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たくさんの区有文書

27 6月

資料をどのように活かすか
   村にはたくさんの古い資料(区有文書)がある。それらを見ていると、当時の人達が何を考えていたのかがよく分かる。会議録などを見ると、事細かに申し合わせ事項を決め、それらを守っていたことがよく分かる。

  村は運命共同体という感が強かったように思う。今は、家族が、個人が、それぞれが勝手に生きているように思える。面倒くさいことは極力避け、自分の興味のあることだけを追いかけているように見える。

  しかし、それでは、人生のある時期からうまくいかないのではなかろうか。欲望だけを追いかけていても、本当の充実感は得られないのではないだろうか。村の中を歩いていると、高齢者のみの家族、あるいは一人暮らしの人がいるが、大丈夫だろうかと思ってしまう。

達筆で書かれ区有文書。先人が生きた証やいろんな知恵が残されている。

  昔の文書を見ると、かつて、村では、いろんな事を協力してやっていたように思う。農作業についても、「結」という形で協力してきた。また、少しでも豊作になるように、田畑の害になるものに対しても「申し合わせ事項」を定めてみんなで守ってきたのだ。

  例えば、稲作に害となる「ヒエ」の取り扱いについても、みんなでどこへ捨てるか(ヒエ捨て場)を定めている。今は、除草剤をやればそれで済むと思っているのか、田んぼ周辺に放置してある場合が多い。だから田んぼにはとてもヒエが多い。

  また、かつては稲や作物を食い荒らす「蝗(いなご)」を少しでも減らすために、蝗の卵を一定量とるよう定めている。そして、それらに対して報奨金を出していたようである。毎年の初寄り合いに申し合わせていたことが記録から読み取れる。

 また、モグラも1匹10銭で区長が買い上げることなども記録には残っている。田畑の害になるものを、区全体で駆除しようとしていたようである。区民の協力で区を守っていたことがよく分かる。

  大正14年の「初寄り合い」では、「投書箱を設けること」が決められている。
  「投書箱の設置」
    ・設置場所……消防ポンプ小屋前
    ・鍵の管理……区長
      ・箱を開けるのは、区長、区長代理、委員一名立ち会いの上、毎月一回とする。

 区民から、様々な意見や提案を聞くためであろうか。その趣旨は大いに賛成できる。私も、現役(教員)時代には投書箱を設置した経験があるからだ。 

 その他、夜警を青年会が担当していたこと、道路の修繕、樹木の伐採、学校の糞尿の(肥料としての)入札、……等、様々なことが記録されている。少しでも、暮らしを良くしようとした先人の苦労が忍ばれる。

(日記 午前中、済生会で定期検診+アルファ。最近、体重が減ってきたことが気になる。帰宅してからは、もっぱら『かたせ瓦版』作り。今回もあと一日が足りない。)

 
 

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