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Archive for 9月, 2013

芋とショウガと旨い米

30 9月

里芋収穫
わが片瀬の特産物といえば、昔から芋(里芋)とショウガと米だった。里芋は連作を嫌うことなどから、長い間作っていなかったが、ここ二年間、組合から畝を借りて作っている。

 

里芋の収穫。

里芋の収穫。

いろんなことを近くで作業する人から聞きながら、里芋を栽培しているが、最終的にはそれらのアドバイスに自分流のやり方を加えている。

特に、自家製の籾殻燻炭と六呂師から購入した牛糞堆肥をたっぷり入れるようにしている。そのせいかどうかはわからないが、芋もショウガも順調に育っている。

しかし、私が育てているのは販売目的ではなく、我が村の特産物を宣伝するためと、子供達や親戚や知り合いに送るためだ。心を込めて栽培したものを送ると喜ばれる。

今日は、兄弟や親戚に送るために家内と里芋を掘りとった。秋空の下、例によってラジオを聴きながらののんびりとした作業は気持ちが良い。

たまたま、赤とんぼを調査している市のMさんが林道の鍵を借りるために我が家へやってきた。鍵を返しに来た際、「里芋はどうですか?」と声をかけた。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

収穫した里芋。まだまだたくさんある。美味しい里芋をあちこちへ配りたい。

「いただけるならありがたいです。妻が好きなもんですから。」とのこと。喜んでもらってくれる人には気持ちよくプレゼントできる。

明日はショウガを収穫するつもりだ。時間をかけて作ったものを収穫するのは最高の喜びだ。パソコンを離れて青空の下で働くのもまたいい。

(日記 午前中は、区の事務処理のため、大野市にある県の出先の林業部と市役所へ行く。午後は、里芋の収穫。夜は『じいちゃん勉強』。孫との楽しい時間を持つことができた。問題が解けた時の孫のにっこりした顔がいい。)

 
 

今年のショウガ

29 9月

芋とショウガと旨い米
今年も素人の私にしては、しょうが作りは上手くいったと思う。自己流で畑の中へ燻炭や六呂師の牛糞堆肥なども入れて耕した。

ショウガ種の大きさが、収穫するショウガの大きさと比例するのだろうか。私は疑問を持っている。というのは、種ショウガが小さくても大きなショウガを収穫することができるからだ。

ショウガ種は高価なので大きな種を小さく割って植えた方が数が多くなる。私はそう思ってマニュアルよりも、少し小さく種ショウガを割って植えている。

今日収穫した片瀬特産のショウガ。大好物だ。

今日収穫した片瀬特産のショウガ。大好物だ。

先日、大野市で話をした際に「“かたせ”と聞いて何を連想しますか?」と質問したところ、ある人が「メロン」と答えた。実は、メロンは若猪野の特産だ。

しかし、別の高齢者が「ショウガ」と答えてくれた。知っている人もいるものだとうれしくなった。「かたせ」をブランド化するには時間がかかるだろう。

このブログを書いていたら、大野の日刊県民福井の記者から「ショウガの収穫の写真を撮らせてほしい」と電話があった。この前の市民活動センター祭りでショウガを宣伝しておいたからだ。

私も、今年は立派なショウガを作ったつもりでいるが、ショウガを販売目的で作っているのではないので、収穫の写真や記事などの取材には、販売している人に対応してもらうようお願いした。

いつの日にか、ショウガ産地としての「かたせ」が復活することを祈りたい。そのためには、種ショウガを作る技術を研究しなければならないだろうが。

(日記 午前中は、親父バンドの練習に付き合う。午後3時からは祭りの後片付け。ステージなどを解体した。その後、家内と二人でショウガの収穫。今日はまだ、祭りの疲れが残っている。)

 
 

天候に恵まれた秋祭り

28 9月

区民の総力で
屋外での行事で一番心配なことは天候だ。これまでも、何度か、雨に見舞われた経験がある。少しの雨ではなく、豪雨だったこともある。

しかし、今日の祭りは雨の心配がなかった。最初から、雨の心配をしなくてもよいような好天に恵まれた。

恒例の『浦安の舞』と銭太鼓『片瀬豊年ばやし』。

恒例の『浦安の舞』と銭太鼓『片瀬豊年ばやし』。

今年初めての演し物としては『面白歌合戦』と模擬店での『駄菓子屋』だろうか。『浦安の舞』、『獅子舞』、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』、子供会育成会と青年会の模擬店はいつもの通りだった。

面白歌合戦では、村のアパートに住むアメリカ人英語指導助手の女性I.Jさん(22歳)も出場してくれた。歌詞を全く見ることなくリズミカルに『CAN’T HOLD US』を歌って暮れた。

同じ村に住む外国人女性I.Jさんの熱演。

同じ村に住む外国人女性I.Jさんの熱演。

ギターの弾き語りなどもあってそれなりの盛り上がりを見せていた。私も役目柄、家内と一緒に出場することにした。

最後の抽選会まで楽しく、盛況だったと思う。婦人会も花を会場に花を飾って、会場に明るい雰囲気を出してくれた。村の総力での成功ではなかっただろうか。

今日まで、祭りのためにかなりの時間を費やしたが、全て終わった。いつも思うことだが「始まれば終わる」のだ。どうせやるなら少しでも盛り上げたいと思う。

二人で『二輪草』をデュエット。妻のおかげで今がある。

二人で『二輪草』をデュエット。妻のおかげで今がある。

(日記 午前中は爺ちゃんバンドの練習。午後3時から祭りの後始末。その後、各種団体による祭りの後始末。舞台を分解し、倉庫に収めたり、各種備品を所定の場所へ戻したりした。その後、ショウガを収穫した。)

 

 

 

中学生による『獅子舞』。演技終了後顔を見せてくれた。

中学生による『獅子舞』。演技終了後顔を見せてくれた。

『片瀬豊年ばやし』の途中で演じる挿入芸。お面をつけて演技するのは私。

『片瀬豊年ばやし』の途中で演じる挿入芸。お面をつけて演技するのは私。

 
 

祭りを盛り上げるために

27 9月

今日は祭りの準備に明け暮れる
朝は先ず部屋の整理と掃除。その後、畑で、祭りのために里芋を二株、ショウガを二株、赤ズイキを一束取ってきた。

里芋は、今年初めて取ったものだ。煮っ転がしにするのだ。ショウガは笹寿司(鱒寿司)に入れるためのもの。そして、赤ズイキは「すこ」を作るためだ。

明日一日だけの駄菓子屋開店の準備をする次女。

明日一日だけの駄菓子屋開店の準備をする次女。

午後は、歌合戦のカラオケづくり。その後、祭りの日一日だけ開店する駄菓子屋の準備。商品の注文はネットで息子がやってくれた。

子どもたちは、100円持っていれば、品物は全品10円から30円だから結構楽しめるはずだ。子どもたちに祭りの楽しさを味わってもらうために出店するのだ。

明日の駄菓子屋の開店準備は、次女がやってくれた。商品の陳列や値段付け作業だ。その間に、私は獅子舞の振り付けを考えた。

午後7時から集会所で中学生に『獅子舞』指導。少しずつ上手になってきた。伝統が全くないので、これといった振り付けも決まっていない。

午後七時半から一回目の餅つき。明日の餅まきに使う餅だ。餅まきというと、何となくわくわくする。このわくわく感を区民の皆さんに味わってもらいたい。

その後、銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の通し練習2回。そして、二回目の餅つき。赤い餅をついた。そして、さらに銭太鼓を一回練習。

とにかく、みんなの力で地区の祭りを盛り上げたいと思う。「祭りの力は地域の力」と言われているがその通りだと思う。

祭りを盛り上げられないような地域では何をやっても盛り上がらないだろうなと思う。明日が楽しみだ。

(日記 終日祭りの準備。帰宅すると家内が笹寿司づくり。明日は天気になりますように。)

 
 

日本と中国

26 9月

日本の地理的存在
今日は、中国人研修生に、日本文化などについて話す日だ。県内やその近辺に中国人研修生が勤める前に、大野の研修センターで研修が行われる。

そして、研修生が来るたびに、日本文化などについて話すよう私に依頼がある。私にとっては、楽しい出番だ。

中国人研修生の前で講義。楽しい時間だ。

中国人研修生の前で講義。楽しい時間だ。

日本にやって来る研修生達の年齢は様々だ。今日やってきた研修生は30数名で、18歳から35歳までだ。そして半分位は既婚者だ。

地理的に日本と中国を比べてみると、我が国は、島国だ。そのため交通の発達していなかった時代には、他国から情報が入りにくい。

それに比べて、中国は陸続きであるために西欧やアジア各国から情報が入りやすい状況だ。インドで生まれた仏教も中国などを経て日本に伝わってきたし、様々な文化も中国を経由して我が国にもたらされている。

日本の宗教家も、中国に渡り仏教を学んでいる。遣唐使や遣隋使も中国の文化や様々な技術を学んでいる。しかし、鎖国が続いた後は、主に欧米から学ぶことが多くなっている。

しかし、最近は再び中国との交易も多くなっている。そんな中で、中国で操業する起業も多いが、当市のように中国人研修生を多く迎えている企業も少なくない。

講義の後は例によって楽しいダンス。みんな笑顔が絶えなかった。

講義の後は例によって楽しいダンス。みんな笑顔が絶えなかった。

中国人研修生を見ていると、尖閣の問題などは彼らには無縁であるかのように思う。民間人の私としては両国が仲良くしてもらうことを望む。

(日記 午前9時から正午まで、中国人研修生に講義。黒板に絵を描いたところ、20人ほどの研修生が自分のノートにも描いてほしいと列をなし、希望者全員に時間をかけて絵入りのサインをした。午後は、瓦版の仕上げ。その後、笹寿司の為の笹の葉を取りに家内と一緒に裏山へ出かけた。その後、村の祭りの「のど自慢大会」に南部中学校へ勤めている英語指導助手(若い女性)も出場してくれることになりカラオケの打ち合わせを行った。午後6時から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。午後8時過ぎから、遅羽の和太鼓の指導。疲れた一日でもあった。)

 
 

歌は世につれ、世は歌につれ

25 9月

歌を歌うこと
歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響されるという意味だろうか。ある歌によって、その歌が流行った時代に一気に戻れる気がする。

今年の祭りには、村の壮年会が『面白のど自慢』を企画した。今日は、のど自慢に出場する二人の老人会の会員の練習に立ち会った。

それぞれ、『落ち葉しぐれ』と『踊り子』を歌うという。二人とも、非常に歌が上手だ。歌うことが好きなのだろう。

『踊り子』は、川端康成の『伊豆の踊子』を題材にした三浦浩一の歌だ。私の若かりし頃に流行した歌だ。その頃の世の中の状況が思い出される。

北海道旅行の際、小樽の『石原裕次郎記念館』を見学した。映画の一部な上映されていた。石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』は私に大きな影響を与えた。

時々、写真や映像で石原裕次郎のドラマー姿を見ることがあるが、懐かしさと共にじーんとするものがある。この姿にあこがれて、約50年前に軽音学部で私は迷わずドラムを選んだ。

当時のいろんな歌を聴くたびに、その頃の状況が鮮やかに浮かんでくる。高校の英語教師が予選会でポールアンカの『ダイアナ』を歌ったことをはっきり覚えている。

ポールアンカやプレスリーの時代、そしてビートルズの時代……、日本ではグループサウンズの時代、フォークソングの時代と音楽は時代と共にどんどん変化してきた。

そのたび、楽器を買い換えたりして、なんとかその時代の音楽を演奏しようとしたことを思い出す。しかし、50年前に購入したスティール(ハワイアン)ギターだけは今も大切にし、演奏を楽しんでいる。

正に、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。今回秋祭りで実施される『面白歌合戦』が来年以降も続くことを願いたい。

野向公民館のフラダンス教室に協力してくれた四人の太鼓のメンバー。

野向公民館のフラダンス教室に協力してくれた四人の太鼓のメンバー。

(日記 午前中は、フラダンスの振り付け表を作った。午後は、明日の中国人の研修のための資料づくり。午後7時より、野向公民館で『フラダンス教室』。太鼓のメンバー4人が協力してくれた。1時間で『月の夜は』の練習をした。最後に、私がハワイアンギターを弾き、家内が歌い、太鼓のメンバー4人がリードし、受講生達と一緒に練習したばかりのフラダンスを踊った。)

 
 

教えることを楽しむ

24 9月

分かってもらう喜び
自分の知っていることを人に教えてあげることは自分の喜びにつながる。そういう意味では、どの高齢者も宝の山だと思う。

なぜなら、長い人生でいろんな知恵や知識を持っているはずだから。しかし、今の時代は、それらの知識を生かす場は少ない。

インターネットの登場が、さらに高齢者の知識や知恵を必要としないような時代にしている。どのような集団であれ、高齢者の知恵や知識、技術を生かし切れないのはもったいない。

しかし、これらを知識や知恵、技術を生かすには指導者の度量が大きくないと簡単ではない。日本では膨大な宝が使われずに捨て去られようとしている。

私自身も、自分には何があるのかを見極め、少しでも後に続く者の役に立てることができればと思う。小三の孫に対する『爺ちゃん勉強』も私には充実感がある。

(日記 午前中は『かたせ瓦版』の編集作業。午後は、家庭菜園でイチゴを植える場所を耕した。帰宅してから、中国の研修生に話をするための資料づくり。午後6時から、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。l、dl、ml等の単位が出てきて子どもには手強そうだ。午後七時半から銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。結構忙しい一日だった。)

 
 

地域を愛する第一歩

23 9月

関心を持つこと
ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉は、いろんな事に当てはまる名言だと思う。

人に対してもそうだろうが、地域に対してもそうだ。地域を愛するの反対は、地域に全く関心のないことだろう。

地区の人たちに、地区について関心を持ってもらうことは簡単ではない。いろんな方法で情報を発信しても、関心がなければそれらは相手には伝わらない。

だからといって、情報発信を止めてしまったら、なおさら伝わらなくなる。私としては、『かたせ瓦版』を発刊して情報を発信しているが、それは「たとえ一人でも読む人があれば」と思ってのことだ。

さて、今週の土曜日は地区の祭りだ。祭りは地区の力を結集したり、特に関心を持ってもらったり、地区の人が顔を合わせるよい機会だ。地区民同士がコミュニケーションを図るにはよい機会だ。

私自身は、準備を通して、普段は話したりしない人達と交流できることを大きな喜びとしている。今回は、中高校生に協力を依頼しようと思って色々考えてきた。

中学生男子には、昨年から、獅子舞を練習してもらっている。今年も次の学年が張り切っている。指導する私にも勇気がもらえる。

また、私は、子どもたちの祭りの楽しみの一つに「食べる」ことがあると思っている。百円玉でもいろんなものを買えるのはうれしいものだ。

そこで、高校生に店番をお願いして『駄菓子屋』を開店することを決めた。店番をやってくれるのは村の高校生だが、挨拶から親しくなったのだ。

昨年何もしなかった団体が、わずかなことでも、祭りを盛り上げる為に協力してくれればこんなにうれしいことはない。少しずつそうなりつつある。

そして、少しずつ、準備が整いつつある。後は天候が問題だ。雨が降れば準備の多くが、無駄になってしまうか、十分活動できないまま終わってしまうからだ。晴れることを祈るばかりだ。

(日記 午前中は舞台のバックとサイドに吊す幕の裁断作業。家内がミシンで縫ってくれた。家内は朝から午後3時頃までかかって大きな幕を作ってくれた。私は、時々手伝っただけだ。午後は、時間を見て『かたせ瓦版』の編集作業。祭りのプログラムと出演者の名前を掲載するつもりだ。瓦版の編集作業の他、獅子舞の演技プランを考えた。午後7時より中学生と獅子舞練習。獅子舞のおかげで中学生とも親しくすることができた。祭りの準備が着々と進む。昨年より関わる人間が増えた。ありがたいことだ。)

 
 

祭りの準備

22 9月

ソフト面とハード面
祭りの準備にも、ソフトとハードがあるように思う。境内の清掃、本殿や拝殿の掃除と幕吊り、提灯などの設置、行灯の絵描き、舞台の設置、放送設備などの整備はハード面だろうか。

 

祭りの準備をする各種団体のメンバー。

祭りの準備をする各種団体のメンバー。

そして、当日の演し物の練習や踊りの練習など祭りを盛り上げるための準備はソフト的な部分だろうか。

今日は、午前8時半から、宮番、子供会、青年会、中年会、壮年会等が神社に集まって、祭りの準備をした。一番時間がかかるのは、昨年北谷町から譲り受けた舞台の設置だろうか。

私としては、祭りを盛り上げるためにハード面とソフト面の充実を期待したい。各種団体にも、「どんな小さなことでも祭りを盛り上げるために頑張ってほしい」と稲害した。また、区民の皆さんには、とにかく神社へ来てもらいたいと思う。

ここ2、3年祭りの充実に力を入れてきた。今年も、新しい趣向が待っている。私自身は、祭りの盛り上がりは地域の力の表れだと思っている。

抽選会でしか、人を集められないような祭りでは悲しい。祭りそのものの充実を図って区民の親睦を深めたいものだ。

午後は大学軽音楽部OBの爺ちゃんバンドのコーチ役。(帽子が私)

午後は大学軽音楽部OBの爺ちゃんバンドのコーチ役。(帽子が私)

(日記 午前8時半より各種団体による祭りの準備。午前11時過ぎに終わった。午後は、私の事務所でバンド練習をしているので、顔を出した。隣の部屋で仕事をするつもりが、午後6時まで始動する羽目になった。私は今年、OB会に出演しないが、昨年まで一緒に活動したバンドなので指導役に徹した。少し上手になったようだ。)

 
 

親子太鼓……初めての施設慰問

21 9月

目標があると
今日は、親子太鼓のメンバーでデイサービス施設『さくらんぼ』へボランティアで出かける日だ。ここ一ヶ月、この日のために練習を積んできた。

目標があるので、ここ二週間ほどは週2回練習をしてきた。全員で同じ動作で太鼓を叩く部分が多い曲太鼓と、かなり自由度の高い左義長囃子を演じた。

見ておられる方々は、デイサービスできておられる方々だ。認知症の方々もおられるが、演技中は皆さんにこにこと子どもたちの太鼓演奏を見て下さっていた。

そして、演技が終わるたびに大きな拍手をして下さった。子どもたちも敬老週間の最後を飾るステージボランティアとして参加していい思い出ができたのではなかろうか。

私も、この日の出番に向けて左義長囃子の曲の一つである『しっちょうめ』を三味線で一生懸命練習した。今日の出番がなかったらまだまだ弾けなかっただろう。

子ども達も大人も何か目標があると、それに向かって一生懸命練習しようとするものだ。そのために、できなかったことが少しできるようになるのだ。

そういう意味では、大人も子どももほどよいところに目標があると、がんばれるものだ。今日の出番によって子どもも保護者も私も少し進歩したように思う。

(日記 午前中、今日の出番のための練習。家内も左義長の歌で参加してくれるので一緒に練習。私は、主に三味線練習。午後12時半に事務所へ集まって全員で練習。午後1時半過ぎにデイサービス施設『さくらんぼ』へ出発。今日は、敬老の日を祝う一週間のステージイベントの最後の日だ。そこへ親子で出演した。午後4時頃帰宅した。今度は、村の秋祭りの準備。午後7時半から銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。連日、忙しい日が続く。)