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Archive for 9月, 2010

片瀬をふるさとに

20 9月

子ども達に活躍の場を
  私達の子ども時代は、村の先輩や大人達から叱られもしたが、教えてもらったことも少なくない。例えば、煙草の乾燥場へ行けば、火の番をしている大人がいて、将棋などを教えてくれたし、先輩達から遊びや技術的なこともいろいろ教わった。

    今はどうだろうか?子ども達を見てもどこの誰だかわからないような状態である。そして、よその子ども達は、知らないうちに大きくなり、高校を卒業すると市外、県外へ出てしまう。特に、女の子達はそのうちに、嫁に行ってしまって村の子だったかどうかもわからない。

本格的な衣装をつけて『浦安の舞』を練習する片瀬の中学1・2年生(女子)

  子ども会に所属していた時代だけは、小学生の保護者と子ども達はいろんな行事で顔を合わせることがあったが、我が子が中学、高校と進むにつれて、他所の子との接点は極端に少なくなる。

  村の子ども達に出番を作ることができないのか。いつも私の頭の中にあった。市教委に勤めていた時代も、『地域で子ども達を活かし、正す』を合い言葉に教育改革“アクションプラン”を実行していた。

 そんな折り、区長が祭りをどうかしたいという。それならば、先ずは女の子達に、『浦安の舞』を舞ってもらったらと提案した。

  そして、福井にいる娘を通じて木田神社で『浦安の舞』を指導している高橋さんを紹介された。以後、区長以下が高橋さんと会い、正式に指導を申し入れた。そして、片瀬の中学1、2年生の女子が福井へ出向き、指導を受け、夏休みの後半から、DVDなどで練習してきたのだ。

  今日は、福井からその高橋さんが来られて直接指導を受けることになった。みんなかなり上手になったと思う。

  片瀬に産まれた女の子は、どの子も一生に一度は主役として、片瀬の神社の拝殿で『浦安の舞』を舞い、村の皆さんに披露してほしい。そして、嫁いだ後に、次の世代の踊りを見たときに、自分もこの神社で踊ったんだと思ってもらえればと思う。

   きっと、地区の人達も暖かい眼差しで子ども達の舞いを見るであろう。また、子ども達もそんな暖かい眼差しを感じ、『片瀬をふるさと』と感じてくれるのではなかろうか。次は男の子の出番である。

  村の一員として、片瀬に生まれたどの子ども達にも、何か活躍の場を与えてあげたいと思う。

(日記:午前中草取り。取っても取っても生えてくる雑草には苦労する。明日から、畑で小さな工事が始まるので、工事にかかる畑のサツマイモとヤーコンを掘った。ショウガも試掘してみた。夜は、『浦安も舞』の指導者の高橋さんとお会いし、銭太鼓の練習につきあう。汗だくだくの一日だった。)

 
 

ようやく準備完了

19 9月

3ヶ月間の『秋祭りプロジェクト』は終盤
  この3ヶ月近く、村の『秋祭り活性化プロジェクト』に関わって、歌作り(曲と詞)、銭太鼓の振り付け、女踊りの振り付け、そしてCD制作といろいろ時間のかかることが多かったが、ようやく終盤を迎えることになった。

  午前中は、昨日吹き込んだ歌の編集や編曲の変更などに時間を費やした。そして、十分とは言えないまでも、新民謡『片瀬豊年ばやし』のCDづくりを終えた。今後、この歌の生伴奏をバックに銭太鼓や女踊りができるようになったら、始めて地元の郷土芸能になったと言えるであろう。

  それまでに、消えてしまうのか、それとも生き残るかは区民の皆さんに支持されるかどうかにかかっている。どちらに転ぼうとも、自分としては、大変ではあったがやりがいのある取り組みであった。

ようやく出来上がった『片瀬豊年ばやし』のCD

   今日中には、関係者に歌詞と共に渡るはずである。すでに渡してある銭太鼓や女踊りの“振り付け”表を見ながらCDを聞けば、個人練習ができるというわけである。限られた時間の中で、しかも稲刈りの真っ最中に練習するとなればこの方法が一番よいと思っている。

CDを聞いてみてください。容量の関係で1番しか入っていません。下の文字をクリックしてみてください。

片瀬民謡 番 旭・春美歌 100919

                 片瀬豊年ばやし     
                                                            Ver.1
1.前歌 村の後に ひかえし山は 
     越の白山(しらやま) 開いた御仁(おかた)
     泰澄ゆかりの 大師山 大師山

   本歌 ハア アーアーアー  
     春は桜で 秋紅葉
     季節彩る 守り神  守り神
    「ワラビぜんまい 山の芋
     薪に材木 山の幸」
     山の麓(ふもと)にゃ 大仏と
     団子まきする 佛母寺(ぶつもんじ)
     山を守るにゃ 道づくり  道づくり ヨホホイー
           

2.前歌 先祖ゆずりの 大事な田畑
     村を潤す 豊かな恵み
     守りつなげよ いつまでも いつまでも 

  本歌 ハア アーアーアー
     片瀬自慢の 芋ショウガ 
     それに加えて うまい米 うまい米
    「春にみんなで 植えた苗 
     秋にゃ稲穂が お辞儀する」
     祝えめでたや 秋祭り
     歌え踊れや 秋祭り
     今年ゃ豊年 満作だ 満作だ  ヨホホイー
3.前歌 我が子よその子 みんな村の子
     明日の片瀬を 支える宝
     守り育てよ 世のために 世のために

   本歌 ハア アーアーアー  
     一人ひとりで できぬこと
     力合わせりゃ 楽になる 楽になる
    「人のためにと やることが
     回り回って 我がために」
     人を信じて いきましょう
     持ちつ持たれつ いきましょう
          心合わせて まちづくり まちづくり  ヨホホイー
4.前歌 親の代から 伝わる芸は 
     赤と白との めでたいバチが
     飛ぶぞ回るぞ 銭太鼓 銭太鼓

   本歌 ハア アーアーアー  
     村の伝統 いつまでも
     伝え残そう 子へ孫へ  子へ孫へ
    「バチのさばきも 軽やかに
     響く銭音(ぜにおと) 軽やかに」
     歌に合わせて バチを振れ
     呼吸(いき)を合わせて バチを振れ
          村に希望の 花が咲く 花が咲く  ヨホホイー

 
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一人暮らしの知恵(というほどのことでもない)

18 9月

捜し物に時間を使わないために
  私は、何にでも興味を持っているために、資料や道具は増える一方である。そして、使ったものは適当にしまっておくだらしない性格である。数日は片づけたものを覚えていても、長期間になったり、多種類になると何をどこへ片づけたのかは、自分では見つけることができない。

  これまでは、人生の4分の1くらいは“もの探し”をしているようなものであった。しかし、そんなときでも、家内に聞くと大概は見つかるから不思議である。日曜大工の道具類であっても、殆どの場合見つけてくれるのである。私しか使わないようなものでも、結構探し当ててくれるのである。

  自慢にならないが、家内がいなかったら2、3日も生活できないような人間である。そんな私ではあるが、家内が医大へ入院してしまったからにはもう頼れない。一人であれこれ探していると、時間はいくらあっても足りない。炊事・洗濯だけでもかなりの時間を要するのである。

  10日余り一人暮らしをしてみて、これではいけないといろいろ考えることがあった。先ず捜し物に貴重な時間を使わなくてもよいように、先ずは、これまでは滅多に持たなかったが、小さな鞄を持ち歩くようにしている。

  この中には、「車の免許証」、「デジカメ」、「携帯電話」を入れ、後はメモ帳やいくらかの現金を入れるようにしている。この鞄さえ持っていれば、もの探しをすることは結構少なくなるのである。

  次は、自動車の鍵である。ワゴン車と軽トラックの鍵は必ず鍵場に掛けるようにしている。この他、テレビとビデオのスイッチも場所を決めて置いている。また、借りた本なども、置く場所を決めている。

  「免許証知らない?」、「デジカメ知らん?」、「携帯どこかなあ?」、「のこぎり知らん?」、「ペンキ見なかった?」、「こんな本知らん?」……
などと言って家内に探してもらうことができないので、必ず所定の場所に戻すことに決めた。この他、まだまだいろんなものがあるが、それぞれ所定の場所へ置かなければならないと思っている。

  考えてみれば、「ひとり暮らしの知恵」などと言うほどのことはない。これまで何度も家内に言われてきたことだからだ。とにかく、“もの探し”の時間だけは少なくしなければと思っている。

『片瀬豊年おどり』の本歌の吹き込みをする旭さん(左)と前歌の吹き込み(右)。

(日記:午前中は家内の入院している医科大へ。入院以来始めて風呂へはいることを許された。私が助手を務めた。これまでは、看護師さんに身体を拭いてもらっていたが、今日始めて風呂へはいることを許されたのだ。さっぱりしたとのことであった。

 午後と夕方は、新民謡『片瀬豊年おどり』の最終吹き込み。また、毎日毎日とれるキュウリとナスの処分に困って誰かにあげていたが、それも大変なので、塩漬けにした。沢山のニガウリはジュースにして保存した。毎日があわただしい。)  

 
 

初めての合同練習

17 9月

前歌吹き込みを中学生に依頼
  そろそろ銭太鼓の本番用CDを作らなければならない。女性の声で前歌を吹き込みたいが、近くに適任者がいない。こんな時は、家内に歌ってもらうのだが、現在入院中。そこで、北部中の音楽のS先生にお願いした。
 
 「歌の上手な女生徒を2、3人紹介していただけませんか。できたら村の民謡の吹き込みをお願いしたいんですが。」
 「和太鼓を練習していたDさんは上手ですよ。聞いてみましょう。後で連絡します。」

  しばらくして、S先生から電話がかかってきた。太鼓を練習していた2人の女生徒が応援してくれることになった。補習の済んだ直後の5時半に北部中へ迎えに行った。そして、私の部屋でパソコンを使ってデジタル録音をした。

 民謡の吹き込みは中学生には、難しいかも知れない。それでも、2人の女子中学生は真剣に吹き込んでくれた。録音後、2人を北郷と荒土の自宅まで送り届けた。帰宅すると7時半だった。

初めての合同練習
 7時半からは、村の銭太鼓の練習だ。今日は始めての合同練習だ。振り付けもようやく、今日決まったのだ。今日の午後は、昨日練習してみてうまくつながらなかった女踊りの振り付けを変更した。踊りながらの練習でとても難しく、時間もかかった。

 「どうせやるなら一生懸命練習しよう。みんなが見ていて自分もやりたいと思わないような銭太鼓なら、村の郷土芸能にはならない。みんなが自分もやりたいと思うようなものにするには、本番まで真剣に練習するしかない。」

と、多少男子に気合いを入れた。いよいよ来週の土曜日は本番だ。来週は衣装合わせをすることと、神社の拝殿で本番と同様の練習をする予定だ。見ていた人が時分もやってみたいと思わないようだったら失敗だ。今の状態ではまだまだダメだ。来遊に期待しよう。私の役目もそろそろ終わり近づいた。

オリジナルの『片瀬豊年ばやし』の男女合同練習。少しずつ様になってきた。果たして地域に定着するだろうか。

(日記:午前中、数学のホームページ研究。今日はホームページ制作ソフト『Dreamweaver CS4』を最初から勉強し直した。急がば回れの心境だ。午後は、銭太鼓の女踊りの振り付け。午後いっぱいかかった。午後5時半から銭太鼓に使う民謡『片瀬豊年ばやし』の前歌を中学生に吹き込んでもらった。午後7時半から銭太鼓の始めての合同練習。少し先が見えてきた。)

 
 

郷土芸能づくりも大詰め

16 9月

女衆の初練習
  私は、来週の土曜日に行われる秋祭りに披露する銭太鼓の新曲を考えてきた。村に伝わる銭太鼓は、出雲の『安来節』に合わせてバチを振り、時には、ドジョウすくいを踊るものだ。正に、他国の民謡そのものだ。それを今90歳を超える人達も青年時代に演じてきたのだ。

  これはこれとして貴重なことである。しかし、これまで伝えてきた銭太鼓の楽しさを生かして新しい銭太鼓を作ることも価値あることだと思っている。そんな気持ちで今取り組んでいるのだ。そして、いよいよ最終コースの女踊りを加えることになった。その初練習が今日だ。

  男衆の方は、振り付けは決まったので、後は練習あるのみだ。しかし、女性の方は今日が初めてだ。7時半に3人の女性と区長と村の芸能部長が集会所へ集まった。早速練習を始めた。予想より、覚えがいいようだ。

  家では、一応、手足を動かしながら振り付けを考えてきたが、いざ、みんなで踊ってみると、つなぎがよくない部分がいくつかみられた。明日の男性との合同練習までには、一部変えなければならない。

 それにしても、大詰めにきたもんだ。あと一週間で本番だが、それまでに、すべきことはまだたくさんある。正式なCDの吹き込みもある。これが済んだら、のんびりしたいものだ。準備期間が不足していたが、自分としては、可能な鍵路努力したと思っている。後はみんなが頑張ってくれることを望むばかりだ。 

(日記:午前中、事務所で数学のホームページづくり。内容はできているが、ホームページとしてなかなかうまく表現できない。全くもどかしい。人前で話すとき、穎悟でやらなければならないということで、内容よりも語学でつまずいているようなものだ。午後、医科大へ行く。家内は懸命にリハビリをしているようだ。早く元気になって帰ってきてほしい。午後7時半より、新民謡『片瀬豊年ばやし』の女踊りの練習をした。)

 
 

伝統芸能となるか

15 9月

伝統を活かして創作芸能
  今月の片瀬の秋祭りに向かって、祭りを見直す動きが始まっている。自信を持って次の世代へつなげる何かを見つけ、それらを通して次世代を育成し、地域の活性かを願うというものである。

  具体的には、小中学生女生徒による「浦安の舞」の練習と片瀬の創作郷土芸能「片瀬豊年ばやし」の練習だ。前者は、どの神社でも行われていて、型がしっかり決まっている。いかに、優雅に踊るかだ。

片瀬に伝わる昔の銭太鼓に登場する女性の出で立ち。どじょうすくいのため、小さなザルを持っているが、新作の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』ではザルを持たない。服装はこれに近いものにしたい。

 後者は、今一種懸命、創作しながら練習しているのだ。まだ、改善の余地はあるが、とにかく歌ができた。後はこれを吹き込み、CDを作りたいのだが、まだ、試聴盤ができたところだ。また、男性が演ずる銭太鼓の振り付けも決まった。後は、早乙女姿の女性が演ずる踊りの振り付けだ。

   踊りの振り付けを考える場合には、自分が実際に踊りながら、前後のつながりを考慮に入れて創作しなければならない。また、男性の銭太鼓と同時に演ずるので、男性の動きと女性の動きが、調和していなければならない。

  そんなことを考えると、女性の振り付けを考えることはかなり難しい。しかし、難しいなどと言ってはいられない。何故なら、祭りまであと9日間しかないのに、今、振り付けを考えている状態だ。

  盆踊り復活にもかなりエネルギーを使ったが、今度の村の郷土芸能づくりにも、それに負けないくらいエネルギーを使っている。

今日は稲刈り助手
   今日は、朝6時に起きて、朝食を作り、7時半過ぎに、家を出た。「農事法人・かたせ」の稲刈りを手伝う日だ。私の役目は、前回と同じでコンバインが脱穀した籾を軽トラックに乗せてカントリーへ運ぶのだ。

 朝は、稲が露に濡れていてコンバインで刈ることができないので、予定より遅く始まった。ところが、午後3時頃雨が降ってきたので稲刈りは中止となった。米作りはかなり天候に左右される。

  ところで米作りだが、昔はもっともっと米作りの作業が多かった。コンバインは、稲を刈り、脱穀して、藁は細かく刻んで田んぼへばらまくのだ。そして、乾燥以後の仕事は、お金を払ってカントリーにやってもらうのだ。このコンバインの仕事の部分だけでも、昔なら、もっともっと沢山の作業があった。

   午前中稲刈り。 → 刈った稲は稲株の上に並べて乾燥させる。 → 午後は、それらを束にしながら、裏返しにしてさらに乾燥させる。 → 夕方、荷車に積んでハサ(稲を乾燥させる竹で組んだもの)へ運ぶ。 → 夜、運んだ稲をハサに掛ける。 → 稲を数日後ハサから降ろして、脱穀する。

 コンバインはこれらの作業を一度に行うのだ。昔に比べれば全ての部分で、機械化された。米作りは殆どの部分で、男の仕事になった。昔はかなりの部分が女性の仕事だったが、機械化されて、事情が変わってしまったのだ。

 
 

『片瀬豊年ばやし』試聴版完成

14 9月

試聴版CD完成
    私が歌を作ると、吹き込みをお願いする人は決まっている。民謡や演歌なら、先ずは旭義明さんだ。今日は村の銭太鼓の練習があるということで、試聴版を吹き込んでもらった。2時ころ旭さんが事務所(児童館)へ試聴版のCDを持ってきてくださった。

 さすがに旭さんだと思われるできであった。 本当は、前歌は女性が歌い、本歌から旭さんに歌ってもらうつもりだが、今日の試聴版では、前歌も本歌も旭さんが歌っている。今週中にはしっかりと吹き込みしたい。

  早速夜7時半からの銭太鼓の練習に披露した。みんなも気に入ってくれたようだ。いよいよ本番まで2週間を切った。まだ早乙女姿で踊る女性陣の振り付けができていない。早く振り付けなければと思う。今週も忙しくなりそうだ。推敲中だが、とりあえず下記のような歌詞を作った。

                        片瀬豊年ばやし

1.前歌 村の後に ひかえし山は 
     越の白山(しらやま) 開いた御仁(おかた)
     泰澄ゆかりの 大師山 大師山

   本歌 ハア アーアーアー  
     春は桜で 秋紅葉
     季節彩る 守り神 守り神
    「ワラビぜんまい 山の芋
     薪に材木 山の幸」
     山の麓(ふもと)にゃ 大仏と
     団子まきする 佛母寺(ぶつもんじ)
     山を守るにゃ 道づくり  道づくり

2.前歌 先祖ゆずりの 大事な田畑
     村を潤す 豊かな恵み
     守りつなげよ いつまでも いつまでも ヨホホー 

  本歌 ハア アーアーアー
     片瀬自慢の 芋ショウガ 
     それに加えて うまい米 うまい米
    「春はみんなで 植えた苗 
     秋にゃ稲穂が お辞儀する」
     祝えめでたや 秋祭り
     歌え踊れや 秋祭り
     今年ゃ豊年 満作だ 満作だ ヨホホー

3.前歌 我が子よその子 みんな村の子
     明日の片瀬を 支える宝
     守り育てよ 世のために 世のために

   本歌 ハア アーアーアー  
     一人ひとりで できなけりゃ
     力合わせりゃ 楽になる 楽になる
    「人のためにと やることは
     回り回って 我がために」
     人を信じて いきましょう
     持ちつ持たれつ いきましょう
          心合わせて まちづくり まちづくり ヨホホー

4.前歌 親の代から 伝わる芸は 
     赤と白との めでたいバチが
     飛ぶぞ回るぞ 銭太鼓 銭太鼓

   本歌 ハア アーアーアー  
     村の伝統 いつまでも
     伝え残そう 子へ孫へ
    「バチのさばきも 軽やかに
     響く銭音(ぜにおと) 軽やかに」
     歌に合わせて バチを振れ
     呼吸(いき)を合わせて バチを振れ
          村に希望の 花が咲く 花が咲く ヨホホー

(日記:午前中、家内の入院している医科大へ行った。一生懸命リハビリをしているところだ。午後、帰宅してから、1時間ほど旭さんと、午後3時から2時間ほどTさんが遊びに来てまちづくりなどについて話し合った。午後7時より試聴版のCDを使って銭太鼓の練習を行った。結構せわしい一日だった。)

 
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家事も立派な仕事

13 9月

以外と多い家事
  家内が入院したために、ここ1ヵ月間は一人で生活しなければならない。朝は2時間ぐらいは家事にかかってしまう。先ず朝起きたら、食事の準備だ。野菜を中心に、多少のタンパク質を加えている。みそ汁を作り、それなりに野菜サラダなどを作って栄養が偏らない結おうにしたいと思っている。

  漬け物が大好きだが、今は毎食、ぬか漬けを食べている。食べるだけではなく、次々とナスやキュウリ、黒瓜を補給しなければならない。糠床の糠も絶えず補給しなければならない。食べれば食べたで、食器類を洗わなければならない。

  また、家事の時間を有効に使うために、選択もしなければならない。暑くて一日に何回か着替えたりシャワーをすることもある。洗濯物は見る見る増えていくことになる。一つ一つを干すだけでも時間がかかるし、干したものを取り入れるのにもかなり時間がかかる。

  8月の終わりにはなりやんだキュウリだが、秋ギュウリが実り始めた。オクラも大きくなる。黒瓜もニガウリもどんどん大きくなる。ししとうも。一人では消化しきれない。昨日は畑近くのお店の人に沢山の野菜を差し上げた。今日も、畑近くの奥さんに野菜をあげた。

 ナスもオクラもキュウリもニガウリも、放っておくと大きくなり過ぎて食べられなくなる。家事の合間に自分のやりたいことをやっている状態だ。私自身は、結婚以来、家事や子育ても大切な仕事だと思ってきた。自分がやってみるとその思いはなおさら大きくなった。

私の給料は2人で稼いだもの
  私は、結婚以後、自分の給料袋を自分で開けたことがない。銀行振り込みになってからでも、自分でお金を引き出したことはない。この給料は、私が稼いだものではなく、妻の支えがあって得たものだ。家事を支える妻がいてはじめて安心して外へ出て働くことができたからだ。

  子ども達にもこのことは何度も言ってある。「お前達に20万円与えるとすれば、それはお父さんが10万円、お母さんが10万円与えたものだ。」
家内のおかげで、安心して外でいろんなことができた。

  共稼ぎの場合が、当然両者が分担しなければならないであろう。必ずしも何でも平等に同じことをすることではない。それぞれの特徴に応じて、分担するという考えが必要ではなかろうか。実際そうしている人も多い。

  さて、退職した今はどうか。食事の準備も分担してやろうと2人で決めたが、実際には上手く分担はできていない。一日のうち、少なくとも、2、3時間は家庭や家族のために時間を使い、後は、地域や自分のために時間を使いたい。そう思って、ここまできたが、家内の入院で生活が乱れている。

  それでも、なるべき外食をしないで3度の食事を自分で作って乗り切りたいと思っている。朝も昼も夜も、さて何を作って食べるか、いつも考えている。頭にはいいかもしれない。

画像で問題を表示(黒板をイメージしている)。数列の基礎問題(基礎『解法編』より)

 

(日記:午前、午後とも、数学のホームページづくり。数学の内容よりも、ホームページを作る能力のなさに四苦八苦している。特に、数学の記号が上手く表せないので、全て画像にして処理している。時間がものすごくかかる。無職でよかった。)

 
 

統廃合は子供の視点で

12 9月

いろんな人から意見を求められる
  今、勝山市では中学校の統廃合問題が関心を集めている。3月まで教育委員会に務めていたために、いろんな方々からこの問題について意見を求められる。自分としての意見はあるが、ただこの問題を考える全ての人にお願いしたいことがある。

  子供の視点で、純粋に教育という観点で問題にしてほしい。そのためにも、単に統廃合かどうかを問題にするだけではなく、統合した場合にはどのように変わるのか。現行のままで中学校を存続させるとの違い、すなわちメリット・デメリットを示して市民が考える材料を提示してほしい。  

  「5年後に2中学校を廃校とし、1校に統合するのか?」、「それとも、ここ当分の間は3中学校を存続するのか?」、「それとも2校に統合するのか?」、「もう少し先送りするのか?」

  いろんな場合が考えられる。登下校の問題にしても単純ではない。特にスクールバスによる下校の場合は、下校のために何便のバスを用意するのか?昨日の新聞には、「1中学校に統合された場合には、58人から38人に減るという。」

  もしそうだとすれば、同じ生徒数を3校に分散して(現行のまま)58人の教員で指導するのと、1中学校に集めて38人の教員で指導するのでは、何がどう変わるのか?メリット・デメリットを現場の教職員が保護者に知らせる責務があるのではないのか?

  郵政民営化を「賛成するのか?」、「反対するのか?」といった単純な政治問題とし、十分な議論のないまま、選挙に突入し「賛成派」が多数を占めて、自民党が圧勝した。しかし、その後、郵政では何が起こったのか、その他の問題では何が起こったのか?

  行政側も、学校側も、保護者や子供を含む地域住民が判断できる情報を提示して進めてほしいと切に願う。郵政の二の舞になるような、短絡的な設問ではなしに、「教育は国家百年の大計」という言葉をかみしめて、この問題を進めてほしいと願う。

(日記:午前中、数学ホームページ研究。昼近くに、大根を植える畑の3分の1に種を播いた。8月中に種を播くと早く成長するので今日種を播いた。後2回に分けて種を播きたい。そして、すぐり菜をお浸しにしたり、アゲといっしょに味噌煮にしたり、選った大根を漬け物にしたりして食べるのは美味しい。午後、家内の入院している医大へ出かけた。家内は歩行練習をしていた。また、2人で気ままな旅をしたいものだ。朝・昼・夜、3食とも自分で作って食べた。)

 
 

二つの“一区切り”

11 9月

北部中学校文化祭で和太鼓演奏
  昼過ぎに、北部中学校へ向かった。今日は文化祭で、『選択音楽』をとっている16人の中学3年生(全員女子)がステージで発表するのだ。まあまあ上達したので、服装も私達のチームの法被を全員に貸すことにした。

  法被を着たり鉢巻きをつけるのも子ども達にとっては簡単ではない。予想通り、法被の掛け合わせを、洋服のようにしている子が3分の1ほどいたので慌てて直させた。鉢巻きもつけ方によってはダサい感じになる。鉢巻きも締めてあげた。

  いよいよ本番。私も直前まで子供達の衣装を着けていたので、本番で首にタオルを巻いたまま篠笛を吹いていた。練習通りにはできた。初心者が舞台で陥ることは、リズムが速くなることである。強いリズムであったり、細かいリズムになると速くしなければとどんどん速くなるのである。今回もそうであった。

  なにはともあれ、終わった。私の主義としては、済んだらあれこれ文句は言わないことにしている。その代わりに、本番直前まで、指導をするタイプである。少しでもよいステージになるために、練習では結構厳しく言う。しかし、本番で誰かが失敗したとしても、個人攻撃は絶対しないようにしている。

  今回の和太鼓指導を通して、楽しく、練習することができた。子ども達はそれぞれどんな思いであっただろうか。4月に家内と2人で気ままに九州を旅行中、北部中学校の校長から「和太鼓を教えてほしい」と電話がかかってきたのである。

    即座に引き受けて以来、今日の発表までそんなに時間はかかっていないが、どうにかこうにか1曲は人前で演奏できるようになったのだ。良しとしなければならないだろう。私にも、多少なりとも子ども達と人間関係ができて、「いっしょにやった」という満足感はあった。一区切りがついた。

新民謡『片瀬豊年ばやし』の作詞ができる
  今月末の片瀬の祭りで披露する銭太鼓のための新民謡の歌詞がようやくできた。満足できる「でき」ではないが、今日の午前中でようやく作り上げた。年のせいか、産みの苦しみが強くなるようだ。

  この民謡の作詞については、区民の皆さんも大いに新しい歌詞を作ってほしいと思う。今日は楽譜をプリントアウトした。そして歌詞を入れた楽譜を作った。また、音の高さが二種類のカラオケCDも作った。そこで、これらを持って歌を吹き込んでいただく大野市在住の旭さん(平泉寺出身)の所へ出かけた。

   これまでも、私の作った民謡の殆どをこの旭さんに吹き込んでいただいているのだ。今回も旭さんにお願いすることにした。曲を作るために四苦八苦、銭太鼓の振り付けを考えるために四苦八苦、歌詞を作るために四苦八苦……と、苦労の連続であった。

  数日後には我が家で吹き込みを行うことになる。そして、歌の入ったCDができる予定である。これまでは、歌の入っていないCDで練習してきたのだが、歌が入れば銭太鼓の練習も盛り上がるだろう。とにかく、一区切りが突いた。

  今日は二つのことが“一区切り”ついた。少しほっとしている。いつも何かに追われているという感じだ。お盆までは盆取りに追われ、今は村の郷土芸能づくりに追われている。それでも、充実はしている。