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複合副作用

22 12月

少子化を考える
世の中は、いくつかの複合的な要因で思わぬ方向へ進んでいるように思われる。私にもし文才があるならば『複合副作用』なるタイトルで本を書いてみたいのだが。残念ながら、できそうでできない。

テレビが出現したとき、評論家の大宅壮一さんは「一億総白痴化」なる言葉を使われたらしい。大宅氏が指摘しているのは、テレビを次から次へと視ることにより、テレビによって考え方が刷り込まれたり、思考停止に陥ったりする可能性を述べられれたのであろう。

言うまでもなく、テレビのプラス面をたくさんある。しかし、それらにも多くの副作用があるだろう。選択力のない者に取っては、ずるずると時間を費やし(あるいは奪われ)、あげくの果てに何も考えられない人間になっていくことを警告しているのではなかろうか。

今では、テレビ以上にスマホやパソコンの副作用が問題になりつつある。簡単な論文なら何も調べなくても、ネットでコピペ(コピー・アンド・ペースト)すれば簡単にできてしまうであろう。時間が奪われ、考えなくてもよい(考えることができない)人間が増えていくような気がする。

あらゆる文明の機器の副作用が世の中を変質させているのだと思う。スーパーやホームセンターやドラッグストアやコンビニ(convenience=便利)が、便利さの代わりに、町からの「八百屋」「金物屋」「薬局」「肉屋」……などを廃業に追い込んだり、数を減らしていった。こうして、商店街はシャッター通りになるか、歯抜けになり、地方が過疎化するのは当然であろう。こうしたことが、少子化に繋がっていくのではなかろうか。車社会も副作用は少なくない。これらの副作用が複合的にやってくれば世の中が変質するのは当然ではなかろうか。こうしたことを筋立てて本にできたらと思う。

(日記 終日年賀状書き。途中で、除雪機を使い、家の周囲を除雪。)

 
 

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