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Archive for 2月, 2014

事務所をベースに活動

18 2月

弁当持ちで出かける 
今日は、一日事務所で仕事をすると決めた。朝、いろいろと雑用があったので午前10時過ぎに事務所へ向かった。仕事をしやすいように、最初に事務所の本棚の整理。

いちいち楽器をセットしなくてもよいように、アンプやエフェクターをつないでおいた。スイッチさえ入れれば音が出るようにした。

本棚の本の入れ替えも行い、4ブロックは、家内が使えるように本の移動も行った。これまでは、何かに使えるだろうと思って保管していた本も、捨てることにした。

毎月のように本を買うので、捨てなければ本箱がいっぱいになってしまう。「使えそうなモノ」は「使う時間がない」と決めつけて捨てざるを得ない。

午後1時過ぎに昼食。午後2時半過ぎにウオーキングに出かけた。風花のように雪がちらちら舞うので寒い。手袋、耳当て、帽子などで完全武装して家内と二人で歩き始めた。

今日は、勝山病院周辺から栄町、芳野町辺りを歩いた。古い家もあれば、新築の家もある。家のデザインもいろいろだ。特に、屋根の形がいろいろあって興味深かった。

雪国だけに、屋根の形は重要だ。外観の色も重要な要素だ。日本調、西洋調などいろいろあって見ながらウオーキングするのも楽しい。約8,000歩、歩いて事務所へ戻り数学の参考書作りを続けた。仕事がはかどった一日だった。

数学の重要例題。図を描くのがかなり面倒だった。

数学の重要例題。図を描くのがかなり面倒だった。

(日記 午前10時に弁当持参で事務所へ行き、部屋の整理整頓。数学の問題集作り。途中で、ウオーキング。事務所へ戻り、再び、作業継続。夕方、Y君がパソコンを見に来てくれた。新しいソフトをインストール。Y君と別れて事務所へ戻り、事務所のパソコンにも新しいソフトをインストール。楽しく仕事のできた一日だった。午後7時半に事務所を出て帰宅。)

 
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オリンピック選手の裏側

17 2月

選手の努力
今日は作業をしながら、オリンピックを見ていた。今日、興味があったのは、カーリングの対中国戦だった。ゲートボールのように複雑な作戦の必要なスポーツだと思った。そして、後攻が圧倒的に有利だということも分かった。

ところで、私達は、メダル、メダルと言って選手がメダルを取ることばかり、または取った人のうわべばかりを見ているが、その人の隠れた努力を見逃している場合が少なくない。

しかし、選手の努力やそれまでの生い立ちを知ると、選手の見方が一変してしまう。今日は、高橋大輔選手の生い立ちをテレビで見て、驚くと共に、その努力に感心した。

彼の家はスケートをするにはあまりにも貧しかったようだ。母親は息子の練習のための費用を稼ぐために身を粉にして働いたようだ。昼は美容師として普通に勤め、夜は別の仕事をして睡眠時間は5時間しかなかったという。

大会に出るにも、フィギュアスケートの衣装を買えず、全て母親手作りの衣装で試合に出ていたというのだ。その衣装が番組ではスタジオに持ちこまれていた。

母親は、ペットボトルに貯金をしていたのだが、いつの間にか周囲の人にもそれが伝わり、ペットボトルによる募金が広まったというのだ。

貧しさの中でも、家族は、高橋選手を必死で支えてきたのだ。たぶん普通の選手なら、ここでスケートを諦めていたかも知れない。しかし、そんな貧しい環境の中で高橋選手は頭角を現し、オリンピック選手として頭角を現していったのだ。

こんな裏話を知ると、今回のソチでは体調万全でスケートをしてもらいたかったと思わざるを得ない。膝を痛めたままの状態で出場したのだ。入賞はしたものの残念だっただろう。選考の過程から考えても。

こうした努力は、高橋選手ばかりではなさそうだ。葛西選手にも家族の支えや超人的な努力があったのだ。“レジェンド(伝説)”と呼ばれるだけのことはある。私たちは、こうした選手から勇気を得て、自分のできる範囲で少しはその努力を見習いたいと思う。

上村愛子選手も同様の苦労はあっただろうと思う。そう思うと、高梨沙羅選手も先輩達の努力を見習って、次回は金メダルを取ってもらいたいと思う。まだまだ若いんだから。

(日記 今日は区の事務処理をすると決めた。実のところ、私はこうした諸帳簿の整理や会計処理は好きでもなければ得意でもない。しかし、間違いなく処理しなければならない。3月の総会のためには、このあたりで帳簿を整理しておかなければならない。そう思って、今日は思い切って時間を取ることにした。あれこれ、事務処理をし、最後にJAへ出かけ記帳して今日の事務処理を終えた。時々、オリンピックを見ながらの作業だった。)

 
 

『農事組合法人かたせ』の総会

16 2月

理事者側と組合員側
「総会」というと、理事者側は早く無事に終わりたいと思うだろう。組合員の多くもそう思うかもしれない。しかし、組合の発展を考えると、そうばかりも言えない。

それは、改めるべき部分はやはり改めなければ組合の発展を望めないからである。そのためにも、耳が痛くても、一般組合員の意見には耳を傾けなければならい。

私は、一般組合員として参加していたが、なるほどと思われる意見も数多く見られた。趣味の会や誰かが個人的に立ち上げた会ならばなあなあでも済むかも知れないが、法人となるとそれでは発展は望めないだろう。

私は、基本的には“議論”が好きだ。自分の想いを自由に言うことは大切だが、それは建設的であること、前向きであること、相手を個人攻撃しないことが大切だと思う。

物事を決める前に、いろいろな意見を出し合うことはとても大切なことだと思う。そういう意味では、おおむねそのような総会であったと思う。耳の痛い人もいただろうが。

(日記 午前中は『農事組合法人かたせ』の総会。午後は、福井の孫の誕生祝いに家内と二人で出かけた。長女の息子(孫)が四月から小学校へ入学するので嫁の実家である我が家から学習机を贈ることにしたが、その机が今日入るというのだ。業者が来て組み立てていった。我が子が小学校に入学した頃のことが思い出される。その子ども達が、中学、高校,大学と進み、社会人になって結婚、そして親へと時間が経過していった。そうこうしているうちに、我々夫婦は歳をとってしまった。時の流れは早い。)

 
 

映画『東京家族』を見て

15 2月

家族の崩壊に拍車をかける現代社会
勝山ボランティアセンター主催の平成25年度チャリティー映画会が開催された。“山田洋次監督の「家族」映画の集大成”とあったが、その通りの映画『東京家族』であたっと思う。

出演:橋爪 功・吉行和子・妻夫木聡・蒼井 優・林家正蔵・西村雅彦・夏川結衣・中嶋知子・小林稔侍・風吹ジュン 監督:山田洋次 脚本:山田洋次+平松恵美子 音楽:久石 譲

映画は確かにフィクションかもしれないが、中身は真実そのものだったっと思う。会場いっぱいの観客を見渡すとほとんどが50歳以上の高齢者ではなかっただろうか。

そして、今日の映画はパンフレットには、次のようにあった。
『つれない子ども達の態度に仕方ないと思いながらも、淋しさを抱く父と母。……。大切なのに煩(わずら)わしい。誰よりも近いはずなのに、時々遠くに感じてしまう-。そんな、どの年代が見ても「そうそう、うちもそう」と思わず共感してしまう。これは、あなたとあなたの家族の物語です。』

その通りだと思う。どうしてこうなったのだろうか。超“極論”すれば「カネ(銭)」なのだろうか。経済的な豊かさを求めて、人は動いているように思われる。名誉や特技を生かす道を求めている者もいるだろうが。

映画『東京家族』のパンフレット。

映画『東京家族』のパンフレット。

戦後の貧しさから抜け出すために、金を稼ぐことによって豊かさを得ようとする人間の大きな動きが一番大きいように思えてならない。映画の中にあるように、十分な金を稼げない瀬戸内海の小島での生活に見切りをつけて都会へ向かう子ども達を誰も止めることはできない。

「景気回復」「経済再生」「財政再建」「デフレ脱却」……など、金にまつわる問題を前面に選挙を闘う与党の政治家。経済発展の名のもとに国民は必要以上の物を買わされてきたのではなかろうか。

また、そうしなければカネが回らず国が豊かにならないのではなかろうか。結果的に、モノの溢れる国になってしまった。おもちゃ箱から溢れる子ども達のおもちゃ。

しかし、カネを求めて人生の大半を過ごしている間に、人は知らぬ間に大切な物をどんどんなくしていくのではなかろうか。飲み屋でつぶやく主人公の嘆きは日本の多くの国民の嘆きではなかっただろうか。

今、読んでいる『日本再生 最終勧告』に出てくる原発を巡る政・官・財の“鉄のトライアングル”もどこかでカネがベースにあるように思えてならない。もちろん全てとは言わないが。

無知なる私達の知らない世界では、見えないモノがうごめいているように思えてならない。名誉のためにカネを必要とする人間もいるだろうが。

家族崩壊が、いつの日にか、他人事でなくなり、日本崩壊につながらねばとも思う。考えさせられることの多い山田洋次監督の『東京家族』であった。これからの生き方などいろんな事を考えながら、家内と二人で帰路についた。

「この映画は、2012年に世界の映画監督が選ぶ最も優れた映画第1位に選ばれた『東京物語』をモチーフにした」とパンフレットに書いてあった。

この『東京物語』だが、1953年にかの有名な小津安二郎監督がメガフォンをとったもので、ストーリーのほとんどが今日の『東京家族』に似通っている。

今から60年前の家族のありようが今と酷似していることに驚きを禁じ得ない。そういえば、今日の映画のラストに『小津安二郎監督に捧ぐ』とあった。小津安二郎監督も山田洋次監督(脚本は共作)も素晴らしいし、映画も素晴らしい。映画監督がうらやましい。

(日記 午前10時から市民会館で家内と映画『東京家族』を鑑賞。午後は、家内と二人で事務所でそれぞれの作業。私は、相変わらず、数学の参考書作り。今日は充実した一日となった。)

 
 

幼児を前に

14 2月

子育て支援センター『子育て講座』
今日は、以前から頼まれていた子育て支援センターでの『子育て講座』。参加者は、0,1,2歳の幼児とその母親や祖母。中心は幼児だ。

指人形を使ってのパフォーマンス。

指人形を使ってのパフォーマンス。

どうしてこの幼児達を夢中にさせることができるか?これが今日の私の課題だ。ここ数日、少しずつ作ってきたグッズを使う日が来たのだ。この年になってもワクワクする。

10時半に開始。先ずは、手遊び歌『糸巻きの歌』。私は、今日は、ハーモニカとギターで伴奏。昔のフォーク歌手が使っていたのを見てハーモニカホルダーを買ったのだが、人前で使ったことはなかった。

やっと日の目を見たということか。二つのことを同時にやるので、“認知症予防”には役立つと思うのだが、果たしてどうだろうか。結構物忘れが多くなったので心配だ。

次いで、『お話ゆびさん』。家内がここ数日、人形を作っていたのだ。幼児達は興味を身って見てくれたかもしれない。その後、ペープサートで『犬のおまわりさん』。

小さい穴から順次大きな穴へと紙を抜き取り、動物を見つける紙芝居。幼児達も夢中になってくれたようだ。

小さい穴から順次大きな穴へと紙を抜き取り、動物を見つける紙芝居。幼児達も夢中になってくれたようだ。

「困っている子猫」と「涙を流している子猫」、「少し心配している犬のおまわりさん」と「困ってしまった犬のおまわりさん』、「にっこりした猫の母さん」と「困ってしまっている猫のお母さん」をそれぞれ裏表に描いた。

動物の絵を見ながらの『山の音楽家』など。その間に、5分間ほど子育ての話。そして、創作紙芝居『かくれんぼ』。予想通り、座っていた子ども達が紙芝居の周りへ寄ってきた。知っている動物やキャラクターを言い当てたいのだ。

最後に、『大きくなったら何になる』と季節の童謡『ひなまつり』を歌って今日のパフォーマンスを終えた。

子育て時期なんてあっという間に終わってしまう。後で悔いのないように、ゆったりした気持で子ども達に接してほしい。そんな願いを込めて、今日のパフォーマンスを終えた。楽しい活動だった。

早く言い当てたくて紙芝居の前へ寄ってくる幼児達。

早く言い当てたくて紙芝居の前へ寄ってくる幼児達。

(日記 午前中は、支援センターでの活動の準備。10時半から『子育て講座』。午後は、事務所で数学の参考書作り。ラジオを聞きながらの作業は楽しい。家内も一緒に作業するつもりだったが、福井の孫が風邪を引いたというので、福井へ行ってしまった。事務所で、一人でのんびり作業を続けた。こつこつ続ければそれなりの結果が出るだろう。)

 

 

 

 

 

あかちゃんとお母さん達のパフォーマンス『ぞうきんの歌』。

あかちゃんとお母さん達のパフォーマンス『ぞうきんの歌』。

 

夢を語る

13 2月

『猪野瀬地区の活性化を考える会』新年会
まちづくりの組織には、二通りあると思う。一つは、充て職で組織を作ろ方法だ。各種団体長などを集めて一つの組織を作るのだ。

このような組織の欠点は、団体長が2、3年ごとに入れ替わるために組織の力が大きくならない欠点がある。いつもスタート地点に戻りかねないのだ。

これに対して、自主的に活動したいメンバーが集まって作った組織だ。組織のメンバーは一定期間入れ替わることがないので、長期的な活動に向くと思っている。

今日集まった『猪野瀬地区の活性化を考える会』は、後者の方だ。自らやめない限り、数年間はこの組織で活動することになるのだ。

今日は、猪野瀬地区の住民(各家庭原則二人)に行ったアンケートの集計の分担を決めることと、会員の親睦を図るために、新年会を行うことだ。

酒を酌み交わしながら、夢を語り合った。いろんな人がいるように、いろんな話が出た。これから会合を重ね、数ヶ月間で計画を練り上げていくのだ。

定められた予算を使い、平成30年までに一つの形を作り上げるのだ。予算も数百万はあるので、大切に使いながら、猪野瀬地区の活性化につなげたいと思う。

私は、個人的には、「文化的なもの」と「経済的なもの」を結びつけて、一つの事業(イベントなど)を行いたいという考えを持っている。

みんなの力を合わせて、何かを作り上げることができればと思う。そして、猪野瀬地区民の生き甲斐や楽しさに繋がればと思う。

「犬のおまわりさん」に使うペープサートのグッズ。果たして幼児が喜ぶか。

「犬のおまわりさん」に使うペープサートのグッズ。果たして幼児が喜ぶか。

(日記 午前中は、『かたせ瓦版』の仕上げ。午後は、明日の子育て支援センターでのグッズ作りと楽譜作り。明日も、ハーモニカを吹きながら、ギターを弾いて歌の伴奏をするつもりだ。上手くいくかなと思うが、何とかなるだろう。1、2歳之幼児相手にどこまで私達夫婦のパフォーマンスが通じるか、試す楽しみがある。午後7時から猪野瀬公民館で『『猪野瀬地区の活性化を考える会』に参加。新年会を兼ねているので夢を語る楽しさもあった。)

 

由紀さおりさんからのメッセージ

12 2月

K幼稚園での『童謡で伝える会』に参加して
福井の孫が通うK幼稚園で、“由紀さおりさんによる『童謡で伝える会』(コンサート)”があると長女から知らせがあった。祖父母も参加してよいということなので、家内と一緒に参加することになった。

コンサートは、午後1時半からだった。幼稚園の玄関で並び、1時に体育館へ入った。椅子が並んでいて、一番前の席だった。ほんの2、3m前で由紀さおりさんの歌や話を聞くことができた。
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午後1時半にコンサート開始。当日のプログラム。

1.由紀さおりさんのお話
2.子ども達の歌の発表……孫も元気よく歌っていた。
3.由紀さおりさんの歌とお話
4.参加者全員で合唱
5.由紀さおりさんの歌とお話

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○ 由紀さおりさんと握手会

由紀さおりさんのコンサートのチラシ。

由紀さおりさんのコンサートのチラシ。

話の中からいくつか紹介すると次のようであった。
・学校コンサートをやって来た。最初はいつも400校ほどの学校から申し込みがあった。しかし、最近では30校ほどになった。校長の世代交代、教職員の忙しさ、童謡などの日本の音楽ではコンサート開催に仲間の協力が得られない。

・今のままでは日本の歌は伝わっていかないだろう。子育てママに伝わらなければ日本の歌はなくなってしまうだろう。

・子どもを寝かしつけるとき、子守歌を歌うママが激減。読み聞かせもわずか。

・読み聞かせも子どもの呼吸の速さに合わせて語る。

・子守歌は綺麗な日本語で作られている。

・今の歌はボキャブラリーが少なくリズム中心。映像中心。

・日本の歌は旋律や言葉が大切にされている。

・幼児の成長期の音楽環境は必ずしもよくない。安定感や情緒感がない。子どもが音楽を選べない時期には綺麗な日本語の歌を聴かせたほうがよいのではないか。

・子どもの歌がたくさんあるのは日本だけ。

・文科大臣と話したが、小学校5年から始めている学校英語を3年生から始めると言っていた。英語は将来の必須アイテムかもしれないが、それ以上に日本語をしっかり理解していなければならない。

・最近のJポップでは「花」と言えば「サクラ」とパターン化している。

・ゆったりした空の下、広々とした自然の中での子育ては大切。

・日本語は、「抑揚」「旋律」「鼻濁音」を大切にする言語。
○ 濁音と鼻濁音の違い:「が(ga)」と「が(ンガ)」(発音記号が表せないので理解して欲しい)
(例)学者の「が」と中学校の「が」の発音は、本来は異なるが、今は同じになってしまっている。

・ 「私(由紀さおりさん)」と「姉」と「さだまさしさん」の3人で「びびびの会」を作っている。(鼻濁音の大切さを訴えるために)

・日本はとても美しい国。四つの季節がある。しかし、今は二つの季節しかないかのように暮らしている。(Tシャツとジャンパーで過ごせる。)

・昔は、着物も季節に合わせて、「ひとえ」、「あわせ」、「うすもの」などがあってそれらを着こなしていた。

・日本の歌によって「見たこともないもの」「聞いたこともないこと」「教えてもらったことがないこと」に対して想像力を高めることが出来る。

・目に見えないものこそ大切。それには想像力が必要になる。

・メールを多用することは、「煩わしさから逃げている」。煩わしさの向こうに、人と人との関わり、思いやり、幸せがあるのに。

・今の子どもに必要なことは、「自分のことを自分の言葉で伝える力」である。

・お母さん方には、初めて母になった日のことを思い出して下さい。母になった幸せを感じ、ゆったりと気持ちを落ち着かせ、子育てをしてほしい。そのためにも歌を活用して下さい。
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以上のようなことをおっしゃったように思う。そしてその合間に、ピアノ伴奏で綺麗な歌を聴かせて下さった。

最後の握手会では、お礼と共に、由紀さんのおっしゃった「私も、英語は大切ですが、日本語はそれ以上に大切だと思っています。」と申し上げたところ、うなずいておられた。手を握りながら短い会話を交わすことが出来たのは、光栄であった。

私の今後の活動の中に、今日聞いた由紀さおりさんのメッセージが生かされていくだろうと思う。子育てにおける歌の大切さ、日本語の大切さ、そして、日本のよさを再認識した一日だった。

孫達の夕食の準備をする家内(長女宅)。

孫達の夕食の準備をする家内(長女宅)。

(日記 朝一に歯医者。その後、福井へ向かう。途中でショッピングと昼食。午後1時半から福井の孫が通うK幼稚園で開催される『由紀さおりコンサート(歌とお話)』に家内と二人で出かけた。孫と一緒に、長女宅へ戻り夕食。その後、レスリング教室へ孫達を連れて行き、しばらく見学した後、長女とバトンタッチ。)

 
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ウオーキング

11 2月

路地から路地へ
最近天気がよい日が多い。歩道にも雪が殆ど積もっていないため、ウオーキングには最適だ。今日も、午後3時に、歩くと決めて事務所付近の路地から路地へと歩き回った。

車では見えないモノがいろいろ見える。新築の家があるかと思えばそうでない家もある。日本家屋もあれば西洋風の家もある。鉄筋の家もある。

屋根を見ると、雪が滑り落ちそうな屋根、雪下ろしが大変そうな屋根……などいろいろである。もしも家を建てるならばと仮定して見るのも面白い。

最近歩き慣れてきたので、足の方も疲れにくくなったように思う。風は冷たいが、三十分も歩くと、身体が温かくなる。健康維持には、「栄養」、「睡眠」、「運動」と共に、「前向きに生きる」ことがあると思う。

遠くの山にはまだまだ雪があり、風は冷たいが、青空の中で輝く太陽の光は、少しずつ春らしくなっていくようだ。真っ青な空、鋭く輝き連なる雪山の頂、そして雪の融けかかった民家の屋根や田畑……。昔の自作の俳句が思い出される。

天と地を 切りて雪山 輝けり

雪山の鋭く白い稜線が、真っ青な空と大地を切り分けている。そんな遠くの景色を見ながら、近くの家々を見ながら、路地をジグザグに歩いていると生まれて初めての景色に出くわす。

子育て支援センターで使う「お話指さん」の人形を示す家内。完成してホッと一息入れているところか。

子育て支援センターで使う「お話指さん」の人形を示す家内。完成してホッと一息入れているところか。

車を運転していると、ずいぶんいろんなものを見落としているなあと思ってしまう。今の雪の状態はどう考えても3月下旬のようだ。暖冬異変だろうか。

今年はいつもより、春が早くやって来そうだ。蕗の薹も季節を間違えて出てきそうだ。ウオーキング日和は当分続きそうでありがたい。

(日記 午前中、自分の家のルーツを調べているYさんがやって来た。そういえば、恥ずかしながら私は何代目だろうか。一度調べてみたいと思う。1時間ほど話した後、家内と二人で事務所へ向かった。私は『かたせ瓦版』の編集作業。事務所で昼食。その後も作業継続。午後3時からウオーキング。帰宅して作業継続。途中で区の仕事のため公園へ行き、村の大工さんと打ち合わせ。帰宅して作業継続。家内は明後日の子育て支援センターでのグッズ作り。)

 
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時間の道

10 2月
ペープサートで使う「犬のお巡りさんの絵」

ペープサートで使う「犬のお巡りさんの絵」

アクセルしかない車

人は誰でも 後戻りのできない時間の道を歩んでいる
大人も子どもも 男も女も 富者も貧者も
この世のあらゆる生き物も

車にたとえれば アクセルのない車に乗っているようなもの
ただただ前へ進むのみ

20歳の頃に戻りたくても 30歳の頃に戻りたくても
それは不可能なこと

20歳らしく、40歳らしく生きることは
50歳の者には 可能かもしれない
それはあくまでも “らしく”だ

しかし50の者はどんなあがいても  来年は51歳になり
再来年は51歳になるのだ

かつての青春スターが テレビや映画で老人を演じている

初老の歌手が 昔の自身の青春ヒットソングを歌っている

見ている自分も同様だろう 時というベルトコンベヤーは
選挙に出た元首相達を 過去の人として 葬り去るのだろうか

それともサムエル・ウルマンの詩のように
「情熱のある限り人は老いない」と話しておられるように
何らかの形で復活するのだろうか?

70歳を越えた私はサムエル・ウルマンの言葉を信じて
自らは「精神までは老いないで生きたい」と思う

後戻りのできない時間の道を歩むならば 急がず一歩ずつ、一歩ずつ
周囲の景色を楽しみながら 歩みたいものだ

(日記 午前中は先ずは医者へ。昔の同僚に会い待合室で雑談。その後、自宅で『かたせ瓦版』の1面を仕上げる。その後、子育て支援センターでのグッズを作る。相手は1、2歳児とその保護者だ。ストーリーのある紙芝居は無理だろう。午後は、家内と二人で事務所でそれぞれの仕事をする。最初は子育て支援センターで使うグッズの下絵を描く。その後は、数学の参考書作り。家内はグッズの人形作り。乗ってきたので、今日は自宅へ帰らず、軽食をとって夜も事務所で作業をすることにした。)

 

 
 

上げ底

09 2月

「外箱と中身の違い」に違和感
東京都知事選が終わった。前々知事の突然の辞職(I氏に関しては私には予想できたが)、そして前知事の辞職により、急に知事選が行われることになった。

いろいろ下馬評があったが、最後に都民の決断が下された。今回の知事選に多くの国民が関心を持ったのは、都政が時には国政を動かすことがあるからだ。

表だって政党が応援できない状況にあったようだ。どうも最近の政治には違和感を感じる。それは“上げ底”の品物をもらったような感じだ。

一般国民に向けたは、もっぱら、「景気対策」「経済対策」「デフレ脱却」……と景気のよう話が並ぶ。多くの国民はもっぱら経済問題に関心を持っているように思われる。しかし、これらの政策には恩恵の得られない国民が多いのに。

しかし、国会では、「特定秘密保護法」、「憲法改正」、「集団的自衛権」、種々の「増税」……など十分議論が為されないまま、巨大与党の勢いで決められようとしている。電力も原発問題も十分な議論や反省のなされないまま再稼働に前のめりになっている。

消費税はその性格上、どんどん上げられる運命にあるそうだ。私自身は、政治家に信頼があれば上がってもやむを得ないと思う。しかし、今は必ずしもそうはなっていないように思う。

上げ底の饅頭をもらって食べているうちに、饅頭箱の上げ底の下に思わぬ「モノ」が潜んでいるような感じだ。今回の都知事選の結果がこうした傾向に拍車をかけることのないようにしてほしい。

何でも反対の野党的では困るが、最近は野党にも二通りあって、「責任野党」という言葉までできている。与党にすり寄る(賛同する)野党のことだろうか。

上げ底の饅頭を食べているうちに、上げ底の下に隠された得体の知れないモノが効いて来て、不治の病にならないようにしたいものだ。

(日記 午前中は、一人で事務所で作業。午後は、家内と一緒に事務所で作業。午後7時から、村のTさんが話に来た。2時間あまりまちづくりなどについて話した楽しい時間を持つことができた。)