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Archive for 9月, 2013

子ども達にとって待ちに待った祭りにするには

20 9月

一人一人の工夫で
約10日後に、片瀬の白山神社の祭りがやってくる。私の子供時代や若い頃には、祭りが待ち遠しかった。子供時代の夜店や相撲、若い頃の踊りが本当に楽しかった。

老人会のしめ縄づくり。横綱のように三本で編むのだ。(黄色帽が私)

老人会のしめ縄づくり。横綱のように三本で編むのだ。(黄色帽が私)

しかし、年が経つうちに、何もかもが縮小され廃止されて行事は形骸化してしまった。昔に戻すことはできないが、昔の楽しかったことの一部でも再現できればと思っている。

祭り当日は、女性陣の多くは忙しい。祭りをしない家庭も増えているので全員ではなかろうが。しかし、前日までにならどんな小さなことでもやっていただけるのではないかと思って婦人会に持ちかけた。何かやってくれそうだ。

壮年会も、今年初めて『面白歌合戦』を企画している。私も、個人的に高校生の協力を得て『駄菓子屋』を企画しているが、注文の品はすでに届いている。

できあがったしめ縄。

できあがったしめ縄。

祭りの日に、百円持って行けば、あれこれ品物を選んで買えるなんて楽しいではないか。選ぶ楽しさ、食べる楽しさ、正にお祭りだ。

今日は中学生の獅子舞の練習をした。伝統があるわけではない。あれこれ試行錯誤しながらの試みだ。それでも、出演を快諾してくれた中学生には感謝したい。

小・中学生女子の『浦安の舞』もできあがりつつある。さらに、『銭太鼓保存会』は、明日から練習開始だ。みんなが少しずつ、力を出し合って楽しい祭りにしたいものだ。

(日記 午前中、『老人会』のしめ縄づくり作業。祭りに飾るためのものだ。結構楽しかった。午後は、家庭菜園の耕耘作業。有機肥料をたくさん入れた。カブラなどを作りたい。午後7時より中学生の獅子舞指導。)

 
 

慌ただしい一日

19 9月

銭太鼓グループと慰問活動
鹿谷の銭太鼓グループと一緒に、市内のデイサービス施設『サクランボ』へ慰問に出かける日だ。

第一部。銭太鼓とコラボ。音楽に合わせて私が太鼓を叩き、家内が歌って、鹿谷の皆さんが銭の入ったバチを振った。、

第一部。銭太鼓とコラボ。音楽に合わせて私が太鼓を叩き、家内が歌って、鹿谷の皆さんが銭の入ったバチを振った。

午前5時起床。最後に全員で踊る為の曲『炭坑節』のカラオケづくり。その後、家内と一緒に、歌や手遊びの練習。午後1時頃に『サクランボ』へ向かった。

午後2時より本番開始。第1部は、銭太鼓の曲を2曲することになった。2曲目は、カラオケに合わせて私が太鼓を打ち、家内が歌った。

第二部は、我々二人に時間が与えられた。少し語りを入れながら、『ふるさと』を会場の皆さんと一緒に歌った。続いて赤トンボを同様にみんなで歌った。

その後、身体を動かしてもらうために、手遊び歌やや『幸せなら手をたたこう』を歌った。手を叩き、足をならし、肩を叩き、大笑いを入れたりした。

第2部は、私と家内の受け持ち。歌を歌ったり、話したり、手遊び歌で30分間活動をした。

第2部は、私と家内の受け持ち。歌を歌ったり、話したり、手遊び歌で30分間活動をした。

二部の最後は『母さんの歌』で締めくくった。子守りなどについては、私自身の子どもたちのことを交えながら、話した。

第3部は、銭太鼓を二曲。二曲目は、最初と同様に、私が太鼓をたたき、家内が歌った。そして、最後には、今朝作ったCDをバックに、私が太鼓を叩き、これも家内が歌った。

参加者の中には一緒に踊ってくれる人もいた。いつの日にか私もこうした施設にお世話になるのだろうか。

少しでも健康でいなければと思った。勉強になった慰問活動の一日だった。寄せていただいてよかったと思った。

(日記 午前中は慰問活動の準備。午後は、2時から3時過ぎまでデイサービス施設で慰問活動。午後6時から『爺ちゃん勉強』。最後に孫が『花は咲く』を歌ってくれた。午後7時半から私の事務所で、私の創作民謡『勝山よいとこ』の踊り指導。午後8時半過ぎから、遅羽公民館で和太鼓指導。新曲を練習しているので、練習に気合いが入った。充実はしていたが、慌ただしい一日だった。)

第3部は、銭太鼓のメンバーも衣装を替えて登場。銭太鼓と歌と太鼓で会場を盛り上げた。

第3部は、銭太鼓のメンバーも衣装を替えて登場。銭太鼓と歌と太鼓で会場を盛り上げた。

 
 

民生児童委員の会合で

18 9月

児童に対する接し方について
大野市の北部民生委員児童委員協議会から講演を依頼された。テーマもほとんど向こうから頂いたものだ。

似たようなテーマであちこちで話をさせていただいているので、パワーポイントによる資料はできている。とは言っても、いざ話をするとなると、あちこち資料を手直ししたくなった。

そんなわけで、今日は天気がよかったが、朝から夕方4時頃まで資料の手直しに時間をかけた。10章に分けて資料を作った。

1.ふるさと 2.時代と子ども 3.子どもを生かす 4.背中での指導5.家族の役割 6.ことばの力 7.花一杯運動(オリジナル)
8.地域の農業と郷土芸能 9.子どもと共に 10.ラストメッセージ
午後6時過ぎに自宅を出て、会場の大野市乾側公民館へ向かった。午後7時過ぎから、約一時間余りパワーポイントを使って話をさせていただいた。

その後、質疑応答。8時半頃終わった。自分にとっては、こうした機会を持つことは生き甲斐にもつながり、とても楽しかった。

定期的に話をさせていたくものとしては、他に、中国人の研修がある。日本へ働きにやって来た中国の人たちに日本文化や日本の風俗習慣について話すのだ。

これもとても楽しい。彼らは真剣に私の話を聞いてくれるからだ。講義の中で、日本の歌やダンスも取り入れている。

まだ、他人から必要とされているということは、自分にとっては生き甲斐につながり、次への励みになる。充実した一日だった。

(日記 午前8時過ぎから、午後4時頃まで講演の資料づくり。午後6時過ぎに自宅を出て大野市の乾側公民館へ。約1時間半、話と質疑応答。同級生もいて楽しかった。)

 
 

自然災害

17 9月

痛めつけられる日本列島
最近、自然災害が頻発している。東日本大震災以降、豪雨による河川の氾濫、崖崩れ、竜巻などが日本列島を襲っている。福井県でも、若狭地方が河川の氾濫で大きな被害を受けた。

崖崩れや床上浸水等の後始末は大変だ。汚泥が床下や室内に入り込むと、これを取り除くのは大変な作業になる。先の福井大豪雨の再来だ。

交通網も大いに乱れた。長男は、6時間前後で横浜へ帰るつもりが、今朝の午前4時過ぎに約10時間をかけて自宅へ戻ったようだ。娘の方は、新幹線だったが、北陸線が混雑していてかなり時間がかかったようだ。

被災した人たちは、例によって「生まれて初めての災害だ」と話していた。いつどこで、どんな災害が起こるか分からない。これまでの経験が生きてこない。

災害に備える心構えも、これまでの経験からだけでは類推できない時代になったようだ。大地震も、確実に起こるという。突然の竜巻も簡単には避けられないだろう。
災害は忘れた頃にやってくるのではなく、いつどこに想定外の災害がやってきてもおかしくないと思った方がよいような時代になった。普段から、何をどうしなければならないか、考えておかなければならない。

(日記 午前10時より、家内と二人で鹿谷の銭太鼓の練習に参加。今度の施設の慰問に参加するために一緒に全員で練習した。午後は、家庭菜園作業。大根は芽を出している。カブなどを植える場所を耕した。午後7時から、これも施設への慰問のために『親子太鼓』の練習をした。鹿谷の銭太鼓と同じ施設へ慰問に出かけるのだ。何かと忙しい一日だった。)

 
 

充実した3連休

16 9月

パソコンも活用できそう
長男の家族が突然やって来て突然帰って行った。1歳半の孫とも、スカイプのおかげで自然に振る舞うことができた。スカイプで全く顔を合わせていなかったらだっこなどできなかっただろう。

私の机に二人が座って、直接『爺ちゃん勉強』をすることもできた。これからまた、週二回、「こんばんは」で勉強が始まるのだ。

日曜日以外は毎日、学習計画表があってそれに従って予習し、親が採点することになっている。親も子どものでき具合を把握してほしいと思うから、採点をまかせている。しかし、間違いの指導は全て私がやることにしている。

家内や次女、長男を含めて孫達の大好きな「ウノ」を楽しんだ。

家内や次女、長男を含めて孫達の大好きな「ウノ」を楽しんだ。

一緒に暮らしていればできることが離れて暮らしているのでできないと思ったが、ITの進歩のおかげでまるで一緒にいるように、臨場感あふれる会話で学習ができるのだ。

学習の終わりには、毎回、歌を歌っている。その他、一番下の孫と、簡単な会話をするのだ。おかげで、私たちのことはかなりはっきりと認識しているようだ。だっこして近所を歩くこともできるようになった。

私にとっては、孫との再会だけではなく、息子に、パソコン関係のことをやってもらったこともありがたかった。数学ブログを書く段取りもしてもらった。

普通の人にとっては、当たり前のことかも知れないが、私は、パソコンの扱いが苦手だ。今後は、数学でやっかいな数式の入力もできそうだ。

ただ、数式を表現するには、それなりの言語を使わなければならないので苦労しそうだが、楽しみも増えそうだ。「1に数学、2に音楽、そして、まちづくり……」だろうか。

今回の息子達の帰省は、私たちにとってはとても楽しいものとなった。新たな数学ブログが書けそうなのがとてもうれしい。とは言うものの内容のことを考えると簡単ではない。不安でもある。

息子達が、午後4時過ぎに車で横浜へ帰って行った。別れ際は孫達とはシンミリしたものになった。午後5時頃には次女も東京へ帰っていた。急に我が家は静かになった。

「ばいばーい!」今度はこちらから行くかも。長女はいつになくにっこり。次女はシンミリ。別れはいつもさみしいものだ。

「ばいばーい!」今度はこちらから行くかも。長女はいつになくにっこり。次女はシンミリ。別れはいつもさみしいものだ。

(日記 午前中は、孫は、学校と私の課題。そして、『爺ちゃん勉強』。私の机に二人が座っての学習。孫達は、私の家の各部屋をフルに使って遊び回っていた。時々、カードゲーム『ウノ』をやっていた。帰りに際して、新米を一俵持たせた。昨日、組合で臼をすったばかりの新米だ。午後、明後日大野市の民生委員さんの前で話すための資料をパワーポイントで作った。長男家族と次女が来て、賑やかだったが、みんな帰って急に静かになった。その後は、鹿谷のおばさん達の銭太鼓のCD作り。することは結構ある。充実した三連休だった。)

 

 

 

 

「バイバーイ!」

「バイバーイ!」

 

 

 

 
 

本来の道

15 9月

紆余曲折はあったが
太鼓をやったり、おじさん(爺ちゃん)バンドをやったり、ハワイアンバンドをやったり、紙芝居をやったり、和太鼓をやったり、……と色々やってきたが、私の本来の道は数学を教えることかも知れない。

教えると言うよりも、理解し楽しんでもらうことかも知れない。そんなことを考え、現在のブログのあり方をいつも考えていた。この九月で三年半になる。

ここらで、数学を題材にしたブログを考えられないか、最近そう考えていた。ところが、昨日、突然息子が帰ってきたので、このことを話すと、新しいブログを立ち上げる準備をしてくれた。

ただ、数学の最大のポイントは、数式の入力だ。ホームページもこれでずいぶん苦労した。仕方がないので、文字としてではなく図形として扱ってきた。

当時もあったが、今は便利な数式入力ソフトがあるのだ。とはいえ、実際の数式とはかなり異なるものを入力しないと思うように表記してくれない。果たして、効率的に数式を入力できるかが問題だ。

嵐のようにやって来て嵐のように帰る孫達。湯上がりに3人揃って一踊り。

嵐のようにやって来て嵐のように帰る孫達。湯上がりに3人揃って一踊り。

ともあれ、10月からテスト的に新しい数学ブログを始められたらと思う。対象はもちろん高校生。果たして、高校生に興味を持ってもらえる題材を提供できるか。

一日一問、何か数学に役立つ題材を提供できたらと思う。基礎的な知識はしっかりと身に付けたら、後は考えるのみだ。理詰めに考えたり、ひらめき的に考えたりしながら問題の対処するのだ。

この考える力は、きっと将来どこかの場面で役立つと思っている。数学を学ぶことも大切だが、数学を通して学ぶことも大切だと思っている。そして、将来の入試にも少しでも役立てられたらなおよいと思っている。

しかし、このブログで誰がやっても同じではないオリジナリティーを出せるかが最大の問題だ。これができなければ、私がやる必要は全くないのだから。諸活動との時間のバランスを取りながら、自分の活動を整理したいと思う。

(日記 朝市に、家内と息子の嫁が鱒の笹寿司作り。息子達は喜んで食べていたのが幸いだ。今日は一日我が家は賑やかだった。先ずは午前中、いつもはパソコンの画面を通しての『爺ちゃん勉強』は、私の机で孫と二人が並んですることができた。楽しかった。その後、音楽(歌)で締めくくり。午後は、子ども太鼓のための、三味線練習。「しっちょうめ」は初めての曲だが、何とか暗記したいと思う。その後、息子と数学ブログの打ち合わせ。やりたい気持ちとやることに意味があるのかという不安がある。)

 
 

突然の帰省

14 9月

孫達に再会
  夏休みに3週間帰省していた孫達が突然やってくることになった。長男の嫁が福井での結婚式に出席することになり、末娘を連れて勝山へ来ることになっていた。

  しかし、直前にこのことが5歳の次女にばれて「自分も勝山へ行きたい」ということになったらしい。昨日、連絡が入り、車で家族5人が横浜から勝山へ来ることになった。

  二人暮らしが長男の家族五人と私の次女も帰省して8人になり急に賑やかになった。2週間後には村の祭りがあるが、これには出席できないという。そこで、息子達の好きな祭りのご馳走の一つである笹寿司を作ることにした。

息子と三人で裏山へ出かけ笹寿司のための笹の葉取り。

息子と三人で裏山へ出かけ笹寿司のための笹の葉取り。

  早速、家内と息子と3人で裏山へ行き、笹の葉を取りに出かけた。林道脇に生えているきれいな笹の葉をはさみで切り取った。笹の名取りでもあるが、森林浴をしている様な心地よさであった。

  帰りに今年初めてのショウガも取った。笹寿司に使うだけなので中ぐらいのものを選んだ。今年もデキは良さそうだ。某ショウガ産地では年間三十数回消毒するという。私は一度だけ虫の予防の為に葉っぱに薬を撒いた。

 週に二回は小三の孫に勉強を教えているので、パソコンの画面で対話している。その際、他の孫達とも離すことにしているので、別れて暮らしてはいるが、一緒にいるのも変わらない。

 夜は外食。その後、玄関先で花火。例によって、孫(長女)が私たち夫婦の間に入って、文字通り「川」の字になってねた。たまに会うのもまたいいと思う。私が伴奏して孫(長女)と『花は咲く』、次女とは『カメハメハ大王』を練習した。

家の中を飛び回ったり、居間でウノを楽しんだりして、孫達はじっとしていない。

家の中を飛び回ったり、居間でウノを楽しんだりして、孫達はじっとしていない。

(日記 午前9時半より、『親子太鼓』の練習。本番前なので気合いが入る。特に左義長練習では保護者の一人が笛を吹いてくれた。私は、三味線練習。本番では生で子どもたちの左義長伴奏をしたいと思っている。帰宅すると、横浜から孫達の家族が来ていた。夏休み以来の再会。息子と話すのも楽しみだ。まるで正月が来たようなはしゃぎようだ。おまけに、昨日、私の次女も友達の結婚式のために東京から帰ってきているのだ我が家はとても賑やかだった。)

 
 

マー君

13 9月

偉大な記録
  別に楽天ファンでもないが、昨日はテレビ放送が入らないので、ラジオの実況放送で楽天-オリックス戦を聞いた。4回までは0-0の緊迫した試合。楽天が5、6回に2点、3点を取り、マー君の記録が達成したも同然。

  途中で、その後2点取られたが自責点は1の完投で今期21連勝のプロ野球新記録。おまけに昨年の8月26日から一度も負けていないのだ。ある時期までは日ハムの斉藤投手と何かと比較されたが今はそれもない。

  ところで、なぜこのような結果になったのだろうか。この日も10安打とかなり打たれている。打たせて取るピッチングによって球数を減らしているのだと言う。

 そのため、多くの打者は打ち取るが、時には安打も出る。しかし、要所では力で相手をねじ伏せきちんと三振をとれるのだという。そして、マー君が投げるとファインプレーがよく出るという。

 ピッチングのテンポがよいので守りやすいらしい。投手と野手の信頼関係は熱く、今後も、マー君の勢いは止まりそうにない。闘志あふれる投球と打ち取ったときのガッツポーズ。

 何かと災害の多い東北の中にあってマー君の存在は輝いている。かつて田舎(九州)似合った途方球団が東京の巨人に勝って日本一になったように、今度は東北から東京の巨人に挑んでほしいと思う。

(日記 久しぶりにぼんやりと過ごした一日であった。でも今月はまだまだすることが多い。)

 

 
 

地区の活性化

12 9月

猪野瀬活性化委員会
  私たち8人が、猪野瀬活性化委員会として、猪野瀬地区の活性化に取り組んでいる。これまで何度か、話し合ってきた。予算は市からの800万円弱がある。

  これは、市内全地区に与えられたものだ。それぞれ均等割と人数割りで配分が決められている。先ず、地域の活性化とはどのような状態を指すのだろうか。

 「地区を少しでもよくしよう」と思う住民がいること、そして、地域の行事等には義務的ではなく参加し、楽しむこと、また普段は挨拶を交わし立ち話ができること。

 そして次世代を育てようとする空気があること等ではなかろうか。しかし、現実はそれぞれがつながりを欠き、孤立化しているように思われる。これは、生活環境の変化と無縁ではないと思う。

  そして、この傾向はますます深まる。大きくなればスマホにレンタルDVDなど時間を潰す。人と人との交わリの楽しさ、心地よさを味わう経験は皆無であろう。

  子供時代をどのように過ごすかによって、その後の生き方が変わるように思われる。ゲームやテレビや漫画に多くの時間を費やし、自由な時間に子どもたちがこれらの機器を離れて遊ぶことはほとんどないようだ。

  昔よかったことを今の時代に復活しようとしても、生活環境が異なっているのでそれは無理だろう。しかしながら、昔のよさの全てを捨て去るのもまた惜しいことだ。

  今度の猪野瀬活性化委員会では、このようなことを頭に置き、考えてみたいものだ。人と人とが顔をつきあわせて遊ぶ機会の減少はこれからも様々なところで悪影響を及ぼすのではなかろうか。

 結局は、大人社会が、世の中を無意識のうちに壊しているように思えてならない。利益優先、効率優先の社会では、私たちは単なる消費者、労働者としてしか存在しないのだろうか。

(日記 午前中は、『農事組合法人かたせ』の稲刈り当番。私は、稲刈りの補助員として軽トラックでコンバインが刈り取った籾を組合の農舎へ運んだ。雨が降りそうだったので途中でパンをかじりながら午後1時半まで休まず作業をした。)

 
 

子どもとの関わり

11 9月

ふるさとの始まり
  身内以外の子どもと親しくなることは楽しいことだが、多少の時間が必要だ。村の子どもなら親しくなる条件の第一は挨拶ができることだ。挨拶ができれば、会話は次の段階へ進むことができる。

  挨拶のできない子とは、親しくなるには時間がかかる。ところが、定期的に関わる子どもとなると、冗談まで飛び出す。今、太鼓を教えている子ども(小学2・3年生)がいるので、この子達とは気軽に話すことができる。

  おそらく、中学生になっても、高校生になっても挨拶ぐらいができるだろう。子どもの側から考えると、家族以外の人と関わりを持つことはとても大切だ。

夜なのにみんな元気。子ども達からパワーをもらえる。

夜なのにみんな元気。子ども達からパワーをもらえる。

  勝山を離れて、何かの機会に戻ったとき、家族以外に挨拶を交わす知り合いがいるということはとても気分のよいことではないだろうか。

  私のふるさとの定義は、「家族以外に関わった人がいること、自宅以外に関わった場所があること」の二つだ。自分を温かく見守ってくれる大人や先輩や友人、そして、遊んだ山や川や公園などがふるさとを構成しているのだ。

  今の子どもたちは、「我が家あってふるさとなし」の状況ではなかろうか。大手電機メーカーが新型のゲーム機を売り出すという。また、ドコモもiPhoneを売り出すという。

  私が一番心配することは、多感な時期に子どもたちが、これらの機器に膨大な時間を費やすということだ。企業は儲かりさえすればそれでよかろうが、多くの国民は、金と時間を出してこれらの機器を買っているようなものだ。

  出番が近いので夜、子どもたちに太鼓を教えたが、子どもたちの屈託のない笑顔を見ていると思わずこのようなことを考えてしまった。子ども達の前途に幸多かれと祈らずにはいられない。

順調に成長している我が家のショウガ。もうすぐ美味しい新生姜が味わえる。楽しみだ。

順調に成長している我が家のショウガ。もうすぐ美味しい新生姜が味わえる。楽しみだ。

(日記 午前中は、レコードから、カラオケ作り。何度も聞きながら、楽譜を取り、パソコンに入力してカラオケを作った。午後は、ショウガ畑の草取りと土寄せ。その後、家庭菜園に使う藁を集めた。午後7時から『親子太鼓教室』。出番が近いので、子どもたちも真剣だ。楽しそうに太鼓を叩いているのがよい。)