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Archive for 1月, 2012

雪との共生

31 1月

超高齢化社会の暮らし方
  連日、大雪の情報や雪害がテレビで放映されている。屋根の雪下ろしで亡くなったり怪我をする人も後をたたない。テレビで見る限り、豪雪地帯の雪の量は半端ではない。

  勝山もありがたいことに、今のところ雪は少なくないが、新潟や長野の山間部は大変だ。どうして今日まであのような豪雪地帯で人々が暮らしてきたのだろうか。それは、かつては人手があったからだろう。

  しかし、過疎地では、近年、若者達が働く場を求めて都会へ出たために、高齢者しか残っていない。屋根の雪下ろしで犠牲者となるのは高齢者だ。70歳を越えた人たちがやむを得ず屋根に登らなければならないからだ。勝山も例外ではないが。

  今のままでは、ますます高齢化社会が進み、地域崩壊が進んでいくだろう。我が町も含めて全国的な問題だ。除雪のために、若者達と交流を深めている地区があるとテレビで放映されていた。

  雪のない夏の間も、若者達と交流し、山村の自然や生活を楽しんでいるのだ。そして、山間部の人たちが雪で困っている冬場には応援に駆けつけるという仕組みだ。これも、一つの方法かもしれない。しかし、全ての集落で取り組むことは不可能だろう。

  山間部の建物を減築(増築の反対)し、雪下ろしをしなくてもよいようなコンパクトで強固なものにしておいてはどうだろうか。夏はそこで暮らし、冬は町へ出て集団で暮らす方法だ。登山客で賑わう山小屋も冬場は閉鎖しておき、春から秋は利用するようにライフスタイルを変える方法もあるのではないか。

  出作りのようなライフスタイルだ。高齢者だけでは、豪雪地帯で冬場を生き抜くことは大変だ。雪の問題だけではなく、医療の問題もあり、そこへ至る道路の除雪の問題もある。山間部では常に雪崩の危険があるからだ。

  冬場は、集合住宅で、高齢者同士が仲良く暮らし、春になったら、自宅へ戻り,自然の中で農作業等をしながら生活するのだ。春から秋にかけて都会では味わえない田舎暮らしを満喫し、冬場は集団生活で安心して暮らすことになれば、都会へ出た子ども達も安心するだろう。

  連日報道される、雪国の暮らしの過酷さを考えると、何かよい方法を考えなければならないのではなかろうか。今日、50年後の日本の推定人口が新聞に載っていた。超高齢化社会等という生やさしいものではない。ハイパー高齢化社会になるのだ。今のうちから、冬場を快適に暮らす方法を考えていかなければと思う。

  また、水がある地域は、家の周辺から雪を流す仕組みをまちづくりとして考えなければならないのではなかろうか。雪に強いまちづくりを勝山でも考えるべきではなかろうか。ニュースを見ているといろいろ考えることがある。

(日記 午前中は自作童話を紙芝居化するための脚本作り。午後は、日本の都道府県、各都市、世界の人口などを調べてみた。都市より人口の少ない県があったり、県や市並の人口の国家があったりしている。我が福井県より大きな都市は日本にはたくさんある。ノルウェーなども日本の県並みの人口しかない。いろいろ興味あることが分かった。)

 
 

ブログ家族

30 1月

近況報告の最高の手段
 私は、退職した翌日から一日も欠かさずブログを書いている。「何のために書くのか」と問われたら、答えははっきりしている。

・ ブログのタイトルにもあるように、退職した日々を大切にするために書きとどめておくこと。
・頭の体操(自分の認知症予防に役立てばと思う)。
・日々、社会へメッセージを発するために書く。
・別々に生活することになった子ども達に親(私達夫婦)の近況を知らせること。

 タイトルの「残日録」は藤沢周平先生の小説からいただいたもので、(退職して)“残っている日々を記録する”のではなく、“日はまだまだ残っているので何かができるはず。そこでそれらを記録する”ことだ。

 私は、このブログを書く前の2年間、これも一日も欠かさず日記を書いていた。その日から考えると通算3年10ヶ月、一日も欠かさず記録していることになる。

 私に触発されたのかどうかはわからないが、3人の子ども達もブログを書いている。そのため、私の方は子どもやその家族の動向を知ることができる。

 お互いに、何かと便利だ。いつまで続くかわからないが、このブログを続けていきたい。それにしても、新聞や本を読む時間、テレビを見る時間が増えた。

 そのため、今の政治の閉塞感、行動力のなさ、スピード感の欠如、官僚の自己中心的な言動、原発事故に対する電力会社の責任感の欠如、……、いろんなことが怒りとなってこみ上げて来るところがある。

 政界では、間違いなく、大きなうねりができ、政界再編が現実のものになるだろう。既存政党の右往左往する姿は醜い。大阪維新の会に擦り寄る既存政党。

 橋下市長にラブコールを送る姿は情けない。国民そっちのけで自分の選挙のことだけしか考えていないように思える。山積する日本をどうしようとするのだろうか。

 時には、こんな事も、私のブログの題材になる。今の世の中、どこか幕末に似ている。誰が「坂本竜馬」になるのか。時代は真のリーダーの登場を待ち望んでいる。

(日記   今日は遅く始動。午前中は、ぼんやりしているうちに、授業に行く時間になる。午前11時に自宅を出て北部中学校へ向かう。選択音楽『和太鼓』で左義長太鼓を練習中。左義長の音楽は、次々と曲のリズムが変わるので、それに合わせてとりあえずいくつかのパターンを作って練習する。問題はいかに羞恥心を捨てられるかだ。初心者には、大胆に、リズミカルに、浮かれることは難しい。帰宅途中本屋へ寄り、2冊本を買う。帰宅して昼食。少し休んで編曲作業。昔、スイングジャズをやったことがあるので、今日はそのことを思い出して『荒城の月』をスイングジャズ風に編曲。昨日から再開した「ウインドシンセ」でクラリネット風に演奏できたらと思う。今こそ「毎日パワー」で上達したいものだ。)

 
 

親爺バンド合宿二日目

29 1月

胸に沸き上がる熱いもの
 越前大仏の合宿所で起床。朝食を済ませて、私の事務所へ移動する。昨日、仕事で遅れて練習会に参加しなかったSさんがテナーサックスのミニコンサート。OBの中では音楽は現役だ。

 少しおとなしくしていた音楽への情熱が胸の中に沸き上がる。私の悪い癖というか、あれもしたいこれもしたいという気持ちが強くなる。Sさんのジャズのアドリブに他のメンバーも聞き入っていた。

 数曲、バンドカラオケに合わせてSさんが演奏した後、今後のバンド活動について意見を交わした。福井地区のバンドは、今のメンバーで演奏するとなると、ジャス系とハワイアン・ウェスタン系の二つのグループになる可能性がある。

全体練習の前に、軽音楽部OBのSさんのテナーサックスのミニコンサート。その後、合同練習。

 今年も、10月末に演奏会があるので、今後どんな曲をどんな編成で、誰が演奏するかも決めなければならない。あれこれ意見が出た。

 最後に、Sさんのテナーサックスも交えて全員でスタンダードジャズナンバー「朝日のごとくさわやかに」を演奏して、二日間にわたる「合宿練習会兼新年会の日程は全て終わった。

 また、ジャズのコード進行などについても、勉強した。有意義な練習会であった。先ずは、数十年ぶりに音楽活動を再開したメンバーの技術向上が不可欠だ。

 最後に、事務所近くのそば屋でおろしソバなどを食べて、解散した。充実した二日間だった。渡しも、帰宅してすぐ、しまっておいた「ウインドシンセ(クラリネット方のシンセサイザー)」を使ってみた。

 今度は、この楽器を使って演奏してみたい。10月のステージで演奏でたらと思っている。「毎日パワー」で一歩ずつ演奏技術を身につけたい。有意義な合宿だった。

(日記 午前中、私の事務所で軽音楽部OBの練習会。午前中で二日間の日程を終えた。その後、休む間もなく、引き続いて「親子太鼓」の練習。子どもや親の技術は少しずつ向上している。しかし、来月の「鹿谷雪祭り」に間に合うかどうかは微妙である。練習は後二日しかできないのだから。昨晩の寝不足もあってかなり疲れた。)

 
 

親爺バンド合宿練習会兼新年会in勝山

28 1月

第二の人生に音楽を
 午後2時より私の事務所に徐々に大学系音楽部のOB達が集まってきた。とkに、遠方の愛知県組が早かった。昨年バンドを組んだもの、昨年暮れから知り合いになった者、全くの初顔合わせなど様々であった。

 今日の目的は、本当は新年会であった。この連中とは、昨年暮れに静岡で行われたOB会の後、打ち上げ会を行い、その後は忘年会も行った。そして今日だ。

 バンドという性格上、いろんなパートがいて、それぞれが支え合っているのだ。まだまだ発展途上のバンドだ。多くのメンバーは何十年と楽器から離れ、昨年にわかに楽器を再開したのだ。

 かくいう私もその一人だ。若い頃はできたはずなのに、身体が思うように動かない。楽器によっては、何とか譜面を見ていられる者と暗譜していなければ手元が狂ってしまってうまく演奏できない楽器がある。

 私にとっては、ハワイアンギターはメロディーを完全に覚えなければ弾けない楽器だ。やっと覚えたと思っても、しばらくすると忘れてしまう。この繰り返しで約1ヶ月が過ぎた。

 おまけに、忙しいのをいいことに、本気で練習していないからなおさらだ。それでも、音楽で繋がるメンバーだけに、昔、同時期に部活動を行っていたわけではないが、私にとっては良き仲間だ。

 昨年のメンバーがそろったところで新しいメンバーも含めて、練習を開始。昨年の演奏会で発表した「ワークソング」と「朝日のごとくさわやかに」を何度も繰り返して演奏した。

 昨年暮れに、ハードオフで7800円のトランペットをん買い、1ヶ月あまりで音を出すことに成功したメンバーもいる。その熱い心を見習わなくっちゃ。

そして、6時半より近くの居酒屋で新年会。さらに新しいメンバーが加わり、楽しい語らい。近況を話し合い、音楽について語り、政治について熱弁をふ るい、……と飲みかつ食べながら楽しい時間を過ごした。

 午後10時過ぎに、宿泊先の「越前大仏・研修道場」へ移動。そこでも、懇親会2部。それぞれが時間を見て入浴。床についたのは午前様になった。かくして合宿の初日は過ぎた。

(日記 午前中、事務所前の除雪作業。川からと水中ポンプを使って駐車場に水を流した。午後2時より福井大学軽音楽部の合宿新年会。練習も兼ねて初日は終わった。とても楽しい会だった。)

私の事務所に集まった大学軽音楽OBのみなさん。嬉しいことにみんな気持ちは熱かった。 

練習時間に劣らず長かった懇親会。ますますヒートアップ。

 
 

一日一億円

27 1月

国会は言った言わないの応酬
  未曾有の大震災、そして、山積する政治課題。与野党一致で事に当たれないのか。国会を一日開くと1億円かかるとのことだ。

  その1億円が有効に使われているのならいざ知らず、マニフェストで言った、言わないで相当な時間を費やしている。政策そっちのけで政局に明け暮れる与野党。その間をぬってか、大阪維新の会や石原新党が動き出している。

  与野党の議員は気が気ではない。一つ間違えばただの人になるからだ。今の政党にしがみついていた方がよいのか、それとも離党して新たな党を作るのか、大阪維新の会の波に乗るのか、政界再編は避けられそうにない。

  いずれにしても、今や、政治家に対する不満や政治家不信は頂点に達している。 いったいこの国はどうなっているのかという重大ミスが明らかになった。

  震災関係の15の会議のうち、10の会議で議事録が作成されていなかったというのだ。重要な会議の議事録が作成されていないことについて、原子力保安員は「忙しかったからだ」と言い訳している。

  1000年に一度という未曾有の大震災に対して、後世のために何が何でも記録を残さなければならない。国の最高の会議が議事録を作らないというのは関係者の怠慢と言うよりも情報隠蔽と疑われても仕方がないだろう。

  次回の衆議院選挙は、おそらく今までとは全く異なる様相を呈することになるだろう。◎◎チルドレンの前途も危うい。中でも、初当選した1年生議員は日本の国の現状を憂い、政治家としてどう行動するかを考える心の余裕は全くなさそうだ。 自分の選挙のことで頭がいっぱいであろう。

  政治家というのは、生活感のない素人の集まりに見えて仕方がない。シャドウキャビネットを作り、いつでも自分の問題として対応できるよう普段から備えておいてほしいものだ。

いつでも出動できるように除雪機は軽トラの上で待機。

(日記 今日は、終日除雪作業。午前中、先ず1階の屋根の雪下ろし、続いて大屋根に上がり雪下ろし、そして、再び1階の屋根の雪下ろし。その後、除雪機で落ちた雪の一部を始末する。昼食後、ほとんど休まず、軽トラに除雪機を乗せて事務所へ運び、駐車場を確保するために除雪作業。明日、軽音楽OB会の合宿新年会があり、バンド練習もするからだ。他からの圧雪が駐車場に積まれていたために、かなり時間がかかった。終わったのは午後5時少し前。一日中除雪作業を行っていたが、さほど苦にならなかった。どうせ、除雪作業をするならば、楽しくやらなければと思う。iPodで音楽を聴きながらの作業だった。午後7時半から横浜とスカイプ(パソコンを使ったテレビ通話)。5日前に生まれた孫が今日退院してきたのだ。早速テレビ電話で顔を見る。生まれたばかりだが可愛い。すこやかに育つことを願う。)

「こんにちは赤ちゃん!私がバアバよ」。生後五日目の五番目の孫。健やかに育ってほしい。

 
 

雪止めの効果

26 1月

再評価したい「雪止め」の役割
   朝、屋根を見上げると家の前側の雪が屋根に巻いている。屋根にとっては、具合の悪い状況だ。この状態を放っておくと、屋根の先端は雪の重みに耐えかねて折れてしまうからだ。昨年、我が家も家の後側の屋根の先端(垂木)が折れてしまった。

  そのために、春になって家の後ろ側の屋根瓦を外して、垂木を倍に増やしてもらった。その際、一列おきにあった屋根の先端の「雪止め」を倍に増やして全ての列につけてもらった。家の前側は、瓦を外さなかったので、垂木だけを差し込んでもらって倍にした。

  いずれも強度は倍になるとのことだった。家の前側と後側で異なるのは、屋根の先端の「瓦の雪止め」が細かく入っているかどうかだ。家の後ろ側の「雪止め」を倍にしたのは、屋根の修理のために瓦を外したので、ついでに雪下ろしをするときに滑らないようにというつもりだった。

  今朝、屋根を見ると、家の前側の屋根の雪が屋根の先端で巻いているのだ。後側は、雪が巻かずに落下しているのだ。家の前側の屋根は垂木に負荷をかけている。早速、市販の「雪を引っかける道具」で先端の雪を落とした。

  いつもは、家の後側の方が雪が巻くのだが、雪が下へ落ちている。この違いは、屋根の中央部分を見て分かった。家の前側は屋根の先端の「雪止め」が少ないので、屋根全体の雪が前方へ移動しているのだ。屋根の中央の雪の亀裂がそれを物語っている。

雪が巻いている家の前側と、雪が間数に落下している家の後側。その証拠は、屋根の雪の亀裂(青い矢印)にある。  雪下ろしの際、滑り落ちないようにと、雪止めを細かく入れた家の後側は、屋根全体の雪が滑り落ちないので、先端だけが、ちぎれて落下しているのだ。これは偶然だろうか。雪止めの効果だろうか。

  昨年、屋根の後側の先端が破損した時には、屋根の中央部分に大きな雪の亀裂が入っていたのを覚えている。全体の雪が移動して、屋根の先端の雪が巻いたのだ。屋根の雪が先端だけではなく、全体が滑り落ちるので雪が巻くのではなかろうか。

  そう思って、今日、昨年屋根全体の雪が大きく動いて瓦も破損し、雨漏りがしたというYさん宅の屋根を見てみた。屋根全体を修繕したためか、屋根の先端の雪が巻くことなく落下していた。

  「雪止め」は、文字通り、屋根全体の雪が滑ることを防ぐためのものだ。雪の降り具合などに合わせて、「雪止め」の数を考えなければならないのではなかろうか。美観だけで、適当な枚数入れておけばよいものではない。一般に雪止めを屋根の上段、中段、下段に一つおきに入っている場合が多い。

  雪の状況によって、「雪止め」の数を考えなければならないというのが、私の結論だ。昨年は、あまりにも多くの家の屋根が破損していたが、それらの屋根も「雪止め」の数である程度防ぐことが出来たのではなかろうか。

(日記 午前中、除雪機で家の周辺の雪を始末し、屋根の先端の雪を、市販の道具で地上から引っかけて落とした。この道具は予想以上に効果がある。午後は、新しい紙芝居を作るために自作童話を脚本化する作業を始めた。紙芝居化したいものがたくさんある。村の歴史なども紙芝居にして子ども達に見せたいとも思う。前から思っていることだが、『じいちゃんの子ども時代』をシリーズ化して、遊びや生活や米作りを紙芝居にすると面白いだろうなと思う。)

 
 

雪、雪、雪・・・

25 1月

雪の負の面ばかり強調するマスコミ
ここ数日、雪に関するニュースが多い。その多くは、雪によるマイナス面が強調されている。東京では、わずか数センチで大騒ぎだ。よくぞあのつるつるの路面を普通タイヤ野車が走るなあと感心してしまう。

底の平らの靴を履いているため、滑って転んで怪我をする人が続出しているというニュースも多い。滑らない履けばいいものをと思ってしまう。

片瀬にも、除雪のために、ブルトーザーが早朝と昼の2回、やって来た。屋根の下から、一階の屋根の先端の雪を落とした。その後、午前と午後の2回、除雪機を動かした。

確かに、雪はマイナス面が多い。この調子では明日は屋根の雪下ろしをしなければならないかもしれない。簡単な作業ではない。

家の玄関前。庭木も雪だるま状態。雪囲いを外す春が待ち遠しい。

雪は、降り出したら止まらない。雪が降らない土地へ移りたいと願う人は少なくない。かくして、雪国の過疎化は年々進んでいく。冬は、確かに過酷な屋根の雪下ろしが待っている。

しかし、雪下ろしは、多い年は3度ぐらいにはなるけれども、平年は2回ぐらいだ。昔は、どの家も家族が多かったために、かなりの雪が降っても、家族総出で屋根に登って雪下ろしをしたものだ。

かつては、さほど苦になる作業ではなかったが、近年は若い者が都会へ出てしまったために、残された高齢者にはきつい作業となっている。我が家もそのような状況にある。

雪国では、毎日雪下ろしをしているわけではない。かつては、雪国独特の文化があり、豊かな食生活ががあったのだ。冬に備えて種々の漬け物や加工食品を作り、家族がそれらを味わったのだ。

今日は、旅の番組で、そんな文化の一端に触れる番組があった。雪国も捨てたものではないなあと思わせる番組だった。また、雪や氷を生かしたイベントも紹介されていた。

かつては、村の人達は、春の農作業に備えて、冬は藁仕事をしたのだ。米俵を編んだり、縄を作ったり、農作業や日常生活に使う藁製品などを1カ所に集まって作っていたのだ。

親爺達が、藁仕事の場所で、時々花札などをして楽しんだりしていたのを私は知っている。冬もそれなりに充実した生活があったのだ。

あるとき、会合で特に雪の多い地区に住む人達の嘆きを聞いたことがある。私は、「雪のマイナス面ばかりに目を向けていると、悲しくなります。雪があるからできることを考えてみませんか。」と提案した。

今、その地区では、雪を使った独特のイベントを行っている。「沖縄では、逆立ちしたって雪を降らせることはできません。せっかくある雪を活かすことを考えることも必要ではないでしょうか」とも話したことを覚えている。

雪があるから、春が待ち遠しいのだ。特に、雪国の者には春は格別のものだ。左義長囃子が聞こえる頃になると、「春だなあ」と思える。私にとっては、冬は創作活動の季節だと思っている。物事、マイナス面ばかりに目を向けないで、プラス面を考えてみることも必要ではなかろうか。

(日記 早朝から、ブルの音が聞こえる。雪が降ったんだなあと思う。午前と午後、今年買った除雪機を動かした。屋根の端の雪を下から落とした。ジャズの編曲作業。今週末の親爺バンドの合宿までにはCDにしておきたい。家内の話では横浜は晴れているのだという。一人暮らしで気をつけなければならないことは栄養の偏らない食事だと思っている。特に、野菜不足にならないように気をつけている。それにしても、一人暮らしは不経済だ。風呂にしても食事にしても、煖房などにしても。)

 
 

音楽の楽しさ・・・アドリブ

24 1月

既成の曲の中で創作する面白さ
週末に親爺バンドの合宿新年会がある。福井市、坂井市、大野市、そして白山市、名古屋市などから大学の軽音楽同好会のOBが勝山へやって来る。

その風貌は、どこから見ても私を含めて皆「おじいさん」だ。それが、昔とは衰えた技術でラッパを吹き、ギターを弾き、ドラムを叩くのだ。老いとたたかいながら、忘却とたたかいながら。

爺ちゃん達は、土曜の午後私の事務所のスタジオで練習をした後、居酒屋で新年会をやるのだ。ここでは昔と同じように飲める者はどれだけでも飲む。

そして、越前大仏合宿所で泊まりながら親睦を深めるのだ。翌日の日曜日も午前中は練習。名古屋へ帰る者は雪の中を大変だろう。

OBの中には、昨年秋に新たに楽器を購入した者もいて、皆音楽に目覚めたように取り組んでいる。私もその一人だが。そこで、今日はその日のために、ジャズの編曲を行った。

編曲というと少しオーバーだが、吹奏楽のジャズの楽譜を数人の小編成バンドで演奏できるようにするためだ。メンバー不足をどうしたら、カバーできるかが問題だ。

ところで、ジャズの楽しみは何かというと、アンサンブルとアドリブではないかと思う。曲のテーマとなるメロディーはみんなで演奏し、その後は各自が即興演奏(アドリブ)を行い、再びテーマに戻るのが基本だ。

全ての音楽には、先ずメロディがある。そのメロディーをより美しく響かせるために和音を付けて曲を盛り上げる。メロディーは和音という川の上を流れているのだ。

アドリブは、この川の上でテーマとは異なるメロディーを即興的に演奏するのだ。と言っても、我々素人は即興では和音の上で演奏できないので、あらかじ作っておくのだが。

というのも伴奏陣はメロディーと同じ和音で伴奏をするので、伴奏に合わないメロデーを演奏すると不協和音になってしまうからだ。和音の流れ(川の流れ)の中を流れに乗って自由に船を操るようなものだ。

ところが、船が河から外れとしまったら座礁してしまう。アドリブの面白さは、楽譜で決められた通りに演奏する部分と自由に演奏する部分があるので楽しい。

映画や芝居で脚本にない台詞をしゃべってしまうときも、「アドリブ」と言うが、その場の勢いで自然に出たセリフはアドリブであっても、脚本より優れている場合もあるのではないか。

人生に於いても、決められた路線の中ではあっても、時には自分の思いを込めて脇へそれてみるのもありではないか。それが、また元の路線を歩む力になるだろうから。

(日記 午前中、ジャスの編曲作業。機能までとは全く異なる作業だ。考えながらやっているので時間はかかるがそれでも楽しかった。午後、夕食の買い出しに。何を買おうか結構迷った。それでも、籠いっぱいに食材を買った。その後、100万ボルトでプリンターのインキを7本買った。紙芝居の用紙は、A3ノビなのでインキを沢山使う。その後、市立図書館へ本を借りに出向いた。白山の歴史、歴史雑誌、絵本、紙芝居にする本、植物図鑑などを借りた。その後、事務所へ寄り、図書館の職員と平泉寺の歴史などについて雑談と情報交換。楽しい時間を持つことができた。人と話すことは楽しい。今は、一人暮らしなのでよけいそう思う。いつの日にか、図書館でも紙芝居を演じてみたいものだ。帰宅してからも、編曲作業を継続。そのご、夕食の準備、食事、後始末。結構時間がかかった。)

 
 

5人目の孫誕生

23 1月

すこやかに育て孫達
夜中の3時頃、横浜から電話が入った。長男の嫁が出産のため夜中に病院へ行ったのだという。そして、再び電話がかかってきて無事女児が生まれたと言うことを知った。

早速、携帯で生まれたばかりの赤ちゃんが母親の胸の上にいる写真が送られてきた。家内は、3時過ぎに起きてしまって横浜へ行く準備をしている。息子は仕事、その嫁は入院しているので、孫達の面倒を見るためだ。

それにしても、無事孫が誕生してよかった。出産は非常に危険の伴った一大事業だ。それだけに、無事生まれることをずっと祈っていたのだ。

子どもは、生まれた直後はあまり手がかからないだろうが、大きくなるにつれて、手当たり次第にものを口に入れたり(本人は何であるかを試しているつもりだろうが)、這い回ったりして気が抜けない。

そのうちに幼稚園や小学校へ行くことになる。小学校のうちはまだよいが、中学生になると多少学業の方も気になってくる。高校へ入ったら進学のことがさらに気になる。

大学へ入学したら、卒業時の就職が気になる。就職が決まれば学費の負担はなくなるが、今度は結婚が気になってくる。そのうちに、孫の誕生だ。親としては、このあたりまでなかなか安心できない。

子どもが親になった時初めて、「子どもが親から独立した」という気になる。我々夫婦は、子育ての終盤戦に来ているが、子ども達は子育てが今始まったばかりだ。

しかし、子育て真っ最中は苦しいことも多く、無我夢中だったが、楽しい時期でもあった。子ども達のおかげでいろんな経験をすることができたし、いろんな所へ行くこともできた。

家内などは、子ども達の追っかけもした。それもまた、大きな楽しみだった。子どもがつまずけば一緒に心配し、子どもが成果を上げれば一緒に喜ぶことができた。

自分の人生で、仕事と子育てを同時並行してやることは、大変ではあったが、充実していた時期でもあったのだ。娘が嫁に行くときに「長い間ありがとうございました」と挨拶するが、「お礼を言いたいのは親の方だ」とも思う。

何はともあれ、それぞれの孫達が元気で育つことを祈りたい。私としては、孫達にとって関わりたい存在(ふるさと)でありたいと思う。

(日記 午前3時頃横浜から「出産のために入院した」と電話がかかってきた。そして、まもなく、無事生まれたと携帯があり、母子の写真も送られてきた。家内は、もう寝ていられないと横浜へ行く準備を始めた。私も、目が冴えてしばらくは眠れなかった。朝、家内を駅へ送り、家内の荷物を横浜へ発送した。今日から当分の間、私は一人暮らし。三食、自分で考えなければならない。午前11時過ぎに北部中学校へ行き選択音楽『和太鼓』の授業。今日は、左義長囃子の練習をした。帰宅して、紙芝居のタイトルページと終わりのページを作成し、印刷した。完全にできあがった。後は、家内と練習するつもりだったが、急に一人になってしまった。家内が帰ってから、練習するしかない。昼はよいが、夜はなんとなく寂しい。家内の留守中に大雪になったら大変だと思う。)

 
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NHKスペシャル“リーダー……”

22 1月

望まれるリーダーの出現
  昨日、NHKスペシャルで『日本でリーダーを生み出す決定打は何か』をやっていた。スタジオで各階各層の人達が討論する番組だ。

  私は、例によってビデオに録り全てを見た。とても興味深かった。私もいろんなリーダーを見てきた。時には、リーダーに仕えもしてきた。

  そんな中で、私が達した結論は、「リーダーとは、組織に自分の能力以上の成果を上げさせること」だろうか。キャパシティーの小さいリーダーは自分が全てをやろうとして、チームはせいぜいリーダーの能力以下の力しか発揮できない場合が多い。

  せっかく何十人、何百人、何千人の組織の上に立つならば、それらの頭脳を活用しない手はないと思うが、実際にはそうはなっていない。官僚を使いこなせない大臣に似ている。

  それともう一つは、日本の社会に反省点がある。それは、減点主義になっている点だ。ミスさえしなければ、昇進していく仕組みだ。テレビでも元官僚が話していたが、よほどのミスさえしなければ、誰でもある程度までは昇進していくのだ。

  従って、これまでは(右肩上がりの時代には)、新しいことにチャレンジする必要がなかったのだ。しかし、混沌とした今の時代はそうはいかない。

  社会も変わるべきだが、学校教育も変わらなければならない。ただ暗記してテストの点数をよくするだけでは、リーダーになれないばかりでなく、今の時代を生きていく力も養われない。

  子どもの頃から、自分の頭で考え、自分の言葉で語る訓練をしておかなければならない。昨日の討論では、教育に対する注文も出ていた。

  そんな中で、“フォロワーシップ”も大切さを語っていた。同感である。(follow=後に続く。フォロワー=follower=後に続く人=部下)

・・・・・  “フォロワーシップ”とは ・・・・・
  フォロワーとは、リーダーを補佐する人のことで部下やチームメンバーをさす。フォロワーシップとは、集団の目的達成に向けてフォロワーがリーダーを補助していく機能のことをいう。 フォロワーには、指示に従って成果を上げるだけでなく、自発的に意見を述べたりリーダーの誤りを修正することも期待される。そのためには、フォロワー自身の実力だけでなく、集団の目的に対する達成意欲や、リーダーとの信頼関係が必要となる。(インターネットより)

 私の考えでは、減点主義の世界やキャパシティー(人間的な幅の広さ)の小さいリーダーの下では、部下はフォロ-ワーシップを発揮できない。

  部下が前向きの意見を述べようにもそれを聞く耳の持たなかったり、理解できないリーダーの下では、部下は、前向きの姿勢で事に当たることができない。また、ミスをした場合には厳しく責められる組織ではそこに属する者は前向きの考えを持つことができない。

   日本の前途や国民の利益よりも、自分の出世や自分の党の利益しか考えられない先輩議員の下では、新人議員は自分を生かすことできない。 “フォロワーシップ”を発揮できないのだ。

  かくして、至る所で閉塞感を持った人間が増えていく。ミスをする事から次の成功に繋がる貴重な体験が得られるということを理解すべきだし、そのような教育を進めることが必要だ。

  失敗を表彰する会社の例が報告されていたが、この会社では、誰もが失敗を恐れずあらゆる事にチャレンジしているため大きな成果を上げているとのことだった。

  人を生かせる者こそ、良きフォロワーを得て、自分が生かされ、次のリーダを育てることができるのだということを肝に銘じておきたい。

力尽きてぐったりするタヌキのタン吉とキツネのコン子。

(日記 ようやく自作紙芝居の絵を描き終えた。今日は、終日、最終調整と印刷作業を行った。いよいよ来週は練習してこの紙芝居をどこかの児童館で実演してみたい。そしていつの日にか、東北のどこかの子ども達の前で演じたいという夢を持っている。今日まで、毎日最低1枚は絵を描いてきたので、23枚全部描き終えることができた。この調子で、これからも自作童話を紙芝居にしたい。“毎日パワー”のおかげだ。)