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Archive for 12月, 2012

地球は動いている

21 12月

地震は起こるのが当たり前
  私達は、動く地球の上に乗っていることを時々忘れそうだ。ハワイのある太平洋プレートは1年数センチずつ日本の方へ向かって動いているそうだ。動きが速いか遅いかは人によって感じ方が異なるだろうが、50年100年と時間が経過すればかなりの距離になるだろう。

  そして、そのプレートは日本の近くへ来て下へもぐり込むのだ。小松左京さんの「日本沈没」にもあるように長いスパンで見れば日本は少しずつ沈没していくように思えなくもない。

  こう考えると、日本では「地震は起こって当たり前」と考えておいた方がよさそうだ。しかし、誰もが、今日や明日にはそんなに大きな地震が起こらないだろうと思って毎日生活をしているようだ。

  それでも、次世代の子どもや孫のことを考えると、やはり地震に対して備えはしておくべきではなかろうか。効率、能率、経済性ばかりに気を取られて、安全がおろそかになってはいけないだろう。

  これから日本で家を建てる場合には、相当発想の転換を図り、安全性を重視しなければならないだろう。同様に、原発もまた経済性ばかりが優先されるのではなく、安全を第一に考えてもらいたいと思う。

 ところが、原子力規制委員会の調査団が昨日、東北電力東通原発(青森・東通村)敷地内の断層は活断層の可能性が高いとの見解をだした。ところが、東北電力はが逆の考えを持っているようだ。

  果たして、新しい内閣はどのような判定を下すだろうか。いつも思うが、安全と経済性を天秤にかけることは止めてほしいと思う。安全かどうかは、経済性に惑わされることなくは、学術的に可能な限り調査して結論を出してもらいたい。

  犠牲者を出してからでは遅いのだが、現実には橋もトンネルも全てのものが犠牲者が出るまで安全性がおろそかになっているように思う。悲しいことだが、今後もそのような傾向が続くのではなかろうか。「政治のレベルは国民のレベル」と言われるそうだが、残念ながら当たっているようだ。

  人ごとではなく、私も、安全に関して、我が家では何を見直すべきか、我が地区では何を見直すべきかを考えてみたい。動く地球に乗っている限り、地震は起こって当たり前なのだから。

(日記 午前中、部屋の整理。途中から明日のオカリナコンサートのクリスマス曲を編曲。ほとんどの曲はできあがっているが、あと1曲不十分な曲があるからだ。昼近くから始めて5時過ぎまでかかった。その後、明日のコンサートの会場準備のために、はたや記念館「ゆめおーれ勝山」へ準備に出かけた。楽器やアンプ、マイクなどを運び込んだ。帰宅後、再びオカリナの編曲作業。明日は楽しいコンサートにしたい。) 

 
 

NPO法人『今庄旅籠塾』傍聴記

20 12月

まちづくりに燃える熱き人達
 かねてから、まちづくり(住教育)でお世話になっている県土木部のSさんに、NPO法人『今庄旅籠塾』の例会を傍聴させてほしいとお願いしていたが、今日それが実現することになった。

  Sさんと、午後4時過ぎに今庄経向かった。午後6時に理事長のT さんとお会いした。非常に落ち着いた人格者であるとお見受けした。早速、夕食を共にすることにしてて、食堂へ入った。

 そこで、色々お話をすることができた。穏やかな人であるが、しっかりとした考えを持ておられる人だと感心した。このような人でなければこの宿場町の保存に関われないだろうなと感じた。

 午後7時から、NPO法人が借り受けている江戸時代の純粋な旅籠である「若狭屋」で会合が始まった。最初に、役場の職員が来年行われる「地域づくり団体全国研修交流会福井大会分科会」の運営等についての説明があった。今庄では分科会が行われるからである。

 その後、『今庄旅籠塾』の例会が行われた。連絡事項の後、
1.斉藤三郎家について
2.板取宿の管理業務関係について
3.「若狭屋」でのカフェ試行に浮いて
4.年末年始関係について
などの協議事項について、熱心に話し合いが行われた。 

江戸時代の旅籠『若狭屋』で行われたNPO法人『今庄旅籠塾』の例会に参加させていただいた。左端が私。

  非常に興味のある話が多かった。私も途中で2、3意見を述べさせていただいた。この今庄の宿場町は街道筋に1km程続いているが、雪も多く、道幅も狭くて生活には不便なことが多そうだが、別の見方をすれば、貴重な夢の舞台であるとも言える。

  不便を前面に出して廃れるのを待つか、それとも、貴重な財産であるとの観点から、いかに今の時代に生かすか、そして、現代の生活から失われた豊かさを取り戻すかが問われているようにも思う。

  私にとっては、夢の舞台であり、今庄宿とか旅籠とか北国街道とかいう言葉を耳にすると何となく、ロマンチックに感じる。ドイツの「ロマンチック街道」のように。

  会議の後、ぜんざいをいただいて今庄を後にした。高速を通って、Tさんに送っていただいて自宅へ着いたのは、午後11時半を回っていた。

 とても有意義なひとときだった。理事長の穏やかながらも凜とした態度に見習うことは多い。ぜひとも再会したいと思う。理事長のTさんの「夢を共有できる仲間がいることが、成功の鍵である」との言葉にも感銘を受けた。

(日記 午前中、役所へ寄り、午前9時半から鹿谷公民館でおばさん達の銭太鼓の指導。ずいぶん上手になったように思う。帰宅して、しばらくパソコンのファイル整理。午後4時過ぎに『今庄旅籠塾』の例会を傍聴させていただいた。

 
 

久々にのんびりした生活

19 12月

さて、次は何をするか
  朝は寝坊してしまった。いつもは時間がもったいなくて寝ていられないのだが、今日は気がついたら午前9時になった。昨日は睡眠一時間だから、これで少しはバランスがとれたかもしれない。

 「さて、次は何をするか?」と思ったが、それよりも、「これからは何を止めるか?」を考えなければならないことに気がついた。どれおこれも止めたくないが、それではもっとやりたいことができなくなる。悩ましいところだ。

  切羽詰まっていることに時間をかけるので、本当にやりたいことがほとんどできないでいる。ここ2年ちかく全くできないでいるのが『数学』だ。数学が私の本職だがこれが全くできずに後回しになっている。

  数学で何をするか、一つは『高校数学のホームページ作り』だ。公開しながら途中まで作りかけて、現在作業が中断している。これをもう一度作り直しながら、内容を追加していきたい。

  次が、ネット上での『数学講座』開設だ。小・中・高校生と算数・数学を軸に交流でたらと思う。毎日少しでもいいから作業を再開していきたいと思う。もしかしたら、紙芝居とつながりを持てるかもしれない。

  いずれにしても、創作系の作業は止めたくない。童話・紙芝居・文章(小説とは言言いたくても言えない)・歌作りだ。バンド関係は少しペースを落とさなければと思う。

  ちょうど、野球にシーズンがあるように、季節に合わせて力を入れたり抜いたりする必要がありそうだ。この冬は、音楽系の活動(団体でするもの)は、活動休止の予定したいと思う。個人的な活動は好きな時間にできるのだから。

 新年に向けて、年末までには「来年の時間の使い方」について自分なりの方針を立てたいと思う。少なくとも、精神的なゆとりだけは持ちたい。そのためには何にでも興味を持ちすぎないようにしなければならない。

(日記 午前中は、自分の部屋の整理整頓。そして、区の会計や申請事業などの事務処理。意外と時間がかかった。午後も作業を継続。夕方、正月用の餅米と玄米を精米した。雑用だけでかなりの時間が取られてしまった。時は金なりを実感。)

 
 

久々の徹夜

18 12月

やっぱり後一日ほしかった
  昨日、午後11時頃から、A3の厚紙に紙芝居を印刷しようと思ったが、インクが厚紙にはじいてきれいに絵が出ないので、紙芝居の印刷は残念ながら諦めることにした。そこで、パワーポイントを使って映像で流すと決めた。

園児と一緒に手遊び歌の実演。

 そして、パワーポイント用に映像を編集してできあがったのが夜中の2時過ぎ。その後、なぜインクがはじくのかをネットなどで見ているうちに、黒インクのせいでないのかとの考えに至り、フォトブラックをマットブラックに替えて印刷してみた。

 すると、うまく印刷することができた。しかし、詳細印刷では1枚印刷するのに10数分かかり、1時間に5枚前後しか印刷できないことが分かった。この時点で止めるか、それとも朝まで印刷紙続けるかのどちらかだ。

  保育園の子どもたちのためにも、映像よりも紙芝居の方が親しみを持って見てもらえるだろうとの考えから印刷することに決めた。結局、印刷し終わったのが、午前7時半だった。外は明るくなっていた。この年でよくも朝までもったものだ。

  午前10時前に野向保育園へむかった。出番があったおかげで、また一つ新たな紙芝居を作ることができた。この調子で、これからも、創作紙芝居を作る続けたい。全部で6つほど創作紙芝居が完成した。目標は10作品だ。

アコーデオンに合わせて手遊び歌。退職グッズの一つ「アコーディオン」が辛うじて生きている。

  子どもたちの真剣な眼差しを見ていたら、作ってよかったと思った。今回は、「あと一日足りなかった分を徹夜で補った」ことになる。今後はそうはいかないだろう。何事も、締め切りの二日前には完成させたいものだ。

(日記 徹夜して午前7時半過ぎまで起きて紙芝居の印刷をしていた。その後、1時間だけ寝て野向保育園へ出かけ、手遊びや新作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』を演じた。帰宅して昼寝。少し元気が戻った。充実した一ヶ月間だった。)

創作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』の初演。

創作紙芝居『のら犬物語~勇気を出して~』の表紙。

紙芝居の一場面。保育園児たちはどんな気持ちで見てくれただろうか。

 
 

あと一日あれば

17 12月

いつも一日足りない
  どうも私は時間の使い方が下手なようだ。別に言い方をすれば、「段取り八分」というのに、段取りが下手なのかもしれない。いつ何をやっても、「あと一日あれば」と思ってしまう。

  何とか締め切りに間に合うのだが、「あと一日あればもっと余裕を持ってやれたのに」と思ってしまう。明日は野向保育園の行事で「紙芝居」や「手遊び」をすることになった。

  毎年出かけているので、ここではいつも新作を発表すると決めている。おかげで、私の紙芝居作品が増えるのでありがたいが、いつもぎりぎりにしかできない。

  明日、本番だというのに、ようやく午前中「脚本(要校正)」ができあがり、午後6時半にパソコン上で全ての絵ができあがった。しかし、夕食を食べ、オカリナの楽譜を作り直し、午後7時半からオカリナの最終練習。終わったのが午後10時半過ぎ。

   ここからいよいよ印刷開始だ。A3ノビの厚紙に詳細印刷をするので1枚に20分ほどかかってしまう。昨日は午前1時半過ぎまで作業をしていた。今日は寝不足だ。ついついあと一日あればと思ってしまう。

  それでも、毎日1枚1枚描いているうちに20枚あまりの紙芝居になった。正に「毎日パワー」のおかげで作品の完成まで漕ぎつけることができた。出番があるおかげだ。10作品ができたら、東北の子どもたちの所へ出かけ、紙芝居をしたいと思う。

  やはり本当に一日足りなかった。うまく印刷ができない。紙との相性が悪いのか。明日は、この前のようにパワーポイントでやるしかない。紙芝居の素朴な感じを出したいと思っていたが、印刷できない。途中で、パワーポイントに変更せざるを得ない。

   やっぱり本当に一日足りなかった。こうなることも少しは予想されていた。これからは、何とか二日前に完成させたいと思う。「あと一日あれば」はしばらくはお蔵入りとしたい。

(日記 午前中はもっぱら紙芝居の絵描き。昼少し前に、専門家に枝打ちしてもらった樫の木の枝の片づけ。午後も、紙芝居の絵描き。午後6時半にようやく完成。午後7時半よりオカリナ教室。帰宅して紙芝居を印刷するつもりが、プリンターと厚紙の相性の悪さで印刷できず。途中でパワーポイントで上演することに切り替え、画像編集。)

 
 

安全マニュアル

16 12月

机上のマニュアルと実際との乖離
   マニュアルは犠牲者を出した後にしか改善できないのだろうか。山梨県の中央自動車道上り線の笹子トンネル内で天井が崩落する大惨事が起こった。事故後の、危険箇所の発見は驚くばかりだ。

  トンネルの安全点検は形式的だったことが暴露した。トンネルの天井が崩落したから、トンネルの総点検、そしてぼろぼろ出てくる危険箇所。原発が大事故を起こしたから原発を停止しての総点検。

  今後も、橋が落ちたら、高速道路が崩れたら、鉄橋が壊れたら、……と、いろんな災害が発生するのだろうか。そして、そのたびに、あやふやな安全点検箇所が発見されるのだろうか。

  原発のように安全性の見極めにくいものに対しては、専門家と称する学者が安全性を代弁してきたのである。そして専門家が「想定外」と発言するほどの大惨事。今も、原発の安全に関しては迷走している感じがするのは私だけだろううか。

  今、至る所に安全に関するマニュアルが存在する。しかし、実際には間に合わない、対応しきれないマニュアルが多いのではなかろうか。専門家と言われる人は、一般人の及ばない事を先読みして、国民の安全・安心のために力を発揮してもらいたい。

  今もいろんなところで安全点検が行われているだろうが、間違っても「人災」と言われないようにしてもらいたいものだ。東北大震災、福島の原発事故で被災した人達のことを忘れているのではなかろうか。

  最近気になるのは、「安全」と「経済」が天秤にかかっていることだ。安全は、安全でしっかり見極めてもらいたい。衆院選の開票が始まった。自公の大勝利に終わりそうな様相だ。今こそ、国民のための政治を行ってもらいたい。

今日の一枚。背景は借り置き。

(日記 明後日本番の紙芝居を今作っている。楽しい作業だが、段取りが悪くていつも一日足りない状況だ。今日は久々に人間を描いたが、一人完成させるのに一時間ほどかかった。4、5人の絵を描こうと思ったら半日以上かかるペースだ。手抜きをしたくないのでどうしても時間がかかる。それでも、毎日コツコツやってきたのでもうすぐ完成しそうだ。 選挙開票ニュースを見ながら作業をしている。今年は、世界の主な国のリーダーの選挙が行われている。難しい時代に新しいリーダーが選ばれる。うまく舵取りしてもらいたいものだ。今晩もまだまだ絵を描く作業が続きそうだ。選挙開票速報を見ながら……。)

 
 

『親子太鼓』練習納め

15 12月

出番間近
  親子太鼓を始めて1年半が過ぎた。最初は保育園の年長児と小学一年生の計5人とその保護者で出発した。保育園児には少し早過ぎるかなと思っていたが、週1回の練習でもかなり上達したように思う。

「♪ きーよし、この夜……♪」。親子太鼓のクリスマス。

  いよいよ来年からは、このグループだけでも市内のイベントに出演できるのではなかろうか。昨年秋のJA祭り、今春の鹿谷の雪祭りにも出演したが、それは大人の太鼓と一緒の出演だった。

  今後は、この親子太鼓だけでも独立して行動できる。最近は曲太鼓と共に『左義長太鼓』を練習しているがもう一息だ。何事もそうだが、続けることが大切だと思う。

  「この曲は無理ではないか」と思うこともあるが、練習しているうちに、子ども達はできるようになっていくのだ。子どもたちには無限の可能性がある。周りの大人達が子どもの何を伸ばすかをよく考える必要があるように思う。

  「一つのことを徹底的にやる」というのも一つの方法だが、いろんなことを楽しめるレベルに達するまでやってみるのもまた一つの方法ではなかろうか。

  一つのことを徹底的に伸ばして一流の選手や芸術家になるのも意味のあることだろうが誰もが簡単になれるものではない。楽しめるレベルに達するまでいろんなことに打ち込むのもまた意義のあることではなかろうか。

  身に付けたものは、間接的にいろんなことに役立つのではないかと思う。また、間口が広い分、人生に彩りを与えてくれるのではなかろうか。若い頃真剣に取り組んだことは形を変えていろんなことに役立つと思う。少なくとも私はそう思っている。

練習納めにみんなでクリスマスケーキを食べた。

  友達と一緒に何かを練習し、人前で演ずることは協調性を養うのに役立つだろうし、単調な日々の生活に潤いを与え、いい意味での緊張感を与えてくれるのではないかと思う。

 今日は練習の後、ミニクリスマスを行って、平成24年の練習納めとした。来年は親子太鼓の飛躍の年としたい。子どもたちはますます元気に、上手になっていくだろうが、私の方は逆に進んでいくようだ。

  子どもたちとの出会いを楽しみ、子ども達の成長を喜びたい。そして、若いパワーを受けながら、私も楽しく過ごせたらと思う。そういう意味では来年は親子太鼓のデビューの年としたい。

(日記 今日も、午前中は紙芝居作り。家内は福井の孫の発表会を見るために福井へ出かけた。午後は、除雪機で事務所の除雪作業。午後4時より「親子太鼓」の練習。その後、練習納めのミニクリスマス。ケー

紙芝居の一場面。背景は借り置き。

キを食べ、ビンゴゲーム。夕食後、再び紙芝居の絵描き作業。あと二日で仕上げなければならない。)

 
 

人生は旅

14 12月
どう歩むか
 今日、午後7時より福井の駅前の居酒屋で『大学軽音楽部OB会』の忘年会が行われた。この会は、今年の10月末に静岡で行われたOB会演奏会の反省会でもある。
 一番若いOBは59歳、一番年上は69歳の私だ。今回は初めて忘年会に女性3名も参加した。OBの多くは、定年退職した後も、働いている。しかし、何人かは、仕事をやめている。

  みんなと話し合っているうちに、多くの人が言うように「人生は旅」という言葉が頭をよぎった。時間という道を歩む旅かもしれない。

  定年を過ぎても、朝から晩まで働く人は、旅にたとえれば、脇見をせずにひたすら歩いて旅する人かも知れない。道路脇にどんな景色があろうと、どんな観どころがあろうとひたすら歩む生き方だと思えなくもない。

 一方、全く働かない生き方は、道路脇の土手に座っているように思えなくもない。それでも時間は過ぎる。しかし、周りの景色はいつも同じだ。季節毎に変わりはするが。

  65歳を過ぎたら、周りの景色を楽しみ、時には脇道に入っていろんなものを見聞きし、再び旅を続けるという生き方が私にとっては理想に思える。

福井の居酒屋で行われた『大学軽音楽部OB会』の忘年会。

 「ひまで何もすることがない」と言う人もいるが、旅にたとえれば、同じ所に立ち止まっているだけのようにも思える。やはり、ほどほどに働き、地域のため、家族のため、自分のために時間を費やす生き方を目指したいものだと改めて思った。

(日記 午前9時より、午後5時まで、食事の時間を除いてもっぱら紙芝居の絵描き。クライマックで10匹の野良犬出てくる場面があるのだが、一匹の犬を描くのに、1時間かかった。今日は、沢山の時間を使ったが、紙芝居としては、1場面しか描けなかった。午後6時少し前に電車で福井へ向かった。福井県周辺に住んでいる大学軽音楽部OB会の忘年会に参加するためだ。石川県からの参加者もあった。楽しい時間を過ごすことができた。音楽で結ばれた愉快な仲間たちだ。このOB会のモットーは「第二人生に音楽を」だ。)

 
 

大人になるための学校

13 12月

大人になるために必要な単位とは
  毎日ご飯を食べ、学校へ通っていれば大人になれるのだろうか。それでも大人になることができる人もいれば大人になれない人もいるように思う。まして、親となるともう一つ難しいかもしれない。

  大人の定義となると難しい。法律的には20歳を過ぎると「大人」ということになるようだが、実際には、大人かどうか頭をかしげたくなる人も少なくない。ここでは難しい定義は別として、せめて社会人としての常識だけは身に付けておいてほしいと思う。

  ここ最近、TPO(これは和製英語らしい)に問題のある大人に出くわすことが多い。T(=Time :時間)、P(=Place:場所)、O(=Occasion:場合)すなわち、「時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分け」のできない大人が多いのだ。

  空気を読めないのもTPOに問題があるのだろう。こうした常識的な面だけではなく、大人としてなすべき義務や責任などについても、どこかできっちりと身に付けておいてほしいものだ。

  昔は、大人になるためには、祖父母や両親が最も身近な教師であり、地域の大人や先輩達もまた教師の役割を果たしていた。地域が大人への学校だったのだ。ところが、今はどうだろうかか、先人から伝えられることは激減したように思う。

  実際私自身も、ずいぶん祖父母や両親、近所の大人や先輩達からいろんなことを教わった。職場へ入った当時は先輩達からある時は厳しく、ある時は優しくいろんなことを教わった。

  今の子どもが高齢者を見る目と、昔の子どもが当時の高齢者を見る目は全く違うように思う。昔は、高齢者は知恵を持った人であると思われていたが、今はそうした尊敬の念もかなり薄れてしまったように思う。

  それは、地域社会では大人の側から子どもたちに教える技術などが不要になってしまったからだ。どんなものでも金さえ出せれば簡単に手に入れられる時代になったからだ。
 
  特に、情報化時代になり、そうした技術は逆に若い者の方が強く、会社でも上司の方が弱いという現実がある。また、知識や能率、利益が優先される世の中になったしまったことも世の中が変質した理由の一つだろう。

  知識のある者があたかも優れているかのように扱われる時代になってしまった。したがって、大人になりきれない大人が世の中にはびこるようになった。このままでは、知識は持続可能であろうが、社会が持続不可能になろうとしているように思う。

(日記 今日は年末の整理整頓や掃除を止めて、終日紙芝居づくり。途中で、瓦版をコピーし、市の広報誌と共に班長に配った。ほっとした瞬間だ。夜は、今日も、12時近くまで紙芝居づくりが続くだろう。)

 
 

『かたせ瓦版』づくり

12 12月

何を伝えるか
  私は、月に二回、区の情報誌『かたせ瓦版』を発行している。発行日は市の広報誌に合わせている。第二木曜日は、A4二ページ分、第4木曜日は、A4四ページ分の紙面だ。

  読者は区民、といっても若い人から高齢者までだ。全ての世代に合わせる記事づくりなど不可能。となると、こちらの願いである“区に関心を持ってもらう”ことが中心になる。

  今日は水曜日。明日はA4二ページ分の瓦版の発行日だ。1ページは、各種団体と役員との語る会についての記事だ。区の総会では、1家族に一人だけしか参加できないために、参加しない者には意見やアイディアを発言する機会がない。

  そこで、今回は初めての試みだが、『役員と語る会』を開催して、役員と各種団体のメンバーが気楽に話し合うことができないかを模索するものだ。青年会、中年会、壮年会、婦人会、ひまわり会(若妻会)、老人会の会員と区の問題について意見や提言をいただくというものだ。

  それと先日行われた区の『12月定例役員会』の審議事項を書いておきたいと思う。区の役員がどんな問題について話しているのかを区民の皆さんに知っていただきたいからだ。そして、区に関心を持ってもらいたいと思う。

  もう1ページは、先日行われた『農事組合法人かたせ』の「里芋即売会」と「収穫感謝祭」について、組写真で伝えたいと思う。1ページに12枚の写真を使って編集した。問題は、いつも写真を撮っておくということだ。

  それでも写真は足りないので、組合の役員の協力を得て必要な写真を集めた。だいたい半日で瓦版の編集は終わった。これを市の広報誌と共に各班長に配ると、私はほっとする。今回は、4月から数えて瓦版の18号に当たる。

  毎回思うことは、何を伝えるかだ。これからも、こうした悩みを持ちながら、苦しみ、楽しみながら瓦版の発行を続けたいと思う。先日も、村からまちへ嫁に行った女性から「実家で瓦版を見るのが楽しみです」と声をかけられた。

 区内でも、時々こんな声を聞くが、私にとっては最高の喜びだ。また、がんばろうという気になる。「何を伝えたいか」、「区民の皆さんが何を求めているか」、「何を伝えるべきか」、これらを考えながら、これからも瓦版作りを続けていきたい。

紙芝居の登場人物(登場犬)達。背景は借り置き。

(日記 午前中は、居間の整理整頓。昼前後に、少し紙芝居の登場人物(犬)の絵を描いた。その後、『かたせ瓦版』づくり。午後8時頃ようやく編集を終えた。昼過ぎから、ずっと、10月に浜松で行った軽音楽部OB会演奏会のDVDのラベル印刷。1枚1枚手差しでの印刷なのでとても時間がかかる。夜中までかかりそうだ。)