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Archive for 3月, 2013

「充て職」の会か「有志」の会か

11 3月

まちづくり組織の活性化
 「まちづくり」などの会を作るとき、「各種団体の長」等からなる組織を作った場合、上手く機能するのだろうか。まちづくりに対する意欲が全くない者が集まっても、組織はなかなか前へ踏み出せない。

  「充て職」による組織は、形式上意味をなすが、実質上機能しない場合が多い。例えば小さな村で、各種団体長を集めて組織を作った場合、理論上、全ての団体の意見を汲み上げることができ、決まったことをそれぞれの団体のメンバーに伝えることができる。

  しかし、組織を構成するそれぞれが前向きでなければ組織は機能しない。多くの組織はこのように、「充て職」によって組織される場合が多い。しかし、これらの組織には限界が見られる。

  今、私たちは、猪野瀬地区の「まちづくり」をどうするか話し合っている。今のところ、「充て職」による組織作りは止めようということになっている。各種団体の長の中には、会長が1年交代の組織もあり、そのような人たちが集まっても前向きの組織を作るのは困難だからだ。

  個人で参加する前向きのメンバーが数人いるので、それらのメンバーを中心に、一般公募してメンバーを増やし、「まちづくりの活性化を目指す組織」を作れればと思っている。

  しかし、その組織が地区とどういう関係があるかをはっきりさせておかないと、いざ何かをやる場合に、協力者を求めることが困難になる。有志だけで町を動かすことは困難だからだ。

  今始まったばかりだが、メンバーになったら、充て職ではないので、数年間は同じメンバーで活動することになる。私も、どこかの組織を代表するのではなく、個人として参加したいと思っている。そして、有志の会として活動したいと思っている。

 (日記 午前10時から公民館に集まって「地域の活性化」について話し合った。今日は、かなりの時間を組織のあり方についてあれこれ意見を交わした。午後は、5時半頃まで区の監査があるので、それらの資料を揃えた。午後6時から、区の監査。私は、あれこれ証拠書類を示し、5つほどの会計の監査を受けた。監査の後、地域の活性化について話し合った。今は、集落の1年のまとめの時期だ。区民が心を一つにして、地区の活性化に向けて取り組んでみたい。)

 
 

何かできることがあるのでは

10 3月

まもなく2年
  東日本大震災から、まもなく2年が経過しようとしている。テレビでは、連日震災に関する番組を放映している。復興はまだまだだという感じがする。震災の影響を受けて、まちが壊滅的な打撃を受けた人たちは大変である。

  地盤沈下のために、まちを動かしたいが、どこにつくるかが定まらない地区、海岸沿いでの居住を諦めて故郷を離れた人、避難所生活で精神的にダメージを受けている人、……様々である。

 特に、将来への希望を失っている人は悲惨である。「何をどうすべきか」、「どう生きるのか」が全く見つからないのである。陸前高田の市長が「千年に一度の大災害が起こったのに、その対応は旧態のままであり、これでは復興には全く対応できない。」と語っていた。

  千年に一度の大災害が起こったのなら、その対応も平時とは全く異なる“千年に一度の対応”つまり、規則も平時とは全く異なる緊急的なものでなければならないということだろう。

  液状化現象の起きた茨城県や千葉県なども悲惨であった。新築の家が傾いてしまっているのである。ローン返済も終わっていないのに、家が傾いてしまって住むのが困難な家もたくさんあったようである。

  さらに、福島は別の意味ではもっと悲惨である。地震の被害だけではなく、原発の災害も加わったからである。自宅が帰れる状態であっても、放射能に汚染されているために、帰れない人も沢山いるが、全く気の毒である。

  特に幼子のことを思うと、親としては、簡単にはふるさとへは戻れないようである。多感な子供時代を落ち着いた環境で生活できない子どもたちは全く気の毒である。

  除染活動を見ていると、素人ながら大丈夫かなという気になる。汚染された土を、庭の隅に大きな穴を掘りブルーシートで包んで埋めているシーンが映し出されたが、このようなことで放射能を取り除くことができるのだろうか。

  住宅地もさることながら、農地や山地が汚染された場合、除染作業は簡単ではない。原発事故は、私が想像しているよりはるかに大きな災害だった。こうした地区の復興はいつになるのだろうか。

   しかし、2年も経つと、事故の悲惨さは多くの人たちから忘れ去られている。原発も再稼働、再稼働の大合唱である。見ていて歯がゆい思いがする。当事者達の無念さは想像を絶するものになるだろう。

  このような状況を見ていると、私にも何かお手伝いできないかと思ってしまう。できれば、今年中には、東北地方へ出かけて、ささやかながらも何かお役に立ちたいものである。そのために、何から始めればよいかを今考えている。

村の神社の春祭り。今年一年の地区の安泰を願う。(於:片瀬白山神社)

(日記 今日は終日忙しかった。午前7時半に、村の地境問題の立ち会いのために区内の現地へ出かける。関係者、市役所職員、測量会社が来ていた。午後1時半から、区の神社の春祭りである。神主さんが我が家へ来られた。衣装を着替えたところで神社へご案内。神事が行われた。その後、区の会計処理。午後5時から猪野瀬体育協会の総会・懇親会が行われた。懐かしい顔が見られた。)

 
 

子どもたちにパワーをもらう

09 3月

親子太鼓練習再開
  冬の間は、私の事務所で行っている『親子太鼓』の練習を休んでいた。たぶん雪が降って、事務所の駐車場の除雪も大変だろうし、子どもたちの多くは、2月の最終土日に開催される開催される『左義長祭り』の練習夫大変だろうということで休んでいたのだ。

久々の親子太鼓教室。子どもたちに勇気をもらった。

    昨年の後半は主に左義長の練習をしていたので、子どもたちは各町内で上手く左義長太鼓を叩いているだろうとは思っていたが、少しは気にしていた。練習休みの間一度だけ、左義長太鼓の練習をしてみたが、まあまあ頑張っているようだった。

  『左義長祭り』も終わったので、いよいよ今日から、『親子太鼓』の練習の再会だ。全員は集まれなかったが、久々に見る顔は懐かしかった。子どもたちは、小学校1年生と2年生だ。

 昨年の復習をして、少しだけ新曲の練習をした。しばらく休んでいる内に、左義長太鼓の癖が付いているようだったが、気にするようなレベルではない。全体練習の後、『左義長太鼓』をやってみた。

  子どもたちは、また一段と上手になっていた。それと同時に、太鼓が好きになっていた。演習を終わっても、止めようとは言わなかった。一番好ましい形だ。子供の左義長チームができそうだ。

しばらく会わないうちに子どもたちは上手に『左義長太鼓』を叩くようになっていた。教えたことに、新たな技を加えて打ち込んでいた。がんばれ、ちびっ子達!じいちゃんも負けないぞ!

  子どもたちに、元気をもらった一日だった。先日は、おばさん(いや、お婆さんかな)達と銭太鼓をやり、元気をもらったが、今日は孫のような小学生と練習して本当に楽しかった。保護者も「太鼓ビックスだ」といっていたが、私も久しぶりにいい汗をかいた。

  子どもたちのおかげで太鼓もできた。楽しかった。もう少し練習すれば子どもたちは、間違いなくステージに立てる。それも、立派な太鼓の打ち手としてだ。新たな勇気が湧いてきた、忙しいなんて言ってはいられない。

(日記 午前中は、区の総会のための資料づくり。午後も3時半まで作業を継続。家内に応援してもらって収支をきちんと合わせることができた。午後4時から『親子太鼓教室』。子どもたちから元気をもらった一日だった。)

 
 

ご近所トラブル

08 3月

近所との付き合い方
  「ご近所トラブル」という言葉があるが、これは何も家と家の関係ばかりではない。村と村がトラブルを抱える場合もあれば、町と町、国と国……がトラブルを抱える場合もある。

 大きな話で言えば、我が国も、国境を巡って常に争いを続けている。その上、国境を通り越して汚染された空気が勝手に侵入してくるから困ったものだ。遠方の辺鄙な島だと思っていたものが、その島の周辺に地下資源があるとなると、どちらも簡単には譲れない。

  これらを裁く国際機関もあるようでないに等しい。よい方法は簡単には見つからない。最後は武力に訴えるしかないのだろうか。どんなに文明が進んでも平和を維持するには武力が必要なのだろうか。

 ちょうど、アメリカでは銃は相手を攻撃するためではなく、自分を守る大切な武器であるとの感覚があるようだ。そのような理由であっても、個人が武器を持てば、何が起こるか分からない。個人の暴発によってどれだけの命が失われたことか。

  町と町の関係も、よく似たところがあるようだ。力を合わせれば、両方が発展すると思うのだが、実際にはいがみ合ってベクトルが合わない。悲しいことだ。

 規模を小さくすれば、家と家の間でも、時と場合によっては、トラブルが発生する。我が村では、今、高齢者の一人暮らし、二人暮らしが増えている。村の全戸数の三分の一がそうだ。

我が片瀬の背後には白山を開いた泰澄大師ゆかりの「大師山」があり、その背後一帯を「奥山」と呼んでいる。この奥山の所有権を巡って、近隣の村々が常に争い、暴力事件が起こり、訴訟に持ち込まれることもあった。これもある意味では、村と村との「ご近所トラブル」の一種であろう。そうしたことが書かれたこのがこの本である。

  数年後には、大変なことになる。一人暮らしがドット増えることになるだろうし、新たな高齢者の二人暮らしも増えるだろう。ご近所トラブルを起こしている場合ではない。

  今回の我が地区の『生活アンケート』にも、「ご近所トラブル」についての項目も入れておいた。地区の実態を把握し、区民が仲良くするために、何をすべきかをみんなで考えたいと思う。そうしなければ、地域は「持続不可能」になってしまう。

  小学校も中学校も、高校もそれなりの距離にあり、スーパーもコンビニも役所も、総合病院も車で数分の距離にあるのに、田舎に残らず、都会へ出てそのまま住み着く若者が少なくない。

  やはり、若者が働く場所が一番大切だと思う。ここに残った若者に期待したいのは、悲観するのではなく、ここで何ができるかを考え、チャレンジしてほしい。レベルの低い「ご近所トラブル」を起こしている場合ではない。

(日記 終日、区の決算総会のための資料作り。一人漫才でなかなか進まない。午後、会計処理のための通帳記帳のためJAへ行き、帰りに図書館へ寄って『奥山の歩み』を借りた。決算総会までにはこれを勉強しなければならない。夕方、家内が福井の娘の所へ出かけた。夕食は一人。早くフリーになって創作活動に戻りたい。)

 
 

いつまでも前向きに

07 3月

楽しく過ごした一日
  今日は、鹿谷の女性銭太鼓チーム『すいせんサークル』が、平泉寺荘の“生きがいデイサービス”『湯ったりサロン』の利用者が一同に会する『感謝祭』に招かれた。そして、グループから、「30分から40分の時間を持たせるのは大変なので一緒に出てほしい」と私に応援を頼んできた。

1曲目はグループの地元の民謡『矢戸口ええとこ音頭』に合わせて銭太鼓のバチを振る。

  私は、月に一、二度このグループの指導を行っているのでいわば身内だ。彼女たちは、今のところ、人前で演奏できるのは3曲だけ。そこで、その3曲を中心に、その前後を私たち夫婦で埋めることにした。

  一曲目は、彼女達の地元である矢戸口地区の新民謡『矢戸口ええとこ音頭(作詞は地元の住人、作曲は私)』に合わせて銭太鼓。

 そして衣装替えの間は、私たち夫婦の出番。いろいろ皆さんに話しかけながら、私のアコーデオン伴奏で家内が『赤とんぼ』と『母さんの歌』を歌った。

  次に、彼女たちが演歌『大江戸喧嘩花』に合わせて銭太鼓。そして、衣装替えの間に、オカリナの前奏の後『瀬戸の花嫁』を家内が歌った。続いて『ふるさと』。それぞれの歌の間に語りを入れた。非常に反応がよくとても楽しかった。

アコーデオン伴奏で『あかとんぼ』や『ふるさと』を歌う。

  最後は、銭太鼓グループと私たちが一緒に『河内おとこ節』を披露した。昨日までに銭太鼓の演技がしやすいようにカラオケを作っておいた。歌は、昨日猛練習して家内が歌った。私は、鉦で拍子をとった。終了後、アンコールの声が飛び、『矢戸口ええとこ音頭』を演奏。

  終了後、全員で会食。楽しい一日だった。もっと、皆さんにいろんなことを話したいと思った一日だった。私が、この銭太鼓グループに関係しているのは、彼女たちが膝が痛かったり、腰が痛かったり、手が痛かったりでやっと動いているにもかかわらず、銭太鼓の練習に熱心に取り組んでいることに心を打たれたからだ。

  それと、他から見れば銭太鼓は、座って両手で銭に入ったバチを振るので上半身の運動のようにも思うかもしれないが、私は、身体の運動であると共に“脳の運動”でもあると確信しているからだ。身体と頭の体操だ。

  特に、高齢者の皆さんには、どんなことでもよいから、からだと頭の運動をしてほしいと思っている。「身体と頭の健康作り」は、私のお薦めする健康作りのキーワードだ。とにかく、楽しい一日だった。

オカリナの伴奏で『瀬戸の花嫁』を歌う。

(日記 午前10時に私の事務所へ銭太鼓のメンバーと私たち夫婦が集まって合同練習。特に、最後の『河内おとこ節』を何度も練習した。午後1時から平泉寺荘で本番。その後、全員で会食。帰宅して、大野のソフトバンク店へ出かけた。iPhoneにするためだ。明日から三日間は来店を避けてほしいと言われた。金、土、日の三日間は学生が殺到するからだという。来週には携帯電話を乗り換えたいと思う。)

フィナーレは全員で銭太鼓『河内おとこ節』を演じた。歌は家内で、私は鉦。

 
 

情報統制

06 3月

新聞の『争論』から思うこと
  昨日の福井新聞を読んでいると、『被災地の漁業をどうするか』とのタイトルのもとに、二人の“専門家”が反対の意見を述べていた。学者にして、意見が全く対立するのだ。

  一人は、「政策研究大学院大学」客員教授の小松正之氏、一方は「東京大社会科学研究所」教授の加瀬和俊氏だ。どちらもそれなりの論客だと思う。いわゆる専門家だろう。

 小松氏は、「近代施設を造って新しい販売流通システムで漁業を始めることだ。そのためには、民間のノウハウ投入と漁業権の開放が鍵となる。」としている。

 一方、加瀬氏は、「企業に漁業権開放という考え方には反対する。海を使って生活している人とそうでない人の差をつけるのは当然だ。地方では漁業は数少ない産業だ。地元の海の管理はそこに住む漁業者がするのが漁業法の考え方で、企業が地域社会や近隣漁場との協調を無視して漁場を利用した場合、利益が上がらなければ海を切り売りにすることになる。」と。

  その他にも二人の考えには相違点が多い。このように意見が対立するということは、問題が単純ではないということだ。こういう状況で政府が何か事を進めようとするとき、当然、賛成の学者を起用するか、その言に従うだろう。

  原発も、安全だという学者とそうだはないという学者がいたと思う。しかし、反対意見の声は消され、支持する学者だけを集めて事を進めてきたように思う。マスコミも、下手に反対したら営業に影響するので真実を伝えにくい。かくて、原子力ムラができたのだ。

  このように、意見が対立することが世の中には多い。電気料金値上げに際しては、「原発を止めたから、電気料金を値上げしなければならない。」というシンプルな論理で、再稼働を進めようとしているように思われる。

  電力が足りないといいながら、電気が間に合ったり、経済的な理由と安全性を天秤にかけたり、……。私たち素人は、根拠の示されないまま、振り回されている。

  TPPも、米の問題ばかりをクローズアップしているが、問題は他にも沢山あるのではないのか。先の衆院選では、「例外なき関税撤廃ならTPP反対」と現与党は農業票を当てにして発言してきたように思う。

 結局は都合のようようにいわゆる“専門家”を登場させて、ことを推し進めていくのではないか。不都合な情報は、なるべく伏せて置いて、都合のよい情報ばかりを国民に示すやり方は、一種の“情報統制”ではないのか。

  私たちは、もっと勉強しなければならない。政治のレベルは国民のレベルなのだから。だまされやすい国民にはなりたくないが、無理だろう。

(日記 午前中は、鹿谷のおばさん達の「銭太鼓指導」。明日が本番だ。もしかしたら、勝山近辺では一番上手に銭太鼓の演技ができるかもしれない。関わってきた私も、楽しみだ。午後は、パソコンで編曲しながら、カラオケ作り。明日は、銭太鼓の合間に私たち夫婦も少しだけつなぎに歌や楽器を演奏したいと思う。そのための練習をした。)

 
 

情報発信のために

05 3月

自宅外で情報発信するために
  私は、毎日ブログを書いている。しかし、旅にでると簡単ではない。子供の所なら、インターネットがあるので、暗唱番号さえ入れればブログの編集場面へ入れる。しかし、それ以外の場所だと、少し面倒だ。

  写真を入れるとなるともっと面倒だ。写真の濃淡を変えたり、トリミングしたりするので、画像編集ソフトも使いたい。ということで、モバイルパソコンを手に入れた。

  昨年までは、カードを購入して外でネットのためにパソコンを使ったが、電波の状況があまりよくなかった。そこで、2年ほどして止めた。そのうちに、子どもたちがみんなiPhoneを持つようになった。

  先日息子の所へ行った際に、iPhoneを持つことを決めた。私が、自宅以外でパソコンを使ったり、ネットをしたいのは、一つはブログを書くこと、もう一つは、音楽のためだ。

  音楽の方は、一つは、「ウインドシンセ」を使って演奏すること、パソコンによってエレクトーンのようにいろんな音を出すのだ。もう一つは、外部でデジタル録音をすることだ。どこでも録音スタジオにできるのだ。そして、CDを作ることだ。

  今月が終われば気分的には楽になるだろう。それは、区の活性化、町の活性化に向けて何ができるかを考えているためだ。4月になったら、家庭菜園が始まるだろうが、その前に、モバイルパソコンを持って旅に出たいものだ。

(日記 午前中は、区の事務処理。午後は、久々にカラオケ作り。いかに、編曲すにいつも時間がかかる。午後から夜までかかってようやくようやく2曲のカラオケを作った。そろそろ時間をみつけて紙芝居作りを再開したい。)

 
 

防犯カメラの時代

04 3月

驚くべき時代の変化
  何気なくてテレビを見ていたら、『クローズアップ現代』で「防犯カメラ」や「盗聴」の話をしていた。まだまだ、こうした防犯カメラは増えるだろう。一つ間違うと、プライバシーの侵害になりかねない。その扱いには慎重でなければならない。

 我々の子供の頃はどうだっただろうか。先ず、戸締まりはしなかった。というのは、ツバメが出入りするからだ。外出する場合でも、玄関の戸を30㎝ぐらいは空けておいたものだ。

 他人にものを盗まれるという心配はそんなになかったのだ。隣近所の関係は、今よりも遙かに密であった。戦後の貧しい時期だったので、田舎では隣近所と仲良く暮らさなければ事がうまく運ばないという事情もあった。

勝山特産の水菜にビニールをかけた。隣の畝にはかけなかった。成長をずらすためだ。水菜は春の味だ。早く大きくなってほしい。

  「結」という助け合い、「もらい風呂」などの生活の知恵、「お裾分け」という分け合い、そうした中では人のものを盗むのはよくないことだと誰もが分かっていたのだろうか。

  また、車の鍵も同様だった。どこで車を止めても鍵などかけることはなかった。福井で止めようと勝山で止めようと、ドアの鍵はかけなくてもモノを盗まれることがなかった。

  今では考えられないことだ。のんびりしたものだ。その後、村の中でも、盗難の被害に遭う家が増えてきて、戸締まりをしなければ外出できなくなった。そのうちに、車も、鍵をかけなければ安心できない世の中になった。

  そして、今は鍵をかけただけでは安心できない世の中になった。最近犯罪が増えてきたように思う。しかし、そう思うが、警察的なデータでは昔に比べると犯罪は減っているということらしい。

  本当にそうだろうか。最近、連日のように理不尽な殺人事件が起こっている。大きくなるまでに、毎日毎日このようなニュースを聞かされ手育った子どもたちは、どのような影響を受けるのだろうか。

 

今年のイチゴは3畝。いよいよ春だ。追肥する家内。いよいよ作業開始だ。

 文明は発達したが、人の心はそうはなっていない。日本もアメリカのように自分を守るためには、銃を持たなければならない時代になるのだろうか。平和を実現するために、核兵器を持たなければならない時代になるのだろうか。

  「防犯カメラ」に象徴されるように、時代は、不信の時代に入っている。物質的に豊かになっても、精神的に貧しければトータルとしては、「貧しい時代」になったと言える。これを打破するのは「田舎力」ではなかろうか。

(日記 午前中、区の会計処理や補助金申請で市役所やJAを回った。午後は、家内と二人で勝山の特産である「かっちゃま水菜」に、成長を早めるためにビニールをかけた。家庭菜園を始めて何十年となるが、初めての経験だ。早く成長してほしい。家内はイチゴにも追肥した。今日は、家庭菜園の仕事始めだった。)

 
 

次世代育成は幼児期から

03 3月

子どもは大人の背中を見て育つ
  地域の時代を担うのは、紛れもなく子どもたちである。しかし、その子どもたちを育てるのは大人であることも間違いない。その指導は大人にかかっている。大人の背中と言い換えてもよいかもしれない。

 しかし、その大人が、子供時代に当時の大人からそれなりの指導を受けていなければ次世代は育てられない。核家族は、こうしたリレーが上手くできないということになる。ということは、大人も子供も同時に、自分自身を磨き続けなければならない。

 といっても、特別なことをすることではない。社会人としての常識を身に付け、それなりに郷土への愛着を持てばよいのではなかろうか。子供に何かを言う前に、自分から何事も始めればよいのではなかろうか。

 あいさつを例にとれば、子どもたちにあいさつの大切さを指導するのではなく、大人自らが、誰に会っても爽やかなあいさつを交わすことから始めればよいのではなかろうか。その背中は幼児期の子どもたちにも伝わるはずである。

  こうして、あいさつをすることを習慣化した子どもたちが、それを続ければさらにその次の世代もそのことを繰り返すはずである。昔は、地域でそうしたことが次から次へと自然に伝わったのではなかろうか。

  私が役所へ移った平成13年頃から3年間ぐらいは、市長は職員に対して「あさつしなさい」と口癖のように言っていた。そして数年後にあいさつがようやく定着したように思う。一端定着すれば、それが次の世代へ伝わっていくのではないだろうか。

園芸講習会『みんなでつくろう!すてきな花壇」で花上を終わりほっとしたひととき。

(日記 ◆午前中、手紙を書いていた。◆午前11時から仏母寺の役員会が開催された。私も充て職で役員になっている。私の村のほとんどが浄土真宗だが、この仏母寺は曹洞宗である。しかし、村の先人がこの寺を片瀬に移し、今日まで守り続けてきたのである。しかし、近年、この寺の運営が困難になっている。それは参拝者が減少しているからである。私も役員の一員である以上、今月行われる総会でこうした状況を皆さんに伝えたいと思っている。それと同時に、今月の30日に行われる『涅槃団子撒き』には、是非とも子供達が多く参加できるようにしたいものである。私たちは、子供時代からこの行事に親しんできている。しかし、途中で長年中止になり、3年ほど前から復活した行事である。経験のない子供の保護者が沢山いるのである。私たち、経験者が孫世代である今の子どもたちに伝えていかなければならないと思っている。◆午後1時半からは県主催の園芸講習会『みんなでつくろう!すてきな花壇』が行われた。しかし、この講習会の人集めは親切さを欠いていた。公民館で行われた区長会で知らされたが、全体像がはっきりしないので、「これでは区民に伝えられない」と問題になったのだ。最初の案内には一切講習会の全体像を示していなかったからである。今日初めて分かったことだが、この講習会は、6月に行われる県の『緑化大会』に主催者が沢山の花のプランターを並べたいので開催したものである。そこで、今日は、1㎝ほどに育った小さな苗を一人が24個のポットに植えるのだ。私は、配られた紫サルビアを植えた。今日はここで終わりだ。これらのポットは一旦県のグリーンセンターの温室で育て、4月中に、再び講習会を開き、プランターに移植させるのだ。そして、受講生はそのプランターを自宅へ持ち帰り、育てるのだ。そして、6月には、それらを恐竜公園へ持って行くのだ。行事が済んだら、持ち帰って地域に飾ってほしいというものだ。案内には、そうしたことを一切書かずに、講座生を地域割り当てで動員したのだ。私の隣にいた人もそのようなことを一切知らずに動員されてきたのだ。最初から、「緑化大会を花で飾りたいので、協力してほしい」と言えばよいものを、それらを一切明かさずにこうした講習会を開設するやり方は、好ましいことではない。私は、最初からはっきりと協力を申し出られても参加するつもりでいたのでなおさらだ。)

 
 

どんなに忙しくても……

02 3月

区民に望む
  私たちは、自分の気の向かないことを断るのは簡単だ。「時間がない」、「金がない」、「人手がない」などと言えば大概のことは断ることができる。このような調子でやるべきことから逃げていると、やりたいことも見つけられないのではないか。

  どんなに忙しい部活動をしている学生でも、1年365日間のうち、2,3時間ぐらいは地域のため、または学校のために奉仕的な活動をしてほしい。テレビを見る時間があるなら、携帯を操る時間があるのなら。

  子供であろうと、若者であろうと、高齢者であろうと、男であろうと、女であろうと、区の年中行事のうち一つぐらいは、真剣に取り組んでみてほしい。時間にして、せめて一日ぐらい、頑張ってみてほしい。

 今日は、区の3月の定例役員会があった。今年の決算を考えながら、来年に向けていろいろ話し合った。「おかしなことは指摘してほしい。」とお願いして、いろいろ話し合った。三時間半、区のことについて語り合った。

 自分の住む地域なんだ。一年に一度ぐらい、区のために頑張ってほしい。それには「忙しい」ことを理由にしないでほしい。真剣に取り組めば、何かが得られるはずだ。最初に考えていたこととは違う方向に進み、時には充実感も得られるはずだ。

(日記 今日は終日、区の会計処理。午後7時から、3月定例役員会。今年を締めくくりながら、来年に向けて頑張るときだ。昨日は男の子、今日は女の子が二人、『かたせ瓦版』に載っている「違い探し」の答えを持ってやって来た。子どもたちには、粗品として学用品とお菓子をプレゼントした。今日は、保育園の年長組と小学2年生の女の子だ。あいさつから始まり、花育て、そして、「違い探し」などですっかり親しくなった。このまま大きくなってほしい。そして、どこで会ってもあいさつのできる関係を続けたい。よその子も、みんな村の子だ。立ち話ができる子を増やしていきたい。)