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Archive for 10月, 2012

『かたせ(片瀬)』をブランド化するために

11 10月

村の知名度をあげるために
  我が片瀬地区の後継者不足の農業を持続可能なものにするために、『農事組合法人かたせ』を組織し、米作りや野菜作りを行っている。また、転作で麦やそばなども作っている。

  組合では、農舎を作り、米の乾燥機なども入れて、自前で米を販売できるまでにしている。また、組合では里芋も作っている。私たち区民は、農作業の補助員として、一定の日当をもらいながら、組合を支えている。

『かたせ瓦版』の裏面に掲載した組写真。

  私たちの村では、昔から里芋やショウガが特産であった。そして、最近、自前で米も販売できるようになった。しかし、米を売るのは今のところ組合員とその親戚などがほとんどだ。

  一般の人たちに買っていただこうと思ったら、片瀬の芋やショウガや米の知名度をあげなければならない。『かたせ(片瀬)』をブランド化しなければならないのだ。

  私の戦略は、魅力ある商品作物に仕上げること、それから魅力ある村を作ることだ。栽培した作物がよくなければ話にならない。それと同時に、村を訪問する人たちが、片瀬のよさや特長を知ってもらうことだ。「花の咲くまちづくり」もその一つだ。

  さらに、あちこちで出演チャンスのある新たな郷土芸能『片瀬豊年ばやし』を演じながら、“芋とショウガとうまい米”をアピールすることも重要だと思っている。そのために、舞台で使う法被の襟には『芋とショウガと旨い米』と書いているのだ。

  組合ではホームページも作っている。あの手この手で地区をアピールすることによって、「かたせ」をブランド化することが大切だ。そのためにも、子どもたちに地域のことをよく知ってもらい、地域に誇りを持てるように育ってもらいたいと思う。

  全ては、大人の私たちが鍵を握っていると思っている。大人の私たちが、地域のためにできることをやり、自然な形で住みよい地域作りを作っていかなければならない。やりがいのあることだ。

(日記 午前9時より、食生活改善推進員に、猪野瀬文化祭で踊る『民謡』の指導。踊り手は食生活改善推進員であるのでザルを活用することにした。午後は、『かたせ瓦番』づくり。3時頃完成。コンビニでコピー。その後、事務所のミニスタジオでドラム練習。なかなか思うようにいかない。まだ、アドリブソロのフレーズを考えていない。午後7時より猪野瀬公民館で運転者講習会。安全運転に気をつけなければと改めて思う。)

 
 

こんなはずではなかった。

10 10月

忙しい毎日
  退職したら、もっとのんびりと過ごせると思っていた。しかし、実際には“やりたいこと”があり過ぎて毎日が超忙しい。翌月のカレンダーは真っ白なのに、その月になると真っ黒になってしまう。

  中でも、一番時間を使うのが、音楽かもしれない。それは、練習用のCDを作ろうとするからだ。バンドをやっているが、CDづくりが9で自分の練習は1未満かもしれない。

  音楽と言えば、パソコンとにらめっこ。音符をマウスで1個ずつ打ち込むので、時間はあっという間に過ぎてしまう。歌作り、じいちゃんバンド、オカリナ、和太鼓、自作の歌、全部同じパターンだ。練習用のCDを作り上げた頃には、本番1週間前になっている。

  これに、家庭菜園等の作業、民謡の普及と振り付け、そして、紙芝居づくりが加わると、自分の容量を超えてしまう。そこへ、区長の仕事を仰せつかったので、時間はいくらあっても足りない。このブログも、毎日小一時間はかかる。

  のんびりと旅行をする時間もない。現役時代と忙しさはほとんど変わらない。これからの課題は間口を狭めることだろう。ところが、やりたいことはまだまだたくさんある。

  退職したらのんびり過ごしながら、好きなことをやろうと思っていたが大きな誤算だった。時間は与えられるものではなく、自分が作るものだとこの頃ようやく自覚した。作るぞ!時間。そして、ゆとりある生活をするぞ。ともう反面無理だろうなと思う自分がいる。

(日記 午前中、事務処理。そして、明日発行する瓦版づくり。だいたいできた。午後は、オカリナのカラオケCDづくり。午後7時半からオカリナ教室。14日の日曜日に『ゆめおーれ』の野外ステージでオカリナ演奏をする予定。今日はその練習をした。)

 
 

機械化農業

09 10月

機械が主で人が従
  昨日、『農事組合法人かたせ』の理事長から、「明日麦播きに来てもらえんか」と依頼があった。個人的な用事しかない場合には、なるべく作業に出ることにしている。

機械によって耕し、肥料をまき、種を播くことが一度にできるのだ。昔とは段違いの進歩だ。

  午前8時に組合の農舎前へ行き、軽トラックに麦の種籾と肥料を積み込み今日作業をする田んぼへ出かけた。米作りは、作りたいだけ作るわけにはいかない。農地の一定の割合で米以外の作物を作らなければならない。

  そばを植えたり、大麦を作ったり、野菜を作ったりしなければならないのだ。そこで、麦を植えるには、今年のうちに種を播き、来年収穫するのだ。今日は天候に恵まれて農作業にはもってこいの日だった。

  作業は、トラクターに種籾と肥料を積んで耕しながら植えるオペレーター1人、小型のトラクターで溝切りをするオペレーター1人、そして、補助員が私と80歳ぐらいのMさんの計4人だ。

  昔の作業と比べると、比較にならないほど機械化されている。昔は女性も男性に劣らずこうした作業においては活躍したが、今では男性中心の作業が多い。

 

小型トラクターによる溝切り。おかげで重労働から解放された。

  私の役目は、溝切りを行った後の不都合な部分を小型のスコップや鍬で整えることだ。家庭菜園でも、鍬を使う仕事は重労働だ。今考えると、昔の人は偉かったと思う。機械がなくても、人力で多様な作業をこなしたのだ。

  今の者には絶対できないと思う。昔の農業の経験者ならずいぶん作業が簡素化されたと思う。昔なら、田んぼを耕しながら、肥料をまき、種籾を播くなどということは同時にできることではなかった。しかし、今は一度にできるのだ。

  米でも、麦でも、そばでもみんな機械だし、里芋を掘り穫るのも、機械だ。しかし、どの場合も、機械が上手くできない部分は人間が補うのだ。今では、機械が主で人が従になっている。

  いずれにしても、機械化によって作業効率は比較にならないほどよくなった。今後もさらによくなるだろう。その分味気なくなったようにも思う。昔は、農作業は何をするにも家族そろってやったり、隣近所の者が協力してやったものだ。時代はどんどん変わっていく。これが進歩というものだろうか。

機械が上手くできなかったところは人力で作業。これが今日の私の仕事だ。

(日記 午前中、組合の麦播きの補助員を務めた。午後は、家内の属する食生活改善推進員の皆さんに花笠踊りをアレンジした踊りの指導。民謡は勝山のもので振り付けは他県のものを参考に新たな踊りを創作するのだ。来月初旬の地区の文化祭までに完成させたい。帰宅してからは、区長としての事務処理。)

食生活改善推進員の皆さんの民謡練習。食に関係のあるザルを使って踊る予定。

 
 

熊が出た!

08 10月

獣と人間の共生
  今朝、我が家に電話が入った。熊が出たと言うことだった。人間だけの立場でものを考えると熊は「害獣」になるのだろうか。熊は確かに怖いし、猪や猿などに畑の作物を荒らされた者には、非常に腹が立つだろう。

     現場で熊の糞を見ると、柿などが消化できずに出ていた。人里でこんなものを食べている熊をかわいそうに思った。熊と人間の生活圏が交わってほしくないが、餌がなければやむを得ないだろう。

現在のすべての哺乳類の祖先であると言われるエオマイア 。人間も、熊も、猪も、カモシカもみんなこの動物が祖先だということになる。(勝山郷土研究会制作のホームページ『恐竜博士になろう』より。絵は私が描いた。)

  しかし、この地球の生命の歴史を少しかじってみると、それは人間のおごりというものであろう。ビッグバンが起こり、太陽系ができ、地球ができた頃には、生命は全く存在しなかった。

  そんな中から、長い年月をかけてバクテリア(細菌)のようなものが生まれ、徐々に進化して現在の様々な生物に発展してきたのだと思う。ある時期まで皆同じ仲間であったものが、細かく分かれていいったのだ。

ホームページ『恐竜博士になろう』(勝山郷土研究会制作)  http://dino.iexam.jp/

  猿と分かれた人間は、いつの間にか地球上で傍若無人に振る舞うようになった。そのうちに、人間同士も争うようになってしまった。

  地上最強の恐竜が滅んだように、人間も知恵を働かせないと同じ轍を踏まないとも言えない。人間が地球の王者だというおごりだけは持つべきでないと思う。

  謙虚になり、必要以上に地球を汚染すべきではない。地球はみんなのものだから。先般の原発事故では人間ばかりではなく、きっと多くの生物の生命をも奪ったことであろう。

イチジクを食べている蜂。別のイチジクにも蜂がいる。私たちは彼らと仲良くしている。

  そう思うと、我が家のイチジクに群がる蜂を追いやることができない。常に、いくつかの完熟したイチジクが蜂の餌になっているのだ。刺されないようにそっとイチジクを穫っている。我が家のイチジクの木ではあるが。

(日記 午前中、昨年我が家で収穫したニンニクを植えた。果たして、うまく成長してくれるだろうか。その後、家内と花の植え付け。午後は、民謡の振り付けを考え、「じいちゃんバンド」の編曲作業。夕方、『かたせ瓦版』の号外を全戸配布。熊が出たからだ。

昨日のイベントで余った花を木製プランターに植えた。

初めて植えた秋ジャガ。どんな味がするのだろうか。楽しみだ。

竹プランターに植えてあったベコニアの一枝が折れていた。昨日、じょうろに入れておいたら、今日も元気に咲き続けている。水まきの後、当分この状態にしておきたい。

 
 

花が取り持つ縁

07 10月

終わりの始まり
    今日は、県主催と県建築士会勝山支部共催の『竹プランターづくりワークショップ』を地場産業振興センターで実施する日だ。我が片瀬区は協賛の形を取っている。竹は5日に片瀬区の個人の許可を得て伐りだし、センターに運んでおいたものだ。

地場産センターで、竹プランターづくりを行う参加者の皆さん。

  朝7時過ぎに担当の県職員Sさんが、我が家へやって来て先日我が家で作っておいた見本のプランターを持って行った。午前9時に始まるのにすでに準備を始めている。何事も、主催者は裏方での苦労が多い。

  今日は,建築士会の皆さんも参加しているので、親子連れで参加した皆さんもそれぞれ、助けを借りてプランターづくりをすることができた。家内も、同様に助けを借りて竹プランターを完成させた。

   午前9時前には、受付が行われ、すでに会場のセンターにはブルーシートが敷かれ、個別の材料も並んでいた。そして、午前9時過ぎにワークショップは始まった。最初にSさんがプランターづくりの方法を説明した。

   私は、同じく県職の I くんと一緒に花の苗や土を買いにホームセンターへ出かけた。パンジー、ビオラ、ナデシコなどと花を育てるための土を手に入れた。センターへ戻ってみると、すでにプランターを完成させた人もいた。

できあがったプランターに土を入れ、花を植える参加者の皆さん。

  そこで、参加者は、配られた花を作ったばかりのプランターに土を入れて植えた。最後に参加者一同で記念写真を撮り、ワークショップは終わった。花が取り持つ縁で、いろんな人が集い、話しながら、プランターづくりを行うことができたのだ。

  そして、このつながりは市を超えて他の地域につながろうとしている。市を超えて人と人とがつながろうとしている。人と人とがつながることによって、自分もいろんなことを学ぶことができる。双方向の関係が生まれる。両者にメリットがあると思う。

  それに、人と人とのつながりが楽しい時間を生み、生き甲斐も生まれよう。花が取り持つ縁で今広がりと見せようとしている。そして、今回のこのワークショップはプランターを作って終わりではなく、毎日の水やりなど、花との関係が始まるのだ。

  そして、それは家族のつながりにも広がるだろう。家族の協力も必要だからだ。プランターに植えた花は、私たちに楽しみを与えてくれる。しかし、プランターに植えられた花は人なしでは生きられない。人は花の命を左右しかねないのだ。

完成せさせたプランターを前に全員で記念写真。

  そして、花との関係は心の持ちようでどうにでも変わる。参加者には、義務感で花と接するのではなく、仲間として花と接していただきたい。今まさに、終わりの始まりである。

(日記 午前9時より『竹プランターづくりワークショップ』に参加。午後は、主催する県職員のSさんが若手の I 君を連れて我が家でた竹プランターづくりを行った。午後5時過ぎまでがんばって二人で5組の竹プランターを作り上げた。今庄へ持って行くのだという。竹プランターづくりが広がりを見せようとしている。)

我が家でプランターづくりをする県職のお二人。アイスを食べて一休み。

 
 

慌ただしい一日

06 10月

疲れた一日
  午前5時起床。早速、昨年の軽音楽部OB演奏会のために作ったフォーク演歌『足羽川慕情』の編曲作業。昨年は、カラオケを作って家内に歌ってもらった。今年はOB演奏会でバンド演奏するつもりで編曲し直した。使える楽器が決まっているからだ。

  そして、8時過ぎに朝食。今晩の村の各種団体合同委員会の資料づくり。その後、午前9時半より親子太鼓の指導。子ども達はかなり上手になってきた。それと同時に一緒に練習しているお母さん達も非常に上手になった。

  帰宅して、今年のOB会の演奏会で発表するウェスターン調の曲『SIXTIES(60歳)』を完成させ、カラオケづくり。作詞は、まだ完成していないが、歌の骨格はできた。

  午後1時半より『じいちゃんバンド』の練習。下手ながらもジャズの練習。全員でテーマのメロディーを演奏し、続いて各自がアドリブで演奏市、再びテーマに戻るのだ。音楽家の作った音楽とは別に自分のメロディーを奏でるのだ。コード(和音)進行という制限の中でのことだ。

  簡単に言えば、定められた道の中で勝手に踊るようなものだ。各楽器が、自分の好きなように演奏するのだ。「いよいよ自分の番だ」と思いながら待つのは楽しい。午後6時過ぎまで練習した。他のメンバーは午後7時までやっていたようだ。

 帰宅して、今夜の資料を印刷。そして、午後7時半から区の各種団体合同委員会。主なテーマは、猪野瀬地区町民運動会と『いのせ文化祭』についてだ。午後10時過ぎに終わった。

(日記 午前中は、太鼓指導の合間にバンドの楽譜づくり。午後は、バンド練習。夜は村の「各種団体合同委員会」。慌ただしい一日だった。)

 
 

中国人技能実習生

05 10月

楽しい導入講習会
  大野市にある遼日産業と中部研修機構から、日本に入ってくる30人あまりの中国人研修生のための導入講習会の講師を頼まれた。今年だけでこれで3度目だ。

 私の講座の内容は、日本文化や生活習慣について話すと同時に、よき社会人になるための心得をいろんな例をあげながら話した。私にとっては、楽しい講座だ。

  その後、日本の歌『ふるさと』と『四季の歌』を指導した。この部分だけは、私がアコーディオンを弾き、妻が歌って指導した。何度か練習しているうちに、かなり大きな声で歌ってくれるようになった。

3時間目は、歌と踊りだ。妻の歌にアコーディオンで伴奏しながら、『ふるさと』を指導した。

  それにしても、ずっと座学が続いてので、最後はみんなで踊ることにした。しかし、CDを持ってくるのを忘れた。それで、事務所の人に「何でもいいからCDを貸してください」とお願いした。

  すると、テレサテンの歌のCDを持ってきてくれた。このCDを使ってみんなで輪になって踊った。9時から12時まで途中で休憩を入れながら、講義を続けた。こんな仕事が私の元へ来るとはうれしいことだ。

  今世の中では、日本と中国の関係が問題になっているが、ここではそんなこととは別に友好を深められたのではないかと思う。研修生たちの真剣な眼差しを見ていると、私たちもしっかりしなければならないと思う。

  それにしても、彼らの持っている日本語の教科書を見ていると、日本語って難しいなと思ってしまう。私たちが英語を学んだり、中国を学ぶようなものだ。しかし、彼らは短期間で日本語の日常会話をこなすまでになっているのだ。

  日本で働くという明確な目標があるからだろう。当てもなく、勉強しているのではなかなか身につかないだろう。私も、海外研修へ行くまでは、かなり真剣に英語を学んだが、その後は失速している。

  最後に彼らに2つのメッセージを送った。1つは、『DREAM & ACTION』。そして、もう一つは、『あかおやま』だ。あ:挨拶、か:感謝、お:思いやり、や:約束を守る、ま:マナーの重要性を伝え、これらを大切にしてほしいと伝えた。

(日記 午前9時より12時まで『中国人技能実習生』の導入講習会の講師。午後3時頃から午後8時近くまで『じいちゃんバンド』の練習。かなり疲れた一日だった。)

 
 

竹プランター

04 10月

いかに創造的なプランターができるか
  今日は、県と県建築士会勝山支部共催の『竹プランターづくりワークショップ(10月7日実施)』で使う竹取りの日だ。我が片瀬区は協賛の形を取っている。午前9時半に集会所前へ集まり、かねて伐採許可を得ていた区内のSさんたちの竹藪へ向かった。

  10月7日の参加人数を考えると8本の竹が必要ということになった。建築士会勝山支部の二人、県の職員のSさん、そして私の4人で竹を伐り、2m前後の長さに刻み、枝を取り去って軽トラックで会場となる地場産センターの建物の横まで運んだ。

  7日にはこれらを使って竹プランターを作る予定だ。当日は、30名前後の数が見込まれている。独創的なプランターができるとよいと思う。作業は正午までかかった。午後、Sさんは当日作るプランターの見本を作って帰った。

プランター用の竹取。竹の命をいただくには先端の細い部分も大切にしなければならない。

  このプランターづくりは、7日に終わるのではない。プランターは7日に完成するが、その日に植えた花の世話は花が枯れるであろう来年のゴールデンウイーク過ぎまで続くことになる。私も、3色のナデシコを植えた門松状のプランターを作った。

  また、この花との対話が始まるのだ。集会所前には、家内と二人で植えた10本のビオラと3本のナデシコも待っている。それに春に植えたたくさんのベコニアたちも満開状態である。今年はたくさんの花と友達になった。その友達が、今日またたくさん増えたのだ。

(日記 午前8時半過ぎに家内と二人でコアで作った木製プランターにはベコニアを、竹で作ったプランターにはナデシコを植えた。その後、次の日曜日に使うプランターの材料となる竹取り作業を行った。午後は、しばらく県職のSさんのプランターの見本づくりにつきあった。その後、生姜取り。夜は、猪野瀬地区の文化祭の実行委員会。「祭りの活力は

今年も豊作だった片瀬特産の生姜。今年は「乾燥生姜(ウルトラ生姜)」もかなり作った。

地域の力」という言葉を思い出した。)

 
 

泰澄大師ゆかりの山『大師山』

03 10月

市民登山の山
  我が村の背後には、白山を開いたと言われる泰澄大師ゆかりの山“大師山”がある。かつては、生活の山だった。特に、燃料としての薪を伐採するにはとても大切な山だった。しかし、近年は、市民登山の山として親しまれるようになった。

大師山の入り口に先ず「登り口」を表す標柱を立てた。

 私が作った『片瀬豊年ばやし』の1番は、この山についてのものにした。

   『片瀬豊年ばやし』
1.前歌 村の後ろに ひかえし山は
       越の白山(しらやま)開いた御仁(おかた)
        泰澄ゆかりの大師山 大師山

  本歌 ハア アーアーアー
         春は桜で 秋もみじ
               季節彩る 守り神 守り神
                 「ワラビ ゼンマイ 山の芋   薪に材木 山の幸」
           山の麓にゃ 大仏とだんごまきする 佛母寺(ぶつもんじ)
           山を守るにゃ 道づくり 道づくり ヨホ ホィー

   この山は片瀬の守り神であるばかりでなく、猪野瀬地区の山でもある。今日は、猪野瀬地区のまちづくりとして、この山の麓に案内の標柱を立てることになった。作業をするのは猪野瀬公民館長と4人の区長だ。

2本目は、分岐点に標柱を立てた。

  先ず村の入り口に、標柱を一本、続いて分岐点にもう一本の標柱を立てた。作業中にも、大師山へ登る二人組が「大師山の頂上へへ行くにはどうしたらよいか」と尋ねてきた。案内の標柱は大切であることを実感した。

  山頂に登ると、勝山市内、大野市等が一望できる。そして、白山の山頂がわずかに見えるのだ。山頂を「ふちょうがみ(伏し拝み)」とも言うのは、修行中の泰澄大師が白山を伏し拝んだからだと言われている。

  この大師山を経由して三ツ頭山へ行くことができる。平泉寺から三ツ頭山、法恩寺山を経て白山へ至る道を越前禅定道という。平泉寺から大師山を経由しても、白山へ行くことができるのだ。

  今週末には、『歴史探遊館まほろば』が平泉寺にオープンすることになっている。泰澄が開いた白山への登山道の起点である平泉寺は越前馬場とも言われているが、ここに歴史資料館ができるのだ。平泉寺は、かつては、白山への登拝者で賑わったと言われている地でもある。

  世界遺産を目指す平泉寺ゆかりの山『大師山』に標柱を作ることは、意義のあることでもあろう。単なる山登り、自然観察等に加えて、歴史について学ぶことは、山登りの楽しさを倍加するのではなかろうか。

  加えて言うならば、「ハワイ」についても常夏の自然豊かな国であるという面と共に、ハワイの歴史(アメリカの50番目の州になった経緯、大戦中の日本との関係など)を知れば、ハワイの見方や楽しみ方も少しは変わるのではなかろうか。

畦の近くには法人の農舎があり、糠は自由にほしいだけ使うことができる。ありがたい。

(日記 午前中、大師山登山口に標柱の取り付け。午後は、来年、法人から借りる畝の農作業。先ず、里芋を植える畝に糠をまき、畝をかまぼこ状にした。数日後には黒マルチを掛け、里芋は来春植える予定。その後、ニンニクと玉ネギを植える場所に六呂師の牛糞堆肥や糠を入れて耕した。そして、最後に黒マルチを掛けた。数日経ったら、保存しておいた自家用のニンニクを植えるつもり。種を買わなくてもよいようになったのはうれしい。集団の野菜畑なのでいろんな人が入れ替わり立ち替わりやって来る。いろんなことを教わることができ、いろいろ話すのはとても楽しい。)

 
 

断舎離……!?

02 10月

捨てることの難しさ
  「モノ」のない部屋って本当に気持ちがいいと思う。しかし、自分に当てはめてみると、次々に増える書籍類、いつかどこかで何かの役にだ立つのではないかと思うと、雑誌以外は簡単に捨てられない。

  今日は、事務所(山児童館)の屋根裏を片付けることにした。ここには、捨てられる直前の楽器類がたくさん保管すてあった。ゴミとして捨てられる直前の楽器を、もしかして何かの役に立つのではないかと思ってもらってきたものだ。

  保管に困って、屋根裏に保管しておいた。しかし、この十年ほど全く使うことはなかった。そこで、今日はこれらを処分することにした。まだまだ使えそうだったが、私自身は使わないだろうと思って、心を鬼にしながら処分場へ持って行った。

  それにしても、まだまだ捨てたいものがある。しかし、簡単には捨てられない。それは、自分が使うかどうかは別として、まだまだ使えるものが多いからだ。そうしたモノの多くは、たぶん自分は使わないだろうと思うのだが。

  使えるモノを捨てるというのは、戦後の物不足の時代を生きた私には、非常に困難なことだ。どうしても「もったいない」という気持ちが働くからだ。

・・・・・・・・・・インターネットより・・・・・・・・・・・
 断捨離とは、ヨガの「断行」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。
 =入ってくる不要なモノを断つ
 =家にずっとある不要なモノを捨てる
 =モノへの執着から離れる

 従来の「もったいない」「まだ使える」というモノを軸とした考え方ではなく、「このモノは私に相応しいか」と問いかけてみる……つまり、主役はモノではなく「自分」。「モノと自分との関係性」を軸に取捨選択していく技術のこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は、モノに対して「もったいない」とか「まだ使えるのではないか」と考えている。これではいつになっても断捨離は実行できない。これは、モノに心をとらわれているからだろう。

  「もしかしたらいつか自分に必要になるのではないか」と思っているうちは断捨離は困難だ。もっと、シビアに考えて今の自分に必要かどうかを判断し、不要となれば心を鬼にして実行しなければならない。

  「モノのない部屋に住めたら気分がいいだろう」と思いながら、簡単になモノを捨てられない自分が情けない。それでも、今日のように「今の自分に必要か」と問いかけたとき、必要ではないということで、少しだけだがゴミ処理場へ持って行くことができた。

  しかし、捨てる瞬間、モノに対しては「申し訳ない」という気持ちが心のどこかに湧き上がっていた。断捨離は、私にとっては、まだまだ「言うは易く行うは難し」というところだ。

『農事組合法人かたせ』が栽培するソバの花。(記事とは関係なし)

(日記 午前9時頃から、事務所の屋根裏の楽器類を整理し、軽トラックでゴミ処理場へ運んだ。その後、事務所の台所なども整理。昼前に、生姜を10株以上取ってきた。そして、家内と二人で1mmぐらいの厚さにスライスし、並べて乾燥した。生姜の粉末を作るからだ。午後も、断捨離実行。しかし、思うほどの成果が上がらなかった。まだまだ、モノに対する執着心がある。もう一押し、二押ししなければならない。)