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Archive for 3月, 2012

ハワイ旅行記 六日目・7日目 さらばハワイ

21 3月

二つの顔を持つハワイ
  「常夏の楽園ハワイ」と「悲劇の歴史を秘めたハワイ」、この二つの顔を少し知ることができた。そして、今日はハワイでの最終日。午前5時45分起床。そう思って目覚ましを合わせたつもりが、間違えて1時間前にベルが鳴り午前4時45分に目が覚めて

5日間お世話になった「シェラトン プリンセス カイウラニ」。1152室もある大きなホテルだ。玄関には戸がない。誰でも出入り自由な感じだ。

しまった。

 午後6時45分に係員がホテルの部屋まで荷物を取りに来てくれた。部屋で朝食を食べて午前6時45分にホテルの玄関へ行くと、迎えの小型車が来ていた。一路、ホノルル空港へ。暇なので、日本へ行くという外国人の老夫婦にに話しかけてみた。

 カナダから日本で働く息子の所へ行くというのだ。日本では3週間滞在するということだった。息子さんは日本女性と結婚し、最近孫が生まれたとのことだった。息子さんの写真を3枚見せてくれた。

  カナダ人の二人は退職しているのだが、奥さんは小学校の先生だったらしい。そこでそっと聞いてみた。「ハワイの現地人の英語はどうですか?」と。すると彼女は手を横に振って「テストをしたら×ですよ」とジェスチャー入りで答えてくれた。

迎えの車を待つ間プールサイドで一休み。

 例えば、世界のいろんな国の人達が英語を使うが、母国語にかなり影響を受けているなあと予てから私は思っている。ドイツ人の英語は、骨太の英語に聞こえるし、フィリピン人の英語は、また違う。ハワイの原住民の英語もまたしかりである。

 たぶん、日本人の英語は、アメリカ人やイギリス人が聞いたら、日本語訛りの英語だと思う。世界にはいろんな英語があるということだ。日本語だって、東北と沖縄では大きな違いがある。関西の言葉も独特だ。

  午前11時45分頃、ホノルルを発って日本へ向かった。雲の上を静かに走っている。日付変更線を越え、8時間半ほどで成田空港に着いた。そして、午後5時55分成田発小松行きの飛行機に乗り午後7時過ぎに小松空港へ着いた。

ホノルル空港ではフラダンスで観光客を迎えたり、送ったり。

 そして、小松で荷物を受け取り、駐車場に止めてあった自家用車で自宅へ戻った。ポストには、新聞がたくさん詰まっていた。今日の新聞だけを読んで風呂に入った。

 南国ハワイの風景と未だ雪の残る勝山では大きな違いがある。ここ数日間は別世界にいたようだった。現実に戻った感じがした。時々は、命の洗濯も必要だと思った。

(日記 午前中は、子育てマイスターとして新聞の原稿を書いた。午後は、家の前の雪囲いを外した。いよいよ本格的な春がやってくるという感じがした。午後7時半から春駒太鼓の練習。途中で少しだけ、フラダンスの練習も行った。)

帰りに乗るANA野飛行機(ホノルル空港にて)。

成田から小松まで乗った小型機(小松空港にて)。

 
 

ハワイ旅行記 五日目 ハワイ王朝最後の舞台となったイオラニ宮殿

20 3月

ハワイの歴史探訪
  最終日は、再びハワイの名所旧跡を巡りたいということで選んだのがイオラニ宮殿だ。朝一にこの宮殿を見学しようと思って、トローリーバスのレッド路線で出かけた。午前9時過ぎに宮殿へ到着した。

アメリカ合衆国唯一の王宮であるイオラニ宮殿の前で。

 チケットを求めなければならないと思って、切符売り場へ行くと、日本語ツアーの切符を買わされた。結果的にはよかったのだが。しかし、日本語ツアーは、午前11時半から始まるという。

 2時間がもったいないので、レッド路線のトロリーで中心市街地へ戻った。そしてワイキキショッピングプラザのフラダンス教室をのぞいた。その後、ショッピングプラザを歩いていると、アロハシャツが目に入った。ここで、夫婦揃いのアロハシャツを買った。

 そして、チケットを持っているイオラニ宮殿へ戻るためには10時45分のバスに乗らなければならないと、バス停を探したが見つからない。通りを歩き回ってもどうしてもバス停が見つからない。45分が近づいている。もう間に合わないと思ったとき、やっと見つけることが出来た。

  店へ入るとき、エスカレーターで入ったので、出るときもエスカレーターで出たが、90度方角が間違っていたのだ。幸いバスも少し遅れたので、イオラニ宮殿へは、少し時間前に到着することが出来た。

イオラニ宮殿
 イオラニ宮殿は、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してから約100年間続いたハワイ王朝最後の舞台なのだという。宮殿に入る前に、床に傷がつくというので、入館者は全員靴の上からカバーを掛けて入場した。

カメハメハ大王の銅像の前で。

言おう  1階中央の大広間へ入って日本語ガイドの説明を聞いた。壁の両側には、ハワイ王朝の王や女王の肖像画が掛けられていた。ハワイ王朝は、外国人の移入により、大きく影響を受けた国家であるように思う。

  最終的には、アメリカによって準州になり、最後には50番目の州になったようだ。この間の経緯は、何が真実か分からないが、説明を聞いていると、きわめて政治的なものであったように思われる。

  特に、ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニは、アメリカ寄りの政府によって死刑を宣告されたが、世論に配慮して8ヶ月間二階の寝室に幽閉されたという。死刑の理由は、アメリカ寄りの人間の言いがかりに聞こえなくもない。

  幸い彼女は音楽好きであったので、歌を作ることによって自分を慰めたという。相当数の曲を作ったらしい。その一つが、「ア

ワイキキ海岸で。

ロハオエ」だという。こうした背景を全く知らずに、私達は、彼女の歌を聴いていたことになる。

 「アロハオエ」について、ウィキペディアには「クーデターにより王位を追われ、支持者の多くが投獄され、自らも反逆罪の汚名を着せられてイオラニ宮殿に幽閉された女王が、この歌に滅びゆく祖国の悲哀を重ね合わせ、国民への感謝と惜別、あるいは再決起や支持を求める思いを込めていたであろうことは想像に難くない。」とある。

  また、ハワイは日本と親善協定を結び、外交関係が樹立された後、明治元年には民間の移民が始まったのだという。宮殿には明治天皇が送った勲章も展示されていた。今でも、ハワイには日系人が多いのだという。

 話は前後するが、欧米人が入国し始めた頃、病気も一緒にハワイに伝わり、原住民の人口が激減したのだという。小競り合

ワイキキ海岸で。

いをしながらも、島同士で仲良く暮らしていた原住民の生活を一変させたのは、経済的な理由で入国して外国人ではなかったのだろうか。

 ハワイがアメリカの50番目の州になるまでの歴史は、日本人の私達には簡単に理解できるものではないが、きわめて政治的な力や武力によって為されたように思う。

ハワイで初泳ぎ
  午後1時過ぎに、イオラニ宮殿の見学を終えて、再び、ワイキキトロリーのレッド線に乗っ手ホテルへ戻り、遅い昼食。その後、水着に着替えてワイキキ海岸へ。遠浅の海だった。海水はとてもきれいで泳ぎはに適していると思った。

 風が吹くと泳ぎには寒く感じるが、海の中に入ってしまうと、思っていたよりも水は温かかった。遠浅でほどよい波が来ているので素人のサーフィンには向いているように思えた。

童心に返ってハワイの海を楽しみました。

 風景は、旅行パンフレットに出ているように美しい。きれいな砂と海水、建ち並ぶ高層のホテル群、青い空とぽっかり浮かぶ白い雲、のんびりと身体を焼いている人達、サーフィンをする若者達、カラフルなヨット……、まさに絵になる風景だ。

 夜は、ホテルのクリエーション・ディナーショーを申し込んだ。食事の後、ハワイ音楽のバンド演奏が始まり、フラダンスなどが始まった。そして、本番のショー。重低音の音楽が響き渡り、照明の中に、ハワイの歴史を絡めたショーが始まった。しかし、本番のショーは著作権の関係などから撮影禁止であった。

 実質的には、今日が最後のハワイ旅行のようなものだ。部屋へ戻ってから、荷物を整理した。明日は、いよいよ帰国だから。まるで別世界の数日だったように思う。

ディナーショーの一場面。この部分は撮影可だった。

(日記 午前中は、家内と二人で創作紙芝居『白山平泉寺物語』の練習。午後2時から市立図書館で本番。ギターの音楽入りで平泉寺の起こりから一揆による焼失、そして再興、江戸幕府との関係、明治の神仏分離令により神社に衣替えするまでを約40分の紙芝居にまとめて演じた。一つのことを為し終えた感じだった。ここ数日かなり疲れた。)

前座のショーの最後の場面。

本番のショーの終了直後に入場者を送り出す出演者の皆さん。

 

図書館で紙芝居『白山平泉寺物語』を演ずる私と妻春美。

 
 

とろハワイ旅行記 四日目 街中散策

19 3月

海とフラダンス
  今日は、特別に予定を組まずに、ハワイのあちこちを散策すると決めた。ホテルを出て先ず浜辺を散歩。ホテルから100mちょっとで砂浜だ。空は青く、南国の木々が風になびいている。

朝の散歩。

  日本とは全く異なる景色だ。街中は南国の木々でいっぱいだ。どの木もみんな大きい。海辺や街中を散策した後、ピンクのトローリーで今日も、ハワイ最大のショッピングセンター『アラモアナ センター』へ出かけた。全ての店を見ることは出来ない。

 センターステージでは、時々ショウをやっている。この日は、フラダンスをやっていた。地元の高齢者が絶妙な合いの手を入れていた。楽しいひとときを過ごすことが出来た。

  このセンターは、観光客も集まるが、地元の人達も買い物に使うのだ。地元のスーパーマーケットへ出かけた。日本と同じようにいろんなものが売っている。特にイチゴが安かった。

 日本のイチゴ2パックで5ドルと書いてあった。一般の価格と会員用の価格が書いてあった。観光客

地元のスーパーマーケット。イチゴをたくさん食べた。

も電話番号を伝えれば会員価格で買えるのだ。今回の滞在中、6パック買った。

 その後、ホテル近くへ戻り、海辺を散歩した。砂地を裸足で歩くと歩いた。とても気持ちがよかった。その後、ホテル近くのファーマーズマーケットへ出かけ、フルーツやパンを買った。

 あちこち歩いているうちに夜になった。夜のハワイはきれいだ。椰子の木などに電飾の飾り付けがしてあり、たいまつのようにガスの出るトーチが炎を揺らしている。異国情緒にひたることが出来る。

 今日は、当てもなくハワイをぶらついた一日だった。ハワイの天候はいつも雲が流れて晴れたり曇ったりしている。今は雨期らしいが、太陽は顔を出したり、雲に隠れたりしている。ゆったりと過ごした一日だった。

アラモアナセンターのセンターステージで行われたフラダンス。

(日記 終日、明日演ずる『白山平泉寺物語』の追加の絵を描いた。午後7時半からオカリナ教室。午後9時過ぎに帰宅して脚本をチェックした。明日の紙芝居はうまくいくだろうか。)

ハワイではあちこちで無料のフラダンスを見ることが出来るのでありがたい。

あちこちに生えている大きな木。育ちがよいのであろうか。

何度か出向いたホテル近くのファーマーズマーケット。

イルミネーションとゆらゆら揺れる炎がきれいだった。

ホテル近くの露天商。風車を売っている。毎日顔を合わせるので仲良くなった。

夜の町の散策も楽しい。大道芸人がいろんなパフォーマンスを見せてくれる。

至る所に緑があるのは素晴らしい。雪が降らないので、木々は枝振りがよく大きい。

 
 

ハワイ旅行記 三日目 ダイヤモンドヘッド

18 3月

ダイヤモンドヘッドに登る
  今日のメイン観光は、ダイヤモンドヘッドに登ることだ。海を一望できるダイヤモンドヘッドはオアフ島の沿岸防衛に理想的な場所とされ、連邦政府に買い上げられ、軍事要塞化したのだ。

トロリーバスでダイヤモンドヘッドの火口へ向かう。

 先ず、ワイキキトロリーのグリーン線で火口の登山口へ向かう。運転手はとても明るい人だ。山を少し登った見晴らしのよい所で、5分間の停車。めいめいに写真を撮る。バスの運転手もシャッターを切ってくれた。

 途中で、高台の見晴らしのよいところに石原裕次郎さんの元別荘があった。午前9時48分頃、火口の登山口に着いた。ここからは、頂上目指して歩くのだ。最初はコンクリート舗装の登り。その後、土道や岩を削った道、階段、トンネルを通り、最後に螺旋階段を上って午前10時28に頂上に着いた。

 急に、視界が広がった。今日はとても風がきつかった。語学研修に来ている女の子達が「シャッターを押して下さい」と声をかけてきた。頂上からの眺めはとてもよかった。持参の双眼鏡であちこち眺めてみた。

頂上へ向かって歩き始める。

 午前10時42分に下り始めた。いろんな国からダイヤモンドヘッドへ来ているようだ。日本人の観光客ともたくさん会った。いろんなツアーで来ているようだった。午前11時18分に登山口へ戻った。

 その後、バスで市街地へ戻った。そして、フラショップで、私はアロハシャツを、家内はTシャツを買った。その後、ワイキキショッピングプラザで食事。ご飯を食べたいので牛丼を注文した。

 その後、ワイキキトロリーバスのレッド線でヒロハッティーで揃いのアロハを探したが気に入ったものが見つからなかった。ぼんやりしているうちに、ワイキキトロリーの最終バスが行ってしまった。

 しかし、店の計らいで無料のバスに乗ることが出来た。しかも、ホテルまで送ってくれたのだ。ラッキーだった。中心市街地から離れたショッピング街だったので、無料のバスが出ているようだった。

頂上へ到着。ワイキキ海岸がよく見えた。

 バスに乗り合わせたカナダ人の一家と仲良くなった。バスの中から見る夜景はとてもきれいだった。ホテルへ戻って、プールサイドで生バンドとフラダンスを見ながら、夕食を食べた。

(日記 午前8時から奉仕作業。午前10時から村の総会。午後1時頃から懇親会。帰宅するとエコキュートの作業中だった。これまでも深夜電力の温水器を使っていたが、今日から、新しい電気システムになった。午後は、紙芝居の追加の絵を描いた。)

ダイヤモンドヘッドの頂上で夫婦の記念撮影。

市街地へ戻りアロハシャツとTシャツを買う。

 

ホテルのプール。アイパッドで読書をしている外国人も見られた。

様々な大道芸など。

ダイヤモンドヘッド(ネットより)

 
 

ハワイ旅行記 二日目 真珠湾見学

17 3月

アリゾナ記念館見学
  午前6時半にホテル前でツアーバスを待つ。今日は『真珠湾まるごとヒストリカルツアー』の日だ。バスはホテルを回りながら、真珠湾に向かう。ハワイに来たら、是非とも見ておきたい施設だ。

戦艦ミズーリ-の艦内を見学。

  午前6時半にホテルを出て、午前7時半頃には真珠湾に着いたのに、アリゾナ記念館へ入れるのは午前11時過ぎだ。その間、旧日本軍の人間魚雷回天などを展示するボウフィンパークや真珠湾に係留中の戦艦ミズーリーを見学した。

     大日本帝国の降伏文書調印式は、1945年9月2日に東京湾に停泊する戦艦ミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、ニュージーランドが調印して日本の降伏を受け入れた。

 この戦艦ミズーリーの甲板上には、調印式の写真や降伏文書の写し、調印した場所を示すプレートなどが置かれていた。また、この戦艦は、近代装備で衣替えし、湾岸戦争にも参戦しているのだ。

日本の降伏文書に署名する連合軍最高司令官マッカーサー(上左)、重光葵外相(上右)、梅津美治郎参謀総長(下左)と降伏文書調印式の会場を示す甲板上のプレート。

  今は、誰もが見学できる場所になっているが、かつては様々な戦争に参加したアメリカの

アリゾナ記念館(アリゾナメモリアル)
 あちこち見学しているうちに、午前11時になった。いよいよアリゾナ記念館の見学だ。アリゾナ記念館は海上にあるため、見学者は、まずビジターセンターを訪れ、そこから専用ボートで記念館へ渡るのだ。

 ボートに乗る前にセンター内の劇場で必ずドキュメンタリー映画を観なければならない。スクリーンには日本軍の攻撃が映し出されている。館内にはアメリカ人もたくさんいるが、中国人もたくさん来ている。さすがに日本人としては、申し訳ない気持ちになった。

  映画が終わって、前方のドアが開き、そこからボートに乗って、真珠湾に浮かぶ記念館に向かった。記念館は沈んでいる戦艦アリゾナの真上に建設されているのだ。ボートが接岸し見学者は順番に館内に入った。

海底に沈む戦艦アリゾナの真上に建設されたアリゾナ記念館。

 館内は遠くから見ているよりはかなり大きく、両側の窓や館内の床に開けられた大きな窓から沈んでいる戦艦アリゾナを見ることができる。海上には突き出ている赤く錆びた主砲台の周囲から今も油が流出していて何とも痛い痛しい。
 
  そして、日本軍の攻撃により戦死した1177名の遺体が、今も戦艦アリゾナと共に水の下に沈んでいるのだ。戦争の悲惨さや歴史の現実、そして二度と戦争を起こしてはいけないということを思い起こさせる施設となっているのだろう。

 日本人の私は、複雑な気持ちで海底に沈没している戦艦を眺めていた。1177名の名前の書かれた大理石の前で妻と共に合掌した。幸運にも生還した兵士が、その後亡くなった場合には、本人が希望していれば潜水夫が遺骨を沈没した館内に納めるのことだった。

アリゾナ記念館の模型。海底の内部がよく分かる。

 かつての戦友と共に眠るというのだろうか。私は、ハワイでの見学の第一番目にこの地を選んだ。今の若い人達は、常夏の楽園ハワイとこの悲劇の場所・真珠湾が結びつくだろうか。思わずそんなことを考えた。

 それと同時に、このアリゾナの悲劇を「日本人の奇襲」として済まされるのか。ここに至るアメリカの行動、それ以前の日本のアジアへの侵攻、……。何もかもがこの悲劇を招いたと私は思う。

 ガイドの日本人も、私達が単純に考えないように解説しているように思えた。日本語のガイドがついているツアーに一人のアメリカ人(日本語が分かる)も同行していた。同じ解説を聞いて彼はどう感じただろうか。

今も油が流れ出ている戦艦アリゾナの船体。

 いずれにしても、多くの犠牲者を出す戦争は避けねばならない。国を動かすリーダーの責任は重い。それらを選ぶ国民の責任もまた重い。午後1時過ぎ、複雑な気持ちで真珠湾を後にした。

ハワイ最大のショッピングセンター
  遅い昼食をとり、ハワイ最大のショッピングセンター「アラモアナセンター」へ出かけた。ここではトロリーバスの降車地点と乗車地点が異なっているのだ。バス乗り場を探すのにとても苦労した。

(日記 午前中は総会資料作り。午後1時半から世界遺産講演会に出かけた。午後4時より『親子和太鼓教室』。かなり忙しい一日だった。)

アリゾナ記念館へ渡る船(上左)、記念館内部(上右)、今も1177名が眠る海底の戦艦アリゾナ(下左)、犠牲者の名前の掘られた大理石の壁(下右)。

 

ショッピングセンターのセンターステージで行われている高校生のアトラクション。

 

センターでのバンド演奏。

 

定額で乗り放題のワイキキトロリーバス。窓ガラスも入り口のドアーもない。ガイドは運転手。ハワイの風を感じることが出来た。

 
 

ハワイ旅行記 初日-小松からホノルルへ

16 3月

ANAハローツアー
 「退職記念」兼「結婚三十五周年記念」としてハワイ旅行を決めた。いささかミーハー的な旅行であるかもしれないが、一度は行ってみたい所であった。

小松から成田へ向かう飛行機はバスのように小さかった。

旅行の申し込みはネットですることにした。先ず、行き先は決まったが、日程とホテルとその場所が問題だった。そこで、旅行ガイドを購入して少し下調べをした。日程は、村の総会が18日に行われるためにその前後の一週間にすることにした。

結局、キャンセル待ちの日程を指定して申し込んだ。というのは、同じ日程で同じホテルに泊まっても、価格は全く違うのだ。数日後、申し込んだ日程が取れるとANAからメールで連絡があった。

そして、ANAから旅行日程表(電子航空券控えが記載)が送られてきた。また、ANAによるとハワイの場合、90日以内の旅行ならば往復の航空券があればビザは免除されるが、ESTA(電子渡航認証システム)の認証が必要であるとのことだった。

ネットでESTAの認証を受けようとするとパスポートが必要であるということだった。福井へ出かけ海外旅行のためのパスポートの申請に出かけた。こうして、ESTAの認証を受けることが出来た。

出発24時間以内から、電子チェックインが出来るのだ。そして、パソコンで搭乗券を印刷することができるのだ。座席も、空席情報画面を見て指定できるのだ。こうして、全てをパソコンで申し込んで、当日を迎えた。

小松空港へは自家用車で出かけ、荷物を預けた。ここで預ければホノルルまで運んでくれるのだ。ANA3118便で3時10分に成田へ向かった。ESTAのコピーを忘れて慌てた。

その後、ANA1052便でホノルルへ。ツアーとは言え、ここまではANAの関係者とは全く会うことがなかった。このツアーは、ホテルや飛行機の手配がしてあると言うだけのことだろうか。

機内は、とても寒かった。また、往路は夜が5時間短いのだ。現地時間午前10時頃ホノルル空港へ着いた。到着後、入国検査(両手10本の指紋と顔写真を撮られた)、税関通過後空港の外へ出た。

ANAのツアーデスクでオプショナルツアーを申し込んでいる家内。

旅行日程表を見ると団体旅客専用出口へ行くべき所を間違えて一般の出口から外へ出たのだ。拙い英語で現地の人に聞いていると、向こうから現地スタッフがやって来て荷物を持ってくれ、市街地へ送ってくれた。

その後、荷物はスタッフが運んでくれるという。我々二人は、隣のホテルにあるANAの「ツアーデスク」で10分ほど帰りの日程と各種オプショナルツアーの説明を受けた。ツアーは前日の3時までに申し込めばよいとのことであった。

とにかく、明日のツアーだけは申し込んでおこうということで、再びANAのツアーデスクへ出かけ、翌日の『真珠湾まるごとヒストリカルツアー』と最終日のホテルでのショー&ディナー『クリエイション ポリネシアン・ジャーニー』を申し込み、滞在中3種類のトロリーバス乗り放題のチケットを購入した。

シャラトン・P・Kホテルの前で。

この後、、ホテルでチェックイン。部屋の中には荷物が届けられていた。今日は、ホテルの付近を散策することにした。予想よりも寒かった。街中、海辺、ホテルの周辺を散策した。海はホテルから100mちょっとの所にあるのだ。

日本との景色は全く異なり、ハワイへ来たなあという感を強くした。「今日からここで5泊か」と思うと、嬉しくなった。完全な寝不足のまま一日が過ぎようとしていた。明日のツアーは午前6時半集合だ。また、寝不足になりそうだ。

(日記 終日、総会で配布する資料作り。途中で、水菜の雪を取り除いた。夜、Y君が故障したノートパソコンを修理して届けてくれた。)

二人でワイキキの浜辺を下見。

キングズビレッジの衛兵の銃のパフォーマンスを見た後、記念撮影。

枝が垂れないように根が伸びて支えているガジュマルの樹。

南国のフルーツが並ぶファーマーズマーケット。ここでパパイアやトマトやパンを買った。

 
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3月15日

15 3月

ハワイ旅行7日目
  午前5時45分起床。午前6時45分に担当者が荷物を取りに来る。午前7時45分にバスが来てホノルル空港に向かう。午前10時55分、ANA機でホノルルを発つ。午後2時30分(日本時間)、成田空港到着。午後5時55分成田発のANAで小松空港へ向かう。午後7時15分小松空港到着。自家用車で自宅へ向かう。自宅到着は午後8時50分。無事帰宅することが出来た。

  写真を整理し、明日からハワイでの行動を書き留めたいと思う。今回のハワイ旅行で、認識を新たにしたことがある。

 ・ハワイがどういう経緯でアメリカの50番目の州になったのか。(ハワイの歴史)
 ・真珠湾攻撃に対する日米の考え方
 ・日本人(移民)とハワイ

ワイキキの浜辺で童心に返ってはしゃぐ妻春美。遠くにダイヤモンドヘッドが見える。

 今回の旅でこの三つについて、自分なりに少し情報を得ることが出来たと思っている。「常夏の国ハワイ」、「フラダンスの国ハワイ」、「世界有数の観光地ハワイ」……、これらはある一面を捉えているが、やはり上記の三つを理解した上でないとハワイの姿を知ることは困難ではないのだろうか。

 明日から、ぼちぼち遡って3月9日からのブログを書き直して(更新して)いきたいと思う。

 
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3月14日

14 3月

ハワイ旅行6日目
  午前10時55分ホノルル発のANAで成田空港へ向かう。

 
 

3月13日

13 3月

ハワイ旅行5日目
  終日自由行動

 
 

3月12日

12 3月

ハワイ旅行4日目
  終日自由行動