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Archive for 6月 25th, 2012

『霞ヶ関文学』について思う」

25 6月

一般人が読み解けない文章
  作業を聞いていながら、国会答弁を聞いていた。そして、『霞ヶ関文学』という言葉を思い出した。民主党が政権を取った当時、「政治主導」という言葉をよく聞いた。しかし、結果的には全くできていないと思う。

  元々、政治家が官僚を主導できるほど政策に精通していないだろうし、官僚の力を借りなければ国会で答弁もできない。大臣答弁では、脇に官僚が控えていてさっとメモを出している姿は珍しくない。

  「どうぞご自由にお答え下さい」となったらお手上げだろう。従って、官僚の力を借りなければ政治家は何もできないように思われる。そんな中で、改革を進めようとすると、いろんな面で官僚の策略にはまってしまう。

  それは、『霞ヶ関文学』なるものがあって、官僚が政治や立法過程でコントロールするために駆使する霞ヶ関独特の表現法があるからだ。法案や公文書作成において、官僚が文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするからである。

  こうして、政治家の統治を『霞ヶ関文学』を駆使して、逆にコントロールしているのだ。『霞ヶ関文学』では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になるとのことだ。

  用語や表現については、世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりするとのことだ。若手官僚は入省後このノウハウを叩き込まれるのだという。

  こうして作られた法案や規則は一般人はもちろんのこと政治家や学者でも見抜けないものも少なくないとのことだ。官僚は省益を損なうことを何よりも嫌うので、法律や大臣の国会答弁の文章を書く場合には、この『霞ヶ関文学』を駆使することによって国益よりも省益を優先するために行動することも少なくないのだという。

  総理が、「政治生命をかける」と言っているのは、結果的には「消費税の増税」のみになってしまうのではないかと心配している。他は、全て先送りになりそうだ。「福祉と税の一体改革」とはいいながら、増税だけでは悲しい。

  増税になれば困るのは国民だけで、官僚はパイが大きくなって権限も大きくなり、天下り先も確保でき喜ばしいことだろう。政治家も与野党とも、選挙で争点にする必要がないので安易に手を組むことができる。増税を公約にあげると選挙で大敗することは歴史が示している。

  他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えたり、言葉の後に「等」をつけることで、事実上拡大解釈ができるよう細工するのは朝飯前だという。文章の言い回しでも世間を煙にまくことは簡単なのだ。

骨抜きになる「ノーリターン」
  原子力規制庁は、経済産業省や文部科学省などから職員が集められて組織される。原子力規制庁に異動させられた職員が、もとの出身官庁に戻れるとなれば、推進する組織と規制する組織の人間が交流することになって安全を守れない。

  そこで、元の出身官庁へは戻れないようにしようというのが「ノーリターンルール」だ。しかし、官僚が安易に妥協することはない。新たにできた「原子力規制委員会設置法」附則第6条の2では、元の官庁への異動を認めないとしている。

  しかし、但し書きで、「ただし、この法律の施行後5年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適正等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合には、この限りではない。」と例外を認めている。

 これはどういうことだろうか。これまで政権与党は、無闇に官僚と対立すると、行政の停滞を招くことになるとのことから、口では「政治主導」と言いながら、結局は,官僚は省益、つまり自分の保身のために、政治家を自分の選挙のために行動しているように思われる。

  日本の政治は、まさに「マリオネット政治」だ。政治家には多くの紐が付いている。官僚、推薦団体、所属の党、そして、選挙民(もしかしたらこの紐は一番弱いかもしれない)……。これで、動けと言われても全く動けず「何も決められない」の当たり前かもしれない。

集会所の入り口付近に家内と一緒に竹プランターを設置した。

(日記 午前中、家内と二人で明日の紙芝居のリハーサル。そして、竹プランター作り。午後は、村の希望者に、花をあげたり、竹プランターを作ってあげたりした。また、新たに作った竹プランターに花を植えて、集会所の入り口付近に設置した。午後6時半より、92歳のNさんから昔片瀬にあった『師山小学校』についての話を聞いた。Nさんはこの学校へ実際に通っていたのだ。 次に、山の話や戦争体験を話してもらった。最後に、Nさんが話してくれた長寿のこつ二つ。一つは“胃袋を休めること”、もう一つは“友達を作ること”であった。両方とも納得できた。Nさんは学校の話でも戦争の話でも年月日までしっかりと覚えていた。記憶力には驚く。茶菓子を用意したが、話していた3時間の間、全く手をつけることがなかった。お茶は熱中症にならないようにと少し口にしたが。学ぶこと多し。)

村の入り口のお地蔵さんにも竹プランターを設置させていただいた。「♪お下げと花と地蔵さんと~♪」って分かる人は年配者か。