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Archive for 9月, 2010

たらい回しと鉢巻きづくり

10 9月

咳が出る
 今日も医科大の病院で泊まった。どうもこの頃寝ていると咳が出る。特に寝ているときに咳が出る。あまりいいことではない。少し、心配になる。特に、クーラーは気持ちのいい反面寒気がする。

「せっかく医科大にいるんだから診てもらったら」
と、妻が言う。病院の受付は8時半からとのこと。1時間前の7時半にならびたいので、8時から始まる食堂では朝食はとれない。

 そこで、自販機でおにぎりと唐揚げを買って食べ、1番になるようにと待合室で待っていた。8時半ちょうどから受付が始まった。待っていたかいがあった。1番乗りだ。ところが、「咳が出ます」と受付に告げると「内科もいろいろありますから、あちらの受付で聞いてきてください。」とのこと。

  そして、言われたとおりに別の場所へ移って受診した。レントゲンも撮った。ところが、耳鼻科へも行ってくださいとのこと。昼までには終わると言うことなので、耳鼻科で待っているとなかなか自分の番が来ない。lこのままでは、北部中学校の太鼓に間に合わない。

  やむなく、耳鼻科は待っていただけで、受診は断念した。7時半から12時頃まで、わずかに診察してもらっただけで、ただ待っていただけのようなものである。そして、次のスケジュールのために診察を断念した。お金を払うと5000円以上であった。

 時間のない人だったら頭に来るだろう。私も今日に関しては、半日しか余裕がなかったので、いらいらした。病人はお医者さん頼みだ。腹を立ててもしかたがない。待っている間に、一生懸命村の新しい民謡の歌詞を考えていたが、なかなかいい言葉が出てこなかった。

和太鼓に使う鉢巻きづくり

鉢巻きづくり
 いよいよ明日は、北部中学校の文化祭。きょうは最後の練習。ステージでも練習を行った。テンポが速くなることは少し気になるが、初心者が5月から週1回の練習で、まあまあ人前で演奏できるようななったのは上出来だ。

  ユニフォームは、私の春駒太鼓の法被を使うことにした。鉢巻きは、全生徒16人分がなかったので、黄色と黒の布で作ることにした。生徒を助手にして16人プラス顧問の先生の分17本を作った。今の若い人達は、たぶん縄をなうことはできないだろう。

  私の場合、親からノルマを課せられて縄を一定の長さなうことが仕事だった時期がある。友達といっしょに藁仕事をした頃が懐かしい。おかげで子ども達が使う鉢巻きは自分で作ることができる。このように、今の若者達ができない技術は、私達の同年代の者は皆持っている。

 鳥かごだって作れる。魚を突く鉄砲ヤスだって作れる。ほうきも作れる。いろんなものが作れるがこれは私だけのことではない。私達の年代のいなかの者なら誰でも作れる。

  鉢巻きを作りながら生徒達といろんなことを話すことができて、時間の経つのも忘れた。いよいよ明日は本番だ。生徒達の活躍を期待したい。衣装は万全だ。生徒達が本気で演技をしてくれることを望むばかりだ。

 
 

難しい歌詞作り

09 9月

今日は、家内の手術があったので病院に泊まった。午前中は、病室で村の新民謡の歌詞作りを行った。かなり切羽詰まってきた。歌詞作りは困難をきわめた。例えば、七五調の7と言っても、3・4の7と、4・3の7があるので、まるでパズルのようだ。愚作だが、8割はできた。昼食時に医学部の外国人の先生と知り合いになり楽しい時間を持つことができた。午後は北部中で和太鼓を教えた。本番間近で少し気合いが入ってきたようだ。帰宅してシャワーをし、再び病院へ戻った。

 
 

医学の進歩に感謝

08 9月

無事手術が終わる
   午前中、医大で家内の手術が行われた。関節を人工的な者に取り替えるのだ。昼過ぎに手術を終えて病室へ戻ってきた。医学の進歩に感謝したい。今はしっかりとリハビリをして、一日も早くもとの生活に戻れるよう祈るばかりである。

  あまり役に立たないうだろうが、付き添うことにした。寝返りもできないような付き添いの折りたたみベッドの上で、何度か夜中に目が覚めた。普通の生活のなんとありがたいことか。何にもないということも、幸せなことだと実感した。

  病院の中を見渡すと、いろんな所を手術する人のなんと多いことか。人間も機械と同じように、長年使うといろんなところが劣化するのだろう。手足が自由に動くということは、身体の中にある骨と骨の間の軟骨が滑りをよくしているからだろうか。

  しかし、長年の生活習慣から、ある人は腰を、ある人は背骨を、ある人は首の軟骨を痛めて、痛みを感じ、手術をするのだろう。体重が増えることに無神経でいると、膝を痛めたり、腰を痛めたりするだろうし、内蔵にもよくないだろう。これからは、体重の動向にも注意を払いたい。

  それにしても、看護婦さん達は皆親切であった。頭の下がる思いがした。職務に忠実だと言えばそれまでだが、表情から、親身になって行動しているかはよくわかる。皆笑顔を忘れず親切であった。

 
 

「できる」か「できない」かではなく「やる」か「やらない」

07 9月

中学女子の和太鼓
 北部中学校の選択音楽で、週に一度、和太鼓を教えている。和太鼓は、譜面通りにリズムが叩けるだけでは、見ている人に感動を与えることはできない。太鼓を叩いているときはもちろんのこと、叩いていないときも姿勢は大切だ。もちろん叩く姿勢も重要だ。

  しかし、このことを生徒達に伝えることは簡単ではない。しっかりとした構えで叩かなければいい音が出ないし、見た目にも美しくない。少し難しい場面になると「できない」と考える者は多い。「できる」か「できない」ではなく、「やる」か「やらない」で決まるのだ。

  太鼓を始めて最初の時期よりはみんな上達している。ここから先、さらによくするには、生徒達がしっかりしたフォームで「やろうとする」か「しない」かだ。なんとか今週末までには、しっかりしたフォームで叩けるように指導したいと思う。

文化祭に向けて和太鼓を練習する北部中学校3年生(女子)の皆さん。右端が私です。

私の「津軽じょんから節」
 実を言うと私はこれまでも「津軽じょんから節」を弾きたいと考えていたのである。そして、昔担任をした生徒(今は校長)から「津軽じょんから節」の楽譜をもらったが、「こんなものはとても弾けない(できない)」と長い間あきらめていたのだ。

 しかし、このブログを通して知り合いになった河間氏にお願いして8月より「津軽じょんから節」を教えていただくことになった。譜面をいただいて弾いてみると「とてもこんなものは弾けそうにない」と思ってしまった。それもそのはずだ。基礎を勉強しないでいきなり応用問題を解くようなものだからだ。

  特に、最初の1、2回は苦しかった。無理なことをやっているなあと思う。覚えは確実に悪くなっているし、手も動きが悪い。しかし、ここ1週間は時間を見つけては毎日少しずつ練習していたのだ。無理だ無理だと思っていた部分が、少しずつ弾けるようになっていくのだ。

  まだまだだが、進歩を感ずることができるようになった。やろうとする気持ちがあれば、練習も真剣になり、少しずつ進歩していくのだ。できるかできないかを考えるよりも、やる気があるのかないのかを自分に問うべきだと思う。

村の銭太鼓
  今日も銭太鼓の練習があった。始めて練習しに来た者が言う。
 「これはとてもできん。難しい」
と。そんなときこう答えることにしているl。

「一日でできたら、そんなことは値打ちがないやろ。練習しなけりゃ上手くならないことをやっているから値打ちがあるんや。誰でも最初はできんのや。できないのが当たり前なんや。」

  結局、ここでも「できる」か「できない」かではなく、本人が「やる」か「やらない」かだ。本気になれば、人はかなりのことができるのだ。しかし、それができないのは、簡単にあきらめてしまうからだ。自分自身を“できない人間”と決めつけてしまっては自分自身に申し訳がないことになる。

 自分自身を信じて、とにかく毎日すこしずつでもやってみることだ。わたしの「津軽じょんから節」でも、“少しできる→できたところもできなくなる→できないところを繰り返す→できるようになる→……”と言う繰り返しで進歩するのだ。

  「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり(上杉鷹山)」に通じることだ。

(日記:数学ホームページの研究。午後2時より、北部中で和太鼓指導。午後4時より河間氏に「津軽じょんから節」を教えていただく。夜7時半より村の銭太鼓練習。)

 
 

人間も機械のよう

06 9月

手術前の説明から
 午後5時から医科大で妻の手術の説明を受けた。その説明を受けながら、いろいろ考えることがあった。人間の身体も機械のようだと思った。部品が悪くなれば取り替えることができる。現時点では、身体の全ての部分は移植したりはできないだろうが、かなりの部分で可能になっている。

   生身の人間の臓器を移植するだけではなく、プラスティックやセラミックや金属や繊維などで置き換えることもできるようだ。簡単に取り替えられるからといって安易に考えてはいけない。

 病院では、足や腰や首などが痛んでいて手術をする人が多い。その原因の一つにスポーツがあるように思う。ある時期、一生懸命スポーツをすることはすばらしいことだが、十分健康に気をつけながら取り組まなければならないと思う。

  今では、少年野球で無理に変化球を投げさせることを禁じているが、これは、成長期に無理な肘の動きをすることによって肘を痛めてしまうからである。相撲取りは、大きな体で激しい運動をするために、膝や腰を痛めている場合が多い。関取に、満身創痍という言葉がよく使われる。

  重量挙げの選手が腰を痛めている場合も多い。野球やゴルフの選手で腰を痛めている人も少なくない。狭義によって痛める部分が異なるようだ。特に、若い子ども達のスポーツには十分気をつけなければならないが、大人になっても、十分な準備運動をするなどして、身体を痛めつけないようにしなければならない。 

  一般の人でも、無理に運動をして足腰を痛めているものも多い。スポーツに取り組む場合には、身体にどのような媼負荷がかかっているのかを知りながらやるべきだと思う。特に、人間の軟骨は再生しないのだから、重いものを持つ時などは姿勢に十分気をつけなければならない。

  医科大には、あちこちを痛めて手術をした人が多いために、自分も気をつけなければならいと改めて感じた次第である。

(日記:午前中、産業支援センターでDVDを返却し新たなDVDを借りた。その後医科大へ寄って帰宅した。午後1時頃から2時間、北部中学校で和太鼓の指導を行った。週末に文化祭があり、『選択音楽』をとっている子ども達が、和太鼓演奏を行うからだ。午後5時から医科大で主治医の手術前の説明があった。あらゆる可能性を話してくださるので怖いという部分もあったが、全面的に医師にお願いするしかない。)

 
 

ひとり暮らし

05 9月

意外と多い家事
 家内が入院したためにひとり暮らしとなった。1から10まで自分でしなければならない。昨日は、三國湊『帯のまち流し』を見に行き、帰宅してからブログを書いたために、12時近くになった。風呂へはいると12時を越えていた。

 今朝、起きると食べるご飯がない。いざというときの冷凍ご飯はあるが、米をかしいでご飯を炊いた。といっても、炊飯器が圧力をかけるために1時間はかかるのだ。その間にみそ汁を作りつけものを切り、ようやく朝ご飯ができた。ご飯が炊けるまで、津軽三味線の練習をした。

 昼食も自分で作って食べた。夜は、先ず買い物に出かけた。簡単にチンすれば食べられるものも買ってきた。私は、漬け物がないとご飯が食べられないタイプだ。ぬか漬けを欠かしたことがない。三食とも漬け物を食べるので補充しなければならない。家庭菜園からキュウリとナスを取ってきたので、糠と共に補充した。

 夕食を終えた後、少し余ったご飯はおにぎりにして冷凍しておいた。そして、明日のために米をかしいでタイマーをセットした。明日は6時半にはご飯はできているはずだ。この後、洗剤で使った食器を洗った。

  買い物から、後片付けまで、2時間以上かかった。これが1ヶ月続くかと思うと大丈夫かなと思ってしまう。家内のありがたみがわかる。今後、これに洗濯や掃除が加わり、家庭菜園の草取り、大根の植え付け、秋キュウリの塩漬け、生姜の加工などが加わると、大変なことになりそうだ。

 家事だけで、一日数時間はかかってしまいそうだ。それでも、退職した身にはまだまだ自由時間はある。今日も、午前中と午後の数時間は、数学のホームページづくりと「津軽じょんから節」の練習をした。上手く弾けないが、脳には刺激になっているだろう。

家の玄関先で採れた2種類の瓜

  家庭菜園は、この猛暑続きで大変だ。ポンプで30分以上川の水を汲み上げて流した。水の便が悪い畑は、大変だろうなあと思う。本当に今年は異常気象だ。何かよからぬことが起きなければよいがと思ってしまう。

  子ども達が進学などで家を離れて、親のありがたみがわかるように、私もこの年になって、家内のありがたみを感じている今日一日だった。早く帰ってきてほしい。一日も早く、もとの暮らしに戻りたい。

  『津軽じょんから節』の練習をしていて思う。絶対に弾けないだろうと思っていたところが少しずつではあるが弾けるようになっている。この年になっても、練習すれば少しは進歩するということを実感できてよかった。正に、“継続は力なり”である。生徒達には、“毎日パワー”と言ってきたのだが。

 
 

三國湊『帯のまち流し』を見学して

04 9月

各種団体の参加に感激
  3時半過ぎに勝山を出て三国へ向かった。三国港駅で車を止めて、電車で三国駅まで戻った。車掌に聞いても駅員に聞いても、今日の行事は全く知らなかったようだ。駅前の花屋さんに聞いてようやく概要がわかった。

  再び電車に乗って三国港駅へ行き、車を三国駅の駐車場へ止めた。そして、全踊り隊の出発地点となる『みくに文化未来館』へ向かった。沢山の踊り隊や伴奏隊、歌い手、各チームの先導隊などが集まり熱気が溢れていた。

   この会場で、私が『津軽じょんから節』を教えていただいている明萌会の河間氏と同会の歌い手石橋さんが参加していた。また、河間氏から民謡歌手を紹介された。いつかは自作の歌を歌っていただきたいなあと思った。このブログから、いろんな人達と知り合いになっていくと感じた。

 6時半に前半を受け持つ踊り隊が出発した。港町の狭い通りを、三味線と笛、太鼓に合わせて、沢山の踊り子達が、三国節を踊りながら進んでいく。各種団体や企業チームも参加していた。また、三国以外のチームも参加していた。人数の最も多かったのは、坂井市の職員チームということだった。

  まちの至る所に審査員がいて、真剣に審査をしていた。また、わが勝山市からも、『踊り隊ひらり』のみなさんが参加していた。踊りが本当に好きなんだなあと思った。

  途中で、後半を受け持つチームが踊り続け、交代しながら、三国神社へ向かうとのことだった。総踊りは壮観だろうなと思った。途中、すし屋で夕食をとった。三国神社のほうへ向かったが、車を置けそうな場所がわからないのであきらめて帰宅した。

会場で出会った民謡歌手(左)と河間氏(中央)と石橋氏(右)

おわら風の盆に向かって
  さて、帯のまち流しだが、このようなイベントができる三国の人達の心意気がすばらしいと感じた。いろんな人達の協力が感じられ、うらやましいと思った。しかしながら、どうしても『おわら風の盆』と比較してしまう。

  まだ2年目ということで、改善の余地はあると思った。どちらかといえば、参加型のイベントであると感じた。『おわら風の盆』は見せる(魅せる)踊りだ。いずれはこの方向に進んで行くのではないだろうか。

  九頭竜川の上流と下流の我が町と三国が交流できればと思った。また、えちぜん鉄道で考えても、終点の駅のあるまち同志だ。海の町と山の町がいろんな面で協力できれば、両方の町にとっても大きなメリットがあろうし、えちぜん鉄道にとっても有益なことではなかろうか。

港町の狭い路地を踊り歩く踊り隊の皆さん

   現役だった今春、えちぜん鉄道の営業部長(だったと思う)と、意気投合して話し合ったことが急に思い出された。もう一度話し合いたいものだ。それにしても、三国駅のえち鉄の職員が今日のイベントを全く知らなかったのはさみしい限りだった。

(日記:午前中、数学ホームページ作り。午後は少し休んで、三國湊『帯のまち流し』を見学。最後の三国神社での総踊りも見たかったが、駐車場の関係で断念して帰宅した。)

踊り子の皆さんと三味線を弾きながら街中を進む河間氏ら伴奏隊の皆さん

 

「みくに文化未来館」から出発地点へ移動する『おどり隊ひらり(勝山)』のみなさん

 

歌いながら街中を行く三弦明萌会の河間氏(三味線)と石橋氏(歌)

 
 

新振り付けで銭太鼓練習

03 9月
新振り付けで初練習
 午前中、銭太鼓の振り付け表をパソコンで刷り出した。区長に拡大コピーと自習用のコピーを依頼した。夕方7時半より新しい振り付けで初練習をした。集まったメンバーは50歳代のものばかりだった。

  自習用の振り付け表を見て、個人練習できるように練習した。9月25日の本番の祭りまでには何とかなりそうだ。問題は、村の人達を感動させることができるかだ。

   「一体全体、何をやっているの?」
と思われたらおしまいだ。そうならないためには、きちんと練習するしかない。意外とみんな真剣に練習してくれるので、ありがたい。 

  曲はできているので、今後は詞を作り、レコーディングしてCDにすることだ。それと、女踊りも加えられたらと思っている。まだ踊りの振り付けも決まっていないし、メンバーを決まっていない。できるかどうか不安だ。まだまだすることがいっぱいある。

黒板に貼った振り付け表を見ながら練習する壮年会のメンバー(片瀬集会所)

 

家内が入院
 家内が福井大学病院へ入院した。関節の手術をするためだ。1ヶ月近く入院することになる。この間、単身で頑張らなければならない。

  そこで、洗濯機の使い方、炊飯器の使い方、IHの使い方、その他、食中毒に対する注意など、いろんなことを習った。

 元気になって退院することを祈るばかりである。9月は長い1ヶ月になりそうだ。

 片瀬の祭りにいられないのは残念だ。特に、神社に奉納する新しい芸能を見せることができないのはさみしい。

 
 

和太鼓と数学

02 9月

久々の中学生指導
  2学期が始まった。久々に中学校の選択音楽で和太鼓を指導した。女子ばかりの16人の中にはいろんな性格の生徒がいる。だいたいの生徒は、それなりに熱心に取り組んでくれる。ところが4人ほどの生徒は、能力はありながら真剣に取り組めないでいる。
 
  一生懸命物事に取り組んだことがないのか、他人に認められたことがないのか、それともほめられたことがないのか。個別に指導しないと、なかなか真剣に取り組んでくれない。今日は30分ほどしか練習時間がない。無視するわけにもいかない。

  「和太鼓を上手になるためにやっているんじゃないよ。別に太鼓など叩けなくてもかまわない。みんなで力を合わせて物事に取り組む練習をしているんだ。目の前の物事に一生懸命取り組むことが大切なんだ。今のままではやっている値打ちがないよ。」

  この程度では、彼女たちは簡単には動かない。全体の練習が終わった後で、4人だけ特別指導した。全体でやっているときよりはかなり上手だ。できないのではなく、しないのだ。真剣にしないのが当たり前になっているのだ。

  かなりやりがいの和太鼓指導だ。自分の指導力を問われているとも言える。来週土曜日の文化祭までには、それなりにできるようにしなければならない。舞台でやったとき、見ている生徒から、ある程度認められないと、次の意欲につながらない。何とかしたいものだ。

数学の参考書を見るとわくわくする。どのように解説しているかに興味があり、作者の意図に関心がある。

数学を数楽に
  数学の苦手な子ども達を、少しでも好きになるようにするにはどうしたらよいか。それはやはり数学がわかるようにしなければならない。わからなくても好きな者はいようが、やはりわかるに越したことはない。

  中学校の和太鼓指導の帰りに本屋へ寄った。今日は2冊の本を買った。子ども達の理解しにくい問題にどうして挑ませることができるのか。「わからない」ですませないようにするには、どうしたらよいか。これが私のテーマである。

  山登りにたとえるならば、「とても登れそうにない」と諦めきっている生徒に、「ちゃんと練習すれば登り口は見つかるよ」と、具体的に示せるかが私の課題だ。そのためには、現役の高校生が苦労しそうな問題を研究する方がよいだろうと思って2冊の本を買ったのだ。

  私個人の目標は、問題を解くことではなく問題を通して指導法を考えることだ。高校生達には、問題に対する姿勢や考え方、取り組み方を理解してもらえばいいのだ。最悪の場合、答えが出なくても、諦めずに考える姿勢だけは持ちつづけてほしいのだ。

  “考えることは生きること”だと思っている。このプロジェクトに私自身が関わり、一生懸命考えている。完成できなくても、私自身の目標は達成しているようなものだ。何よりも、取り組んでいる時が楽しい。朝5時過ぎに目覚めたときには、このプロジェクトのことを考えていることが多い。

(日記:午前中、数学のHPづくり。午後は、村の銭太鼓の振り付けを考える。3時過ぎに和太鼓指導のために、北部中学校へ行く。夜も、銭太鼓の振り付けを考える。)

 
 

今役立つ数々の参考書

01 9月

「あっ!太鼓の先生だ!」
 ある時、忘年会で温泉へ行ったことがあった。風呂に入ろうとして廊下を歩いていたら、他校の若い先生とすれ違った。その瞬間、彼の口から出た言葉は次のようなものであった。

「あっ!太鼓の先生だ!」

  確かに、高等学校文化連盟では、長年和太鼓に関わってきた。従って、彼がそう思うのも無理はない。「私が一体何の教科の教員だったのか」、知っている人と全く知らない人に二極化している。子ども達もそうだし、地域の人達やまちの人達も音楽関係の教科を担当していたのだろうと思っているようだ。

 しかし、私自身は、先ずは数学の教員だと思っている。役所の若い職員がある時、中学生の娘の質問を持って私の部屋へやって来た。私は、彼が帰宅して娘にしっかり説明できるように丁寧に教えた。

今年の夏祭り、一番右が私。これでは太鼓好きのおじさんと思われてもしかたがない。

「数学の話になると生き生きしますねえ」
と彼は言ってくれた。数学となると、口数が多くなってしまい、ついつい力が入ってしまう。私は思う。本職があって、趣味や特技があるのだと。

 しかし、数学について、まちの人や近所の人達と話し合う機会は皆無である。そう言えば、現役の数学教員だったある時、こういうことがあった。息子を病院へ連れて行ったときに、耳鼻科の医者が高校数学について質問してきたのである。一次変換の問題であった。

  次の患者が待っているのに、一生懸命数学について説明していたのである。先生は喜んだようだ。しかし、こういうことは滅多にないことである。そこで多くの人達から太鼓の先生といわれたり、音楽の先生かと言われたりするのも無理はない。それはそれでいいのである。

今生きる数々の数学参考書
  私は、本屋へ寄るのが大好きである。家族と買い物に出かけたときには、本屋で待ち合わせることにしている。そして、高校の数学教員時代から最近まで、本屋へ寄れば必ず数学の参考書売り場へも出かけて、どんなものがあるのかを調べて、買い求めたものである。退職しても同じである。

  なるほど上手く書けた参考書だなあと思うものもあれば、“この程度の内容でも出版できるのか”と驚いたりもする。何か自分のためになると思えば、必ず買い求めたものである。そんな参考書ががかなりたまってきた。

   今、自分が最もやりたいと思っている、ネット上での『数学講座』開設に当たって、これらの参考書を読み返しているが、参考になることも多い。これらの材料を自分流に解釈して、少しでも数学の苦手な高校生諸君の役に立てれば幸いである。今は、買っておいてよかったと思っている。

 今日は、午前中、数学講座開設のための作業をした。ホームページ制作の腕は未熟ではあるが、何とか、自分の思うことを表現できたらと思っている。私の願いは、解法を覚えて答えを出すことではなく、与えられた文章なり数式などから自分の力で解法に必要な情報を読み取り、それらを利用して解くための方針を自ら見つけ出すことにある。

 解法を説明し、覚えさせて、答えを出すというやり方は、点数をとることは出来ても、将来の生き方としては、いささかさみしい気がする。常に上司の指示に従って、言われたことだけやる生き方では、時代は切り開けないのではないだろうか。生き甲斐も持てないだろう。

太鼓チームの反省会。若い人達の話が聞けてこちらも楽しくなる。これまでは、ほぼ全曲私が創作してきただけに「新曲を作ってみたい」という彼女たちの申し出を嬉しく思う。

(日記:午前中、数学ホームページづくり。午後、テレビやパソコンのディスプレイを数台持って無料で受け取ってくれるという臨時の店へ出かけた。しかし、条件が合わないということで、全て有料だった。予想通りであった。その後、小屋の整理。廃物を軽トラに積んでゴミ処理センターへ。午後7時より和太鼓チームの反省会。若い娘達と楽しいひとときを過ごすことができた。 )