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和太鼓と数学

02 9月

久々の中学生指導
  2学期が始まった。久々に中学校の選択音楽で和太鼓を指導した。女子ばかりの16人の中にはいろんな性格の生徒がいる。だいたいの生徒は、それなりに熱心に取り組んでくれる。ところが4人ほどの生徒は、能力はありながら真剣に取り組めないでいる。
 
  一生懸命物事に取り組んだことがないのか、他人に認められたことがないのか、それともほめられたことがないのか。個別に指導しないと、なかなか真剣に取り組んでくれない。今日は30分ほどしか練習時間がない。無視するわけにもいかない。

  「和太鼓を上手になるためにやっているんじゃないよ。別に太鼓など叩けなくてもかまわない。みんなで力を合わせて物事に取り組む練習をしているんだ。目の前の物事に一生懸命取り組むことが大切なんだ。今のままではやっている値打ちがないよ。」

  この程度では、彼女たちは簡単には動かない。全体の練習が終わった後で、4人だけ特別指導した。全体でやっているときよりはかなり上手だ。できないのではなく、しないのだ。真剣にしないのが当たり前になっているのだ。

  かなりやりがいの和太鼓指導だ。自分の指導力を問われているとも言える。来週土曜日の文化祭までには、それなりにできるようにしなければならない。舞台でやったとき、見ている生徒から、ある程度認められないと、次の意欲につながらない。何とかしたいものだ。

数学の参考書を見るとわくわくする。どのように解説しているかに興味があり、作者の意図に関心がある。

数学を数楽に
  数学の苦手な子ども達を、少しでも好きになるようにするにはどうしたらよいか。それはやはり数学がわかるようにしなければならない。わからなくても好きな者はいようが、やはりわかるに越したことはない。

  中学校の和太鼓指導の帰りに本屋へ寄った。今日は2冊の本を買った。子ども達の理解しにくい問題にどうして挑ませることができるのか。「わからない」ですませないようにするには、どうしたらよいか。これが私のテーマである。

  山登りにたとえるならば、「とても登れそうにない」と諦めきっている生徒に、「ちゃんと練習すれば登り口は見つかるよ」と、具体的に示せるかが私の課題だ。そのためには、現役の高校生が苦労しそうな問題を研究する方がよいだろうと思って2冊の本を買ったのだ。

  私個人の目標は、問題を解くことではなく問題を通して指導法を考えることだ。高校生達には、問題に対する姿勢や考え方、取り組み方を理解してもらえばいいのだ。最悪の場合、答えが出なくても、諦めずに考える姿勢だけは持ちつづけてほしいのだ。

  “考えることは生きること”だと思っている。このプロジェクトに私自身が関わり、一生懸命考えている。完成できなくても、私自身の目標は達成しているようなものだ。何よりも、取り組んでいる時が楽しい。朝5時過ぎに目覚めたときには、このプロジェクトのことを考えていることが多い。

(日記:午前中、数学のHPづくり。午後は、村の銭太鼓の振り付けを考える。3時過ぎに和太鼓指導のために、北部中学校へ行く。夜も、銭太鼓の振り付けを考える。)

 
 

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