛行機で行くことにした。切符購入だが、ネットで購入することにした。

  インターネットで切符購入となると、昔型の人間である私は、何となく不安であった。しかし、退職してからは、その便利さに感心している。

午前9じ45分小松離陸(上左)、その後、雲の上(上右)。福岡上空(下左)、午前11時5分福岡空港着陸(下右)。

  昨年の九州旅行でのフェリー「サンフラワー」の切符購入などは、全てネットで行った。おかげで、大阪南港へ行っても事務的な手続きはなしに簡単に乗船できることになった。

  今回の旅行に際しては、飛行機の切符を購入する際、どの座席が空いているのかもよくわかり、窓側の席を予約することができた。画面に座席表が出て来るのだ。もちろん、ホテルの宿泊もネットでできた。

日本を小さくしたような水前寺公園見学。後方に見えるのは富士山を模した小山。

前泊で観光旅行

  朝、7時少し前に来るまで小松空港へ。空港に車を預けて飛行機で一路福岡へ。福岡空港から、新幹線博多駅へ。博多から約40分間で熊本駅へ。

  駅で昼食をとり、ホテルへ直行。ホテルへ荷物を預けて、路面電車で水前寺公園へ。この路面電車は大人が1回150円。遠近にかかわらず、同一料金だ。

  夕方になると座ることができなくなるぐらいの乗車

3年前の完成したという熊本城本丸御殿大広間。

率だった。熊本の市電はこれからも生き残るだろうと思った。高齢者にはありがたい足ではなかろうか。

  水前寺公園の後、路面電車で熊本城へ向かった。かつて何度か修学旅行へ行ったことはあったが、新たな気持ちで見学することができた。

  天守閣の他、昔ながらの木造の宇戸櫓、五階櫓なども見て回った。特に、3年前に復元されたという本丸御は見応えがあった。その後、路面電車で、ホテルへ直行。

熊本城本丸御殿の杉戸に書かれた復元絵。

  熊本は晴れていて、木々の新緑が目に染みる、さわやかな気候であった。まさに旅行日和であった。明日からは、ゴールデンウイークだが、今日は1日前の平日だったので、観光地もあまり混んでいなくて快適に見学することができた。

  自宅を出るとき、勝山は雨だったが、飛行機と新幹線のおかげで、午後は快晴の熊本で観光地巡り。日本も狭くなったなあと思う。

宇戸櫓から見た熊本城天守閣。

(日記:午前中小松から福岡空港へ。そして、博多から新幹線で熊本へ。午後は、熊本市内見学。のんびりした旅である。)

 
 

盆踊り復活に向けて

27 4月

八尾や郡上がうらやましい
  私は、もしかしたら、盆踊りを楽しんだ最後の世代かもしれない。私の若い頃は盆踊りが盛んであった。村の祭りはもちろんのこと、神明神社の祭礼などでも大きな踊りの輪ができた。今の郡上八幡には劣らないような賑わいであった。

  しかし、その頃は、日本人全体が自分自身にあまり自信が持てなかった時代ではなかろうか。自分の身の回りのよさを見い出せなかった時代であったかもしれない。

人、人、人の賑わいを見せた郡上踊り。友人と見学に出かけたが踊りの輪のため歩くこともできなかった。

  国産よりも外国のモノを尊び、県内や市内のモノよりも市外、県外のモノに価値を見つけていたように思う。盆踊りでも、「花笠音頭」、「ドンパン節」、「常磐炭坑節」など県外の民謡や、「おけさ歌えば」などの流行歌を好んで踊っていたように思う。

  その結果、こうした地域では、地元の踊りはすっかり影を潜めてしまった。そして、最後には何も残らず、盆踊りそのものも廃れてしまった。

  しかし、風の盆の「小原おどり」などは「越中小原節」だけで、今日まで盛んに踊り継がれている。郡上八幡でも地元の民謡が歌われ、踊り継がれている。

  安易に、地元以外の民謡を取り入れた地域は、地域性を生かせず、ほとんどがなくなってしまっているようだ。地域のよさを守りきれなかったからだ。

今年はどうするか
  「今年の夏祭りはどうしますか?」と、役所から電話がかかってきた。私が、ここ数年、「盆踊り復活」を掲げて活動してきたからだろう。

  昨年までの活動がうまくいっているわけではない。昨年と同じような活動をしていたのでは同じような結果になるであろう。継続すべきか、いったん止めるかと迷ったが、一つだけ可能性を考えてみようと思った。

  そこで、昨日、勝山城博物館の館長さんに電話をした。昨日は所用で面会ができなかった。今日再度電話をすると博物館は休館日だという。

  急いで役所に返事をしなければならないので、館長さんの自宅へ寄せていただくことにした。館長さんとは、三つの話をしたが、そのうちの一つは、夏祭りについての相談だった。

  ずっと以前には、越前大仏で活動していたが、ここ2年間は、「ゆめおーれ」を会場に盆踊りを行ってきた。しかし、今ひとつ盛り上がりに欠けていた。

  そこで、今年は、勝山城博物館の城壁の前の広場(由来書前)で、開催できないかを館長さんと話し合った。盆踊りなどのイベントは雨天の場合には困る。今回は、雨天の場合には、「館内で行っては」ということになった。

昨年の成人式で、盆踊り復活のテーマ曲でもある「勝山よいとこ」を踊る詞の若手職員達(於:勝山市民会館)。

  日を決め、「(仮称)勝山城夏祭り」として、午前中は、朝市などの物産販売、午後は、子ども達のイベント、夕方は芸能発表、夜は、「盆踊り大会」にできないかと二人で相談した。

  話の途中に、「今年の盆踊りはどうしますか?」と、携帯電話がかかってきた。今のところ、前向きに考えていると返事をしておいた。

  これから先、終わるまでは、指導者による練習会、伴奏隊の結成、歌唱、そして、周囲で行うイベントとの連絡調整、ポスター作成、各種団体へのお願いなど様々な事務的作業が始まることになる。

  時時、気分が重くなるときがあるが、町の活性化につながればと思うと、元気もわいてくる。昨年よりも、一歩でも、半歩でも前へ進んでくれればと思う。今日の時点では、まだ決定ではないが、館長さんとの間では前向きの話になった。

(日記:午前中は旅行の準備。明日から、家内の姉の次男の結婚式が熊本で行われるので、旅行の準備。資料整理もあわせて行った。午後1時半より、勝山城博物館館長宅へお伺いして、三つの話題で話や相談をさせていただいた。その一つは、「盆踊り復活」についての話であった。途中で、ご主人も加わって「盆踊り」や「博物館のあり方」について、楽しく歓談させていただいた。有意義な時間であった。)

 
 

久々に歌(演歌)づくり

26 4月

プロの歌手の歌を聴いて
  先日、テレビをつけていたら演歌歌手のNさんが「小原風の盆」をテーマにした演歌を歌っていた。私も、八尾に何度か足を運んでいる。

  一度は、「小原風の盆」をテーマにした演歌を作りたいと思っていた。ちょうど今日は、雨が降ったので予定の作業ができなかった。

  予定の作業とは、堆肥枠を組み立て、六呂師から堆肥を買ってくることだった。しかし、雨が降ったので、午前中は、「数学のホームページ」づくり。午後は演歌作りと決めたわけである。

  今回は歌詞がないので、メロディーを作りながら詞も考え、思いついたメロディーをパソコンに打ち込み、それを聴きながら修正する作業を続けた。

  歌に使える音は、原則として7つ、これを組み合わせることによっていろんなメロディーができるはずだが、どうしても、過去の誰かの歌に似てしまう。

  そこで、苦労して他のメロディーに置き換えると、その前後が大きく変わってしまう。これを繰り返し、伴奏の楽器を付け足していくのである。

  詞が全くないと、どうしようもないので、今回は以下のような歌詞をイメージして歌作りを進めた。どのような立場で詞を作るかが問題だ。

  かつてはあこがれだった幼なじみが、立派な女性に成長している。その女性を「おわらおどり」の踊り手の中に見つける。どことなく、心がときめく……、しかし、声をかけられない……。

    現在タイトルなし(おわら風の盆をテーマにした演歌。想定歌手は五木ひろしさん)

    胡弓 三味の音 男歌
    揺れる 編み笠 坂の町
    うなじ 後れ毛 艶ある仕草
    後ろ姿で あなたとわかる
    声をかけよか このまま行こうか
    心こころときめく 心ときめく 風の盆

  上記のように、仮の作詞を考えて、メロディーを考えた。だいたい作り上げたが、これから先、作詞をしなければならない。その上、編曲という膨大な作業が残っている。「どんな楽器をどのようにつかうのか」が問題だ。

  さながらジグソーパズルのような所がある。不自然に聞こえないように、他の歌とあまり似ていないようにすることは大変だ。

越中「おわらおどり」をヒントに創作した新しい勝山の民謡『勝山よいとこ』。  編曲が終わったら、今度は歌ってくれる人を探して、吹き込みだ。CDになるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。それでも、「創る」ということは、最高の喜びだ。

(日記:午前中、「数学のホームページ」作り。本当は購入した堆肥枠を組み立てたかったが、雨のため作業は中止だ。午後は、演歌作り。汗をかかなかったので何となく物足りない。)

 
 

アコーディオン男爵

25 4月

使えない退職グッズ
   先日テレビを見ていたら、3人組が家庭を訪問してアコーデオンの伴奏で演歌を歌う番組を放映していた。伴奏をしている男性を「アコーディオン男爵」と呼んでいた。

  そういえば、私は、退職直前に退職したらそろえたいものを「退職グッズ」としてリストアップしていた。先ず、パソコンは新しくしよう、ソフトも新しくしようとあれこれ考えていた。

  もちろん予算も決めての話だ。その中の一つに「アコーデオン」があった。そして、教則本と共にネットで注文した。ベースも沢山ついた独奏用の「トンボアコーディオン」だ。

  そして、練習を始めたが、思うように指が動かない。そのうちに、あれこれしたいことが出てきてアコーデオンはケースに入れたままになっていた。

  時々、ケースに入っているアコーデオンが目に入るがケースを開けることがなかった。しかし、先ほどの番組の「アコーディオン男爵」と呼ばれるおじさんの楽しそうな演奏姿を見て大いに刺激された。

 そこで、先週あたりからアコーディオンを居間に持ち込んだ。何とか、施設の慰問に使えないかと本気に思うようになった。自分一人では無理なので、妻を仲間に引き込んで短時間ながら練習を開始した。

  思えば、今から40数年前、学校にあったアコーディオンを使っていろんな人たち歌の伴奏をしたことがある。その頃はカラオケなどはない時代であった。探り弾きながら、知っている歌はどうにか弾くことができた。

  しかし、退職してから買い求めたアコーデオンを弾いてみると、当時の勘は戻らず、指も思うように動かず、これは無理だと諦めてしまったのだ。

  買うときは、「もしも“無用の長物”になったら教員をしている娘にでもやればいい」と思ってあまり考えずに決断したのだ。実際使ってみるとこの年では無理だと思えてきて、昨年来ケースに入れたままだったのだ。

  それが、一つのテレビ番組に刺激を受けて再びチャレンジしようというわけだ。どこまで続くかわからないが、演奏できる曲を増やしてきたいと思う。

(日記:午前中、オカリナ教室のための編曲作業。午前11時に自宅を出て北部中学校へ行く。毎週月曜日の4時間目は選択音楽「和太鼓」の授業だ。今日は二日目だが、去年よりペースがはやい。男女同数なのでいい意味での競争意識や緊張感があってよい。午後も、作業を継続。最後に、伴奏用のCDとカラオケを作った。午後7時半より、オカリナ教室。)

 
 

平泉寺清掃作業にボランティアで参加

24 4月

区民といっしょに担当場所の清掃に向かうボランティアの人たち(平泉寺白山神社)。

  午前五時半に起床。6時朝食。6時半過ぎに自宅を出て平泉寺の駐車場へ向かう。歩いて神社前の精進坂へ集合。かつての職場の仲間が沢山来ていた。

  今から40数年前に平泉寺小中学校へ務めていたので、その頃、生徒だったり保護者であった人たちが沢山来ていた。

  かつて平泉寺で数学を教えていた頃の生徒の中で最年長は今や58歳になっている。小学生も50歳になろうとしている。自分が年をとるのも無理はない。

  受付順に班が決まり、私は1班になった。平泉寺の三ノ宮や本殿のある辺りの担当となった。午前7時半に作業が始まった。

清掃前の白山神社拝殿前。杉葉などで覆われ自慢の苔も無残な姿だ。しかし、清掃後は目に染みる緑が顔を出した。

  作業の手順は、冬の間に落ちた木くずや杉葉などを熊手でかき集め、竿竹とブルーシートで作った担架で藪の中へ捨てるのだ。私は担架の係をした。最初は三ノ宮から作業が始まった。

  そして、作業を始めて2時間近くで休憩となった。休憩後、熊手と交代した。それにしても、この広大な平泉寺旧境内をこれまで平泉寺地区の人たちだけでやってきたとはすごいことだ。

   もっともっと時間がかかったという。どの人からも、感謝の言葉が聞かれた。少し葉役に立っているのかと思うと、うれしくなる。

  どの地区も、今や高齢化している。世界遺産を目指す平泉寺だから、市民全体で盛り上げるのはとてもよいことだと思う。平泉寺は、観光地として勝山市全体の活性化にも役立っているのだから。

  この清掃は、先週行われるはずだったが、雪が多いので今日に延期されたのだ。しかし、本殿や拝殿の横にはまだ雪がたくさん残っていた。

  10時過ぎに作業は終わった。平泉寺特有の苔の上にあった杉葉などのゴミはきれいに取り除かれ、きれいな苔の緑が顔を出した。平泉寺旧境内や菩提林は見違えるようにきれいになった。

  作業に参加して本当によかったと思う。奉仕作業をしたというよりも、今年も、元気に奉仕作業に参加することができてありがたかったというのが実感だ。いずれはしたくてもできなくなるのだろうから。

(日記:午前7時からの平泉寺旧境内の清掃作業に参加した。10時過ぎに終わった。残念なことに、昨年買ったデジカメが途中で故障したことだ。清掃前の写真は撮ったが作業中や作業終了後の写真を撮ることはできなかった。帰宅してから、オカリナ教室に使う曲の編曲作業を行った。午後も、作業を継続。途中で、故障したカメラを持って大野市の電気店へ。5年保証に入っていたが、店員から「有償になるかもしれません」と言われて不愉快だった。何のための5ヶ年保証かと思った。その後、買い物をして帰宅。)

 
 

人気の「山菜研修会」に参加

23 4月

定員オーバーの人気講座
  約一月ほど前のことだろうか、福井聞を読んでいたら、「山菜研修会」の案内が出ていた。主催は、福井県総合グリーンセンターで、嶺北と嶺南の2会場で開催されるということだった。

  県の仕事が始まる8時半頃に電話をかけたが話し中だった。何度か電話をしているうちにようやくつながった。そして、電話で、住所・氏名・年齢・連絡先などが聞かれ、「知っている山菜にはどんなものがありますか」との質問まであった。

  とにかく、申し込むことができた。初日は今日で座学が中心、次回は来月で旧和泉村で実習があり、山菜の調理実習まであるとのことだった。

「山歩き入門」について講義する旧和泉村出身で元県職の生涯学習アドバイザー池尾清隆氏。

  今日、行ってみてわかったことだが、私は定員30名中の26番目野申し込みだった。今日の座学は大きな部屋で行ったので、定員をはるかに超える人数が参加を許されたが、次回の実習は定員通りだという。

  参加者の年齢層は、60歳代が80%、50歳代10%、50歳未満と70歳代が10%とのことだった。夫婦で参加している人が何組もあった。

  人気がある講座だと思った。午前中は、「山歩きについて」と「山菜の基礎知識」についての講座があり、昼食をはさんで、午後は、「山菜の栽培方法」の講座があり、現物の山菜を見ながら、「その見分け方」についての話があった。

実物の山菜を示しながら「山菜の見分け方」について話す二人の講師。庭や道端に生えているような山菜も多かった。

  いずれも興味深いものであった。しかし、話を聞いていると、食べられるものと猛毒のものがよく似ている山菜も少なくなかった。うかつには手を出せない。

  「えっ!こんな山菜が食べられるのか」と思うものもいくつかあった。私は、毎年、ワラビとタラの芽とふきだけは欠かさず採集に山へ出かけていた。

  しかし、最近は熊が出没することもあって、年に2度ぐらいしか出かけられなかった。今日の講座のおかげで、少し山菜のレパートリーが増えたように思う。

  昼食時や実習時には、参加者の皆さんと話したり、講師の先生方からいろんな話を聞くことができた。おそらく、次回の山での実習や調理の時間にはもっと親しくなれるのではなかろうか。

  帰りに、ウドとワサビの苗をいただいた。自宅の庭のどこかへ植えたいと思う。うまく育てるには、堆肥などの有機肥料が決め手になるということも学んだ。早速、庭のどこかにウドを、プランターでワサビ(葉を食べる)を育てようと思う。

  今年も、ワラビとタラの芽、フキ採りには行きたいものだ。すでに、今年も、ふきのとうは何度か食べた。今日の講座で、熊や蜂に対する対応も聞いたが、やはり怖い。今日の夕食に、偶然にも冷凍してあった山のフキの佃煮が出た。家内と二人で採った頃のことを思い出す。

(日記:午前9時に家を出て、福井県総合グリーンセンターへ出かけ、「山菜研修会」に参加した。今日は座学中心だが、楽しかった。来月の旧和泉村での実習が楽しみだ。予定の午後4時より少し早く研修会が終わった。帰宅してから、オカリナ教室のために編曲を行った。)

 
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生育状況を見る楽しみ

22 4月

家庭菜園の楽しみ
   昨日は晴天だった。そして、天気予報によれば、今日も3時までは雨が降らないという。そして、明日から、しばらくは天気がよくないという。今日は、家庭菜園を耕すチャンスだ。

  雨の翌日に晴れても、土が軟らかすぎて耕すことは困難だ。今日は、早速、トマトやナスを植える畝にマルチをかけた。

  4区画のうちの2区画は、すでに何かが植えてあるのだ。残りの2区画は耕した後、石灰をまいてしばらく待っていたところだ。今日は、 この部分に肥料を入れて、耕し、畝を立てた。

  雨が来るというので、急がなければならない。そこで、畑でおにぎりを食べながら作業を急いだ。雲行きが怪しく、雨が降りそうだったからだ。天気予報どおり、2時過ぎにポツリポツリと雨が降り出した。

事務所と家庭菜園とミニ花壇(パンジーとチュウリップ)。

  何とか、大降りにならないうちに、今日の作業が終わった。

  家庭菜園の一番の楽しみは、野菜の成長を見ることだ。今、家庭菜園には、にんにく、エンドウが少しずつ成長している。

  いずれも昨年暮れに植えたものだ。今年、種をまいた小松菜、ほうれん草、春菊は芽を出している。ジャガイモは、すでに植えてあるが、まだ芽が出ていない。芽の出るのが楽しみだ。

水田の管理(水と草刈り)についての「農事法人かたせ」の話し合い(於:片瀬集会所)。

  ニラは、毎年植え替えているが、すでに何度か食べている。

  ゴールデンウイークまでには、種々のトマトとなす、それから、きゅうり、ピーマン、ししとう、ねぎ、サツマイモなどは苗を買い、順次植えるつもりだ。

  また、オクラ、とうもろこし、黒瓜、、甘瓜、かぼちゃ、種々の豆類などは種をまいて苗を作ったり、直に種を畑にまいて育てるつもりだ。

  事務所でパソコンをやり、目が疲れたら、隣の菜園へ出て、野菜の育ち具合を見ている。これが、とても楽しい。トマトなどは、畑でかぶりついて食べるのも美味い。

  退職した非農業者が、家庭菜園にはまるのも無理がない。私の知っている退職者も家庭菜園に夢中になっている。私は、農家(小規模)育ちだが、野菜を育てることは最高に楽しい。

  どの野菜も、すぐに育って収穫できるものではない。収穫までには2、3ヶ月から半年ほどかかるものも少なくない。その間、病気になったり、虫に食べられたり、さまざまなことが起こる。

  それらを乗り越えて、収穫できるまで育てることは大変だが、それだけにやりがいもある。食卓に、菜園の野菜がずらりと並ぶことも珍しくない。野菜作りは、一石二鳥の楽しみがある。

(日記:朝から2時過ぎまで、家庭菜園で苗を植えるために準備をした。雨が降るまでに、今日の予定の作業を終えることができた。午後は、オカリナ教室のための編曲作業。晴れの間は、農作業、雨が降って音楽。充実した一日だった。晩御飯がおいしい。午後7時半より法人の話し合いがあった。今日集まったのは、田んぼの維持管理、特に、水管理と畦の草刈りについて話し合いをするためだ。管理費について、議論がかなり出た。私は、自分の田んぼの草刈りだけ担当することにした。水管理は、今後勉強してからどうするかを決めたい。)

 
 

片瀬特産の里芋の植え付け

21 4月

「農事法人かたせ」の共同作業
  一昨日、「農事法人かたせ」の理事長より、「里芋の植え付け作業に出て下さい」と連絡があった。 「農事法人かたせ」は自分では米作りのできない区民が田んぼを提供し、集団で米作りなどを行うために立ち上げた会社だ。

  この会社では、転作のために里芋などを作っているのだ。今日はこの法人の里芋植え付け作業だ。男性7名、女性は10名が作業に集まった。

  かつては、いも(里芋)とショウガは我が片瀬の特産物だった。しかし、近年他地区に押されて生産者が減っていたのだ。特に、里芋は、植え付けと収穫が重労働だ。

  しかし、何とか片瀬の特産物として残したいという思いは区民の多くが抱いている。そこで、今日は一斉に共同作業を行うことになった。昔の「い(結い)」のような感じであった。

「農事法人かたせ」の共通の田んぼでの共同作業。男性は器具を使って穴を開け(左)、女性はその穴に種芋を植え付けた(右)。

  男性は、器具を使って里芋を植え付けるための穴をあけた。ほぼ午前中いっぱいこの作業を続けた。女性は、開けられた穴に防虫剤を入れ、種芋を植え付けた。

  約30メートルの畝を80数本植え付けた。腰の痛む作業であった。しかし、多くの人たちの勢いで作業を終えることができたが、自分一人だったらとてもできなかっただろう。

  先日、私はこの畝の1本に里芋を植え付けた。それでも少し腰が痛かった。だんだん里芋を植える人が減っていくのもわかる気がする。

  共同作業のおかげで、作業中色々話すことができた。退職してから、区民の皆さんと話す機会がかなり増えた。そういう意味では、決して楽な作業ではないが、楽しく作業ができる。

  自分の借りた畝や法人の畝で、里芋がどのように育つかを考えるとわくわくする。ウオーキングコースの途中にあるので、時々覗いてみたいと思っている。

(日記:午前8時より、正午まで、法人の里芋の植え付け共同作業。疲れたが楽しく作業ができた。午後は、事務所で「数学のホームぺージ」作り。充実した一日だった。ビールが美味かった。)