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地域の力

26 8月

意識しなければつけられないのか
  最近「地域の力」について考えることがある。そして、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。豊かになればなるほど、地域の力はなくなっていくような気がする。「地域の力」とは「社会の力」と言い換えてもいいかもしれない。

  ちょうど、一升瓶の中の水が入っているとすると、水が多ければ空気の部分は少なくなる。水が少なければ空気の部分が多くなる。経済的に豊かになればなるほど、大切なものが失われ、「家庭の力」も失われ、「地域の力も失われていくような気がする。

  創意工夫する力は、ものがなかった時代の子どもの方がはるかにあったように思う。今でも発展途上国の子ども達の方が、創造性や想像する力を持っているように思う。何か工作的なことをやろうとすると、今の若者の多くは、面倒くさく思ってしまうような気がする。

  ラジオ体操に出ているとよくわかる。挨拶する心地よさを理解している子どもは3分の1ぐらいだろうか。声を掛けると渋々挨拶する子、こちらが挨拶してもあいさつを返せない子もいる。以前は、大きくなったら、仕事をしている人には「ご苦労さんです」と声かけをするのが当たり前であった。

  今は、他人のやっかいにならなくても自分で生きていけると思っているのだろうか。昔は協力しあわなければ生活できなかったとも言える。自然に隣近所の付き合いがあり、隣の子どもとの接し方も、我が子に近い部分があったように思う。

 村には、がみがみ親父もいたのだ。また親切に何でも教えてくれたり、話しかけてくれる大人もいたのだ。風呂ひとつにしても「もらい風呂」と言って、お互いに行き来したものだ。今のようにブルドーザーや除雪機がなかったので、大人達が交代で通学路の除雪をしてくれたのだ。

  楽しみが少なかった分、祭りなどは盛り上がった。今やどこの祭りでも、レクレーション大会でも、文化祭でも、抽選会で人を集めている始末だ。農作業も助け合ってすることは少なくなった。結果的に、地域の力はどんどんなくなっていくように思う。

 このままではよくない。地域の人達に今の状況を気づいてもらいたいと思う。「絆」という言葉があるが、どんどんなくなっていく。何かことが起きたら大変だと思う。一人暮らしが増え、孤独死、孤立死が増えていきそうである。人と人が交わることの楽しさを味わってもらいたいと思う。慌てず、自分なりに行動を続けたいと思う。

(日記 今日は、創作活動に専念。明日は稲刈り補助員なので、その分今日はパソコンに記録しながら和太鼓の新曲を考えた。一ヶ月足らずで発表するからだ。それにしても毎日暑い。やがてゲリラ豪雨が来るのではないかと心配になる。)

 
 

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