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Archive for 12月, 2014

年賀状

21 12月

楽しさと 苦しさのある 賀状書き
年末の恒例行事の一つは年賀状を書くことだ。転勤があるたびに賀状が増え、卒業生を出すたびに、賀状が増えていった。そして、完全に退職して5年目になる今は、だいたい250枚前後で落ち着いている。

元旦に送られてきた年賀状を受け取って目を通すときは、とても楽しい気分になる。みんな頑張っているなあと元気がもらえる。年賀状にも色々あり、「新年の決まり文句だけが印刷してあるもの」、「手刷りの版画などが印刷されているもの」、「家族の写真などが印刷してあるもの」、「自分の近況や考えが書かれているもの」……など、様々である。

受け取って特にうれしいのは,その人らしさのあるものだ。いろいろ刺激になる。担任したことのある生徒だったら活躍が予想されるものなども嬉しい。昨年も「新しい会社を立ち上げました」との年賀状を受け取った。以前に仲人を頼まれた生徒である。

そんなことがあるので、私も、旧年中に経験したことなどの小さな写真を載せることにしている。そして短い文章を付けている。かなり年を取った私が何をしようとしているのかを知ってもらえれば幸いだ。

そんな気持ちで、毎年年賀状を書いている。私の年賀状はパソコンで作るので、なるべく一言でもコメントが書ければと思っている。昔は、住所を書くだけでも数日間かかったものだ。年賀状を書くことは、楽しくて苦しさのある年末恒例の行事だ。

(日記 午前中は年賀状書き。ごごは,事務所で数学。ようやく新しい単元に入ることができた。夕方、親戚のお通夜があり、昔、よくお世話になったKさんといろいろ昔のことや今のことを話し合った。夜、『軍師官兵衛』の最終回を見た。一瞬天下取りを考えた黒田官兵衛が、息子の黒田長政が自分を超えたと感じたその瞬間に、天下取りをあきらめたのだろうか。子は、親を乗り越えるものなのだろう。)

 
 

「精神的自由」と「時間的自由」

20 12月

自由のありがたさと……
現役時代は、「時間的自由」はかなり制約を受けていたように思う。「精神的自由」もそれなりに制約を受けていた。退職し、しばらくして公的な役割もほとんど無くなり、両方ともかなり自由になった。ありがたいと思っている。

この「自由」だが、精神的にも、時間的にも自由になると、人によってはかえって“不自由”になることもあるようだ。あるとき、同じような立場の退職者に会ったことがある。彼曰く。「何もすることがないから暇やろう」と声をかけてきた。彼は退職後はそれなりに仕事をしていたが、今はそれもなくなり毎日どう過ごすか考えているとのことだった。

そう言えば、わがまち付近には人口の割合にはパチンコ店が多い様な気がする。中には、「1円パチンコ」の看板も見える。毎日喫茶店で過ごす人、パチンコ店で過ごす人、図書館で過ごす人、時間の過ごし方はいろいろあろう。しかし、そうした人たちにも本人だけが持っている知識や知恵があるように思うと、それらを生かさな手はないと思う。

数学の合間に弾くギターは格別に気持ちがよい。何もかも忘れられる。覚えてもすぐ忘れるが。まるでザルで水を汲むようだが、あきらめないで楽しんでいる。

数学の合間に弾くギターは格別に気持ちがよい。何もかも忘れられる。覚えてもすぐ忘れるが。まるでザルで水を汲むようだが、あきらめないで楽しんでいる。

農家の人は田畑があって、冬期以外はすることがいっぱいあるようだ。私も、その一人でありがたいと感じている。作物の成長を見ることは楽しみでもある。人は、現役時代のように、為すべき仕事があると、残りの時間は何をしようと負担を感じることは少ないようだ。

私も退職直前には、「全く自由になると、果たして前向きに生きていけるだろうか」と、少し気になっていた。することはいっぱいあると思っていたが、有り余り自由の中で“やる気が起こるか”ということだけが心配であった。しかし、今のところ、やる気は持続している。私の日常は、義務的なこともあれば、自ら進んでやってみたいこともある。気分転換でテレビを見ることもある。しかし、農家に生まれた者の性(さが)として、何か地域や家族のためになることをやらないとその日の晩ご飯が美味しくないという気持ちだけは今も健在だ。

(日記 午前中は年賀状の図案を考えた。と言っても、キープしてある写真の中からいくつかを選んで組み写真にし、その下に自分の近況を簡単に書いただけだが。年頭に当たって、わずかでも自分らしさを発信したいと思うからだ。午後は、事務所で数学。合間に、ギター練習。自作のカラオケで練習している。新たなメロディーを覚えようと思うと、とても時間がかかる。昔と比べると、数倍は時間がかかるように思う。それは、覚えたと思っても忘れてしまってなかなか定着しないからだ。脳の体操だと思って、諦めずに楽しみながら、やっている。)

 
 

時間の使い方

19 12月

「生産的時間」と「消費的時間」
どうも、最近、我ながら時間の使い方がまずいように思う。日中は別に寝ているわけではないが、有効に時間を使っていないように思う。

忙しい現役時代のときの方が、上手く時間を使っていたように思う。わずかな暇を見つけて自分のやりたいことをやっていた。今は、朝の始動0が一定していないように思う。

午前中の半日は家のこと,午後の半日は主に数学の参考書作りをやっている。そして、夕方は、だいたい午後6時に終わることにしている。

夜は、のんびり過ごすことにしている。時々ビデオを見ている。ドラマは奇想天外な作り物はあまり好まない。一方、実話に基づくドラマは迫力があったり、訴えるものが多いと思っている。
テレビの朝ドラ『マッサン』もそういう意味では興味深い。

年末になると何となく、気ぜわしくなる。改めて勝間和代さんの言っておられた「生産的時間」と「消費的時間」が思い出される。単なる“暇つぶし的”な会合や付き合いは少なくして、「面白いこと」や「有意義な活動」、「健康作り」など“生産的な活動”に時間を使いたいものだ。

(日記 朝から午後3時過ぎまでピアノの楽譜作りをしていた。午後は、事務所で数学。時々、駐車場の除雪。少し動くと身体が熱くなる。家内は福井へ。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

ネットで楽譜を買う

18 12月

時代は変わった
私は、自分でカラオケを作ることがよくある。自分で作った曲でない場合にはやはり楽譜がほしい。できればコード(和音)が付いていた方がありがたい。昔は、テープレコーダーで楽譜を起こしたこともあった。

バンドの場合、かっこいいアドリブなどがあると、テープがすり切れるぐらいに何度も聴いて楽譜にしたものだ。

しかし、今は便利な世の中になった。パソコンで楽譜を購入することができる。例えば,ピアノ曲ならば、レベルは初級か、中級か、上級か、ソロの譜か、伴奏譜か、いろいろ選択することができるのだ。

今日も、ピアノ伴奏譜を1曲買った。以前にも何度か購入したことがある。支払いはiPhonenの支払いと同じにできる。支払い方法も決めて「購入する」をクリックした。

すると、暗証番号が送られ、それを入力すると我が家のプリンターで楽譜が印刷できるのだ。この間、わずかな時間だ。自宅に居ながら、好きな楽譜を入手できる。便利な世の中になったものだ。しかし、問題はこの楽譜をどう生かすかだ。

(日記 午前中は、除雪機で家の周辺を除雪。その後、資料整理。何度も整理しているので、かなり限界にきている。ここから先は、思い切って捨てるかどうかだ。午後は、事務所で数学。時々ギター。いつもと同じパターンだが、少しずつ前へ進んでいる。)

 
 

「できること」と「できないこと」

17 12月

「経験」の素晴らしさ
以前に、講演で聞いたことで今も頭に残っていることがある。年を重ねると、平たくい言えば年をとると、「~が劣る」、「~が弱る」、「~が悪くなる」、「~が鈍くなる」と“マイナス”のオンパレードになるとのことだ。聞いていて情けなくなった。その通りかもしれないとも思った。走るのも遅くなった。物覚えも悪くなった。指先の動きも悪くなった。

今日も、事務所で数学をしながら、時々ギターを弾いている。昔、といっても約50年前には簡単に弾けたギターのアドリブがうまく弾けない。弾き方はわかるが指先が音楽のスピードについていけないのだ。他にも、若いころに比べて劣ることがたくさんある。さて、先ほどの講演だが、聴いている人がガッカリしたころ、講師はことばを続けた。「年をとるとほとんどのことは劣っていくが、ひとつだけ劣らないものがあります。それは“経験”です」と言われた。

なるほどと一同納得した。経験、特に体験したことについては、若い者に劣るとは限らないかもしれない。大卒の保母さんがいくらがん張っても、子どもを産み育てたお母さんにはかなわないように。聞いた話ではなく、体験したことに理論が加わればさらに強くなるかもしれない。

選挙が終わったが、政治の経験も、実社会の経験も全くない候補者が親の「地盤」、「看板」、「かばん」を引き継いで政治家になってもその力は知れているだろう。経験を積み、勉強して、国民のために頑張ってもらいたい。そうでないと某総理の娘さんや某副総理の息子さんのように国民から見放されてしまうだろうから。

世の中には、いろんな経験を持った人達がたくさんおられる。しかし、その経験がほとんど活かされていないのは悲しいし、地域にとっても、国にとっても大きな損失であろう。

(日記 午前中は、年末に向けて資料などの整理。午後は、事務所で数学。時々、アンプで音を大きくしてギター演奏。腕の衰えを実感しているが、歌ができそうな予感がする。)

 
 

「ながら族」

16 12月

ラジオは友達
私は、作業をしているときは、ほとんどラジオを聴いている。主にNHKだ。番組の途中で視聴者のメールやファックスが紹介される。同感だと思われることも多い。

また、番組の途中で音楽も入る。いろんなジャンルの音楽を聴くこともできる。普段は自分からは聴くことのない音楽も聴けて楽しい。車の運転中も、ラジオを聴いている。

これまで作業中は、ほとんど、小型のラジオをポケットに入れていた。この場合は、モノラル放送でイヤホンも片耳だけに入れていた。周りの人とも会話ができるように音量もほどほどにして聞いている。 番組の途中でよく「ネットラジオ」が紹介されていた。

そこで、最近、手持ちの携帯にラジオを聴けるアプリを入れた。なぜか、ネットでは聴けない時間帯がもあるのが残念だが、聴ける時間帯は、とてもきれいに入るので楽しい。

いつもは、ラジオを聴いているが、自分からラジオ放送ができたらなあと真剣に考えた時期もある。地域の問題を数人で話したり、いろんな人を取材して紹介したりすれば楽しいだろうなと思う。地域の身近な問題について討論するのもいいだろう。地域の人達に「まちづくり」について考えてもらえる機会になるかもしれない。しかし、簡単そうで簡単ではないかもしれない。とにかく、私はラジオファンで、「ながら族」だ。

(日記 午前中は、最後の一台となるワゴン車にスノータイヤを入れた。昼過ぎに、そのワゴン車で定期検診のために福井へ向かった。楽器屋へ寄り、あちこち用事をして、済生会病院へ。検診の結果の数字は横這い。まあまあとしなければならない。最近歌作りに飢えている。かなり、やる気がたまってきたと思っている。)

 
 

選挙は終わった

15 12月

これからがほんとうの勝負
日が変わるまで選挙開票速報を見ていた。今回の衆議院選挙は自民党を中心とする与党の圧勝に終わった。野党には勝ったが、国民に勝ったのではない。一時、任されたに過ぎない。国民に対しては、これからが、本当の勝負かもしれない。

与党が自信を持って言い切った「アベノミクスの成果」がこれから本当に地方に及ぶのか。アベノミクスが本当に成功しているのか。これから消費税を10%にあげる時までにその成果が出るかどうかが問われる。

難しいのは経済の問題ばかりではない。様々な問題が山積している。その取り組みによっては、国民から見放されかねない。だからといって、支持が野党に行くとも限らない。

これから、一番怖いのは政治不信ではなかろうか。若者達の多くが、支持する政党がなくて、路頭に迷っているのでなければよいがと思ってしまう。

政治家全体に問われているのは、「信」の一字ではなかろうか。信頼さえあれば、多少の増税はやむを得ないと思える。先進国の中にも、まだまだ重税の国がある。しかし、政治家に信頼感があり、国民同士が支え合っていると思えればそんなに不満は出ないと思う。与党の船出に当たり拍手を送ると共に、今日からは、ノーサイドで国民のために頑張ってもらいたい。

(日記 午前中は部屋と資料のの整理。その後、楽譜作り。午後は、事務所で数学。そして、時々アンプを通してギターを弾く。毎日、同じ事の繰り返しだが、少しずつは進んでいるように思う。そして、それなりに楽しい。午後7時半から『じいちゃん勉強』。)

 
 

数楽と音楽

14 12月

楽しくなきゃあ
半日は,全く自分のために、そして半日は、家族のためにと決めている。選挙の後、私は事務所で数学。参考書作り。遅々として進まない。しかし、毎日パワーを信じて、取り組んでいる場すこしは前へ進むだろうと思っている。

目休めに、時々ギターを弾いている。エフェクターを使い、アンプを通すと、おとに変化が出て生ギターとはまた違う響きがする。50年前に弾いたアドリブを思い出しながら、楽しんでいる。

数学も、数楽でなければと思っている。解くことが楽しい、第三者にわかってもらうことが楽しい、この二つが数学の楽しさだろうか。どちらも、考えなければできない。

一方、ギターの方だが、弾いているうちに歌詞とメロディーが浮かんできた。歌作りでは、無理矢理歌詞やメロディーを考える場合と、ギターなどを弾いているときに自然に浮かんでくる場合がある。

今日は、珍しいことだった。家へ帰ってから、久々にパソコンの前で歌づくりを始めた。自分の言いたいことを歌詞にしてみただけだ。やはり、自分の心の中から滲み出てくるものでなければ人に訴えるものはできないと思う。どんな歌になるか楽しみだ。

(日記 午前9時頃選挙に行き、その後、事務所で数学(楽)。時々ギターを弾きながらの作業だった。事務所前の駐車場に融雪装置を設置した。と言っても、川から水中ポンプで水を揚げ、ホースの先につけた穴開きっパイプで散水するだけだが。午後は、自宅の整理・整頓・清掃。年末大掃除というところか。夕食後は、選挙速報を見る。)

 

 
 

「ふるさとづくり大会」に思う

13 12月

「ふるさと」をつくるとは?

上:Aさんの実践発表。中:「ふるさと料理」の試食会。下:アトラクションとして「左義長ばやし」を発表した芳野区の皆さん。

上:Aさんの実践発表。中:「ふるさと料理」の試食会。下:アトラクションとして「左義長ばやし」を発表した芳野区の皆さん。

「まちづくり」や「ふるさとづくり」はよく聞くことばだ。しかし、真剣に考えてみると簡単なことばではない。「まち」をつくるとか、「ふるさと」をつくるということがどういうことか、定義がはっきりしない。

今日は、勝山市の「ふるさとづくり大会」が「福祉健康センター・すこやか」で開催された。まちづくり関係者が出席して、3地区の実践発表と「ふるさと料理」の試食会が行われた。

私は、数日前に「猪野瀬地区の実践発表」をしてくれとたのまれた。Aさんは「猪野瀬地区まちづくり推進協議会」の実践発表、私は「猪野瀬地区活性化委員会」の発表をすることになった。

「ふるさとづくり」とは、「花壇をつくることだろうか」、「体験学習をすることだろうか」、「商品を開発することだろうか」……。こっらのいずれが無関係だとは思わないが、「なぜそれをするのか」をある程度は考えながら実践すべきではなかろうか。

そうすれば、何に留意してそれをやるべきかが明らかになるのではなかろうか。「昨年やったから……」となにも考えないで実践していたのでは、「地方衰退」や「地方消滅」は避けられないのではなかろうか。

(日記 午前9時過ぎに、「すこやか」で行われた「まちづくり大会」でAさんと共に猪野瀬地区の実践発表。終了後、「ふるさと料理」の試食会があった。また、アトラクションとして、芳野地区の「左義長ばやし」の発表があった。午後は、約10日ぶりに数学に熱中。外は、雪が降っていたが、数学ははかどった。楽しかった。)

私も、「猪野瀬地区活性化委員会」の活動について発表。参加者はほとんど知っている人ばかりであった。

私も、「猪野瀬地区活性化委員会」の活動について発表。参加者はほとんど知っている人ばかりであった。

 
 

報恩講

12 12月

子供時代は楽しみだった
「報恩講」とは、浄土真宗の宗祖(開祖)とされる親鸞聖人の命日の前後に、宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要のことで、以前には、各家ごとに行っていた。私たちは、「ほんこさん」と呼んでいた。

村の道場で、会員全員が読経。

村の道場で、会員全員が読経。

親戚の家や近所で行われる「ほんこさん」には子ども達も招かれてご馳走を食べ、こたつで遊んだりしたものだった。ご馳走の方は定番で、各家で採れた野菜中心だった。味噌汁は、「呉汁」と言ってゆでた豆を石臼でひいたものが入っているものだった。

子どもにとっては、ご馳走よりも遊べることのほうがうれしかったことを覚えている。しかし、最近は、家ごとに「ほんこさん」を行うことはほとんどなくなってしまった。

その後、お寺の「ほんこさん」と老人会の「ほんこさん」だけが残っている状態だ。今日は、その老人会の「ほんこさん」だ。道場に集まり、読経の後、会食。料理屋の弁当のほか、役員の作った「ほんこさん料理」も出た。

その後、しばし歓談。昔の「報恩講(ほんこさん)」の話や、身近な話題などでじばし楽しい時間を過ごすことができた。村の人同士の話しをする機会は、めっきり減ってしまった。話すことによってお互いが理解し合うことができるのだ。共同作業やこうした行事には積極的に参加したいと思う。

(日記 午前11時より、老人会の報恩講。午後3時より、福祉健康センター・すこやかで明日の「まちづくり大会」のプロジェクターのリハーサル。帰宅して、明日の資料づくり。)