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Archive for 12月, 2014

まちづくりについて

11 12月

活性化委員会12月定例委員会
午前9時半より、公民館での「活性化委員会」に出席。先の「いのせ文化祭」の反省会、地域力向上事業基金で購入した備品の使用規定について話し合った。

委員の皆さんに訴えたいことは、「どんどん少子高齢化が続くこの地域における“活性化”とは、何をどうするかを考えることが大切」だと思う。何も考えないで例年の行事をこなしていても、時間がもったいない気がする。

かといって、簡単に答えは見つからないが、私見としては、「ふるさとづくり」に尽きるだろうか。私の考える「ふるさと」の定義は次の二つだ。
・家族以外に、地域に関わった人がいる
・自宅以外に、地域に関わった場所がある
子ども達にとって、地域がそんな「ふるさと」になってほしいと願う。

しかし、実際には、自宅と学校の往復、または、自宅と習い事などの場所との往復、また、自宅でテレビを見たりゲームをしたり、漫画を読んだりして時間を費やしているだけでは、いつになってもそうはならないだろう。子どもの自由時間に大人が入り込んでいるようにも思える。

大人の「背中での教育」も、昔と今ではずいぶん変わってしまった。昔は、いろんなことを大人の背中から学んだ気がする。しかし、いまは、大人の背中から得ることが少なくなったのではなかろうか。そんな中での、地域の活性化を考えることは簡単なことではない。地域が、目指す方向を頭に置き、そこからどういうアクションが必要かを考えながら実践していくしか方法はないと思う。例年のイベントを例年のようにおこなっていても、地域は決して活性化しないだろう。「活性化委員会」でもっともっと話し合ってみなければと思う。

(日記 午前9時半より、午後2時まで「猪野瀬地区活性化委員会」。昼休みに、手打ちのソバ、里芋とネギの天ぷら、焼きまんじゅうなどをいただいた。その後、会員と、しばし雑談。帰宅して、まちづくりの資料づくり。)

 
 

高かった授業料

10 12月

除雪機の維持管理
除雪機のバッテリーが上がってしまった。充電すればいいのだろうと簡単に考えていた。そこで、自動車屋へ務めていたTさんに電話で聞いてみた。

除雪機の試運転。授業料は高かったが快調だった。

除雪機の試運転。授業料は高かったが快調だった。

彼は、村の除雪機の維持管理を行っているのだ。彼が言うには、「普段から除雪機を動かしてバッテリーがあがらないようにしなければならない。私は、月に二回、除雪機のエンジンをかけている」とのことだった。

そして、「バッテリーが完全にあがってしまうと、充電しても使えなくなる」とも言っていた。
また、「残っているガソリンが腐ってしまうこともある」とも。そこで仕方なく、購入したW商会へ電話してみてもらうことにした。

そして、今日若い店員がやって来た。即座に、「バッテリーは取り替えましょう」ということだった。バッテリーは2個付いているのだ。一つ1万円以上、取り付け料を含めるとかなりの額になる。

授業料としては、高くついた。きちんと使えば10年以上は使えるとのことだった。さっそく、試運転をしてみた。雪は少ないので、除雪効果はなかったが、除雪機はかいちょうに動いてくれた。これからは、雪がなくても時々はエンジンをかけなければならないと思うと、少し気が重くなった。

(日記 朝から、午後までまちづくりの資料づくり。夕方、バッテリーを新しく取り替えてもらった除雪機の試運転。夜、ビデオに録って置いた映画を見た。)

 

 
 

抵抗力をつけなければ

09 12月

今年二度目の風邪
横浜最終日から、少しずつ風邪気味になってきた。それでも,午前中は、土曜日に行われるまちづくりの資料づくり。鹿谷のおばさん達に銭太鼓の指導。

しかし、風邪は進行しているようだ。そこで、いつも通っている近くの医者へ行くことにした。インフルエンザの検査もしてもらったが、大丈夫だった。

こんなことを繰り返しているうちに、どんどん抵抗力がなくなっていくように思う。今春は、週に何回もウオーキングをしていたが、その後忙しくなり、最近ではほとんどしなくなってしまった。それに比べて、スポーツ選手の日々の鍛錬は、表には出ないが、すごいものがある。

かつて、大相撲の出羽ノ海部屋の朝稽古をみたことがあるが、薄暗い時間から下位力士が練習をしている。そして、明るくなって入ってきた白い練習まわしの関取が入念に四股や鉄砲を始めた。四股を踏むたびに、近くに地響きが伝わるような迫力があった。

数日前、テレビで、80歳を超えた医者が毎朝欠かさず体操をしている姿が映されていた。さすがだと思う。風邪をひいて、今度こそ、いや、今日からでも、なんらかの運動をしなければと痛感した一日だった。

(日記 朝は、まちづくりの資料づくり。午後は、鹿谷公民館で、銭太鼓の指導。午後5時過ぎに、医者へ行く。風邪のため、やる気が鈍る。)

 
 

6日間の横浜滞在を終えて

08 12月

地域の長短のよく分かった旅

小学校へ行く孫と玄関先でしばしの別れ

小学校へ行く孫と玄関先でしばしの別れ

今日は、勝山へ帰る日。5泊6日の横浜滞在だった。元々、今回横浜へ向かったのは「孫から発表会に来てほしい」と頼まれたことから始まったのだ。ついでに、入学祝いの学習机を買いこともできた。

また、東京へ出て次女と会うこともできた。孫の結婚相手のO君と長男家族が会っていっしょに食事をとることができたのもよかった。東京の町中の移動も少しずつ慣れてきた。

この6日間、テレビでは雪のニュース。鹿児島やと徳島にまで雪が降ったという。しかし、横浜は抜けるような青空。対照的であった。「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」から「新幹線から北陸線に乗り換えると、そこは雪国であった」というところか。

雪は困るが、もしも勝山が連日雪も降らずに晴天だったら、農家の者は落ち着かないだろうと思う。また、春を迎える気分はずいぶん違うだろうと思う。

上:今日もまた抜けるような青空 中:歩道には落葉の絨毯 下:同じ日の勝山(えち鉄の車窓から)

上:今日もまた抜けるような青空 中:歩道には落葉の絨毯 下:同じ日の勝山(えち鉄の車窓から)

勝山へ戻って感じた一番大きい差は、やはり寒さだ。外が寒いのはいっこうにかまわないが、家の中の寒さは行動を鈍らせる。暑さ、寒さに強い家にしなければと思う。

(日記 長女(孫)が学校へ行くのを見送り、次女が幼稚園へ行くのを見送って、私達も勝山へ帰ることにした。二つの電車、新幹線、北陸線、えち鉄、タクシーを乗り継いで帰宅した。楽しい旅でもあったし、考えさせられた旅でもあった。)

 
 

住宅地を散策して思うこと

07 12月

都会の土地の利用
横浜へ来て、いささか運動不足なので、息子宅の周辺を歩いてみた。この辺りは、丘陵地だ。上り下りがかなりあり、自転車は電動アシスト機能がなければ無理かもしれない。

風は冷たいが今日も澄み切った青空。

風は冷たいが今日も澄み切った青空。

多くの住宅は傾斜地をうまくし利用して建ててある。駐車場は傾斜地をそのまま利用しているところも少なくない。雪が降らないからだろうか、駐車場には屋根はほとんどみられない。玄関まで長い階段の続く家も少なくない。

いろんな形の家が、ぎっしりと並んでいる。テレビのニュースでは雪の状況が絶えず放送されている。しかし、こちらは、雲を探さなければわからないような澄み切った青空が広がっている。

田舎では、大きな敷地に家が立っている場合も少なくない。立派な家でも、空き家になっている場合が少なくない。家を少し離れれば田圃や畑が広がっている。

一方、都会では、かなり大きな公園はあるが、それ以外の土地の多くは、ギッジリと住宅が詰まっている。都心の周囲である埼玉、千葉、神奈川県では住宅地がかなり広がっている。鉄道網が発達していて、そのスピードが速いことと、本数が多いので、通勤圏はどんどん広がっていくことだろう。

しかし、田舎の方では、人口減と車の増加により、鉄道やバスの採算は合わず、どんどん間引きされたり廃線になったりしている。そのために、高齢者になっても車を手放せない。一方、都会では、若者のクルマ離れが進んでいるらしい。アベノミクスで恩恵を受けている自動車会社は、その恩恵をほとんど受けない人たちに支えられていると言えなくもない。おかしな世の中だ。そんなことを考えながら、iPhoneでラジオを聞きながら、音楽を聞きながら横浜の街を散策していた。

(日記 毎日で歩いているので、今日はどこへも出かけず、孫達と家で過ごすことにした。午前中、周辺を散策。いつもはパソコンでやる孫との“爺ちゃん勉強”は孫の机の横で直接指導することができた。2回分をやったので2時間近くかかったが、楽しくやれたので、そんなに時間がかかったとは思わなかった。国語の部首の勉強は、こちらも役に立った。「集」、「者」、「願」などの部首は簡単には言えない。午後も、周囲を散歩。明日は、孫達と別れなければならない。正月には会えるが。)

 

 
 

六本木で再会

06 12月

グローカルに生きる

六本木で、次女達と息子の家族とで記念写真。

六本木で、次女達と息子の家族とで記念写真。

息子の家族と、次女の結婚相手であるOさんの顔合わせのために、六本木ヘ向かった。地下鉄を乗り継ぎ、六本木のミッドタウンへ。それにしても地下鉄はずいぶん深いところを走るのだと感心する。

地震でも起きたら大丈夫なのかと不安になってしまう。高層ビルが並ぶ中、多くの人達が行き交っている。ビルの中にも、通りにも、駅にも沢山の人がいる。しかし、知っている人いは誰もいない。

田舎なら、これだけ沢山の人と出会ったら、ずいぶん沢山の知っている人と出会ういだろう。レストランで待ち合わせをした。しばらくして、次女が現れた。食事をしながら、しばし歓談。

午後5時に点灯したイルミネーション。沢山の人が集まっていた。

午後5時に点灯したイルミネーション。沢山の人が集まっていた。

午後5時になると、イルミネーションガ点灯した。多くの人達が、歩道橋の上や周囲でイルミネーションを楽しんでいた。そして、次女達と別れて地下鉄をいくつか乗り継ぎ、横浜の息子宅へ戻った。

私達には、都会のでの生活は無理だなあと思う。田舎で育ち、大人になった者には、都会は時々遊びに来る場所であって、生活する場ではないと思ってしまう。人波に自分が埋没してしまうように思う。それが楽な人もいるだろうが、私は田舎で自分のペースで過ごしたいと思う。そして“グローカル”に生きていきたいと思う。田舎に暮らしながらも、気持ちは世界に向けて自分のペースで生活したい。

(日記 午前中はのんびりと過ごす。テレビでは北陸は大雪だと言っているが、こちらはほとんど雲のない澄み切った青空。気持ちが良いので、息子宅の周囲を散策。中学生がグランドでテニスやサッカー

待ち合わせをした六本木のミッドタウンで。

待ち合わせをした六本木のミッドタウンで。北陸は雪だというのにこちらは紅葉。

をしている。昼ごろ、息子の家族と一緒に六本木へ出向き、次女とその婚約者に会う。ミッドタウンで一緒に食事をし、しばし歓談。イルミネーションを見たあと、別れて息子宅へ戻る。)

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孫の入学を祝って

05 12月

学習机を見に行く

お気に入りの机の椅子に座ってにっこり笑顔の孫。

お気に入りの机の椅子に座ってにっこり笑顔の孫。

今回の旅行の具体的な目標は三つあった。息子の次女の発表会を見ること。これが孫からの要望だ。もう一つは、この孫の入学祝いの学習机を買うこと。そして、来年結婚する次女に会うことだ。

午前11時過ぎに、車で家具屋へ向かった。息子たち親が奨めたい机と、孫の要望とは少し違う。最後は、みんなで孫の要望に従うことにした。いつもならら親の言に従う次女だが、今日ははっきりと好みを口にした。

周りの我々大人たちは孫の成長を感じて頼もしく思った。幼子も日々その成長を実感できないが、何かの拍子にそれを感じることができるのだ。

子や孫が成長する分、私たちは、少しずつ年老いていくことになるのだ。日々、自分の合点のいくように生きなければと思う。孫の成長を感じながらも、時は確実に少し実進んでいるのだ。

地区センターの体育館の半分を使っての新体操の練習。

地区センターの体育館の半分を使っての新体操の練習。

日々の時間の大切さを改めて実感した瞬間でもあった。乳飲み子が、幼児になり、少女へと変化していくのだ。我が子が通過していったように、孫たちも確実に成長していっているのだ。

(日記 朝はのんびり過ごした午前11時過ぎに、来春、小学校へ入学する孫(長男の次女)の学習机を買うために、家具屋へ行った。孫の望みの机を決めて帰宅した。その後はのんびり過ごした。午後5時半過ぎに長女の新体操の練習を見に「若草台地区センター」へ行く。小学3年生から中1までが集団で練習していた。)

 

 

 
 

孫の発表会を見に行く

04 12月

席取りに並ぶなんて

オペレッタ『ジャックと豆の木』を演ずる幼稚園の孫達。

オペレッタ『ジャックと豆の木』を演ずる幼稚園の孫達。

息子の孫の発表会を見るために幼稚園へ向かった。福井の孫の時もそうであったが、横浜の孫たちの発表会に保護者は並ばなければならないのだ。まるで、スターのショウを見るために並ぶようなものだ。

各年代5クラスずつあるそうだ。そのため、発表会は、全年齢を3班に分けて行うそうだ。保護者は、少しでも見やすい席を確保するために、幼稚園の外で並ぶことになった。快晴だったのでよかったが、雨でも降ったら大変だ。

午前9時になると、園長先生の挨拶が始まり、年少、年中、年長の園児の歌や踊りの発表があった。息子の次女は、年長組なので、オペレッタ『ジャックと豆の木』を演じた。

芝居や歌があり、セリフの合間や歌の伴奏はステージを見ながら担任教諭がピアノで伴奏するのだ。自分の子供が演ずる時には、ステージの真ん前に用意されている絨毯席で見ることができる仕組みだ。

年長組の孫達の合唱。子供が多いので年長組だけで5クラスもあるのだ。

年長組の孫達の合唱。子供が多いので年長組だけで5クラスもあるのだ。

一つ、プログラムが進むたびに、保護者の入れ替わりがあるのだ。体育館は、ビデオやデジカメを持ったたくさんの保護者が我が子に狙いを定めて撮影している。体育館は熱気で溢れていた。

(日記 孫の発表会を見るために、午前8時過ぎに息子宅を出て幼稚園へ向かった。初日の午前中に割り当てられているのだ。会場は熱気ムンムン。それでも、いい経験にはなった。午後は、孫たちのアルバム撮影と年賀状者写真撮影に写真館へ行くという。我々も付き合うことにした。7歳までの幼児のさまざまな衣装が並べてあるスタジオで孫たちは髪をセットし、いろんなポーズを決めながら、撮影するのだ。着飾った孫たちと一緒に、私たちも記念写真を撮った。楽しい経験だった。)

 
 

雪のち日本晴れ

03 12月

勝山から横浜へ

えち鉄の車窓から。

えち鉄の車窓から。冬の到来。

所用で息子の住む横浜へ向かうことになった。自宅を出るときは、雪。タクシーを頼んだが、予約でいっぱい。車を駅に置きっぱなしにしたいが、もしもたくさん雪が降って除雪で車を移動したい場合は、迷惑がかかるだろうと、歩いて勝山駅へ。

越鉄で福井へ向かう。真っ白な世界が、雪のない世界へ変わる。しらさぎで滋賀県に入ると、晴れ間が見える。東海道を走る頃には、ほぼ日本晴れ。富士山もくっきり。日本海側が雪になると、太平洋側は空気の澄んだ快晴になるだろうか。

表面的な違いを羨ましく思っても仕方がない。この雪の恵みは春以降のきれいな水につながっているのだと思う。この気候の厳しさは人間の成長の過程でもなんらかの影響を及ぼしていると思う。

世の中にいいとこ取りはないと思っている。それよりも、あるものの良さを生かし、与えられた環境の中で自分を生かす方が良いと思っている。

新幹線の車窓から。快晴のなか富士の姿がくっきり。

新幹線の車窓から。快晴のなか富士の姿がくっきり。

どこに住んでいようと、時間は等しく流れているのである。冬の厳しさ、寒さが春の暖かさを感じ、人間の感性を豊かにしているのだと思う。東北に豊かな郷土芸能が多く残っているのもわかるような気がする。そんなことを考えながら、空を眺めていた。

(日記 午前9時50分ごろの電車で勝山を出て横浜へ向かった。新横浜で少し買い物をして息子の住む横浜へ到着。数日間滞在する予定。)

 

 

 

 

土産のゲームで孫達と遊ぶ。

土産のゲームで孫達と遊ぶ。

 

 

 
 

いよいよ衆院選

02 12月

反省しながら前へ進んでほしいと思うが
 政治家の言動には特徴がある。それは、よほどでない限り反省しないということではなかろうか。強気一本である。反省すれば、自らの非を認めることになるからだろうか。

 選挙の時は経済政策一辺倒、選挙が済めば、別の方向、または国民のあまり期待せぬ方向へ歩み出すのが常だ。原発について言えば、安全性と核廃棄物の処理の方針を明らかにしてから再稼働すべきではなかろうか。少なくとも、フィンランドではその点を明らかにして動かしているように思われるが。

 「国益が損なわれるときには武力も……」と世界の国々がそれぞれ考えたらどうなるだろうか。TPPの進捗状況を見るまでもなく、それぞれの国の国益は皆異なる。どこで折り合いをつけるかだ。

 過去の例から言えば、折り合いがつかないときには、武力衝突になるのだろうか。そうした結果、戦争が引き起こされたのではなかろうか。昨日の党首討論で首相に対して、「先の大戦の責任は誰にあるのか、軍部か、政治家か、国民か、それとも、……。総理はどう思うか。」と野党の党首から質問があった。もちろん答えはなかった。

 たくさんの国会議員がいても、反目し合っているようではそれこそ国益を失うことになる。議論は大いに結構だと思うが、知恵を寄せ合い、それこそ国益を失うことなく政治を進めてほしい。与党が勝つにしても、健全なる野党の存在は不可欠だと私は思う。ユダヤ人の格言に「満場一致の意見には気をつけろ」というものがある。どうでもないことを決めたか、何らかの理由で裁決がゆがめられた可能性があることを疑わなくてはいけないという。

(日記 午前中は、「まちづくり大会」の手持ち資料(レジュメ)づくり。その後、A君と会い、資料やまちづくりについて話し合う。午後は、自宅に帰って発表のためのパワーポイントによる資料づくりを継続。一日があっという間に、終わってしまった。)