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Archive for 6月 10th, 2012

地域を守る

10 6月

前例改善
  我が村にも少子高齢化の波が押し寄せている。我が家だけを考えても10年前と居間とではずいぶん状況が違う。10年後はもっと違っているだろう。その通り、10年後には、一人暮らしになったり、空き家になったりする家が増えていることだろう。

  今、家庭に子ども達がいるかといって10年後もそうなっているとは限らない。それならば、何をどうすべきだろうか。考えることはたくさんあると思う。

  今日は、村の山検分があった。8月5日の山道作りの下見のために、各班の班長が自分の割り当ての区域の山の状況を調べるために出かけるのだ。二手に分かれて一つは「奥山コース」、一つは「後山コース」の検分に出かけた。

登山道をふさぐ倒木。チェンソーを使わなければ処理できない。

  午前7時軽トラックで大師山の八合目辺りにある大谷峠に到着。8月には大谷峠からは3班が入って作業をすることになっている。今日は歩いて三ツ頭まで山道の状況を調べながら五人で歩いた。

  所々にある地名を表す標柱野ほとんどがクマにかじられている。檜で作ってあるのだが、クマが好むニオイがすると班長の一人が話していた。ほとんど休まず、三頭山まで歩いたが、上り下りがあり、約1時間半かかった。

  山道の所々には松やブナの大木が倒れていた。8月には草刈り機とノコギリだけでなくチェンソーも持っていかなければ作業ができないと思われた。高齢者には、こうした道具を担いで歩くと作業現場へ行くまでには2時間ぐらいかかるのではなかろうか。

  高齢化した我が地区では、こうした作業を続けるのは困難になっている。山道を整備する意味がほとんどなくなっているのだ。私達の子供の頃は、夏休みなどは、一日に一回は薪を担いでこうした山道を通ったのだ。生活の山だったのだ。

  しかし、今はイベントの時に通ったり、町の人達がレクレーションとして、登ったりする山になっているのだ。いろいろ山の歴史を調べてみると、昔は永代使用権があって村の人達が薪や牛馬の飼料としての草を刈ったり、田んぼに肥料として草を刈ったりしていたのだ。

  しかし、今日、私達が下見をした奥山の道は、村が昭和36年に永代使用権を放棄して村の山ではなくなり、市有林になっていたのだ。それにもかかわらず、昔やっていたからと無理をしながら、山道作りをやっていたのだ。

山検分の終点である三頭山山頂。ここまで麓から車を使っても2時間。歩くだけでも疲れてしまう。

  村の山に接した山道は、使う使わないにかかわらず、これからも守っていかなければならないと思う。しかし、そうでない部分は持ち主の市にやってもらいたいと思う。市の関係者に強くお願いしたが、「今年は無理だ」と言う。「来年は予算をとって市でできるよう努力したい」との返事だった。

  私達は、背後にある大師山を地元の山、市民の山として登山道を整備し、頂上の整備を行っていきたいと考えている。他のことも含めて、自分たちの地域のことをもっとよく知り、今の時代に合った取り組みをしなければならないと思う。

  山検分の後、食事を共にしながら、あれこれ村を取り巻く問題について話し合った。「住教育」についても話題にした。村の人達には、これからも村についてのあれこれを「かたせ瓦版」で伝えていきたい。

  勝山市の建築士会が片瀬のまちづくりを応援して下さるという。何を応援してもらうかは私達が考えなければならない。区民が何もしなくて応援してもらっても意味がない。応援はあくまでも応援で、私達自身が何をどうしたいのかをはっきりさせなければならない。

 地域をよくする第一歩は、村に関心を持ってもらうことだと思う。また、高齢者の知恵の活用についても話し合った。子供会関係者は、子ども達は非常に忙しいという。習い事やスポーツ活動があるからだ。これらのマッチングは簡単ではない。

  そういう意味では、地道な「花のあるまちづくり」から一歩一歩進めていきたい。これを楽しみながらまちづくりにつなげていきたいと思う。山検分の反省会でいろんな意見が出た。楽しかった。

  昨年の通りでは、少子高齢化が進む私達の村の発展はない。前例踏襲では面倒くさいことは省略する一方になってしまう。みんなゆとりを失っているように思われる。心を込めてまちづくりに取り組みたい。本当の楽しさを知ってもらいたい。

午前6時からの自衛消防隊の事前訓練。本番の訓練は来週だ。

(日記 午前6時より昨日に続いて自衛消防隊と消火栓班の訓練。その後、午前7時より山検分のため、役員が大師山周辺の山道作りの下見に出かける。午前7時半頃から午前11時頃までほとんど歩きっぱなしだった。午前11時半より居酒屋で反省会。いろんな話題について雑談することができた。早朝からかなり疲れたが運動にはなったと思う。夕方、次女が東京から帰省した。月に一度の顔合わせだ。)